WILK ―忘れずの故郷―   作:ヒツジ(ラム肉

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【WILK欧州食品流通調整会議記録 一九四〇年】

一九四〇年春。

WILKは米州食品事業の拡大を受け、英国及びフランスにおける食品供給体制の再検討を開始した。

英国側の関心は明確だった。

海上輸送量。

保存性。

包装効率。

港湾荷役。

備蓄。

再加工。

そして、輸送船を一隻でも有効に使うことであった。

一方。

フランス側の事情は異なった。

食品そのものが全土から消えていたわけではない。

しかし戦時動員によって。

鉄道。

トラック。

燃料。

人員。

倉庫。

これらは以前より自由には使えなくなっていた。

さらにWILKが米州産食品をフランス国内で販売するためには。

大西洋及び英仏海峡沿岸の港から。

都市。

工業地帯。

地方卸売業者。

小売店。

工場食堂。

これらを結ぶ流通網を新たに整える必要があった。

この会議で構想された網は。

当初。

純粋な商業物流網であった。

後年。

一九四〇年五月以降の記録を知る者から見れば。

異なる姿に見える。

――WILK欧州物流史より



第227話 港から来た道は、港へ戻れる

 

 

英国政府の役人は。

 

机いっぱいに紙を広げていた。

 

フランス政府の役人も。

 

同じことをしていた。

 

WILK側には。

 

ユダヤ人実業家。

 

元金持ち。

 

元税務官。

 

元白軍将校。

 

元独立運動家。

 

ポーランド軍将校。

 

そして食品、海運、倉庫、フランス支部の担当者。

 

人数が多い。

 

元税務官が室内を見た。

 

「法務部を作ったのに、なぜ私はここにいるんでしょう」

 

元金持ちが答えた。

 

「部長だからだろ」

 

元税務官はまだその呼び名に慣れていなかった。

 

「その呼び方をやめてください」

 

「部長」

 

「やめてください」

 

英国政府役人が咳払いした。

 

「始めても?」

 

「どうぞ」

 

---

 

最初は英国だった。

 

役人が数字を読み上げる。

 

米国。

 

乳製品。

 

小麦加工品。

 

乾燥食品。

 

果実加工品。

 

中南米。

 

砂糖。

 

コーヒー。

 

カカオ。

 

熱帯果実。

 

「全部を英国向けに回せとは言いません」

 

役人は言った。

 

「当然です」

 

実業家が答える。

 

「米国にも市場があります」

 

「承知しています」

 

「中南米側との契約も、英国のためだけではありません」

 

「それも承知しています」

 

英国役人は紙を一枚置いた。

 

「我々が欲しいのは、余剰分の優先購入権ではありません」

 

元税務官の眉が少し動く。

 

「では?」

 

「見通しです」

 

来月。

 

三か月後。

 

半年後。

 

最低どの程度なら出せる。

 

何が増やせる。

 

何が増やせない。

 

どの商品なら加工状態を変えられる。

 

それが知りたい。

 

元金持ちが頷いた。

 

「量より予定が欲しい」

 

「そうです」

 

「船を手配するため?」

 

「船だけではありません」

 

港。

 

倉庫。

 

配給。

 

鉄道。

 

工場。

 

軍。

 

病院。

 

何をどこへ配るか。

 

予定がなければ。

 

食料が届いても。

 

詰まる。

 

元白軍将校が言った。

 

「弾薬と同じだな」

 

英国役人が少し嫌そうな顔をした。

 

「食品です」

 

「運ぶ側から見れば似ている」

 

「爆発しません」

 

酒造部門担当が小声で言った。

 

「ものによっては」

 

元税務官が睨んだ。

 

黙った。

 

---

 

英国役人が続ける。

 

「もう一つ」

 

地図。

 

英国。

 

アイルランド。

 

大西洋。

 

「英国の港だけへ直接集中させたくありません」

 

元白軍将校が顔を上げた。

 

「ようやくそこへ来たか」

 

「以前あなたが言ったのでしょう」

 

「言った」

 

「一つの港へ全部置くな、と」

 

「そうだ」

 

「採用します」

 

元白軍将校は満足そうだった。

 

