WILK ―忘れずの故郷―   作:ヒツジ(ラム肉

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【WILKフランス沿岸輸送調整記録 一九四〇年五月下旬】

一九四〇年五月下旬。

ドイツ装甲部隊は英仏海峡へ到達した。

北方に展開していた英国大陸派遣軍、フランス軍、ベルギー軍は。

フランス本土南側との陸上連絡を。

急速に失いつつあった。

北では。

大規模な部隊を。

海上から撤収させる可能性が。

現実のものとなり始めていた。

後に。

ダンケルク。

ダイナモ作戦。

そして。

数百隻の小型船舶による救出。

それらは。

一九四〇年五月から六月を象徴する出来事となる。

しかし。

フランス沿岸には。

ダンケルクだけがあったわけではない。

大港。

地方港。

漁港。

河口。

小さな船溜まり。

そこで働く。

漁船。

沿岸貨物船。

曳船。

渡船。

小型客船。

港湾作業船。

それらの一部は。

人を運べた。

一部は。

荷物を運べた。

一部は。

海峡を渡れた。

一部は。

沖合の大型船までしか行けなかった。

WILKが。

最初に行ったことは。

それらを。

集めることではなかった。

数えることだった。

――WILK欧州海運史より


第233話 港にいる船を数えろ

 

 

「船を調べろ」

 

元白軍将校が言った。

 

海運担当者が。

 

聞き返した。

 

「契約船を?」

 

「全部」

 

「全部?」

 

「港にいる船」

 

元税務官が。

 

すぐ顔を上げた。

 

「待ってください」

 

「何だ」

 

「“全部”という言葉を簡単に使わないでください」

 

「全部は全部だ」

 

「所有者!」

 

一つ。

 

「船籍!」

 

二つ。

 

「保険!」

 

三つ。

 

「乗員契約!」

 

四つ。

 

「戦争危険!」

 

五つ。

 

「徴用権!」

 

六つ。

 

元白軍将校は。

 

少し考えた。

 

「法務部があるだろ」

 

元税務官は。

 

机を叩いた。

 

「部門になってからそればっかりですね!」

 

---

 

英国政府役人。

 

フランス政府役人。

 

海運担当。

 

WILK。

 

再び。

 

同じ机。

 

今度の地図は。

 

陸ではなかった。

 

海岸線。

 

港。

 

港。

 

港。

 

大小。

 

いくつも。

 

英国役人が。

 

北を指した。

 

「こちらは」

 

少し間。

 

「大きな仕事になる可能性があります」

 

誰も。

 

名前を言わなかった。

 

まだ。

 

正式な形は。

 

固まり切っていない。

 

だが。

 

英国大陸派遣軍が。

 

海へ押し付けられつつあることは。

 

もう。

 

隠しようがなかった。

 

フランス政府役人が言った。

 

「北方の兵力を救出するなら、大量の船腹が必要になります」

 

元白軍将校が。

 

頷く。

 

「なら大きい船はそっちだ」

 

WILK海運担当者が聞く。

 

「契約船も?」

 

「使えるなら」

 

英国役人が。

 

少し驚いた。

 

「御社の避難用では?」

 

「船に名前は書いてあっても」

 

元白軍将校は。

 

北を指した。

 

「今、一番多く人がいるのはそっちだ」

 

---

 

英国役人が。

 

確認する。

 

「つまり」

 

「うん」

 

「ダンケルク方面で使える船については」

 

「回せ」

 

「御社契約船でも」

 

「回せ」

 

「あとで戻ってこない可能性もあります」

 

「戦争だぞ」

 

元税務官が。

 

小声で言った。

 

「契約上はものすごく重要な一言なんですが」

 

誰も聞かなかった。

 

---

 

ただし。

 

全部を。

 

北へ送るわけでもなかった。

 

フランス役人が。

 

地図を指す。

 

「こちらは?」

 

海岸線。

 

少し離れた小さな港。

 

WILK担当者が答える。

 

「漁船十一」

 

次。

 

「小型沿岸貨物船二」

 

次。

 

「曳船一」

 

次。

 

「旅客用小型船一」

 

「海峡を渡れる?」

 

「貨物船は可能」

 

「漁船は?」

 

「船によります」

 

「曳船」

 

「航続距離より海況」

 

「旅客船」

 

「可能。ただし軍用輸送に向くほど大きくありません」

 

元白軍将校が言った。

 

「なら残せ」

 

英国役人が聞く。

 

「北へ回さない?」

 

「大量の兵を運ぶ船じゃない」

 

「では?」

 

「少人数を出す」

 

---

 

そこだった。

 

ダンケルク。

 

大きな港。

 

大きな集結。

 

大きな撤退。

 

それとは。

 

別の仕事。

 

工場技術者。

 

