WILK ―忘れずの故郷―   作:ヒツジ(ラム肉

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――WILK国外情勢整理会議・緊急記録
一九三九年四月二十八日

確認事項。

一九三四年一月二十六日。

独波不可侵宣言。

成立。

一九三九年四月二十八日。

ドイツ首相。

帝国議会演説。

独波不可侵宣言について、

もはや意味を持たないとの立場を表明。

同日。

ドイツ政府。

ポーランド政府へ覚書提出。

確認。

戦争。

なし。

国境。

通行可能。

外交関係。

存続。

不可侵宣言。

従来どおりとは、

扱えず。

結論。

約束が消えたからといって、

翌朝すぐ砲撃が始まるわけではない。

ただし。

昨日まで数えていた安全を、

今日も数えてはならない。



第163話 なくなった約束を、まだあるものとして数えるな

 

四月二十八日。

 

昼。

 

ラジオ。

 

ドイツ。

 

帝国議会。

 

演説。

 

WILKの会議室では、

 

誰も話さなかった。

 

放送が終わるまで。

 

---

 

ポーランド軍将校は、

 

途中で一度だけ、

 

煙草へ手を伸ばした。

 

吸わなかった。

 

机へ戻した。

 

元独立運動家は、

 

紙へ何も書かなかった。

 

ユダヤ人実業家も、

 

帳簿を閉じていた。

 

元ドイツ軍技術者は、

 

腕を組んでいる。

 

元白軍将校だけが、

 

壁の地図を見ていた。

 

---

 

放送。

 

終了。

 

雑音。

 

切れる。

 

---

 

ポーランド軍将校が言った。

 

「聞いたな」

 

全員。

 

頷く。

 

---

 

ヒトラーは四月二十八日の帝国議会演説で、独波関係をめぐる従来のドイツ側提案を改めて述べるとともに、一九三四年の独波不可侵宣言について、ポーランドが英国との支援関係へ進んだことなどを理由として、もはや存続しないとの立場を示した。同日、ドイツ政府はポーランド政府へ宣言を否認する覚書を渡している。

 

---

 

ポーランド軍将校が、

 

一九三四年の資料を出した。

 

薄い。

 

古い。

 

五年前。

 

「これ」

 

元白軍将校。

 

「何だ」

 

「独波不可侵宣言」

 

「知っている」

 

「五年前だ」

 

「そうだ」

 

軍将校は、

 

紙を机へ置いた。

 

「今日まであった」

 

元白軍将校が答えた。

 

「今日まで数えていた」

 

---

 

少し違う。

 

だが。

 

その違いは、

 

大きかった。

 

---

 

宣言がある。

 

だから。

 

戦争にならない。

 

ではない。

 

WILKは、

 

そんな単純な考え方を、

 

もうしていなかった。

 

だが。

 

外交関係を読む上で。

 

一つ。

 

線があった。

 

---

 

今日。

 

その線が、

 

一本。

 

消えた。

 

---

 

元ドイツ軍技術者が言った。

 

「何が変わる」

 

ポーランド軍将校。

 

「外交上?」

 

「会社として」

 

「……」

 

軍将校は、

 

少し考えた。

 

「分からん」

 

技術者が頷いた。

 

「なら全部確認する」

 

---

 

昔なら。

 

軍将校が、

 

止めただろう。

 

今日は。

 

止めなかった。

 

---

 

最初。

 

国外配置。

 

予定。

 

前倒し。

 

---

 

人事担当。

 

報告。

 

五月予定。

 

英国。

 

十一名。

 

家族。

 

二十九名。

 

フランス。

 

六名。

 

家族。

 

十二名。

 

ルーマニア。

 

五名。

 

家族。

 

九名。

 

ポルトガル。

 

三名。

 

単身。

 

---

 

元独立運動家が言った。

 

「四月中に出せる者は出す」

 

軍将校。

 

「あと二日だぞ」

 

「列車に乗れる者だけ」

 

「無理に?」

 

「希望者だけ」

 

「荷物は」

 

「減らす」

 

---

 

家財。

 

全部。

 

持っていけない。

 

家具。

 

置く。

 

食器。

 

必要分。

 

服。

 

必要分。

 

写真。

 

本人次第。

 

工具。

 

会社支給。

 

書類。

 

最小限。

 

---

 

ある家族。

 

父。

 

母。

 

子供四人。

 

祖母。

 

七人。

 

