WILK ―忘れずの故郷―   作:ヒツジ(ラム肉

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――WILK本社・八月三十一日夜間記録

確認。

本社機能。

稼働中。

国内工場。

稼働中。

国外支部。

稼働中。

航空機。

分散済。

人員。

一部国外移動済。

家族。

移送継続。

資金。

分散済。

図面。

分散済。

規格。

複製済。

連絡網。

維持。

未処理。

残り。

多数。

備考。

明日以降については、

本日の条件を、

そのまま引き継がないこと。


第175話 残された日は、もうない

 

一九三九年八月三十一日。

 

朝。

 

WILK本社。

 

いつも通り。

 

人が来た。

 

門が開く。

 

電話が鳴る。

 

工場では機械が動く。

 

食堂では朝食が出る。

 

整備班は航空機を見る。

 

運輸部は列車を確認する。

 

人事部は家族の移動先を照会する。

 

会計は送金を確認する。

 

食品部は農場からの納入を受ける。

 

会社は。

 

まだ。

 

会社だった。

 

それが。

 

妙だった。

 

誰も。

 

「今日で最後だ」

 

とは言っていない。

 

言えない。

 

まだ。

 

何も始まっていない。

 

ただ。

 

いつもと同じ朝を、

 

いつもと同じ朝だと思っている者は、

 

もう少なかった。

 

元独立運動家は、

 

朝から人事部にいた。

 

机には。

 

昨日出られなかった家族。

 

新しく増えた家族。

 

受入先変更。

 

連絡待ち。

 

出発済。

 

到着確認済。

 

紙が並んでいる。

 

担当者が言った。

 

「昨夜の七人、出ました」

 

「到着は」

 

「まだです」

 

「確認を続けろ」

 

「はい」

 

別の職員。

 

「今日の列車ですが」

 

元独立運動家が顔を上げる。

 

「空きは」

 

数字を聞く。

 

少ない。

 

昨日より。

 

さらに。

 

少ない。

 

「乗せられるだけ乗せろ」

 

「優先は」

 

元独立運動家は、

 

少し考えた。

 

子供。

 

老人。

 

病人。

 

国外に受入先が確定している者。

 

本人が残らなければならない家族。

 

昨日まで。

 

何度も使った基準。

 

だが。

 

今日は。

 

その紙を見ながら。

 

言った。

 

「順番を争ってる時間はない」

 

職員が見る。

 

「では」

 

「空いているところへ、行ける者から入れろ」

 

それまで。

 

WILKは。

 

可能な限り。

 

家族の事情を聞いた。

 

言葉。

 

仕事。

 

学校。

 

親族。

 

住居。

 

それは。

 

やめない。

 

ただ。

 

選べる幅が。

 

少なくなっていた。

 

昨日まで。

 

英国か。

 

フランスか。

 

ポルトガルか。

 

米州か。

 

そういう話をした。

 

今日は。

 

「出られるか」

 

が先だった。

 

午前。

 

元ドイツ軍技術者。

 

工場。

 

一台の工作機械が止まる。

 

技術者が近づく。

 

「故障?」

 

工員が答える。

 

「違います」

 

「では」

 

「移します」

 

元ドイツ軍技術者は、

 

しばらく機械を見る。

 

長く使った。

 

何度も改修した。

 

何度も部品を作った。

 

Turも。

 

Bizonも。

 

別の機械も。

 

この機械の前を通った。

 

「どこへ」

 

「東側の別工場へ」

 

「東?」

 

工員が言い直す。

 

「国内の分散先です」

 

元ドイツ軍技術者は頷いた。

 

「分かった」

 

それから。

 

少しして。

 

「図面は」

 

「複製済み」

 

「測定具」

 

「別便です」

 

「担当者」

 

「二人とも移します」

 

「一人残せ」

 

工員が顔を上げる。

 

「なぜ」

 

「全部動かしたら、ここが死ぬ」

 

工員は。

 

少し考えた。

 

「でも」

 

元ドイツ軍技術者が言った。

 

「ここも、まだ工場だ」

 

それで。

 

一人。

 

残した。

 

全部を逃がす。

 

のではない。

 

全部を残す。

 

のでもない。

 

明日。

 

どちらになっても。

 

会社が動けるように。

 

分ける。

 

昼前。

 

ポーランド軍将校。

 

軍の連絡を受けていた。

 

短い電話。

 

長い沈黙。

 

