WILK ―忘れずの故郷―   作:ヒツジ(ラム肉

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『一九三九年九月二十二日・北西方面移動群に関する後年証言』

一行は前夜の時点で七十人を超えていた。

翌朝、出発準備を始めた時点では、さらに増えていた。

正確な人数については証言が一致しない。

理由は単純である。

誰も、増えることを止めなかった。



第195話 あと三人乗れる

 

朝。

 

宿の主人は、鍋の底を見て絶望していた。

 

「ない」

 

元白軍将校が芋を持ってきた。

 

「ある」

 

「これで七十人以上食わせろって言うんですか」

 

「八十人はいない」

 

「昨日七十二人でしたよ!」

 

「そうだったか」

 

「覚えてないんですか!」

 

元白軍将校は窓の外を見る。

 

庭では人が動いていた。

 

兵士。

 

WILK社員。

 

老人。

 

女性。

 

子供。

 

馬。

 

犬。

 

そして昨夜はいなかった荷車が一台。

 

宿の主人もそれに気づいた。

 

「……あれ、何です?」

 

「荷車だ」

 

「それは見れば分かります!」

 

若い社員が外から入ってきた。

 

「増えました」

 

宿の主人が頭を抱える。

 

「何が」

 

「人が」

 

「何人」

 

「四人」

 

「なんで!」

 

若い社員も困った顔をした。

 

「朝起きたらいました」

 

「野良猫じゃないんですよ!」

 

元白軍将校が聞く。

 

「何ができる」

 

「え?」

 

「増えた四人」

 

「一人は御者。二人は親子。もう一人は……靴屋だそうです」

 

元白軍将校はうなずいた。

 

「使える」

 

宿の主人が振り返った。

 

「何に!?」

 

「靴が壊れたら直せる」

 

「そりゃそうでしょうけど!」

 

若い社員が紙を持ってきた。

 

「それで、昨日の人たちも含めて、できることを聞いて回りました」

 

「読め」

 

若い社員は紙を見る。

 

「運転できる者、七人」

 

「多いな」

 

「馬を扱える者、十一人」

 

「悪くない」

 

「料理ができる者、十八人」

 

「かなりいい」

 

「怪我人の手当てを少しできる者、六人」

 

「まとめろ」

 

「機械修理、五人」

 

「工具を渡せ」

 

「無線、二人」

 

「重要だ」

 

「教師、一人」

 

元白軍将校が止まった。

 

「教師?」

 

「はい」

 

「何を教える」

 

「学校ですから、普通に」

 

「使える」

 

若い社員が首をかしげる。

 

「今?」

 

「子供が何人いる」

 

「八人です」

 

「なら使える」

 

宿の主人が鍋をかき混ぜながら言う。

 

「避難中に学校でも始める気ですか」

 

「暇なら字を書かせろ」

 

「暇じゃないでしょう」

 

「子供は暇だ」

 

外から子供の声がした。

 

何かを追いかけて走っている。

 

若い社員が窓を見る。

 

「確かに元気ですね」

 

「だから使え」

 

「教師を道中で?」

 

「教師がいるなら教師をやらせろ」

 

若い社員は紙の余白に書き足した。

 

「では、教師一名、子供担当」

 

「そうしろ」

 

「大工、二人」

 

「荷車と宿営」

 

「仕立屋、一人」

 

「衣服」

 

「理髪師、一人」

 

元白軍将校が少し考えた。

 

「……使える」

 

宿の主人が吹き出した。

 

「何に?」

 

「髪が伸びる」

 

「逃避行中ですよ!」

 

「だから伸びないとでも?」

 

若い社員が笑いをこらえながら続ける。

 

「銀行員、一人」

 

「数字をやらせろ」

 

「元役人、二人」

 

「書類」

 

「学生、三人」

 

「走らせろ」

 

「何をです」

 

「何でもだ」

 

「雑になってきましたね」

 

「若いから走れる」

 

「それだけですか」

 

「十分だ」

 

若い社員は紙を見直した。

 

「それと、昨夜来た赤軍の人たちなんですが」

 

元白軍将校が鍋からパンを一切れ取る。

 

「何だ」

 

「元部下だと言ってた人、あの人、軍曹だったそうです」

 

「そうか」

 

「本当に部下だったんですね」

 

「昔のことだ」

 

宿の主人がすぐ口を挟む。

 

「また出た」

 

「何がだ」

 

「便利な言葉」

 

元白軍将校はパンを食べた。

 

「便利だから使う」

 

---

 

庭では、昨夜の赤軍兵が部下たちを並べていた。

 

ただし、赤軍部隊と呼ぶには少し妙だった。

 

軍服姿は半分。

 

残りは民間人。

 

老人。

 

女性。

 

少年。

 

荷物。

 

それに鶏が三羽。

 

若い社員が鶏を見る。

 

「鶏?」

 

赤軍兵が答えた。

 

「食料です」

 

「歩く食料?」

 

「本人たちはそう思ってないでしょうが」

 

鶏が鳴いた。

 

元白軍将校が近づく。

 

赤軍兵が笑う。

 

「おはようございます、閣下」

 

「人違いだ」

 

