WILK ―忘れずの故郷―   作:ヒツジ(ラム肉

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――WILK人員・家族移送調整室 八月三十日夜間整理表

確認事項。

本日中に移動可能な者を、

翌日便へ回さない。

明日の空席。

明日の列車。

明日の道路。

明日の国境。

それらを、

今日と同じ条件として扱わない。

理由。

明日は、

今日の続きとは限らない。




第174話 明日の列車を当てにするな

 

一九三九年八月三十日。

 

ワルシャワ。

 

駅。

 

人が増えていた。

 

昨日までと違うのは、

 

人数だけではない。

 

兵士がいる。

 

予備役がいる。

 

家族がいる。

 

荷物がある。

 

見送りがいる。

 

そして。

 

誰もが、

 

急いでいた。

 

WILKの担当者は、

 

ホーム脇に立っていた。

 

手には紙。

 

何度も書き直された。

 

乗車予定。

 

変更。

 

変更。

 

また変更。

 

「三等車二両、使えなくなりました」

 

若い職員が言った。

 

元独立運動家が顔を上げる。

 

「なぜ」

 

「動員関係です」

 

「代わりは」

 

「貨車なら」

 

「家族だぞ」

 

「分かっています」

 

元独立運動家は、

 

紙を取り上げた。

 

見る。

 

老人。

 

子供。

 

乳児。

 

負傷者。

 

妊婦。

 

さすがに貨車へ詰めるわけにはいかない。

 

「別便」

 

職員が言う。

 

「明日なら」

 

元独立運動家は、

 

すぐに首を振った。

 

「明日は使うな」

 

「ですが」

 

「今日の別便を探せ」

 

「もうほとんど」

 

「ほとんど残ってるなら探せ」

 

職員は走った。

 

その言葉が。

 

今日一日。

 

何度も使われた。

 

明日なら。

 

次なら。

 

後で。

 

それまでWILKでは、

 

普通に使っていた言葉だった。

 

部品なら。

 

次便。

 

人員なら。

 

来週。

 

工事なら。

 

来月。

 

だが。

 

八月三十日。

 

その言葉の意味が、

 

変わっていた。

 

---

 

WILK本社。

 

午前。

 

電話が鳴る。

 

ユダヤ人実業家が取る。

 

短く聞く。

 

「分かりました」

 

切る。

 

元白軍将校が聞いた。

 

「何だ」

 

「ポルトガル向けの船便が変更」

 

「遅れる?」

 

「一日」

 

元白軍将校が眉をひそめる。

 

「一日か」

 

「一日です」

 

以前なら。

 

何でもない。

 

一日。

 

倉庫で待つ。

 

ホテルで待つ。

 

次の列車へ乗る。

 

それで済んだ。

 

今は。

 

違う。

 

ユダヤ人実業家は、

 

別の電話を取った。

 

英国。

 

フランス。

 

ルーマニア。

 

港。

 

鉄道。

 

銀行。

 

国外支部。

 

同じ言葉を繰り返す。

 

「今日出せますか」

 

返事。

 

聞く。

 

「では今日」

 

別。

 

「今日中に」

 

別。

 

「明日ではなく」

 

元白軍将校が、

 

それを聞いていた。

 

「焦ってるな」

 

実業家は、

 

受話器を置いた。

 

「あなたに言われたくありません」

 

「私は落ち着いている」

 

「昨日、三人に怒鳴っていました」

 

「三人とも遅かった」

 

「それを焦っていると言います」

 

元白軍将校は答えなかった。

 

実業家が、

 

紙へ何か書く。

 

「以前なら、安い便を待ちました」

 

「今は?」

 

「高くても出します」

 

「利益は」

 

「今月は忘れました」

 

元白軍将校が少し笑う。

 

「珍しい」

 

「何度も言わないでください」

 

---

 

昼。

 

ポーランド軍将校の家。

 

荷物は、

 

もうほとんど出ていた。

 

妻。

 

娘。

 

次男。

 

長男の妻。

 

幼い子供。

 

今日。

 

出る。

 

次男は、

 

まだ納得している顔ではなかった。

 

制服ではない。

 

まだ士官学校生でもない。

 

だが。

 

姿勢だけは。

 

軍人の家で育ったものだった。

 

ポーランド軍将校が、

 

荷物を見る。

 

「多い」

 

妻が答える。

 

「減らしたわ」

 

「これで?」

 

娘が横から言う。

 

「お父様の基準で減らしたら、服が一枚になります」

 

「足りる」

 

「足りません」

 

次男が黙って荷物を持つ。

 

父親が見る。

 

「重いか」

 

「平気です」

 

「無理するな」

 

次男が、

 

少しだけ嫌そうな顔をした。

 

「子供扱いしないでください」

 

ポーランド軍将校は、

 

答えなかった。

 

もう。

 

子供ではない。

 

それは分かっている。

 

だから。

 

余計に。

 

出す。

 

玄関。

 

娘が母親を先に出す。

 

長男の妻は、

 

子供を抱いている。

 

次男が最後。

 

そこで。

 

ポーランド軍将校が言った。

 

「向こうへ着いたら連絡しろ」

 

