『一九三九年秋・西方移動車列記録』
アドリア海沿岸から西進した車列は、鉄道および海路への分流を繰り返しながらイタリア半島北部を横断した。
この間、同行人数は複数回減少した。
同時に、複数回増加した。
車両についても同様である。
記録担当者は途中から、
「現在人数」
「累計同行人数」
「現在車両数」
「累計車両数」
を別々に記録するようになった。
その理由について、本人は後年、
「同じ帳簿に書くと頭がおかしくなる」
と述べている。
「百十七」
元金持ちが言った。
若いWILK社員はパンを食べながら聞いた。
「今ですか?」
「今だ」
「昨日の夜は?」
「九十八」
「増えましたね」
「言うな」
「でも昨日、列車で二十人くらい送りませんでした?」
「二十四人だ」
「じゃあかなり増えましたね」
元金持ちは帳簿を閉じた。
「言うなと言っただろ!」
車列は朝から西へ走っていた。
イタリアに入ってから、道路事情は少し良くなっていた。
少なくとも元白軍将校はそう言った。
元金持ちに言わせれば、
「良くなった分だけ速度が上がり、速度が上がった分だけ燃料を食う」
ので、何も解決していなかった。
若い社員が後ろを見る。
トラック。
乗合車。
自家用車。
馬車。
自転車。
一部は途中で列車に載せた。
一部は港で船に乗せた。
そのたびに空きができた。
そのたびに人が入った。
「不思議ですね」
若い社員が言った。
元金持ち:
「何が」
「減らしてるのに減らない」
「不思議ではない。お前らが乗せるからだ」
元白軍将校:
「空いている」
「空けたんだよ!」
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イタリアに入って最初に変わったのは、食事だった。
車列が昼時に立ち寄った町で、地元の食堂が大鍋を出した。
温かい料理。
パン。
野菜。
肉。
そして当然のように酒。
元白軍将校が瓶を見る。
元金持ちが先に取った。
「駄目だ」
「何が」
「飲むな」
「なぜ」
「午後も運転する」
「俺は運転しない」
「判断が鈍る」
「少しくらい」
「駄目だ」
元白軍将校は元金持ちを見る。
「お前、俺の上官か」
「会計だ」
一瞬。
全員が止まった。
元金持ち自身も止まった。
若い社員がゆっくり笑う。
「今、自分で言いましたね」
元金持ち:
「……言ってない」
「言いました」
「聞き間違いだ」
元白軍将校:
「会計」
「呼ぶな!」
赤軍兵だった元部下が笑う。
「もう諦めた方がいいですよ」
元金持ち:
「お前ら全員嫌いだ」
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食堂の主人が帳簿を持ってきた。
元金持ちは慣れた手つきで確認する。
人数。
食事。
馬の飼料。
燃料。
飲み物。
元金持ちの指が止まった。
「酒が多い」
主人が元白軍将校を見る。
「彼が」
元白軍将校:
「俺は一本だ」
若い社員:
「一本は飲んだんですね」
「昼食だ」
元金持ち:
「酒を食事に数えるな」
支払いはその場で一部。
残りは証書。
主人は紙を見る。
「WILK?」
若い社員:
「はい」
主人:
「聞いたことがある」
元金持ち:
「何で」
「荷車」
元白軍将校:
「また猫車だ」
若い社員:
「飛行機より有名なんじゃないですか」
「役に立つなら何でもいい」
元金持ち:
「会社の創業者がブランド戦略を諦めるな」
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イタリアを進むうちに、車列はさらに奇妙になった。
ある町では、古いトラックが一台加わった。
持ち主は青果商だった。
「西へ行く」
という。
元白軍将校:
「荷台は」
「空けられる」
元金持ち:
「何人乗せられる」
「十人くらい」
元金持ちが先に答えた。
「同行費用はこちらで持つ。燃料も。故障した場合は修理費を記録する」
若い社員が元金持ちを見る。
「もう完全に仕切ってますね」
「黙れ」
別の町では、馬車二台。
さらに別の町では、自転車の青年たち。
その中の一人が聞いた。
「フランスまで行けますか」
元白軍将校:
「脚が持てば」
元金持ち:
「もう少し安心させる言い方ないのか」
青年:
「大丈夫です。若いので」
元白軍将校:
「使えるな」
元金持ち:
「人を見て即座に用途を考えるな!」
