WILK ―忘れずの故郷―   作:ヒツジ(ラム肉

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【WILKフランス支部・地方輸送網非常時運用記録 一九四〇年五月】

一九四〇年五月。

フランス軍及び英国遠征軍は、ドイツ軍のベルギー侵攻に対応し、予定されていた作戦計画に従って北方へ進出した。

軍隊が動いた。

砲兵。

歩兵。

自動車。

戦車。

補給車。

馬匹。

それらを支える列車。

同時に。

民間人も動き始めた。

北。

北東。

ベルギー国境方面。

町。

村。

工場。

農家。

爆撃。

噂。

後退する部隊。

前進する部隊。

近づいているらしい敵。

何が正確で。

何が間違っているのか。

普通の人間には分からなかった。

ただ。

家族を連れて。

西へ。

南へ。

少しでも戦場から遠い方向へ。

人々は動いた。

その結果。

軍隊が使用する道路と。

民間人が避難に使用する道路が。

しばしば。

同じになった。

後年。

WILK地方輸送部門の記録には。

この時期について。

次の一文が残されている。

「道路を増やすことはできなかった。

ならば、同じ道路を同じ者に使わせないようにした」

その作業で。

最も役に立った者の多くは。

軍人ではなかった。

地方の馬車業者だった。

――WILK欧州戦時物流史より


第230話 馬車なら通れる

 

 

道が。

 

動かなかった。

 

トラック。

 

軍用車。

 

砲。

 

馬車。

 

自転車。

 

乗用車。

 

乳母車。

 

人。

 

人。

 

人。

 

また。

 

人。

 

一台のフランス軍トラックが。

 

警笛を鳴らす。

 

動かない。

 

前には。

 

家財を積んだ荷車。

 

その向こうには。

 

家族連れ。

 

さらに。

 

別の軍用車列。

 

兵士が。

 

荷台から降りた。

 

「道を空けろ!」

 

聞こえた者は。

 

避けようとする。

 

だが。

 

避ける場所がない。

 

道路脇。

 

溝。

 

畑。

 

塀。

 

兵士が。

 

また叫ぶ。

 

「軍用車列だ!」

 

一人の男が。

 

怒鳴り返した。

 

「じゃあどこへ行けっていうんだ!」

 

その男の隣。

 

妻。

 

子供。

 

老人。

 

荷物。

 

兵士も。

 

答えられなかった。

 

前線へ行く必要がある。

 

だが。

 

彼らにも。

 

逃げる必要がある。

 

---

 

その渋滞の後ろに。

 

WILK契約の馬車がいた。

 

昨日まで。

 

ジャムとクラッカーを運んでいた馬車だった。

 

御者。

 

六十を越えている。

 

白髪。

 

帽子。

 

道具袋。

 

馬二頭。

 

荷台。

 

今日は。

 

ほとんど空だった。

 

配送帰り。

 

老人は。

 

しばらく。

 

前を見る。

 

次に。

 

横を見る。

 

道標。

 

教会。

 

畑。

 

木。

 

「あー」

 

横にいた助手が聞いた。

 

「何です?」

 

「こりゃ駄目だ」

 

「ですよね」

 

「違う」

 

老人は。

 

前を指した。

 

「この道じゃなくていい」

 

助手が見る。

 

「他にあるんですか?」

 

老人は。

 

呆れた顔をした。

 

「あるから毎日馬車引いとるんじゃ」

 

---

 

老人は。

 

馬車を道路脇へ寄せた。

 

兵士のところへ歩く。

 

「おい」

 

フランス兵が振り向く。

 

「何だ」

 

「この先へ行くのか」

 

「そうだ」

 

「軍はこの道を使え」

 

兵士の顔が。

 

険しくなる。

 

「何を言っている」

 

老人は。

 

民間人を指した。

 

「そいつらは別へ回せ」

 

「別?」

 

「三キロ戻る」

 

老人は。

 

指を動かす。

 

「古い教会がある」

 

右。

 

「裏へ回る」

 

左。

 

「粉挽き小屋の跡」

 

さらに。

 

「川沿い」

 

兵士が聞く。

 

「車は通れるのか」

 

「大型トラックは無理」

 

「では」

 

「馬車」

 

一つ。

 

「自転車」

 

二つ。

 

「徒歩」

 

三つ。

 

「小さい車なら、乾いてれば」

 

兵士は。

 

少し考えた。

 

「橋は?」

 

「石橋」

 

「幅は?」

 

「荷車一台」

 

「壊れてない?」

 

老人が怒った。

 

「先週通ったわ!」

 

