『一九三九年秋・フランス北部港湾移動記録』
フランス国内を北西へ移動した一行は、海峡沿岸の港湾に到達。
英国向け船便の確保を開始した。
この時点で同行者数は、直前の鉄道分流によって減少していた。
その後。
増加した。
かなり増加した。
なお、港湾到着以前に鉄道輸送へ移された車両の一部は、到着先において後続避難民の輸送へ転用された。
所有者の同意あり。
運転者の日当、燃料費、修理費、飼料費その他については、WILK名義または関連支払証書によって決済された。
後年、この方式について尋ねられた関係者は、
「車を送ったら、向こうでまた働き始めた」
とだけ答えている。
海が見えた。
また海だった。
若いWILK社員は助手席から顔を出し、遠くに見える港を眺めた。
「今度こそですね」
元白軍将校:
「ああ」
「英国まで、海一つ」
「ああ」
「もう国境ありませんよね」
元白軍将校は少し考えた。
「英国に入る時にある」
若い社員は頭を抱えた。
「そういう意味じゃない!」
後ろの車から元金持ちがクラクションを鳴らした。
停車。
元金持ちが降りてくる。
帳簿を抱えている。
「八十四」
若い社員:
「今?」
「今」
「減りましたね」
「列車で送ったからな」
「車も?」
「小型車を四台」
元白軍将校:
「向こうで使える」
元金持ち:
「その話だ」
若い社員:
「何かありました?」
元金持ちは一枚の紙を出した。
「昨日送った十八号車」
「はい」
「到着した」
「早いですね」
「そのまま別の避難民を次の駅まで運んだ」
若い社員:
「もう?」
「もうだ」
元白軍将校:
「使えるな」
元金持ち:
「だからお前、その一言で全部済ませるな!」
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実際。
列車で先に送られた人間たちは、到着地で事情を理解し始めていた。
車両を貨車から降ろす。
家族を降ろす。
荷物を降ろす。
そこで駅員が聞く。
「その車、まだ動く?」
持ち主が答える。
「動く」
「西へ向かう人が二十人いる」
少し考える。
「……乗せようか?」
それだけだった。
一度やれば、次は早い。
トラック。
小型貨物車。
自家用車。
馬車。
それぞれが、到着地で新しい役割を持った。
誰かを次の駅へ。
誰かを港へ。
負傷者を病院へ。
荷物を倉庫へ。
元金持ちのところには、そのたびに請求が来る。
燃料。
修理。
宿泊。
飼料。
日当。
若い社員が紙を見る。
「増えてますね」
元金持ち:
「人じゃなく請求がな!」
元白軍将校:
「払え」
「払う!」
即答だった。
若い社員が笑う。
「そこは迷わないんですね」
元金持ち:
「車を出した人間が損したら、次は誰も出さん」
元白軍将校はうなずいた。
「正しい」
元金持ちは一瞬止まった。
「……珍しく褒めたな」
「昔から正しいことは褒める」
「昔のことだ、じゃないのか」
「今のことだ」
若い社員が吹き出した。
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港へ到着。
船を探す。
最初の船会社。
断られた。
「人数が多い」
元金持ち:
「次」
二社目。
「軍人がいる」
「次」
三社目。
「車両は無理」
元白軍将校:
「人だけでいい」
元金持ち:
「交渉は私がする!」
四社目。
話を聞いた。
五社目。
条件付き。
六社目。
ようやく可能性が見えた。
元金持ちは机に座る。
相手は船会社の男。
その横に港湾代理人。
さらに通訳。
若い社員。
元白軍将校。
元税務官。
書類が積まれる。
船会社の男:
「何人です」
元金持ち:
「八十四」
元白軍将校:
「今は」
元金持ちが振り返る。
「余計なことを言うな」
船会社:
「今は?」
元金持ち:
「八十四です」
若い社員が小声で言う。
「たぶん」
元金持ち:
「言うな!」
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問題は運賃だった。
一人いくら。
荷物。
食事。
甲板。
船室。
軍人。
民間人。
元金持ちは計算する。
船会社も計算する。
元白軍将校は待つ。
五分。
十分。
十五分。
「まだか」
元金持ち:
「黙れ」
二十分。
元白軍将校:
「WILK払いで」
元金持ち:
「今それをやってる!」
船会社の男が顔を上げた。
「WILK?」
若い社員:
「はい」
男は少し考える。
「ポーランドの会社?」
「そうです」
