WILK ―忘れずの故郷―   作:ヒツジ(ラム肉

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『一九三九年九月二十二日・移動群内聞き取り記録より再構成』

赤軍所属者三十七名。

うち軍人十六名。

民間人二十一名。

後年、彼らは一括して「赤軍離脱者」と記録された。

しかし、最初から離脱を決意していた者はいなかった。

最初にあったのは、通信の混乱だった。

次に、二つの命令が来た。

その次に、一人が戻れなくなった。

そこで一行は道を一本変えた。

それだけだった。


第196話 兵隊だけでは逃げられない

 

 

街道は朝からぬかるんでいた。

 

雨そのものは止んでいたが、車輪の跡には水が溜まり、馬車が通るたびに泥が跳ねた。

 

一行は相変わらず長かった。

 

先頭に自転車。

 

その後ろに兵士。

 

荷車。

 

歩く民間人。

 

子供。

 

老人。

 

W式猫車。

 

トラック。

 

また兵士。

 

誰が正式に決めたわけでもない。

 

元白軍将校が、

 

「前と後ろに銃を置け」

 

と言っただけで、だいたいその形になった。

 

若いWILK社員は列の横を歩きながら、昨日から気になっていたことをようやく聞いた。

 

「ところで」

 

隣を歩いていた赤軍兵が見る。

 

「はい」

 

「なんであなたたち、こっちにいるんです?」

 

赤軍兵は少し考えた。

 

「広い質問ですね」

 

「昨日は人数しか聞けなかったので」

 

少し前を歩く元白軍将校が振り返った。

 

「歩きながら聞け」

 

「聞いてますよ」

 

「止まるな」

 

「止まってません!」

 

赤軍兵が笑った。

 

「昔からああです」

 

「昨日からそればっかり聞きます」

 

「では昔からです」

 

元白軍将校が前から言う。

 

「余計なことを言うな」

 

「聞こえてるんですか」

 

「声がでかい」

 

若い社員は赤軍兵へ向き直った。

 

「それで?」

 

赤軍兵は前を見た。

 

「我々は、もともと三十七人ではありませんでした」

 

若い社員が嫌な顔をした。

 

「まさか」

 

「二十三人でした」

 

「あなたも増やしたんですか?」

 

「増えました」

 

「似た者同士じゃないですか!」

 

前方の元白軍将校が振り返った。

 

「一緒にするな」

 

赤軍兵も同時に言った。

 

「一緒にしないでください」

 

二人の声が重なった。

 

若い社員は数秒黙った。

 

「……やっぱり似てる」

 

---

 

赤軍兵は歩きながら話し始めた。

 

「我々の元いた部隊は、進撃する部隊の少し後ろを動いていました。通信、補給、輸送、それに少数の歩兵です」

 

「後方部隊?」

 

「後方というほど後ろでもありません。前が動けば追いかける。止まれば物を持っていく。その程度です」

 

「忙しそうですね」

 

「忙しかったですよ」

 

九月十七日以降、部隊は国境を越えた。

 

最初の数日は、とにかく前へ進んだ。

 

道路には赤軍車両だけではなく、ポーランド軍、避難民、放棄された荷車、壊れた自動車が混じった。

 

橋は詰まり、無線は途切れた。

 

伝令が戻らないこともあった。

 

それでも彼らは、まだ部隊の一部だった。

 

問題が起きたのは三日目だった。

 

「最初の命令は、東へ戻れ、でした」

 

若い社員が聞く。

 

「撤退?」

 

「いいえ。再編成です。燃料車と通信車をまとめて、指定された村へ戻れと」

 

「普通ですね」

 

「ええ」

 

赤軍兵はうなずいた。

 

「その一時間後、別の伝令が来ました」

 

「何て?」

 

「現在地を維持し、負傷兵と民間人を後送しろ」

 

若い社員が顔をしかめる。

 

「逆じゃないですか」

 

「そうなんです」

 

「どっちが新しい命令?」

 

「分からない」

 

「時間は?」

 

「二枚とも同じ日付。時刻なし」

 

