【WILKフランス撤収記録 一九四〇年五月末】
一九四〇年五月末。
フランス北部及び沿岸部では。
軍隊。
避難民。
車両。
馬車。
鉄道。
船舶。
それらが。
同時に。
西へ。
海へ。
流れていた。
WILKは。
この時期。
フランス国内の全拠点を維持することを断念した。
倉庫。
商品。
車両。
設備。
事務所。
一部は。
残された。
一部は。
破壊された。
一部は。
現地取引先へ預けられた。
一部は。
帳簿上だけが残った。
優先されたものは。
人。
図面。
規格。
測定器。
小型治具。
契約記録。
そして。
再開するために必要な者。
後年。
第二世代の五人が。
初めて同時に大規模な撤収実務へ参加したのも。
この時期である。
彼らは。
創業者たちと。
同じ仕事をしたわけではない。
しかし。
同じ会社の仕事をした。
――WILK戦時組織史より
「これは持っていく」
元ドイツ軍技術者の息子が。
箱へ入れた。
限界ゲージ。
測定器。
治具の一部。
変更記録。
次。
大きな木型。
見る。
少し。
黙る。
「これは置く」
若い技術者が聞いた。
「本当に?」
「持てない」
「でも作るのに」
「図面はある」
「同じものを作れますか」
息子は。
木型を見る。
「同じものは」
少し間。
「作らなくていい」
若者が。
顔を上げた。
「次はもっと良く作れ」
木型。
残す。
図面。
複製。
二部。
別の箱。
さらに。
もう一部。
別の車。
一箱に。
全部を。
入れない。
父親が。
横で見ていた。
何も。
言わない。
息子が聞いた。
「何です」
「いや」
「言ってください」
元ドイツ軍技術者は。
木型を一度見た。
「捨てるのが早くなった」
息子は。
少し嫌そうな顔をした。
「褒めてます?」
「かなり」
---
別の倉庫。
元独立運動家の。
第二の娘。
名簿。
子供。
母親。
老人。
家族。
一人ずつ。
確認。
「お父さんは?」
少女が。
答えない。
母親が。
代わりに言う。
「別の車です」
娘の顔が。
一瞬。
変わった。
「どの車?」
番号。
聞く。
紙。
探す。
別便。
港。
同じ。
「乗船先は違います」
母親の顔が。
青くなる。
「別れるんですか?」
「いいえ」
娘は。
すぐ。
別の紙を出した。
「船が違うだけです」
英国側。
受入先。
同じ。
「着いたらここへ」
紙片。
渡す。
「この番号を見せてください」
母親が。
握る。
「必ず?」
娘は。
一瞬だけ。
言葉を選んだ。
「必ず、とは言えません」
周囲が。
静かになる。
「でも」
紙を指す。
「探せるようにします」
それだった。
父親なら。
もっと柔らかく。
言ったかもしれない。
娘は。
少し。
硬かった。
それでも。
嘘は言わなかった。
---
ポーランド軍将校の。
長男。
道路。
交差点。
フランス兵。
WILK運転手。
馬車。
避難民。
全部へ。
同時に。
話していた。
「軍用車両はこっち!」
指。
「民間馬車は旧道!」
指。
「小型車は二村先!」
個人運転手が。
聞く。
「港は?」
「第一候補は満杯!」
「第二?」
「まだ使える!」
「燃料は?」
「途中で二十リットルまで!」
「足りん!」
「ならその先で馬車へ積み替えろ!」
運転手が。
笑った。
「親父さんそっくりだな」
長男が。
顔をしかめた。
「それ、父にも言わないでください」
---
その父。
ポーランド軍将校は。
少し離れた場所で。
聞いていた。
元白軍将校が。
横から言う。
「似てるぞ」
「言うな」
「お前より怒鳴る」
「言うな」
「判断も早い」
「それは言っていい」
---
元白軍将校の親族。
三男。
港。
走っていた。
船主。
港湾係。
燃料商。
曳船。
荷役。
全部。
「この船は?」
「沿岸だけ!」
「こっちは?」
「英国まで行ける!」
「何人!」
「三十!」
