一九二三年
前回の不整地連続運用試験において、Tur A.2は泥濘地からの運用能力を示した。
次段階として、積雪地における離着陸、夜間駐機、発動機始動、燃料および潤滑油管理、乗員・整備員の作業継続能力を確認する。
製造側は、主車輪へ着脱式橇を装着する案を提出した。
航空部整備課は、
「車輪があるのに、なぜ橇を付けるのか」
と照会した。
製造側は、
「車輪が沈むから」
と回答した。
整備課は、より技術的な説明を要求した。
製造側は、
「接地圧を下げるため」
と回答した。
整備課は最初からそう書くよう求めた。
製造側内部では、最初の回答の方が分かりやすいとの意見が多数を占めた。
「橇を付ける」
元白軍将校が言った。
ポーランド軍将校は、予想していた。
予想していたが、聞きたくはなかった。
「どこへ」
「車輪へ」
「車輪を外してではなく?」
「車輪へ付ける」
「なぜ二つとも使う」
「雪が薄い場所では車輪が要る」
「雪が深い場所では橇?」
「そうだ」
「では切り替えるのか」
「地上で」
「飛行中に変形するのではないな」
元白軍将校は少し考えた。
「面白い」
「考えるな!」
◇
Tur A.2の大車輪は、不整地に強い。
泥。
草地。
浅い窪み。
多少の石。
それらなら、太い脚と大きな径で越えられる。
だが雪は違う。
深ければ沈む。
柔らかければ、車輪の前へ雪が盛り上がる。
抵抗が増える。
速度が出ない。
「幅を広げる」
元ドイツ帝国軍技師が言った。
「車輪を太く?」
軍将校が尋ねる。
「新しい車輪を作れば重い」
「では橇」
「着脱式」
「重量は」
「まだ計算中」
「先に言っておく。必要な重さは禁止だ」
技師は彼を見た。
「必要なら必要だ」
「禁止しても言うのか!」
◇
橇案は三つ出た。
一つ目。
主車輪を外し、脚柱へ直接橇を付ける。
「軽い」
技師が言う。
「雪専用になる」
軍将校が答える。
「路面が露出したら」
「壊れる」
「却下」
二つ目。
車輪の左右へ細い橇を追加。
「雪上では三点支持」
元白軍将校が説明する。
「横へ広い」
「安定する」
「格納できない」
「もともと車輪も半分出ている」
「空気抵抗がひどい!」
三つ目。
車輪の下へ舟形の橇を抱かせる。
車輪は内部で回る。
橇前部が雪面を滑る。
硬い地面では、車輪が少し下へ出る。
「これだ」
元独立運動家が言った。
「なぜ」
「道具を二つ持たずに済む」
技師は図面を見る。
「雪が浅ければ車輪。深ければ橇面」
「自動で使い分ける?」
軍将校が尋ねる。
「地面が決める」
「珍しく機械が何もしないな」
「何もしない機構は壊れにくい」
元白軍将校が満足そうに頷いた。
◇
試作橇。
木製芯材。
薄い鋼板底。
前端は大きく反る。
車輪を左右から金属枠で囲む。
下端だけ車輪が少し出る。
橇全体は、脚柱へ革帯と金具で固定。
「革帯?」
軍将校が尋ねる。
「寒さで金属が縮む」
技師が答える。
「革なら馴染む」
「凍るぞ」
「油を入れる」
「緩まないか」
「二重留め」
元白軍将校が橇を持ち上げた。
「軽い」
「何キロ」
「一基十三・八」
「左右で二十七・六!」
軍将校が技師を見る。
「言うなよ」
「必要な――」
「言うな!」
◇
大尉が試作橇を見た。
「爆弾に見える」
「何でも爆弾に見えるな」
元独立運動家が答える。
「主翼下ではなく脚だぞ」
「遠目には魚にも見える」
実業家が言った。
「魚の意匠を入れれば民間向けにも」
「橇を売る話へ行くな」
「雪国の郵便機には需要があります」
「まだ軍用試験前だ!」
元白軍将校が橇の前へ狼の歯を描こうとした。
技師が筆を取り上げる。
「表面が荒れる」
「塗装だ」
「試験後だ」
軍将校が驚いた。
「試験後ならよいのか」
「識別標識としてなら」
「この会社は、止めるところが少しずれている!」
◇
雪上試験地は、東部の平原だった。
積雪。
風。
林。
小さな駅。
軍の仮設飛行場。
