WILK ―忘れずの故郷―   作:ヒツジ(ラム肉

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『一九三九年九月二十一日付・北西方面移動記録断片』

> WILK関係者北西移動群について。
>
> 当初指定経路――港湾方面。
> 指定目的――海路による国外移動。
>
> 九月二十日以降、一部集団の経路逸脱を確認。
>
> 当該集団の責任者について正式記録なし。
> 後年の証言では、元白軍将校が実質的に指揮していたとされる。
>
> 人員数――不詳。
>
> 備考。
>
> 移動開始時二十名前後。
> 以後、増加。



第十三章 道は、人が作る
第194話 港へ行かなかった男


 

 

港へ行くはずだった。

 

少なくとも、朝までは。

 

街道脇に止まったトラックの前で、元白軍将校はしゃがみ込み、泥に半分埋もれた前輪を眺めていた。

 

運転手がその横で帽子を脱いでいる。

 

「駄目です」

 

「見れば分かる」

 

「軸が曲がっています」

 

「それも見れば分かる」

 

「予備部品はありません」

 

元白軍将校は立ち上がった。

 

「それも分かる」

 

運転手は黙った。

 

少し離れたところで若いWILK社員がため息をついた。

 

「それで、どうするんです?」

 

元白軍将校はトラックの荷台を見た。

 

「降ろせ」

 

「何を?」

 

「全部」

 

「全部?」

 

「動かないトラックを押して港まで行くつもりか」

 

誰も返事をしなかった。

 

トラックの後ろには、WILK社員とその家族、途中で合流した軍人、老人、子供、それから何故いるのか誰にも分からない犬がいた。

 

昨日までは二十一人だった。

 

朝になったら二十三人になっていた。

 

犬を含めるかどうかで数は変わる。

 

若い社員はそのことについて一度確認しようとしたが、元白軍将校から、

 

「歩けるなら一人でいい」

 

と言われ、それ以上聞くのをやめていた。

 

「荷物を分ける」

 

元白軍将校が言った。

 

「食料、水、薬、毛布、工具。残りは必要な物だけだ」

 

「必要の基準は?」

 

「持って歩けるか」

 

「それだけですか?」

 

「十分だ」

 

荷台が開かれた。

 

最初に出てきたのは工具箱。

 

次に帳簿箱。

 

その次が毛布。

 

パン袋。

 

鍋。

 

子供用の木馬。

 

そして大きな壁掛け時計。

 

元白軍将校が時計を見た。

 

「これは置いていけ」

 

途端に老人が前へ出た。

 

「待て!」

 

元白軍将校が見る。

 

「これは家に三十年あった時計だ!」

 

「重い」

 

「曾祖父の代からだ!」

 

「三十年じゃないのか」

 

「話の腰を折るな!」

 

若い社員が横を向いて笑いをこらえた。

 

老人は時計を抱いた。

 

「置いていけん」

 

「歩けなくなるぞ」

 

「それでもだ」

 

元白軍将校は老人を見る。

 

時計を見る。

 

また老人を見る。

 

「猫車の下に縛れ」

 

若い社員が思わず聞いた。

 

「いいんですか」

 

「本人が持つよりましだ」

 

「基準がどんどん曖昧になってません?」

 

「人間は曖昧だ」

 

「急に深いこと言わないでください」

 

荷物は次々に分けられた。

 

着替えは一人一組。

 

鍋は二つ。

 

食器は共同。

 

本は数冊だけ残した。

 

会計係が持ってきた書類箱は、元白軍将校が中身を確認して半分捨てた。

 

「これはいらん」

 

「必要な記録です」

 

「同じものが国外にある」

 

「これは?」

 

「写しがある」

 

「これは?」

 

「それは持て」

 

「違いは?」

 

「国外にない」

 

会計係は少し驚いた。

 

「知ってるんですか」

 

「聞いていた」

 

「誰から」

 

「昔からいると、嫌でも耳に入る」

 

元白軍将校は箱を閉めた。

 

その横では、W式猫車が三台並べられていた。

 

一台には工具。

 

一台には食料。

 

一台は空けた。

 

若い社員が聞く。

 

「これは?」

 

「怪我人用だ」

 

「今、怪我人いませんけど」

 

「そのうち出る」

 

「縁起でもないですね」

 

「戦争中だぞ」

 