「署名は?」

 

「違う上官」

 

「嫌だなあ」

 

「非常に嫌でした」

 

元白軍将校が前から口を挟んだ。

 

「よくある」

 

若い社員が見る。

 

「よくあるんですか?」

 

「戦争ではな」

 

赤軍兵も言う。

 

「そこだけは同意します」

 

「昔も――」

 

「言うな」

 

元白軍将校に遮られ、赤軍兵は笑った。

 

---

 

彼らは結局、負傷兵を置いていけなかった。

 

通信車一台。

 

荷車二台。

 

馬。

 

歩兵十数名。

 

衛生兵。

 

そこへ負傷兵を乗せた。

 

近くにいた民間人も、同じ方向に後送されるものだと思ってついてきた。

 

「何人?」

 

「最初は七人です」

 

「もう増えてる」

 

「まだ序盤ですよ」

 

「嫌な言い方するなあ」

 

彼らは指定された村へ向かった。

 

しかし村には、部隊本部がなかった。

 

撤収した後だった。

 

代わりに、壊れた電話線と、燃やされた書類と、置き去りの炊事釜があった。

 

若い社員が聞く。

 

「次は?」

 

「別の部隊に合流しようとしました」

 

「真面目ですね」

 

「我々は兵隊ですから」

 

赤軍兵は当たり前のように言った。

 

「この時点では、誰も逃げるつもりなんてありません」

 

---

 

次の問題は、その日の夕方に起きた。

 

別の赤軍部隊の検問だった。

 

そこで名簿を確認された。

 

所属。

 

階級。

 

出生地。

 

過去の軍歴。

 

家族。

 

若い社員が赤軍兵を見る。

 

「過去の軍歴?」

 

「ええ」

 

赤軍兵は少し笑った。

 

「そこで私が引っかかりました」

 

「何で?」

 

赤軍兵は元白軍将校の背中を見る。

 

「昔、白軍にいました」

 

若い社員が一瞬黙った。

 

「……本当に?」

 

「昨日から言ってるでしょう」

 

「いや、あの人が認めないので」

 

「本人は一生認めないでしょうね」

 

前から声がする。

 

「聞こえているぞ」

 

赤軍兵は構わず続けた。

 

「白軍崩壊後、私は赤軍に入りました。そういう人間は別に私だけではありません」

 

「それで今まで二十年?」

 

「生きるためには仕事が必要ですから」

 

「問題なかったんです?」

 

赤軍兵は肩をすくめた。

 

「問題がなかった時期もありました」

 

その言い方だけで、若い社員はそれ以上深く聞かなかった。

 

「検問で、私ともう一人が別に呼ばれました」

 

「逮捕?」

 

「まだです」

 

「まだ?」

 

「所属部隊へ戻らず、政治部へ出頭しろと言われました」

 

若い社員の表情が変わる。

 

「それって」

 

「さあ」

 

赤軍兵は軽く答えた。

 

「本当に書類確認だけだったかもしれない」

 

「信じてないですね」

 

「二十年生きてきましたから」

 

少し前で元白軍将校が鼻を鳴らした。

 

赤軍兵が笑う。

 

「この人なら、たぶん同じ判断をします」

 

元白軍将校は振り向かなかった。

 

「俺を巻き込むな」

 

---

 

そこで赤軍兵は、初めて命令に従わなかった。

 

ただし、大それたことをしたわけではない。

 

検問所の担当者へ、

 

「負傷兵を引き渡してから戻る」

 

と言った。

 

担当者は、それを許した。

 

負傷兵を運ぶ。

 

民間人を移す。

 

馬車を直す。

 

日が暮れる。

 

その間に、その検問所も移動命令を受けた。

 

「つまり?」

 

若い社員が聞く。

 

「戻ったら誰もいませんでした」

 

「運がいいのか悪いのか分からない」

 

「私もです」

 

そこで赤軍兵たちは相談した。

 

元の部隊を探すか。

 

政治部を探すか。

 

負傷兵を置く場所を探すか。

 

民間人をどこかへ送るか。

 