既に別の軽飛行機が数機、雪上用橇で運用されている。
「双発機は初めてだ」
現地指揮官がTur A.2を見る。
「重いな」
「必要な」
軍将校が技師の口を手で塞いだ。
「言わせない」
指揮官は少し引いた。
「何をしている」
「社内規則です」
「軍人が技師の口を塞ぐ会社なのか」
「軍の会社ではない!」
◇
現地の軽飛行機は、車輪を外して完全な橇を付けていた。
長い木製橇。
細い脚。
機体も軽い。
Tur A.2は違う。
大車輪。
太い脚。
半引込式。
さらに橇。
現地整備兵が下から覗く。
「複雑だ」
元白軍将校が答える。
「見た目だけ」
「外すには」
「金具八か所」
「時間は」
「初回なら一時間」
「飛行場で変えられる?」
「できる」
技師が付け加えた。
「ただし雪上で部品を落とすな」
元独立運動家が白い敷布を広げる。
軍将校が言う。
「雪の上に白い布?」
「部品が見えない」
「黒い布にしろ!」
◇
黒い帆布が用意された。
工具。
金具。
留め具。
雪へ落ちても見つかる。
元独立運動家が感心したように言う。
「色も道具だな」
「当たり前だ」
技師が答える。
「今後は寒冷地工具荷車も黒くする」
実業家が記録した。
「製品化するなよ」
「標準仕様候補です」
軍将校は諦めた。
◇
一日目。
雪は浅い。
表面は固い。
気温、氷点下十度。
Tur A.2は橇付きで地上走行を始める。
発動機。
低出力。
車輪が雪面へ少し食い込む。
硬い部分では車輪が回る。
柔らかい部分では橇面が乗る。
「真っすぐ」
軍将校が言う。
「抵抗は」
後席の技師が答える。
「通常より大きい」
「操向は」
「尾輪が効きにくい」
「ブレーキは」
「車輪が雪へ浮くと弱い」
「曲がれない?」
「出力差を使う」
左発動機を少し上げる。
機体が右へ向く。
「双発の利点」
「地上で?」
「左右別々に押せる」
軍将校は少し嬉しくなった。
「これは便利だ」
「燃料を食う」
「すぐ欠点を言うな!」
◇
離陸試験。
積載は軽い。
燃料半量。
乗員二名。
工具。
砂袋。
食品なし。
軍将校は自分で貨物室を確認した。
「本当にないな」
実業家が地上から答える。
「今日はありません」
「今日は?」
「低温保存試験には適しています」
「聞かなかったことにする!」
◇
出力を上げる。
橇が雪を押す。
前端が浮く。
速度が上がるにつれ、抵抗が減る。
機体は少し左右へ揺れる。
「方向維持」
「右へ取られる」
「雪面が柔らかい」
「出力差!」
左を少し強く。
真っすぐ。
尾が上がる。
橇が雪から離れる。
A.2は空へ出た。
「上がった」
「橇付きで」
「当然だ」
「今くらい喜べ!」
◇
飛行中。
橇は脚の下に残る。
半分露出した車輪を囲む。
空気抵抗は増える。
速度は落ちる。
「巡航速度、A.1通常脚より十三キロ低下」
技師が記録する。
「大きいな」
「雪上装備だ」
「飛べればよい?」
「任務次第」
「偵察には」
「不利」
「救急輸送なら」
「着陸できる場所が増える」
「何でも交換条件だな」
「航空機は全部そうだ」
◇
着陸。
雪面。
白い平原。
距離感が分かりにくい。
「高い?」
軍将校が尋ねる。
「まだ二十メートル」
「地面が見えない」
「影を見ろ」
「雲がある」
「棒を立てるべきだったな」
現地側は、滑走路両端へ黒い枝束を置いている。
それを目印にする。
「左端確認」
「右端」
「降ろす」
接地。
橇前端が雪へ触れる。
少し跳ねる。
二度目。
滑る。
制動は弱い。
長く走る。
「止まらん!」
「出力を落とせ!」
「落としている!」
「方向を保て!」
最後は雪の深い場所へ入り、抵抗が増えて止まった。
◇
地上班が走ってくる。
「橇!」
「左、異常なし!」
「右、前端に雪詰まり!」
「車輪は」
「回る!」
技師が右橇を見る。
前端内側へ雪が固まっている。
「排雪口が必要」
軍将校が尋ねる。
「穴を開ける?」
「前部側面に」
「雪が入るのでは」
「入った雪を逃がす」
