一九一九年
当地郊外の小工房が、政府向け軽郵便機の製造を開始したとの情報がある。
軍関係者によれば、要求された機体は操縦士一名、郵便物百キログラムを搭載し、不整地から運用可能な小型単発機である。
一方、工房関係者は、同機について「薬品、医師、患者、行政官、軽貨物も搭載可能」と説明した。
軍関係者は「そのような要求はしていない」と否定している。
工房関係者は「必要になる」と回答した。
会社設立三日目。
小屋の壁へ、大きな紙が貼られた。
紙の中央には、まだ名前のない航空機の側面図が描かれている。
細長い胴体。
胴体の上に大きな主翼。
機首には発動機が一基。
固定式の脚。
操縦席の後ろに、小さな郵便室。
ポーランド軍将校は、満足そうに腕を組んだ。
「これでよい」
元ドイツ帝国軍技師が紙の前に立ち、鉛筆で寸法を書き込んでいく。
「単発。高翼。固定脚。操縦士一名。郵便百キロ。要求通りだ」
元白軍将校が首を振った。
「双発にしろ」
「昨日から何度言えば分かる!」
軍将校が叫ぶ。
「軽郵便機だ!」
「軽くても発動機は止まる」
「二基にすれば重くなる!」
「落ちればもっと重い」
「墜落後の重量を比較するな!」
元独立運動家が図面へ近づいた。
「郵便室が狭いな」
「要求量は入る」
ドイツ技師が答える。
「薬箱を積めない」
「要求されていない」
「必要になる」
軍将校が額を押さえた。
「始まったぞ」
元独立運動家は図面の胴体後部へ、勝手に四角を描き足した。
「ここを広げる」
「勝手に描くな」
ドイツ技師が即座に消す。
「医師一人と薬箱が入ればよい」
「操縦士一名の機体だ」
「なら医師が操縦するか」
「なぜそうなる!」
「医者に飛行訓練を受けさせるより、座席を増やす方が早い」
実業家は机で帳簿をつけながら、口を挟んだ。
「座席を一つ増やす場合、機体価格はどれほど上がりますか」
「聞くな!」
軍将校が振り向く。
「計算し始めるぞ!」
「経営者なので」
「要求書通り作らせろ!」
「要求書通りでは売上が一機分しかありません」
「軍の注文だ!」
「軍以外にも売る可能性を考えるべきです」
実業家は別の紙を広げた。
そこには、想定顧客が並んでいた。
政府機関。
郵便局。
病院。
鉄道会社。
地方自治体。
新聞社。
農場主。
「農場主が飛行機を買うか!」
「大農場なら可能性はあります」
「何を運ぶ!」
「人、部品、書類、種子、家畜用薬品」
元独立運動家が頷いた。
「牛乳も運べるな」
全員が彼を見る。
「なぜ牛乳だ」
軍将校が尋ねる。
「腐る前に町へ運べる」
実業家が紙へ書き加えた。
「乳製品輸送」
「書くな!」
「商機です」
「郵便機の話をしている!」
元白軍将校が図面へ指を当てた。
「患者を寝かせるなら、床を平らにしろ」
「患者を乗せるな!」
「必要になる」
「その言葉を禁止したい!」
ドイツ技師は腕を組み、図面を睨んでいた。
「平らな床は悪くない」
軍将校が振り返る。
「お前まで何を言い出す」
「荷物の固定が容易になる。重心位置も管理しやすい」
「郵便袋なら今のままでよいだろう」
「郵便袋だけを積む保証がない」
「要求書には郵便と書いてある!」
元独立運動家が答える。
「国は要求書通りには動かん」
「お前たちが動かしていない!」
◇
午前中だけで、機体には以下の変更が加わった。
操縦席の後ろに、補助席一つ。
補助席は折り畳み式。
座席を畳めば薬箱を積載可能。
床は平面。
荷物固定用の金具を複数設置。
胴体側面には、大きめの貨物扉。
さらに患者を寝かせられるだけの長さを確保。
元の設計より、胴体が明らかに太く、長くなっている。
軍将校は図面を見上げた。
「軽郵便機だったはずだ」
「まだ軽い」
ドイツ技師が答える。
「最初より百キロ以上重くなっている!」
「構造重量の試算前だ」
「つまりさらに増えるのか!」
実業家が尋ねる。
「郵便物は何キロ積めますか」
「百キロ」
軍将校が即答した。
元白軍将校は首を振る。
「二百だ」
「増やすな!」
「床を強化した。積める」
「積めることと積んでよいことは違う!」
「積めるなら積む」
「前線兵士の発想だ!」
「前線では積める時に積む」
元独立運動家も頷く。
「地方役人も同じだ」
「役人まで前線兵士扱いするな」
「荷物を減らせと言って減らす役人を知っているか」
軍将校は黙った。
少し考えた。
「……知らん」
「なら二百だ」
「認めてはいない!」
ドイツ技師が紙へ計算を書き始める。
「二百キロ搭載なら、主翼面積を増やす」
軍将校が悲鳴を上げた。
「なぜ真面目に対応する!」
「設計者だからだ」
「止めろ!」
「要求変更は記録する」
「誰の要求だ!」
