一、公開飛行は概ね成功した。
二、航空要員志願者は予想を大きく上回った。
三、観客整理、鉄道輸送、臨時診療所及び便所については、次回より事前協議を要する。
四、パン生地入り樽の最大搭載試験は、本催事の正式な目的には含まれていない。
五、それにもかかわらず得られた搭載量の数値については、別紙機密資料を参照されたい。
追記。
今後、軍用機による食品製造を計画する場合、航空部へ先に相談すること。
飛行機はできた。
飛ばす者も、少しずつ増えた。
しかし、足りなかった。
「六名です」
ポーランド軍将校が言った。
机の上には、双発機移行課程を修了した操縦士の名簿が置かれていた。
「七機に対して六名。訓練機を除けば当面は足りる」
元ドイツ軍技術者が名簿を確認する。
「当面はな」
「来期の候補者もいる」
「単発機志望ばかりだ」
軍将校は黙った。
飛行学校へ集まる若者の多くは、戦闘機を望んだ。
軽く、速く、一人で操る機体。
新聞へ載るのも戦闘機乗りだった。子供が木を削って作る模型も、細い胴体と一基の発動機を持っていた。
一方、Turは太かった。
二基の発動機を主翼へ抱え、乗員と無線機と写真機と貨物を積み、車輪を半ば格納したまま飛ぶ。
頑丈だった。
便利だった。
そして若者の目には、少々地味だった。
「どうする」
軍将校が尋ねる。
「養成課程を増やす」
元ドイツ軍技術者が答えた。
「候補者そのものが少ない」
「待遇を良くするか」
実業家が言った。
「予算がない」
「将来の給与を担保に融資を――」
「軍人を借金から始めさせるな」
元独立運動家が即座に止めた。
その間、元白軍将校だけは窓の外を見ていた。
格納庫前では、一機のTurが地上試運転を行っている。
左右二基の発動機が、少しずれた調子で音を重ねていた。
「見せればいい」
元白軍将校が言った。
「何をだ」
「飛ぶところを」
軍将校が眉を寄せる。
「訓練生なら毎日見ている」
「訓練生になる前の連中へだ」
彼は机へ近づき、広げられていた地図へ指を置いた。
工場の町。
近隣の農村。
鉄道沿線の都市。
学校。
職業訓練所。
「町から町へ飛ぶ。広場の上を通る。飛行場へ人を集める」
「航空展示か」
「公開飛行だ」
「曲技飛行をするのか」
「Turで宙返りをさせる気か?」
元ドイツ軍技術者の声が低くなった。
「しない。飛ぶ。旋回する。片方の発動機を絞る。脚を上げる。降ろす。着陸する」
「地味ではないか」
軍将校が言った。
元白軍将校は首を振った。
「二つの発動機が動き、片方が止まっても帰る。それを近くで見た者には地味ではない」
少し間が空いた。
若い頃、彼は巡回飛行を見た。
鉄道で運ばれてきた機体を、町外れの草地で組み立てる男たちを見た。
木と布と針金でできた機械が、地面を離れるところを見た。
その話を詳しくするつもりはないらしい。
「昔、そういうものを見た」
それだけ言った。
「それで軍人になったのか」
軍将校が聞く。
「最初は機械を触った」
「その次は」
「空を見た」
元白軍将校は窓の外のTurへ顎を向けた。
「順番はそれだけだ」
◇
公開飛行の計画は、その日の午後には航空祭へ変わっていた。
原因は実業家である。
「鉄道会社が臨時列車を出します」
「早いな」
「沿線都市へ広告を出しました」
「誰が許可した」
「許可はこれからです」
元独立運動家が書類から顔を上げた。
「待て」
「会場周辺の露店区画も決めました」
「待てと言っている」
「有料観覧席は滑走路東側へ」
「軍の志願者募集だぞ!」
「無料区画もあります」
「問題はそこではない!」
元独立運動家は会場予定図を引き寄せた。
観客五千名。
