WILK ―忘れずの故郷―   作:ヒツジ(ラム肉

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【WILK食品事業部・市場調査記録 一九四〇年】

一九四〇年。

米国と英国は、同じ食料を見ながら、まったく異なる問題を抱えていた。

米国では。

商品そのものは存在した。

農産物もあった。

加工能力もあった。

問題は、何を、どこで、いくらで、どのように売るかだった。

小規模な独立食料品店。

パン屋。

肉屋。

菓子店。

薬局。

喫茶店。

そして、一九三〇年代に急速に広がり始めた大型のセルフサービス式食料品店。

広い売り場。

大量の商品。

客自身が棚から品物を取る方式。

さらに家庭用冷蔵設備の普及は、一度に多く買って家庭で保存するという行動を広げつつあった。

一方。

英国では事情が違った。

食料輸入そのものが戦争によって国家的問題となっていた。

砂糖。

バター。

ベーコン。

肉。

その他、多くの基礎食品。

政府は輸入、買付、価格、配給を強く管理し始めていた。

米国で問題になったのは。

「どうすれば売れるか」

英国で問題になったのは。

「どうすれば届くか」

後年のWILK社史は、この違いを次のように記した。

「アメリカでは棚を埋める方法を学び、英国では棚へ届くまでの道を学んだ」

――WILK食品流通史より


第223話 棚にあるもの、棚にないもの

 

 

「広いな」

 

老農夫が言った。

 

かなり率直な感想だった。

 

目の前に広がっているのは畑ではない。

 

店だった。

 

しかも。

 

彼がこれまで見てきた食料品店とは、ずいぶん違う。

 

入口から棚が並んでいる。

 

缶。

 

箱。

 

瓶。

 

袋。

 

パン。

 

菓子。

 

乾物。

 

野菜。

 

果物。

 

牛乳。

 

加工肉。

 

そして冷蔵設備。

 

客は店員に一つずつ注文しない。

 

自分で歩く。

 

自分で見る。

 

自分で取る。

 

籠へ入れる。

 

中には。

 

車輪の付いた籠のようなものを押している客までいた。

 

老農夫がそれを見た。

 

「何じゃあれ」

 

元金持ちが言った。

 

「籠だろ」

 

「車輪がついとる」

 

「たくさん買わせるためじゃないか?」

 

実業家が少し笑った。

 

「おそらく、その通りでしょう」

 

元税務官が嫌そうな顔をした。

 

「嬉しそうですね」

 

「面白いので」

 

「そういう時は仕事が増えるんです」

 

買い物用の籠を手で持てば。

 

重くなれば帰る。

 

車輪が付いていれば。

 

もう少し買える。

 

ただそれだけだった。

 

しかし。

 

商売として考えると大きい。

 

元金持ちが客を見た。

 

「なるほどな」

 

「何がです」

 

「手がいっぱいにならん」

 

牛乳。

 

缶詰。

 

パン。

 

果物。

 

肉。

 

一度に入る。

 

「家に冷蔵箱があれば、毎日来なくてもいい」

 

アイス部門の担当者が言った。

 

実業家が頷いた。

 

「つまり、まとめて買わせる店と、家庭の冷蔵設備が一緒に伸びている」

 

老農夫が棚を見た。

 

「じゃが、全部でかい店になるわけでもなかろう」

 

その通りだった。

 

---

 

次に入ったのは、小さな店だった。

 

主人が一人。

 

妻が奥にいる。

 

客の顔を知っている。

 

誰が何を買うかも知っている。

 

掛けで買う客までいる。

 

「こっちはこっちで生きとる」

 

老農夫が言った。

 

「ええ」

 

実業家も店内を見た。

 

大型店には大量の商品を並べる強みがある。

 

一方。

 

小さな店には近さがある。

 

話せる。

 

頼める。

 

必要な量だけ買える。

 

近所へ届けることもある。

 

元金持ちが主人へ聞いた。

 

「新しい商品を置く時は何を見る?」

 

店主は少し考えた。

 

「売れるかどうか」

 

「それだけ?」

 

「次も持って来るか」

 

元金持ちの眉が動いた。

 

「一回だけじゃ駄目か?」

 

「客に聞かれるだろ」

 

店主は棚を指した。

 

「あれはあるのに、これは今日はない、来週もない」

 

肩をすくめる。

 

「そんな物は置きにくい」

 

実業家が聞いた。

 

「安ければ?」

 

「安くても来なきゃ困る」

 

「美味しければ?」

 

「美味しくても来なきゃ困る」

 

「高級なら?」

 

「うちの客は毎日高級品を買わん」

 

老農夫が笑った。

 

「分かりやすい」

 

店主も笑った。

 

「いつもあるのが一番だ」

 

その言葉を。

 

WILK側の三人が同時に書いた。

 

---

 

市場調査は続いた。

 

パン屋。

 

アイスクリーム店。

 

喫茶店。

 

