WILK ―忘れずの故郷―   作:ヒツジ(ラム肉

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『一九三九年秋・英国滞在初期記録』

英国到着後、WILK関係者は一時的に複数の民家、親族宅、教会施設その他へ分散収容された。

この過程で、避難行に同行していた複数名が、英国におけるWILK業務へ参加した。

正式な採用日については記録が一致しない。

本人の認識と会社側の認識にも差がある。

特に会計関係者一名については、

本人:

「私は雇われた覚えがない」

会社:

「英国到着前から働いている」

との記録が残されている。


第207話 着いたら先に連絡しろ

 

 

翌朝。

 

元白軍将校は起こされた。

 

親族に。

 

「電話」

 

「何だ」

 

「電話しろ」

 

「朝飯は」

 

「後だ」

 

「茶くらい」

 

「電話が先だ」

 

元白軍将校は寝台の上で親族を見る。

 

親族も見る。

 

「……お前、昨日約束したな?」

 

「ああ」

 

「会社へ連絡すると」

 

「ああ」

 

「なら起きろ」

 

「まだ早い」

 

「何十年も連絡しなかった人間が時間を気にするな!」

 

廊下から若いWILK社員の笑い声がした。

 

元白軍将校:

 

「聞いてるぞ」

 

若い社員:

 

「すみません!」

 

元金持ち:

 

「聞かせてるんだよ」

 

---

 

朝食後。

 

電話のある部屋に人が集まった。

 

元白軍将校。

 

若いWILK社員。

 

元金持ち。

 

元税務官。

 

元赤軍兵だった元部下。

 

親族。

 

なぜか使用人まで扉の近くにいた。

 

元白軍将校が見る。

 

「何でこんなにいる」

 

元金持ち:

 

「逃げないようにだ」

 

「逃げん」

 

親族:

 

「信用できん」

 

若い社員:

 

「昨日まで会社にも連絡してなかった人ですからね」

 

元白軍将校:

 

「うるさい」

 

番号を確認する。

 

何か所かを経由する。

 

WILKの国外連絡先。

 

しばらく待つ。

 

交換手。

 

別の番号。

 

さらに待つ。

 

やがて。

 

つながった。

 

---

 

最初に出たのは、ユダヤ人実業家だった。

 

『はい』

 

元白軍将校:

 

「俺だ」

 

沈黙。

 

『……誰です?』

 

元白軍将校は名乗った。

 

再び沈黙。

 

『…………生きていたんですか』

 

「ああ」

 

『今どこです』

 

「英国」

 

また沈黙。

 

『英国?』

 

「ああ」

 

『いつ着いたんです』

 

「昨日」

 

電話の向こうで、何かが机へ置かれる音がした。

 

『昨日?』

 

「ああ」

 

『昨日英国に着いて、なぜ今電話してるんです!』

 

元白軍将校は受話器を少し耳から離した。

 

元金持ちが頷く。

 

「当然だ」

 

元白軍将校:

 

「忙しかった」

 

『何をしていたんです』

 

「人を泊めていた」

 

『何人』

 

元白軍将校は元金持ちを見る。

 

元金持ち:

 

「六十四」

 

『六十四?』

 

元白軍将校:

 

「今はもう少し減った」

 

『そういう問題じゃありません!』

 

親族が腕を組んだ。

 

「同じことを言われてるな」

 

---

 

ユダヤ人実業家はしばらく怒った。

 

それから急に声が仕事へ戻った。

 

『英国側に何人残りました』

 

元金持ちが紙を出す。

 

元白軍将校:

 

「ちょっと待て」

 

元金持ち:

 

「五十八。今日午前に六人移動」

 

『そちらは?』

 

元金持ち:

 

「元金持ちです」

 

沈黙。

 

『……元?』

 

元金持ち:

 

「そこは説明しなくていい」

 

元白軍将校:

 

「途中で拾った」

 

『また拾ったんですか』

 

「使える」

 

元金持ち:

 

「人の紹介をそれで済ませるな」

 

電話の向こうで、小さく笑う声がした。

 

『会計をやっている方ですか』

 

元金持ち:

 

「やってません」

 

若い社員:

 

「やってます」

 

元税務官:

 

「やっています」

 

元白軍将校:

 

「やってる」

 

元金持ち:

 

「全員黙れ!」

 

ユダヤ人実業家:

 

『帳簿、あります?』

 

元金持ちは反射的に答えた。

 

「あります」

 

『支払証書の控えは』

 

「全部番号順です」

 

『輸送費』

 

「別冊」

 

『車両』

 

「所有者別」

 

『各地への未払い』

 

「確認中。請求先不明が七件」

 

少し間。

 

『……いつから働けます?』

 

元金持ち:

 

「待て」

 