「朝からそれですか」

 

「何ができる」

 

「私ですか?」

 

「全員だ」

 

赤軍兵は少し考えた。

 

「軍人は十六。うち歩兵が十一、通信二、補給二、衛生一」

 

元白軍将校が反応する。

 

「補給二」

 

「はい」

 

「こっちへ寄越せ」

 

「軍曹より先に補給を見るんですね」

 

「兵は腹が減る」

 

「昔からですね」

 

「昔のことだ」

 

若い社員が横で笑った。

 

赤軍兵は続ける。

 

「民間人では、御者、鍛冶屋、農夫、裁縫ができる者。あと、酒造りをしていた男が一人」

 

元白軍将校が止まる。

 

「酒?」

 

若い社員が先に言った。

 

「駄目です」

 

「何が」

 

「今、目が変わりました」

 

「変わっていない」

 

赤軍兵が笑う。

 

「蒸留もできますよ」

 

元白軍将校が聞く。

 

「設備は」

 

「ありません」

 

「使えん」

 

若い社員が呆れる。

 

「判断基準そこなんですか」

 

赤軍兵がさらに続けた。

 

「それと、一人、地図が読めます」

 

元白軍将校の顔が戻る。

 

「それを先に言え」

 

「酒に反応したのはそちらでしょう」

 

「昔から酒好きだったんですか」

 

若い社員が聞く。

 

赤軍兵は少し考えた。

 

「好きでしたね」

 

元白軍将校が睨む。

 

「余計なことを言うな」

 

「昔のことです」

 

宿の主人が吹き出した。

 

若い社員も笑った。

 

元白軍将校だけ笑わなかった。

 

---

 

朝食後。

 

移動準備が始まった。

 

問題は、移動手段だった。

 

荷車三台。

 

W式猫車四台。

 

馬二頭。

 

自転車五台。

 

動くトラック、一台。

 

そして人間、七十数名。

 

若い社員がトラックを見た。

 

「全員は無理ですよ」

 

「知っている」

 

「誰を乗せます」

 

「歩けない者」

 

「老人は?」

 

「歩ける者は歩く」

 

「子供」

 

「小さい者から」

 

「怪我人」

 

「当然」

 

「荷物」

 

「減らせ」

 

「またですか」

 

元白軍将校は荷台を見た。

 

すでに怪我人二人と老人三人が乗っている。

 

子供も二人。

 

毛布。

 

薬。

 

工具。

 

パン。

 

そして例の壁掛け時計。

 

若い社員が時計を見る。

 

「これ、本当に持っていくんです?」

 

持ち主の老人が後ろから睨む。

 

「聞こえとるぞ」

 

「いや、もう何も言いません」

 

元白軍将校は荷台の空間を見る。

 

「あと三人乗れる」

 

若い社員が眉を寄せる。

 

「乗れません」

 

「乗れる」

 

「どこに」

 

「詰めれば」

 

「荷物じゃないんですよ」

 

「人間は自分で姿勢を変えられる。荷物より積みやすい」

 

「絶対どこかで怒られますよ、その発言」

 

そこへ宿の主人が来た。

 

「一人増えましたよ」

 

若い社員が目を閉じた。

 

「また?」

 

「裏の納屋にいた」

 

「いつから」

 

「夜中から」

 

元白軍将校が聞く。

 

「何ができる」

 

宿の主人が笑う。

 

「そこからですか」

 

「他に何を聞く」

 

「名前とか」

 

「後でいい」

 

連れてこられた男は、中年で、背広を着ていた。

 

泥まみれではあったが、生地が良い。

 

靴も高そうだった。

 

明らかに今までの同行者とは少し雰囲気が違う。

 

男は元白軍将校を見る。

 

そして首をかしげた。

 

「……ん?」

 

元白軍将校も見る。

 

「何だ」

 

男はさらに顔を近づけた。

 

「あなた、前に会ったことありませんか」

 

「知らんな」

 

「いや、ある」

 

「ない」

 

「絶対ある」

 

若い社員がもう笑いそうになっている。

 

宿の主人は完全に面白がっていた。

 

男は腕を組んだ。

 

「どこだったかな……」

 

元白軍将校が言う。

 

「出発するぞ」

 

「待ってくれ。顔に覚えがあるんだ」

 

「よくある顔だ」

 

「全然よくない」

 

男は考え込む。

 

一行の何人かまで足を止めた。

 

元白軍将校が嫌そうな顔をする。

 

「行くぞ」

 

その瞬間。

 

男が指を鳴らした。

 

「舞踏会だ!」

 

元白軍将校の動きが止まった。

 

若い社員も止まった。

 

宿の主人まで止まった。

 

男は嬉しそうに言う。

 

「そうだ! 三十年ほど前だ! 舞踏会で会った!」

 

若い社員が元白軍将校を見る。

 

「舞踏会?」

 

元白軍将校は目を逸らした。

 

「昔のことだ」

 

「行ったんですか、舞踏会」

 

「昔はそういうこともあった」

 

「どんな舞踏会です」

 

「昔のだ」

 

「説明になってません」

 

男はさらに思い出してきた。

 

