【WILKフランス食品流通網整備報告 一九四〇年春】
一九三九年九月の開戦以降。
フランス政府は輸入及び外国為替の統制、農産物価格への介入、一般物価の凍結など、戦時経済への移行を進めていた。
しかし。
一九四〇年春の段階で。
フランス全土が後年のような全面的配給制度へ移行していたわけではない。
市場には商品があった。
地方には農産物があった。
商店も営業していた。
食堂も。
パン屋も。
卸売業者も。
動いていた。
問題は。
それらを結ぶ輸送であった。
軍。
政府。
軍需工場。
石炭。
金属。
燃料。
大型荷主。
戦時下で優先順位の高い貨物が増える一方。
鉄道、貨車、トラック、運転手、燃料、倉庫には限りがあった。
さらに地方によっては。
人手不足。
輸送遅延。
輸入品の不足。
これらが徐々に目立ち始めていた。
そのため。
新たにフランス市場へ参入したWILK食品部門が。
大手鉄道会社。
大規模運送会社。
主要港湾倉庫。
これらへ十分な定期枠を求めることは難しかった。
そこで。
WILKは別の方法を選んだ。
個人運転手。
家族経営の運送会社。
馬車業者。
地方卸。
小規模倉庫。
小売店。
食堂。
パン屋。
宿。
その一つ一つは。
大きくなかった。
後年。
この時期の社内報告には。
次の一文が残されている。
「大きな荷車が空いていないなら、小さな荷車を百台探す」
――WILKフランス国内物流史より
最初に。
鉄道会社へ行った。
WILKフランス担当者は。
貨物輸送の予定表を前に。
しばらく待った。
相手の担当者が戻ってくる。
申し訳なさそうだった。
「定期枠は難しいです」
「今月だけ?」
「しばらく」
軍関係。
政府指定貨物。
軍需工場。
石炭。
原材料。
食料。
その他。
すでに予約が入っている。
「食品です」
WILK担当者が言った。
鉄道側も頷いた。
「分かっています」
「民間向けですが」
「それも必要です」
少し間。
「でも、全部必要なんです」
それだった。
鉄道会社が。
WILKの商品だけを嫌っているわけではない。
運べる量より。
運びたい量の方が多い。
「臨時枠なら?」
「空けば」
「定期では?」
「約束できません」
WILK担当者は頷いた。
「では」
書類を閉じる。
「連絡だけは残してください」
鉄道担当者が少し驚いた。
「断ったのに?」
「今は、でしょう?」
少し考える。
鉄道担当者は笑った。
「今は、です」
---
大手自動車運送会社も。
似たようなものだった。
「長距離車両が空きません」
別の会社。
「大口契約で埋まっています」
さらに。
「運転手が足りない」
「燃料割当が読めない」
「軍需工場との契約を優先しています」
どこへ行っても。
完全拒否ではない。
ただ。
新規の小口荷主へ。
毎週何台。
毎月何トン。
そういう保証を出せない。
元金持ちが。
報告書を眺める。
「思ったより悪くないな」
フランス担当が顔を上げた。
「全部断られてますよ」
「違う」
元金持ちは紙を指した。
『現在提供困難』
『定期枠保証不能』
『空車発生時対応可』
『状況改善時再協議』
「誰も二度と来るなとは言っとらん」
元税務官が言った。
「契約以前の問題ですね」
「そうだ」
「では残します」
「全部」
元税務官は。
紙を別の山へ移した。
『将来再照会』
山が増えた。
「……また分類が増えました」
---
主要港の大きな倉庫も。
同じだった。
政府関係物資。
輸入原料。
大口商社。
軍需関係。
すでに場所が取られている。
ある倉庫会社の責任者は。
本当に困った顔をした。
「こちらも貸したいんですよ」
「商売ですからね」
「ええ」
「でも?」
「場所がない」
それだけだった。
WILK担当者が聞く。
「一棟は無理?」
「無理です」
「一室」
「無理です」
「一区画」
責任者が少し考えた。
「荷の回転が早ければ」
WILK担当者の目が動いた。
「何日?」
「二日」
「三日は?」
「多分」
書いた。
大倉庫を丸ごと借りられなくても。
荷揚げ。
一時保管。
仕分け。
すぐ搬出。
なら。
使える。
「契約を変えましょう」
倉庫責任者は笑った。
「諦めませんね」
「一棟欲しいわけではありませんから」
---
この頃。
フランスの市場から。
商品そのものが消えていたわけではない。
都市によって。
地方によって。
事情はかなり違った。
ある地域では。
肉。
野菜。
パン。
乳製品。
普通に買える。
別の地域では。
輸入品が減っていた。
特に。
コーヒー。
石鹸。
そういった商品には。
品薄感が出始めている。
値段についても。
政府は上昇を抑えようとしていた。
だが。
実際の市場は。
必ずしも紙の上の価格だけでは動かない。
地方卸の男が言った。
「安く仕入れられるなら欲しい」
WILK担当者が聞く。
「何が?」
「全部」
「全部?」
「売れるものなら」
棚は空ではない。
だが。
次の荷が。
いつ来るか。