家族。

 

病人。

 

高齢者。

 

WILK社員。

 

ポーランド避難民。

 

書類。

 

図面。

 

工具。

 

測定器。

 

少量。

 

少人数。

 

それらを。

 

沿岸各地から。

 

少しずつ。

 

海へ出す。

 

英国役人は。

 

地図を見る。

 

「一港から数十人」

 

「そうだ」

 

「多くても百人程度」

 

「それでいい」

 

「効率が悪い」

 

元白軍将校は。

 

言った。

 

「陸でも同じことを言われた」

 

---

 

最初の港。

 

名前より。

 

規模の方が重要だった。

 

石造りの岸壁。

 

漁船。

 

魚。

 

縄。

 

樽。

 

燃料。

 

海鳥。

 

普段なら。

 

戦争より。

 

天候の方が。

 

重大な場所だった。

 

WILK現地担当者が。

 

港の責任者に聞く。

 

「今いる船を教えてください」

 

「魚でも買うのか」

 

「今日は船です」

 

「船?」

 

「借りたい」

 

責任者は。

 

笑った。

 

「全部か?」

 

WILK担当者は。

 

少し黙った。

 

「それを言うと法務部に怒られます」

 

---

 

一隻目。

 

漁船。

 

船長。

 

五十二歳。

 

沿岸。

 

長い。

 

英仏海峡経験あり。

 

「イギリス?」

 

船長が聞く。

 

「行けますか」

 

「天気次第」

 

「何人」

 

「魚を積まないなら?」

 

船長は。

 

船を見る。

 

「二十」

 

少し考える。

 

「三十は嫌だ」

 

「二十で」

 

「金は?」

 

「払います」

 

「沈んだら?」

 

WILK担当者は。

 

元税務官から渡された。

 

非常時傭船契約書を見る。

 

「そこからが長いです」

 

船長が。

 

紙を見る。

 

「長すぎる」

 

「私もそう思います」

 

---

 

二隻目。

 

小型貨物船。

 

沿岸航路。

 

海峡横断。

 

可能。

 

船長。

 

船主。

 

別。

 

「軍に持っていかれないか?」

 

船主が聞いた。

 

「その可能性はあります」

 

「ならWILKと契約しても意味ないだろ」

 

「あります」

 

「何が」

 

「政府が必要なら政府へ回します」

 

船主が。

 

しばらく。

 

黙った。

 

「それでお前らは?」

 

「別の船を探します」

 

「妙な会社だな」

 

「世界中で言われています」

 

---

 

三隻目。

 

古い漁船。

 

小さい。

 

海峡横断。

 

船長が。

 

首を振った。

 

「今の時期は嫌だ」

 

「無理?」

 

「海峡の真ん中まで行くならな」

 

「沿岸なら?」

 

「行ける」

 

「沖の船まで?」

 

「場所による」

 

WILK担当者は。

 

書いた。

 

『外洋横断不適。

 

沿岸移送。

 

沖合積替え候補。』

 

船長が。

 

覗く。

 

「何だそれ」

 

「使える仕事を書いてます」

 

「使えないとは書かんのか」

 

担当者は。

 

顔を上げた。

 

「使えることを探してるので」

 

---

 

港。

 

次。

 

別の港。

 

そこでも。

 

同じだった。

 

契約済み。

 

未契約。

 

関係ない。

 

聞く。

 

船。

 

状態。

 

燃料。

 

航続距離。

 

船員。

 

積載。

 

乗客。

 

夜間航行。

 

無線。

 

救命具。

 

英仏海峡経験。

 

船長の意思。

 

元税務官は。

 

届いた一覧を見た。

 

「船長の意思?」

 

海運担当者。

 

「嫌だという人を無理やり出すわけにいきません」

 

元税務官は。

 

少し黙った。

 

「それはそうですね」

 

次を見る。

 

『船体状態良。

 

機関不調。

 

修理二日』

 

「これは?」

 

「修理屋に出します」

 

「費用」

 

「WILK」

 

「契約書」

 

「法務部」

 

元税務官は。

 

額を押さえた。

 

「はい」

 

もう。

 

抵抗しなかった。

 

---

 

英国役人へ。

 

一覧。

 

一枚。

 

二枚。

 

十枚。

 

『海峡横断可能』

 

丸。

 

『軍輸送適性あり』

 

丸。

 

『低速』

 

三角。

 

『沿岸のみ』

 

別。

 

『乗員不足』

 

別。

 

『修理要』

 

別。

 

英国役人が。

 

一隻を指した。

 

「これは使えそうです」

 

WILK海運担当者。

 

「契約船です」

 

「借りたい」

 

「どうぞ」

 

元税務官が。

 

咳払い。

 

「手続きだけしてください」

 

英国役人。

 