---

 

フランス兵。

 

将校を呼ぶ。

 

老人。

 

もう一度説明。

 

地図。

 

将校が見る。

 

地図には。

 

道は。

 

一応あった。

 

細い。

 

非常に細い。

 

主要道路ではない。

 

将校が老人を見る。

 

「使えるのか」

 

「馬車なら」

 

「民間人を全部そっちへ?」

 

「全部は無理だ」

 

老人は。

 

即答した。

 

「徒歩と馬車を流せ」

 

「自動車は?」

 

「小さいのだけ」

 

「大型車」

 

「軍と一緒にここで我慢しろ」

 

将校が。

 

少し笑った。

 

「命令するな」

 

老人も。

 

笑った。

 

「じゃあ勝手に詰まっとれ」

 

将校は。

 

笑うのをやめた。

 

「案内できるか」

 

老人は。

 

自分の馬車を見る。

 

「商品は降ろした」

 

「なら?」

 

「帰り道だ」

 

---

 

十分後。

 

交差点。

 

兵士が叫ぶ。

 

「徒歩! 荷車! 馬車!」

 

別方向。

 

「こちら!」

 

WILKの馬車。

 

先頭。

 

老人。

 

手を振る。

 

「こっちだ!」

 

人々が。

 

最初は。

 

戸惑う。

 

「どこへ行くんです?」

 

女が聞いた。

 

「西へ抜ける」

 

「本当に?」

 

「わしが昨日通った!」

 

それが。

 

妙に。

 

信用された。

 

軍人の作戦説明ではない。

 

地元の馬車屋。

 

昨日。

 

通った。

 

それだけだった。

 

---

 

列が。

 

分かれ始めた。

 

軍用トラック。

 

幹線道路。

 

砲兵。

 

幹線道路。

 

大型車。

 

そのまま。

 

歩行者。

 

脇道。

 

荷車。

 

脇道。

 

馬車。

 

脇道。

 

自転車。

 

脇道。

 

渋滞が。

 

消えたわけではない。

 

だが。

 

少し動いた。

 

軍用車列。

 

一台。

 

前へ。

 

次。

 

その次。

 

フランス兵が。

 

馬車老人へ言った。

 

「助かった」

 

老人は。

 

振り返らない。

 

「まだ先で詰まるぞ」

 

「何?」

 

「次の村の入口が狭い」

 

兵士が。

 

ため息をついた。

 

「他の道は?」

 

老人は答えた。

 

「ある」

 

兵士が。

 

笑った。

 

「最初から全部言え!」

 

「聞かれとらん!」

 

---

 

その日の午後。

 

WILKフランス支部。

 

電話。

 

「迂回路?」

 

元金持ちが聞いた。

 

地方担当者が。

 

説明する。

 

契約馬車業者。

 

軍用車列。

 

避難民。

 

旧道。

 

村道。

 

元白軍将校が。

 

地図へ寄る。

 

「どこだ」

 

場所を示す。

 

元独立運動家も。

 

見る。

 

「何人くらい?」

 

「分かりません」

 

「水は?」

 

「途中の村に井戸」

 

「食料」

 

「WILK取引店があります」

 

「馬の飼料」

 

「二つ先の村」

 

元白軍将校が。

 

顔を上げた。

 

「他の馬車屋にも聞け」

 

「何を?」

 

「道だ」

 

---

 

電話。

 

電報。

 

伝言。

 

地方卸。

 

小売。

 

馬車業者。

 

個人運転手。

 

WILKが。

 

今まで。

 

商品を届けるために集めた人間へ。

 

質問する。

 

『幹線道路を使わず西へ行ける道』

 

返事。

 

『馬車のみ可』

 

別。

 

『小型車可、雨天不可』

 

別。

 

『橋損傷』

 

別。

 

『渡し船あり』

 

別。

 

『牛車可能』

 

別。

 

『軍使用中、避けよ』

 

別。

 

『村道、幅狭』

 

別。

 

『井戸あり』

 

別。

 

『飼料購入可』

 

別。

 

『宿十名程度』

 

元税務官が。

 

報告書を見る。

 

「これは何の資料なんです?」

 

元金持ちが答える。

 

「販売網」

 

「販売網に“渡し船あり”なんて書いてました?」

 

「今日から書く」

 

---

 

簡易地図が。

 

作られた。

 

立派な軍用地図ではない。

 

町。

 

村。

 

橋。

 

教会。

 

粉挽き小屋。

 

井戸。

 

厩舎。

 

鍛冶屋。

 

WILK取引店。

 

小倉庫。

 

