WILK ―忘れずの故郷―   作:ヒツジ(ラム肉

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――WILK国外情勢整理会議・緊急記録
一九三九年三月十五日

確認事項。

三月十四日。

スロヴァキア。

独立宣言。

三月十五日。

ドイツ軍。

ボヘミアおよびモラヴィアへ進駐。

プラハ。

占領。

チェコスロヴァキア共和国。

事実上、

消滅。

前年九月。

ミュンヘン協定。

戦争。

回避。

半年後。

チェコスロヴァキア。

存在せず。

結論。

前年までの想定。

破棄。

追加結論。

三か月後に再確認する予定だった項目を、

本日、

再確認する。



第160話 昨日まであった国が、今日はない

 

 

一九三九年三月十五日。

 

朝。

 

WILK本社。

 

電話が鳴った。

 

一度。

 

二度。

 

三度。

 

最初の一本は、

 

ワルシャワ。

 

二本目。

 

国外支部。

 

三本目。

 

軍。

 

四本目。

 

商務。

 

五本目。

 

酒類部門。

 

六本目。

 

また軍。

 

---

 

ポーランド軍将校が、

 

事務室へ入った時。

 

机の上には、

 

既に紙が積まれていた。

 

「何が起きた」

 

若い書記が答えた。

 

「チェコです」

 

「何が」

 

書記は、

 

一瞬だけ言葉を探した。

 

「なくなりました」

 

---

 

軍将校が、

 

立ち止まった。

 

「何が」

 

「国が」

 

---

 

その答えは、

 

正確ではなかった。

 

だが。

 

間違ってもいなかった。

 

三月十四日にはスロヴァキアが独立を宣言し、翌十五日、ドイツ軍はチェコ地域へ進駐した。プラハも同日占領され、ボヘミアとモラヴィアはドイツ支配下へ置かれた。前年のミュンヘン協定で残されたチェコスロヴァキア国家は、この時点で事実上消滅した。

 

---

 

会議室。

 

地図。

 

また、

 

地図だった。

 

前年。

 

何度も貼った。

 

何度も線を引き直した。

 

今年も、

 

まだ三月。

 

もう、

 

一枚使えなくなった。

 

元白軍将校が、

 

チェコスロヴァキアの国境線を指した。

 

「消すか」

 

ポーランド軍将校が答えた。

 

「まだ消すな」

 

「ないぞ」

 

「記録として残す」

 

「なら横に新しいのを貼れ」

 

---

 

新しい地図。

 

ボヘミア。

 

モラヴィア。

 

スロヴァキア。

 

カルパティア方面。

 

前年より、

 

さらに線が増えた。

 

元ドイツ軍技術者が、

 

地図を見る。

 

「半年」

 

誰も聞かなかった。

 

彼は続けた。

 

「ミュンヘンから半年」

 

---

 

去年。

 

戦争は、

 

避けられた。

 

少なくとも、

 

その時は。

 

チェコスロヴァキアは、

 

領土を失った。

 

だが。

 

国は、

 

残った。

 

それが、

 

半年。

 

---

 

ユダヤ人実業家が言った。

 

「協定は」

 

ポーランド軍将校が答えた。

 

「役目を終えた」

 

「守られなかった?」

 

軍将校は少し考えた。

 

「そう書くと簡単すぎる」

 

元白軍将校。

 

「簡単でよい」

 

「よくない」

 

「国が消えた」

 

「だから記録するんだ」

 

---

 

若い書記が、

 

議事録に書く。

 

前年九月。

 

戦争回避。

 

同時に。

 

領土変更。

 

本年三月。

 

残存国家。

 

消滅。

 

因果関係。

 

断定せず。

 

ただし。

 

前年時点の想定が、

 

維持されなかったことを確認。

 

---

 

元独立運動家が、

 

それを読んだ。

 

「十分だ」

 

軍将校が言った。

 

「何が」

 

「怖い」

 

---

 

誰も、

 

反論しなかった。

 

---

 

その日の予定。

 

本来。

 

Bizon改修状況確認。

 

国外住宅契約。

 

新規採用者面談。

 

工具製作班配置。

 

食品部門月次報告。

 

延期。

 

ほぼ全部。

 

代わりに。

 

国外支部。

 

緊急確認。

 

---

 

英国。

 

通信。

 

正常。

 

フランス。

 

正常。

 

ルーマニア。

 

正常。

 

ポルトガル。

 

正常。

 

チェコ側取引先。

 

一部。

 

連絡不能。

 

一部。

 

応答。

 

一部。

 

所在確認中。

 

---

 

ユダヤ人実業家が、

 

電話を置いた。

 

「一社、返事がない」

 

「工場か」

 

「工具屋です」

 

元ドイツ軍技術者が振り向いた。

 

「何を作っている」

 

「小型ゲージ」

 

「最新分は」

 

「昨年受領済み」

 

「人は」

 

「分かりません」

 

元独立運動家が聞いた。

 

