WILK ―忘れずの故郷―   作:ヒツジ(ラム肉

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『一九三九年秋・アドリア海沿岸移動記録』

南下を続けた移動群の一部は、アドリア海沿岸の港湾から海路へ移った。

乗船者。

負傷者。

高齢者。

幼児を伴う家族。

一部ポーランド軍人。

フランス方面への移動を希望する者。

その他、船便を利用可能と判断された者。

正確な乗船人数について、複数の記録が存在する。

理由。

港到着後も同行者が増えたため。



第202話 海が見えた、船に乗せろ

 

 

最初に海を見つけたのは子供だった。

 

車列の前方。

 

山道を下り始めたところで、乗合車の窓から顔を出した少年が叫んだ。

 

「海!」

 

誰も反応しなかった。

 

疲れていたからである。

 

少年はもう一度叫んだ。

 

「海だ!」

 

今度は何人かが窓を見た。

 

青かった。

 

山の切れ間。

 

その向こう。

 

広い。

 

ずっと広い。

 

若いWILK社員は助手席から身を乗り出した。

 

「海だ」

 

元白軍将校:

 

「ああ」

 

「海ですよ!」

 

「ああ」

 

「もっとこう、感動ありません?」

 

「港があるな」

 

若い社員は座席へ戻った。

 

「あなた本当にそういうところですよ」

 

後続車から元金持ちのクラクションが鳴った。

 

停車後、降りてきた元金持ちも海を見る。

 

少し黙る。

 

「……海か」

 

若い社員:

 

「感動しました?」

 

「船賃がいくらになるか考えてる」

 

「あなたも駄目だ」

 

---

 

港町へ入るころには、車列は二十数台になっていた。

 

正確には二十六台。

 

元金持ちはそう主張した。

 

元税務官は二十七台だと言った。

 

原因は、一台の荷馬車を車両数に含めるかどうかだった。

 

「馬車は車だ」

 

元税務官が言う。

 

元金持ち:

 

「帳簿上は別だ」

 

「車輪があります」

 

「そういう分類じゃない!」

 

若い社員:

 

「猫車も車輪ありますよ」

 

「黙れ!」

 

元白軍将校:

 

「着いたぞ」

 

全員が止まった。

 

港だった。

 

倉庫。

 

埠頭。

 

荷役人夫。

 

漁船。

 

貨物船。

 

小型の客船。

 

軍人。

 

商人。

 

難民。

 

言葉も服装もばらばらだった。

 

そして何より。

 

船がある。

 

若い社員が言う。

 

「船に乗れますかね」

 

元白軍将校:

 

「乗れる奴は乗せる」

 

元金持ち:

 

「何人」

 

「できるだけ」

 

元金持ちが目を閉じた。

 

「またその言葉だ」

 

---

 

船を探すことになった。

 

元白軍将校は港湾事務所へ。

 

元金持ちは船会社と代理店。

 

若い社員は乗船希望者の整理。

 

元税務官は名簿。

 

ポーランド兵は秩序維持。

 

赤軍だった元部下は荷物整理。

 

そして、誰にも言われていないのに、元郵便局員が連絡係になった。

 

若い社員がそれを見て言った。

 

「役割、勝手に決まりますね」

 

元金持ち:

 

「組織というのは大体そういうものだ」

 

「WILKに入りません?」

 

「入らん」

 

「もう半分入ってますよ」

 

「入らん!」

 

---

 

一時間後。

 

元白軍将校が戻ってきた。

 

「船が二つ使える」

 

元金持ち:

 

「いくら」

 

「知らん」

 

「まずそこを聞け!」

 

「お前がいるだろ」

 

元金持ちは額を押さえた。

 

「俺は会計じゃない」

 

若い社員:

 

「もう誰も信じてませんよ」

 

元白軍将校は紙を渡す。

 

船会社名。

 

出港時刻。

 

行き先。

 

乗船可能人数。

 

元金持ちは見る。

 

「……悪くない」

 

「そうか」

 

「片方は西へ回れる」

 

「なら負傷者と家族を優先」

 

「もう決めたのか」

 

「歩ける奴は陸路でいい」

 

元金持ち:

 

「お前、その基準本当に一貫してるな」

 

---

 

港の倉庫で、乗船者の選別が始まった。

 

若い社員が名簿を読む。

 

「負傷者」

 

手が挙がる。

 

「老人」

 

さらに。

 

「小さい子供がいる家族」

 

また増える。

 

「フランス方面へ行くポーランド軍人」

 

十数人が前へ。

 

