WILK ―忘れずの故郷―   作:ヒツジ(ラム肉

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【WILKフランス支部・非常時輸送記録 一九四〇年五月】

一九三九年九月。

フランスと英国はドイツへ宣戦した。

しかし。

西部戦線では長く、大規模な地上戦が始まらなかった。

部隊は動いた。

工場も動いた。

鉄道も軍需輸送を続けた。

飛行機も飛んだ。

だが。

前線そのものは、長いあいだ大きく動かなかった。

後世。

この期間は。

「奇妙な戦争」

「まやかし戦争」

などと呼ばれることになる。

しかし。

戦争が止まっていたわけではない。

双方が。

次に動くための準備をしていた。

そして。

一九四〇年五月十日。

その準備期間は。

突然。

終わった。

――WILK欧州戦時記録より


第229話 帰り便を空にするな

 

一九四〇年五月十日。

 

朝。

 

WILKフランス支部では。

 

午前便の遅延理由を確認していた。

 

「トラック一台、二時間遅れ」

 

「理由は?」

 

「幹線道路で軍用車列」

 

「次」

 

「馬車一台。車輪修理」

 

「次」

 

「鉄道便、予定変更」

 

「軍関係?」

 

「らしいです」

 

いつものことだった。

 

戦争が始まってから。

 

輸送は。

 

ずっと少しずつ不便になっていた。

 

鉄道は軍優先。

 

燃料も。

 

大手トラック会社も。

 

倉庫も。

 

全部。

 

少しずつ。

 

民間の自由から遠ざかっていた。

 

それでも。

 

商品は届いていた。

 

遅れながら。

 

遠回りしながら。

 

馬車へ積み替えながら。

 

店へ。

 

卸へ。

 

工場食堂へ。

 

パン屋へ。

 

喫茶店へ。

 

届いていた。

 

だから。

 

その朝も。

 

最初は。

 

ただの遅延だと思った。

 

---

 

一時間後。

 

電話が鳴った。

 

ベルギー方面。

 

次。

 

オランダ。

 

さらに。

 

ルクセンブルク。

 

ドイツ軍侵攻。

 

空挺部隊。

 

飛行場攻撃。

 

橋梁。

 

道路。

 

通信。

 

報告が。

 

一度に増えた。

 

フランス担当者が。

 

受話器を置いた。

 

「始まりました」

 

元白軍将校が。

 

窓の外を見る。

 

「始まってたろ」

 

「そういう意味ではなく」

 

「分かってる」

 

部屋の空気が変わった。

 

---

 

フランス軍。

 

英国遠征軍。

 

連合軍部隊は。

 

北へ動き始めた。

 

ベルギー方面。

 

オランダ方面。

 

敵をそこで受け止める。

 

少なくとも。

 

最初は。

 

そう見えた。

 

フランス政府役人から。

 

連絡が入る。

 

「民間輸送は軍輸送を妨げないように」

 

「承知しています」

 

WILK側も。

 

特別なことはしなかった。

 

配送停止命令も。

 

全面撤収命令も。

 

出さない。

 

ただ。

 

配達予定を見直す。

 

軍用車列と競合する時間帯を避ける。

 

鉄道枠を減らす。

 

馬車へ切り替える。

 

地方道へ回す。

 

それだけだった。

 

まだ。

 

戦争は。

 

遠くにあるように見えた。

 

---

 

空では。

 

そうではなかった。

 

フランス北東部。

 

前進飛行場。

 

朝の空気は冷たかった。

 

Taureauが。

 

並んでいる。

 

フランス人整備員。

 

ポーランド人整備員。

 

フランス人搭乗員。

 

亡命ポーランド人搭乗員。

 

混じっていた。

 

機体。

 

双発。

 

鼻先。

 

二十ミリ機関砲二門。

 

補助の七・五ミリ級機銃。

 

後方。

 

可動銃。

 

爆弾。

 

地上攻撃用。

 

まだ。

 

十分な数ではない。

 

だから。

 

一機でも。

 

無駄にはできない。

 

フランス人搭乗員が。

 

機体を見ながら言った。

 

「今日は空戦?」

 

ポーランド人搭乗員が答えた。

 

「命令次第」

 

「爆撃機迎撃なら?」

 

「行く」

 

「戦闘機なら?」

 

「逃げろ」

 

フランス人が笑った。

 

「弱気だな」

 

ポーランド人は。

 

笑わなかった。

 

「去年やった」

 

少し間。

 

「旋回して遊ぶ機体じゃない」

 

「では?」

 

「撃つ」

 

一つ。

 

「抜ける」

 

