【WILK社内資料・一九四〇年初頭】
Taureau試作一号機の飛行試験成功後、フランス国内における量産準備が開始された。
試作機の性能は、旧Bizon系列が長く抱えていた出力不足を大きく改善していた。一方で、生産能力を調査した結果、航空機の生産速度は機体そのものではなく、車輪、制動装置、無線機、計器など個々の部品供給によって制限されることが判明した。
WILKはこれに対し、自社のみで設備を抱えるのではなく、フランス国内の複数企業へ生産を分散。
さらに各企業が継続的に利益を得られる価格設定を行い、銀行融資による設備増強まで含めた生産体制を構築した。
後年、この時期の資料には次の一文が残されている。
「一社だけが利益を得る生産網は、一社が倒れた時に終わる」
この会議はまた、後にWILKの会計・調整部門、法務・税務部門へ発展する二人の実務担当者が、主要会議へ常時参加するようになった最初期の例でもあった。
――WILK企業史資料より
Taureau一号機は飛んだ。
それはもう確認した。
問題は、その次だった。
一機が飛んだところで、戦争にはほとんど意味がない。
十機。
二十機。
さらにその先。
同じ性能を持つ機体を、同じ品質で、必要な時期までに揃えなければならない。
長机の上には、試作一号機の飛行試験結果が並んでいた。
最高速度、時速四百七キロ。
経済巡航速度、時速三百五キロ。
標準燃料時航続距離、約千二百五十キロ。
標準爆装、四百キログラム。
短距離任務時には六百キログラムまで搭載可能と見積もられているが、これは今後の試験対象。
離陸滑走距離、標準搭載時約四百十メートル。
片発停止時、搭載量と高度によっては水平飛行を維持できない。
だが操縦は可能。
降下しながら着陸地点を選ぶ余地は残る。
不整地試験も合格。
主脚の緊急展開も問題なし。
熟練した整備班による発動機交換は七時間四十分。
ポーランド軍将校は資料を一枚めくった。
「速くなったな」
それが最初の感想だった。
元ドイツ軍技術者は、試験記録へ何かを書き込みながら答えた。
「速くなったから重くしてよい、という意味ではない」
「まだ何も言っていない」
「顔に書いてある」
「何がだ」
「追加装備」
ポーランド軍将校は黙った。
図星だった。
フランス側の技術者たちが小さく笑う。
Bizonが長年欲しがっていた馬力を、Taureauはようやく手に入れた。
だからこそ、余った性能を全部装備へ変えようとする誘惑が生まれる。
それを元ドイツ軍技術者は警戒していた。
だが。
今日の会議で議論するのは、それよりもっと地味な話だった。
飛行機を何機作れるか。
そして。
誰が、その仕事で儲かるか。
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会議室には、航空機会社だけが集まっているわけではなかった。
発動機会社。
無線機会社。
計器会社。
車輪と制動装置を製造する会社。
板金工場。
鋳造会社。
配線業者。
油圧部品会社。
木製治具や輸送架を作る小規模工場までいる。
その後ろには、複数の民間銀行から来た担当者も座っていた。
そしてWILK側には、創業者五人に加えて二人。
元金持ち。
元税務官。
二人とも、なぜ自分までこの場に座っているのかという顔をしていた。
ユダヤ人実業家が立ち上がった。
「始める前に一つ」
元金持ちが眉をひそめた。
元税務官も同じ顔をした。
二人とも嫌な予感がしたらしい。
「今後、主要な会議にはこの二人にも出てもらいます」
「聞いてないぞ」
「私も聞いていません」
「今、言いました」
元税務官が額を押さえた。
元金持ちは椅子へ深く座る。
「俺は会計ではない」
「知っています」
「ではなぜ俺がいる」
「会計以外も見ているからです」
「勝手に見えるだけだ」
「便利ですね」
「褒めてないな?」
実業家は今度は元税務官へ向いた。
「あなたには、税務、銀行、契約、証憑、それから法的処理を」
「増えてませんか」
「増えました」
「私は税務官だったんですが」
「だから頼むのです」
「銀行員でも弁護士でもありません」
「必要なら人を付けます」
元税務官の動きが止まった。
「人を?」
「ええ」
ユダヤ人実業家は淡々と続ける。
「今後、WILKが関わる国はさらに増えます。私一人で資金、持分、契約、銀行、取引を見続ける方が危険です」
そこで他の四人も見る。
「一人に全部を預けない。それは工場だけの話ではありません」
元金持ちが腕を組んだ。
「だから俺たちに預けるのか」
「分けて預けます」
元税務官が即座に返した。
「言い方を変えただけでしょう」
「給料も変えます」
二人が黙った。
元白軍将校が言った。
「よかったな」
元税務官が睨む。
「あなたには言われたくありません」