元白軍将校が見る。

 

「軍へ戻るのか」

 

「はい」

 

「行け」

 

一人の若い兵士が聞いた。

 

「あなたは?」

 

「陸路」

 

「英国まで?」

 

「ああ」

 

兵士は車列を見る。

 

「遠いですよ」

 

元金持ちが横から言う。

 

「私もそれを何度も言った」

 

元白軍将校:

 

「まだ着いてないだろ」

 

「だから言ってる!」

 

---

 

船へ乗る家族の中に、例の壁掛け時計を持った老人もいた。

 

若い社員が驚く。

 

「乗るんですか?」

 

老人:

 

「わしはもう歩かん」

 

「賢明です」

 

老人は壁掛け時計を抱える。

 

元白軍将校がそれを見る。

 

「時計もか」

 

「当たり前だ」

 

「船だぞ」

 

「知っとる」

 

「落とすなよ」

 

「お前に言われたくない」

 

元白軍将校は少し笑った。

 

老人も笑った。

 

ここまでずっと一緒だった。

 

時計も。

 

老人も。

 

若い社員が聞く。

 

「どこまで?」

 

老人:

 

「向こうに息子がおる」

 

「フランス?」

 

「その辺だ」

 

元金持ち:

 

「その辺で国を指定するな!」

 

老人:

 

「着けば分かる」

 

元白軍将校:

 

「そうだな」

 

元金持ち:

 

「お前まで同意するな!」

 

---

 

問題は料金だった。

 

当然である。

 

船会社側は慈善事業ではない。

 

元金持ちは机についた。

 

相手も商人だった。

 

二人は数字を並べる。

 

人数。

 

荷物。

 

食事。

 

甲板。

 

船室。

 

子供。

 

負傷者。

 

軍人。

 

元白軍将校は横で待った。

 

五分。

 

十分。

 

十五分。

 

「まだか」

 

元金持ち:

 

「黙ってろ」

 

「出港時間がある」

 

「分かってる」

 

さらに十分。

 

元白軍将校:

 

「WILK払いでいいだろ」

 

元金持ちが振り返る。

 

「ここは国外だぞ!」

 

「昨日も国外だった」

 

「そういう意味じゃない!」

 

船会社の男が不思議そうに聞いた。

 

「WILK?」

 

元金持ちは少し止まる。

 

若いWILK社員も止まる。

 

元白軍将校だけ普通だった。

 

船会社の男が続けた。

 

「ポーランドの?」

 

若い社員:

 

「知ってるんですか?」

 

「航空機と機械、それから……」

 

少し考える。

 

「荷車?」

 

元白軍将校:

 

「猫車の会社だそうだ」

 

若い社員:

 

「自分で言うんですね」

 

元金持ち:

 

「今そこはどうでもいい」

 

船会社の男は書類を見る。

 

「国外支店は?」

 

若い社員:

 

「あります」

 

「銀行取引は?」

 

元金持ち:

 

「あります」

 

「保証は?」

 

元金持ちは紙を引き寄せた。

 

「私もつける」

 

元白軍将校が見る。

 

「元金持ちが?」

 

「元をつけるな」

 

船会社の男:

 

「元?」

 

「何でもない!」

 

---

 

結局、払えた。

 

半分は即時。

 

残りは支払証書。

 

元金持ちが国外口座と取引先を保証に入れた。

 

若い社員もWILK名義で確認した。

 

元白軍将校が署名した。

 

船会社の男が三人を見る。

 

「ずいぶん変わった会社ですね」

 

元金持ち:

 

「私は社員ではない」

 

若い社員:

 

「まだそう言ってます」

 

元白軍将校:

 

「会計だ」

 

元金持ち:

 

「違う!」

 

---

 

第一便へ乗る者が埠頭へ並んだ。

 

七十人近い。

 

一行の半分近くが、一気に減ることになる。

 

若い社員は少し寂しくなった。

 

ここ数日。

 

ずっと増えてきた。

 

宿を出るたびに増えた。

 

村を抜ければ増えた。

 

国境で増えた。

 

車を買えば増えた。

 

初めて、大きく減る。

 

ポーランド兵の一人が元白軍将校へ敬礼した。

 

「ここまで、ありがとうございました」

 

元白軍将校:

 

「まだフランスまである」

 

「船が運びます」

 

「なら船に礼を言え」

 

兵士は笑った。

 

「あなたらしい」

 

「何がだ」

 

「いえ」

 

別の兵士が言う。

 

「向こうで再編部隊へ入ります」

 

元白軍将校:

 