「二十五にしろ!」
船長が。
怒る。
「何で減らす!」
「救命具が二十五人分だ!」
船長。
止まる。
「……分かった」
次。
「この漁船!」
「機関が悪い!」
「修理!」
「二日!」
「半日にしろ!」
修理工が怒鳴る。
「無茶言うな!」
三男。
即答。
「じゃあ一日!」
「交渉するな!」
---
元白軍将校が。
後でその話を聞いた。
少し考え。
「悪くない」
ポーランド軍将校が。
言った。
「どこが」
「二日を一日にした」
「まだ直ってない」
「でも二日ではなくなった」
「そういう教育したのか?」
「知らん」
「親族だろ」
「親じゃない」
---
ユダヤ人実業家一族の。
若い男は。
別の地獄にいた。
机。
金。
契約書。
現金。
領収書。
港湾使用。
非常傭船。
倉庫。
燃料。
宿。
食料。
「この船主」
法務部員が言う。
「前金を要求しています」
「払って」
「通常条件を超えます」
「今は通常じゃない」
「証憑」
「取る」
「領収書を拒否したら?」
「二人立会い」
「署名できない場合」
「拇印」
元税務官が。
横から顔を上げた。
「……ちゃんと覚えてますね」
若い男が。
答えた。
「あなたが毎日怒鳴るので」
「教育です」
「怒鳴っています」
「教育です」
---
次。
倉庫主。
「今夜だけなら貸す」
「いくら」
金額。
若い男。
即答しない。
「半分」
「嫌だ」
「では七割」
「九割」
「八」
「現金?」
「半分現金、半分後日」
「信用できる?」
若い男は。
WILKの書類を見せた。
倉庫主が。
会社名を見る。
少し。
考える。
「あんたらか」
「知っています?」
「去年、知り合いが機械を売った」
「払いました?」
「払った」
「なら」
手。
出す。
「今回も払います」
握る。
契約。
成立。
元税務官が。
遠くから。
それを見る。
「口頭だけで終わらせないでください!」
若い男。
「今書いてます!」
---
五人。
同じ場所には。
ほとんどいなかった。
一人は。
工場。
一人は。
家族。
一人は。
道路。
一人は。
港。
一人は。
机。
創業者たちも。
そうだった。
同じ机に。
座っていた時間より。
別々の場所で。
別々の問題を。
片付けていた時間の方が。
長かった。
---
撤収。
進む。
だが。
全部は。
間に合わない。
ある倉庫。
商品。
残る。
担当者が聞く。
「焼きますか」
元金持ちが。
見る。
クラッカー。
保存食。
ジャム。
水。
「敵に渡したくない?」
「はい」
元金持ちは。
周囲を見る。
避難民。
フランス兵。
道路。
「配れ」
「全部?」
「食えるだろ」
「売り物です」
「誰に売るんだ」
担当者は。
黙った。
箱。
開く。
通りかかった人へ。
配る。
クラッカー。
果実加工品。
水。
最後。
Wolf Pack。
「これはどう食うんです?」
「何か入れて」
「何を?」
担当者。
周りを見る。
「……クラッカー?」
「意味ある?」
「ないですね」
結局。
そのまま。
食べた。
---
別の工場。
Taureau関係。
撤去できるもの。
外す。
無理なもの。
残す。
フランス人技術者が。
機械を見る。
「これも?」
技術者の息子が。
首を振る。
「重い」
「買ったばかりだ」
「知ってる」
「まだ半年も」
「知ってる」
フランス人は。
機械を。
撫でる。
「戻ってくる?」
息子は。
少し。
考える。
「戻れなくても」
図面箱。
持ち上げる。
「次を作れます」
フランス人は。
笑わなかった。
だが。
箱を。
持った。
---
港。
船。
出る。
人。
乗る。
名前。
確認。
子供。
先。
老人。
先。
負傷者。
先。
箱。
後。
元白軍将校親族の三男が。
怒鳴る。
「工具箱を降ろせ!」
技術者が。
拒否する。
「必要だ!」
「人が乗る!」
