Tur、Bizonは戦闘機ではない。
敵戦闘機との継続交戦を避けること。
敵戦闘機を認めた場合、任務継続より離脱を優先すること。
ただし、離脱不能、追撃継続、正面交差が避けられない場合は、前方火器を用いて敵の接近を妨げること。
後方防御火器は、追撃機を撃墜するためではなく、追撃そのものを困難にするために用いる。
目的は撃墜ではない。
帰還である。
一九三九年九月三日。
朝。
例の農場飛行場では、昨日の爆撃跡を避けるようにして機体が並べられていた。
完全に修復したわけではない。
大きな爆弾穴はそのまま残し、浅いものだけを埋め、使える草地を少し横へずらしただけだった。
それでも夜のうちに丸太を引き、土をならし、明け方にはまた何機かが離着陸できる状態になっていた。
老人は朝露の残る草地を歩きながら、飛行機ではなく地面を見ていた。
その横では、一機のBizonが昨夜から整備を受けている。
胴体側面に弾痕。
左主翼にも穴。
後席近くの装甲板には、浅いへこみがいくつか残っていた。
若い整備兵が、その一つを指でなぞる。
「ここにも当たってる」
後席銃手が覗き込んだ。
「昨日ですか」
整備兵は顔も上げなかった。
「昨日以外にいつ撃たれるんだ」
「訓練中とか」
「お前らは訓練中にも十一ミリ持った戦闘機に追われるのか」
少し離れたところから、老人が口を挟んだ。
「訓練ならもっと酷いことやっとったぞ」
整備兵が振り返る。
「また初号機の話ですか」
「初号機だけじゃない。Turも沈んだ」
「それは地面の話でしょう」
「地面を馬鹿にするな。飛行機は最後に地面へ帰ってくるんだ」
そこへBizonの操縦士が来た。
機体を見る。
「飛べる?」
整備兵は即答せず、まだ確認を続けていた。
発動機。
脚。
燃料系統。
操縦索。
無線。
前方四門。
後方一門。
それからようやく立ち上がる。
「飛べる」
操縦士が頷いた。
整備兵は続けた。
「ただし、昨日と同じだけ撃たれたら知らん」
「撃たれないようにする」
「昨日もそう思ってただろ」
返事はなかった。
そこへ航空士官が紙を持ってきた。
「新しい運用注意だ」
操縦士が受け取る。
読む。
少し笑う。
「戦闘機が来たら逃げろ」
整備兵が言った。
「当然だ」
後席銃手も横から覗き込む。
「正面から来たら?」
「撃つ」
「後ろから来たら?」
「お前が撃て」
「それでも追ってきたら?」
操縦士は紙を畳んだ。
「もっと逃げる」
老人が遠くから言った。
「それが一番賢い」
航空士官が振り返る。
「航空戦術まで分かるんですか」
老人は鼻を鳴らした。
「牛でも狼が来たら逃げる」
「同じですかね」
「死ぬよりましだ」
それについては、誰も反論しなかった。
---
午前。
Bizon二機が地上攻撃任務へ出た。
目標は道路上を移動するドイツ軍部隊。
昨日までと同じく、優先するのは戦車そのものではない。
補給。
通信。
牽引。
燃料。
歩兵を歩かせ、戦車を止め、砲兵を遅らせるもの。
二機は低空を保ちながら進んでいた。
後席が右上を見た。
「二機」
操縦士も確認する。
遠い。
小さい。
だが、速い。
「Bf109」
「見えてる」
「目標まではあと少しです」
前方には道路が見えている。
車列も見える。
撃てる。
あと少し行けば、確実に攻撃できる。
だが、その上から敵戦闘機が近づいている。
後席がもう一度聞いた。
「どうします」
操縦士は数秒だけ道路を見た。
そこに燃料車もいる。
牽引車もいる。
確かに狙いたい。
それでも。
「中止」
二番機へ短く連絡する。
二機は目標手前で向きを変えた。
後席が少し不満そうに言った。
「撃てましたよ」
「撃てた」
「なら」
操縦士は後ろを見ない。
「撃った後に帰れなくなるかもしれない」
それで話は終わった。
戦果はゼロ。
燃料は使った。
時間も使った。
何一つ壊していない。
だが、Bizonは二機とも残る。
それなら翌日、また飛べる。
---
後方のBf109二機は追ってきた。
速度では向こうが上だった。
Bizonは戦闘機ではない。
旋回戦をすれば負ける。
上昇しても負ける。
速度だけで逃げ切ることも難しい。
だから。
低空へ降りる。
真後ろから来れば、後席が撃つ。
一機のBf109が距離を詰めた。
「来ます!」
後席銃手が叫ぶ。
操縦士は進路を変えずに答えた。
「引きつけろ!」
「それ、怖いんですけど!」
「俺も怖い!」
後席の十一ミリが火を噴いた。
Bf109は少し横へ外れた。
すぐには攻撃を続けない。
