一九二二年
一、搭載物は分離済み乳脂肪とし、普通牛乳を使用しない。
二、缶は左右同重量とし、搭載位置、温度、飛行時間を記録する。
三、飛行後は乳業担当者が内容物を検査し、必要な洗浄および加塩を行う。
四、検査終了前の試食を禁ずる。
五、最初の一匙は、その便の操縦士へ渡す。
第五項について、品質管理上の根拠は確認されていない。
製造側は、
「最初に危険を負った者が、最初に味を見る」
と説明した。
乳業組合はこれを慣習として承認した。
軍監督官は、航空機運用規定へ匙の順番を記載する必要性について異議を申し立てたが、本規定が民間契約に属するため却下された。
「七号機、発動機搭載完了」
元ドイツ帝国軍技師が言った。
作業場の中央。
Tur A.1量産七号機。
左右の主翼へ、ようやく二基の発動機が収まっている。
「八号機は」
ポーランド軍将校が尋ねた。
「一基だけ」
「九号機」
「ない」
「残りの発動機は」
「一基は油漏れを修理中。一基は予備」
「つまり飛べるのは七号機だけか」
「検査に合格すれば」
元白軍将校が発動機覆いの中を覗く。
「回せば分かる」
「回す前に測る」
「回した後でも測れる」
「壊れた後では遅い!」
元独立運動家が七号機の貨物室を覗いた。
「空いているな」
技師が素早く振り返る。
「飛行検査だ。何も積むな」
「工具は」
「積む」
「砂袋は」
「積む」
「牛乳缶は」
「積まない!」
実業家が帳簿から顔を上げた。
「乳業組合から問い合わせが来ています」
軍将校が嫌そうな顔をした。
「何を」
「七号機でも飛行乳脂肪試験が可能かと」
「軍用量産機の初飛行だぞ!」
「振動特性の比較になる」
元白軍将校が言う。
「試作機と量産機の差も分かる」
元ドイツ技師が少し考えた。
「確かに」
軍将校は彼を見る。
「待て」
「何だ」
「今、確かにと言ったな」
「振動測定としては意味がある」
「計器で測れ!」
「計器は局所しか測れない」
「缶なら?」
「飛行全体の振動履歴が内容物へ残る」
実業家が静かに付け加えた。
「試験後に販売もできます」
「最後で全部台無しだ!」
◇
七号機の初飛行は、軍用検査と民間試験が同居することになった。
軍側の目的。
発動機性能。
操縦性。
脚作動。
片発模擬。
量産仕様の確認。
WILK側の追加目的。
主翼下振動比較。
缶固定具の量産機適合。
乳脂肪の分離状態。
軍将校は試験計画書を読んだ。
「飛行目的が二段ある」
実業家が答える。
「一度の燃料で二つの試験ができます」
「軍の燃料だぞ」
「民間試験相当分は費用を負担します」
「どれほど」
「飛行時間で按分します」
「飛行中に軍用と民間用の時間を分けられるのか」
「水平飛行区間を民間試験とします」
軍将校は大尉を見る。
大尉は計画書の隅を指した。
「航空部の承認印がある」
「通したのか」
「予算担当が喜んだ」
「軍の会計が乳製品に負けた!」
◇
搭載する缶は四つ。
左右内側。
左右外側。
中身はすべて同じ集乳所で分離された生クリーム。
同じ重量。
同じ温度。
同じ密閉。
缶の外側には番号が付く。
左内 一
左外 二
右内 三
右外 四
さらに大きく、
飲むな
開けるな
落とすな
と書かれた。
元白軍将校が読む。
「最後だけ意味が違うな」
「全部重要だ」
技師が答える。
「落とすための架台へ付けるのに」
「固定具だ。投下装置は作動させない」
「非常時には落とせるか」
「落とすな!」
「火災時なら」
「その場合は機体を優先する」
軍将校が言った。
「つまり落とせるのか」
技師は嫌そうに答える。
「安全装置を二つ外せば」
実業家が帳簿へ書いた。
緊急投棄可能。
「商品説明へ入れるなよ」
「安全仕様です」
「バターを緊急投棄する航空機など聞いたことがない!」
◇
操縦士は軍将校。
後席は元ドイツ技師。
「また私か」
軍将校が言った。
「七号機の差を知っている操縦士が必要だ」
「若い操縦士でも」
