――ポーランド軍某歩兵連隊 九月四日午前戦闘日誌
敵歩兵の小銃および機関銃射撃は、前日までと比較してやや散発的であった。
原因は不明。
ただし、前面の敵部隊に対する補給の遅延、および後方道路における友軍航空機の活動が確認されている。
同日午後、補給任務を終えたTur一機が友軍地域内へ不時着。
搭乗員は生存。
機体は飛行不能。
使用可能装備の回収を開始した。
一九三九年九月四日。
朝。
ポーランド軍のある歩兵陣地では、昨日までより少しだけ静かな時間が続いていた。
砲撃が止まったわけではない。ときおり迫撃砲弾が落ち、小銃弾も塹壕の上を通り過ぎていく。MG34も撃ってくる。
ただ、その射撃が妙に短かった。
一人の兵士が塹壕の縁から慎重に顔を出した。遠くの生垣沿いにドイツ軍の陣地があり、その辺りから数発の小銃弾が飛んできたため、すぐに頭を引っ込める。
しばらく待った。
昨日なら、その後に機関銃が長く続いていた。
今日は来ない。
兵士は隣にいた伍長を見る。
「なんか今日のジャガイモ連中、元気なくないですか」
伍長は双眼鏡を覗いたまま答えた。
「頭を出したら撃ってきただろ」
「でも昨日なら、今ので機関銃まで来てましたよ」
「向こうにも都合があるんだろ」
「弾がないとか」
伍長はそこで初めて双眼鏡を下ろした。
「ドイツ軍が開戦四日目で弾切れしてたら、こっちはもうベルリンまで行ってる」
兵士は少し笑った。
「じゃあ腹減ってるとか」
「それならあり得る」
「何でそっちはあり得るんです」
「俺が腹減ってるからだ」
二人とも朝食は済ませていた。
量は少ない。
硬いパンと温かい飲み物、それに昨夜の残りが少し。
十分とは言えないが、何もないわけではなかった。
兵士は敵陣の方をもう一度見る。
「向こうも同じですかね」
伍長は答えなかった。
ただ、その日のドイツ軍の射撃が少し弱いということだけは、塹壕にいる兵士でも感じ取ることができた。
理由が分かるのは、もう少し後だった。
---
その数時間前。
ドイツ軍の補給車列が、前線へ向かう道路の上で止まっていた。
原因は一つではない。
先頭近くでは、前夜から続く車両の混雑がまだ解消していなかった。道路脇へ退避したトラックの一台は車輪を泥へ取られ、別の車両がそれを引き出そうとしている。
さらに後方では、昨日の航空攻撃で損傷した通信車を避けるため、車列の順序そのものが乱れていた。
補給部隊の将校が腕時計を見た。
予定時刻はすでに過ぎている。
「前を動かせ」
下士官が答える。
「牽引が終われば動きます」
「何分だ」
「十分か、二十分」
「どっちだ」
「終わってみないと」
将校は舌打ちした。
その時、道路沿いの兵士が空を指した。
「航空機!」
昨日までなら、ほとんど反射的に何挺もの機関銃が空を向いていた。
今日は違った。
命令が出ている。
敵航空機に対する射撃は指定された機関銃を中心とし、小銃による無秩序な対空射撃を避けること。
敵機が遠い段階から弾薬を浪費しないこと。
前日の報告を受ければ当然だった。
ポーランド軍の低空攻撃機が来るたび、車列中の機関銃も小銃も空へ向いていた。その結果、敵機を落とせた例は少ない一方で、歩兵用の弾薬だけが目に見えて減っている。
しかも、敵味方を見分ける前に撃ち始めた部隊まであった。
合理的に考えれば、射撃統制を厳しくするしかない。
空に見えた機体が近づく。
兵士たちはじっと見た。
ドイツ機だった。
指定機関銃も撃たない。
補給将校は少し安心して、もう一度前方へ目を戻した。
「車列を動かせ。今日中に前へ届けるぞ」
しかし、そのおよそ二十分後。
今度は本当にBizonが来た。
最初に気づいた兵士が叫ぶ。
「敵機!」
指定されたMG34が二挺、すぐに空へ向けられた。
小銃兵の多くは撃たない。