「これがないと!」
三男。
箱を見る。
次。
技術者を見る。
「中身!」
「ゲージ!」
三男。
止まる。
「小さいのだけ出せ!」
蓋。
開く。
中身。
分ける。
必要な測定具。
小袋。
技術者。
持つ。
大箱。
岸壁。
残す。
「これでいい?」
技術者は。
箱を見る。
悔しそうに。
「……いい」
「乗れ!」
---
船。
一隻。
出る。
次。
別港。
また。
出る。
全員。
英国へ。
行くわけではない。
別の港。
別の船。
一度。
沿岸へ。
また。
積み替え。
大きな撤退。
その外側。
小さな撤退。
十人。
二十人。
五十人。
それを。
繰り返す。
---
空。
Bull。
遠く。
上空。
敵機を。
追い払う。
Taureau。
別方向。
低空。
帰る。
全部。
揃わない。
昨日いた機体が。
今日は。
いない。
昨日いた人間も。
今日は。
いない。
だが。
残っている者が。
まだ。
動く。
---
ある船。
英国南岸。
入港。
夜。
乗っていた者。
二十七人。
そのうち。
子供。
六人。
老人。
三人。
技術者。
四人。
その家族。
その他。
降りる。
足。
ふらつく。
地面。
硬い。
一人の男が。
岸壁へ。
座り込む。
英国側WILK担当者が。
言った。
「まず中へ」
誰も。
動きたくなかった。
「食事があります」
少し。
反応。
「温かい?」
誰かが。
聞いた。
「温かいです」
動いた。
---
受入倉庫。
元々。
食品。
置く場所。
今日は。
寝床。
長机。
椅子。
湯。
スープ。
パン。
チーズ。
肉。
ジャム。
コーヒー。
子供には。
薄めた飲み物。
紙。
名前。
次の行き先。
医者。
必要な者。
別室。
家族照合。
元独立運動家の娘が。
先に届いていた。
紙を持つ。
「この番号」
母親。
出す。
数日前。
フランスで。
渡された紙。
照合。
「あちらです」
指。
男。
立っている。
少女が。
走る。
「お父さん!」
父親。
振り向く。
母親。
泣く。
娘は。
少し離れて。
名簿へ。
印をつけた。
一組。
戻った。
---
厨房。
食品担当者が。
叫ぶ。
「スープ追加!」
「パン!」
「チーズ!」
「子供用!」
そして。
冷蔵庫。
そこに。
場違いなものがあった。
アイスクリーム。
英国担当者が。
見た。
「何であるんだ」
食品部門。
「アイルランドから来ました」
「何で」
「試験出荷です」
「今?」
「今」
「誰が頼んだ」
「食品部門」
「何のために」
「売るためです」
英国担当者は。
目を閉じた。
「もういい」
---
最初。
子供へ。
小さい器。
一匙。
バニラ。
少女が。
見る。
「冷たい」
当然だった。
食べる。
少し。
止まる。
もう一匙。
母親が。
聞く。
「おいしい?」
頷く。
隣の子供。
欲しそうに。
見る。
食品担当。
渡す。
次。
また。
次。
老人にも。
一つ。
「わしも?」
「嫌なら返してください」
老人。
食べる。
「返さん」
---
技術者。
スープ。
パン。
その後。
小さなアイス。
手に持つ。
元ドイツ軍技術者の息子が。
隣に座った。
フランス人技術者が。
アイスを見る。
「工場を置いてきた」
「はい」
「機械も」
「はい」
「倉庫も」
「はい」
一匙。
食べる。
「なのに」
アイス。
見る。
「アイスはある」
息子が。
少し考えた。
「別の工場で作ったので」
フランス人が。
笑った。
初めて。
少しだけ。
「お前の会社らしいな」
---
別の船。
到着。
次。
また。
人。
食事。
名簿。
毛布。
アイス。
全部の人へ。
行き渡るわけではない。
なくなれば。
終わり。
食品担当者が。
最後の箱を見る。
「あと十二」
元独立運動家の娘。
「子供優先」
「はい」
老人が。
横から言った。
「わしはもう食った」
「誰も聞いてません」
