WILK ―忘れずの故郷―   作:ヒツジ(ラム肉

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――WILK国外情勢整理会議・一九三九年第一号記録
一九三九年一月

確認事項。

ポーランド共和国。

存続。

政府。

機能。

軍。

平時体制。

鉄道。

運行。

国境。

通行可能。

WILK国内主要工場。

稼働。

国外支部。

稼働。

航空部隊。

Tur、Bizonともに必要稼働数を維持。

戦争状態。

なし。

総括。

現在、

平時である。

付記。

前年と同じ意味であるとは、

確認できない。


第10章 失うものを選べ
第158話 去年と同じ欧州ではない


 

一九三九年一月。

 

ポーランドは、

 

まだ何も失っていなかった。

 

少なくとも、

 

地図の上では。

 

---

 

正月休みが終わった。

 

工員が戻る。

 

鉄道が動く。

 

食堂でパンが焼かれる。

 

学校に子供が戻る。

 

格納庫では、

 

正月を二日まで延ばされた整備員たちが、

 

Turの主脚を調整していた。

 

「右が少し遅い」

 

若い整備員が言った。

 

「どれくらい」

 

「左より二秒」

 

古参が答える。

 

「二秒なら待て」

 

「規定は一秒以内です」

 

「では直せ」

 

「はい」

 

平時だった。

 

---

 

Bizonも飛んだ。

 

改修終了機。

 

無線。

 

交換。

 

発動機。

 

整備済。

 

機銃。

 

調整。

 

防弾板。

 

点検。

 

試験飛行。

 

正常。

 

航空隊へ返す。

 

また一機。

 

平時だった。

 

---

 

国外赴任者も出た。

 

英国。

 

一家族。

 

フランス。

 

技術者二名。

 

ルーマニア。

 

倉庫担当一名。

 

ポルトガル。

 

商務担当一名。

 

そして、

 

新規採用。

 

十一名。

 

家族。

 

二十七名。

 

ポーランド軍将校は、

 

一覧を見た。

 

「一月からか」

 

元独立運動家が答えた。

 

「一月だからだ」

 

「年末にあれだけ出した」

 

「年が変われば危険が消えるのか」

 

軍将校は紙を置いた。

 

「消えれば楽だった」

 

---

 

一月五日。

 

外務省経由で、

 

新しい報告が入った。

 

ポーランド外相、

 

ユゼフ・ベック。

 

ドイツ首相、

 

アドルフ・ヒトラー。

 

会談。

 

場所。

 

ベルヒテスガーデン。

 

議題。

 

独波関係。

 

ダンツィヒ。

 

交通。

 

今後の関係。

 

前年十月にも、ドイツ側はダンツィヒのドイツ編入や、ポーランド回廊を横断する治外法権的な道路・鉄道についてポーランド側へ提案していた。翌一九三九年一月五日のベック=ヒトラー会談でも、ダンツィヒ問題は再び主要な論点となった。

 

ポーランド軍将校は、

 

報告書を読んだ。

 

「去年と同じだ」

 

誰も返事をしなかった。

 

軍将校はもう一度見る。

 

「ダンツィヒ」

 

紙を指す。

 

「交通路」

 

次。

 

「独波関係の整理」

 

顔を上げた。

 

「去年からある話だ」

 

元白軍将校が聞いた。

 

「去年と同じ欧州か」

 

---

 

誰も、

 

すぐには答えなかった。

 

---

 

壁には、

 

前年十二月の地図がある。

 

その横。

 

一九三八年一月。

 

比較用として、

 

まだ残してあった。

 

元白軍将校が、

 

一月の方を指した。

 

「ここ」

 

オーストリア。

 

次。

 

「ここ」

 

チェコスロヴァキア。

 

次。

 

「ここ」

 

ズデーテン地方。

 

次。

 

ハンガリーへ移った地域。

 

次。

 

ポーランドが得たザオルジェ。

 

一枚目と二枚目。

 

同じ一年。

 

違う欧州。

 

---

 

ポーランド軍将校が言った。

 

「要求の内容は同じだ」

 

ユダヤ人実業家が答える。

 

「価格も同じですか」

 

「何の話だ」

 

「商売なら、同じ商品でも状況が変われば価値は変わります」

 

「外交を商売にするな」

 

「同じですよ」

 

「違う」

 

「なら、去年と同じ要求だから安心してよい理由は?」

 

軍将校は答えなかった。

 

---

 

元ドイツ軍技術者が、

 

報告書を取った。

 

「仕様は同じ」

 

軍将校が彼を見る。

 