荷物。

 

木箱。

 

九。

 

元独立運動家が見る。

 

「多い」

 

父親。

 

「生活全部です」

 

「分かる」

 

「減らせと言われても」

 

「分かる」

 

---

 

箱を開ける。

 

食器。

 

鍋。

 

冬服。

 

寝具。

 

本。

 

子供の玩具。

 

額入り写真。

 

祖母の食器。

 

---

 

誰も。

 

簡単に。

 

捨てろとは言えない。

 

---

 

元独立運動家が、

 

最後に言った。

 

「持てるだけ持て」

 

人事担当が聞く。

 

「列車の重量が」

 

「超えるなら減らす」

 

父親。

 

「何から」

 

元独立運動家は、

 

答えなかった。

 

---

 

それを決めるのは、

 

本人だった。

 

---

 

WILKは。

 

人を出す。

 

だが。

 

人生の中で、

 

何を置いていくかまでは、

 

決められない。

 

---

 

次。

 

技術資料。

 

元ドイツ軍技術者。

 

確認。

 

Bizon。

 

最新改修図。

 

国外複写。

 

進捗。

 

七割。

 

「遅い」

 

担当。

 

「先月は六割でした」

 

「十割ではない」

 

「全部出すと国内更新が」

 

「複写だ」

 

「写図員が足りません」

 

「増やせ」

 

「人を国外へ出しています」

 

技術者。

 

止まる。

 

---

 

誰も悪くない。

 

---

 

写図員。

 

国外へ。

 

出す。

 

だから。

 

国内の複写が、

 

遅れる。

 

だが。

 

写図員そのものを、

 

残せば。

 

人が、

 

国外にいない。

 

---

 

技術者は言った。

 

「学生を入れろ」

 

「経験が」

 

「線を写すところから」

 

「検査は」

 

「古参」

 

「古参も」

 

「全部出すな」

 

---

 

国内と国外。

 

また。

 

取り合い。

 

---

 

次。

 

限界ゲージ。

 

小型。

 

国外。

 

追加。

 

大型。

 

国内。

 

理由。

 

重い。

 

高い。

 

少ない。

 

---

 

元白軍将校が聞いた。

 

「大型はどうする」

 

技術者。

 

「残す」

 

「最後まで?」

 

「使う」

 

「最後は」

 

長い沈黙。

 

「その時決める」

 

---

 

元白軍将校は、

 

何も言わなかった。

 

まだ。

 

その時ではない。

 

---

 

次。

 

航空機。

 

Bizon。

 

可動数。

 

維持。

 

Tur。

 

維持。

 

新造。

 

低下。

 

改修。

 

増加。

 

修理。

 

増加。

 

---

 

航空部。

 

また。

 

不満。

 

「新造が減った」

 

ポーランド軍将校。

 

「知っています」

 

「ドイツが不可侵宣言を破棄した日にだぞ」

 

「破棄したからです」

 

調達担当。

 

止まる。

 

「何?」

 

軍将校は、

 

資料を出した。

 

「国内熟練工を国外へ移しています」

 

「今こそ国内に要る!」

 

「今使う戦力は改修で維持します」

 

「将来は」

 

「国外でも作れるようにします」

 

「ポーランドで作れ!」

 

---

 

軍将校。

 

黙る。

 

---

 

その言葉。

 

正しい。

 

あまりにも。

 

正しい。

 

---

 

ポーランドで戦うための軍。

 

ポーランドで作る飛行機。

 

ポーランドで働く工員。

 

当然。

 

---

 

だが。

 

三月十五日。

 

隣国が、

 

なくなった。

 

---

 

軍将校が答えた。

 

「両方やります」

 

調達担当。

 

「できるのか」

 

「できる範囲で」

 

「曖昧だ」

 

「現実もです」

 

---

 

完全に。

 

WILKの人間になっていた。

 

---

 

午後。

 

ユダヤ人実業家。

 

銀行。

 

確認。

 

国外送金。

 

まだ可能。

 

外国為替。

 

まだ可能。

 

保険。

 

条件悪化。

 

一部。

 

追加料。

 

海運。

 

予約可能。

 

鉄道。

 

可能。

 

---

 

彼は。

 

紙へ。

 

大きく書いた。

 

**まだ。**

 

---

 

ポーランド軍将校が、

 

それを見る。

 

「何だそれ」

 

「全部です」

 

「雑すぎる」

 

「でも正確です」

 