以前ほど読みやすくない。
そこへ。
別の供給源が来る。
WILKの商品は。
その意味で。
興味を持たれた。
---
問題は。
そこまで運ぶ方法だった。
そして。
その答えの一つが。
油で汚れた帽子を被って。
会議室へ入ってきた。
「俺?」
「はい」
「何で?」
「トラックをお持ちですね」
男は怪訝な顔をした。
「一台だぞ」
「一台あります」
「一台しかない」
「一台ある」
男は。
少し黙った。
所有車両。
中古トラック一台。
本人が運転。
妻が帳簿。
必要なら。
弟が助手。
「何を運ぶ?」
「食品です」
「軍の仕事じゃない?」
「違います」
「政府?」
「違います」
男は。
少し安心したような。
逆に不安なような顔をした。
「じゃあ金は?」
元税務官が契約書を出した。
「払います」
「いつ?」
「ここです」
男は読む。
「細かいな」
元税務官は答えた。
「最近よく言われます」
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一台。
次。
二台。
別の町。
一台。
家族経営。
三台。
午後だけ空く。
牛乳運搬車。
市場が終わった後に使える小型車。
農産物輸送の帰り便。
その一つ一つを。
つなぐ。
ただし。
専属にはしない。
運転手が聞いた。
「WILK以外の荷を積んでも?」
「うちの契約便に支障がなければ」
「いいのか?」
「あなたが他でも稼いでくれた方が、来月も車が走るでしょう」
男は契約書を見る。
もう一度。
WILK担当者を見る。
「変わった商売するな」
元税務官が横から答えた。
「中南米でも聞きました」
---
そして。
馬車。
戦争が始まっても。
馬は消えなかった。
むしろ。
地方の短距離輸送では。
まだ普通に働いている。
馬車業者の老人は。
WILK担当者を見て言った。
「トラックを使えばいい」
「空いてません」
「鉄道」
「空いてません」
「だから馬?」
「馬は空いてますか」
老人は笑った。
「二台なら」
契約。
荷車。
御者。
一日の距離。
積載量。
雨天。
飼料。
水。
休憩。
蹄鉄。
事故。
元税務官が言った。
「トラックより項目が多い」
老人が答えた。
「トラックは草食わんからな」
「壊れます」
「馬も壊れる」
「壊れると言わないでください」
「じゃあ疲れる」
「それでお願いします」
---
干し草。
燕麦。
水場。
厩舎。
鍛冶。
車輪修理。
こうして。
販売網へ。
馬のための場所まで入った。
元白軍将校が。
地図を見る。
「いいな」
食品担当者が聞く。
「何が?」
「燃料が二種類になった」
「二種類?」
元白軍将校は。
給油所を指す。
次に。
飼料商。
「ガソリンと草」
ポーランド軍将校が言った。
「言い方」
「違うか?」
違わなかった。
---
地方卸へ。
試供品を持って行く。
保存パン。
クラッカー。
果実加工品。
ジャム。
コーヒー。
乳製品。
Wolf Pack。
卸売業者が。
コーヒーを最初に見た。
「これは?」
「米州から」
「定期的に来る?」
「予定では」
男の顔が。
少し変わった。
値段より。
先に。
そこを聞いた。
「毎月?」
「海上輸送次第ですが、複数便です」
「一つの船?」
「いいえ」
「一つの港?」
「いいえ」
卸売業者は。
少し考えた。
「なら欲しい」
食品担当者が聞く。
「味は?」
「味も見る」
試飲。
一口。
「悪くない」
さらに。
Wolf Pack。
「これは何だ」
「食べる容器です」
「容器?」
ハム。
チーズ。
卵。
載せる。
巻く。
卸売業者が食べる。
「……アメリカの食い物か?」
「元はアイス用です」
「答えになってないぞ」
「我々も最近そう思っています」
---
小売店。
主人。
妻。
娘。
全員で試食。
妻。
「大きい」
主人。
「俺はこれでいい」
娘。
「甘いのは?」
食品担当者。
「あります」
妻。
「子供向けは小さくした方がいい」
主人。
「労働者には大きいの」
娘。
「果物を入れたい」
三人。
別々。
担当者は。
全部書いた。
店主が聞く。
「来週も来る?」
また。
それだった。
「予定しています」
「再来週は?」
「その次も」
店主は。
初めて価格表を見る。
---
港近くの小さな倉庫。
石造。
古い。
大きくない。
倉庫主が言う。
「魚は置くなよ」
「置きません」
「生肉も」
「置きません」
「腐るものは嫌だ」
「乾物中心です」
「鼠が来る」
「対策費を出します」
「湿気」
「棚を上げます」
「保険」
WILK担当者は。
元税務官の名前が書かれた書類を出した。
倉庫主が。
その厚さを見た。
「聞かなきゃよかった」
---
別の倉庫では。
主人が聞いた。
「大きな倉庫へ行かんのか」
「空いてません」
「それでうち?」
「はい」
「狭いぞ」
「知っています」
「港から少し遠い」
「馬車なら?」
「来る」
「トラックなら?」
「来る」
