英国到着後、WILK関係者は一時的な連絡場所を必要とした。
電話。
郵便。
電報。
帳簿保管。
会議。
面談。
人員配置。
輸送調整。
これらを処理できる場所として、元白軍将校の親族宅の一室が使用された。
当初の使用目的は、
「数日間の仮連絡場所」
であった。
数日後。
机が増えた。
電話が増えた。
書類棚が増えた。
来客も増えた。
屋敷の所有者は、
「ここは我が家だ」
と繰り返し主張した。
その主張自体は、最後まで正しかった。
第209話 ここは我が家だ
朝。
親族は食堂で新聞を読んでいた。
静かだった。
久しぶりに。
昨日までは子供が走り。
知らない老人が廊下で迷い。
元赤軍兵が庭で靴を磨き。
元金持ちが食堂の端で帳簿を広げ。
若いWILK社員が電話を借り。
元白軍将校が当然のように人を増やしていた。
だが大半の避難民は、ようやく別の宿泊先へ移った。
教会。
知人宅。
借家。
一部はWILKが確保した住居。
一部はさらに別の土地へ。
屋敷は、少しだけ元の静けさを取り戻した。
親族は紅茶を飲んだ。
新聞をめくる。
「……静かだ」
使用人が答える。
「はい」
「実にいい」
「はい」
「昨日までがおかしかったんだ」
「はい」
親族は新聞を畳んだ。
「今日は誰も来ないな?」
使用人は一瞬だけ黙った。
親族が顔を上げる。
「何だ」
「九時にお客様が」
「誰だ」
「WILK関係です」
親族は目を閉じた。
「……まだいたのか」
---
九時。
一台来た。
九時十五分。
もう一台。
九時半。
軍服の男。
九時四十分。
民間人二人。
十時。
銀行関係者。
十時十分。
また軍人。
親族は玄関脇に立っていた。
「多いな」
若いWILK社員:
「今日は少ない方です」
「比較対象がおかしい」
元金持ちが廊下を通る。
帳簿を抱えていた。
親族:
「おい」
「何です」
「どこへ行く」
「会議室」
親族は止まった。
「何?」
元金持ちも止まる。
「会議室です」
「そんな部屋はない」
若い社員が指差す。
「昨日まで書斎だったところです」
親族:
「今も書斎だ!」
元白軍将校が奥から出てくる。
「机があるから使える」
親族:
「私の机だ!」
「広い」
「私の書斎だからな!」
元白軍将校:
「助かる」
「礼を言えば済むと思うな!」
---
書斎。
いや。
親族本人の主張によれば、今も書斎。
WILK側の書類では、
英国仮連絡所・第一会議室。
壁には地図。
机には電話。
別の机には帳簿。
さらに折り畳み机が二台増えていた。
親族は入口に立つ。
「誰がこの机を入れた」
若い社員:
「私です」
「誰の許可で」
元白軍将校:
「俺がいいと言った」
親族:
「お前の家じゃない!」
元金持ち:
「まあまあ」
親族:
「お前は黙れ。お前が一番書類を置いてる!」
元金持ちは机を見る。
確かに。
英国到着後の支出記録。
狼回廊から届く請求。
フランスからの連絡。
車両関係。
人員名簿。
銀行関係。
全部ある。
「必要なので」
「必要なら会社を借りろ!」
若い社員:
「探してます」
親族:
「昨日もそう言ってたぞ」
「まだ見つかってません」
「見つかるまで何日だ」
元白軍将校:
「分からん」
親族:
「お前には聞いてない!」
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そこへ軍服姿の客が入ってきた。
親族は顔を変えた。
「お久しぶりです」
相手も親族へ手を差し出す。
「こちらこそ」
元白軍将校が見る。
「知り合いか」
親族:
「お前が知らないだけで、こちらにも人生はある」
「そうか」
「そうかじゃない」
軍人は笑った。
「彼が例の?」
親族:
「そうです」
元白軍将校:
「何が例だ」
親族:
「色々だ」
軍人が元白軍将校と握手する。
「WILKのお話は伺っています」
元白軍将校:
「誰から」
軍人:
「航空関係者から」
親族:
「ほら」
元白軍将校:
「何が」
「私の話を信じなかっただろ」
「信じてた」
「顔が信じてなかった」
---
会議が始まる。
話題は航空機だった。
ポーランドから逃れた技術者。
英国で使える生産設備。
航空機部品。
整備器材。
そして元ドイツ軍技術者。
軍人:
「本人は英国に?」
若い社員:
「現在こちらへ移動中です」
親族:
「会わせられます」
元白軍将校が親族を見る。
「お前が?」
親族:
「何だ」
「積極的だな」
親族は少しだけ咳払いした。
「軍の技術者に話を通せる」
「なるほど」
「何だその顔は」
元白軍将校:
「使えるな」
親族:
「人をお前の基準で見るな!」
だが。
否定はしなかった。
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その日の午後。
親族は別の電話をかけていた。
「ええ」
「例のポーランド企業です」
少し間。
「いや、ただの航空機会社ではないようです」
元金持ちが横を通る。