命令通りだった。
Bizonの操縦士は、低空からその変化を見ていた。
「昨日より少ないな」
後席が周囲を確認する。
「地上射撃ですか」
「ああ」
「別の場所に対空砲でもいるんじゃないですか」
「いるなら嫌だな」
眼下にはトラック。
弾薬車。
食料。
燃料。
そして牽引車。
Bizonは一度だけ進入した。
前方四門から短い射撃が走り、車列中程のトラックが急停止する。その後ろを走っていた車両が避けようとして道路脇へ入り、湿った畑で車輪を取られた。
二挺のMG34が撃ってくる。
弾は近い。
だが昨日までのように、道路のあちこちから小銃弾まで伸びてくる状態ではない。
Bizonはそのまま抜けた。
後席が言った。
「戦闘機は見えません」
操縦士は一度振り返るように道路を見た。
昨日から、二撃目を欲張らないよう何度も言われている。
ただし今は、地上射撃が明らかに薄い。
「もう一回だけ入る」
「本当に一回だけですよ」
「分かってる」
Bizonが再び向きを変えた。
地上では、補給将校がそれを見て顔を歪めた。
「また来るぞ!」
MG34が撃つ。
今度は何人かの兵士が我慢できずに小銃も撃った。
それでも最初の日ほどではない。
Bizonは二度目の射撃で通信車付近を叩き、そのまま離脱した。
追わない。
三度目もない。
補給将校は敵機が遠ざかるのを確認すると、すぐ道路へ向き直った。
止まったトラックが一台。
畑へ入って動けなくなった車両が一台。
直接の損害だけを見れば、それほど大きくない。
問題は、その後だった。
道路を塞いだ車両をどけなければならない。
負傷者もいる。
積荷を別の車両へ移す必要がある。
泥へ入ったトラックを引き戻すため、別の車両を使わなければならない。
後続車列はその間も止まる。
補給将校は時計を見た。
朝から何度目か分からない。
隣にいた下士官が小さく言った。
「壊されたのは二台です」
将校は道路の後ろまで続く車列を見た。
「その二台のために何台止まってる」
下士官も振り返る。
数える気にはならなかった。
「かなり」
「そういうことだ」
将校は帽子を押し直した。
「動かせ。前線は待ってくれん」
---
その前線では、本当に待っていた。
ドイツ軍の一個歩兵中隊。
昼を過ぎても、予定されていた補給の一部が来ていない。
小銃弾はある。
機関銃弾もある。
だが、余裕がない。
必要なだけ撃つことはできる。
必要以上に撃つ余地がなくなっている。
食事も遅れていた。
若い兵士が空になった飯盒を覗き込み、意味もなく蓋を閉めた。
「まだ来ないのか」
隣の古参兵が銃を手入れしながら答える。
「来ないから食ってないんだろ」
「パンくらいないんですか」
「朝ので終わりだ」
「コーヒーは」
「ない」
若い兵士は顔をしかめた。
「ポーランドに来てから、ずっと道路を歩いて、撃たれて、空からも撃たれて、飯までない」
古参兵は笑った。
「戦争に何を期待してた」
「もっと早く終わるかと」
「まだ四日目だ」
少しして。
風向きが変わった。
若い兵士が鼻を動かした。
「何か匂いません?」
古参兵も顔を上げる。
煙の匂いではない。
焼いたパン。
それに、何か煮ている匂い。
風はポーランド側から来ていた。
若い兵士が嫌そうに言う。
「向こう、飯食ってるぞ」
「嗅ぐな」
「鼻を閉じろって?」
「考えるなってことだ」
「腹が減ってる時にパンの匂いがしたら考えますよ」
古参兵はしばらく黙っていたが、やがて銃を持ち直した。
「飯が欲しけりゃ進むしかないな」
若い兵士は笑おうとした。
だが、あまり面白くなかった。
---
午後。
その中隊へ新しい命令が届いた。
前進。
前方のポーランド軍陣地を押し、道路を確保する。
予定より遅れている。
隣接部隊は先行している。
中隊長は地図を見た。
