一九二二年
試験目的は、冬季高空飛行を利用した果汁の低温輸送および保存性確認である。
搭載物はリンゴ果汁二樽、洋梨果汁一樽、蜂蜜添加果汁一樽。
予定では飛行中に十分な冷却を行い、到着後に半凍結状態を確認することとした。
結果。
外気温は低かったが、飛行高度および時間が不足し、内容物は凍結しなかった。
ただし、一部の樽で発酵が進行し、軽い発泡および酒精の生成が確認された。
製造側はこれを、
「冷却試験失敗」
と記録した。
営業側は、
「新製品候補」
と記録した。
軍監督官は、同一事象を二つの帳簿へ異なる名称で記載しないよう注意した。
両帳簿は、その後も統合されていない。
「果物を飛ばす」
実業家が言った。
ポーランド軍将校は、しばらく何も答えなかった。
「聞こえなかったか」
「聞こえている」
「では」
「聞かなかったことにしたい」
作業場の隅には、小さな樽が四つ並んでいた。
リンゴ。
洋梨。
蜂蜜入り。
それぞれの樽には、番号と重量。
さらに大きく、
飛行試験用
開封禁止
と書かれている。
元白軍将校が樽を叩いた。
「よい音だ」
「何の音だ」
軍将校が尋ねる。
「中身が詰まっている」
「果汁だろう」
「凍ればもっとよい音になる」
「なぜ凍らせる!」
元独立運動家が答えた。
「保存しやすい」
「地上で冷やせ」
「冷蔵設備がない」
「氷を使え」
「冬の高空は無料だ」
実業家が頷く。
「燃料費はかかりますが」
「無料ではない!」
◇
話の発端は、町の果樹農家だった。
秋に採れた果物。
売れ残り。
傷はあるが食べられる実。
潰して果汁にする。
だが保存が難しい。
冬場なら冷やせる。
なら、もっと冷たい場所へ持っていけばよい。
「空だ」
元独立運動家が言った。
「高く飛べば凍る」
「どこまで高く」
軍将校が尋ねる。
元ドイツ技師は計算表を見る。
「機体と積載条件による」
「Turで?」
「今は使えない」
「なぜ」
「八号機は発動機一基待ち。九号機以降は両方ない」
「では古い輸送機」
「高度性能が足りない」
元白軍将校が言った。
「上がれるところまで上がる」
「凍るか」
「冬だ」
「答えになっていない」
実業家は農家から届いた依頼書を示した。
「試験費用は農家組合が一部負担します」
「また通したのか」
「まだ契約前です」
「なら断れ」
「受注候補です」
「もう半分受けている顔だな!」
◇
元ドイツ技師は、試験条件を厳しく決めた。
樽は四つ。
容量を揃える。
重量を揃える。
果汁の糖度を測る。
開始温度を記録。
外気温も。
高度。
時間。
樽の位置。
「ただ飛ばすだけでは駄目だ」
「分かっている」
元独立運動家が答える。
「凍れば成功」
「それだけではない」
「何を見る」
「どの位置がどれだけ冷えるか」
「主翼下か、貨物室か」
「そうだ」
「また外へ吊るすのか」
軍将校が嫌そうに尋ねる。
白軍将校が答えた。
「二樽は外、二樽は中」
「見た目が完全に爆弾だ」
「今度は樽だ」
「樽爆弾に見える!」
実業家が言った。
「果物の絵を描きましょう」
「それで安全になると思うな!」
◇
搭載機は、前回と同じ古いWILK輸送機だった。
武装なし。
主翼下に外装架。
貨物室に固定金具。
左右一樽ずつ。
内部二樽。
「重心は」
技師が尋ねる。
「計算済み」
「左右差」
「なし」
「樽固定」
「二重」
「緊急投棄」
「可能」
軍将校が眉をひそめる。
「また落とせるのか」
「安全のためだ」
「果汁を空から捨てる?」
「火災や着陸不能時には機体を優先する」
「戦場ではないぞ」
「事故は場所を選ばない」
軍将校は何も言えなくなった。
◇
操縦士は、飛行バター定期便の若い男だった。