「量産一号機から六号機まで乗った者がよい」
「事故機にも乗った」
「だから異常に気づく」
元独立運動家が小さな匙を革袋へ入れた。
軍将校が見つける。
「それも積むのか」
「着陸後に使う」
「工房に置いておけ」
「飛行した匙の方がよい」
「なぜだ!」
「一緒に帰ってくる」
「匙に帰還の概念を持たせるな!」
実業家は革袋へ小さな札を付けた。
一号試食匙
「番号まで付いた!」
◇
発動機始動。
右。
左。
七号機は、初めて二つの声を上げた。
工房の窓が震える。
主翼下の四缶も細かく揺れる。
元ドイツ技師は操縦席から計器を確認する。
「右回転、良好」
「左も」
「油圧」
「正常」
「温度」
「上昇中」
「缶」
「まだある」
「それは見れば分かる!」
地上で元白軍将校が親指を立てる。
その横では乳業組合の代表が、缶ばかり見ていた。
軍将校は彼を指さす。
「機体も見ろ!」
「缶が落ちないか見ている!」
「機体が落ちないかも見ろ!」
◇
七号機は滑走を始めた。
量産仕様。
追加装甲。
四缶。
燃料半量。
重い。
だが発動機は新しい。
加速は素直だった。
尾が上がる。
大車輪が地面を離れる。
七号機は空へ出た。
「離陸性能、問題なし」
技師が記録する。
「少し右へ取られる」
「風か」
「分からん」
「操縦力は」
「軽く右へ押さえる必要あり」
「右外缶かもしれない」
「重量は同じだろう」
「固定位置が数ミリ違う可能性」
「帰ったら測る」
「最初から測っただろう」
「飛行荷重でずれることがある」
軍将校はため息をつく。
「缶があるせいで、機体の不具合か缶の不具合か分からん」
「だから比較する」
「試験項目を増やした者が言うな!」
◇
脚を上げる。
左。
右。
両方正常。
半分露出した車輪の横に、乳脂肪缶が並ぶ。
軍将校は主翼を見た。
「遠目には爆撃機だな」
「軍用機だ」
「中身はクリームだ」
「敵には分からん」
「撃たれるぞ」
「試験空域だ」
「将来、民間輸送でこの姿を使うのか」
技師は少し考えた。
「缶を白く塗る」
「爆弾も白く塗れる」
「牛の絵を描く」
「戦場で欺瞞塗装に使われるぞ」
「では文字を」
「上空から読めん!」
◇
高度三百メートル。
水平飛行。
軍用検査区間が終わり、民間振動試験区間へ入る。
「現在時刻を記録」
技師が言う。
「ここから乳製品か」
「水平飛行十五分」
「軍用機を飛ばしながら、飛行の目的が切り替わるのは奇妙だな」
「飛行機は変わらん」
「帳簿上だけか」
「実業家の得意分野だ」
速度を一定にする。
高度も。
緩い旋回。
直線。
左右の缶が細かく震える。
「右外側の振動が大きい」
技師が双眼鏡で見る。
「固定帯が緩いか」
「目視では異常なし」
「機体の右寄りと関係が?」
「可能性はある」
「缶を積まなければ、もっと簡単に分かったのでは」
「缶があるから分かった」
「どちらでも説明できるな!」
◇
片発模擬。
左発動機の出力を落とす。
機体が左へ向こうとする。
軍将校が方向舵を踏む。
右発動機で維持。
「高度低下、小」
「操縦力、やや大」
「缶の影響は」
「ある」
「どの程度」
「外装物だから抵抗が増える」
「民間輸送で毎回これを付けるのか」
「貨物室へ積めば抵抗は減る」
「だがバターになりにくい」
「目的次第だ」
軍将校が笑った。
「軍用機と同じだな」
「何が」
「速さを取るか、仕事を取るか」
「どちらも必要だ」
「欲張りだな」
「WILKで働いているからな」
◇
着陸前。
脚を下ろす。
左右とも固定。
四缶も残っている。
「落下なし」
「当然だ」
「初回だから確認する」
「中身は」
「着地後だ」
Tur七号機は草地へ接地した。
大車輪が回る。
制動。
少し右へ流れる。
軍将校は左へ修正。
真っすぐ停止。
「右寄りが残った」
技師が言う。
「缶を外して再飛行だな」
「もう一度飛ぶのか」
「比較しなければ原因が分からない」
乳業組合代表が地上から叫ぶ。
「先に中身を見せろ!」