「そうしろ」

 

「また会えますかね」

 

元白軍将校は少し考えた。

 

「生きていれば」

 

それだけだった。

 

兵士はもう一度敬礼した。

 

---

 

船が岸を離れる。

 

子供が手を振る。

 

老人も。

 

兵士も。

 

壁掛け時計は当然振らなかった。

 

若い社員はいつまでも手を振っていた。

 

元金持ちは横で帳簿を見ている。

 

「減った」

 

若い社員:

 

「何人?」

 

「七十三」

 

「そんなに?」

 

「ああ」

 

元白軍将校:

 

「残りは」

 

元金持ち:

 

「九十前後」

 

若い社員が首をかしげる。

 

「待ってください」

 

「何だ」

 

「昨日、百五十何人でしたよね」

 

「そうだ」

 

「七十三人乗った」

 

「そうだ」

 

「なのに九十前後?」

 

三人とも黙った。

 

元金持ちがゆっくり顔を上げた。

 

「……おかしいな」

 

元白軍将校:

 

「増えたんだろ」

 

元金持ち:

 

「いつ!?」

 

---

 

原因はすぐ分かった。

 

港の外。

 

車列のところ。

 

新しい人間がいた。

 

ポーランド人。

 

地元民。

 

商人らしい一家。

 

若い夫婦。

 

荷物。

 

自家用車。

 

小型トラック。

 

馬車。

 

若い社員が呆然とする。

 

「何で」

 

一人の男が答えた。

 

「西へ行く車列があると聞いた」

 

元金持ちが頭を抱えた。

 

「また噂か!」

 

別の男:

 

「船に乗れなかったので」

 

元白軍将校:

 

「どこまで」

 

「フランス方面」

 

「車は」

 

「自前です」

 

「なら来い」

 

元金持ち:

 

「即決するな!」

 

若い社員:

 

「でも自前ですよ」

 

元金持ち:

 

「お前も同じこと言うようになったな!」

 

---

 

さらにポーランド軍人が六人残っていた。

 

元白軍将校が聞く。

 

「お前らは船に乗らなかったのか」

 

軍人:

 

「乗れませんでした」

 

「次便は」

 

「数日後です」

 

「待つか」

 

兵士たちは互いを見る。

 

一人が答える。

 

「あなた方について行きます」

 

「なぜ」

 

「西へ行くのでしょう」

 

「ああ」

 

「なら途中まで」

 

元白軍将校:

 

「乗れ」

 

元金持ち:

 

「もう何も言わん」

 

若い社員:

 

「諦めました?」

 

「疲れた」

 

---

 

その日の夕方。

 

元金持ちは港の宿で人数を数え直した。

 

一回。

 

二回。

 

三回。

 

元税務官も確認する。

 

「九十八」

 

元金持ち:

 

「船に七十三乗せたんだぞ」

 

若い社員:

 

「減りましたね」

 

「減ってない!」

 

「昨日よりは」

 

「そういう問題じゃない!」

 

元白軍将校は地図を見ている。

 

「明日出る」

 

元金持ち:

 

「どこへ」

 

「西」

 

「国名」

 

元白軍将校は地図を指す。

 

「まずこの辺」

 

「この辺!」

 

赤軍兵だった元部下が笑った。

 

「昔からです」

 

元金持ち:

 

「聞き飽きた!」

 

---

 

翌朝。

 

車列は港を出た。

 

船に乗れなかった者。

 

船に乗らなかった者。

 

これから別の港を目指す者。

 

フランスまで陸路で行くポーランド軍人。

 

WILK社員。

 

赤軍離脱組。

 

元金持ち。

 

職人。

 

家族。

 

新しくついてきた地元の者。

 

車。

 

トラック。

 

馬車。

 

自転車。

 

全部がまた一つの列になった。

 

若い社員が後ろを見る。

 

海が遠ざかる。

 

「だいぶ減りましたね」

 

元金持ち:

 

「九十八人いる」

 

「でも昨日よりは」

 

「七十三人船に乗せたのに!」

 

元白軍将校:

 

「道が空いた」

 

若い社員:

 

「何がです?」

 

「また乗せられる」

 

元金持ちが顔を上げた。

 

「お前、今何て言った」

 

元白軍将校:

 

「何も」

 

「言ったぞ!」

 

車列はそのまま進んだ。

 

アドリア海沿岸で、一度大きく減った。

 

そして減った分だけ。

 

車列には、また空きができた。

 

その意味を理解した元金持ちは、英国までまだ遠いことより、そちらの方を恐れた。

 

 

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