その全てを同時にはできない。

 

補給担当の兵士が言った。

 

食料が二日分しかない。

 

衛生兵が言った。

 

負傷者をこれ以上荷車で揺らすのはまずい。

 

通信兵が言った。

 

無線は故障している。

 

御者が言った。

 

馬が疲れている。

 

そこで一人が聞いた。

 

「じゃあ、どこへ行く」

 

誰も答えられなかった。

 

赤軍兵は苦笑した。

 

「これが、我々が部隊を離れた瞬間だったのかもしれません」

 

若い社員が首をかしげる。

 

「何か決めたんです?」

 

「いいえ」

 

「じゃあ?」

 

「誰も正しい方向を知らなかったので、とりあえず怪我人を休ませられる場所へ向かった」

 

「それだけ?」

 

「それだけです」

 

---

 

道の途中で、さらに人が増えた。

 

衛生兵が知っていた農家で一晩泊まった。

 

その家には老人が二人いた。

 

息子は戦争に出て戻っていなかった。

 

翌朝、老人の一人が荷車に座っていた。

 

「一緒に来るそうです」

 

「誰が決めた?」

 

「本人です」

 

別の村で鍛冶屋に車輪を直してもらった。

 

砲声が近づいた。

 

鍛冶屋が妹夫婦を連れてきた。

 

「町へ行くなら一緒に」

 

と言った。

 

「断らなかったんですね」

 

若い社員が聞く。

 

「断れると思います?」

 

「……難しいですね」

 

「でしょう」

 

その次に、親とはぐれた子供が加わった。

 

さらに酒造りをしていた男。

 

それで三十七人になった。

 

若い社員が数えるのを諦めた。

 

「あなたたち、本当に似てますよ」

 

赤軍兵が顔をしかめる。

 

「誰とです?」

 

若い社員が前を見る。

 

元白軍将校が、馬車の車輪を確認している。

 

赤軍兵も見る。

 

二人とも黙った。

 

「……否定しづらいですね」

 

---

 

「でも」

 

若い社員は聞いた。

 

「その時点なら、まだ赤軍へ戻れたんじゃないですか」

 

赤軍兵はしばらく答えなかった。

 

「戻る道はありました」

 

「ならなぜ?」

 

「翌日、元の部隊から来た兵に会いました」

 

「何て?」

 

赤軍兵は少しだけ笑みを消した。

 

「私を探している、と」

 

「政治部が?」

 

「ええ」

 

「もう一人の人も?」

 

「その男は、その時すでにいませんでした」

 

若い社員は黙った。

 

「どこへ?」

 

「知りません」

 

それ以上、赤軍兵も言わなかった。

 

しばらく泥を踏む音だけが続いた。

 

やがて赤軍兵が言う。

 

「そこで決めました」

 

「逃げるって?」

 

「違います」

 

若い社員が見る。

 

「まず、この人たちを安全なところまで連れていく」

 

赤軍兵は後ろを見た。

 

民間人。

 

怪我人。

 

老人。

 

子供。

 

兵士。

 

「その後のことは、その後考える」

 

若い社員が少し笑った。

 

「雑ですね」

 

「戦争中ですから」

 

「誰かに似てるなあ」

 

前方から元白軍将校の声が飛んできた。

 

「聞こえているぞ」

 

---

 

昼前。

 

馬車がぬかるみに取られた。

 

列が止まる。

 

元白軍将校が言う。

 

「押せる者」

 

赤軍兵。

 

ポーランド兵。

 

農夫。

 

WILK社員。

 

誰がどの軍かなど関係なく集まる。

 

一度。

 

動かない。

 

二度。

 

車輪が回る。

 

三度目で泥から抜けた。

 

赤軍兵は泥だらけの手を見ながら言った。

 

「こういうことですよ」

 

若い社員が聞く。

 

「何が?」

 

「兵隊だけでは逃げられない」

 

彼は荷車を見る。

 

「兵隊は撃てる。歩ける。命令も聞ける」

 

鍛冶屋が車輪を見る。

 

