『一九三九年秋・英国到着後の受入記録断片』
英国到着後、同行者は順次分離した。
英国国内に親族、知人、勤務先、軍関係者、取引先その他の受入先を持つ者については、それぞれの目的地へ移動。
ポーランド軍関係者の一部についても、指定された連絡先へ移送された。
問題となったのは、
「行く先のない者」
であった。
その人数。
六十四名。
当該六十四名の一時受入先について、元白軍将校は、
「親族のところへ行く」
と述べた。
事前連絡。
なし。
英国へ着いた。
本当に着いた。
船を降りた若いWILK社員は、港の石畳に両足をつけたまま、しばらく動かなかった。
風は冷たい。
空は曇っている。
港には船。
倉庫。
貨物。
兵士。
港湾労働者。
そして英語。
「英国だ……」
横で元金持ちが帳簿を開いている。
「そうだな」
「もう少し感動ありません?」
「今から仕分ける」
「仕分け?」
「人間をだ」
若い社員は現実に引き戻された。
船から次々に人が降りてくる。
荷物。
子供。
老人。
軍人。
家族。
職人。
元赤軍兵。
WILK社員。
途中から加わった者。
途中から加わって途中で一度列車へ乗り、なぜか別便でまた合流した者。
元金持ちはすでに名簿を持っていた。
「英国国内に親族がいる者!」
何人も手が挙がる。
「住所が分かる者は右!」
移動する。
「取引先がある者!」
また手が挙がる。
「軍関係者!」
ポーランド兵たちが集まる。
英国側の受入担当者も動き始めた。
若い社員が感心する。
「減りますね」
元金持ち:
「減らす」
「言い方」
「適切だ」
元白軍将校は少し離れたところで、それを見ていた。
元赤軍兵だった元部下が隣に立つ。
「ずいぶん減りますな」
「ああ」
「寂しいですか」
「荷物が軽くなる」
元部下は笑った。
「昔からそういう言い方ですね」
「昔のことだ」
「今もです」
---
昼を過ぎる頃には、かなり整理された。
軍へ向かう者。
ロンドンへ行く者。
親族のところへ行く者。
教会関係の受入先へ行く者。
大学関係者に引き取られる学生。
企業へ連絡が取れた技術者。
次々に港を離れていく。
別れは短い。
「世話になりました」
「ああ」
「また」
「ああ」
「連絡します」
「そうしろ」
元白軍将校はそれだけだった。
元金持ちは一人ずつ帳簿へ印をつけていく。
夕方。
最後のまとまった一団が港を離れた。
元金持ちは残った名簿を見る。
「……六十四」
若い社員:
「まだそんなに?」
「そんなにいる」
「行く先は?」
「ない」
若い社員は残った人々を見る。
子供。
老人。
若い夫婦。
職人。
兵士だった者。
元赤軍兵だった者の家族。
英国に知人のない者。
とりあえず西へ、西へと来た結果、本当に英国まで来てしまった者。
若い社員が元白軍将校へ聞いた。
「どうします?」
「親族のところへ行く」
若い社員の顔が明るくなる。
「英国に親族いるんですね」
「ああ」
元金持ちも顔を上げた。
「どこだ」
元白軍将校が場所を言う。
元金持ちは地図を確認した。
「行けなくはない」
若い社員:
「連絡してあります?」
「してない」
沈黙。
元金持ちが顔を上げる。
「何?」
「してない」
「いつ英国へ来ると知らせた」
「知らせてない」
「手紙は」
「出してない」
「電報」
「出してない」
「電話」
「番号を知らん」
元金持ちはゆっくり帳簿を閉じた。
「……最後に会ったのは?」
元白軍将校は少し考えた。
「何十年か前だ」
元金持ち:
「せめて電話一本出せ!」
港に声が響いた。
六十四人が一斉にこちらを見た。
元白軍将校:
「番号を知らんと言っただろ」
「調べろ!」
「行った方が早い」
「六十四人連れて!?」
若い社員が小さく言った。
「途中で増えた人数としては少ない方ですよ」
元金持ち:
「お前まで感覚を壊すな!」
---
結局。
行った。
元金持ちは最後まで、
「先に連絡しろ」
と言い続けた。
だが住所は分かる。
移動手段もある。
六十四人を港へ放置するわけにもいかない。
元白軍将校の親族宅へ向かうことになった。
英国へ持ち込めた車両は限られていたため、鉄道と現地で手配したバス、貨物車を組み合わせた。
もちろん代金は払った。
元金持ちが。
正確にはWILKが。
「私は本当に社員じゃないんだからな」
切符を数えながら元金持ちが言った。
若い社員:
「はいはい」
「返事が軽い!」
---
夕方近く。
一行は英国の郊外へ着いた。
街を離れた。
住宅が少なくなる。
木々。
畑。
石壁。
そして少し大きな屋敷。
若い社員が見る。
「ここ?」
「ああ」
元金持ち:
「本当に?」
「ああ」