馬車屋。

 

道。

 

道。

 

道。

 

太い道。

 

細い道。

 

さらに。

 

もっと細い道。

 

色分け。

 

大型車可。

 

小型車のみ。

 

馬車のみ。

 

徒歩。

 

雨天不可。

 

軍使用。

 

フランス政府役人が。

 

それを見る。

 

「随分細かい」

 

元金持ち。

 

「食品配送で使ってますから」

 

役人が。

 

一か所を指した。

 

「この道は軍の地図では重要路ではありません」

 

元白軍将校が答えた。

 

「だから使える」

 

---

 

フランス軍側も。

 

すぐに価値へ気づいた。

 

軍が。

 

全部の地方道を使う必要はない。

 

むしろ。

 

砲兵。

 

戦車。

 

大型トラック。

 

これらは。

 

丈夫な道が必要。

 

民間人を。

 

そこから。

 

少しでも外せるなら。

 

軍にとっても助かる。

 

フランス政府役人が聞く。

 

「この地図を軍へ渡しても?」

 

元金持ち。

 

「どうぞ」

 

元税務官が。

 

すぐ口を挟む。

 

「原本は渡さないでください」

 

「なぜ?」

 

「更新されます」

 

一つ。

 

「複製してください」

 

二つ。

 

「誰がどの情報を出したかは別記録」

 

三つ。

 

元白軍将校が。

 

少し笑う。

 

「仕事してるな、部長」

 

「あなたも少しはしてください」

 

---

 

別の場所。

 

午後。

 

また。

 

渋滞。

 

今度は。

 

さらに酷い。

 

民間人。

 

軍用車。

 

救急車。

 

馬。

 

荷物。

 

道路脇。

 

捨てられた家具。

 

壊れた車。

 

泣く子供。

 

怒鳴る大人。

 

軍警察。

 

そこへ。

 

別のWILK契約馬車。

 

若い御者。

 

父親から。

 

商売を継いだばかり。

 

軍警察が。

 

道を塞ぐ。

 

「民間人はこの先へ行けない!」

 

避難民が。

 

ざわつく。

 

「ではどこへ?」

 

軍警察。

 

答え。

 

「戻れ!」

 

戻る。

 

その道も。

 

詰まっている。

 

若い馬車屋が。

 

横を見る。

 

畑。

 

林。

 

古い道。

 

「その先」

 

軍警察が聞く。

 

「何だ」

 

「村道があります」

 

「地図には?」

 

「あります」

 

「通れる?」

 

「馬車なら」

 

また。

 

その言葉だった。

 

---

 

若い御者が。

 

先頭へ。

 

人々を誘導。

 

「荷物を減らせ!」

 

一人の男が。

 

箪笥を積んでいる。

 

「これは家のだ!」

 

御者が怒鳴る。

 

「家ごと運ぶ気か!」

 

男。

 

黙る。

 

「道が狭い!」

 

箪笥。

 

下ろす。

 

妻。

 

泣く。

 

男。

 

一度。

 

箪笥を見る。

 

そして。

 

歩く。

 

御者は。

 

何も言わなかった。

 

少し進む。

 

今度。

 

荷車。

 

車輪が。

 

泥へ入る。

 

全員で。

 

押す。

 

知らない人。

 

兵士。

 

避難民。

 

御者。

 

押す。

 

抜ける。

 

動く。

 

---

 

空。

 

航空機。

 

遠い。

 

音。

 

全員。

 

止まる。

 

見上げる。

 

御者が。

 

怒鳴る。

 

「道を空けるな!」

 

人々が。

 

また動く。

 

林へ。

 

村へ。

 

西へ。

 

一歩。

 

また。

 

一歩。

 

---

 

夜。

 

小さなWILK取引店。

 

本来。

 

ジャム。

 

クラッカー。

 

保存食。

 

Wolf Pack。

 

売る店。

 

その前。

 

人。

 

二十人。

 

三十人。

 

さらに。

 

馬。

 

店主が。

 

頭を抱える。

 

「こんなに入らん」

 

御者が。

 

言う。

 

「井戸だけ貸してくれ」

 

「水?」

 

「人と馬」

 

「食い物は?」

 

「ある分だけ」

 

店主の妻が。

 

店から。

 

クラッカーの箱を出した。

 

「売り物だぞ」

 

夫が言う。

 

「知ってる」

 

妻。

 

箱を開ける。

 

「明日また来る?」

 

夫は。

 

答えなかった。

 

一箱。

 

また。

 

一箱。

 

開けた。

 

---

 

馬車業者は。

 