それを言われると、誰も反論できなかった。

 

荷物の積み替えが終わりかけた頃、街道の向こうから人影が見えた。

 

最初に馬。

 

次に荷車。

 

その後ろに兵士が三人。

 

女性が四人。

 

老人。

 

子供。

 

そして足を引きずる男。

 

一行が自然に警戒した。

 

ポーランド兵の一人が銃へ手を伸ばしたが、元白軍将校が止めた。

 

向こうの兵士も同じように警戒している。

 

距離が縮まった。

 

先頭の兵士が敬礼する。

 

「西から来ました」

 

「見れば分かる」

 

若い社員が小声で言った。

 

「今日それ多いですね」

 

元白軍将校は聞かなかったことにした。

 

兵士は続けた。

 

「街道が塞がれています。橋も使えません。北へ抜けたいのですが、地図を失いました」

 

「人数は」

 

「十二人です」

 

「歩けるのは」

 

兵士が後ろを見る。

 

「十人」

 

「馬を扱える者」

 

老人が手を挙げた。

 

「できる」

 

「料理」

 

女性が一人手を挙げる。

 

「できます」

 

「怪我人の手当て」

 

別の女性が手を挙げた。

 

「少しなら」

 

元白軍将校はうなずいた。

 

「ついて来い」

 

兵士が固まった。

 

若い社員も固まった。

 

「ちょっと待ってください」

 

「何だ」

 

「今、二十三人ですよね」

 

「そうらしいな」

 

「十二人加わったら三十五人です」

 

元白軍将校は感心したように見た。

 

「計算できるじゃないか」

 

「そこじゃない!」

 

兵士が申し訳なさそうに言った。

 

「ご迷惑なら――」

 

「迷惑だ」

 

「えっ」

 

「だが放っておけばもっと面倒だ。来い」

 

若い社員が頭を抱えた。

 

「判断が雑すぎる……」

 

元白軍将校は新しく来た一団を指した。

 

「馬を扱える人間が増えた。料理できる人間も増えた。兵も増えた」

 

「口も増えました」

 

「手も増えた」

 

「そういう計算なんですか」

 

「そういう計算だ」

 

その時、足を引きずっていた男が道端へ座り込んだ。

 

包帯に血が滲んでいる。

 

元白軍将校がしゃがむ。

 

「いつからだ」

 

「昨日です」

 

「銃創か」

 

「砲弾の破片です」

 

包帯を少しめくる。

 

傷は深くない。

 

だが汚れている。

 

元白軍将校は荷物を振り返った。

 

「消毒液は」

 

誰も答えない。

 

「ないか」

 

少し考えた。

 

そして自分の袋から小さな瓶を取り出した。

 

若い社員が嫌な顔をした。

 

「それ、何です」

 

「蒸留酒」

 

「どこから?」

 

「道中で拾った」

 

「拾った?」

 

「落ちていた」

 

「酒が道に?」

 

「荷車が壊れていた」

 

「つまり拾ったんですね」

 

「そう言った」

 

元白軍将校は傷口を見る。

 

「仕方ない。傷口に飲ませてやろう」

 

一瞬、誰も理解しなかった。

 

次の瞬間、

 

「傷口は飲みません!」

 

若い社員が叫んだ。

 

新しく加わった女性も瓶をひったくる。

 

「水で洗います!」

 

「酒の方が――」

 

「水です!」

 

「そうか」

 

元白軍将校はあっさり引いた。

 

若い社員が呆れた。

 

「そこは素直なんですね」

 

「詳しい人間がいるなら任せる」

 

「最初からそうしてください」

 

傷を洗い直し、布を替え、怪我人は空けていた猫車へ乗せた。

 

その横へ子供が一人、当然のように座った。

 

母親が慌てる。

 

「降りなさい」

 

元白軍将校が言う。

 

「軽いなら乗せとけ」

 

「でも邪魔に」

 

「怪我人の足に乗らなければいい」

 

子供は怪我人の横へ寄った。

 

怪我人が笑う。

 

「護衛だな」

 

「ぼく銃ないよ」

 

「十分だ」

 

こうして一行は三十五人になった。

 

犬を含めれば三十六だった。

 

誰も数え直さなかった。

 

---

 

再び歩き始めて一時間。

 

若い社員は気づいた。

 