本来なら、もう少し砲兵の準備を待ちたかった。
補給車列も来てほしい。
少なくとも兵士へ食事を取らせてから動かしたい。
だが、戦線全体は一個中隊の都合では止まらない。
副官が聞いた。
「補給を待ちますか」
中隊長は時計を見る。
「いつ来る」
「連絡では、もうすぐと」
「その『もうすぐ』を朝から聞いている」
「砲兵支援は」
「予定より少ないが来る」
副官は少し黙った。
「攻撃しますか」
中隊長は地図を畳んだ。
「する」
無謀な命令ではない。
敵陣は強固な要塞ではない。
こちらにも機関銃がある。
迫撃砲もある。
兵士の訓練も悪くない。
ただ、いつもより条件が少し悪い。
その「少し」が、いくつも重なっていた。
食事が遅れている。
弾薬に余裕がない。
砲兵支援も予定より短い。
中隊全体も、この数日の行軍と戦闘で疲れている。
それでも前進しなければならない。
ドイツ軍は進んでいる。
だからこそ、進み続ける必要があった。
---
ポーランド側の塹壕。
朝に「今日は元気がない」と言っていた兵士が、今度は双眼鏡を持つ伍長の横へ身体を寄せた。
「来ます」
「見えてる」
ドイツ歩兵が前進してくる。
散開している。
動きも悪くない。
ただ、攻撃前の砲撃は短かった。
機関銃の援護射撃も、昨日ほど長く続いていない。
兵士が聞いた。
「撃ちます?」
伍長は首を振った。
「まだ待て」
敵を近づける。
撃てばこちらの位置も分かる。
弾も無限ではない。
距離が縮まる。
伍長はようやく片手を上げた。
「撃て」
ポーランド軍陣地から一斉に射撃が始まった。
ドイツ兵が伏せる。
すぐにMG34が返してくる。
だが、その射撃は長く続かなかった。
数秒撃つ。
止まる。
また撃つ。
昨日までのように、こちらの頭を上げさせないためだけに長く弾を撒く余裕がない。
伍長が気づいた。
朝の違和感は間違いではなかった。
「機関銃が短い」
隣の兵士も分かったらしい。
「本当に弾がないんですかね」
「少ないだけかもしれん」
「同じようなもんじゃ」
「全然違う。少ない奴は撃ってくる」
その言葉通り。
またMG34が撃つ。
塹壕の土が跳ねる。
ドイツ歩兵も前進を再開する。
訓練された部隊だった。
一度伏せただけで崩れはしない。
しかし、砲撃と機関銃射撃で十分に頭を押さえられないまま歩兵が進めば、守る側にも撃つ時間が増える。
ポーランド側の迫撃砲弾が落ち始めた。
数は多くない。
それでも、前進する歩兵を止めるには役に立つ。
ドイツ側の一部が横へ流れた。
指揮官が立て直そうとする。
もう一度前へ出る。
だが、今度はポーランド側の機関銃がそこを捉えた。
攻撃はしばらく続いた。
簡単には終わらない。
ドイツ兵も撃ち返し、ポーランド側にも負傷者が出る。
それでも午後遅く、中隊長は攻撃続行に意味がないと判断した。
退却命令が出る。
ドイツ歩兵が少しずつ下がっていく。
朝の兵士が塹壕からその様子を見る。
「下がりましたね」
伍長も見る。
「追うなよ」
「分かってます」
「本当に分かってるか」
「昨日から何回言われたと思ってるんです」
伍長は少し笑った。
「ならいい」
兵士は敵の後退をしばらく見てから、朝と同じことを言った。
「やっぱり今日、元気なかったですね」
今度は伍長も否定しなかった。
「少なくとも、昨日よりはな」
---
その日の午後、別のポーランド軍部隊が一人のドイツ兵を捕虜にした。
若い兵士だった。
肩を負傷している。
ひどく疲れていて、渡された水をほとんど一息で飲んだ。
通訳が簡単な質問をする。
「部隊番号は」
答える。
「どこから来た」
答える。
「補給は」
そこで兵士が少し顔を歪めた。
「遅れている」
「何が」
「弾薬。食料。燃料も」
「道路が破壊されたのか」
兵士は首を横に振った。