「家族は」

 

「もっと分かりません」

 

---

 

その瞬間。

 

問題が、

 

技術ではなくなった。

 

---

 

前年まで。

 

取引先。

 

会社名。

 

住所。

 

担当。

 

契約。

 

納期。

 

今年。

 

同じ紙を見る。

 

住所。

 

まだ有効か。

 

担当。

 

まだいるか。

 

国境。

 

まだ越えられるか。

 

会社。

 

まだ同じ会社か。

 

---

 

元白軍将校が言った。

 

「去年の住所を、今年の居場所だと思うな」

 

軍将校が彼を見る。

 

「またそれか」

 

「去年覚えた」

 

「役に立ったな」

 

「嫌な形でな」

 

---

 

午後。

 

チェコから、

 

一通。

 

短い電報。

 

到着。

 

本人無事。

 

家族。

 

不明。

 

移動予定。

 

未定。

 

WILKへの希望。

 

なし。

 

ただし。

 

仕事があるなら、

 

国外。

 

---

 

元独立運動家が、

 

紙を読んだ。

 

「職種」

 

「工具工」

 

「腕は」

 

元ドイツ軍技術者が、

 

古い取引記録を探す。

 

「ああ」

 

一枚抜く。

 

「こいつか」

 

「知っている?」

 

「ゲージの角を丸めすぎたやつ」

 

「悪いのか」

 

「直した」

 

「なら」

 

「使える」

 

ポーランド軍将校が言った。

 

「採用?」

 

ユダヤ人実業家が答えた。

 

「本日付」

 

---

 

軍将校が、

 

彼を見る。

 

「本人はまだチェコにいるぞ」

 

「はい」

 

「国外勤務先は」

 

「英国」

 

「本人が英国に着いていない」

 

「着けば勤務開始」

 

「着かなければ」

 

元独立運動家。

 

「社員として扱う」

 

---

 

少し沈黙。

 

軍将校が聞いた。

 

「なぜ」

 

元独立運動家が答えた。

 

「社員なら、会社が探す」

 

---

 

それで決まった。

 

---

 

その日の午後。

 

新規採用。

 

三名。

 

全員。

 

国外配置予定。

 

一人。

 

工具工。

 

一人。

 

無線技術。

 

一人。

 

事務。

 

家族人数。

 

確認中。

 

---

 

軍将校が言った。

 

「増えるぞ」

 

ユダヤ人実業家。

 

「増やします」

 

「金は」

 

「減ります」

 

「利益は」

 

「もっと減ります」

 

「何度目だ」

 

「数えるのをやめました」

 

---

 

元ドイツ軍技術者は、

 

別の紙を出した。

 

国外技術配置。

 

三月確認予定。

 

本来。

 

月末。

 

「今日やる」

 

軍将校が見る。

 

「全部?」

 

「全部」

 

「時間が」

 

「今使う」

 

---

 

国外へ出した図面。

 

確認。

 

ゲージ。

 

確認。

 

工具。

 

確認。

 

発動機模型。

 

確認。

 

工程票。

 

確認。

 

検査基準。

 

確認。

 

不足。

 

多い。

 

---

 

英国。

 

Bizon。

 

完全再生産。

 

不能。

 

主要構造修理。

 

可能。

 

発動機交換。

 

可能。

 

計器整備。

 

一部。

 

フランス。

 

精密加工。

 

比較的強い。

 

ただし。

 

機体全体の組立。

 

不足。

 

ルーマニア。

 

修理。

 

輸送。

 

強い。

 

完全製造。

 

弱い。

 

ポルトガル。

 

保管。

 

商務。

 

海運。

 

強い。

 

航空機製造。

 

限定。

 

---

 

元ドイツ軍技術者が、

 

表を見た。

 

「まだ工場じゃない」

 

元白軍将校が答えた。

 

「種だろ」

 

「種だけでは飛ばない」

 

「育てろ」

 

「時間が要る」

 

「だから去年植えた」

 

---

 

技術者は、

 

黙った。

 

そして。

 

新しい欄を作った。

 

再開可能性。

 

高。

 

中。

 

低。

 

---

 

ポーランド軍将校が聞いた。

 

「何を基準にする」

 

「本社から何も来なくなった場合」

 

部屋が、

 

また静かになる。

 

今年になって、

 

その言葉が増えた。

 

本社がなくなった場合。

 

通信が切れた場合。

 

工場が止まった場合。

 

五人がいなくなった場合。

 

---

 

一月には、

 

仮定だった。

 

二月にも、

 

仮定だった。

 

三月十五日。

 

隣国で、

 

仮定が一つ、

 

現実になった。

 

---

 

国が、

 

なくなる。

 

---

 

元白軍将校が、

 

地図を指した。

 

「見ただろ」

 

誰も、

 

何をとは聞かなかった。

 

---

 

夕方。

 

ポーランド軍将校は、

 

軍へ戻った。

 

空気が違った。

 