親族がここにいたなら。

 

余計なことを教えたと怒っただろう。

 

英国役人は続けた。

 

「アイルランド側の倉庫を使いたい」

 

食品担当が資料を出す。

 

「乾物倉庫は増設中です」

 

「冷蔵は?」

 

「一部稼働」

 

「乳製品加工は?」

 

「試験運転に入りました」

 

「再包装?」

 

「設備搬入済み」

 

「英国仕様の箱へ詰め替えられる?」

 

「可能です」

 

役人は頷いた。

 

「なら使える」

 

---

 

フランス政府役人が口を開いた。

 

「英国はいいでしょう」

 

少し苦笑する。

 

「海の向こうですから」

 

フランス側の地図を広げた。

 

「こちらは問題が違います」

 

大西洋岸。

 

英仏海峡。

 

港。

 

そこから伸びる鉄道。

 

道路。

 

都市。

 

工業地帯。

 

「輸入した食品をフランスへ売るなら、港へ降ろして終わりではありません」

 

WILKフランス担当が答える。

 

「ええ」

 

「むしろそこからが始まりです」

 

港湾倉庫。

 

地方卸。

 

食品倉庫。

 

鉄道。

 

トラック。

 

馬車。

 

小売。

 

工場食堂。

 

病院。

 

ホテル。

 

飲食店。

 

WILKは。

 

まだその途中だった。

 

アメリカのように。

 

大きな既存市場へ。

 

大量の商品を投げ込めば終わるわけではない。

 

元金持ちが地図を見る。

 

「フランス国内で作った食品なら近い」

 

「はい」

 

「アメリカから来るものは?」

 

「港から運ばなければならない」

 

「つまり」

 

老農夫はいなかった。

 

だが。

 

いれば言っただろう。

 

食品は店まで歩かない。

 

---

 

フランス担当が説明する。

 

「現在、港ごとに卸売業者と契約を進めています」

 

北部。

 

西部。

 

南西部。

 

それぞれ。

 

全部を一つの会社へ任せない。

 

英国役人が言った。

 

「なぜ?」

 

元白軍将校が先に答えた。

 

「止まるからだ」

 

「鉄道が?」

 

「鉄道も」

 

トラック会社。

 

馬車業者。

 

燃料商。

 

飼料商。

 

倉庫。

 

修理工場。

 

一社に集めれば。

 

その一社が駄目になった時。

 

全部止まる。

 

元税務官が補足する。

 

「契約上も、複数業者を使える形にしています」

 

フランス役人が紙を見る。

 

「独占契約ではない?」

 

「原則として」

 

「御社は独占を嫌いますね」

 

実業家が答えた。

 

「相手にも他の客がいた方が生き残ります」

 

フランス役人は。

 

少し考えた。

 

「妙な会社ですね」

 

元税務官は言った。

 

「それは何度も聞きました」

 

---

 

机の中央へ。

 

一枚の物流図が置かれた。

 

港。

 

倉庫。

 

地方集積場。

 

卸売店。

 

町。

 

工場。

 

そこを。

 

複数の線が結ぶ。

 

実線。

 

鉄道。

 

破線。

 

トラック。

 

細線。

 

馬車。

 

さらに。

 

沿岸輸送。

 

英国役人が地図を覗き込んだ。

 

「馬車まで?」

 

フランス担当が答える。

 

「地方では必要です」

 

「一九四〇年ですよ」

 

「馬は一九四〇年でも動きます」

 

ポーランド軍将校が言った。

 

「ガソリンがなくても」

 

英国役人は。

 

そこを見た。

 

干し草供給所。

 

飼料店。

 

厩舎。

 

馬車修理。

 

車輪修理。

 

少し離れて。

 

給油所。

 

自動車修理。

 

部品店。

 

宿泊先。

 

「ずいぶん細かい」

 

フランス政府役人が言う。

 

元金持ちが答えた。

 

「食品を売るためです」

 

「食品の販売路に宿泊先まで必要ですか?」

 

「長距離運転手は寝ます」

 

「修理工場」

 

「壊れます」

 

「干し草」

 

「馬が食います」

 

「ガソリン」

 

「トラックが食います」

 