「泥清掃口の次は雪排出口か」
「地面は機体の敵だな」
元白軍将校が言った。
「空も敵だ」
「では味方は?」
元独立運動家が答える。
「帰る場所」
一瞬だけ、全員が静かになった。
軍将校が咳払いした。
「よし、穴を開けろ」
◇
雪排出口。
左右二か所。
小さな開口。
前向きには塞ぎ、後ろへ抜ける。
雪が入っても、圧力で外へ出る。
「魚の鰓だ」
元白軍将校が言う。
「橇だ」
「形は似ている」
実業家が記録する。
「鰓式排雪口」
「書くな!」
「社内呼称です」
「正式名称は」
技師が答える。
「後向き排雪開口」
「つまらん」
「技術文書だ!」
◇
二日目。
気温、氷点下十八度。
発動機始動。
これが本命だった。
油が固い。
金属が冷たい。
燃料気化が悪い。
手が動かない。
「予熱」
技師が言う。
「どうする」
軍将校が尋ねる。
元白軍将校が小型炉を持ってくる。
「発動機下へ」
「火を近づけるな!」
「鉄板箱に入っている」
「排気は」
「管で外へ」
元独立運動家が答える。
「パン窯の温風方式だ」
軍将校は頭を抱えた。
「また食品部の技術か」
「火を直接当てない」
技師は装置を見る。
「温度計を付ける」
「採用?」
「使える」
◇
温風予熱箱。
発動機覆いの下へ温風を送る。
油槽。
気化器周辺。
配管。
全体をゆっくり温める。
「何分」
「四十分」
「長い」
「壊すより短い」
元白軍将校が言う。
「火を強く」
「局所加熱になる」
「早い」
「金属が歪む!」
軍将校が止める。
「四十分待て!」
自分で言ってから、彼は少し驚いた。
「私は待つ側になったな」
実業家が答える。
「発動機を何年も待ちましたので」
「そこまでではない!」
◇
右発動機。
始動。
一度目、失敗。
二度目。
咳き込む。
白煙。
回転。
左。
三度目で始動。
「油圧」
「上昇遅い」
「温度」
「まだ低い」
「回転を上げるな」
「待つ」
五分。
十分。
油圧安定。
「これで飛べる」
軍将校が言う。
「機体は」
「霜がある」
「またか!」
◇
主翼上面には薄い氷。
前回の保温袋を使う。
ただし面積が足りない。
「もっと大きく」
元独立運動家が言う。
「毛布を温める」
「濡れないように」
「乾いた袋へ入れる」
実業家が答える。
「食品運搬用断熱覆いがあります」
「何でもあるな、食品部!」
「低温管理が仕事です」
技師が毛布袋を翼へ置く。
「使える」
軍将校が笑った。
「軍用冬季装備が、パンとバターから生えてきた」
◇
その日の任務は、寒冷地救急輸送。
C型。
担架二床。
患者役。
今回は本物の患者ではない。
だが軍医は厳しい。
「毛布」
「二枚」
「足元保温」
「湯たんぽ」
「漏れ確認」
「機内温度」
「測定」
軍将校が尋ねる。
「機内暖房は」
技師が答える。
「発動機から温風を取る案はある」
「今は」
「湯たんぽ」
「原始的だな」
「壊れにくい」
元白軍将校が言った。
「飲める」
「患者用の湯を飲むな!」
◇
離陸。
雪は深くなっている。
橇が役立つ。
機体は長く滑り、浮く。
上空。
外気はさらに低い。
後席の軍医が患者役へ声をかける。
「寒いですか」
「足は暖かい」
「顔は」
「冷たい」
「覆いを」
A.2の広い後席。
患者の頭側へ手が届く。
毛布を直す。
呼吸確認。
「機内温度、氷点下三度」
「まだ低い」
「風は入る?」
「後席機銃開口から」
「覆いを改善」
「射撃時は外す」
「C型では機銃を外している」
「専用覆いを」
実業家なら別売りと言う。
軍将校は無線で先回りした。
「標準装備にしろ!」
◇
着陸後。
患者役を降ろす。
顔は冷たい。
足は温かい。
湯たんぽはまだ使える。
軍医が言う。
「一時間なら耐えられる」
「二時間は」
「暖房が要る」
技師が図面へ書く。
「排気熱交換器」
軍将校が嫌な顔をする。
「排気が入らないように」
「二重壁」
「漏れたら」
「機内へ排気が入る」
「危険だ」