「そっち、港じゃありません」

 

元白軍将校は歩き続ける。

 

「知っている」

 

「道を間違えたんじゃ」

 

「違う」

 

「じゃあ何で曲がったんです?」

 

「宿がある」

 

「宿?」

 

「この先だ」

 

「知ってるんですか」

 

「昔使った」

 

若い社員はしばらく黙った。

 

「いつ頃?」

 

「昔だ」

 

「便利な言葉ですね、それ」

 

「便利だから使っている」

 

道は次第に細くなった。

 

舗装も途切れ、轍が深くなる。

 

子供が疲れ始める。

 

猫車を交代で引く。

 

兵士も荷物を持つ。

 

途中、馬が一度足を止めた。

 

老人が撫でて落ち着かせた。

 

元白軍将校は何度も後ろを振り返った。

 

人数ではなく、列が切れていないかを見る。

 

誰かが遅れていれば速度を落とす。

 

止まるとは言わない。

 

速度が落ちるだけだった。

 

若い社員がそのことに気づいたのは、三度目だった。

 

「待つんですね」

 

「何をだ」

 

「遅れた人を」

 

「列が切れると面倒だ」

 

「そういう言い方しかできないんですか」

 

「何が」

 

「いえ、もういいです」

 

夕方近く、宿が見えた。

 

街道沿いの古い建物だった。

 

二階建て。

 

馬小屋。

 

納屋。

 

看板は傾いている。

 

窓も一部板で塞がれていた。

 

若い社員が見上げる。

 

「営業してるんですか、これ」

 

「知らん」

 

「知らないんですか!」

 

元白軍将校は扉を開けた。

 

鍵はかかっていなかった。

 

中は暗い。

 

誰もいない。

 

彼は勝手に入った。

 

若い社員が後ろから言う。

 

「いいんですか」

 

「昔からこうだ」

 

「その昔からって、便利すぎません?」

 

元白軍将校は食堂らしき部屋の椅子へ座った。

 

「待て」

 

「誰を」

 

「主人を」

 

「いるんですか」

 

「いれば出てくる」

 

「いなかったら?」

 

「寝る」

 

「勝手に?」

 

「屋根がある」

 

若い社員が何か言おうとした時、奥で物音がした。

 

扉が開く。

 

白髪の男が猟銃を持って立っていた。

 

全員が止まる。

 

白髪の男も止まる。

 

数秒。

 

やがて白髪の男の目が大きくなった。

 

「……隊長?」

 

元白軍将校は即答した。

 

「人違いだ」

 

白髪の男は眉を寄せた。

 

「いや」

 

「人違いだ」

 

「いやいやいやいや」

 

「老眼だ」

 

「そんな歳じゃない!」

 

若い社員がゆっくり元白軍将校を見る。

 

「知り合いですよね?」

 

「知らん」

 

宿の主人は猟銃を下ろした。

 

そして腹を抱えて笑い始めた。

 

「変わってない! 本当に変わってない!」

 

元白軍将校は不機嫌そうに言った。

 

「飯はあるか」

 

主人の笑いが止まった。

 

「再会して最初の言葉がそれですか」

 

「三十五人いる」

 

主人が瞬きをした。

 

「……何人?」

 

「三十五」

 

「何をしたんです?」

 

「歩いてきた」

 

「人数の話ですよ!」

 

元白軍将校は後ろを指した。

 

「途中で増えた」

 

主人が顔を覆った。

 

「またですか」

 

若い社員がすぐ反応した。

 

「また?」

 

元白軍将校が睨む。

 

「聞くな」

 

主人は楽しそうに言った。

 

「昔からなんですよ、この人」

 

「何がです?」

 

「撤退すると人数が増える」

 

「普通、減りません?」

 

「普通はね」

 

元白軍将校が言う。

 

「飯」

 

「はいはい。ありますよ。パンと芋と豆。スープなら増やせる」

 

「十分だ」

 

主人は一行を見回した。

 

「馬小屋と納屋を使ってください。毛布はそんなにありませんよ」

 

「持っている」

 

「酒は出しません」

 

元白軍将校が止まった。

 

「なぜだ」

 

「あなたがいるからです」

 

「失礼な」

 

「三十年前に地下の樽を一本空けた人が何を言ってるんです」

 

全員の視線が集まった。

 