フランス役人は黙った。

 

元金持ちが続けた。

 

「人間だけ飯を食えば物流が動くわけじゃない」

 

---

 

ここで。

 

元白軍将校が。

 

地図を自分の方へ引いた。

 

何も言わない。

 

しばらく。

 

線を見る。

 

英国役人が気づく。

 

「何です?」

 

返事がない。

 

フランス役人も見る。

 

元白軍将校が。

 

指を置いた。

 

内陸の都市。

 

そこから。

 

線を逆に辿る。

 

地方倉庫。

 

中継地点。

 

給油所。

 

飼料。

 

港。

 

別の都市。

 

別の港。

 

また別。

 

「逆にも動けるな」

 

室内が静かになった。

 

フランス担当者が聞いた。

 

「何がです?」

 

「荷物」

 

元白軍将校が答える。

 

「人間も」

 

フランス政府役人の表情が変わった。

 

「撤退路という意味ですか」

 

元白軍将校は首を振る。

 

「今は違う」

 

今は。

 

食品販売網だった。

 

「だが」

 

地図を指す。

 

「戦争中だ」

 

鉄道は止まるかもしれない。

 

橋は落ちるかもしれない。

 

港が使えなくなるかもしれない。

 

燃料が切れるかもしれない。

 

「一つ壊れた時」

 

別の線。

 

「こっちへ回せる」

 

さらに。

 

「ここが駄目なら」

 

別。

 

「こっち」

 

フランス政府役人は。

 

しばらく黙っていた。

 

「……非常時の民間輸送経路としては使えます」

 

元白軍将校が答える。

 

「それでいい」

 

---

 

フランス役人が念を押した。

 

「ただし」

 

視線が鋭くなる。

 

「軍用撤退網として秘密裏に構築する、という話にはしないでください」

 

実業家が頷く。

 

「当然です」

 

「地域行政や輸送統制との衝突も困る」

 

元税務官。

 

「そこは法務部で確認します」

 

一瞬。

 

彼は自分で言った言葉に気づいた。

 

法務部。

 

元金持ちが笑った。

 

「慣れたな、部長」

 

「黙ってください」

 

フランス役人は続ける。

 

「しかし、戦災や空襲、交通事故、港湾閉鎖などで一部の路線が使えなくなった場合」

 

地図を見る。

 

「民間輸送を別経路へ回せる仕組みは有用です」

 

英国役人も頷いた。

 

「英国向け輸送にも影響しますからね」

 

そこで。

 

会議の意味が。

 

少し変わった。

 

---

 

次の議題。

 

港。

 

フランス役人が尋ねた。

 

「御社は特定港を主拠点にする予定ですか」

 

WILK海運担当が答えた。

 

「主力港はいくつか置きます」

 

「一つではない?」

 

「はい」

 

「理由は?」

 

全員が。

 

元白軍将校を見た。

 

彼は言った。

 

「聞くまでもないだろ」

 

一つが駄目なら。

 

別。

 

それだけだった。

 

大港湾。

 

地方港。

 

一度に扱える量は違う。

 

設備も違う。

 

だが。

 

大港湾だけが港ではない。

 

港へ食品を持ってくる船も。

 

WILK所有船だけではない。

 

そもそも。

 

WILKは多くの船を所有する方針ではなかった。

 

契約船。

 

定期貨物船。

 

沿岸船。

 

冷蔵貨物船。

 

代理店を通して使う船。

 

必要な時だけ借りる船。

 

フランス政府役人が聞く。

 

「非常時に予定船が来なければ?」

 

海運担当が答えた。

 

「港にいる船を探します」

 

「契約していなくても?」

 

「交渉します」

 

元税務官が顔を覆った。

 

「また契約が増える」

 

海運担当は続けた。

 

「漁船や小型沿岸船まで使うという意味ではありません。荷物と距離によります」

 

元白軍将校が言った。

 

「必要なら使え」

 

元税務官が顔を上げる。

 

「あなたは簡単に言う!」

 

「船があるなら使えばいい」

 

「船主!」

 

一つ。

 

「保険!」

 

二つ。

 

「貨物責任!」

 

三つ。

 

「乗員!」

 