軍人ではなかった。

 

だから。

 

戦況を知らなかった。

 

敵が。

 

どこまで来た。

 

どの師団が。

 

どう動いている。

 

そんなことは。

 

分からない。

 

ただ。

 

知っていた。

 

この橋は。

 

馬車なら通れる。

 

この坂は。

 

荷を減らせば上れる。

 

この道は。

 

雨が降ると死ぬ。

 

この村には。

 

井戸がある。

 

あの鍛冶屋は。

 

夜でも起きてくれる。

 

この農家は。

 

干し草を売ってくれる。

 

あの宿は。

 

子供なら床へ十人寝かせられる。

 

その知識が。

 

今まで。

 

商売だった。

 

今日から。

 

人間を動かした。

 

---

 

数日後。

 

WILKフランス支部。

 

壁の地図。

 

線。

 

増えている。

 

軍優先。

 

赤。

 

大型車。

 

太線。

 

小型車。

 

細線。

 

馬車。

 

破線。

 

徒歩。

 

点線。

 

使用不能。

 

黒。

 

元白軍将校が。

 

地図を見る。

 

「こっちは?」

 

担当者。

 

「昨日まで使えました」

 

「今日は」

 

「軍が使用」

 

「なら民間は?」

 

「南へ二村迂回」

 

「そこは?」

 

「馬車なら」

 

元白軍将校が。

 

少し笑った。

 

「随分増えたな、その言葉」

 

元金持ちが答えた。

 

「便利なんだよ」

 

---

 

フランス政府役人が。

 

地図の写しを持って帰る。

 

その日の夕方。

 

軍側から。

 

問い合わせ。

 

『当該地方道について、砲兵車両通行可能か』

 

返答。

 

『不可。

 

馬車及び軽車両のみ推奨』

 

次。

 

『橋梁耐荷重』

 

WILK。

 

『不明。

 

大型軍用車両使用を推奨せず』

 

次。

 

『迂回路』

 

馬車屋へ聞く。

 

返事。

 

『ある。

 

ただし牛がいる』

 

元税務官が。

 

紙を見る。

 

「牛?」

 

担当者。

 

「牧草地を通るそうです」

 

元税務官。

 

「軍へそのまま送るんですか」

 

元金持ち。

 

「正確だろ」

 

「正確ですが!」

 

---

 

そして。

 

軍の大型車列は。

 

幹線道路を。

 

民間人の馬車や徒歩の列は。

 

地方道を。

 

完全ではない。

 

何度も。

 

また交差する。

 

また詰まる。

 

また。

 

分ける。

 

それだけ。

 

一つの町。

 

一つの交差点。

 

一つの村。

 

それ以上は。

 

できなかった。

 

だが。

 

一台の軍用トラックが。

 

前へ進めた。

 

一台の馬車が。

 

西へ抜けた。

 

一人の母親が。

 

子供を連れて。

 

次の村へ着いた。

 

そういう。

 

小さな差が。

 

積み重なった。

 

---

 

後年。

 

一九四〇年五月のWILK物流記録を調査した研究者は。

 

奇妙なことに気づいた。

 

地方輸送報告書に。

 

軍事用語が。

 

ほとんどなかった。

 

代わりに。

 

『粉挽き道』

 

『教会裏』

 

『鍛冶屋前』

 

『井戸あり』

 

『馬車可』

 

『雨天不可』

 

『橋狭し』

 

そういう言葉が。

 

大量に残っていた。

 

研究者は。

 

当時のフランス軍交通図と。

 

WILK地方輸送図を重ねた。

 

軍が。

 

太い道を使う。

 

その横を。

 

細い線が。

 

避けるように。

 

伸びていた。

 

後世。

 

それは。

 

「民間避難補助路」

 

と呼ばれることになる。

 

だが。

 

一九四〇年五月。

 

その道を最初に案内した老人は。

 

そんな名前を。

 

知らなかった。

 

---

 

日暮れ。

 

また。

 

交差点。

 

軍用車列。

 

民間人。

 

老人の馬車。

 

若いフランス兵が。

 

彼を見つけた。

 

「あんた!」

 

老人が。

 

振り向く。

 

「今度は何だ」

 

兵士が。

 

西を指した。

 

「この道が詰まった!」

 

老人。

 

ため息。

 

「だから言ったろ」

 

「別の道は?」

 

老人は。

 

少し考えた。

 

辺りを見る。

 

そして。

 

馬の手綱を引いた。

 

「ある」

 

「通れる?」

 

老人は。

 

笑った。

 

「馬車ならな」

 

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