「お前まで要求を仕様と呼ぶのか」

 

「だが使用条件が違う」

 

「何が」

 

「去年なら、この要求を断った後に何が起きるか分からなかった」

 

「今年も分からん」

 

「違う」

 

技術者は、

 

一九三八年の地図を指した。

 

「一度見た」

 

---

 

その言葉で、

 

部屋が静かになった。

 

---

 

元独立運動家が言った。

 

「人を増やす」

 

軍将校が即座に振り返る。

 

「まだ何も決まっていない!」

 

「だから増やす」

 

「戦争になると決まったわけではない」

 

「だから今出せる」

 

「交渉が続いている」

 

「だから列車が走る」

 

ユダヤ人実業家が付け加えた。

 

「銀行も開いています」

 

元ドイツ軍技術者。

 

「国外への貨物も出せる」

 

元白軍将校。

 

「国境で撃たれない」

 

軍将校は四人を見た。

 

「お前たち、今年になって余計に酷くなったな」

 

---

 

誰も否定しなかった。

 

---

 

その日の午後。

 

国外移転候補表。

 

追加。

 

整備員。

 

七名。

 

検査員。

 

三名。

 

工具製作。

 

四名。

 

発動機整備。

 

五名。

 

無線。

 

二名。

 

事務。

 

六名。

 

教師。

 

三名。

 

食品。

 

四名。

 

倉庫。

 

八名。

 

家族人数。

 

別紙。

 

ポーランド軍将校が紙を持ち上げた。

 

「多い」

 

元独立運動家。

 

「候補だ」

 

「全部出すのか」

 

「必要なら」

 

「国内工場はどうする」

 

元ドイツ軍技術者が答えた。

 

「若い者を上げる」

 

「またか」

 

「去年できた」

 

「効率は落ちた」

 

「飛行機は足りている」

 

そこは、

 

軍将校も否定できなかった。

 

---

 

Bizon。

 

新造数。

 

低下。

 

改修数。

 

増加。

 

Tur。

 

新造。

 

少数。

 

改修。

 

継続。

 

航空隊からの可動数報告。

 

必要量。

 

確保。

 

だが。

 

予備部品は、

 

減っている。

 

予備発動機も、

 

使っている。

 

修理待ちも、

 

少しずつ増えている。

 

元ドイツ軍技術者が言った。

 

「まだ削れる」

 

「何を」

 

「新造」

 

軍将校の顔が険しくなる。

 

「軍が許すか」

 

「飛べる数は維持する」

 

「いつまで」

 

「分からん」

 

「一番困る答えだ」

 

「正確だ」

 

---

 

国内の生産能力を、

 

少しずつ使う。

 

既存機を戻すために。

 

国外へ人を出すために。

 

明日の工場を、

 

別の場所へ作るために。

 

同じ工員一人を、

 

二か所には置けない。

 

同じ工作機械を、

 

二国には置けない。

 

同じ時間を、

 

二度は使えない。

 

だから、

 

選ぶ。

 

まだ、

 

失うものではなかった。

 

使う場所を。

 

選んでいるだけだった。

 

---

 

一月六日。

 

追加報告。

 

ベック外相。

 

ドイツ外相リッベントロップと会談。

 

ドイツ側の意向。

 

変化。

 

確認できず。

 

ポーランド側。

 

譲歩。

 

確認できず。

 

交渉。

 

継続。

 

軍将校が紙を読む。

 

「まだ交渉だ」

 

元白軍将校が言った。

 

「なら交渉してもらえ」

 

「当然だ」

 

「我々は何をする」

 

軍将校は彼を見る。

 

「仕事だ」

 

「そうだ」

 

---

 

仕事。

 

それが、

 

WILKの答えだった。

 

外交は外務省。

 

軍事は軍。

 

WILKは、

 

飛行機を作る。

 

直す。

 

人を雇う。

 

家族を住ませる。

 

国外へ仕事を作る。

 

図面を複写する。

 

ゲージを送る。

 

空室を残す。

 

船腹を押さえる。

 

鉄道枠を買う。

 

銀行口座を増やす。

 

それだけ。

 

---

 

一月中旬。

 

英国支部から報告。

 

新規住宅。

 

三戸。

 

入居。

 

二戸。

 

一戸。

 

空き。

 

本社から返信。

 

維持。

 

フランス支部。

 

倉庫区画。

 

追加契約。

 

半分。

 

未使用。

 

維持。

 

ポルトガル。

 

船積み枠。

 

当月未使用。

 

翌月分も契約。

 