「大きな会場だった。軍人もいた。外交官も。確か冬で――」

 

元白軍将校が荷車を押し始める。

 

「行くぞ」

 

男が追いかける。

 

「待て待て。あの時、君、軍服だっただろう」

 

「軍人だった」

 

「いや、普通の将校の場所じゃなかったぞ」

 

元白軍将校は歩調を速めた。

 

若い社員も並ぶ。

 

「普通じゃない場所?」

 

「聞くな」

 

「聞きますよ」

 

「歩け」

 

男が後ろから叫ぶ。

 

「皇族もいたぞ!」

 

一行の何人かが振り返った。

 

元白軍将校は振り返らない。

 

「昔のことだ!」

 

宿の主人が腹を抱えて笑っている。

 

赤軍兵も笑った。

 

「閣下、昔から隠し事が下手でしたね」

 

「黙れ」

 

「何であなたが皇族のいる舞踏会にいたんです?」

 

若い社員が聞く。

 

「昔のことだ」

 

「何回使うんです、その言葉」

 

「必要なだけだ」

 

金持ちらしい男はまだ納得しない。

 

「そうだ、確か誰かに紹介されたんだ。誰だったかな……」

 

元白軍将校が急に立ち止まった。

 

男も止まる。

 

元白軍将校は振り返った。

 

「お前は何ができる」

 

男が目を瞬く。

 

「私?」

 

「そうだ」

 

「今それを聞くのか」

 

「同行するなら聞く」

 

男は少し胸を張った。

 

「会社を三つ持っている」

 

元白軍将校は即答した。

 

「今は役に立たん」

 

「失礼だな!」

 

「運転は」

 

「できる」

 

「馬は」

 

「乗れる」

 

「料理」

 

「できない」

 

「地図」

 

「読める」

 

「金は」

 

「少しある」

 

元白軍将校がうなずく。

 

「使える」

 

男が眉を寄せる。

 

「今の評価基準、会社三つより運転と地図の方が上だったな?」

 

「当然だ」

 

「戦争とは恐ろしいな」

 

若い社員が笑った。

 

元白軍将校はトラックを見る。

 

「あと三人乗れる」

 

若い社員がすぐ否定する。

 

「乗れません」

 

「こいつ一人なら乗れる」

 

「金持ちだからですか」

 

「地図が読めるからだ」

 

男が言う。

 

「私はまだ同行すると言ってないんだが」

 

元白軍将校は男を見る。

 

「ではどこへ行く」

 

男は周囲を見る。

 

道。

 

逃げる人々。

 

遠くの煙。

 

そしてトラック。

 

「……乗せてくれ」

 

「あと二人」

 

若い社員が頭を抱えた。

 

---

 

ようやく出発した。

 

宿の主人が見送る。

 

「次の宿までは半日ですよ!」

 

元白軍将校が手を上げる。

 

「道は?」

 

「途中で二股! 左です!」

 

「分かった」

 

「右に行くと川です!」

 

「分かった」

 

「人を拾いすぎないでくださいよ!」

 

元白軍将校は返事をしなかった。

 

若い社員が隣を歩きながら言う。

 

「返事してください」

 

「聞こえている」

 

「拾わないんですか」

 

「必要なら拾う」

 

「もう答え出てるじゃないですか」

 

列はゆっくり進んだ。

 

先頭に兵士。

 

中央に子供と老人。

 

後ろに荷車。

 

猫車。

 

馬。

 

自転車。

 

最後尾にも兵士。

 

元白軍将校は中央と前を行き来する。

 

赤軍兵だった元部下が隣に来た。

 

「昔を思い出しますな」

 

「思い出すな」

 

「人数が増えるところまで同じです」

 

「今回は違う」

 

「何がです?」

 

元白軍将校は少し考えた。

 

「今回は会社員が多い」

 

元部下は笑った。

 

「それだけですか」

 

「十分違う」

 

前方から自転車の学生が戻ってきた。

 

「前に人がいます!」

 

若い社員が反射的に聞く。

 

「何人?」

 

学生は息を整える。

 

「六人!」

 

若い社員は空を見る。

 

「ほら来た」

 

元白軍将校が聞く。

 

「怪我人は」

 

「一人!」

 

「荷車は」

 

「あります!」

 

「馬は」

 

「いません!」

 

「何ができる」

 

学生が困る。

 

「そこまでは聞いてません!」

 

元白軍将校は歩き出した。

 

「聞いてこい」

 

若い社員が止める。

 

「いやもう会いに行くんですよね?」

 

「その方が早い」

 

金持ちの男がトラックの荷台から顔を出した。

 

「なあ」

 

「何だ」

 

「本当に昔からこうなのか?」

 

赤軍兵が答えた。

 

「はい」

 

宿の主人はもういない。

 

だが、その場にいた全員がなぜか同じことを思った。

 

たぶん。

 

この男は港へ着くまでに、もっと増やす。

 

一行は街道の先へ進んだ。

 

七十数人から始まったその日の人数は、まだ午前中の時点で確定していなかった。

 

そして元白軍将校は、人数を数えるより先に、前方の六人が何をできるのかを気にしていた。

 

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