「二つ目はいらんぞ」
「ありがとうございます」
---
英国政府役人が。
受入所へ。
来た。
人。
床。
毛布。
食器。
靴。
泣く子。
眠る子。
机。
書類。
そして。
アイス。
役人が。
止まった。
「……本当に出してる」
食品担当者が。
答える。
「冷蔵庫にありましたので」
「貴重な冷蔵能力を」
「もう冷えてました」
「そういう問題では」
子供。
横。
アイス。
食べる。
笑う。
役人は。
黙った。
しばらく。
見た。
「残りは?」
「十二」
「子供へ」
「その予定です」
「なら」
役人は。
咳払い。
「問題ありません」
---
元白軍将校も。
遅れて。
来た。
受入所。
見る。
人。
数。
名簿。
「何人」
元独立運動家の娘。
「今日ここへ三百四十二」
「別港は」
「集計中」
「行方不明」
「まだ多いです」
「家族分離」
「照合中」
「食料」
食品担当。
「明朝までは」
「その後」
「次便」
「来なかったら」
「予備があります」
元白軍将校。
頷く。
次。
冷蔵庫。
「これは?」
「アイスです」
「知ってる」
一つ。
取る。
食べる。
食品担当者が。
見た。
「子供優先です」
元白軍将校。
止まる。
周囲。
見る。
残り。
返す。
「じゃあ半分」
「戻さないでください!」
---
少し離れたところ。
五人。
ようやく。
揃った。
元ドイツ軍技術者の息子。
元独立運動家の第二の娘。
ポーランド軍将校の長男。
元白軍将校一族の三男。
ユダヤ人実業家一族の若者。
全員。
疲れていた。
服。
汚れている。
髪。
乱れている。
手。
紙。
油。
埃。
誰かが。
言った。
「食った?」
全員。
顔を見合わせる。
食べていない。
厨房。
残り。
パン。
チーズ。
スープ。
そして。
アイス。
五つ。
食品担当が。
置いた。
「たまたまです」
元税務官が。
通りかかる。
見る。
「君たち」
五人。
振り向く。
「食べてから働いてください」
ポーランド軍将校の長男が。
言った。
「まだ仕事が」
元税務官。
「知っています」
「船が」
「知っています」
「名簿」
「知っています」
「なら」
元税務官は。
少し。
怒った。
「食べてからやれ!」
五人。
黙る。
座る。
食べる。
---
元金持ちが。
遠くから。
その光景を見る。
ユダヤ人実業家が。
隣にいた。
「どうです?」
元金持ちが。
聞く。
「何が」
「次」
五人。
見る。
元金持ちは。
少し。
笑った。
「働かせすぎだ」
「あなたが言います?」
「だから分かる」
---
夜。
受入所。
人々が。
眠り始める。
床。
毛布。
椅子。
机。
子供。
母親。
老人。
技術者。
兵士。
運転手。
船員。
WILK社員。
WILKと。
何の関係もない者。
混じっていた。
その日の帳簿。
喪失。
フランス倉庫。
三。
車両。
十一。
工作機械。
多数。
商品。
未回収。
金額。
未確定。
航空機。
損失。
追加。
船舶。
一隻。
未帰還。
人員。
行方不明。
まだ。
確認中。
その下。
別の欄。
英国到着。
三百四十二名。
別地点。
百余名。
家族再会。
二十九組。
治具。
七箱。
測定器。
十一箱。
契約記録。
複数。
そして。
食品消費。
スープ。
パン。
チーズ。
コーヒー。
アイスクリーム。
元税務官が。
最後の項目を見る。
「これも帳簿に書くんですか」
食品担当者が。
答えた。
「在庫ですから」
元税務官は。
少し。
笑った。
「そうですね」
書いた。
---
フランスで。
多くを。
失った。
これから。
さらに。
失う。
それでも。
その夜。
帰ってきた者は。
食べた。
水を飲んだ。
眠った。
子供は。
冷たいアイスを。
一匙。
食べた。
そして。
翌朝。
起きた。
WILKにとって。
その時点では。
それで。
十分だった。