肉屋。

 

小さな食料品店。

 

大型のセルフサービス店。

 

駅の売店。

 

工場近くの店。

 

住宅街。

 

所得の高い地域。

 

そうではない地域。

 

同じ商品でも売れ方が違った。

 

大きな容器が出る場所。

 

小分けが出る場所。

 

安さを優先する場所。

 

味を優先する場所。

 

持ち帰りが多い場所。

 

その場で食べる場所。

 

そして。

 

大恐慌を経験したばかりの客には、共通する部分もあった。

 

無駄にしたくない。

 

使い切りたい。

 

高すぎるものは避けたい。

 

しかし。

 

少しの楽しみには金を出す。

 

アイス。

 

甘い菓子。

 

コーヒー。

 

果物。

 

家族で食べるもの。

 

子供が喜ぶもの。

 

老農夫がアイスを食べながら言った。

 

「貧しくても甘いもんは食うんじゃな」

 

アイス部門が答える。

 

「貧しいから食べたい時もあるんでしょう」

 

老人は少し考えた。

 

「そうかもしれんな」

 

一匙食べた。

 

「これは高い」

 

「だから安い方を作ります」

 

「まずいのは駄目じゃぞ」

 

「安いと不味いは別です」

 

それには老人も頷いた。

 

---

 

数日後。

 

会議室。

 

黒板はすでに食べ物で埋まっていた。

 

バニラアイス。

 

果物アイス。

 

チョコレート。

 

コーヒー。

 

パン。

 

クラッカー。

 

ビスケット。

 

ジャム。

 

果汁。

 

チーズ。

 

バター。

 

乾燥果物。

 

保存食。

 

酒。

 

酒の欄だけ。

 

妙に種類が多かった。

 

元税務官が見た。

 

「増えてませんか」

 

酒造部門が答えた。

 

「研究です」

 

「減らしてください」

 

「研究を?」

 

「酒をです」

 

老農夫は別のところを見ていた。

 

「これ全部、店へ置くのか」

 

「いいえ」

 

実業家が答えた。

 

「店によって変えます」

 

大型店。

 

定番商品を多めに。

 

家族向け。

 

まとめ買い。

 

大きな容量。

 

小売店。

 

少量。

 

定番。

 

繰り返し配送。

 

喫茶店。

 

アイス。

 

果物。

 

飲み物。

 

軽食。

 

工場周辺。

 

安く。

 

腹にたまり。

 

手早く食べられるもの。

 

「同じ商品を全国へ押し込むつもりはありません」

 

老農夫が頷いた。

 

「農業と同じじゃな」

 

「ええ」

 

土地によって作物が違う。

 

町によって売れる物も違う。

 

---

 

そこで。

 

パン部門の一人が、妙な物を机へ置いた。

 

丸い。

 

薄い。

 

焼いた生地だった。

 

「何じゃこれ」

 

「試作品です」

 

「パンか?」

 

「多分」

 

元税務官が顔を上げた。

 

「多分?」

 

「トウモロコシ粉を混ぜてあります」

 

もう一枚。

 

こちらは小さい。

 

硬い。

 

少し香ばしい。

 

アイス部門が小さい方へアイスを載せた。

 

「こうすると皿になる」

 

老農夫が見た。

 

「食えるのか」

 

「食えます」

 

パン部門が柔らかい方を持った。

 

その上へ硬い丸。

 

さらにアイス。

 

左右を折る。

 

「こうすれば持てる」

 

実業家が興味を示した。

 

「手が汚れにくい」

 

「はい」

 

「落ちにくい」

 

「はい」

 

酒造部門が言った。

 

「肉もいけるな」

 

全員が止まった。

 

「なぜ肉を」

 

「甘くしなければいい」

 

パン部門が少し考えた。

 

「……豆も」

 

「卵も」

 

「チーズも」

 

老農夫が言った。

 

「煮込みもいけるんじゃないか」

 

元税務官が嫌な予感のする顔をした。

 

「皆さん」

 

誰も聞いていない。

 

柔らかい生地。

 

硬い内皿。

 

その上へ具。

 

左右から巻く。

 

前後左右から畳む。

 

あるいは。

 

巻かずにそのまま皿として使う。

 

パン部門が言った。

 

「味を薄くすれば」

 

アイス部門。

 

「甘いものにも」

 

酒造部門。

 

「塩辛いものにも」

 

元税務官。

 

「商品分類が!」

 

元金持ちが言った。

 

「売れそうだな」

 

「そういう問題では!」

 

その日のところは。

 

まだ名前すらなかった。

 

---

 

大西洋の向こう。

 

英国では。

 

食料品店の様子が、まるで違っていた。

 

客は配給手帳を持っていた。

 

砂糖。

 

バター。

 

ベーコン。

 

そして肉。

 

一定の商品については。

 

金だけでは買えない。

 

登録した店。

 

割当。

 

切符。

 