再び位置を取り直す。
その間。
Bizonは逃げる。
別のBf109が前へ出ようとする。
後席が言った。
「一機、前へ回ります!」
操縦士も見た。
「正面来るな」
「どうします」
「逃げられん」
前へ回ったBf109が、Bizonの進路を切るように旋回した。
正面。
距離が縮まる。
ここで横へ大きく逃げれば、もう一機に後ろを取られる。
操縦士は決めた。
「正面で一回」
Bizonの機首が少し上がる。
十一ミリ四門。
Bf109も射撃姿勢に入る。
両者。
一瞬。
真正面。
射撃。
Bizonの前方火器が火を噴く。
Bf109側からも弾が飛ぶ。
曳光弾が交差する。
距離が一気に詰まる。
Bf109は直前で機首をずらした。
交差。
そのまま横へ抜ける。
Bizonは追わない。
向きも変えない。
そのまま低空で逃げる。
後席が振り返った。
「追ってきます!」
「どっち」
「一機!」
「もう一機は」
「分かりません!」
「なら今は一機だけ見ろ!」
後席がまた撃つ。
Bf109が距離を取る。
また近づく。
また後席が撃つ。
追撃側も楽ではない。
真後ろへ張りつけば十一ミリ。
前へ出すぎれば機首四門。
Bizonに空戦能力で負けるわけではない。
だが。
雑に近づけば危険。
だから距離を選ぶ。
角度を選ぶ。
時間を使う。
その時間だけ、Bizonは少しずつ東へ逃げていく。
---
地上では、ポーランド軍の小部隊がその追撃戦を見ていた。
一人の兵士が空を指す。
「あれ、味方だ」
「双発?」
「Bizonだろ」
「戦闘機に追われてるぞ」
Bizonが低空を抜ける。
その後ろをBf109。
射撃。
地上の兵士まで身を縮める。
「敵、速いな」
「当たり前だ。戦闘機だぞ」
Bizonの後席が撃つ。
Bf109が少し外れる。
兵士が言った。
「当たった?」
「分からん」
「でも嫌そうだな」
隣の下士官が、その言葉に頷いた。
「嫌なんだろ」
「勝てるのに?」
「勝てる相手でも、撃たれたくはない」
それが。
一番近かった。
---
別の空域では、一機のTurが偵察任務から戻っていた。
前線の道路。
敵車列。
橋。
砲兵位置。
確認したものを持ち帰る途中だった。
TurはBizonより遅い。
さらに。
この機体は決して新しくない。
登録上。
古参。
骨格の一部も長年使われている。
だが。
発動機は換装済み。
無線も新しい。
配線。
計器。
脚まわり。
構造補強。
何度も手を入れられている。
外見は古い。
中身は。
長年の改修の塊だった。
後席が空を見る。
「左後方。戦闘機」
操縦士がすぐ聞く。
「距離」
「まだあります」
「機数」
「一機」
Bf109。
Turを見つけた。
追う。
Turは逃げる。
速度では勝てない。
後席銃手が機銃を向ける。
最初の接近。
射撃。
Bf109は外れる。
再び上へ出る。
角度を変える。
Turの後席が言った。
「また来ます」
「撃て」
「もう撃ってます」
二度目の接近。
Bf109は今度、真後ろへ長く居ない。
上から。
斜め。
射撃。
Turに弾が当たる。
機体が揺れる。
後席の近くで大きな音。
「当たった!」
「どこ」
「分かりません!」
Bf109は一度抜けた。
その後。
前へ回る。
操縦士は気づいた。
「正面来るぞ」
後席も前を見る。
「逃げます?」
「横へ逃げたら後ろを取られる」
Bf109が機首を向けてくる。
距離が縮む。
操縦士はTurの機首を少し合わせた。
「撃つ」
前方十一ミリ四門。
射撃。
Bf109も撃つ。
弾が風防の横を抜ける。
一発。
翼。
もう一発。
胴体。
それでもTurは機首を下げない。
Bf109は最後まで正面に残らず、横へ抜けた。
Turは追わない。
そのまま逃げる。
後席が振り返る。
しばらく見る。
「追ってません!」
操縦士は前を見る。
「帰る」
「被弾してます」
「知ってる」
「大丈夫ですか」
操縦士は計器を見る。
発動機。
動いている。
操縦。
効く。
燃料。
漏れ。
今のところ。
致命的ではない。
「飛んでる」
それが。
今。
必要な答えだった。
---
午後。
Turが農場飛行場へ戻った。
着陸。
少し荒い。
整備兵が走る。
機体を見る。
「どこだ」
操縦士が降りる。
「右翼。胴体も」
後席銃手も降りた。
自分の座席後ろを見る。
装甲板。
そこに。
新しいへこみがあった。
一発。
止まっている。
貫通していない。
整備兵が指で触る。
後席銃手も。
同じ場所へ手を置いた。