軍将校が答える。
「軍用検査が先だ!」
「バターも検査だ!」
「どちらの会社だ、ここは!」
◇
機体点検。
右主脚。
異常なし。
方向舵。
索張力正常。
右発動機。
推力差、小。
缶固定具。
右外側だけ、固定帯がわずかに伸びていた。
「原因はこれか」
軍将校が尋ねる。
「一部だろう」
技師が答える。
「革帯が飛行中に馴染んだ」
「締め直す」
「次から事前に荷重をかける」
元白軍将校が言う。
「濡らして締めれば縮む」
「状態が変わる方法を使うな」
「丈夫になる」
「再現できるようにしろ!」
◇
次に缶を降ろす。
乳業組合代表。
独立運動家。
実業家。
技師。
軍将校。
周囲には作業員まで集まった。
「離れろ」
軍将校が言う。
「全員が試食する気だぞ」
独立運動家が答える。
「まだ商品検査前だ」
代表が匙を持つ。
「順番に開ける」
貨物記録台へ四缶を並べる。
まず左内側。
蓋を開ける。
クリームは粘りを増している。
小さな脂肪塊。
「途中」
次に右内側。
ほぼ同じ。
左外側。
明確に分離。
黄色い塊と白い液。
最後に右外側。
さらに強く分離している。
「右外が一番進んでいる」
代表が言う。
技師はすぐに固定帯の記録と見比べる。
「振動が大きかった結果だ」
「つまり不具合が加工を進めた?」
軍将校が尋ねる。
「好ましくない」
実業家が言う。
「商品としては価値があります」
「固定具としては不良だ!」
「では安全な範囲で振動を再現する装置を」
技師が顔を上げた。
軍将校は彼を見た。
「考えるな」
「何も言っていない」
「顔が図面を描いている!」
◇
内容物は乳業組合の手で仕上げられた。
塊を集める。
冷水で洗う。
余分な液を押し出す。
木べらで練る。
塩を加える。
四缶分を混ぜず、位置ごとに別々で仕上げた。
「味も違うか」
軍将校が尋ねる。
「分離の進み方で水分量が変わる」
代表が答える。
「右外は固い」
「左内は柔らかい」
「商品にするなら揃える必要がある」
技師が言った。
「飛行条件を標準化する」
「天候は揃えられない」
「温度を管理する」
「高度も」
「速度も」
軍将校は頭を抱えた。
「バター一つ作るのに飛行試験表が必要になるぞ」
実業家が答える。
「品質保証になります」
「食品に飛行記録を付ける気か」
「価値があります」
「誰が欲しがる」
「富裕層」
即答だった。
◇
試食。
独立運動家が黒パンを切る。
右外側のバターを薄く塗る。
小さな一切れ。
軍将校へ差し出した。
「最初の一匙」
「パンに塗ってある」
「今日は最初の一口だ」
「規則が曖昧だな」
「匙もある」
革袋から、小さな匙が出てくる。
一号試食匙。
軍将校は嫌そうに受け取った。
「本当に番号を付けたのか」
「なくさないためだ」
「これを毎回使う?」
「乗員が増えたら、匙も増やす」
「部品管理の影響が食品へ来ている!」
軍将校はバターをすくった。
口へ。
前回より固い。
塩は控えめ。
乳脂肪の甘さ。
わずかな酸味。
「どうだ」
「うまい」
全員が少し笑った。
「異常は」
代表が聞く。
「ない」
「安全確認完了」
実業家が記録する。
「私が毒見役なのか」
元白軍将校が言う。
「最初に飛んだ者は、最初に食う」
元独立運動家が続けた。
「帰ってきた者が先だ」
軍将校は匙を見る。
「帰ってこなかったら」
誰もすぐには答えなかった。
作業場の音が少し遠くなる。
元白軍将校が静かに言った。
「開けない」
「缶を?」
「その便の缶は開けない」
独立運動家が頷く。
「持ち帰れたなら、仲間で分ける」
「持ち帰れなければ」
「次に帰った者へ渡さない」
実業家は帳簿へ、ゆっくり書いた。
操縦士未帰還の場合、その便に属する製品を通常販売しない。
回収された場合は、関係者の判断により追悼時に分ける。
軍将校はその文章を読んだ。
「そこまで書くのか」
「決めておいた方がよい」
元ドイツ技師が答える。
「起きてから考えるな」