衛生兵が怪我人を見る。

 

御者が馬を見る。

 

女性たちが子供へ水を配る。

 

「でも車輪が壊れたら鍛冶屋がいる。怪我をしたら衛生兵がいる。腹が減れば料理できる者がいる。子供が泣けば、兵隊より母親の方が役に立つ」

 

若い社員がうなずいた。

 

赤軍兵は笑う。

 

「だから結局、みんな連れてきた」

 

元白軍将校が言う。

 

「正しい」

 

若い社員が驚く。

 

「褒めるんですね」

 

「捨ててきたら馬鹿だろ」

 

赤軍兵が元白軍将校を見る。

 

「昔も同じでしたね」

 

「昔のことだ」

 

「そこは変わらないんですね」

 

「必要なことは変える必要がない」

 

それだけ言って、元白軍将校は先へ歩いた。

 

---

 

休憩の時。

 

若い社員はまた聞いた。

 

「じゃあ、昨日の宿へ来た理由は?」

 

赤軍兵がパンをちぎる。

 

「道が分からなくなったからです」

 

「そんな理由?」

 

「重要ですよ」

 

「例の叩き方は?」

 

「知っていました」

 

三回。

 

間を置いて二回。

 

昨夜、宿の裏口で使った合図。

 

「白軍の合図?」

 

赤軍兵は首を横に振る。

 

「白軍だけじゃない。昔、あの辺りで情報を運ぶ連中が使っていた」

 

「あなたも?」

 

「使いました」

 

「元白軍将校も?」

 

赤軍兵が前を見る。

 

元白軍将校は離れたところで地図を見ている。

 

「たぶん、あの人の方が詳しいですよ」

 

若い社員の目が輝く。

 

「諜報員だったんですか?」

 

「さあ」

 

「知ってるでしょ」

 

「昔のことです」

 

「またそれ!」

 

赤軍兵が笑った。

 

「便利ですね、これ」

 

元白軍将校が遠くから叫ぶ。

 

「勝手に使うな!」

 

---

 

休憩を終える。

 

列がまた動き始めた。

 

しばらくすると、赤軍兵が元白軍将校の横へ並んだ。

 

「閣下」

 

「人違いだ」

 

「今後、我々をどうするつもりです」

 

元白軍将校は歩きながら答える。

 

「知らん」

 

「知らない?」

 

「まず国外へ出る」

 

「その後は」

 

「その後考えろ」

 

赤軍兵は笑った。

 

「私と同じじゃないですか」

 

元白軍将校は少し黙った。

 

「違う」

 

「何が?」

 

「俺には行く先がある」

 

「どこです」

 

「英国」

 

赤軍兵は少し驚いた。

 

「遠いですね」

 

「だから歩いている」

 

「港は反対じゃありませんでした?」

 

若い社員が後ろから叫ぶ。

 

「それ昨日から私も言ってます!」

 

元白軍将校は無視した。

 

その時、前を走っていた学生が戻ってきた。

 

「前に壊れた馬車!」

 

元白軍将校が聞く。

 

「人は」

 

「三人!」

 

「怪我人」

 

「一人!」

 

「馬は」

 

「いません!」

 

「何ができる」

 

学生が息を切らしながら答える。

 

「一人、パン職人だそうです!」

 

元白軍将校の歩調が明らかに速くなった。

 

若い社員が叫ぶ。

 

「ほら! 絶対拾う!」

 

赤軍兵も笑った。

 

「閣下、昔から食料担当は大事にしましたね」

 

「昔のことだ」

 

「今もでしょう」

 

元白軍将校は振り返らずに答えた。

 

「今はもっと大事だ」

 

そして一行は、パン職人のいる壊れた馬車へ向かった。

 

赤軍だった者。

 

白軍だった者。

 

ポーランド軍だった者。

 

会社員。

 

鍛冶屋。

 

教師。

 

子供。

 

老人。

 

誰がどこから来たかは、少しずつ複雑になっていた。

 

だが、誰が何をできるかだけは、日に日に分かりやすくなっていった。

 

 

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