「……ここですか」
「そうだ」
「これがなかったら」
整備兵は答えない。
操縦士が言った。
「だから付けてる」
後席銃手はしばらく装甲板を見ていた。
「外して持って帰っていいです?」
整備兵が顔を上げた。
「何にする」
「お守り」
「機体に戻せ」
「ですよね」
装甲板は。
英雄になるために付いているわけではない。
撃たれた後。
生きて帰るため。
その目的だけは。
果たしていた。
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同じ日の午後。
ドイツ空軍側にも報告が戻っていた。
一機のBf109が損傷。
原因。
ポーランド双発機の防御射撃。
担当将校が資料を読む。
「双発機?」
「はい」
「戦闘機ではない?」
「攻撃機と思われます」
「追撃中?」
「はい」
「後席銃にやられたのか」
「その可能性があります」
さらに別の報告。
正面交差時。
ポーランド双発機の前方火力が強く、接近を断念。
将校は資料を並べた。
「前に何門」
「十一ミリ四門と見られます」
「後ろは」
「一門」
「装甲もある?」
「座席後方その他に確認されています」
将校は少し考えた。
「戦闘機ではないんだな」
「はい」
「なら、戦闘機として相手をする必要はない」
部下が聞く。
「どういう意味です」
将校は一枚ずつ報告を指した。
「追えば逃げる。なら逃げる相手として追え」
「はい」
「ただし、真後ろへ不用意に張りつくな」
次。
「正面へ長く残るな」
次。
「一機に時間をかけすぎるな」
部下が頷く。
つまり。
ドイツ側も。
すぐに学ぶ。
戦争だから。
同じ失敗を。
何日も繰り返してはくれない。
TurとBizonは。
無敵ではない。
むしろ。
戦闘機に捕まれば。
明確に不利。
だから。
戦う方法を磨くのではない。
逃げる方法を。
少しずつ。
覚えていく。
---
夕方。
WILK本社。
ポーランド軍将校が今日の報告を持ってきた。
「地上攻撃を中止したBizonが二機」
元白軍将校が聞く。
「戦闘機?」
「ああ」
「正しい」
「戦果はゼロ」
元白軍将校はすぐに答えた。
「機体二機」
元ドイツ軍技術者が顔をしかめる。
「そういう数え方をするな」
「だが帰った」
「帰還は戦果ではない」
ユダヤ人実業家が書類から顔を上げた。
「機体一機を今新造するのに、どれくらいかかる」
元ドイツ軍技術者は少し考えた。
「国内の状況込みなら、簡単ではない」
「搭乗員一組は」
ポーランド軍将校が答える。
「もっと簡単ではない」
元独立運動家が言った。
「なら、帰った方がいい」
部屋が少し静かになる。
当たり前。
その当たり前を。
二十年間。
会社で繰り返してきた。
一つに全部を賭けない。
使えるからといって使い切らない。
今日。
残っているからといって。
今日。
全部消費しない。
ポーランド軍将校は運用注意をもう一度見る。
戦闘機が来たら逃げろ。
勇ましくない。
格好良くもない。
撃墜数にもならない。
だが。
必要。
元白軍将校が言った。
「撃墜数で戦争が終わるわけじゃない」
ポーランド軍将校が少し笑う。
「航空兵に言うと嫌われるぞ」
「ならお前が言え」
「もっと嫌われる」
元ドイツ軍技術者が口を挟む。
「嫌われても言え」
元白軍将校が技術者を見る。
「お前が言うと説得力あるな」
「なぜだ」
「普段から嫌われてる」
「帰れ」
「ここ本社だぞ」
ほんの少し。
笑い。
その後。
また。
報告へ戻る。
---
夜。
例の農場。
Bizonが整備を受けている。
Turも。
少し離れた草地では、P.11が明日に備えている。
老人がランタンを持って歩く。
整備兵が被弾したTurの装甲板を確認している。
老人が聞いた。
「今日も戦闘機に追われたのか」
整備兵が答える。
「そうらしいです」
「逃げた?」
「逃げました」
「ならいい」
少し離れたところ。
操縦士がその会話を聞いている。
老人が気づく。
「何だ」
「何でもありません」
「明日も飛ぶのか」
操縦士がTurを見る。
「飛べれば」
整備兵がすぐ言う。
「直ればだ」
老人は草地を見る。
「なら朝は東側を使え。西側は今日の雨で少し緩い」
操縦士が頷く。
「分かりました」
老人はそのまま歩いていった。
Turの後席銃手は、自分の座席後ろに残ったへこみをもう一度見た。
戦闘機と戦って勝ったわけではない。
撃墜を確認したわけでもない。
ただ。
帰ってきた。
それで。
明日が一日増えた。