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そして駅。
また駅だった。
元金持ちは駅舎を見るなり笑顔になった。
「よし」
若い社員:
「また減らせますね」
「そうだ」
「でもまた増えますよ」
「今それを言うな」
駅員は彼らを見ると、最初から紙を出した。
「西行き?」
元金持ち:
「そうです」
「家族連れ?」
「います」
「軍人?」
「います」
「負傷者?」
「少し」
「車両輸送?」
「あります」
駅員は慣れた手つきで書類を分けた。
元金持ちは少し感動した。
「早い」
駅員:
「最近多いですから」
「WILK?」
駅員が顔を上げる。
「あなた方が?」
元金持ち:
「一部だけです」
元白軍将校:
「だいたいそうだ」
元金持ち:
「だから“だいたい”で会社を名乗るな!」
駅員は気にせず続けた。
「前にも来ましたよ」
元金持ち:
「誰が」
「西へ向かうポーランド人」
「WILKと?」
「そう言っていました」
元金持ちは遠い目をした。
「増殖してる……」
若い社員:
「会社が?」
「支払い方法が!」
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その駅から、三十人近くが列車へ乗った。
小型車二台も貨車へ積んだ。
元金持ちは満足そうだった。
「これで八十人台だ」
若い社員:
「よかったですね」
「非常に」
列車が出る。
手を振る。
元白軍将校は帽子へ手をやる。
そして駅前へ戻る。
そこには十七人いた。
元金持ちは立ち止まった。
「……何だ」
駅員:
「あなた方を待っていました」
「なぜ!」
「西へ行く車列があると」
元金持ち:
「誰が!」
駅員:
「前の人たちが」
元白軍将校は十七人を見る。
元金持ち:
「見るな」
元白軍将校:
「何ができる」
「聞くな!」
一人目。
「自動車修理」
元白軍将校:
「来い」
元金持ち:
「くそ!」
二人目。
「看護の経験があります」
「来い」
三人目。
「料理人」
「来い」
元金持ち:
「もう面接いらんだろ!」
元白軍将校:
「役割は必要だ」
「採用じゃない!」
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それでも、イタリアを抜ける頃には、車列は以前より整理されていた。
馬車は速度ごとにまとめた。
小型車は列車へ。
大きなトラックを中心にする。
工具車。
食料車。
医療用。
家族用。
空席のある車。
元金持ちが車列表を見せる。
「ようやく形になった」
元白軍将校:
「最初から形にはなっていた」
「なってない」
「動いていた」
「動くことと管理されてることは違う!」
若い社員:
「WILKっぽい会話ですね」
元金持ち:
「私はWILKじゃない」
元白軍将校:
「まだ言ってるのか」
「まだも何も入社してない!」
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フランス国境が近づいたのは、その日の午後だった。
山が見える。
道が変わる。
標識が変わる。
言葉も変わる。
そして、ポーランド兵たちの空気が少し変わった。
若い社員が気づく。
「どうしました?」
一人の兵士が答える。
「フランスです」
「はい」
「軍がある」
それだけで意味が分かった。
ポーランドは陥落した。
だが戦争は終わっていない。
国外へ逃れたポーランド軍人にとって、フランスは避難先だけではない。
再編成の場所でもあった。
元白軍将校が兵士たちを見る。
「降りる者は」
かなりの人数が手を挙げた。
元金持ち:
「また減る」
若い社員:
「嬉しそうですね」
「目的地が決まってる人間は送れる時に送る」
元白軍将校:
「正しい」
元金持ち:
「珍しく意見が――」
「俺は前からそう言っている」
「そうだったな」
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国境検問では、これまでより少し時間がかかった。
書類。
車両。
武器。
軍人。
民間人。
目的地。
係官が元白軍将校に聞く。
「英国へ?」
「ああ」
「全員?」
元白軍将校は答えようとした。
元金持ちが先に言う。
「現在同行者のうち、フランス国内で離脱予定者多数。英国まで同行する者については未確定です」
係官はうなずく。