「だから試験する」
「危険を作って試験するな!」
元白軍将校が提案した。
「温めた石を積む」
「重い」
「必要な」
「今日は言わせん!」
◇
三日目。
吹雪。
飛行不能。
機体は雪に埋まり始める。
主翼上。
尾翼。
橇。
発動機覆い。
「雪を落とす」
軍将校が言う。
「何時間ごと」
技師が尋ねる。
「積もる前に」
「基準が曖昧だ」
「主翼上二センチ」
「測る」
元独立運動家が細い棒へ目盛りを刻む。
「積雪計」
実業家が名前を記録する。
「売らないぞ」
「軍用冬季整備具です」
「ただの棒だ!」
「目盛り付きです」
◇
雪下ろし。
柔らかい箒。
翼布を傷つけない。
前から後ろ。
押し付けない。
機体上へ乗らない。
「箒の柄を長く」
「届かない」
「二本をつなぐ」
「接合部が外れる」
「金具を作る」
元白軍将校が言う。
「槍のようだ」
「刺すなよ」
「雪を払う」
「翼布を突くな!」
冬季用長柄箒が完成した。
軍将校は見上げる。
「また航空装備が増えた」
「百五十グラム」
技師が答える。
「軽いな」
「二本で三百」
「いちいち合計するな!」
◇
吹雪の夜。
発動機覆いの隙間から雪が入った。
翌朝。
気化器周辺。
点火線。
雪。
「覆いが足りない」
技師が言う。
「完全に包む」
元独立運動家が答える。
「通気は」
「上へ抜く」
「風でめくれる」
「裾へ重り」
「重りは」
「砂袋」
実業家が言う。
「小麦袋なら」
軍将校が振り返る。
「食料を重しにするな」
「凍りません」
「そこではない!」
◇
四日目。
吹雪後の晴天。
積雪はさらに深い。
橇試験の本番。
燃料半量。
A型装備。
写真機。
無線。
「離陸できるか」
軍将校が尋ねる。
技師は雪面を見る。
「試す」
「駄目なら」
「出力を落として中止」
「前へ進まなければ?」
「引く」
「何で」
元白軍将校が馬を見る。
「馬で」
「双発機を馬で引くのか」
「郵便馬車へ戻る」
「嫌な原点回帰だな!」
◇
滑走。
橇が深い雪へ乗る。
前回より抵抗は大きい。
二基の発動機が全力。
雪煙。
機体はゆっくり加速する。
「速度!」
「足りない!」
「まだ半分!」
「出力正常!」
滑走路端。
さらに先も雪原。
「続ける!」
「橇前端、安定!」
「速度上昇!」
尾が浮く。
雪の抵抗が減る。
A.2は長く雪を蹴り、ようやく空へ出た。
「上がった!」
「滑走距離、通常の一・七倍」
「長いな」
「だが飛べる」
「飛行場を選ぶ」
「何でもできるわけではない」
軍将校が笑った。
「その言葉、軍へ先に言ってくれ」
◇
写真偵察。
白い地面。
道路も川も雪に隠れる。
だが人の動いた跡は見える。
橇。
車輪。
足跡。
煙。
雪上では、隠れた物より動いた物が目立つ。
「道がない」
観測員が言う。
「跡を撮れ」
「部隊移動が分かる」
「雪は地図になるな」
軍将校が答えた。
偵察写真には、黒い線が何本も写った。
軍事評価は高かった。
◇
帰還。
着陸。
今度は排雪口が効く。
橇内部へ雪は入る。
だが後方へ抜ける。
「詰まりなし」
「成功」
「車輪は」
「回転正常」
元白軍将校が橇を叩く。
「魚の鰓だ」
技師は黙った。
「認めろ」
「排雪口は有効だ」
「鰓は」
「違う!」
◇
五日目。
低温下での燃料問題。
朝。
右発動機が始動しない。
「点火」
「正常」
「燃料」
「来ている」
「気化器」
「凍結?」
温風予熱。
再始動。
咳き込む。
止まる。
元白軍将校が燃料を少量抜く。
「水」
底に小さな氷粒。
軍将校が顔をしかめる。
「どこから」
「燃料缶の結露」
技師が答える。
「夜間保管で冷えた」
「濾過したはず」
「氷が小さかった」
「対策は」
「給油前に沈殿。布濾し。水抜き」
元独立運動家が言う。
「温かい場所へ缶を置く」
「火気は避ける」
「食品倉庫なら」
軍将校が先に遮った。
「使わないぞ」
実業家が答える。
「燃料臭が付くので、こちらも困ります」
「初めて食品部が拒否した!」