また電話。

 

机の地図。

 

昨日まで。

 

印。

 

線。

 

予定。

 

そこへ。

 

新しい紙が重なる。

 

元白軍将校が入ってきた。

 

「どうだ」

 

ポーランド軍将校が答える。

 

「動員関係が増えた」

 

「それだけか」

 

「それだけならいい」

 

元白軍将校は。

 

その言葉で。

 

少しだけ。

 

表情を変えた。

 

「何かある?」

 

「分からん」

 

「分からない?」

 

「情報が多すぎる」

 

それが。

 

一番。

 

嫌だった。

 

情報がない。

 

なら。

 

警戒する。

 

情報が一つ。

 

なら。

 

判断する。

 

だが。

 

噂。

 

報告。

 

外交。

 

軍。

 

国境。

 

鉄道。

 

航空。

 

全部。

 

同時に動く。

 

どれが。

 

決定的なのか。

 

分からない。

 

ポーランド軍将校は。

 

机の紙をまとめた。

 

「だから」

 

元白軍将校が聞く。

 

「だから?」

 

「予定通りやる」

 

それだけ。

 

航空隊を分散する。

 

家族を出す。

 

人員を移す。

 

工場を分ける。

 

退路を一つにしない。

 

明日の列車を当てにしない。

 

それまで。

 

決めたこと。

 

やる。

 

午後。

 

ユダヤ人実業家。

 

銀行。

 

電話。

 

本社。

 

また電話。

 

送金確認。

 

署名。

 

封筒。

 

職員が聞く。

 

「この口座も移しますか」

 

「一部」

 

「全部ではなく?」

 

「全部動かすと、国内で払えなくなります」

 

「国外へ多く残した方が」

 

「その通り」

 

実業家は。

 

数字を見る。

 

「だから全部ではない」

 

昨日まで。

 

何度も。

 

同じ話をした。

 

金も。

 

一つに置かない。

 

だが。

 

国内で。

 

今日。

 

給料を払う。

 

部品を買う。

 

列車を動かす。

 

家族を送り出す。

 

それにも。

 

金はいる。

 

元白軍将校が。

 

横から聞いた。

 

「金は逃げたか」

 

実業家は答えた。

 

「半分」

 

「残りは」

 

「働いています」

 

「金も働くのか」

 

「人より文句を言いません」

 

「人の前で言うな」

 

「本人たちも知っています」

 

元独立運動家が遠くから言った。

 

「聞こえてるぞ」

 

実業家は。

 

少しだけ。

 

笑った。

 

午後遅く。

 

食堂。

 

五人。

 

珍しく。

 

同じ時間に。

 

座っていた。

 

豪華ではない。

 

パン。

 

スープ。

 

肉。

 

野菜。

 

いつも通り。

 

元白軍将校が言った。

 

「珍しいな」

 

元独立運動家が聞く。

 

「何が」

 

「五人そろって飯」

 

元ドイツ軍技術者。

 

「いつも食ってる」

 

「同じ時間は少ない」

 

ユダヤ人実業家が、

 

パンを切りながら言う。

 

「皆、忙しいので」

 

ポーランド軍将校は。

 

黙って食べている。

 

元白軍将校が見る。

 

「家族は」

 

「出た」

 

「全員?」

 

「出す者は」

 

「長男は」

 

「残る」

 

「お前も」

 

「残る」

 

元白軍将校は。

 

それ以上。

 

聞かない。

 

元ドイツ軍技術者。

 

「息子は出た」

 

元独立運動家。

 

「娘たちも」

 

実業家。

 

「うちは数えるのが面倒です」

 

元白軍将校。

 

「知ってる」

 

実業家が見る。

 

「あなたは」

 

少し。

 

止まる。

 

だが。

 

元白軍将校は。

 

気にしない。

 

「出す家族はいない」

 

昨日も。

 

言った。

 

今日は。

 

それだけ。

 

元独立運動家が。

 

スープを飲む。

 

「なら」

 

元白軍将校が見る。

 

「何だ」

 

「最後までこっちを手伝え」

 

「言われなくても」

 

誰も。

 

それを。

 

特別な約束にはしなかった。

 

夕方。

 

飛行場。

 

常設基地には。

 

まだ機体がいた。

 

練習機。

 

連絡機。

 

整備中の旧型。

 

全部。

 

消したわけではない。

 

外から見れば。

 

飛行場は。

 

