移動群は主要国境道を避け、複数の農道、林道、旧街道を使用した。
正確な越境地点は記録されていない。
理由について、後年のWILK関係者は、
「記録しない方がよかった」
と証言している。
また、同行者数についても記録は一定しない。
国境直前。
百名を超過。
以上。
「百十一」
元金持ちが言った。
若いWILK社員が振り返る。
「減りました?」
「増えた」
「昨日百七でしたよね」
「だから百十一だ」
「四人?」
「四人」
「誰です」
元金持ちは帳簿を見る。
「御者が一人。農夫が二人。元郵便局員の弟」
「何ができます?」
元金持ちが顔を上げる。
「お前までそれを聞くようになったな」
若い社員は少し考えた。
「……染まりましたね」
「手遅れだ」
前を歩く元白軍将校が振り返る。
「静かにしろ」
二人とも黙った。
今日だけは、いつもより声が低かった。
国境が近い。
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道はもう、道らしい道ではなかった。
畑の脇。
林の中。
牛が通る細い跡。
使われなくなった荷馬車道。
ところどころ泥。
ところどころ石。
トラックは何度も止まった。
馬車は進める。
猫車はもっと進める。
人間はさらに進める。
元白軍将校は何度も列を分けた。
「車はここまで」
「ここから先は?」
「歩く」
元金持ちが聞く。
「荷物は」
「必要な物だけ」
「また減らすのか」
「国境へ会社の倉庫ごと持っていく気か」
元金持ちは帳簿を抱え直す。
「これは持つ」
「好きにしろ」
若い社員:
「壁掛け時計は?」
元白軍将校が見る。
老人がしっかり抱えていた。
「……本人に聞け」
老人:
「持っていく」
元白軍将校:
「そうか」
元金持ち:
「それだけは最後まで行きそうだな」
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昼前。
一行は林の中で止まった。
先行していた学生二人が戻ってくる。
「先に道があります」
元白軍将校:
「人は」
「少ないです」
「兵は」
「見えません」
「車」
「一台」
元金持ちが聞く。
「検問は?」
学生は首を横に振る。
「今のところ」
赤軍兵だった元部下が地図を見る。
「この先を抜ければ、あと半日くらいです」
元白軍将校がうなずく。
「日が落ちてから動く」
若い社員が聞く。
「夜に?」
「人が少ない」
「車は?」
「置いていく物は置く」
元金持ち:
「せっかく買ったのに」
元白軍将校:
「まだ買ってない」
「そうだったな」
しばらく沈黙。
今までなら誰かが笑うところだった。
今日は笑いが小さい。
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午後。
元白軍将校は全員を集めた。
百人以上が、林の中でばらばらに立つ。
兵士。
WILK社員。
赤軍離脱組。
職人。
家族。
老人。
子供。
農夫。
元金持ち。
犬。
鶏。
そして壁掛け時計。
元白軍将校は長い話をしなかった。
「ここから先、全員一緒には動かない」
ざわめきが起きる。
「十人から十五人で分ける」
元金持ちがすぐ聞く。
「番号振ります?」
「振れ」
「珍しく素直だな」
「後で数える」
若い社員:
「数えるんですね」
元白軍将校:
「国境だからな」
そこで空気が少し変わった。
いつも人数に無頓着な男が、今回は数えると言った。
「老人と子供を先に。怪我人も」
ポーランド兵が聞く。
「護衛は?」
「各組に二人以上」
「赤軍の者も?」
元白軍将校は赤軍兵を見る。
赤軍兵が肩をすくめる。
「今さらでしょう」
元白軍将校:
「使えるなら使え」
若い社員:
「結局それですね」
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元金持ちと元税務官が、木の幹を机代わりに名簿を作る。
第一組。
第二組。
第三組。
途中で元金持ちが叫ぶ。
「誰だ、名前を書かずに“靴屋”とだけ書いたのは!」
若い社員が手を挙げる。
「私です」
「名前!」
「聞いてません」
「聞け!」
「元白軍将校は職業しか聞かないので」
「知ってる!」
元白軍将校:
「名前は後でもいい」
元金持ち:
「今がその後だ!」
少し笑いが戻った。
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日が落ちる。
林の中で順番に動き始める。
最初の組。
老人。
子供。
負傷者。
護衛。
その次。
家族。
職人。
また兵士。
一組ずつ。
間隔を空ける。
元白軍将校は最後尾に残った。
若い社員が聞く。
「あなたは?」
「最後」
「またですか」
「先に行って詰まったら困る」
元金持ち:
「それと」
「何だ」
「お前、国境越えたら支払証書の通貨どうする」
元白軍将校は少し考えた。
「お前が決めろ」
元金持ち:
「……本当に会計になってるな、俺」
若い社員:
「ようこそ」
「うるさい」
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夜。
最後の組が動き出す。
荷物は減った。
声も小さい。
靴音。
車輪。
馬の鼻息。
子供を背負う大人。
眠った子供を抱く兵士。