若い社員が吹き出した。

 

『英国側の会計と避難費用整理、人手が足りないんです』

 

元金持ち:

 

「私はWILK社員ではない」

 

『今まで何をしていたんです?』

 

「帳簿をつけていた」

 

『誰の』

 

「WILKの」

 

『では働いてますね』

 

「違う!」

 

元白軍将校:

 

「採用でいい」

 

元金持ち:

 

「本人を飛ばすな!」

 

ユダヤ人実業家:

 

『給与は後で決めましょう』

 

「決まった!?」

 

---

 

その後。

 

元ドイツ軍技術者につながった。

 

第一声。

 

『生きていたのか』

 

「ああ」

 

『なら先に連絡しろ!』

 

「お前もそれか」

 

『全員それを言う』

 

「まだ二人目だ」

 

『全員言う』

 

元白軍将校:

 

「予言するな」

 

『ところで技術者はいるか』

 

元白軍将校が後ろを見る。

 

若い社員:

 

「いますね」

 

元赤軍兵だった元部下:

 

「整備経験者なら」

 

元金持ち:

 

「車両整備二名、鍛冶一名、電気経験者一名、通信関係三名」

 

元ドイツ軍技術者:

 

『名簿を送れ』

 

元金持ち:

 

「送れるようにまとめてあります」

 

『助かる』

 

元金持ち:

 

「だから私は――」

 

『あなた誰です』

 

「元金持ちです」

 

『変な役職だな』

 

「役職ではない!」

 

---

 

元独立運動家へ。

 

『子供は』

 

元白軍将校:

 

「いる」

 

『何人』

 

「知らん」

 

『数えなさい』

 

元金持ち:

 

「十一。十五歳以下。うち七歳以下四名」

 

元独立運動家:

 

『あなた助かりますね』

 

元金持ち:

 

「ありがとうございます」

 

若い社員:

 

「受け入れた」

 

元金持ち:

 

「違う!」

 

『家族単位の名簿は』

 

「あります」

 

『健康状態』

 

「途中で簡単な記録を」

 

『住居候補』

 

元金持ちが親族を見る。

 

親族:

 

「近隣で二軒、教会経由で三か所。あと知人に問い合わせ中だ」

 

元独立運動家:

 

『素晴らしい』

 

親族:

 

「私はWILKではないぞ」

 

元金持ち:

 

「私もです」

 

若い社員:

 

「似た者同士ですね」

 

二人:

 

「違う」

 

---

 

最後。

 

ポーランド軍将校。

 

電話がつながる。

 

『もしもし』

 

元白軍将校:

 

「俺だ」

 

『……着いたのか』

 

「ああ」

 

『どこへ』

 

「英国」

 

少し間。

 

『いつ』

 

「昨日」

 

長い沈黙。

 

元白軍将校:

 

「何だ」

 

『私は港で待つなと伝えた』

 

「ああ」

 

『先へ行けとも伝えた』

 

「ああ」

 

『だが』

 

少し声が低くなる。

 

『英国まで着いてから連絡しろとは言ってないぞ』

 

部屋にいた全員が笑った。

 

元白軍将校:

 

「分かった」

 

『何が』

 

「次は着いたら連絡する」

 

『次がある前提なのか』

 

「分からん」

 

『お前は昔からそうだ』

 

元白軍将校:

 

「昔のことだ」

 

『今もだ!』

 

親族が強く頷いた。

 

---

 

四人への連絡が終わる。

 

元白軍将校は受話器を置いた。

 

部屋が静かになる。

 

若い社員:

 

「どうでした?」

 

「怒られた」

 

「何人に」

 

「四人」

 

元金持ち:

 

「全員じゃないか」

 

「ああ」

 

親族:

 

「当然だ」

 

元白軍将校:

 

「お前まで言うな」

 

---

 

そこで終わるはずだった。

 

終わらなかった。

 

電話が鳴った。

 

親族が取る。

 

少し話す。

 

元白軍将校へ渡す。

 

「WILK」

 

元白軍将校:

 

「何だ」

 

電話の向こうはユダヤ人実業家。

 

『さっき忘れてました』

 

「何を」

 

『英国側で動ける人間、必要なんです』

 

「いるぞ」

 

元金持ち:

 

「嫌な予感がする」

 

『会計の方』

 

「私は会計ではない!」

 

『税務経験者』

 

元税務官:

 

「はい」

 

『通信経験者』

 

元赤軍兵だった元部下が手を挙げる。

 

『運転手』

 

何人かいる。

 

『整備』

 

いる。

 

『通訳できる者』

 

いる。

 

『英国に残る予定のWILK社員』

 

若い社員:

 

「はい」

 

『では一度まとめて、英国側仮事務所を作ってください』

 

元金持ち:

 

「待て!」

 

ユダヤ人実業家:

 

『何です』

 

「なぜ私が入っている」

 

『帳簿を持ってるでしょう』

 

「持ってる」

 

『支払先を知ってる』

 

「知ってる」

 

『人員を把握してる』

 

「してる」

 

『車両の所在も』

 

「だいたい」

 

『ではあなたが一番事情を知っている』

 

元金持ちは黙った。

 

若い社員:

 

「採用ですね」

 

「違う」

 

元税務官:

 

「私は手伝えます」

 

元赤軍兵だった元部下:

 

「俺も当面は」

 

親族:

 

「屋敷は事務所にするなよ」

 

元白軍将校:

 

「一部屋くらい」

 

「駄目だ!」

 

---

 

昼。

 

食卓の端に紙が積まれた。

 

英国側仮連絡所。

 

そう書いた紙を若い社員が置いた。

 

元金持ち:

 

「誰が書いた」

 

「私です」

 

「消せ」

 

「もう電話で三か所に伝えました」

 

「早い!」

 

元税務官が支出表を作る。

 

通信経験者が連絡先一覧を作る。

 

整備経験者は近場で使える車両を確認し始める。

 

運転手は駅と港への道を聞く。

 

親族は知人へ電話。

 

若い社員はWILKの国外拠点へ電報を出す。

 

元金持ちは。

 

帳簿を開いた。

 

元白軍将校が見る。

 

「働いてるな」

 

「整理してるだけだ」

 

「何を」

 

「英国到着後の支出」

 

「会社の?」

 

「……そうだ」

 

「働いてるな」

 

元金持ちはペンを止めた。

 

「お前、本当に嫌いだ」

 

---

 

夕方。

 

電話がまた鳴った。

 

フランスからだった。

 

港に残した車両について。

 

一台。

 

二台。

 

三台。

 

後続輸送へ使用中。

 

燃料代。

 

修理費。

 

運転日当。

 

新しい避難民。

 

元金持ちは内容を聞きながら紙へ書く。

 

「はい」

 

「はい」

 

「所有者の確認は」

 

「ある」

 

「では払う」

 

若い社員:

 

「WILK払い?」

 

元金持ち:

 

「他に何がある」

 

「会計ですね」

 

元金持ち:

 

「黙れ」

 

電話を切る。

 

次の紙を見る。

 

今度はイタリア。

 

その次はもっと東。

 

どこかの駅。

 

どこかの宿。

 

どこかの修理工場。

 

元白軍将校たちは英国へ着いた。

 

だが。

 

彼らが通った道は、まだ動いていた。

 

人を乗せ。

 

車を走らせ。

 

駅へ送り。

 

船へ送り。

 

食わせ。

 

泊め。

 

直し。

 

そして請求書だけが、少し遅れて西へ追いついてくる。

 

元金持ちはその束を見る。

 

「……これ、いつ終わる」

 

元白軍将校:

 

「知らん」

 

「だろうな」

 

「払えるうちは払え」

 

元金持ちはため息をついた。

 

「それは最初からそのつもりだ」

 

元白軍将校:

 

「やっぱり向いてるな」

 

「何に」

 

「WILK」

 

元金持ちは答えなかった。

 

ただ次の請求書を取った。

 

その横で元税務官も帳簿を開いた。

 

元赤軍兵だった男は連絡票を整理した。

 

若いWILK社員は机を一つ増やした。

 

誰も採用式などしていない。

 

辞令もない。

 

契約書もまだない。

 

だが。

 

仕事はあった。

 

必要な人間もいた。

 

そして必要な人間が、そこにいた。

 

それだけで充分だった。

 

---

 

夜。

 

元白軍将校が電話のある部屋を通り過ぎた。

 

親族が呼び止める。

 

「おい」

 

「何だ」

 

「今日の教訓は」

 

元白軍将校は少し考えた。

 

「英国にも仕事はある」

 

親族:

 

「違う」

 

若い社員:

 

「着いたら?」

 

元金持ち:

 

「先に?」

 

元税務官:

 

「連絡を?」

 

元白軍将校は全員を見る。

 

「……着いたら先に連絡する」

 

親族:

 

「よし」

 

元白軍将校:

 

「次からな」

 

親族:

 

「次を作るな!」

 

笑い声が屋敷に響いた。

 

長い撤退は終わった。

 

だが。

 

道は残った。

 

道を知る人間も。

 

道を使う車も。

 

その先で人を受け取る者も。

 

そして、その全部を後から金でつなぐ会社も。

 

誰か一人が作ったわけではない。

 

誰か一人が命令したわけでもない。

 

必要な場所で。

 

必要な人間が。

 

少しずつ続きを作った。

 

道は、人が作る。

 

 

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