WILK ―忘れずの故郷―   作:ヒツジ(ラム肉

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――WILK人事部・緊急国外移動整理表 追補
一九三九年八月二十六日

対象者。

社員。

社員家族。

元社員。

元社員家族。

取引先。

取引先家族。

軍関係者。

鉄道関係者。

医療関係者。

農場関係者。

その他。

注意。

「その他」を、

一つの名簿にまとめないこと。

理由。

知っている顔を、

知らなくてよい者にまで、

教える必要はない。


第169話 知っている顔を、名簿の外へ置くな

 

一九三九年八月二十六日。

 

WILK本社。

 

朝。

 

受付。

 

昨日より。

 

人が多かった。

 

---

 

「次」

 

老人。

 

帽子。

 

古い背広。

 

受付担当が、

 

顔を見る。

 

知らない。

 

---

 

「お名前を」

 

老人が答える。

 

受付担当。

 

書く。

 

「WILKとの関係は」

 

「昔、働いていた」

 

「いつ頃ですか」

 

「二七年まで」

 

---

 

受付担当。

 

資料を見る。

 

ない。

 

---

 

「所属は」

 

「木工」

 

「航空機工場?」

 

「木箱だ」

 

---

 

受付担当。

 

顔を上げる。

 

「木箱」

 

「部品箱」

 

「ああ」

 

---

 

老人は、

 

少し不満そうだった。

 

「飛行機だけ作っていた会社じゃないだろう」

 

受付担当。

 

「それはそうですが」

 

---

 

名前を照会。

 

古い給与台帳。

 

出てきた。

 

十二年前。

 

在籍。

 

四年。

 

退職。

 

---

 

「御用件は」

 

「娘一家を出したい」

 

「本人は」

 

「私は行かん」

 

---

 

受付担当。

 

また。

 

その言葉。

 

---

 

「何人です」

 

「五人」

 

「娘さん」

 

「一人」

 

「そのご家族」

 

「夫と子供三人」

 

---

 

「娘婿の職業」

 

「靴屋」

 

「英語」

 

「知らん」

 

「フランス語」

 

「もっと知らん」

 

「国外親族」

 

「いない」

 

---

 

老人。

 

少し。

 

間。

 

---

 

「だから来た」

 

---

 

受付担当は、

 

頷いた。

 

---

 

次。

 

---

 

男。

 

四十代。

 

作業着。

 

---

 

「社員ですか」

 

「違う」

 

「取引先」

 

「でもない」

 

「では」

 

---

 

男。

 

言う。

 

「WILKの牛乳を運んでる」

 

---

 

食品部へ照会。

 

出る。

 

契約業者の。

 

運転手。

 

---

 

社員ではない。

 

会社経営者でもない。

 

だが。

 

八年間。

 

毎朝。

 

WILKの門を通っている。

 

---

 

「家族は」

 

「妻と息子」

 

「本人は」

 

「トラックがある」

 

---

 

受付担当。

 

分からない顔。

 

---

 

男が続けた。

 

「農場の牛乳を運ばにゃならん」

 

---

 

「今後も?」

 

「運べるうちは」

 

---

 

本人。

 

残留。

 

妻子。

 

移動希望。

 

---

 

次。

 

---

 

女。

 

三十代。

 

---

 

「関係は」

 

「夫が鉄道員です」

 

「社員では」

 

「ありません」

 

「WILKとの関係は」

 

女。

 

困る。

 

---

 

「ありません」

 

---

 

受付担当。

 

少し止まる。

 

「では、なぜここへ」

 

---

 

女。

 

紙を出す。

 

---

 

一枚。

 

手書き。

 

---

 

**この人を頼む。

駅のヤン。**

 

---

 

受付担当。

 

その名前は知っていた。

 

鉄道部門と、

 

十年以上やり取りしている男。

 

WILK社員ではない。

 

だが。

 

WILKの貨車が止まれば、

 

夜中でも電話をくれる。

 

事故があれば、

 

先に知らせる。

 

輸送が詰まれば、

 

別の列車を探す。

 

---

 

顔を合わせた職員が、

 

何人もいた。

 

---

 

受付担当。

 

言った。

 

「分かりました」

 

---

 

女が聞いた。

 