第十七話の言葉が、ここにも残っていた。
◇
二回目の飛行。
今度は缶を外す。
量産七号機だけの状態で、右寄りの原因を確認する。
軍将校と技師が再び乗る。
離陸。
水平飛行。
操縦力。
「右へ取られる」
「缶だけではない」
「発動機差か」
「右の推力が少し強い」
「地上試験では範囲内だった」
「飛行荷重で差が出る」
「調整できるか」
「できる」
「なら帰ろう」
「最高速度も測る」
「バターはもうできたぞ」
「今は軍用試験だ!」
◇
発動機の絞り調整。
方向舵の補助板。
プロペラ角度。
七号機は二日後、真っすぐ飛ぶようになった。
「合格」
元ドイツ技師が判を押す。
軍将校が言う。
「ようやく一機」
「八号機は発動機一基待ち」
「残りは」
「待ち」
「その間にまた飛ばすのか」
実業家が答えた。
「乳業組合との定期試験便が始まります」
「定期輸送では」
「当初三か月は試験便です」
「また“試験”で事業を始めたな!」
◇
第一回定期便。
古いWILK輸送機一機。
操縦士一名。
整備員兼荷役一名。
クリーム缶四つ。
山間部の集乳所から、駅近くの飛行場まで。
朝六時。
冷えた空気。
牛の息が白い。
乳業組合員たちが、缶を主翼下へ固定する。
「本当に落ちないか」
農夫が尋ねる。
整備員が答える。
「二重固定だ」
「爆弾架だろう」
「元はな」
「落とすための物では」
「今は落とさないよう改造した」
「大丈夫か」
「軍用機より丁寧に留める」
「なぜ」
「中身を持ち帰るからだ」
◇
操縦士は若い男だった。
軍将校ではない。
元郵便飛行隊。
戦争中にWILK機を何度か見たことがある。
「最初の便だ」
独立運動家が小さな匙を渡す。
「これは」
「帰ったら最初に使う」
「何を食べる」
「飛ばした物だ」
「飛行中に食事ができるのか」
「帰ってからだ」
若い操縦士は匙を見る。
二号試食匙
「一号は」
「軍将校が持っている」
「軍用装備なのか」
「違う」
「ではなぜ番号が」
元ドイツ技師が遠くから言った。
「管理のためだ!」
◇
第一回定期便は、無事に飛んだ。
道路なら四時間。
空なら五十分。
駅前飛行場へ着く。
クリーム缶を降ろす。
その場で乳業組合の職人が仕上げる。
若い操縦士は、周囲を落ち着かずに見ていた。
「何を待っている」
職人が尋ねる。
「匙を渡された」
「ああ」
職人は笑った。
「最初は君だ」
「本当に?」
「飛ばした者が先だ」
黒パンへ塗る。
操縦士が一口。
「どうだ」
「うまい」
「異常なし?」
「ない」
「では出荷だ」
駅へ運ばれた箱には、初めて小さな札が付いた。
本品は本日、空路にて運搬および攪拌されました。
飛行時間、五十二分。
操縦士試食済み。
駅員が札を読む。
「最後の一行は必要か」
実業家が答える。
「安心材料です」
「操縦士が食べたから?」
「帰還した者が食べられる状態だった、という意味です」
「普通の食品検査では駄目なのか」
「それも行っています」
「なら最後は要らないだろう」
「物語になります」
駅員は実業家を見た。
「商売人だな」
「はい」
◇
飛行バターは、すぐには大量に売れなかった。
高い。
量が少ない。
天候で品質が変わる。
飛行機が故障すれば届かない。
だが珍しかった。
空を飛んだ。
操縦士が最初に食べた。
飛行記録が付く。
町の菓子店。
高級ホテル。
裕福な家庭。
新聞社。
少しずつ注文が入った。
「新聞が取材に来たいそうです」
実業家が言った。
軍将校が嫌な顔をする。
「軍用機の話か」
「飛行バターです」
「そちらか!」
「Turも紹介できます」
「主役が逆転している!」
元独立運動家が言う。
「飛行機を知らない者も、食べ物なら興味を持つ」
元白軍将校が続ける。
「食べてから機体を見る」
元ドイツ技師は不満そうだった。
「機体を先に見ろ」
「普通の人間は発動機架よりパンを見る」
「理解できん」
「腹が減るからだ」
◇
新聞記者が工房へ来た。