「今回は何を飛ばす」
彼は樽を見ながら尋ねた。
「果汁」
元独立運動家が答える。
「帰ったら最初に飲む?」
「検査後だ」
「匙は」
「今日は杯だ」
実業家が小さな金属杯を渡した。
側面に刻印。
一号試飲杯
若い操縦士は黙って杯を見た。
「また番号がある」
「管理のためだ」
元ドイツ技師が答える。
「何個ある」
「今は一個」
「一号?」
「今後増えるかもしれない」
「増やす気だな」
軍将校が言った。
「飲料事業を始めるなよ」
実業家は答えなかった。
◇
離陸。
冬の空。
地面には薄い雪。
機体は軽く揺れながら上昇した。
高度五百メートル。
千メートル。
千五百。
「もっと上がれるか」
後席の技師が尋ねる。
「上がれる」
操縦士が答える。
「速度は落ちる」
「二千まで」
「寒いぞ」
「樽にはよい」
「人間には悪い」
「防寒具を着ろ」
「着ている!」
◇
外気温は下がった。
主翼下の樽表面には霜が付き始める。
「凍るか」
操縦士が尋ねる。
「表面だけでは分からん」
「中身は見えない」
「帰ってからだ」
「もっと高く」
「発動機温度を見ろ」
「まだ余裕」
「燃料は」
「帰路分あり」
「なら二千二百」
機体はさらに上昇した。
古い発動機が低く唸る。
操縦士は出力を慎重に保つ。
主翼下の樽は震え続ける。
「凍らせるために飛ぶのは初めてだ」
「私はバターを作るために飛んだ」
技師が答える。
「作るつもりだったのか」
「振動試験だ」
「皆そう言う」
◇
飛行時間一時間二十分。
高度を保つ。
緩い旋回。
直線飛行。
雲の下。
外気は十分に冷たい。
だが樽の中身は大量だった。
糖分もある。
凍結には、温度だけでなく時間が要る。
「もう少し飛ぶか」
操縦士が尋ねる。
技師は燃料計を見る。
「帰る」
「凍っていなければ」
「失敗だ」
「もう一度」
「条件を変える」
「次があるのか」
「失敗の理由が分かれば」
操縦士は笑った。
「WILKだな」
◇
着陸。
樽はすべて無事。
外装樽の表面は冷たい。
内部樽は、それより温かい。
農家組合の代表。
実業家。
独立運動家。
白軍将校。
軍将校。
技師。
皆が集まる。
「温度から」
技師が言う。
「また味は後か」
白軍将校が尋ねる。
「測定が先だ」
外装樽。
内部温度は下がっている。
だが凍結点までは届いていない。
貨物室樽。
さらに温かい。
「凍っていない」
農家代表が残念そうに言った。
「高度不足か」
軍将校が尋ねる。
「高度と時間の両方だ」
技師が答える。
「機体性能も」
「古い輸送機では限界がある」
「Turなら」
「もっと上がれるが、軍用機だ」
実業家が言う。
「民間改修型を作れば」
「発動機がない!」
◇
蓋を開ける。
まずリンゴ果汁。
冷たい。
液体のまま。
少し泡がある。
「泡?」
独立運動家が覗く。
「出発前にはなかった」
農家代表が匂いを嗅ぐ。
「発酵している」
「凍らずに?」
「果汁だからな」
「密閉したからか」
「糖がある」
元白軍将校が言った。
「酒になった」
「少しだけだ」
代表が匙で確認する。
「炭酸も出ている」
軍将校が嫌な顔をする。
「飲めるのか」
「検査してから」
「最初の杯は?」
若い操縦士が聞いた。
全員が彼を見る。
「楽しみにしていたのか」
「匙を渡された時より、今日は明確だった」
◇
洋梨果汁も、わずかに発泡していた。
蜂蜜入りは、さらに強い。
蓋を少し緩めると、
ぷしゅ。
と音がした。
軍将校が一歩下がる。
「危険では」
「圧力が出ている」
技師が答える。
「飛行中に破裂したら」
「樽が耐えた」
「今回はな」
「次から圧力逃がし弁を付ける」
「次が決まった!」
白軍将校は嬉しそうだった。