「なら使えます」
倉庫主は。
少し笑った。
「こんな小さいところまで外国会社が来るとは思わんかった」
担当者は答えた。
「こちらもです」
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大口の能力が。
使えなかった。
だから。
小口へ行った。
その結果。
食品は。
一度に大量には流れない。
船。
港。
一時置場。
小倉庫。
個人トラック。
馬車。
地方卸。
小売。
細かく。
何度も。
積み替える。
効率だけなら。
良くない。
元金持ちが計算を見る。
「高いな」
元税務官が答える。
「大口輸送よりは」
「人も要る」
「契約も」
「お前はそればっかりだな」
「誰が処理していると思ってるんです」
だが。
止まりにくい。
一台故障。
全部は止まらない。
御者が休む。
全部は止まらない。
一つの倉庫が満杯。
隣へ。
鉄道に臨時枠が出る。
そこだけ鉄道。
港が混む。
別港。
使えるものを。
その時使う。
---
フランス政府役人も。
新しい物流図を見た。
太い線は。
ほとんどなかった。
細い。
細い。
細い。
線が。
大量にある。
「効率が悪そうですね」
元金持ちが答えた。
「悪いですよ」
「運賃も?」
「上がります」
「管理は?」
元税務官。
「聞かないでください」
政府役人は。
少し笑った。
「それでも作る?」
ユダヤ人実業家が答えた。
「大手の能力を奪わずに済みます」
そこだった。
鉄道の大口枠。
軍や政府が使う。
大型トラック会社。
軍需産業が使う。
大型倉庫。
国家や大商社が使う。
そこへ。
WILKが割り込んで。
取り合いをする必要はない。
個人運転手。
馬車。
小倉庫。
地方卸。
町の商店。
それらにも。
まだ使える能力がある。
政府役人が言った。
「国がまとめにくいところを拾っている」
元金持ちは首を振った。
「拾っているというより」
少し考える。
「商売してるだけです」
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一方。
大手企業との連絡は。
切らなかった。
鉄道会社から。
『定期枠、引き続き保証困難』
大手運送会社。
『新規長距離契約見合わせ』
大型倉庫。
『当面満庫』
別の会社。
『政府指定輸送を優先』
WILKは。
全部。
保存した。
元金持ちが言う。
「半年後に空くかもしれん」
「一週間後かも」
元税務官。
「逆にもっと埋まるかもしれません」
「それでも」
連絡先を残す。
敵ではない。
断ったのでもない。
今。
手がいっぱいなだけだった。
---
そして。
町では。
少しずつ。
WILKの商品が並び始めた。
クラッカー。
ジャム。
果実加工品。
少量のコーヒー。
Wolf Pack。
まだ。
大量ではない。
地域によって。
入る商品も違う。
ある店では。
コーヒーが一番早く売れた。
別の店では。
ジャム。
工場の近くでは。
肉とチーズを入れたWolf Pack。
ある喫茶店では。
アイスを売ろうとした。
店主が言う。
「月曜はやめとくよ」
「なぜ?」
「この辺じゃ今、売らない日がある」
戦争は。
店の棚にも。
少しずつ。
入り込んでいた。
それでも。
客は来た。
パンを買う。
肉を買う。
菓子を見る。
コーヒーを探す。
まだ。
普通の生活は。
残っていた。
だからこそ。
商品が来ることに。
意味があった。
---
ある店。
老夫婦。
箱が届く。
妻が言った。
「今週も来た」
夫が伝票を見る。
「来週も予定にある」
「本当に?」
「予定ではな」
戦争中。
政府の規則が増える。
値段も以前のようには動かせない。
輸送は遅れる。
商品によっては。
なかなか入らない。
それでも。
箱が一つ。
また届いた。
妻が。
ジャムの瓶を棚へ並べる。
「こういうのが普通に来るだけで安心するね」
夫は答えなかった。
少しだけ。
頷いた。
---
その頃。
港では。
個人運転手が。
荷を積んでいた。
別の町では。
馬へ干し草をやっていた。
鍛冶屋が。
蹄鉄を直した。
小倉庫の主人が。
鼠よけの金網を取り付けた。
地方卸が。
翌週の注文を書いた。
鉄道会社の担当者は。
空き貨車が出ないか予定表を見ていた。
大手運送会社は。
政府向けの荷を積んでいた。
それぞれが。
それぞれの仕事をしていた。
フランスの地図には。
大きくはない線が。
一本。
また一本。
増えていった。
フランス政府役人が。
その地図を見た時。
言った。
「蜘蛛の巣みたいですね」
元白軍将校が答えた。
「それでいい」
「商品を運ぶには随分遠回りだ」
「道は一本じゃない方がいい」
政府役人は。
何も言わなかった。
まだ。
その地図に描かれた線は。
港から。
内陸へ向いていた。
食品を。
日常を。
運ぶための線だった。
そして。
一九四〇年五月十日まで。
残された時間は。
もう。
それほど長くなかった。