「全部じゃない」
通訳が待つ。
兵士は自分で続けた。
「飛行機が来る。撃つ。車が道路から出る。止まる。戻す。壊れた車をどける。また飛行機が来る」
少し休む。
「それだけでも遅れる」
通訳は後ろにいた将校を見る。
将校も何も言わなかった。
捕虜の説明は、妙に納得できた。
車列を壊滅させる必要はない。
道路を完全に破壊する必要もない。
一度止まらせれば、その後に仕事が生まれる。
散った車列を戻す。
負傷者を運ぶ。
車両を牽引する。
積荷を移す。
対空警戒をする。
そして、空へ撃った弾薬を補充する。
どれも一つだけなら、小さな問題だった。
小さな問題が毎日、何度も起きている。
それだけだった。
---
同じ頃。
Tur一機が前線近くを飛んでいた。
任務は補給だった。
孤立しかけている部隊へ、小銃弾、医療品、無線機用の部品、それに命令書を届ける。
大きな輸送機ほど積めるわけではない。
だが、道路が使えない場所へ今必要なものを少量届けるには役に立つ。
Turは低空へ降り、友軍陣地の後方へ荷を落とした。
地上の兵士たちが走る。
箱を拾う。
袋を拾う。
無線部品を持った兵士が、その場で中身を確かめている。
後席銃手がそれを見た。
「受け取りました」
操縦士も一瞬だけ地上を見る。
「なら帰る」
Turは東へ向きを変えた。
その途中。
小さな道路が見えた。
ドイツ軍の車列。
大規模ではない。
トラック数台。
オートバイ。
後ろに牽引車。
後席が聞いた。
「行きますか」
操縦士は少しだけ考えた。
戦闘機は見えない。
地上射撃も少なそうに見える。
「一回だけ」
Turが低空へ入った。
前方四門が短く火を噴く。
道路脇へ弾が走り、先頭近くのトラックが急停止した。
兵士が散る。
機関銃が上を向く。
Turはそのまま抜ける。
本来なら、そこで終わりだった。
昨日までに何度も言われている。
一度で帰れ。
追うな。
欲張るな。
操縦士は一度後ろを見た。
地上射撃は薄い。
戦闘機もいない。
止まった車列はまだ見える。
後席が先に言った。
「帰りましょう」
操縦士は数秒だけ黙った。
「もう一回」
後席の返事が遅れた。
「さっき一回だけって」
「分かってる」
「だったら」
「今ならいける」
Turが旋回する。
地上では、今度は兵士たちが完全に待っていた。
一度目の攻撃で指定機関銃が位置を取っている。
さらに何人かの兵士が命令を無視して小銃を構えていた。
Turが進入する。
地上から射撃が始まる。
一発。
二発。
機体の周囲を弾が抜ける。
操縦士はそのまま機首を向けた。
十一ミリを撃つ。
道路が跳ねる。
その直後。
右側で大きな音がした。
機体が震えた。
計器の針が動く。
後席が叫ぶ。
「右発動機から煙!」
操縦士はすぐに攻撃を中止した。
「帰る!」
今度は迷わない。
Turは低空のまま東へ向かう。
右発動機の回転が不安定になっていた。
油圧も落ちていく。
後席が何度も振り返る。
「追撃なし!」
「右は」
「煙が増えてます」
操縦士は前方を見ながら、基地までの距離を頭の中で計算した。
遠い。
この状態で農場飛行場まで戻るのは危険だった。
もっと近い場所に友軍地域がある。
平坦な草地も見える。
「基地まで行かない」
後席がすぐ理解した。
「下ろしますか」
「あの草地」
「友軍います」
「ならちょうどいい」
右発動機を止める。
機体の振動が少し変わった。
片側だけでも飛ぶ。
高度を失いながら、Turは草地へ向かった。
地上のポーランド兵が、低く近づく双発機を見つけて走り出す。
Turの脚が草へ触れた。
一度跳ねる。
もう一度接地する。
機体が少し右へ流れ、右翼端が草を大きく削った。
主脚の片側が耐えきれずに曲がる。
Turは斜めになりながら数十メートル滑り、ようやく止まった。