「もっと飛べば強くなる」
「酒を空で作るな!」
「地上でも作る」
「なら地上でやれ!」
◇
農家代表が少量を検査した。
異臭なし。
腐敗なし。
軽い酒精。
自然な発泡。
「飲める」
代表が言った。
若い操縦士へ一号試飲杯が渡される。
「最初の一杯」
「今度は一匙ではない」
「飲み物だからな」
操縦士は杯へリンゴ果汁を注ぐ。
一口。
冷たい。
少し甘い。
わずかに酸味。
舌に小さな泡。
「どうだ」
「うまい」
「酒か」
「少し」
「酔うほど?」
「この量では」
実業家が記録する。
操縦士試飲済み。
品質良好。
軍将校が言った。
「また商品札に使う気だな」
「検討します」
「検討するな!」
◇
技師は失敗原因をまとめた。
凍結せず。
原因、飛行高度不足。
飛行時間不足。
果汁糖度が高く、凍結点が低下。
樽容量が大きく、中心部まで冷却されず。
その下に、実業家が別の紙を置いた。
軽発泡果汁。
冬季限定試験品。
飛行時間一時間二十分。
高度二千二百メートル。
技師が見つけた。
「失敗だ」
「凍結には失敗しました」
「なら失敗だ」
「飲料としては成功です」
「目的が違う」
「結果に価値があります」
軍将校が二人の間へ入った。
「同じ物を別の名前で記録するな」
実業家が答える。
「技術報告と営業記録です」
「だから混乱するのだ!」
◇
町の酒屋が呼ばれた。
リンゴ。
洋梨。
蜂蜜入り。
少量ずつ味を見る。
「未完成だ」
酒屋は言った。
「だが面白い」
「売れるか」
実業家が尋ねる。
「珍しさでは」
「味では」
「整えれば」
「何を変える」
「酵母を選ぶ。糖度を揃える。圧力を管理する。飛行後に発酵を止める」
元ドイツ技師が言った。
「つまり飛行だけでは完成しない」
「当たり前だ」
酒屋が答える。
「空は酒蔵ではない」
軍将校が大きく頷いた。
「聞いたか!」
白軍将校が言う。
「酒蔵の一部にはなる」
「余計なことを言うな!」
◇
次の試験は、二つに分けることになった。
一つ。
凍結試験。
小容量容器。
高度を上げる。
飛行時間を延ばす。
糖度を下げる。
もう一つ。
発泡果汁試験。
地上で発酵条件を整え、飛行中の揺れと冷却が味へ与える影響を見る。
「二つに増えた」
軍将校が言った。
「失敗を分けただけだ」
技師が答える。
「営業側は」
「商品候補が二つです」
実業家が言った。
「やはり増えている!」
◇
小容量容器が作られた。
樽ではない。
金属缶。
厚い蓋。
圧力逃がし弁。
温度計を差せる口。
軍将校は完成品を見る。
「乳脂肪缶より複雑だ」
「発酵するからだ」
「爆弾より安全装置が多い」
「爆弾は爆発する前提だ」
「果汁も爆発しかけているぞ!」
元独立運動家が果物の絵を描いた札を付ける。
リンゴ。
洋梨。
蜂。
実業家が満足そうに見る。
「分かりやすい」
「子供向け商品ではない」
「大人も絵を見る」
◇
新聞には、前回の飛行バター記事に続いて、小さな記事が載った。
空で凍らず、酒になって帰る
WILK航空製作所が冬季低温輸送試験に失敗。
しかし搭載した果汁の一部が軽く発泡し、試験関係者の評価は良好だった。
同社は、
「高度不足」
と説明している。
軍将校は記事を机へ叩きつけた。
「誰が記者に話した」
実業家が答える。
「試験結果は隠していません」
「またそれか!」
「事実です」
「見出しが完全に喜劇だ!」
元白軍将校が記事を読む。
「よい名前だ」
「何が」
「高度不足」
元独立運動家も頷いた。
「商品名にできる」
軍将校の顔が引きつった。
「するな」
実業家は既に帳簿へ書いていた。
仮称
高度不足
「書くな!」
◇
試作品は、町の酒場へ少量だけ渡された。