「住所間違ってないな?」
「たぶん」
「たぶん!?」
元白軍将校は門を見る。
古い。
だが手入れされている。
元金持ちが念を押す。
「最後に聞く」
「何だ」
「本当に連絡してない?」
「してない」
「帰りたくなってきた」
若い社員:
「どこへ?」
元金持ち:
「フランス」
---
門を開ける。
敷地へ入る。
最初の車が停まる。
次も。
次も。
六十四人。
荷物。
子供。
老人。
元赤軍兵。
WILK社員。
元金持ち。
元白軍将校は一人で玄関へ歩いた。
扉を叩く。
少し待つ。
使用人らしい男が出てきた。
元白軍将校を見る。
「ご用件は」
元白軍将校は名乗った。
使用人の顔が止まった。
もう一度聞き返す。
元白軍将校がもう一度名乗る。
使用人は明らかに動揺した。
「……少々、お待ちください」
扉が閉まる。
若い社員が後ろから見ていた。
「知ってましたね」
元金持ち:
「そりゃ親族なら名前くらい知ってるだろ」
数分。
長かった。
そして扉が開いた。
今度は、年配の男が出てきた。
元白軍将校より少し上。
あるいは同年代。
白髪。
英国風の服装。
だが顔立ちには、どこか元白軍将校と似た部分があった。
男は玄関先で止まった。
元白軍将校も止まる。
長い。
長い沈黙。
男が口を開いた。
「……本当に、お前か」
「ああ」
「生きていたのか」
「ああ」
「何十年ぶりだ」
元白軍将校は少し考えた。
「昔のことだ」
男の顔が引きつった。
「そこは昔から変わってないな!」
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再会は抱擁ではなかった。
最初に肩を叩かれた。
かなり強く。
次に、
「馬鹿者」
と言われた。
それから屋敷へ入れられた。
元金持ちと若い社員も続く。
親族の男は元白軍将校を応接室へ座らせた。
自分も向かいに座る。
しばらく顔を見る。
「手紙くらい出せたろ」
元白軍将校:
「忙しかった」
「何十年も?」
「色々あった」
「こっちにも色々あった!」
声が大きくなる。
「移住してすぐ何もかも順調だったと思うなよ。家も仕事も人脈も、ほとんど一からだった」
元白軍将校は黙って聞く。
「言葉だってそうだ。こっちで根を張るまで何年かかったと思ってる」
「そうか」
「そうか、じゃない」
親族の男はため息をついた。
怒っている。
だが、目は何度も元白軍将校の顔を確認していた。
本当にそこにいるのか確かめるように。
「死んだと思っていた時期もあった」
少し静かになった。
元白軍将校はしばらく黙った。
「……悪かった」
親族の男が止まった。
若い社員も止まった。
元金持ちまで顔を上げた。
親族は数秒黙ってから、
「そういうことを言えるなら、先に手紙を書け」
と返した。
元白軍将校:
「それは別だ」
「別じゃない!」
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少しして。
茶が出た。
元金持ちはようやく少し落ち着いた。
若い社員も椅子へ座る。
親族の男は元白軍将校を見る。
「それで」
「何だ」
「お前、この何十年、何をしていた」
元白軍将校は茶を見る。
「働いていた」
親族:
「どこで」
「ポーランド」
「それは知ってる」
「会社を作った」
「会社?」
「ああ」
「何の会社だ」
元白軍将校は普通に答えた。
「WILK」
親族の男の手が止まった。
元金持ちがその反応を見る。
若い社員も。
親族:
「……何?」
「WILK」
「綴りは」
元白軍将校が答える。
親族の男は額へ手を当てた。
「待て」
「何だ」
「お前、あのWILKか?」
若い社員:
「知ってるんですか?」
親族は若い社員を見る。
「知ってるも何も」
元白軍将校を見る。
「軍の技術者から何度も聞いたぞ!」
元白軍将校:
「そうか」
「そうか!?」
親族は立ち上がった。
「変な双発機作ってる会社だろ!」
若い社員:
「変なは余計です」
「頑丈で、やたら現場修理が利いて、部品の考え方がおかしいって聞いた!」
元白軍将校:
「褒められてるな」
「褒めてるのか困ってるのか分からん話だった!」
元金持ちが小さく笑った。
親族は続ける。
「Turだろ」
「ああ」
「Bizon」
「ああ」
「それから、あの二輪の台車」
元白軍将校:
「猫車」
「そう、それ!」
若い社員が小声で言う。
「やっぱり猫車が強い」
親族:
「軍の技術者がな、“飛行機会社なのに、なぜか台車が便利だ”って言ってたんだぞ」
元白軍将校:
「便利ならいい」
「お前が作ったのか!」
「五人で作った会社だ」
親族が止まる。
「五人?」