決められた量。

 

英国政府の役人は、食料品店の前で立ち止まった。

 

その隣に。

 

元白軍将校の親族がいた。

 

非常に不機嫌そうだった。

 

「なぜ私まで来る」

 

「WILKとの連絡が一番早いので」

 

「私はWILKではない」

 

「親族でしょう」

 

「だから何だ」

 

役人は店へ入った。

 

家主も仕方なく続いた。

 

棚は空ではない。

 

だが。

 

欲しいだけ買えるわけでもない。

 

輸入に頼ってきた国である。

 

海を越えて来なければならないものが多い。

 

そして。

 

海では船が沈む。

 

役人が言った。

 

「問題は値段だけではない」

 

「知っている」

 

「量だけでもない」

 

「何だ」

 

「船腹だ」

 

一トン運ぶ。

 

その一トンで。

 

どれだけ食えるか。

 

どれだけ保存できるか。

 

どれだけ長く持つか。

 

どれだけ港を使うか。

 

そこまで考えなければならない。

 

液体のまま運ぶか。

 

乾かすか。

 

濃縮するか。

 

瓶か。

 

缶か。

 

袋か。

 

箱か。

 

同じ牛乳でも。

 

形を変えれば意味が変わる。

 

「アメリカでは乳製品を加工しているそうだな」

 

「らしいな」

 

「果物も」

 

「らしい」

 

「小麦も」

 

「聞いた」

 

「冷蔵倉庫も」

 

「あるらしい」

 

役人が止まった。

 

「全部“らしい”だな」

 

家主は睨んだ。

 

「私の会社ではないと言っている」

 

そこへ。

 

聞き慣れた声がした。

 

「アイルランドにもあるぞ」

 

二人が振り返った。

 

元白軍将校だった。

 

家主の顔が歪んだ。

 

「なぜいる」

 

「呼ばれた」

 

「誰に」

 

役人が手を挙げた。

 

「私です」

 

家主は天井を見た。

 

---

 

机に地図を広げる。

 

北米。

 

大西洋。

 

アイルランド。

 

英国。

 

元白軍将校が線を引いた。

 

「全部英国へ直接送る必要はない」

 

役人が聞いた。

 

「アイルランドで受ける?」

 

「そうだ」

 

「何をする」

 

「置く」

 

一つ。

 

「加工する」

 

二つ。

 

「詰め替える」

 

三つ。

 

「必要な所へ送る」

 

四つ。

 

家主が言った。

 

「簡単に言うな」

 

元白軍将校は気にしない。

 

役人はむしろ食いついた。

 

「港が詰まれば?」

 

「アイルランドで止める」

 

「英国側の需要が変われば?」

 

「そこで振り分ける」

 

「乳製品は?」

 

「向こうでも作っている」

 

「倉庫は?」

 

「ある」

 

「増やせるか」

 

「聞けばいい」

 

家主が呟いた。

 

「また増えるぞ」

 

元白軍将校は不思議そうだった。

 

「何が」

 

「仕事が」

 

---

 

英国政府役人の前へ。

 

アメリカから届いた食品一覧が置かれた。

 

チーズ。

 

バター。

 

保存パン。

 

クラッカー。

 

果実加工品。

 

乾燥食品。

 

乳加工品。

 

役人は順番に見た。

 

「アイスクリーム」

 

止まった。

 

「これはいらん」

 

元白軍将校が答えた。

 

「だろうな」

 

「冷やして海を渡すくらいなら別の物を運ぶ」

 

「向こうで食えばいい」

 

役人は次を見る。

 

「チーズ」

 

丸。

 

「乾燥乳製品」

 

丸。

 

「クラッカー」

 

丸。

 

「濃縮果汁」

 

少し考えて丸。

 

「酒」

 

さらに考える。

 

「用途次第だな」

 

元白軍将校が言った。

 

「飲む」

 

「それ以外もある」

 

「酒は飲むものだろう」

 

「あなたとは今度話す」

 

役人は一覧を閉じた。

 

「我々が欲しい商品と、アメリカ人が欲しい商品は違う」

 

「当然だ」

 

「なら」

 

役人は言った。

 

「英国向けの商品を作ってもらう」

 

これが。

 

アメリカ食品事業と英国政府需要が。

 

初めて正式に繋がった瞬間だった。

 

---

 

同じ頃。

 

アメリカ。

 

小さな食料品店の店主が。

 

試作品を手にしていた。

 

柔らかい大きな丸。

 

その上に。

 

硬い小さな丸。

 

店主は考えた。

 

本来は。

 

アイスを載せるための試供品だった。

 

だが。

 

昼飯の残りがあった。

 

肉。

 

豆。

 

少しのチーズ。

 

載せた。

 

左右から巻いた。

 

食べた。

 

しばらく黙った。

 

そして。

 

もう一つ作った。

 

WILK食品部門は。

 

まだそのことを知らなかった。

 

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