元白軍将校は少しだけ目を逸らした。

 

「昔のことだ」

 

若い社員が吹き出した。

 

そこから笑いが広がった。

 

元白軍将校は不機嫌そうな顔のまま荷物を運び始めた。

 

---

 

夕食は騒がしかった。

 

三十五人分の食事など用意されていない。

 

スープには水が足された。

 

芋が追加された。

 

パンは薄く切られた。

 

それでも温かい。

 

子供たちは床に座り、老人は壁際へ。

 

兵士は銃を手の届くところに置く。

 

犬はいつの間にか台所の前にいた。

 

主人が鍋をかき混ぜながら昔話を始めた。

 

「この人はね、昔から宿を先に探すんですよ」

 

若い社員が聞く。

 

「宿を?」

 

「橋より先に」

 

元白軍将校が向こうから言う。

 

「橋も見ていた」

 

「でも宿も見る」

 

「兵は寝ないと動かん」

 

主人が笑う。

 

「これですよ」

 

若い社員は少し考えた。

 

「まともですね」

 

「宿がなければ勝手に作るけどね」

 

「どうやって?」

 

「農家、倉庫、教会、地主の屋敷」

 

元白軍将校が訂正する。

 

「借りた」

 

主人が振り返る。

 

「持ち主に聞いたのは?」

 

「後だ」

 

「それは借りたとは言いません」

 

食堂に笑いが起きた。

 

主人は続ける。

 

「馬車も借りた」

 

「必要だった」

 

「馬も」

 

「返した」

 

「一頭返ってきませんでした」

 

「死んだから仕方ない」

 

「うちの馬じゃないですけどね」

 

「なら問題ない」

 

「問題ありますよ」

 

笑い声がさらに大きくなる。

 

若い社員はパンをかじりながら元白軍将校を見た。

 

この男がどんな人間だったのか、WILKに入ってからも詳しく聞いたことはない。

 

元白軍将校。

 

それだけだった。

 

白軍の将校だった。

 

ロシアから来た。

 

それ以上は、本人が話さない。

 

聞いても、

 

「昔のことだ」

 

で終わる。

 

宿の主人は昔の部下らしい。

 

なら何か知っている。

 

若い社員が聞こうと口を開いた。

 

その瞬間、元白軍将校がこちらを見た。

 

「聞くな」

 

「まだ何も言ってません」

 

「顔に出ている」

 

「そういうところだけ鋭いな……」

 

主人がまた笑った。

 

「昔はもっと怖かったですよ」

 

「今より?」

 

「今より」

 

若い社員は真顔になった。

 

「それ、人間だったんですか」

 

元白軍将校がパンを投げた。

 

若い社員は避けた。

 

パンは犬が取った。

 

主人が腹を抱えて笑った。

 

「変わってないなあ!」

 

「飯を食え」

 

「はいはい、隊長」

 

「人違いだ」

 

---

 

食後。

 

主人が古い地図を持ってきた。

 

机へ広げる。

 

「港へ行くんでしょう」

 

「そのつもりだ」

 

「南西の街道は人で詰まってます。軍も民間も。途中の橋も危ない」

 

「北は」

 

「検問が増えたという話です」

 

「鉄道」

 

「期待しない方がいい」

 

「東」

 

主人の顔から笑いが消えた。

 

「勧めません」

 

「分かっている」

 

元白軍将校は地図を見る。

 

指が街道をなぞる。

 

最短経路。

 

それを外れる。

 

村道。

 

古い荷馬車道。

 

林道。

 

鉄道沿いの保守路。

 

主人が言った。

 

「遠回りですよ」

 

「知っている」

 

「港へ間に合わないかもしれない」

 

「そうだな」

 

若い社員が横から言う。

 

「そうだな、じゃないでしょう」

 

元白軍将校は地図から目を離さない。

 

「街道を行けば早い」

 

「なら――」

 

「止められなければな」

 

若い社員は黙った。

 

主人が指を置く。

 

「ここに別の宿があります」

 

元白軍将校が見る。

 

「まだあるのか」

 

「あります」

 

「主人は」

 

「代替わりした」

 

「知っている者か」

 

「あなたなら多分」

 

「どういう意味だ」

 

主人が笑う。

 

「行けば分かります」

 

その時だった。

 

裏手から馬の音が聞こえた。

 