◇
燃料水分確認器。
透明な小瓶。
底へ燃料を取る。
水や氷があれば見える。
「簡単だ」
軍将校が言う。
「簡単な物ほど必要」
技師が答える。
「今までなかった?」
「暖かい時期は問題が少なかった」
元白軍将校が小瓶を見る。
「飲料試験にも使える」
「使うな!」
「透明だ」
「燃料用だ!」
◇
六日目。
夜間始動と緊急発進。
日没後。
機体は覆いの下。
発動機は冷えている。
命令を受けてから離陸までの時間を測る。
「開始!」
覆いを外す。
主翼の雪を払う。
燃料確認。
油予熱。
発動機予熱。
橇確認。
乗員装備。
無線。
照明。
「遅い!」
軍将校が時計を見る。
「予熱が必要」
技師が答える。
「三十五分」
「戦場なら」
「冷えたまま回して壊すか」
「予熱器を増やす」
「二基同時?」
「左右別」
元白軍将校が炉をもう一つ持ってくる。
「どこから」
「現地鍛冶場」
「勝手に作ったのか」
「借りた」
「返せる形か」
「少し改造した」
「それを返せると言わない!」
◇
二基同時予熱。
時間短縮。
始動。
右、一回。
左、二回。
油圧。
暖機。
離陸準備完了。
「開始から二十八分」
「目標は」
「三十分以内」
「合格」
軍将校が言う。
「ただし予熱器二基」
「標準装備へ」
実業家が記録する。
「価格は」
「軍へ言うな!」
「見積書に必要です」
◇
夜間離陸。
雪面は月明かりを反射する。
昼より明るい。
だが影が薄い。
距離感が違う。
黒い枝束。
灯火。
滑走路端。
A.2は雪煙を上げて浮く。
上空。
町の灯り。
白い平原。
無線。
短い巡回。
「夜の雪は怖いな」
軍将校が言う。
「地面が空に見える」
後席の観測員が答える。
「境目がない」
「計器を見ろ」
「分かっている」
着陸は慎重だった。
黒い枝束と灯火だけを頼りにする。
一度目で接地。
長く滑る。
停止。
◇
七日目。
最終試験。
最大実用積載に近い状態。
B型装備。
模擬弾薬。
模擬爆弾。
増加燃料。
橇。
「重い」
軍将校が言う。
「限界確認」
技師が答える。
「雪は深い」
「滑走路を踏み固めた」
「誰が」
「兵士と馬」
元白軍将校が言う。
「野牛のために馬が道を作る」
「動物の話にするな」
◇
離陸。
長い。
前回よりさらに長い。
雪煙。
発動機全開。
機体は走る。
「速度不足!」
「続ける!」
「端まで二百!」
「まだ上がらない!」
「百!」
「中止するか!」
軍将校は操縦桿を感じる。
翼に力が来ている。
「続ける!」
尾が上がる。
橇が雪面を離れる。
主車輪。
最後に尾輪。
Tur A.2は、滑走路端を越えて浮いた。
低い。
すぐ前に林。
「上げろ!」
「上がっている!」
樹冠。
数メートル。
越える。
後席から息を吐く音。
「余裕が少ない」
「分かっている」
「最大積載で深雪は危険」
「報告へ大きく書け」
「採用に不利だぞ」
「落ちるよりよい!」
◇
飛行自体は問題なかった。
速度低下。
上昇性能低下。
橇抵抗。
だが操縦性は安定。
模擬攻撃。
低空。
雪原では目標が見つけやすい。
木製陣地。
黒い布。
白い背景。
「隠れていない」
「冬季偽装が必要だな」
「機体側も」
「白く塗る?」
軍将校が尋ねる。
「全面ではない」
「狼印は」
「残す」
元白軍将校が地上で聞けば喜ぶだろう。
◇
着陸後。
最終点検。
橇。
前端摩耗。
鋼板底に傷。
金具緩みなし。
脚柱異常なし。
車輪。
正常。
発動機。
正常。
燃料系統。
水分なし。
無線。
冬季用拡張つまみ、良好。
C型機内覆い。
改善必要。
「総合評価」
軍将校が尋ねる。
元ドイツ技師が記録を読む。
「雪上運用可能」
「条件は」
「積雪状態を確認。最大積載時は十分な滑走距離を確保。発動機予熱必須。燃料水分管理。橇装着時は速度低下」
「多いな」
「冬だからだ」
「合格か」
「合格」
◇
試験終了後。
現地指揮官が橇を見る。
「欲しい」
軍将校が尋ねる。