「急ぎです」

 

「急ぎ用の書式を作りました」

 

全員が。

 

元税務官を見る。

 

「……何です?」

 

元金持ちが。

 

笑った。

 

「成長したな」

 

「黙ってください」

 

---

 

こうして。

 

WILKが調べた船の中から。

 

北方の大規模撤退に。

 

向いた船は。

 

英国側へ。

 

フランス側へ。

 

情報が渡された。

 

大型。

 

比較的高速。

 

海峡横断経験。

 

乗員。

 

救命設備。

 

積載能力。

 

「使える」

 

と判断されたもの。

 

WILKが。

 

囲い込むことは。

 

しなかった。

 

代わりに。

 

残った。

 

小さな船。

 

遅い船。

 

沿岸しか走れない船。

 

少人数しか乗せられない船。

 

それを。

 

別の仕事へ。

 

使った。

 

---

 

ある小港。

 

夕方。

 

WILKの個人運転手が。

 

トラックを停めた。

 

荷台。

 

九人。

 

技術者。

 

妻。

 

子供。

 

老人。

 

箱。

 

二つ。

 

中身。

 

測定器。

 

船長が。

 

数える。

 

「十二人まで」

 

運転手が聞く。

 

「こいつらで九人」

 

「箱は?」

 

「人じゃない」

 

船長が。

 

箱を見る。

 

「沈んだら浮く?」

 

「たぶん沈む」

 

「なら人より後だ」

 

技術者が。

 

すぐ言った。

 

「そうしてください」

 

箱。

 

岸壁へ。

 

人。

 

先。

 

余裕。

 

あれば。

 

箱。

 

それが。

 

ルールになった。

 

---

 

別の港。

 

船。

 

十六人。

 

別。

 

二十三人。

 

別。

 

十一。

 

数字だけなら。

 

小さい。

 

大軍。

 

数十万。

 

そんな単位と。

 

比べれば。

 

誤差だった。

 

だが。

 

乗っている人間から見れば。

 

一人は。

 

一人だった。

 

---

 

沿岸貨物船。

 

出港。

 

行き先。

 

英国。

 

直接。

 

別の船。

 

短い沿岸航行。

 

より大きな港。

 

そこで。

 

別船へ。

 

さらに。

 

漁船。

 

沖合。

 

待っていた貨物船へ。

 

積み替え。

 

海が。

 

荒れる。

 

子供。

 

吐く。

 

老人。

 

横になる。

 

船員が。

 

毛布を貸す。

 

昨日まで。

 

魚を積んでいた場所。

 

今日は。

 

人。

 

---

 

フランス政府役人が。

 

報告を見る。

 

「何人出ました」

 

WILK担当者。

 

「昨日までで三百少々」

 

「それだけ?」

 

「それだけです」

 

役人は。

 

一瞬。

 

何か言おうとした。

 

止めた。

 

三百。

 

戦役全体から見れば。

 

小さい。

 

だが。

 

その三百を。

 

軍の撤退船へ。

 

押し込まなくて済んだ。

 

軍用道路へ。

 

新しい大型車列を。

 

作らなくて済んだ。

 

「続けてください」

 

それだけ。

 

言った。

 

---

 

英国政府役人は。

 

別の数字を見ていた。

 

「この船」

 

指。

 

「ダンケルク方面へ回せる」

 

元白軍将校。

 

「回せ」

 

「こちらで使えば、百人以上出せるかもしれない」

 

「北にはもっといる」

 

「戻る保証はありません」

 

「もう聞いた」

 

英国役人は。

 

少し黙った。

 

「ありがとうございます」

 

元白軍将校は。

 

地図を見たまま。

 

答えた。

 

「礼は帰ってからでいい」

 

---

 

港では。

 

船主たちの反応も。

 

様々だった。

 

「行く」

 

「嫌だ」

 

「沿岸までなら」

 

「英国までは行かん」

 

「息子を乗せるなら」

 

「燃料があるなら」

 

「軍に取られるより、先に契約してくれ」

 

「金は後でいい」

 

「いや、先に払え」

 

元税務官の法務部は。

 

全部。

 

処理した。

 

できるだけ。

 

「口約束で!」

 

元白軍将校が言う。

 

元税務官。

 

「駄目です!」

 

「時間がない!」

 

「一枚にしました!」

 

紙。

 

一枚。

 

元白軍将校が。

 

見る。

 

「前は十枚あったぞ」

 

「非常時用です!」

 

「できるじゃないか」

 

「必要に迫られたんです!」

 

---

 

その契約書には。

 

難しいことが。

 

ほとんど書かれていなかった。

 

船。

 

船主。

 

船長。

 

用途。

 

期間。

 

支払。

 

燃料。

 

損傷。

 

戦争による喪失。

 