走る伝令。

 

電話。

 

地図。

 

外交電報。

 

参謀。

 

声。

 

誰も、

 

まだ戦争が始まったとは言っていない。

 

当然だった。

 

始まっていない。

 

ポーランドには。

 

---

 

だが。

 

チェコスロヴァキアには、

 

もう。

 

「次の交渉」

 

がなかった。

 

---

 

夜。

 

WILK本社。

 

会議。

 

再開。

 

元独立運動家が言った。

 

「国外住宅を増やす」

 

「どこ」

 

「全部」

 

「全部は無理だ」

 

ユダヤ人実業家。

 

「増やせる所から」

 

元ドイツ軍技術者。

 

「技術者をさらに出す」

 

軍将校。

 

「航空機生産が落ちる」

 

「改修で持たせる」

 

「部品が減る」

 

「知っている」

 

元白軍将校。

 

「なら何を待つ」

 

---

 

軍将校が、

 

彼を見る。

 

「何も待たないと言いたいのか」

 

「違う」

 

「では」

 

「待っていいものを決めろ」

 

---

 

また、

 

新しい言葉だった。

 

---

 

待っていい。

 

大型工作機械。

 

まだ。

 

待てる。

 

大量在庫。

 

まだ。

 

国内。

 

使う。

 

新造機。

 

必要。

 

軍へ。

 

Tur。

 

改修。

 

続行。

 

Bizon。

 

続行。

 

人。

 

待たない。

 

図面。

 

待たない。

 

小型ゲージ。

 

待たない。

 

特殊工具。

 

待たない。

 

国外権限。

 

待たない。

 

---

 

ポーランド軍将校が、

 

一覧を見た。

 

「工場を空にする気か」

 

元ドイツ軍技術者。

 

「まだ」

 

「まだ?」

 

「今日ではない」

 

その言い方。

 

軍将校は、

 

聞き逃さなかった。

 

---

 

「今日ではない、か」

 

「そうだ」

 

「以前なら」

 

「必要ない、と言った」

 

「今は」

 

「いつか必要になる可能性を認める」

 

元白軍将校が、

 

笑わなかった。

 

「十分だ」

 

---

 

夜遅く。

 

酒類部門から、

 

連絡。

 

チェコ方面。

 

「視界不良」

 

増加。

 

「航路変更」

 

増加。

 

「緊急脱出」

 

少数。

 

ユダヤ人実業家が、

 

紙を読む。

 

「二度蒸留酒は」

 

担当。

 

「今のところ、なし」

 

元白軍将校。

 

「今のところ」

 

---

 

ポーランド軍将校が、

 

窓の外を見る。

 

雪は、

 

もうほとんどない。

 

春が近い。

 

---

 

前年三月。

 

オーストリアが消えた。

 

前年秋。

 

チェコスロヴァキアが削られた。

 

今年三月。

 

残りも、

 

消えた。

 

---

 

若い書記が、

 

今日の議事録を閉じようとした。

 

「総括は」

 

軍将校が答えた。

 

「去年までの想定を破棄」

 

「新しい想定は」

 

軍将校は、

 

返事をしなかった。

 

---

 

元白軍将校が言った。

 

「国は消える」

 

軍将校が彼を見る。

 

「それを書くのか」

 

「見たものを書け」

 

「ポーランドも、と?」

 

「そこまでは知らん」

 

「なら」

 

「国が消えることはある」

 

---

 

書記は、

 

書いた。

 

確認。

 

国家は、

 

外交文書上の存在だけで、

 

永続を保証されない。

 

---

 

軍将校が読んだ。

 

「嫌な文章だな」

 

ユダヤ人実業家が答えた。

 

「今年は増えそうです」

 

---

 

最後。

 

会議終了。

 

午後十一時四十二分。

 

翌朝。

 

通常操業。

 

---

 

ポーランド軍将校が、

 

最後に聞いた。

 

「通常?」

 

元独立運動家。

 

「パンを焼く」

 

元ドイツ軍技術者。

 

「Turを直す」

 

ユダヤ人実業家。

 

「列車を押さえる」

 

元白軍将校。

 

「人を出す」

 

---

 

軍将校は、

 

しばらく四人を見た。

 

「分かった」

 

---

 

翌朝。

 

WILKの煙突から、

 

煙が上がった。

 

食堂。

 

パン。

 

工場。

 

金属音。

 

飛行場。

 

発動機音。

 

学校。

 

子供。

 

鉄道。

 

汽笛。

 

---

 

平時。

 

まだ。

 

平時。

 

---

 

だが。

 

一九三九年三月十五日。

 

WILKは初めて、

 

「国がなくなる可能性」

 

を、

 

未来の仮定ではなく、

 

隣国で起きた事実として扱った。

 

---

 

その日から。

 

国外へ出すものを決める会議と並んで、

 

もう一つの会議が始まった。

 

---

 

国内に、最後まで残すものを決める会議。

 

 

 

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