---

 

まだ。

 

送金できる。

 

まだ。

 

列車に乗れる。

 

まだ。

 

船に積める。

 

まだ。

 

契約できる。

 

まだ。

 

人を雇える。

 

まだ。

 

国外へ赴任できる。

 

まだ。

 

手紙が届く。

 

まだ。

 

電話がつながる。

 

---

 

まだ。

 

---

 

元白軍将校が、

 

紙を見る。

 

「便利な言葉だ」

 

実業家。

 

「嫌いです」

 

「なぜ」

 

「期限が書いてない」

 

---

 

その日の夕方。

 

国外支部へ。

 

一斉電報。

 

---

 

本社指示。

 

緊急事態ではない。

 

通常業務継続。

 

ただし。

 

以下を再確認。

 

住宅空室。

 

倉庫空き。

 

銀行口座。

 

現金。

 

燃料供給契約。

 

航空機整備能力。

 

鉄道。

 

港。

 

学校。

 

医療。

 

現地雇用余地。

 

---

 

英国支部から。

 

返信。

 

空室。

 

あり。

 

燃料。

 

契約。

 

維持。

 

整備。

 

可。

 

---

 

フランス。

 

空室。

 

少。

 

追加交渉。

 

---

 

ルーマニア。

 

倉庫。

 

空き。

 

あり。

 

鉄道。

 

正常。

 

---

 

ポルトガル。

 

船便。

 

正常。

 

---

 

米州。

 

変更なし。

 

---

 

元白軍将校が、

 

最後を見る。

 

「遠い所ほど静かだ」

 

実業家。

 

「遠いですから」

 

「いいことだ」

 

---

 

今まで。

 

遠さは、

 

不便だった。

 

---

 

今。

 

遠さそのものが、

 

資産になり始めていた。

 

---

 

夜。

 

会議。

 

また。

 

五人。

 

---

 

議題。

 

独波不可侵宣言。

 

今後の扱い。

 

軍将校。

 

「外交上は政府が対応する」

 

実業家。

 

「会社は」

 

「安全余裕を一段減らす」

 

元ドイツ軍技術者が聞いた。

 

「具体的に」

 

軍将校は、

 

少し考えた。

 

---

 

国外配置。

 

前倒し。

 

図面。

 

前倒し。

 

小型治具。

 

前倒し。

 

国外資金。

 

増加。

 

国内在庫。

 

見直し。

 

---

 

元白軍将校。

 

「在庫」

 

軍将校。

 

「まだ処分の話ではない」

 

「分かっている」

 

「国内で使う」

 

「分かっている」

 

「ただ」

 

軍将校は、

 

止まった。

 

---

 

全員。

 

待つ。

 

---

 

「増やしすぎるな」

 

---

 

元ドイツ軍技術者が、

 

ゆっくり頷いた。

 

---

 

これまで。

 

戦争の前なら。

 

在庫を増やす。

 

当然。

 

材料。

 

部品。

 

燃料。

 

弾薬。

 

食料。

 

---

 

だが。

 

WILKには。

 

もう一つの計算が、

 

生まれていた。

 

---

 

最後まで使えない量は。

 

残る。

 

残れば。

 

奪われる。

 

---

 

まだ。

 

そこまで。

 

言葉にはしなかった。

 

---

 

だが。

 

初めて。

 

国内在庫に、

 

上限を設ける検討。

 

開始。

 

---

 

元白軍将校が言った。

 

「倉庫を満杯にするな」

 

元ドイツ軍技術者。

 

「必要量は置く」

 

「処理できる量」

 

軍将校。

 

「まだ早い」

 

元白軍将校。

 

「なら書くだけ」

 

---

 

書記。

 

迷う。

 

---

 

国内在庫。

 

非常時処理能力を考慮した、

 

上限設定。

 

検討。

 

---

 

軍将校は、

 

その文字を見た。

 

消さなかった。

 

---

 

次。

 

人。

 

---

 

元独立運動家が、

 

別の紙を出した。

 

創業者。

 

五名。

 

---

 

全員。

 

止まった。

 

---

 

ポーランド軍将校。

 

「何だ」

 

「退避計画」

 

「誰の」

 

「我々」

 

---

 

空気が、

 

変わった。

 

---

 

元白軍将校が、

 

紙を取る。

 

「遅い」

 

軍将校。

 

「早い!」

 

「社員は出している」

 

「我々は」

 