「なぜだ」
「あなたの後始末もこちらへ来るからです!」
元白軍将校は少しだけ考えた。
「そうか」
「そうです」
「頼む」
「そういうところです!」
会議室に笑いが漏れた。
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元ドイツ軍技術者の息子が、次の資料を配った。
彼の仕事は、設計そのものではない。
設計されたものを、現実に作れるものへ変えることだった。
図面がある。
材料もある。
工場もある。
だが、それだけでは量産できない。
いつ届くか。
何個届くか。
寸法は合うか。
検査できるか。
別会社で作れるか。
遅れた場合、代わりがあるか。
設計変更をした場合、何社へ連絡しなければならないか。
そのすべてを繋ぐ必要がある。
「現在の主要部品の調達日数です」
資料に数字が並ぶ。
発動機。
契約確定後、初回分二十六日。
以降、月産枠拡大可能。
主脚用車輪及び制動装置。
十九日。
ただし現在の設備では、月八機分が上限。
無線機。
二十三日。
既存軍用受注との競合あり。
主要飛行計器。
十四日。
油圧部品。
十一日。
電装品。
九日から十七日。
機体用板金部品。
七日。
鋳造部品。
九日。
木製治具及び輸送架。
五日。
ポーランド軍将校が資料から顔を上げた。
「機体そのものは?」
「材料が揃えば、最終組立は現状で十二日です」
「月産は?」
「理論上では十二機程度まで」
「実際は?」
「八機です」
「なぜだ」
即答だった。
「車輪です」
沈黙。
ポーランド軍将校はもう一度資料を見る。
確かに書かれている。
月八機分。
「飛行機が車輪で止まるのか」
元ドイツ軍技術者が言った。
「飛行機だから車輪で止まる」
「そういう意味ではない」
「だが事実だ」
翼ではない。
発動機でもない。
武装でもない。
車輪と制動装置。
飛行機は、一番遅い部品より速く作ることができない。
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ユダヤ人実業家が別の紙を持ち上げた。
「では利益の話をしましょう」
フランス側の工場主たちの姿勢が少し変わった。
数字が並ぶ。
二十機を一つの生産単位として計算した場合。
発動機会社。
材料、人件費、設備償却後の予定粗利益率、約九パーセント。
車輪及び制動装置会社。
約十一パーセント。
無線会社。
約八パーセント。
計器会社。
約七パーセント。
板金、鋳造各社。
六から九パーセント。
治具、輸送架、梱包などの小規模発注。
八から十三パーセント。
WILKは、設計使用料、生産調整費、検査体系整備費を受け取る。
フランス側の工場主が尋ねた。
「かなり利益を残すのですね」
「残します」
「戦時です。もっと絞れるでしょう」
「絞れます」
実業家はあっさり答えた。
「一度だけなら」
工場主が黙った。
「私たちは二十機だけ作って終わりたいのではありません」
実業家は続けた。
「最初の二十機を作った会社が、次の二十機も作りたくなる状態にしたい」
「利益があるから?」
「利益があるからです」
簡単な話だった。
「愛国心だけでは旋盤は増えません。追加の治具も買えません。熟練工へ残業代も払えない。そして利益がなければ、銀行も金を貸しません」
後ろにいた銀行員の一人が僅かに頷く。
実業家は車輪会社の欄を指した。
「ここが月八機分しか作れない」
「はい」
「では設備を増やしてください」
車輪会社の代表が答えた。
「二本目の設備を入れれば、十二機分までは可能です」
「必要資金は?」
数字が示された。
安くはない。
だが銀行側から声が出た。
「受注が確定するなら、設備融資は検討できます」
その瞬間。
元税務官が顔を上げた。
「誰に対する融資ですか」
銀行員が一瞬止まる。
「車輪製造会社へです」
「WILKではない?」
「ええ。フランス国内企業が、自社設備を増強するための融資です」
「金利は」
答えが出る。
「据置期間は」
答えが出る。
「発注縮小時の扱いは」
再び答え。
「設備所有権は?」
「企業側です」
「担保は」
「機械設備と、売掛債権の一部を」
「軍からの支払が遅延した場合は?」
銀行員は少し長く説明した。
元税務官は黙々と書き留める。
その横から、元金持ちが小声で言った。
「こういう時にな、設備会社を別法人にして貸し出す形にすると――」
「やめてください」
「まだ何も言ってないぞ」
「あなたがその声で話し始めた時は、大体ろくなことではありません」
「合法だ」
「その言葉をあなたが言うと怖いんです!」
ユダヤ人実業家が振り向いた。
「後で聞かせてください」
「聞かないでください!」
元税務官の仕事が、また一つ増えた。