元白軍将校が元金持ちを見る。
「長い」
元金持ち:
「“知らん”よりましだ」
若い社員:
「会計というより秘書ですね」
「黙れ」
係官が書類へ印を押した。
一枚。
二枚。
三枚。
最後に顔を上げる。
「通っていい」
一瞬、誰も動かなかった。
若い社員が聞く。
「終わり?」
係官:
「この国境については」
元金持ちがため息をついた。
「その言い方、もう嫌いだ」
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車列が動き出す。
一台。
二台。
三台。
国境を越える。
フランス。
若い社員が窓から外を見る。
特別なものが急に現れるわけではない。
道。
家。
畑。
人。
でも。
フランスだった。
「ようやくですね」
元白軍将校:
「ああ」
「フランスですよ」
「ああ」
「もう英国も近い」
元金持ちが後ろから叫ぶ。
「近くない!」
若い社員:
「前よりは!」
「海がある!」
元白軍将校:
「船に乗ればいい」
元金持ち:
「その船を誰が手配すると思ってる!」
若い社員と赤軍兵だった元部下が同時に元金持ちを見る。
元金持ち:
「見るな!」
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少し先で、ポーランド兵たちが降り始めた。
フランス国内の再編地点へ向かう者。
鉄道へ乗る者。
別の輸送隊に合流する者。
一人の兵士が元白軍将校へ敬礼する。
「ここまでありがとうございました」
「礼はいい」
「でも」
「向こうで戦え」
兵士は笑った。
「そのつもりです」
少し離れたところで、別の兵士が若い社員へ言った。
「英国まで行くのか」
「たぶん」
「たぶん?」
「うちの責任者が目的地しか決めないので」
元白軍将校:
「聞こえているぞ」
兵士たちは笑った。
別れは短かった。
また会えるとは誰も言わない。
だから、
「また」
だけ。
列車へ向かう。
車列を離れる。
---
元金持ちは人数を数え直した。
「七十四」
若い社員:
「おお」
「かなり減った」
元白軍将校:
「車は」
「十九台」
「空いたな」
元金持ち:
「言うと思った!」
若い社員:
「でも本当に空いてますよ」
「お前まで!」
その時。
道路脇に人がいた。
荷物。
家族。
ポーランド語が聞こえる。
フランスに先に着いていた避難民らしい。
一人がこちらを見つけた。
トラックに付けたWの印。
そして声を上げた。
「WILK?」
元金持ちは目を閉じた。
若い社員:
「呼ばれてますよ」
元白軍将校は車から降りた。
元金持ち:
「行くな」
元白軍将校:
「呼ばれた」
「無視しろ!」
元白軍将校はもう歩いていた。
避難民の男が聞く。
「北へ行くんですか」
「最終的には英国だ」
「途中まで乗れます?」
元金持ちは遠くから叫んだ。
「何人だ!」
男:
「十二人!」
元金持ちは帳簿を開いた。
「名前から!」
若い社員が笑った。
「もう断る気ないですね」
「空席を把握してるだけだ!」
元白軍将校:
「何ができる」
元金持ち:
「お前はその質問禁止!」
---
その日の夕方。
フランス。
現在同行人数。
八十九名。
車両二十台。
前日より人は減った。
一時的には。
元金持ちは帳簿の数字を見て、それ以上考えるのをやめた。
若い社員が隣に座る。
「英国、もうすぐですね」
「海峡がある」
「船があります」
「船賃がいる」
「WILK払いがあります」
元金持ちは若い社員を見る。
「お前もずいぶん逞しくなったな」
「誰のせいでしょうね」
二人とも少し離れた元白軍将校を見る。
彼は地図を広げていた。
また次の道を見ている。
「明日は?」
若い社員が聞く。
元白軍将校:
「北西」
元金持ち:
「都市名」
元白軍将校:
「港」
元金持ち:
「名前!」
元白軍将校は地図を見る。
そして、ようやく一つの名前を言った。
元金持ちはうなずいた。
「よし。やっと話が具体的になった」
元白軍将校:
「そこから英国へ渡る」
若い社員が笑う。
「ようやくですね」
元白軍将校は地図を畳んだ。
「ああ」
ポーランドを出た。
国境を越えた。
海へ出た。
船へ人を送り。
駅から人を送り。
また人を拾い。
イタリアを越えた。
そしてようやく。
一行はフランスまで来た。
英国まで。
あと一つ、海を越えればいい。
少なくとも。
元金持ちは、そう信じた。