二つ。

 

「帰る」

 

三つ。

 

「それだけだ」

 

フランス人は。

 

少しだけ。

 

真面目な顔になった。

 

「帰る、か」

 

ポーランド人は答えた。

 

「帰る場所を先に決めろ」

 

---

 

出撃。

 

最初に見つけたのは。

 

道路だった。

 

敵車列。

 

トラック。

 

牽引砲。

 

燃料車。

 

軽車両。

 

長い。

 

Taureauは。

 

上空へ留まらなかった。

 

一度。

 

高度を落とす。

 

二十ミリ。

 

発射。

 

道路脇。

 

先頭近く。

 

車両が。

 

跳ねる。

 

黒煙。

 

そのまま。

 

通過。

 

旋回。

 

だが。

 

同じ方向からは。

 

戻らない。

 

別方向。

 

次の機体。

 

短い射撃。

 

さらに。

 

爆弾。

 

道路脇。

 

砲兵。

 

馬。

 

車。

 

土煙。

 

対空射撃が上がる。

 

曳光弾。

 

一発。

 

二発。

 

機体近くを通る。

 

後方銃座。

 

応射。

 

しかし。

 

長居はしない。

 

一回。

 

二回。

 

それだけ。

 

抜ける。

 

---

 

道路側。

 

ドイツ兵。

 

最初は。

 

爆撃機だと思った。

 

違った。

 

低い。

 

速い。

 

双発。

 

正面火力が重い。

 

しかも。

 

同じ方向から来ない。

 

「また来るぞ!」

 

「どこから!」

 

分からない。

 

空を見る。

 

車列が止まる。

 

散る。

 

道路脇へ。

 

それだけで。

 

時間を食う。

 

燃えている車両を。

 

避ける。

 

砲を。

 

寄せる。

 

馬を。

 

落ち着かせる。

 

道を。

 

開ける。

 

空から見れば。

 

小さな遅れだった。

 

地上から見れば。

 

長かった。

 

---

 

帰投。

 

Taureau。

 

全機ではなかった。

 

一機。

 

戻らない。

 

別の一機。

 

片発。

 

高度は。

 

保てない。

 

だが。

 

操縦はできる。

 

ゆっくり。

 

落ちる。

 

飛行場。

 

遠い。

 

だが。

 

選べる。

 

畑。

 

道路。

 

空き地。

 

搭乗員が。

 

地上を見る。

 

片発で。

 

帰る。

 

という言葉の意味は。

 

水平飛行ではない。

 

どこへ降りるかを。

 

選べる。

 

という意味だった。

 

機体は。

 

荒い畑へ。

 

滑り込んだ。

 

脚。

 

壊れる。

 

胴体。

 

削れる。

 

だが。

 

搭乗員は。

 

出てきた。

 

---

 

飛行場。

 

フランス人搭乗員が。

 

戻ったポーランド人へ聞いた。

 

「効いたと思うか」

 

ポーランド人は。

 

手袋を外した。

 

「効いた」

 

「なら止まる?」

 

少し間。

 

「止まらん」

 

「……そうか」

 

「だから」

 

ポーランド人は。

 

機体を見る。

 

「もう一回飛ぶ」

 

---

 

陸上。

 

情報が増えた。

 

最初。

 

北。

 

次。

 

ベルギー。

 

次。

 

ルクセンブルク。

 

そのうち。

 

違う報告が。

 

混じり始めた。

 

アルデンヌ。

 

ムーズ。

 

道路。

 

装甲部隊。

 

進出。

 

一部。

 

突破。

 

フランス政府役人が。

 

地図を指した。

 

「情報が錯綜しています」

 

元白軍将校が答えた。

 

「いつものことだ」

 

「確定していません」

 

「確定してから動くと遅いこともある」

 

「撤退を始めろという意味ですか」

 

「違う」

 

元白軍将校は。

 

WILK販売網の地図を引き寄せた。

 

まだ。

 

矢印は。

 

港から。

 

内陸へ向いている。

 

食品。

 

物資。

 

店。

 

町。

 

工場。

 

---

 

電話。

 

地方卸。

 

「東から民間人が増えてる」

 

次。

 

個人運転手。

 

「幹線は軍用車で詰まってる」

 

次。

 

馬車業者。

 

「村道なら通れる」

 

次。

 

小売店。

 

「ベルギーから来た家族がいる」

 

次。

 

給油所。

 

「軍用車両へ優先して燃料を出してる」

 

次。

 

倉庫。

 

「空き区画ならまだある」

 

それは。

 

軍事報告ではなかった。

 