正式販売ではない。
関係者向け試飲。
リンゴの軽発泡酒。
洋梨の軽発泡酒。
蜂蜜入りは甘く、少し強い。
酒場の客たちは札を見る。
高度不足・リンゴ
空で凍らなかった果汁。
「名前がひどい」
一人が言った。
「だが覚える」
別の者が答える。
「味は」
「軽い」
「冬にいい」
「飛行機の味はするか」
「するわけないだろう」
酒場の隅で、若い操縦士が二号試飲杯を持っていた。
「一号はどこへ」
「工房です」
「二号?」
「定期便用です」
「軍人でもないのに番号管理か」
「WILKだからな」
◇
利益は小さかった。
量も少ない。
飛行費用が高い。
だが売れた。
飛行バター。
飛行パン。
高度不足。
航空機を作れない日にも、工房へ金が入る。
果樹農家には、売れ残りの使い道ができた。
酒屋には、新しい客寄せができた。
飛行士には、帰還後の一杯ができた。
元独立運動家は、売れ残りの果実を潰す農夫たちを見た。
「捨てずに済む」
実業家が答える。
「安く仕入れられます」
「先に農家の話をしろ」
「両方大事です」
◇
その間にも、Turの発動機は来なかった。
八号機。
片肺のまま。
九号機から十二号機。
空の発動機架。
軍将校は毎朝尋ねる。
「今日は」
「来ていません」
「明日は」
「未定です」
「果汁は」
「次便があります」
「そちらだけ予定通りなのが腹立たしい!」
元ドイツ技師は八号機の片側発動機を点検する。
「来ない物を待っても仕方ない」
軍将校が驚いた。
「お前まで言うのか」
「待っている間に、できる物を揃える」
「工具か」
「部品も」
「果汁も?」
技師は少し黙った。
「試験記録は有用だ」
「認めたな」
◇
冬の終わり。
凍結果汁試験は再び行われた。
今度は小容量缶。
飛行高度を上げる。
時間を延ばす。
糖度を調整。
帰還後。
外装缶の一つ。
蓋を開ける。
中身は完全には凍っていない。
だが細かな氷が混ざっていた。
半凍結。
匙ですくえる。
元独立運動家が味を見る。
「冷たい」
「それは分かる」
軍将校が答える。
「甘い」
「果汁だからな」
「氷菓になる」
実業家が帳簿を開いた。
軍将校が腕を掴む。
「まだ名前を付けるな」
「記録だけです」
「何と書く」
「高高度果汁半凍結品」
「長い」
元白軍将校が言う。
「空の雪」
元ドイツ技師が首を振る。
「果汁だ」
果樹農家の代表が言った。
「凍り損ない」
軍将校はため息をついた。
「なぜ失敗名ばかり残る」
実業家は静かに答えた。
「覚えやすいからです」
◇
高度不足は、失敗から生まれた。
凍らせるはずだった。
凍らなかった。
代わりに泡が出た。
酒精が生まれた。
なら飲める形へ整えた。
次は小さくして、もう一度飛ばした。
今度は少し凍った。
失敗は一つではなかった。
だから成果も一つでは終わらなかった。
軍将校は、工房の机に並ぶ試作品を見た。
バター。
パン。
軽発泡果汁。
半凍結果汁。
その奥には、発動機のないTurが並んでいる。
「本当に何の会社だ」
実業家が答える。
「帰ってきた物を無駄にしない会社です」
軍将校は少し黙った。
元独立運動家が、半凍結果汁を小さな杯へ入れる。
「最初は誰へ」
「飛ばした者だ」
元白軍将校が答えた。
「その次は」
「待っていた者へ」
元ドイツ技師は八号機を見上げる。
「発動機が来れば、これも飛ぶ」
「来なければ」
軍将校が尋ねる。
「来るまで作る」
「何を」
実業家は新しい帳簿を開いた。
軍将校が先に言った。
「もう聞かん」
帳簿の表紙には、こう書かれていた。
飛行食品試験部
仮設
軍将校は二度見した。
「部になったのか!」
「まだ仮設です」
「仮設が一番信用できん!」