「何組」
「配備機分」
「Tur A.1にも付くか」
技師が答える。
「脚寸法は共通。小改修で付く」
「では十二機分?」
実業家が計算を始めた。
「予備込み十四組」
「待て」
軍将校が止める。
「まだ発注では」
現地指揮官が言う。
「要求書は出す」
実業家は笑った。
「準備します」
「だから早い!」
◇
橇には正式名称が付いた。
Tur用着脱式雪上主脚補助滑走具
軍将校が書類を見る。
「長い」
元独立運動家が答える。
「雪橇でよい」
元白軍将校が言う。
「狼の足」
実業家が別紙へ書いた。
民間名称候補
狼の足
「軍用品を勝手に民間販売するな」
「郵便機、医療機向けです」
「まだ一組しかない!」
「注文が来れば作れます」
元ドイツ技師は、橇側面へ小さな狼印を描くことだけは許可した。
◇
帰り支度。
橇を外すか。
付けたまま飛ぶか。
工房側飛行場には雪が少ない。
「途中で路面状態は変わる」
軍将校が言う。
「付けたまま」
技師が答える。
「遅いぞ」
「外した橇を積めば重い」
「置いていく?」
「試作品だ」
「持ち帰る」
元白軍将校が言った。
「車輪に履かせて帰る」
「靴みたいに言うな」
◇
出発前。
元独立運動家が食料を配る。
黒パン。
バター。
温かいスープ。
高度不足はなし。
「雪上試験成功祝いでは」
軍将校が尋ねる。
「帰ってから」
「最近、まともだな」
「寒い時に酒を飲ませると、温かく感じても体は冷える」
軍医が答えた。
「医学的判断だ」
元白軍将校が不満そうに杯をしまう。
「帰る理由が増えた」
「それでよい」
◇
Tur A.2は、橇を履いたまま飛び立った。
白い平原。
黒い森。
雪上に長い滑走跡。
その跡は途中で消え、空へ続く。
車輪だけでは沈んだ。
橇だけでは地面が変わった時に困った。
だから両方を残した。
速さを失った。
重さも増えた。
だが、降りられる場所が増えた。
救える人間の住む場所も増えた。
◇
WILK工房へ帰ると、新しい電報が待っていた。
Tur A.2追加三機、正式発注。
うち一機は冬季運用仕様とする。
着脱式雪上滑走具十四組について、別途見積もりを提出せよ。
併せて、A.1既存機への寒冷地改修要領を作成されたい。
軍将校は最後まで読んだ。
「十四組」
実業家が答える。
「予備込みです」
「もう把握しているのか」
「想定していました」
「寒冷地改修は」
技師が図面を広げる。
「予熱器、燃料水分確認器、発動機覆い、長柄箒、無線つまみ、C型機内覆い」
「食料荷車は」
元白軍将校が言う。
「強風固定用」
「軍用品へ入れるな!」
元独立運動家が笑った。
「じゃがいもを標準装備にすれば重しになる」
「食べたら軽くなるだろう!」
◇
北側作業棟には、三機分の新しい治具位置が引かれた。
Tur A.2二機。
冬季型一機。
その隣に、橇十四組。
さらに予熱器。
覆い。
工具。
部品。
仕事は一機から三機へ増えた。
人も増える。
食堂の鍋も大きくなる。
実業家は新しい雇用表を開いた。
「追加で木工職人六名、金工四名、縫製三名」
軍将校が尋ねる。
「縫製?」
「機体覆いと機内防寒覆いです」
「航空機工房に裁縫班まで」
「布張り機体です」
「元から必要だったか」
「今までは外注でした」
「社内化?」
「仕事が継続しますので」
◇
元ドイツ技師は、試作橇の摩耗した鋼板を壁へ掛けた。
擦り傷。
曲がり。
雪と氷の跡。
その下へ札。
車輪が沈むなら、橇を履け。
ただし、橇を履けば速くなるとは限らない。
軍将校が見つけた。
「珍しく分かりやすいな」
「技術的にも正しい」
「誰が書いた」
「私だ」
「お前が?」
「最初の回答の方が分かりやすかった」
軍将校はしばらく札を見た。
「少しずつ丸くなったな」
「何が」
「お前が」
「橇の前端は丸い方が雪へ刺さらない」
「そういうところだぞ!」
工房の外では、雪が降り始めていた。
今度は誰も、車輪だけで走ろうとはしなかった。