動いている。

 

だが。

 

主要な戦闘機。

 

攻撃機。

 

一部は。

 

もう。

 

別の場所にいた。

 

農場。

 

草地。

 

臨時飛行場。

 

小さな場所。

 

分散。

 

若い航空士官が。

 

確認表を見る。

 

「これで全部です」

 

上官が聞く。

 

「全部?」

 

「移動予定分は」

 

「そう言え」

 

「はい」

 

全部。

 

という言葉は。

 

この数日。

 

WILKでも。

 

軍でも。

 

危険な言葉になっていた。

 

全部ある。

 

全部守る。

 

全部移す。

 

全部知っている。

 

そういう状態を。

 

減らしてきた。

 

一つ失っても。

 

全部は失わない。

 

それが。

 

今。

 

ようやく。

 

形になっていた。

 

夜。

 

WILK本社。

 

一日の業務。

 

終わらない。

 

人事部。

 

まだ電話。

 

整備部。

 

まだ灯り。

 

会計。

 

まだ紙。

 

輸送。

 

まだ確認。

 

会議室。

 

五人。

 

また。

 

集まる。

 

元独立運動家が言った。

 

「今日の家族移送」

 

数字。

 

ユダヤ人実業家。

 

「国外受入」

 

数字。

 

元ドイツ軍技術者。

 

「稼働可能機」

 

数字。

 

ポーランド軍将校。

 

「分散」

 

数字。

 

元白軍将校。

 

一つずつ。

 

聞く。

 

「終わった?」

 

元独立運動家。

 

「終わるわけない」

 

実業家。

 

「私も」

 

技術者。

 

「同じ」

 

ポーランド軍将校。

 

「軍もだ」

 

元白軍将校が。

 

椅子へ座る。

 

「では」

 

四人が見る。

 

「今日やれることは」

 

元独立運動家が答える。

 

「だいたいやった」

 

元ドイツ軍技術者。

 

「残りはある」

 

「今日じゃない」

 

「明日」

 

元白軍将校が。

 

少し。

 

笑った。

 

「明日か」

 

誰も。

 

すぐに。

 

答えなかった。

 

この数日。

 

その言葉を。

 

使わないようにしていた。

 

だが。

 

明日は。

 

来る。

 

来なければ。

 

困る。

 

来ても。

 

困るかもしれない。

 

ポーランド軍将校が。

 

時計を見る。

 

「もう遅い」

 

元ドイツ軍技術者が聞く。

 

「明日は?」

 

ポーランド軍将校は。

 

少し考えて。

 

答えた。

 

「明日になれば分かる」

 

元ドイツ軍技術者。

 

「役に立たん回答だ」

 

元白軍将校が。

 

言った。

 

「なら寝ろ」

 

元独立運動家が笑う。

 

「お前が言うのか」

 

「寝ないと判断が鈍る」

 

ユダヤ人実業家。

 

「正論ですね」

 

「珍しいと言うな」

 

「言ってません」

 

五人。

 

立つ。

 

机の上には。

 

地図。

 

名簿。

 

図面。

 

一覧。

 

電話番号。

 

国外支部。

 

受入先。

 

分散先。

 

全部。

 

残っている。

 

全部ではない。

 

だから。

 

残っている。

 

外。

 

夜。

 

ワルシャワ。

 

灯り。

 

列車。

 

車。

 

人。

 

町。

 

ポーランドは。

 

まだ。

 

そこにあった。

 

国境も。

 

まだ。

 

地図の上にある。

 

政府も。

 

軍も。

 

会社も。

 

家も。

 

まだ。

 

ある。

 

一九三九年八月三十一日。

 

WILKには、

 

まだ工場があった。

 

航空機があった。

 

金があった。

 

人がいた。

 

家族も。

 

国外にいる者。

 

国内にいる者。

 

別れてはいたが。

 

いた。

 

五人も。

 

まだ。

 

同じ国にいた。

 

そして。

 

ポーランドも。

 

まだ。

 

存在していた。

 

ただ。

 

WILKが。

 

二十年間。

 

積み上げてきた準備に。

 

もう。

 

新しい一日を足す余裕は。

 

ほとんど残っていなかった。

 

明日。

 

何かを始めるために。

 

今日を使う。

 

その今日が。

 

終わる。

 

時計が。

 

進む。

 

誰も。

 

止められない。

 

残された日は、

 

もうない。

 

 

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