「夫は?」

 

---

 

「ご本人から、何か」

 

---

 

「残ると」

 

---

 

また。

 

---

 

残る。

 

---

 

その日の午前。

 

人事部。

 

机。

 

紙。

 

紙。

 

紙。

 

---

 

元独立運動家が、

 

積まれた申請を見る。

 

---

 

「社員じゃないのが増えたな」

 

担当者。

 

「はい」

 

「どれくらい」

 

「朝だけで三十七家族」

 

「関係は」

 

「元社員、取引先従業員、鉄道関係、農場、医師の知人、それから」

 

「それから?」

 

「知り合い」

 

---

 

元独立運動家。

 

「誰の」

 

---

 

担当者。

 

困る。

 

---

 

「WILKの」

 

---

 

元独立運動家。

 

少し黙る。

 

---

 

それが。

 

一番。

 

厄介だった。

 

---

 

WILKには。

 

社員名簿がある。

 

給与台帳がある。

 

家族記録がある。

 

取引先一覧がある。

 

海外支部一覧がある。

 

---

 

だが。

 

二十年。

 

同じ町で。

 

同じ国で。

 

働いてきた。

 

---

 

その間にできた人間関係は、

 

どの帳簿にも。

 

全部は載っていない。

 

---

 

門番が知っているパン屋。

 

整備士が知っている鍛冶屋。

 

食品部が知っている農民。

 

運輸担当が知っている駅員。

 

会計が知っている銀行員。

 

医務室が知っている町医者。

 

---

 

会社として契約していない。

 

---

 

だが。

 

知っている。

 

---

 

元独立運動家。

 

言った。

 

「知ってる顔を、名簿の外へ置くな」

 

---

 

担当者。

 

「全員ですか」

 

---

 

「違う」

 

---

 

即答。

 

---

 

「全員を一枚に書くな」

 

---

 

担当者。

 

顔を上げる。

 

---

 

元独立運動家。

 

紙を一枚取る。

 

破る。

 

---

 

半分。

 

---

 

「社員は社員」

 

もう半分。

 

---

 

「取引先は取引先」

 

別の紙。

 

---

 

「鉄道は鉄道」

 

別。

 

---

 

「農場」

 

別。

 

---

 

「医療」

 

別。

 

---

 

「昔の社員」

 

別。

 

---

 

担当者。

 

「では知人は」

 

---

 

元独立運動家。

 

「紹介した人間のところへ置け」

 

---

 

「紹介者別?」

 

「そうだ」

 

---

 

「一覧は作らない?」

 

---

 

「作る必要があるか」

 

---

 

担当者。

 

考える。

 

---

 

ない。

 

---

 

家族を国外へ出すために必要なのは、

 

その人間が、

 

誰なのか。

 

どこへ行くのか。

 

誰が受けるのか。

 

---

 

WILKと関係するすべての人間を、

 

一か所へ並べた名簿ではない。

 

---

 

元独立運動家。

 

「一枚なくなって困る仕組みにするな」

 

---

 

いつもの。

 

WILKだった。

 

---

 

午後。

 

ユダヤ人実業家。

 

人事部へ来る。

 

---

 

机を見る。

 

---

 

「増えましたね」

 

「増えた」

 

---

 

「どこまで受けるつもりです」

 

元独立運動家。

 

「知っている範囲」

 

---

 

「曖昧ですね」

 

「人間関係だからな」

 

---

 

実業家。

 

一枚。

 

見る。

 

---

 

靴屋。

 

妻。

 

子三人。

 

---

 

「この人は」

 

「鉄道のヤンの紹介」

 

---

 

「ヤンは」

 

「残る」

 

---

 

実業家。

 

次。

 

---

 

元木箱工。

 

娘一家。

 

---

 

「この老人は?」

 

「本人は残る」

 

---

 

次。

 

---

 

牛乳運搬。

 

---

 

「この運転手」

 

「残る」

 

---

 

実業家。

 

止まる。

 

---

 

「残る人間ばかりですね」

 

---

 

元独立運動家。

 

「だから来る」

 

---

 

意味。

 

実業家にも。

 

分かった。

 

---

 

本人が逃げるなら、

 

本人が連れていける。

 