乗員。

 

そして。

 

一番下。

 

『軍または政府による正式な徴用・優先使用要請があった場合、これを妨げない』

 

船主が。

 

そこを見る。

 

「WILKとの契約より国が優先?」

 

元税務官。

 

「この状況では」

 

「損しないか?」

 

元税務官は。

 

答えた。

 

「船が戻って、あなたがまた商売できる方が重要です」

 

船主は。

 

少し笑った。

 

「会社の法律屋がそんなことを言うのか」

 

元税務官。

 

「最近、会社が何なのか分からなくなってきました」

 

---

 

ドイツ側では。

 

沿岸への動きも。

 

当然。

 

見られていた。

 

大きな港。

 

軍隊。

 

そこは。

 

分かりやすい。

 

航空偵察。

 

道路。

 

鉄道。

 

集結。

 

だが。

 

小さな港。

 

十人。

 

二十人。

 

一隻。

 

また。

 

別港。

 

一隻。

 

それを。

 

全部。

 

軍事作戦として把握する価値は。

 

低かった。

 

あるドイツ軍情報担当者が。

 

沿岸輸送報告を見る。

 

「漁船?」

 

「はい」

 

「兵員輸送?」

 

「不明」

 

「何人」

 

「少数」

 

担当者は。

 

別の報告へ移った。

 

もっと大きな問題が。

 

いくらでもあった。

 

その判断は。

 

間違っていなかった。

 

戦役を。

 

左右する規模ではなかった。

 

だが。

 

WILKにとっては。

 

それでよかった。

 

---

 

ある夜。

 

小さな港。

 

最後の船。

 

その日の便。

 

乗客。

 

十四人。

 

一人。

 

幼い子供。

 

母親。

 

WILK社員ではない。

 

取引先でもない。

 

店主の親戚でもない。

 

ただ。

 

道路で。

 

一緒になった。

 

船長が。

 

聞いた。

 

「この人らは?」

 

WILK担当者。

 

「知らない」

 

「名簿は?」

 

元税務官の部下が。

 

紙を見る。

 

「名前は書いてもらいました」

 

「契約関係は?」

 

「ありません」

 

船長。

 

「じゃあ何で乗せる」

 

担当者は。

 

船を見る。

 

空席。

 

二つ。

 

「空いてるので」

 

船長は。

 

それ以上。

 

聞かなかった。

 

「乗れ」

 

---

 

港を。

 

船が離れる。

 

灯り。

 

小さい。

 

海。

 

暗い。

 

遠く。

 

北東。

 

空が。

 

少し赤い。

 

誰かが。

 

聞いた。

 

「あっちは?」

 

船長は。

 

見なかった。

 

「大きい港だ」

 

それ以上。

 

言わなかった。

 

---

 

同じ夜。

 

英国側から。

 

新しい連絡が入った。

 

必要船腹。

 

増加。

 

小型船。

 

追加。

 

沿岸艇。

 

救命艇。

 

漁船。

 

使用可能船について。

 

情報提供を求む。

 

元白軍将校は。

 

一覧を見る。

 

赤鉛筆。

 

一本。

 

船名。

 

消す。

 

英国側へ。

 

次。

 

また。

 

消す。

 

元金持ちが。

 

聞いた。

 

「うちの分、減るぞ」

 

「知ってる」

 

「人を出せなくなる」

 

「別を探せ」

 

「簡単に言うな」

 

元白軍将校は。

 

沿岸地図を見る。

 

港。

 

まだ。

 

ある。

 

「だから数えた」

 

---

 

後年。

 

ダンケルク撤退は。

 

大きく記録された。

 

当然だった。

 

救出された人数。

 

艦艇。

 

小型船。

 

航空戦。

 

後衛戦。

 

それらは。

 

戦争史に。

 

残った。

 

WILKが。

 

同じ時期。

 

沿岸の小港から。

 

何人を。

 

何隻で。

 

どこへ運んだか。

 

その数字は。

 

長く。

 

企業文書の中にしかなかった。

 

一隻。

 

二十人。

 

別港。

 

十三人。

 

次。

 

三十一人。

 

さらに。

 

九人。

 

小さい。

 

あまりに。

 

小さい。

 

後世の研究者は。

 

最初。

 

それを。

 

大規模撤退計画の一部だと思った。

 

しかし。

 

契約書を読むと。

 

違った。

 

食品輸送用。

 

沿岸貨物用。

 

漁業用。

 

港湾作業用。

 

元から。

 

別々の仕事をしていた船だった。

 

研究者は。

 

報告書の余白に残された。

 

一文を見つけた。

 

『北で使える船は北へ回す。

 

我々は残った船で帰る。』

 

それが。

 

WILKの。

 

一九四〇年五月末の。

 

海だった。

 

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