四つ。

 

「港湾許可!」

 

五つ。

 

「戦争危険!」

 

六つ。

 

「全部書類になるんです!」

 

元白軍将校が少し考えた。

 

「頼んだ」

 

「そういうところです!」

 

---

 

英国役人は。

 

笑っていた。

 

「しかし、これは使える」

 

フランス政府役人が見る。

 

「何がです」

 

「契約外の輸送能力まで把握しておくことです」

 

港へ行けば。

 

WILKの船だけを見るのではない。

 

その港に。

 

普段どんな船が来る。

 

船主は誰。

 

誰が荷役する。

 

誰が燃料を入れる。

 

誰が修理する。

 

誰が水先案内をする。

 

どこの沿岸航路へ繋がる。

 

それを記録する。

 

実業家が頷いた。

 

「所有していなくても、利用できる可能性を知っておく」

 

英国役人が言った。

 

「あなた方のいつものやつですね」

 

「ええ」

 

所有より。

 

使えること。

 

---

 

そして。

 

この会議で。

 

フランス食品販売網の整備方針が決まった。

 

一港依存を避ける。

 

一鉄道依存を避ける。

 

一運送会社依存を避ける。

 

自動車だけにしない。

 

馬車だけにしない。

 

倉庫を分ける。

 

燃料を分ける。

 

飼料も分ける。

 

港までの経路を複数確認する。

 

そして。

 

必要なら。

 

荷物の流れを逆転できるようにする。

 

ただし。

 

書類には。

 

撤退。

 

避難。

 

その言葉は。

 

一つも書かれなかった。

 

正式名称は。

 

『フランス国内食品流通継続計画』

 

だった。

 

---

 

会議が終わりかけた時。

 

電報が入った。

 

元税務官が受け取る。

 

読む。

 

「アイルランドです」

 

英国役人が振り向いた。

 

「何と?」

 

「第一倉庫群、本格稼働開始」

 

一つ。

 

「乾燥食品再包装設備、稼働」

 

二つ。

 

「冷蔵倉庫、第一期稼働」

 

三つ。

 

「乳製品加工設備、試験完了」

 

四つ。

 

英国役人が満足そうに頷いた。

 

「いいですね」

 

元税務官は。

 

まだ読んでいた。

 

止まった。

 

「何です?」

 

「……アイスクリーム製造設備も稼働」

 

英国役人が止まった。

 

フランス役人も止まった。

 

ポーランド軍将校が聞いた。

 

「今?」

 

「今です」

 

英国役人が言った。

 

「なぜ?」

 

食品担当者が電報を覗く。

 

「余剰乳処理と冷却設備試験を兼ねているそうです」

 

「アイスで?」

 

「売れるので」

 

「戦争中ですよ」

 

元白軍将校が言った。

 

「牛乳は戦争を知らん」

 

誰も。

 

すぐには返事をしなかった。

 

フランス政府役人が。

 

先に笑った。

 

「味は?」

 

元税務官が電報の続きを読む。

 

「好評」

 

英国役人が額を押さえた。

 

「……輸出分を食べない程度にしてください」

 

食品担当者は真面目に頷いた。

 

「伝えます」

 

---

 

その日。

 

アイルランドでは。

 

新しい冷蔵設備の前で。

 

作業員たちが。

 

紙の容器を持っていた。

 

中には。

 

バニラアイス。

 

まだ。

 

Wolf Packではなかった。

 

ただのアイスだった。

 

倉庫。

 

加工場。

 

再包装設備。

 

冷蔵室。

 

その隣で。

 

子供が一匙食べた。

 

「うまい」

 

工場責任者が言った。

 

「なら売れるな」

 

こうして。

 

英国向け戦時食品中継拠点の稼働記録と。

 

アイルランドにおけるWILKアイスクリーム事業の開始記録は。

 

同じ月の帳簿に。

 

並んで残ることになった。

 

そして。

 

フランスでは。

 

港から内陸へ向かって。

 

食品を運ぶための線が。

 

少しずつ。

 

伸び始めていた。

 

まだ誰も。

 

その線を。

 

逆向きに大量の人間が通る日を。

 

知らなかった。

 

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