商売の報告だった。

 

だが。

 

地図へ置けば。

 

何かが見えた。

 

元白軍将校は。

 

しばらく。

 

地図を見る。

 

ポーランド軍将校も。

 

隣に立つ。

 

元白軍将校が。

 

言った。

 

「矢印を消せ」

 

フランス担当が聞いた。

 

「全部?」

 

「一度」

 

鉛筆。

 

消す。

 

港から。

 

町へ。

 

伸びていた矢印が。

 

薄くなる。

 

元白軍将校が。

 

指を動かした。

 

今度は。

 

町から。

 

港へ。

 

「逆に引け」

 

部屋が。

 

静かになった。

 

---

 

フランス政府役人が。

 

すぐ反応した。

 

「待ってください」

 

元白軍将校を見る。

 

「まだ全面撤退の命令は出ていません」

 

「知ってる」

 

「ではこれは?」

 

「帰り便だ」

 

「帰り便?」

 

元金持ちが。

 

理解した。

 

「配達した車を」

 

元白軍将校。

 

「空で戻すな」

 

それだけだった。

 

食品を届ける。

 

空になった荷台。

 

そこへ。

 

何かを載せる。

 

まだ。

 

人を大量に逃がすわけではない。

 

まず。

 

帳簿の複製。

 

図面。

 

小型治具。

 

測定器。

 

工具。

 

予備部品。

 

医薬品。

 

そして。

 

移動を希望する社員家族。

 

子供。

 

高齢者。

 

「軍用車両は使わない」

 

元白軍将校が言った。

 

「鉄道枠も取らない」

 

フランス役人。

 

「民間輸送の範囲で?」

 

「そうだ」

 

「港へ?」

 

「まだ港まで行かなくてもいい」

 

一つ西。

 

次の倉庫。

 

次の町。

 

一晩。

 

そこから。

 

また西。

 

「少しずつ」

 

元独立運動家が言った。

 

「家族単位で」

 

「そうだ」

 

---

 

指示。

 

正式名称。

 

『帰路積載率向上』

 

元税務官が。

 

その名前を見た。

 

「本当にこれで行くんですか」

 

元金持ちが答えた。

 

「嘘ではない」

 

「嘘ではないですが」

 

「帰り便に荷を載せる」

 

「人間まで」

 

「人間も荷だと言ったら怒るか?」

 

元独立運動家が。

 

即座に言った。

 

「怒ります」

 

「じゃあ人員」

 

元税務官が。

 

ため息。

 

「もっと悪い」

 

---

 

最初の車。

 

食品配送。

 

地方小売。

 

荷下ろし。

 

空になる。

 

店主が。

 

運転手を見る。

 

「戻るのか」

 

「ああ」

 

店主が。

 

奥を見る。

 

そこに。

 

三人。

 

母親。

 

子供二人。

 

ベルギー方面から来た。

 

親戚を頼って。

 

さらに西へ行きたい。

 

運転手が。

 

少し考えた。

 

「次の町までなら」

 

母親が聞いた。

 

「本当に?」

 

「荷台でいいなら」

 

店主が。

 

毛布を持ってきた。

 

「敷け」

 

運転手。

 

「戻ってこないかもしれんぞ」

 

店主は。

 

少し笑った。

 

「なら次の車に返してもらう」

 

それで。

 

話は決まった。

 

---

 

別の場所。

 

馬車。

 

食品を降ろす。

 

帰り。

 

老夫婦。

 

小さな箱。

 

中身。

 

書類。

 

写真。

 

服。

 

鍋。

 

御者が聞く。

 

「全部?」

 

老人が。

 

家を見る。

 

「これだけでいい」

 

馬車。

 

動く。

 

干し草。

 

水。

 

次の町。

 

一晩。

 

また。

 

別の荷車。

 

---

 

WILK倉庫。

 

今まで。

 

クラッカー。

 

ジャム。

 

コーヒー。

 

Wolf Pack。

 

積んでいた。

 

その一角。

 

空ける。

 

簡易寝床。

 

毛布。

 

水。

 

子供。

 

老人。

 

運転手。

 

元独立運動家の担当者が。

 

人数を書く。

 

八人。

 

次。

 

十二。

 

次。

 

五。

 

誰も。

 

避難所とは呼ばない。

 

『一時滞在』

 

それで。

 

通した。

 

---

 

フランス政府役人が。

 

現場報告を見る。

 

「これは」

 

止まる。

 

「もう避難では?」

 

元税務官が答える。

 

「大規模ではありません」

 

「言葉の問題ではなく」

 

元白軍将校が。

 