地上の兵士たちが駆け寄る。
「火は!」
後席銃手が先に顔を出した。
「今のところない!」
操縦士も風防を開ける。
「右発動機を見てくれ!」
兵士の中に整備経験のある男がいた。
煙は出ている。
燃料の匂いもする。
だが大きな火災にはなっていない。
搭乗員二人が機体から降りた。
操縦士は数歩離れてから振り返った。
右翼。
主脚。
右発動機。
胴体の弾痕。
今すぐ再離陸できる状態ではないことは、航空機に詳しくない者でも分かった。
近くにいた歩兵将校が聞いた。
「飛ばせるか」
操縦士は機体を見たまま答えた。
「ここでは無理です」
「回収は」
「機体ごとは簡単じゃないでしょう」
将校も周囲を見る。
前線は遠くない。
いつまでこの場所が友軍側であるかも分からない。
操縦士は少し考えてから言った。
「整備兵を呼べますか」
「やってみる」
「使えるものだけでも持っていきたい」
将校がTurを見る。
「まだ使えるものがあるのか」
操縦士は少し笑った。
「飛行機が飛べないだけです」
---
それからしばらくして。
W印の猫車を押した整備兵が二人やってきた。
一台には工具。
もう一台には空の箱や布。
さらに後ろから、歩兵がもう一台押している。
この辺りではすでに、WILK製の手押し車を説明する必要はなかった。
壊れにくい。
重い物も載る。
多少乱暴に扱っても車輪が外れにくい。
それだけで、戦場では十分役に立つ。
整備兵はTurの周りを一周した。
右発動機を確認する。
主脚を見る。
翼の損傷を見る。
胴体の弾痕も確認した。
操縦士が聞く。
「どうだ」
整備兵はしゃがんだまま答えた。
「ここで飛ばすのは無理だ」
「後ろへ引ければ」
「設備があれば直せる可能性はある。ただ、今この機体をそのまま運ぶ手段がない」
歩兵将校が聞いた。
「では置いていく?」
整備兵は立ち上がり、機体を見た。
「全部は置かない」
まず無線。
次に弾薬。
持ち運べる計器。
工具。
その他、現場で外せる範囲の部品。
航空機用の十一ミリ火器も、回収できるものは持っていく。
整備兵は歩兵将校へ言った。
「これは航空機としては今日は終わりです。でも中にあるものまで全部死んだわけじゃない」
将校が頷いた。
「必要な人を出す」
作業が始まった。
兵士が猫車を押す。
整備兵が外した装備を積む。
弾薬箱が重ねられる。
無線機も載る。
操縦士と後席銃手も手伝った。
しばらくすると、猫車はすっかり重くなった。
歩兵の一人が押しながら言う。
「飛行機を持って帰るって、もっと大きい物だと思ってた」
整備兵が答える。
「飛行機そのものは置いていくかもしれん」
「じゃあ何を持って帰ってるんです」
整備兵は猫車の上を指した。
「まだ使えるところ」
兵士は少し考えた。
「なるほど」
それから重い猫車を押し直した。
「でも重いな」
「飛行機だからな」
「飛んで帰ってほしかった」
後ろから操縦士が言った。
「俺もそう思う」
---
夕方。
回収した装備が後方へ運ばれていく途中。
一台のW印の猫車には弾薬箱と工具、迷彩用に切った枝、それに水が載っていた。
歩兵二人が休憩している。
一人は射撃が上手い。
もう一人は双眼鏡を持っていた。
射手が猫車の荷へ肘を置き、何気なく前方を見た。
「これ、具合いいな」
観測役が聞く。
「何が」
「高さ」
双眼鏡を覗いていた男が少し笑った。
「荷車を射撃台にするなよ」
「置いてあるんだから使うだけだ」
しばらくして、遠くで敵兵らしい人影が動いた。
観測役が位置を伝える。
射手は猫車の上へ身体を預けたまま、一発だけ撃った。
結果は二人にもよく分からない。
すぐにその場から離れる。
猫車には再び弾薬と工具と水が載ったまま、普通に前線後方へ押されていった。
誰もそれを新しい兵器だとは思わなかった。