次男が頷く。

 

「はい」

 

「勝手に戻るな」

 

次男。

 

止まる。

 

「まだ何も言ってません」

 

「言う顔をしている」

 

娘が吹き出した。

 

「本当に似てるわね」

 

父と次男。

 

同時に。

 

「似ていない」

 

妻が言った。

 

「似てるわよ」

 

ポーランド軍将校は、

 

少しだけ顔をしかめた。

 

それが。

 

家族と交わした。

 

最後の軽口にならない保証は。

 

どこにもなかった。

 

だから。

 

誰も。

 

それを口にしない。

 

---

 

同じ頃。

 

別の場所。

 

元ドイツ軍技術者の息子が、

 

国外へ向かう準備をしていた。

 

部門長。

 

技術者。

 

WILK第二世代。

 

机には。

 

持っていくもの。

 

残すもの。

 

大量の書類。

 

元ドイツ軍技術者が、

 

一枚を抜く。

 

「これは置け」

 

息子が言う。

 

「必要です」

 

「複製が向こうにある」

 

「変更履歴が」

 

「別便で出した」

 

「いつ」

 

「先週」

 

息子が父を見る。

 

「聞いてません」

 

「言ってない」

 

「なぜ」

 

「必要なかった」

 

息子は、

 

深く息を吐いた。

 

「父さん」

 

「何だ」

 

「そういうところです」

 

「何が」

 

「何でもありません」

 

父親は、

 

別の図面を見る。

 

「これは持て」

 

「これは複製あります」

 

「あるが、向こうのは古い」

 

「先に言ってください」

 

「今言った」

 

元白軍将校が、

 

横を通りかかる。

 

二人を見る。

 

「まだやってるのか」

 

元ドイツ軍技術者。

 

「出ていけ」

 

「出るのはそっちの息子だろ」

 

「お前が出ろ」

 

息子が笑った。

 

「父さん」

 

「何だ」

 

「行きます」

 

元ドイツ軍技術者は、

 

一瞬だけ黙った。

 

「向こうで止めるな」

 

「何を」

 

「工場を」

 

「止めません」

 

「機械を」

 

「回します」

 

「人を」

 

息子が答える。

 

「教えます」

 

父親は。

 

それで。

 

頷いた。

 

「なら行け」

 

---

 

午後。

 

WILK人事部。

 

紹介状。

 

家族票。

 

受入先。

 

紙が増えていく。

 

第169話で始めた、

 

名簿からこぼれる者の扱いも、

 

もう珍しくなくなっていた。

 

「この家族は」

 

「農場の紹介です」

 

「こちらは」

 

「鉄道」

 

「これは」

 

「元社員」

 

「これは」

 

「知人の知人」

 

元独立運動家が手を止める。

 

「誰の知人」

 

職員が紙を見る。

 

「……門番の」

 

元独立運動家が少し考える。

 

「身元は」

 

「確認済み」

 

「受入先」

 

「あります」

 

「なら出せ」

 

もう。

 

それでよかった。

 

会社との関係が。

 

何年。

 

何か月。

 

何日前から。

 

そんなことを細かく決めている時間はない。

 

知っている者がいる。

 

身元が分かる。

 

行先がある。

 

なら。

 

出す。

 

「次」

 

職員が言う。

 

「この家族ですが、明日なら英国便が」

 

元独立運動家が顔を上げた。

 

「今日のルーマニアは」

 

「空きがあります」

 

「なら今日」

 

「英国希望です」

 

「理由」

 

「親族が」

 

「向こうに?」

 

「はい」

 

元独立運動家は、

 

少し考えた。

 

家族を分けない。

 

できる限り。

 

それは。

 

守る。

 

だが。

 

今日出られる便を捨てて。

 

明日を待つ。

 

その価値があるか。

 

「英国支部へ確認」

 

「はい」

 

「ルーマニア側から後で移せるか」

 

「確認します」

 

「今日出せるなら出す」

 

職員が頷く。

 

それが。

 

この日の基準だった。

 

目的地は大事。

 

だが。

 

目的地へ向かう前に。

 

出発できなくなれば。

 

意味がない。

 

---

 

夕方。

 

駅。

 

ポーランド軍将校の家族が、

 

ホームに立っていた。

 

妻。

 

娘。

 

次男。

 

長男の妻。

 

子供。

 

長男も来ていた。

 

若い少尉。

 

軍服。

 

次男が兄を見る。

 

「本当に残るんですね」

 

長男が答える。

 

「仕事だからな」

 

「ずるい」

 

長男が眉を上げる。

 

「何が」

 

「先に軍人になって」

 

長男は、

 

少し黙った。

 

弟を見る。

 

「馬鹿」

 

「何です」

 

「だからお前は行けるんだ」

 

次男が、

 

何も言えなくなる。

 

その横。

 

幼い子供が、

 

父親の軍服をつかむ。

 

「お父さんも?」

 

長男は。

 

しゃがんだ。

 

「あとで行く」

 

ポーランド軍将校が、

 

少し離れたところで聞いている。

 

何も言わない。

 

子供には。

 

それでいい。

 

列車が入ってくる。

 