割り込む。

 

「なら止めるか」

 

役人は。

 

黙った。

 

道路。

 

軍用輸送。

 

民間人。

 

混乱。

 

鉄道。

 

大手トラック。

 

全部。

 

すでに余裕がない。

 

WILKの小口網は。

 

そこへ。

 

新しい車列を作っていない。

 

帰る車へ。

 

少しだけ。

 

載せている。

 

フランス役人は。

 

資料を見る。

 

「軍の妨げには?」

 

「しない」

 

「道路規制が出たら?」

 

「従う」

 

「指定区域への立入禁止」

 

「従う」

 

「港湾統制」

 

「従う」

 

少し間。

 

「……なら」

 

役人は言った。

 

「続けてください」

 

元白軍将校は。

 

頷いた。

 

---

 

空。

 

Taureau。

 

二回目の出撃。

 

今度は。

 

砲兵。

 

道路。

 

橋。

 

敵戦闘機。

 

来る。

 

Taureauは。

 

戦わない。

 

少なくとも。

 

長くは。

 

正面。

 

一撃。

 

抜ける。

 

一機。

 

敵戦闘機が。

 

追う。

 

Taureau。

 

低く。

 

速く。

 

地上へ。

 

フランス人搭乗員が。

 

後で言った。

 

「逃げたな」

 

ポーランド人搭乗員。

 

「帰った」

 

「同じじゃないか」

 

「違う」

 

「何が」

 

「明日もう一回飛べる」

 

それ以上。

 

説明しなかった。

 

---

 

夕方。

 

飛行場。

 

帰還機。

 

七機出た。

 

五機。

 

帰った。

 

一機。

 

不時着。

 

一機。

 

行方不明。

 

整備員。

 

修理可能機。

 

四。

 

一機。

 

時間が要る。

 

燃料。

 

弾薬。

 

減っている。

 

でも。

 

まだ飛べる。

 

---

 

フランス支部。

 

元白軍将校が。

 

報告を見る。

 

「何機帰った」

 

ポーランド軍将校。

 

「七機出撃。五機帰投。一機不時着。乗員生存。一機未帰還」

 

元白軍将校は。

 

次。

 

「人は?」

 

元独立運動家。

 

「今日だけで西へ百八十三人」

 

「家族?」

 

「大半が」

 

「子供」

 

「四十七」

 

「老人」

 

「二十一」

 

「書類」

 

元税務官。

 

「複製帳簿十一箱。契約記録六箱。設計関係は別便」

 

「工具」

 

元ドイツ軍技術者。

 

「測定器と治具、小型のものから」

 

元金持ちが。

 

地図を見る。

 

「まだ売り場も生きてる」

 

「なら売れ」

 

元白軍将校が言った。

 

「逃がしながら?」

 

「売れる間は」

 

「無茶だな」

 

「両方やれ」

 

元税務官が。

 

顔をしかめた。

 

「簡単に言わないでください」

 

---

 

夜。

 

小さな店。

 

店主が。

 

棚を整理していた。

 

ジャム。

 

クラッカー。

 

少量のコーヒー。

 

Wolf Pack。

 

昨日まで。

 

ただの商品だった。

 

今日。

 

奥の部屋では。

 

子供が寝ていた。

 

母親。

 

毛布。

 

足元。

 

小さな鞄。

 

店主は。

 

伝票を見る。

 

そこに。

 

いつもの項目。

 

『Wolf Pack 十二箱』

 

『果実加工品 六箱』

 

『クラッカー 八箱』

 

その下。

 

今日。

 

新しく。

 

鉛筆で。

 

書かれていた。

 

『家族五名 一泊』

 

『運転手交代』

 

『燃料二十リットル』

 

『子供用毛布 三』

 

店主は。

 

しばらく。

 

その文字を見る。

 

外。

 

遠く。

 

飛行機の音。

 

妻が。

 

奥から聞いた。

 

「明日も荷は来る?」

 

店主は。

 

伝票を見る。

 

「予定では」

 

「人も?」

 

少し間。

 

「たぶんな」

 

---

 

販売網は。

 

まだ。

 

販売網だった。

 

店も開いていた。

 

食品も売っていた。

 

荷物も届いていた。

 

ただ。

 

その網を流れるものが。

 

少しずつ。

 

変わり始めていた。

 

昨日まで。

 

港から。

 

内陸へ。

 

今日から。

 

内陸から。

 

西へ。

 

矢印が。

 

一本。

 

また一本。

 

反対を向き始めた。

 

まだ誰も。

 

それを。

 

撤退とは呼ばなかった。

 

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