会計担当から照会。

 

使用予定なし。

 

契約継続の必要ありや。

 

ユダヤ人実業家。

 

回答。

 

あり。

 

理由。

 

空いているから。

 

---

 

会計担当から、

 

再照会。

 

意味不明。

 

実業家。

 

回答。

 

そのまま。

 

---

 

一月後半。

 

ワルシャワ。

 

ドイツ外相リッベントロップが訪問。

 

独波関係について、

 

さらに協議。

 

しかし、

 

双方の基本的な隔たりは埋まらない。

 

一月の交渉はただちに戦争を意味するものではなかった。ポーランド側は交渉の余地そのものを否定していたわけではないが、譲歩できる範囲には明確な限界があると認識していた。後の米外交文書でも、ベックは対独交渉には境界があり、それをドイツが越えれば戦争になるとの認識を示している。

 

WILKへ入った報告は、

 

もっと短かった。

 

交渉。

 

継続。

 

合意。

 

なし。

 

決裂。

 

なし。

 

---

 

ポーランド軍将校が、

 

その四行を見た。

 

「一番扱いに困る」

 

ユダヤ人実業家。

 

「商売でもそうです」

 

「何が」

 

「契約成立でも破談でもない状態」

 

「どうする」

 

「期限を決める」

 

「外交に?」

 

「我々の行動に」

 

---

 

そこで、

 

初めて。

 

一九三九年の表が作られた。

 

三月。

 

六月。

 

九月。

 

十二月。

 

軍将校が言った。

 

「何の期限だ」

 

実業家。

 

「期限ではありません」

 

「では」

 

「確認点です」

 

元ドイツ軍技術者が紙を見る。

 

三月までに。

 

国外技術配置再確認。

 

六月までに。

 

主要図面複写率再確認。

 

九月までに。

 

国外支部独立運転試験再実施。

 

十二月までに。

 

再評価。

 

軍将校が尋ねた。

 

「なぜ三か月ごとだ」

 

「一年先を決めるなと言ったでしょう」

 

「言った」

 

「なら短く区切る」

 

---

 

元白軍将校が、

 

九月の欄を見た。

 

「遠いな」

 

軍将校が言った。

 

「八か月だ」

 

「遠い」

 

「去年なら?」

 

「近かった」

 

「どっちだ」

 

「分からん」

 

「お前までか」

 

「今年はそういう年だ」

 

---

 

若い書記が、

 

一月分の会議録を整理した。

 

最後に、

 

総括欄。

 

ペンが止まる。

 

「何と書きます」

 

ポーランド軍将校が答えた。

 

「平時」

 

「それだけですか」

 

「事実だ」

 

元白軍将校が言った。

 

「もう一つ」

 

「何だ」

 

「去年と同じではない」

 

---

 

書記は、

 

二行にした。

 

現在。

 

平時。

 

ただし。

 

前年と同じ平時ではない。

 

---

 

その日の夕方。

 

格納庫では、

 

Turが一機、

 

航空隊へ戻る準備をしていた。

 

古い機体。

 

新しい発動機。

 

新しい無線。

 

補修された翼。

 

十一粍機銃。

 

装甲。

 

爆弾架。

 

機体番号だけは、

 

昔から同じ。

 

若い整備員が、

 

記録簿を閉じた。

 

「また帰ってきますかね」

 

古参整備員が答えた。

 

「帰ってくるように直した」

 

「そうじゃなくて」

 

古参は、

 

少しだけ若い整備員を見る。

 

「なら、帰ってくるまで考えるな」

 

---

 

発動機始動。

 

一基。

 

二基。

 

冬の空気を、

 

プロペラが叩く。

 

Turは、

 

雪の残る飛行場を走った。

 

浮く。

 

上がる。

 

西へ。

 

---

 

誰も、

 

その機体が今年何回飛ぶか知らなかった。

 

誰も、

 

今年何機直すことになるか知らなかった。

 

誰も、

 

今年何人を国外へ出すことになるか知らなかった。

 

誰も、

 

今年の地図を知らなかった。

 

---

 

ただ一つ。

 

前年と違うことだけは、

 

知っていた。

 

同じ言葉を、

 

同じ意味では聞けなくなった。

 

同じ要求を、

 

同じ重さでは測れなくなった。

 

同じ平和を、

 

同じ長さだとは思えなくなった。

 

---

 

一九三九年一月。

 

ポーランドは、

 

まだ何も失っていなかった。

 

だからこそ。

 

WILKは、

 

失う前にできる仕事を、

 

一つずつ増やした。

 

 

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