食堂の空気が変わる。

 

兵士たちが立つ。

 

銃へ手を伸ばす。

 

犬まで顔を上げた。

 

馬は一頭ではない。

 

複数。

 

ゆっくり近づいてくる。

 

主人が窓から外を見る。

 

「街道側じゃない」

 

元白軍将校も立つ。

 

裏口が叩かれた。

 

三回。

 

少し置いて二回。

 

主人の顔が変わった。

 

「……懐かしい叩き方だ」

 

元白軍将校も眉を寄せた。

 

若い社員が聞く。

 

「何です?」

 

「昔のだ」

 

「また昔ですか」

 

主人が裏口へ向かう。

 

銃を持った兵士が左右に立つ。

 

扉を少し開ける。

 

外に立っていたのは、泥まみれの軍服姿の男だった。

 

軍服を見た瞬間、ポーランド兵が緊張する。

 

赤軍だった。

 

男は武器を下げていた。

 

疲れ切っている。

 

主人が何か言う前に、その男は食堂の奥を見た。

 

元白軍将校と目が合う。

 

男の動きが完全に止まった。

 

元白軍将校も止まった。

 

数秒。

 

赤軍兵の男が口を開く。

 

「……閣下?」

 

食堂にいる全員が元白軍将校を見る。

 

元白軍将校は目を閉じた。

 

深くため息をつく。

 

「人違いだ」

 

男はしばらく黙っていた。

 

やがて、疲れた顔で笑った。

 

「二十年前も同じことを言いましたよ」

 

若い社員が天井を仰ぐ。

 

「またですか」

 

「うるさい」

 

元白軍将校は男を見る。

 

「何をしている」

 

「逃げています」

 

「見れば分かる」

 

「ええ。昔からそれですね」

 

「何人だ」

 

赤軍兵は少し言いにくそうに後ろを見る。

 

暗闇の向こう。

 

人影があった。

 

一人。

 

二人。

 

五人。

 

十人。

 

その後ろにもいる。

 

荷車もある。

 

子供の声もする。

 

元白軍将校の顔が険しくなる。

 

「何人だ」

 

「三十七人です」

 

若い社員が反射的に計算した。

 

「七十二……」

 

「何だ」

 

「いや……」

 

元白軍将校は外を見る。

 

赤軍兵。

 

その後ろの人々。

 

そして宿。

 

宿の主人は先回りした。

 

「納屋、もういっぱいですよ」

 

「詰めろ」

 

「馬小屋もです」

 

「馬を外へ」

 

「雨降りますよ」

 

「屋根を張れ」

 

若い社員が叫ぶ。

 

「入れるんですか!」

 

元白軍将校は当然のように答えた。

 

「外に置くのか」

 

「いや、そうじゃなくて!」

 

赤軍兵が笑った。

 

「変わってませんね、閣下」

 

「人違いだ」

 

「はいはい」

 

「返事が軽い」

 

「二十年経ちましたので」

 

元白軍将校は地図を畳んだ。

 

「入れろ。武器はまとめて確認する。怪我人を先に。子供と老人は中だ」

 

赤軍兵が振り返った。

 

「聞こえたか! 入れ!」

 

外で人が動き始める。

 

若い社員が呆然と見ていた。

 

朝。

 

二十三人。

 

昼。

 

三十五人。

 

夜。

 

七十二人。

 

犬を含めれば七十三。

 

元白軍将校はその横で主人に聞いた。

 

「パンは」

 

主人が睨む。

 

「ありませんよ、七十二人分なんて」

 

「芋は」

 

「少し」

 

「豆」

 

「あります」

 

「なら煮ろ」

 

「あなたも手伝ってください」

 

「分かった」

 

元白軍将校は袖をまくった。

 

若い社員はその姿を見ながらつぶやいた。

 

「港……」

 

元白軍将校が振り返る。

 

「何だ」

 

「港へ行くんですよね?」

 

「そのつもりだ」

 

「いつ?」

 

元白軍将校は少し考えた。

 

「明日」

 

宿の主人と赤軍兵が同時に笑った。

 

若い社員は嫌な予感がした。

 

たぶん。

 

明日も誰か増える。

 

そして後年。

 

この一行について残された記録の多くは、正確な人数を記していない。

 

記録するたびに人数が違ったからである。

 

 

 

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