親族は続ける。
「英国での生産も検討している」
「そうです」
「その件でしたら、一度会われた方がいいでしょう」
電話を切る。
元金持ちが止まる。
「今の誰です」
「知人だ」
「何の」
「工業関係」
元金持ち:
「紹介してくれるんですか」
親族:
「必要なら」
元金持ちが少し驚く。
「ありがたい」
親族:
「勘違いするな」
「何を」
「この家を勝手に事務所にされた代金だ」
元金持ち:
「代金?」
「私にも利益が必要だ」
元金持ちは数秒黙った。
それから笑った。
「なるほど」
親族:
「何がおかしい」
「元白軍将校の親族だなと思いまして」
「一緒にするな」
奥から声がした。
元白軍将校:
「聞こえてるぞ」
親族:
「聞かせてる!」
---
変化は早かった。
最初は、
「突然六十四人連れてきた親戚」
だった。
次に、
「WILK創業者の親族」
になった。
さらに数日後には、
「WILKの英国側連絡場所を提供している人物」
になった。
軍関係者が来る。
技術者が来る。
銀行家が来る。
運送業者。
工場関係者。
法律家。
亡命ポーランド人関係者。
誰かが別の誰かを連れてくる。
その度に親族は玄関で、
「ここはWILKの事務所ではない」
と言った。
そして十分後には、
「その件なら知人を紹介できます」
と言っていた。
---
ある日。
若いWILK社員が気づいた。
「最近、お客様増えましたね」
親族:
「お前たちのせいだ」
「でも親族さん宛ても多いですよ」
「……」
元金持ちも帳簿から顔を上げる。
「昨日も銀行の人が」
親族:
「昔からの知人だ」
「一昨日は軍需会社」
「紹介された」
「その前は地方議員」
親族:
「たまたまだ」
元白軍将校:
「影響力増えたな」
親族:
「うるさい」
元白軍将校:
「喜んでるだろ」
親族:
「喜んではいない」
少し間。
「利用しているだけだ」
元白軍将校はうなずいた。
「やっぱり親族だな」
親族:
「それ以上言うな」
---
その日の夕方。
一人の実業家が屋敷を訪れた。
親族の旧知だった。
最初はWILKとの面談目的。
だが話が終わった後、親族と二人で別室へ。
「最近ずいぶん人が集まるそうですね」
親族:
「迷惑している」
「羨ましい迷惑ですね」
「何が」
「軍も企業も銀行も、この家へ来る」
親族は紅茶を飲む。
「勝手に来るだけだ」
「それを人脈と言うんですよ」
少し沈黙。
親族は窓の外を見る。
庭ではWILK社員が荷物を運んでいる。
元赤軍兵だった男が誰かと話している。
電話が鳴る。
使用人が走る。
別の車が門へ入る。
親族は小さく息を吐いた。
「……まあ」
「まあ?」
「使えるものを捨てるほど、余裕はない」
実業家が笑った。
「昔からそうでしたか」
親族:
「血筋だと言ったら腹が立つ」
---
翌朝。
書斎。
元白軍将校が入る。
机が一つ増えていた。
親族が座っている。
元白軍将校:
「何だそれ」
親族:
「私の机だ」
「前からあっただろ」
「あれはお前たちに占領された」
「これは?」
「私専用」
机の上には、
軍関係者の名刺。
企業関係者の名刺。
銀行。
法律家。
地方行政関係者。
いくつもの連絡先。
元白軍将校が見る。
「増えたな」
親族:
「お前たちが勝手に人を連れてくるからだ」
「嫌なら断ればいい」
「馬鹿を言うな」
即答だった。
元白軍将校:
「ほら」
「何だ」
「喜んでる」
親族:
「違う」
「では?」
親族は名刺を一枚取った。
「使えるものを使ってるだけだ」
元白軍将校は少し笑った。
「やっぱり親族だ」
親族:
「出ていけ」
「会議がある」
「ここは我が家だ!」
---
だが。
元白軍将校は出ていかなかった。
十分後。
元金持ち。
若いWILK社員。
元税務官。
軍関係者。
銀行関係者。
さらに二人。
全員が書斎へ入った。
親族は自分の机からそれを見る。
「……何の会議だ」
元金持ち:
「英国での生産拠点について」
親族:
「誰が来る」
若い社員:
「元ドイツ軍技術者も」
親族が少し身を乗り出した。
「例の?」
元白軍将校:
「ああ」
親族:
「軍の技術担当にも連絡する」
元白軍将校:
「積極的だな」
親族:
「黙れ」
すぐ電話へ手を伸ばす。
その姿を見て。
若い社員が小声で元金持ちへ言った。
「もう完全にWILKですよね」
元金持ち:
「本人には言うな」
親族:
「聞こえてるぞ!」
---
ポーランドにあった本社は失われた。
工場も。
倉庫も。
土地も。
五人も散った。
だが。
英国のある屋敷では。
一室に地図が掛かり。
電話が鳴り。
帳簿が積まれ。
技術者が呼ばれ。
銀行家が訪れ。
新しい仕事の話が始まっていた。
会社というものが建物なら。
WILKはもう存在しなかった。
だが。
そこに人が集まり。
仕事が始まり。
信用がつながるなら。
話は別だった。
親族は、その日の午後も三度言った。
「ここは我が家だ」
四度目は。
誰も数えなかった。