ドイツ技師は鉛筆を止めた。
四人を見る。
「全員だ」
「私は違う!」
「お前も患者輸送を否定し切れなかった」
「会話の流れだ!」
「要求として記録した」
「消せ!」
「記録は消さない」
元白軍将校が、主翼の図面を見る。
「翼を大きくするなら、低速で飛べる」
「そうだ」
「短い草地から離陸できる」
「条件次第では」
「泥の畑からも」
「泥の程度による」
「大きな車輪が必要だな」
軍将校が机を叩いた。
「話を増やすな!」
その衝撃で、机の端に置かれていた軸受が転がった。
ドイツ技師が軍将校を睨む。
「机を叩くなと言ったはずだ」
「なぜ毎回そこに置く!」
「部品置き場が足りないからだ!」
「まず棚を作れ!」
元独立運動家が答えた。
「棚用の木材は主翼へ使う」
「棚すら作れない会社が飛行機を作るのか!」
実業家が帳簿を閉じた。
「棚の購入費はありません」
「知っている!」
◇
昼食は、昨日と同じじゃがいもだった。
ただし今回は塩が少なかった。
元独立運動家が鍋をかき混ぜる。
「塩が切れた」
「昨日あっただろう」
白軍将校が言う。
「昨日使った」
「全部か」
「会社設立祝いだったからな」
軍将校が茹でたじゃがいもを見つめる。
「祝いが塩の量だったのか」
「今日は普通の日だ」
「会社設立四日目だぞ」
「毎日祝っていたら潰れる」
実業家が頷く。
「正しい判断です」
元ドイツ技師は、じゃがいもを半分に切った。
「機体重量を増やしすぎれば、これも減る」
軍将校が顔を上げる。
「どういう意味だ」
「材料費が増えれば食費を削る」
「脅しか」
「予算上の事実だ」
元白軍将校がじゃがいもを丸ごと口へ入れた。
「なら、飛ぶ機体を一度で作れ」
「試作なしで作れるか!」
「壊れたら直す」
「飛行中に壊れたらどうする」
「着陸する」
「壊れているのに?」
「壊れ方による」
「その思想で航空機を設計するな!」
元独立運動家は、食事をしながら地図を広げた。
ポーランド各地の町と鉄道線が描かれている。
ただし鉄道線の一部は戦争で途切れ、道路はほとんど記されていない。
「この町から、この村まで」
指で距離を測る。
「馬車なら二日」
「天候がよければな」
軍将校が言った。
「飛行機なら?」
「一時間以内」
ドイツ技師が答える。
「着陸場所は」
「村外れの牧草地」
「長さは」
「知らん」
「調べろ」
「行くのに二日かかる」
「なら飛行機で行けばよい」
「その飛行機を作っているんだ!」
白軍将校が地図を覗き込む。
「飛行場のない場所へ降りるなら、大車輪だ」
「分かったから、食事中に要求を増やすな」
軍将校の声には、もう力がなかった。
元独立運動家は別の町を指さした。
「ここには医師が一人しかいない」
「だから?」
「冬に川が凍れば、周辺の村へ行けない」
「飛行機で医師を運ぶ」
実業家が言った。
軍将校が彼を見る。
「お前まで」
「利用実績になります」
「患者も運ぶ」
白軍将校が続ける。
「補助席を外せば寝かせられる」
ドイツ技師も言う。
「担架の固定具を設ける」
元独立運動家が頷く。
「床は洗える方がよい」
四人は一斉に軍将校を見る。
軍将校は、じゃがいもを食べた。
長く噛んだ。
飲み込む。
「……要求書には書くな」
「設計図には?」
実業家が尋ねる。
「好きにしろ」
その日の午後、患者輸送機能が正式に追加された。
◇
次に問題となったのは、操縦士の視界だった。
高翼機は地上を見るには都合がよい。
だが荷物を投下する場合、真下は見えにくい。
「荷物を投下する必要があるのか」
軍将校が尋ねる。
元独立運動家が答える。
「着陸できない場所もある」
「郵便袋を落とすのか」
「紐をつける」
「人に当たったらどうする」
「広場へ落とす」
「外れたら?」
「練習する」
元白軍将校が胴体下部を指さした。
「床に窓をつけろ」
ドイツ技師が考える。
「観測窓か」
「荷物を落とす位置が分かる」
「照準線を描けば精度が上がる」
軍将校の顔が引きつった。
「照準?」
「投下照準だ」
「郵便機に照準器をつけるな!」
「郵便用だ」
「その言葉の組み合わせが悪い!」
実業家は紙へ書いた。
「正確な貨物投下機能」
「営業文句にするな!」
「山間部や洪水時に売れます」
「まだ一機も飛んでいない!」
元独立運動家は、床へ置かれた木箱を持ち上げた。
「これを投下するとして」
「落とすなよ」
軍将校が言う。
「試しに高さを確認するだけだ」
「落とすなよ」
「分かっている」
元独立運動家は木箱を胸の高さから落とした。
箱の底が抜けた。
中に入っていた工具が床へ散らばった。
全員が黙る。
ドイツ技師が工具を見る。