「ああ」
「誰と」
元白軍将校は指を折るでもなく、淡々と言った。
「元ドイツ軍技術者」
親族:
「うん」
「ユダヤ人実業家」
「……うん?」
「元独立運動家」
「待て」
「ポーランド軍将校」
「待てと言ってる」
「俺」
親族は両手で顔を覆った。
元金持ちが笑いをこらえる。
若い社員は慣れていた。
親族:
「何だ、その会社」
元白軍将校:
「WILKだ」
「名前を聞いてるんじゃない!」
---
親族は部屋を歩き始めた。
「お前、ロシアから消えて」
「ああ」
「ポーランドへ行って」
「ああ」
「会社を作って」
「ああ」
「飛行機を作って」
「俺は作ってない。技術者が作った」
「会社としてだ!」
「ああ」
「それが今度はポーランドが陥落して」
「ああ」
「英国へ来た」
「ああ」
「何十年ぶりに何の連絡もなく」
「ああ」
「突然」
そこで親族の男が窓の方を見た。
ようやく気づいた。
屋敷の前。
人影。
たくさん。
若い社員が嫌な顔をした。
元金持ちは目を逸らした。
親族:
「……外に何かいるな」
元白軍将校:
「同行者だ」
「何人」
元白軍将校:
「六十くらい」
元金持ち:
「六十四」
元白軍将校が見る。
「言わなくていい」
親族:
「六十四!?」
元金持ち:
「私は正確な数字を言っただけです」
若い社員:
「この人、会計なので」
元金持ち:
「会計ではない!」
親族は窓へ駆け寄った。
庭を見る。
子供。
老人。
荷物。
兵士。
元赤軍兵。
家族。
知らない人。
さらに知らない人。
親族はゆっくり振り返った。
「……全員?」
元白軍将校:
「当てがない」
「だから?」
「今夜だけ」
元金持ちが小さく咳払いした。
「恐らく一晩では済みません」
元白軍将校:
「余計なことを言うな」
親族:
「電話一本出せ!」
---
その後。
屋敷は戦場になった。
ただし敵はいなかった。
寝床との戦争だった。
親族の男が使用人を呼ぶ。
家族も集まる。
部屋を数える。
客間。
書斎。
空き部屋。
使用人部屋。
屋根裏。
納屋。
馬小屋。
庭。
近隣の親族。
知人。
教会。
親族の男は電話を使い始めた。
元白軍将校が横で見ている。
「何をしている」
親族:
「お前がしなかったことだ!」
「何だ」
「連絡!」
一軒目。
「久しぶりだ。悪いが、人を何人か泊められないか」
二軒目。
「家族連れだ」
三軒目。
「いや、戦争の話は後でいい」
四軒目。
「六十四人全部うちには入らん!」
元金持ちはその横で人数を割り振る。
「子供連れ十二名はこちら」
若い社員:
「老人六名、教会側」
元赤軍兵:
「男だけなら納屋で十分です」
親族:
「お前は?」
赤軍兵:
「途中で拾われました」
親族は元白軍将校を見る。
元白軍将校:
「昔の部下だ」
親族:
「赤軍服だぞ」
赤軍兵:
「色々ありまして」
親族:
「もう聞かない」
---
夜。
何とか全員に屋根がついた。
少なくとも雨は避けられる。
食事も出た。
近隣からパンが来た。
スープ。
温かい茶。
子供たちは眠った。
老人も。
元金持ちは最後まで帳簿を書いていた。
親族の男が隣へ座る。
「あなたもWILK?」
元金持ち:
「違います」
「では?」
「途中で拾われました」
親族はしばらく黙った。
「……それ、流行ってるのか」
元金持ち:
「私も知りたいです」
元白軍将校が向こうから言う。
「会計だ」
元金持ち:
「違う!」
親族が初めて笑った。
---
寝る前。
親族の男は元白軍将校へ一枚の紙を渡した。
「何だ」
「電話番号だ」
「誰の」
「うちの」
元白軍将校:
「もう来たぞ」
「今度来る前に使え」
「また来るのか」
「お前なら来る!」
元白軍将校は紙を見る。
ポケットへ入れる。
親族:
「失くすなよ」
「ああ」
「それと」
「何だ」
「明日、WILKにも連絡しろ」
元白軍将校は少し黙った。
若い社員が顔を上げる。
元金持ちも手を止める。
親族の男が眉を寄せた。
「……まさか」
元白軍将校:
「まだしてない」
親族は目を閉じた。
そして静かに言った。
「お前」
一呼吸。
「英国に着いたことを、会社にも連絡してないのか」
元白軍将校:
「忙しかった」
親族:
「明日最初に電話しろ」
元白軍将校:
「ああ」
元金持ち:
「絶対だぞ」
若い社員:
「四人とも怒るでしょうね」
元白軍将校:
「何でだ」
部屋にいた全員が元白軍将校を見る。
誰も答えなかった。
答える必要がなかった。
明日。
元白軍将校は、ようやくWILKへ電話をかける。
何十年ぶりに親族へ顔を出した男が。
今度は数週間ぶりに、会社の仲間へ生存報告をするために。
順序が全部逆だった。