元白軍将校は途中で何度も止まった。
前を見る。
後ろを見る。
列が切れていないか。
昔と同じだった。
赤軍兵だった元部下が隣を歩く。
「懐かしいですな」
「何がだ」
「こういう夜」
元白軍将校はしばらく黙った。
「昔のことだ」
「今日は言うと思いました」
「黙れ」
赤軍兵は笑った。
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国境そのものは、思っていたより地味だった。
大きな門もない。
石碑。
柵。
道。
暗い畑。
その向こうに別の国。
若い社員が立ち止まる。
「……これ?」
元白軍将校:
「これだ」
「もっとこう」
「何だ」
「国境らしいものが」
元白軍将校は暗い道を見る。
「国境は道じゃない」
若い社員:
「では?」
「人が決めた線だ」
元金持ちが後ろから言う。
「その線のせいで、俺の会社三つが向こうなんだが」
「昔のことだ」
元金持ち:
「まだ今のことだ!」
久しぶりに、少し大きな笑いが出た。
でもすぐ静かになった。
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一組目が越える。
二組目。
三組目。
誰も走らない。
急がない。
騒がない。
ただ進む。
元白軍将校は人数を聞く。
「第一組?」
「十三」
「第二」
「十二」
「第三」
「十四」
元金持ちが答える。
「全部いる」
「よし」
次。
次。
次。
いつの間にか、ポーランド側に残る人数が減っていく。
若い社員が振り返る。
暗い向こう。
町も見えない。
煙も見えない。
何もない。
それでも分かる。
あちらが、今までいた国だった。
「戻れますかね」
誰かが言った。
元白軍将校は答えなかった。
代わりに、
「次」
と言った。
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最後の組。
元白軍将校。
元金持ち。
若いWILK社員。
赤軍兵だった元部下。
ポーランド兵数名。
元税務官。
そして老人。
壁掛け時計。
老人が息を切らしながら歩く。
元金持ちが時計を見る。
「貸せ」
「嫌だ」
「落とすぞ」
「嫌だ」
元白軍将校:
「二人で持て」
元金持ち:
「何で俺が!」
「手が空いてる」
「帳簿持ってる!」
若い社員が笑う。
「国境越えまで時計とは思わなかったな」
老人:
「当たり前だ」
「何がです」
「家だ」
誰も何も言わなくなった。
少しして、元白軍将校が時計の反対側を持った。
老人が驚く。
「何だ」
「重い」
「だから置いていけと言ったろ」
「今さら言うな」
二人で持つ。
元金持ちが横で笑った。
「結局手伝うんじゃないか」
「黙れ」
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線を越える。
一歩。
二歩。
三歩。
誰も拍手しなかった。
誰も叫ばなかった。
ただ、歩いた。
少し先で待っていた人々が、こちらを見る。
若い社員が息を吐く。
「……越えましたね」
元白軍将校:
「ああ」
元金持ちが帳簿を見る。
「全員?」
元税務官が数える。
「確認します」
しばらくして。
「全員います」
元白軍将校が初めて、後ろを振り返った。
暗い。
何も見えない。
長くは見なかった。
「行くぞ」
若い社員が驚く。
「今?」
「ここにいる理由がない」
元金持ち:
「待て」
「何だ」
「今夜くらい休め」
元白軍将校は人々を見る。
老人。
子供。
兵士。
家族。
皆、疲れている。
少し考える。
「……そうだな」
元金持ち:
「珍しく聞いた」
「うるさい」
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夜営地は、国境から少し離れた農場になった。
納屋。
干し草。
井戸。
少しの食料。
人々は次々と横になる。
元金持ちは最後まで帳簿を書いていた。
若い社員が隣へ座る。
「何書いてるんです?」
「人数」
「何人?」
元金持ちは答える。
「百十一」
「全員?」
「全員」
若い社員は少し笑った。
「出発した時、二十人くらいでしたよね」
「らしいな」
「増えましたね」
元金持ちは前を見る。
元白軍将校は、壁掛け時計を納屋の柱へ掛けていた。
「……あいつに言うな」
「何を」
「また増えたって」
「言わなくても知ってますよ」
「人数覚えてないだろ」
「それはそう」
二人は笑った。
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夜が深くなる。
元白軍将校は眠る前、地図を広げた。
若い社員が覗く。
「明日は?」
元白軍将校は南を指す。
「町へ行く」
「そこで?」
「車を買う」
「車?」
「ここから先、歩いて英国まで行く気か」
若い社員が目を丸くする。
元金持ちが後ろから聞いた。
「何台」
元白軍将校:
「買えるだけ」
元金持ち:
「待て」
元白軍将校:
「何だ」
元金持ち:
「それは俺の仕事になる気がする」
「そうだな」
元金持ちは頭を抱えた。
「やっぱりか」
若い社員が笑った。
明日。
彼らは国外へ出る。
正確には、もう線の向こう側にはいた。
だが、旅は終わらない。
徒歩の避難行が終わるだけだった。
次に始まるのは。
車列だった。