---

 

本人が残るから。

 

家族を。

 

他人へ預ける。

 

---

 

その預け先に。

 

WILKが。

 

選ばれ始めていた。

 

---

 

ユダヤ人実業家。

 

「金が要ります」

 

---

 

「知ってる」

 

---

 

「住宅も」

 

「知ってる」

 

---

 

「職も」

 

「知ってる」

 

---

 

「学校も」

 

元独立運動家。

 

睨む。

 

---

 

「お前、昨日から同じこと言ってないか」

 

---

 

実業家。

 

「重要なので」

 

---

 

「分かった」

 

---

 

「では予算を増やします」

 

---

 

元独立運動家。

 

「いくら」

 

---

 

実業家。

 

「まだ計算していません」

 

---

 

元独立運動家。

 

少し。

 

笑う。

 

---

 

「お前が計算前に言うのは珍しいな」

 

---

 

実業家。

 

「計算している間に列車が出ます」

 

---

 

それで。

 

決まった。

 

---

 

夕方。

 

元ドイツ軍技術者。

 

工場。

 

---

 

若い工員。

 

声をかける。

 

---

 

「先生」

 

---

 

元ドイツ軍技術者。

 

振り返る。

 

---

 

「何だ」

 

---

 

工員。

 

帽子。

 

握る。

 

---

 

「父を」

 

---

 

「父?」

 

---

 

「前にここで働いていました」

 

---

 

名前。

 

---

 

元ドイツ軍技術者。

 

少し。

 

考える。

 

---

 

思い出す。

 

---

 

旋盤。

 

初期。

 

まだ規格が。

 

今ほど。

 

揃っていなかった頃。

 

---

 

何度も。

 

寸法。

 

間違えた男。

 

---

 

そして。

 

何度も。

 

直した男。

 

---

 

「まだ生きていたのか」

 

---

 

工員。

 

「生きてます」

 

---

 

「なら本人が来い」

 

---

 

「来ません」

 

---

 

「なぜ」

 

---

 

「家を離れないと」

 

---

 

元ドイツ軍技術者。

 

ため息。

 

---

 

「頑固者め」

 

---

 

工員。

 

「先生に言われたくないと思います」

 

---

 

元ドイツ軍技術者。

 

睨む。

 

---

 

「家族は」

 

---

 

「母と妹」

 

---

 

「本人は」

 

---

 

「残ります」

 

---

 

元ドイツ軍技術者。

 

工具を置く。

 

---

 

紙。

 

取る。

 

---

 

工員。

 

驚く。

 

---

 

「先生が書くんですか」

 

---

 

「私が知っている」

 

---

 

名前。

 

書く。

 

---

 

「人事へ持っていけ」

 

---

 

「ありがとうございます」

 

---

 

「礼はいらん」

 

---

 

「でも」

 

---

 

「その代わり」

 

---

 

元ドイツ軍技術者。

 

工員を見る。

 

---

 

「この軸受けを今日中に終わらせろ」

 

---

 

「はい」

 

---

 

いつもの。

 

会社だった。

 

---

 

同じ頃。

 

ポーランド軍将校。

 

軍関係者から。

 

また封筒。

 

---

 

今度は。

 

十二家族。

 

---

 

元白軍将校。

 

横から見る。

 

---

 

「増えたな」

 

---

 

ポーランド軍将校。

 

「増えた」

 

---

 

「お前の知り合いか」

 

---

 

「半分」

 

---

 

「残りは」

 

---

 

「知り合いの知り合い」

 

---

 

元白軍将校。

 

鼻を鳴らす。

 

---

 

「始まったな」

 

---

 

ポーランド軍将校。

 

見る。

 

---

 

「何が」

 

---

 

元白軍将校。

 

「人間は一人逃がすと、次を連れてくる」

 

---

 

「悪いことか」

 

---

 

「いや」

 

---

 

元白軍将校。

 

封筒。

 

指で叩く。

 

---

 

「数えられなくなる」

 

---

 

ポーランド軍将校。

 

「会社なら数えろ」

 

---

 

「会社で数えられるものばかりならな」

 

---

 

ポーランド軍将校。

 

少し。

 

眉。

 

寄せる。

 

---

 