便利な物がそこにあったから使った。
戦場では、それだけで十分だった。
---
夜。
WILK本社。
今日の損失報告が一枚、机の上へ置かれた。
ポーランド軍将校が読み上げる。
「Tur一機。前線近くへ不時着。搭乗員二名は生存」
元ドイツ軍技術者がすぐに聞いた。
「火災は」
「なし」
「機体は」
「飛行不能。現地からの回収は困難」
技術者の顔が少し険しくなった。
「敵に取られる可能性は」
「ある」
「装備は」
「回収できるものから運び出している」
そこで元白軍将校が報告書を取った。
「十一ミリ、弾薬、無線、計器。搭乗員も帰る」
元ドイツ軍技術者は黙っている。
元独立運動家が横から覗いた。
「猫車で運んだのか」
「そうらしい」
元白軍将校が笑った。
「またWのやつか」
技術者が顔を上げる。
「正式な型式がある」
ユダヤ人実業家が聞いた。
「何だった」
技術者は一瞬黙った。
元白軍将校が笑いを堪える。
「お前もすぐ出てこないじゃないか」
「番号なら分かる」
「前線では誰も番号で呼ばんだろ」
ポーランド軍将校が別の紙を見ながら言った。
「前線では『Wの猫車』で通じるらしい」
元独立運動家が少し笑う。
「うちの飛行機より呼びやすいな」
「それは認めん」
元ドイツ軍技術者はそう言ったが、声にはそれほど力がなかった。
彼はもう一度、損失報告へ目を落とした。
機体は飛べない。
このまま置けば、失われる可能性は高い。
それでも搭乗員は生きている。
無線も戻る。
火器も一部戻る。
部品も戻る。
何より、同じ操縦士と後席銃手は、別の機体があればまた飛べる。
ユダヤ人実業家が机の上の報告書を指した。
「全損になってる」
元ドイツ軍技術者が見る。
損失区分。
全損。
おそらく現場から上がった時点でそう記入されたのだろう。
元白軍将校が聞く。
「違うのか」
技術者はすぐには答えなかった。
鉛筆を取り、回収装備の欄をもう一度確認する。
それから赤鉛筆へ持ち替えた。
「航空機としては失った」
「なら全損だろ」
「機体はな」
元白軍将校は、その言葉の意味を理解して黙った。
技術者は「全損」の文字へ一本線を引いた。
その横へ新しく書く。
機体喪失。
搭乗員生存。
装備一部回収。
書き終えると、紙をポーランド軍将校へ戻した。
「これでいい」
ポーランド軍将校は訂正された欄を見た。
「細かいな」
元ドイツ軍技術者は椅子へ座り直した。
「会社というのは、細かいものを数えるところだ」
元白軍将校が笑った。
「戦争中でも?」
「戦争中だからだ」
それ以上の説明は必要なかった。
---
同じ夜。
前線近くの野営地では、不時着したTurの操縦士と後席銃手が、遅い夕食を取っていた。
二人とも大きな怪我はない。
後席銃手がパンをちぎりながら言う。
「機体、置いてくることになりそうですね」
操縦士は少し黙ってから頷いた。
「ああ」
「長く乗ってたんですか」
「俺より年上だ」
「それは言い過ぎでしょう」
「登録はかなり古い」
後席銃手は笑った。
「中身はほとんど新品だったじゃないですか」
「何度も直してるからな」
「帰れませんでしたね」
操縦士はパンを口へ入れ、しばらく噛んだ。
「俺たちは帰った」
後席銃手が顔を上げる。
操縦士は少し離れた場所を見る。
そこには、今日Turから外された装備を積んだ猫車が置かれていた。
明日の朝には、また別の場所へ運ばれる。
後席銃手もそれを見る。
「そうですね」
二人はそのまま食事を続けた。
翌日になれば、別の仕事が来る。
別の機体に乗るかもしれない。
しばらく地上勤務になるかもしれない。
それはまだ分からない。
少なくとも今夜。
飛行機は一機減った。
搭乗員は二人とも残った。
そして、猫車の上には、まだ使えるものが積まれていた。