「機械?」
「はい」
「航空機?」
「はい」
さらに考える。
「荷車?」
元白軍将校:
「また猫車だ」
元金持ち:
「今そこはどうでもいい!」
船会社の男:
「銀行取引は?」
元金持ち:
「あります」
「英国側の受取先は?」
「あります」
元白軍将校:
「親族もいる」
元金持ちが振り返る。
「それを保証に使うな」
「使えるだろ」
「本人に言ってないだろ!」
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交渉の末。
一隻確保。
定員。
百二十。
元金持ちは深く息を吐いた。
「よし」
若い社員:
「全員乗れますね」
「ああ」
「やりましたね」
元白軍将校:
「空きがある」
元金持ちの顔が凍る。
「何が」
「三十人以上」
「言うな」
「もったいない」
「船の席を倉庫の空きみたいに言うな!」
若い社員が笑った。
「まあ、増えなければ余裕です」
元金持ち:
「その言葉、今すぐ撤回しろ」
遅かった。
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港の外。
人がいた。
一人。
二人。
十人。
二十人。
さらに来る。
荷物。
家族。
ポーランド語。
フランス語。
別の言葉。
軍服。
私服。
鞄。
工具箱。
子供。
元金持ちはその光景を見た。
動かなかった。
若い社員も見た。
「……増えましたね」
「言うな」
一人の男が走ってくる。
「WILKですか!」
元白軍将校:
「そうだ」
元金持ち:
「一部だけだ!」
男:
「英国へ渡ると聞きました!」
「誰から聞いた!」
「駅で!」
元金持ち:
「駅ぇ!」
若い社員:
「つながりましたね」
「つながるな!」
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まず九人。
次に七人。
その次に一家族五人。
さらにポーランド軍人六人。
英国に親族がいる者。
ロンドンに取引先がある商人。
技術者。
看護経験者。
学生。
元金持ちは名簿を書く。
書く。
書く。
書く。
「百七」
若い社員:
「まだ乗れますね」
「言うな」
さらに来る。
「百十五」
元金持ちの筆圧が強くなる。
「百十九」
全員が少し黙った。
若い社員:
「あと一人」
元金持ち:
「来るなよ」
元白軍将校:
「来たぞ」
元金持ち:
「何で分かる!」
一人の老人が歩いてきた。
鞄ひとつ。
元金持ちは老人を見る。
老人も見る。
「英国へ?」
「……はい」
「一人?」
「はい」
元金持ちは目を閉じた。
「百二十」
若い社員:
「ぴったり」
元白軍将校:
「よかったな」
元金持ち:
「何がだ!」
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その直後。
トラックが三台来た。
元金持ちは何も言わなかった。
ただ海を見た。
若い社員が恐る恐る聞く。
「見ます?」
「見ない」
元白軍将校:
「見る」
「お前は見るな!」
一台目から男が降りる。
「西へ行く人を運んできました」
元金持ち:
「何人」
「十四」
元金持ちは空を見た。
二台目。
「こちら九人」
三台目。
「十一人」
若い社員が計算する。
「三十四」
元金持ち:
「計算するな」
「船、足りませんね」
「分かってる!」
元白軍将校:
「もう一隻頼め」
元金持ち:
「簡単に言うな!」
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ただし、その三台のトラックは空ではなかった。
運転手たちが言った。
「車は残していきます」
元金持ちが見る。
「何?」
「我々は船に乗りたい」
「車は?」
「後続に使ってください」
若い社員:
「いいんですか?」
一人の運転手が笑う。
「ここまで、この車で来ました」
別の男:
「向こうへ持っていくより、ここで使った方がいい」
三人目:
「まだ来るでしょう」
全員が元金持ちを見る。
元金持ちは少し黙った。
そして帳簿を開いた。
「所有権は?」
「私のです」
「買い取るか?」
「貸すでもいい」
元白軍将校:
「使わせてもらえ」
元金持ち:
「分かってる」
一台ずつ状態を確認。
所有者。
燃料。
修理履歴。
元金持ちが記録する。
「使用期間中の燃料、修理、必要経費はこちら持ち」
運転手:
「本当に?」
「車を出してもらうんだ。当然だ」
元白軍将校:
「日当も」
元金持ち:
「それも書く!」
若い社員:
「息ぴったりですね」
二人同時に、
「違う」
と答えた。
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二隻目の船を探す。
今度は港側も事情を理解していた。
「また増えた?」
元金持ち:
「増えた」
港湾代理人:
「何人」
「三十四」
「今のところ?」
元金持ちは無言になった。
代理人が笑った。
「分かりました。探します」
一時間。
二時間。
小型貨物船の空き。
補助的な客扱い。
条件付き。
元金持ちは飛びついた。
「取る」
元白軍将校:
「早いな」
「今度は増える前に押さえる!」
若い社員:
「学習しましたね」
「学習させられた!」
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夕方。
港に二つの乗船列ができた。
第一便。
百二十人。
第二便。
三十数人。
その間にも何人か来た。
元金持ちは途中から何も言わなくなった。
ただ書いた。
名前。
行き先。
職業。
同行者。
荷物。
若い社員が横で手伝う。
元税務官も。
港の職員も。
気づけば誰がWILK社員で誰がそうでないか、よく分からなくなっていた。
一人の港湾職員が聞く。
「この人たち、全部あなたの会社ですか?」
元金持ち:
「違う」
元白軍将校:
「だいたいそうだ」
「違う!」
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出港前。
元白軍将校は港へ残るトラックを見に行った。
三台。
そこへさらに、列車で先に送った車のうち二台が別経路から戻ってきていた。
若い社員が驚く。
「これ、前に見た車ですよね」
運転手:
「そうです」
「何でここに?」
「駅から港へ何往復かしてました」
元金持ち:
「何人運んだ」
「今日だけで四十人くらい」
元金持ちは頭を抱えた。
「働きすぎだ」
運転手:
「燃料代、請求していいんですよね」
元金持ち:
「しろ」
「修理も」
「しろ」
「タイヤ一本」
「書け」
元白軍将校:
「使えるな」
元金持ち:
「お前はそれ以外の感想を覚えろ!」
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船が出る。
フランスの港が離れる。
甲板には人。
荷物。
子供。
兵士。
商人。
職人。
元赤軍兵。
WILK社員。
元金持ち。
元白軍将校。
若い社員は岸を見る。
残ったトラックが見える。
その周りには、既に次の避難民が集まり始めていた。
「……あれ」
元金持ちも見る。
「もう使ってる」
元白軍将校:
「いいことだ」
若い社員:
「後続、まだ来ますね」
「来るだろうな」
元金持ちは海を見た。
「請求も来るな」
若い社員:
「来ますね」
「何年くらい」
元白軍将校:
「知らん」
元金持ち:
「そこだけは知らんでいてほしかった」
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海峡。
風。
寒い。
でも船は進む。
若い社員が元白軍将校へ聞く。
「これで本当に英国ですね」
「ああ」
「長かったですね」
「ああ」
「何人連れてきたんでしょう」
元白軍将校:
「今乗ってる分か?」
「最初から累計で」
元金持ちが振り返る。
「やめろ」
「何で」
「計算したくない」
元税務官が横から言う。
「概算ならできます」
元金持ち:
「やめろ!」
元白軍将校:
「六百くらいか」
全員が止まった。
元金持ち:
「お前、覚えてたのか」
「だいたい」
「現在人数は覚えないくせに!」
元白軍将校:
「今いるかどうかは見れば分かる」
元金持ち:
「累計は見ても分からんだろ!」
「だから覚えていた」
元金持ちはしばらく黙った。
「……本当に変なところだけ几帳面だな」
---
しばらくして。
水平線の向こうに陸が見えた。
英国。
若い社員が立ち上がる。
「見えた!」
今度は何人も反応した。
人が集まる。
子供。
兵士。
老人。
元金持ちも見る。
元白軍将校も。
今度ばかりは、少しだけ長く見た。
若い社員が聞く。
「何か言わないんです?」
元白軍将校は考えた。
「着いたら宿を探す」
元金持ち:
「お前なあ!」
甲板に笑いが起きた。
英国はもう目の前だった。
だが。
元白軍将校の親族はまだ知らない。
この男が何十年ぶりかに帰ってくることを。
そして。
一人で帰ってこないことを。