汽笛。

 

人が動く。

 

WILK職員が、

 

乗車確認。

 

荷物。

 

人数。

 

車両。

 

ポーランド軍将校の妻が、

 

夫を見る。

 

「あなたも」

 

「後で」

 

妻は、

 

それ以上聞かなかった。

 

娘が父を見る。

 

「ちゃんと食べて」

 

「食べる」

 

「嘘」

 

「なぜ分かる」

 

「娘だから」

 

ポーランド軍将校は、

 

少し。

 

困った顔をした。

 

「行け」

 

「はい」

 

次男。

 

最後。

 

「父上」

 

「何だ」

 

「向こうで士官学校を探します」

 

「探せ」

 

「許可は」

 

「必要ない」

 

「本当に?」

 

「自分で決めろ」

 

次男は。

 

それで。

 

少し笑った。

 

「分かりました」

 

列車へ乗る。

 

扉。

 

閉まる。

 

ポーランド軍将校と。

 

長男だけが。

 

ホームに残った。

 

列車が動き始める。

 

次男。

 

窓から。

 

敬礼。

 

父。

 

返す。

 

長男も。

 

返す。

 

列車。

 

遠ざかる。

 

しばらく。

 

二人。

 

何も言わない。

 

やがて長男が聞いた。

 

「父上」

 

「何だ」

 

「本当に、あとで行くつもりですか」

 

ポーランド軍将校は、

 

前を向いたまま答えた。

 

「お前は?」

 

長男。

 

少し笑う。

 

「愚問でした」

 

「そうだ」

 

---

 

その夜。

 

本社。

 

元白軍将校が、

 

机の上の一覧を見る。

 

今日。

 

出た者。

 

今日。

 

出られなかった者。

 

予定変更。

 

行先変更。

 

乗車変更。

 

紙は。

 

汚れていた。

 

何度も。

 

書き直されている。

 

元独立運動家が言った。

 

「かなり出した」

 

「かなり?」

 

「かなり」

 

「全部ではない」

 

「無理だ」

 

元白軍将校が、

 

一覧の一番下を見る。

 

「明日」

 

元独立運動家が答える。

 

「言うな」

 

「まだ何も言ってない」

 

「明日出す、と言うつもりだっただろ」

 

元白軍将校は、

 

少し笑った。

 

「読めるようになったな」

 

「二十年いる」

 

ユダヤ人実業家が入ってくる。

 

「残りの列車枠、減りました」

 

「どれくらい」

 

数字を言う。

 

元独立運動家が顔をしかめる。

 

「朝より少ない」

 

「動員です」

 

ポーランド軍将校も戻ってきた。

 

「当然だ」

 

元ドイツ軍技術者が聞く。

 

「明日は」

 

ユダヤ人実業家が答える。

 

「分かりません」

 

元白軍将校。

 

「鉄道が止まる?」

 

「そこまでは」

 

「では」

 

「ただし」

 

実業家は。

 

四人を見る。

 

「今日と同じだとは考えません」

 

誰も。

 

反論しない。

 

それが。

 

第十一章で。

 

何度も学んだことだった。

 

地図は変わる。

 

条約も変わる。

 

国も消える。

 

飛行場も。

 

工場も。

 

列車も。

 

明日。

 

同じ場所に。

 

同じ状態で。

 

ある保証はない。

 

元独立運動家が、

 

残った家族一覧を取る。

 

「今日、出せるのは」

 

職員が答える。

 

「あと七名」

 

「出せ」

 

「もう遅いです」

 

「列車は」

 

「まだあります」

 

「なら出せ」

 

「次の便でも」

 

元独立運動家が、

 

職員を見る。

 

怒鳴らない。

 

ただ。

 

静かに聞いた。

 

「次の便がある保証は?」

 

職員は。

 

答えられない。

 

元独立運動家は言った。

 

「なら、この便へ入れろ」

 

「はい」

 

職員が走る。

 

元白軍将校は、

 

その背中を見る。

 

「昔なら無茶だと言ったな」

 

元独立運動家。

 

「今でも無茶だ」

 

「なら」

 

「必要な無茶だ」

 

元白軍将校が頷いた。

 

外。

 

夜。

 

駅へ向かう車が出る。

 

七人。

 

子供。

 

老人。

 

女。

 

荷物。

 

WILK社員ではない者もいる。

 

だが。

 

受入先はある。

 

今日。

 

まだ出られる。

 

それだけで。

 

充分だった。

 

一九三九年八月三十日。

 

WILKは。

 

明日の列車を。

 

予定表から。

 

少しずつ消していった。

 

明日の船。

 

明日の道路。

 

明日の国境。

 

明日の空席。

 

あれば。

 

使う。

 

だが。

 

あることを前提に。

 

今日を捨てない。

 

まだ動く列車へ。

 

人を乗せる。

 

まだ開いている道へ。

 

人を送る。

 

まだ使える一日を。

 

使い切る。

 

明日の列車を、

 

当てにするな。

 

それは。

 

悲観ではなかった。

 

今日という時間を。

 

まだ使えるうちに。

 

使うための。

 

判断だった。

 

 

 

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