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問題は車輪だけではない。
無線会社は、既存の軍用無線受注と競合していた。
ならば、無線機が届くまで機体を待たせる必要はない。
配線だけ先に済ませる。
無線本体は最後に取り付ける。
計器も同じ。
完全な一社依存になっている部品には、第二供給元を探す。
同じ部品が存在しないなら、取り付け部を交換式にする。
板金工場が止まっても別工場へ図面を持っていけるよう、公差表を付ける。
鋳物の型も一か所に集めない。
治具も一組だけにはしない。
一つの工場へすべての図面を渡す必要はない。
ただし。
必要になった時、別の工場で再構成できるだけの記録は残す。
元ドイツ軍技術者の息子が変更表を一枚ずつ確認した。
「フランス国内で作れる部品へ変更した結果、Bizonより専用品は減りました」
父親が答える。
「まだ減らせる」
「分かっています」
「無線架台」
「二号機から変更」
「点検口」
「拡大済み」
「油圧管」
「三社で製造可能な寸法へ統一します」
元ドイツ軍技術者は少しだけ黙った。
それは、褒めた時の顔だった。
息子は気づかないふりをした。
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元独立運動家が資料の別欄を指した。
「設備を増やした場合、人は何人増えます?」
車輪会社側が答える。
「二十人程度でしょう。下請けまで含めれば、もう少し」
「住宅は?」
一瞬、沈黙。
「通勤手段は?」
さらに沈黙。
「食堂は?」
ポーランド軍将校が頭を抱えた。
「始まった」
元独立運動家は平然としている。
「設備だけ増やしても、人が毎日そこへ来られなければ動きません」
「二十人ですよ」
「二十人にも家があります」
元税務官が小さく呟いた。
「雇用契約も増える……」
元金持ちが肩を叩く。
「よかったな」
「あなたもですよ」
「なぜ俺まで」
「人と金と仕事の流れを見るんでしょう?」
元金持ちが黙った。
今度は元税務官が少し満足そうだった。
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会議が終わる頃。
最初にあった問題のいくつかは消えていた。
その代わり。
新しい問題が大量に生まれていた。
Taureauは現状、月八機。
車輪会社が設備を増やせば十二機。
無線機の納入方法を変えれば、組立途中の停滞を減らせる。
治具を追加すれば、他工場も工程へ参加できる。
銀行は設備へ資金を貸す。
企業は利益を得る。
設備が増える。
人を雇う。
住宅が要る。
輸送も増える。
税金も増える。
契約書も増える。
元税務官の机に積まれる紙も増える。
ポーランド軍将校が最後の資料を眺めた。
「結局、WILKはいくら儲かるんだ」
実業家は答える。
「それなりに」
「それなり?」
「ですが、皆さんにも儲けてもらいます」
「そこまで他社に利益を残す理由は?」
実業家は机の上の資料を眺めた。
発動機会社。
車輪会社。
無線会社。
計器会社。
板金工場。
鋳造会社。
小さな工房。
銀行。
輸送会社。
どれ一つとして、WILKそのものではない。
「次も作ってもらうためです」
静かな答えだった。
「私たちだけが儲かれば、私たちが倒れた時に終わる」
契約書を一枚持ち上げる。
「この会社が儲かる」
別の一枚。
「こちらも儲かる」
さらに一枚。
「銀行も利息を得る」
元独立運動家が加えた。
「働く人も給料を得る」
元金持ちも言った。
「町にも金が落ちる」
元税務官が資料から顔も上げずに続けた。
「そして税金も取られる」
皆が元税務官を見た。
「何ですか」
ポーランド軍将校が首を振った。
「いや。お前が言うと妙に締まるな」
元税務官はため息をついた。
ユダヤ人実業家は笑う。
「では」
最後の書類を閉じた。
「皆さんに儲けてもらいましょう」
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会議が終わった後。
元金持ちと元税務官は、並んで廊下を歩いていた。
「飲むか」
「飲みます」
即答だった。
「実はさっきの設備融資なんだがな」
「酒を飲む前から抜け道の話をしないでください」
「合法だぞ」
「だから嫌なんです!」
少し離れた場所で、ユダヤ人実業家は次の資料を閉じた。
表紙には英語で書かれていた。
『英国側生産計画』
その下に、もう一行。
『フランス試作・量産準備データの転用について』
Taureau一機を作るために。
フランスで、いくつもの企業が繋がった。
なら。
そこで得た失敗も。
改善も。
数字も。
次の国で、もう一度最初から集め直す必要はない。
フランスで得たものを。
フランスだけに置いておくつもりはなかった。