「投下容器も設計が必要だ」
軍将校は天井を見上げた。
「なぜ増える」
◇
日が暮れる頃。
壁に貼られた図面は、朝とはまるで違う姿になっていた。
単発だった機体は、まだ単発のままだ。
ただし白軍将校が余白に描いた双発案が、横に大きく残されている。
主翼は広がった。
脚は太くなった。
車輪は大きくなった。
胴体は長く、太くなった。
郵便百キロの区画には、郵便、薬品、軽貨物と書かれている。
補助席は、医師、役人、航法員のいずれかが座れる。
床は平らで、荷物固定具と担架固定具がある。
胴体下部には観測窓。
側面には大きな貨物扉。
要求書に記載されていた「軽郵便機」という言葉だけが、図面から浮いて見えた。
軍将校は、最初の要求書と図面を見比べた。
「これは、もう郵便機ではないのではないか」
「郵便を運べる」
実業家が答えた。
「郵便以外の物が多すぎる」
「空いている時に運べばよい」
「空いている時とは」
「郵便が少ない時です」
「役所の郵便が少ない日などあるか?」
元独立運動家が言う。
「だから積載量を増やす」
「話が戻った!」
元白軍将校は双発案を指さした。
「これなら積載量も増える」
「お前は一日中それしか言っていない!」
「必要だからだ」
元ドイツ技師が双発案を見る。
長い沈黙。
軍将校は嫌な予感がした。
「何だ」
「単発案では、現時点の要求をすべて満たすと余裕が少ない」
「現時点の要求を減らせ!」
「双発なら余裕ができる」
元白軍将校が笑った。
「そうだろう」
「ただし構造は複雑になる」
「作れるか」
「発動機が二基あれば」
全員が、小屋中央の発動機を見る。
一基しかない。
しかも昨日、ようやく数分動いただけだ。
壁際には、半分にも満たない二基目の部品が木箱へ入っている。
軍将校は両手で顔を覆った。
「どうしてこうなった」
元独立運動家が答える。
「必要な物を足した」
「足しすぎだ!」
「削るか」
実業家が尋ねた。
軍将校は図面を見る。
郵便。
薬品。
医師。
患者。
行政官。
着陸できない場所への投下。
不整地運用。
冬季飛行。
どれも、新しい国には必要だった。
不要だと言い切れる機能が、一つもない。
「……重量はどのくらいだ」
軍将校が尋ねた。
ドイツ技師が計算紙を確認する。
「まだ確定していない」
「おおよそでよい」
「当初案の一・六倍」
軍将校は目を閉じた。
「軽郵便機だぞ」
実業家が答えた。
「郵便馬車も荷物は多く積みます」
「馬車と比べるな」
元独立運動家が図面を見上げた。
「空飛ぶ郵便馬車か」
白軍将校が頷く。
「悪くない」
ドイツ技師は嫌そうな顔をした。
「正式名称には使わない」
「まだ会社名もない」
軍将校が言う。
「機体名を考える前に会社名を決めろ」
実業家は帳簿から顔を上げた。
「会社名より先に発動機を探してください」
「軍倉庫にはない」
「他国の放出品は?」
「規格が違う」
元白軍将校が答える。
「載せれば動く」
元ドイツ技師が叫ぶ。
「載せる前に寸法を測れ!」
◇
その夜。
実業家は、一人で小屋に残っていた。
壁の図面を見る。
軍が求めたものは、安価な軽郵便機一機。
彼らが設計しているものは、郵便、薬、貨物、人間を運び、荒れた草地へ降り、着陸できなければ荷物を落とし、発動機が一つ止まっても帰ってくる航空機だった。
値段は上がる。
製造は難しくなる。
完成時期も遅れる。
それでも、もし完成すれば。
一機だけで終わらないかもしれない。
実業家は帳簿の余白へ、今日決まった事項を書き込む。
搭載量増加。
補助席追加。
患者輸送対応。
投下用観測窓。
大型車輪。
双発化は継続検討。
最後に一行付け加える。
軽郵便機の注文から始まったはずだが、既に軽くない。
翌朝。
軍将校が小屋へ入る。
今度は扉を引いた。
誰にも注意されなかった。
少し得意げな顔で壁の図面を見る。
図面には、昨夜までなかった線が二本増えていた。
主翼の左右に、一基ずつ発動機が描かれている。
軍将校は静かに尋ねた。
「誰が双発案を清書した」
元ドイツ技師は、図面から目を逸らした。
元白軍将校は満足そうに腕を組んでいる。
「技術的検討だ」
「お前が描いたのか」
「寸法が間違っていたので修正しただけだ」
「つまりドイツ人か!」
「設計者として必要な作業をした」
「双発に反対していただろう!」
「感情と計算は別だ」
軍将校は天井を見上げた。
「発動機は一基しかないんだぞ」
白軍将校が木箱を叩く。
「一基半だ」
「半分を数えるな!」
「二基目の始まりではある」
会社設立五日目。
軽郵便機は、正式に双発機として設計されることになった。
なお、飛ぶ発動機はまだ一基も完成していなかった。