元白軍将校。

 

続ける。

 

---

 

「国が壊れると」

 

---

 

声。

 

少し。

 

低くなる。

 

---

 

「名簿から先に、人がこぼれる」

 

---

 

誰も。

 

返さない。

 

---

 

彼だけは。

 

それを。

 

一度。

 

見ていた。

 

---

 

革命。

 

内戦。

 

撤退。

 

敗走。

 

亡命。

 

---

 

軍籍。

 

なくなる。

 

所属。

 

なくなる。

 

住所。

 

なくなる。

 

家。

 

なくなる。

 

---

 

だが。

 

人間は。

 

残る。

 

---

 

元白軍将校。

 

言う。

 

---

 

「だから」

 

---

 

封筒。

 

返す。

 

---

 

「顔を覚えろ」

 

---

 

夜。

 

WILK本社。

 

玄関。

 

---

 

一人。

 

若い女。

 

立っている。

 

---

 

閉館時間。

 

過ぎている。

 

---

 

門番。

 

聞く。

 

---

 

「御用件は」

 

---

 

女。

 

答える。

 

---

 

「誰に言えばいいのか分かりません」

 

---

 

「WILKとの関係は」

 

---

 

女。

 

考える。

 

---

 

「ありません」

 

---

 

門番。

 

困る。

 

---

 

女。

 

続ける。

 

---

 

「父が」

 

---

 

一枚。

 

紙。

 

出す。

 

---

 

そこには。

 

名前が。

 

一つ。

 

---

 

WILK社員ではない。

 

取引先でもない。

 

---

 

だが。

 

門番は。

 

知っていた。

 

---

 

毎週。

 

部品を。

 

届けに来る男。

 

---

 

会社は違う。

 

契約先でもない。

 

下請けの。

 

さらに下。

 

---

 

いつも。

 

門で。

 

煙草を吸っていた。

 

---

 

門番。

 

紙を見る。

 

---

 

「お父さんは」

 

---

 

女。

 

「残ります」

 

---

 

やはり。

 

---

 

門番。

 

少し。

 

考える。

 

---

 

そして。

 

扉。

 

開けた。

 

---

 

「入ってください」

 

---

 

女。

 

「でも、もう終わりでは」

 

---

 

門番。

 

首を振る。

 

---

 

「今日はまだ」

 

---

 

人事部へ。

 

電話。

 

---

 

「一人」

 

---

 

向こう。

 

聞く。

 

---

 

『社員?』

 

---

 

「違う」

 

---

 

『取引先?』

 

---

 

「違う」

 

---

 

『誰だ』

 

---

 

門番。

 

少し。

 

笑った。

 

---

 

「知ってる顔の娘だ」

 

---

 

向こう。

 

沈黙。

 

---

 

そして。

 

---

 

『通せ』

 

---

 

一九三九年八月。

 

WILKの名簿は。

 

増えた。

 

---

 

だが。

 

一つには。

 

ならなかった。

 

---

 

社員。

 

家族。

 

取引先。

 

昔の社員。

 

鉄道員。

 

農民。

 

医師。

 

職人。

 

その家族。

 

その知人。

 

---

 

それぞれ。

 

別の紙。

 

別の机。

 

別の担当。

 

---

 

一枚失っても。

 

全部は失わない。

 

---

 

一人捕まっても。

 

全部は知らない。

 

---

 

そして。

 

会社が知らなくても。

 

誰かが。

 

顔を知っている。

 

---

 

WILKは。

 

その日。

 

名簿を。

 

作ったのではなかった。

 

---

 

名簿から。

 

こぼれる人間を。

 

拾う方法を。

 

覚え始めた。

 

---

 

それは。

 

まだ。

 

小さな仕組みだった。

 

---

 

だが。

 

やがて。

 

会社そのものが。

 

国外へ出たあと。

 

---

 

その仕組みを頼って。

 

WILKの知らない人間まで。

 

来るようになる。

 

---

 

今は。

 

まだ。

 

誰も。

 

知らない。

 

---

 

ただ。

 

元白軍将校だけが。

 

古い記憶のどこかで。

 

それに似たものを。

 

知っていた。

 

---

 

知っている顔を、名簿の外へ置くな。

 

 

 

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