「社員ではないのか」

 

---

 

元独立運動家が言った。

 

「社員に守らせている規則を」

 

軍将校を見る。

 

「自分たちだけ守らないのか」

 

---

 

誰も。

 

すぐには答えなかった。

 

---

 

五人。

 

一九一九年。

 

小屋。

 

壊れた発動機。

 

金。

 

ない。

 

材料。

 

ない。

 

それでも。

 

始めた。

 

---

 

二十年。

 

会社。

 

大きくなった。

 

---

 

今日。

 

初めて。

 

自分たちの名前が。

 

退避対象者一覧へ。

 

載った。

 

---

 

ポーランド軍将校が、

 

紙を見る。

 

元白軍将校。

 

国外経路。

 

複数。

 

元ドイツ軍技術者。

 

国外技術拠点。

 

優先。

 

ユダヤ人実業家。

 

国外。

 

優先度高。

 

元独立運動家。

 

社員退避完了後。

 

ポーランド軍将校。

 

軍命令による。

 

---

 

軍将校が言った。

 

「勝手に書くな」

 

元独立運動家。

 

「仮案だ」

 

「消せ」

 

「消さない」

 

「命令だ」

 

「会社内で?」

 

軍将校。

 

止まる。

 

「……くそ」

 

---

 

元白軍将校が、

 

笑った。

 

少しだけ。

 

---

 

元ドイツ軍技術者が、

 

自分の欄を見る。

 

「国外技術拠点優先?」

 

「お前がいないと再建できない部分が多い」

 

「資料がある」

 

「資料が全部説明するか」

 

技術者。

 

黙る。

 

---

 

ユダヤ人実業家。

 

自分の欄。

 

「優先度高」

 

「理由は書くな」

 

元独立運動家。

 

「書いていない」

 

「ならよい」

 

---

 

誰も。

 

理由を聞かなかった。

 

聞く必要が、

 

なかった。

 

---

 

元白軍将校。

 

自分。

 

「複数経路」

 

「妥当だ」

 

軍将校。

 

「納得するな」

 

「私は逃げるのが上手い」

 

「自慢するな」

 

---

 

少し。

 

笑った。

 

---

 

元独立運動家。

 

社員退避完了後。

 

軍将校が言う。

 

「これは駄目だ」

 

「なぜ」

 

「最後まで残る気だろ」

 

「お前もだ」

 

「俺は軍だ」

 

「私は会社だ」

 

---

 

元白軍将校が言った。

 

「全員最後に出たがるな」

 

---

 

誰も。

 

反論できなかった。

 

---

 

その日の最後。

 

議事録。

 

---

 

独波不可侵宣言。

 

従来どおりの安全要素として、

 

算入しない。

 

---

 

国外移転。

 

一部前倒し。

 

---

 

国内在庫。

 

非常時上限。

 

検討開始。

 

---

 

創業者五名。

 

退避計画。

 

作成開始。

 

---

 

ポーランド軍将校が、

 

最後を見た。

 

「本当に残すのか」

 

若い書記が答えた。

 

「記録です」

 

軍将校は、

 

しばらく黙った。

 

「残せ」

 

---

 

夜。

 

本社。

 

人が帰る。

 

灯りが減る。

 

格納庫。

 

まだ。

 

整備。

 

Tur。

 

一機。

 

翼。

 

補修。

 

Bizon。

 

一機。

 

発動機。

 

交換。

 

---

 

食堂。

 

最後のパン。

 

焼き上がる。

 

---

 

鉄道。

 

夜行列車。

 

西へ。

 

今日も。

 

社員一家。

 

乗る。

 

---

 

国境。

 

まだ。

 

開いている。

 

---

 

外交関係。

 

まだ。

 

ある。

 

---

 

戦争。

 

まだ。

 

ない。

 

---

 

ただ。

 

五年前から存在していた。

 

一枚の約束が。

 

今日。

 

なくなった。

 

---

 

WILKは。

 

その紙を。

 

燃やさなかった。

 

捨てなかった。

 

---

 

日付を書いた。

 

保存した。

 

---

 

そして。

 

安全の計算から。

 

一行だけ。

 

消した。

 

---

 

一九三九年四月二十八日。

 

ポーランドは。

 

まだ。

 

何も失っていないように見えた。

 

---

 

だが。

 

WILKの帳簿では。

 

一つ。

 

減った。

 

---

 

約束。

 

---

 

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