七号機。
発動機待ちの八号機から十二号機。
工具荷車。
予備主脚。
訓練模型。
牛乳缶固定具。
バター。
パン。
記者は一通り見た後、尋ねた。
「御社は航空会社ですか、航空機製造会社ですか、乳製品会社ですか」
実業家が答えた。
「航空製作所です」
「バターを販売しています」
「飛行試験の成果です」
「定期輸送契約も」
「航空運用の実証です」
「パンは」
「副産物利用です」
「では乳製品会社ではない?」
「今のところは」
軍将校が振り返った。
「今のところ?」
「今後の事業構成によります」
「増やす気だ!」
記者は笑いながら手帳へ書いた。
空を飛ぶ野牛と、空を飛んだバター。
「野牛は軍用機だ!」
「見出しとして強い」
「軍事機密は!」
「機体名称は公開済みです」
「バターと並べるな!」
◇
記事が出た翌週。
工房前に人が来た。
Turを見たい者。
飛行バターを買いたい者。
自分の農産物も飛ばしてほしい者。
蜂蜜。
果物。
魚。
花。
薬草。
実業家は依頼を書き留める。
軍将校がそれを見る。
「全部受けるなよ」
「条件を検討します」
「魚を主翼下へ吊るすな」
「密閉箱なら」
「考えるな!」
元独立運動家が果物籠を見る。
「冷たい高空を飛ばせば、傷みにくいかもしれない」
元白軍将校が言う。
「汁を樽へ入れれば凍るか」
「高度が足りん」
元ドイツ技師が答える。
「冬なら」
「凍結試験はできる」
軍将校は両手で顔を覆った。
「次は果物か」
実業家が新しい頁を開く。
「まだ試験候補です」
「この会社の“まだ”は信用できん!」
◇
夕方。
七号機は軍納入の準備へ入った。
主翼下の牛乳缶固定具は外される。
爆弾架へ戻す。
武装点検。
無線点検。
装甲板確認。
機体側面には狼の印。
その下に七号機の番号。
軍将校は機体を見上げた。
「これで軍へ行く」
「そうだ」
技師が答える。
「バターを作ったことは記録に残るか」
「飛行試験記録にある」
「軍は嫌がるぞ」
「振動比較試験だ」
「本当に便利な言葉だな」
元白軍将校が言う。
「初戦果は乳脂肪」
「戦果と呼ぶな」
独立運動家は、七号機の操縦席へ小さな包みを置いた。
「何だ」
「パンとバター」
「納入飛行の操縦士へ」
「軍用機に私物を」
「重量は百グラムもない」
技師は一瞬迷った。
「固定しておけ」
軍将校が笑う。
「認めたな」
「飛行中に転がる方が危険だ」
◇
七号機の納入飛行。
若い軍操縦士が乗る。
機体を受け取り、基地へ運ぶ。
離陸前。
独立運動家が言った。
「帰ったら食べろ」
「基地へ着いた時に?」
「着いた時が、その機体にとっての帰還だ」
「初めて行く場所ですが」
「帰れる場所を増やすのも仕事だ」
若い操縦士は包みを受け取った。
「最初の一匙は」
「もう試験操縦士が食べた」
「ではこれは」
「次に飛ばす者の分だ」
◇
七号機は飛び立った。
二基の発動機。
大きな翼。
太い脚。
装甲。
機銃。
観測窓。
担架固定点。
爆弾架。
そして操縦席の小さな包み。
軍用機として作られた。
だがその最初の飛行履歴には、乳脂肪缶四つが記録されている。
帰った者が最初に食べる。
それは品質検査として始まった。
危険を負った者への礼になった。
やがて、WILKで空を飛ぶ者すべてが知る言葉になる。
最初の一匙は、空を飛んだ者へ。
軍将校は、遠ざかる七号機を見送った。
「妙な規則ができたな」
実業家が答える。
「よい規則です」
「航空機製造に必要か」
元独立運動家が言った。
「帰ってくる理由は、多い方がよい」
元白軍将校も頷く。
「食べる者が待っているなら、なおよい」
元ドイツ技師は空を見たまま答えた。
「まず機体を壊さず帰せ」
「それから食う」
「順番は正しい」
工房の奥では、八号機が片方の発動機を待っていた。
その横では、果物を入れた小さな試験樽が冷やされていた。
軍将校は見つけた。
「おい」
誰も振り返らなかった。
「次は何を飛ばす気だ!」