臨時駅。
馬車置き場。
飲料水。
消防隊。
救護所。
子供向け見学区画。
機体展示区画。
食品販売所。
彼は図面を見たまま聞いた。
「便所はいくつある」
実業家が一度だけ瞬いた。
「今から計算します」
「最初に計算しろ!」
◇
軍将校は航空要員募集を前面へ出した。
操縦士だけではない。
観測員。
無線手。
機銃手。
整備兵。
写真技師。
気象観測員。
輸送係。
飛行機は操縦士一人では飛ばない。
Turなら、なおさらだった。
「操縦席だけを見せるな」
元白軍将校が言った。
「発動機を見せろ。無線機を見せろ。写真機を見せろ。貨物を積むところを見せろ」
「若者は機関銃を見たがる」
軍将校が言う。
「弾は抜け」
「分かっている」
「爆弾も」
「分かっている!」
展示機には、前方固定機銃と翼下ガンポッドが装着された。
当然、弾薬は抜かれた。
爆弾架には訓練用の模擬弾を吊るす予定だった。
そこで食品部門の責任者が口を挟んだ。
「模擬弾を吊るすのでしたら、パン生地を入れた樽を吊るしてはいかがでしょう」
全員がそちらを見た。
「なぜ」
軍将校が聞く。
「落下と回転で生地をこねられます」
「なぜ飛行機でパンをこねる」
「催事ですから」
「答えになっていない」
実業家が手を挙げた。
「面白い」
「お前は黙れ」
「焼いて配れば観客が残ります」
元白軍将校も頷いた。
「腹が減れば帰る」
「お前まで!」
元ドイツ軍技術者は、樽の寸法を尋ねた。
軍将校が愕然とする。
「検討するのか」
「吊るすなら安全に吊るす」
「許可した覚えはない」
「許可されなくても、あの二人は吊るす」
技術者は実業家と元白軍将校を見た。
二人とも否定しなかった。
◇
最初の樽は失敗した。
パン生地、樽、鉄帯、蓋、固定金具、着地後に転がすための木製外輪。
投下高度は低く抑えられた。
Turが畑の上を通過する。
樽が外れた。
落下。
着地。
一度跳ねる。
蓋が外れる。
大量のパン生地が、耕した土の上へ長く伸びた。
「こねられたか」
元白軍将校が聞いた。
食品部門の責任者が土まみれの生地を見た。
「畑へ塗られました」
「焼けるか」
「食べないでください」
二号樽では蓋を強化した。
今度は壊れなかった。
しかし坂を転がり続けた。
「止めろ!」
軍将校が叫ぶ。
元白軍将校が走り出す。
「投下物を徒歩で追うな!」
樽は柵の手前で、排水溝へ落ちて止まった。
三号樽には、減速用の布尾が付けられた。
四号樽では外輪の幅が広げられた。
五号樽で、ようやく予定区域内を転がり、無事に回収された。
樽を開ける。
中の生地は、確かに均一に混ざっていた。
「成功だ」
元白軍将校が満足そうに言う。
元ドイツ軍技術者は記録用紙へ書き込んだ。
投下高度
飛行速度
樽重量
着地面
転動距離
生地状態
蓋の変形
軍将校が紙を覗き込む。
「航空試験記録へパン生地状態を書くな」
「再現性が必要だ」
「再現するな」
◇
翼内の牛乳缶は、さらに訳が分からなかった。
正確には、主翼内点検区画近くの固定架へ載せた密閉缶である。
缶の中には生クリームが入っていた。
飛行中の振動と旋回で撹拌し、バターを作る。
一度目。
着陸後に缶を開ける。
温いクリームだった。
「もっと揺らせ」
元白軍将校が言う。
操縦士が嫌な顔をした。
二度目。
細かい旋回と上昇下降を繰り返した。
着陸した操縦士は青い顔で降りてきた。
「できたか」
「私は酔った」
「バターは」
食品部門が缶を開けた。
黄色い塊ができていた。
「成功です」
「なら成功だ」
「次は別の操縦士にしろ!」
ここでも元ドイツ軍技術者が記録表を作った。
外気温。
高度。
飛行時間。
旋回回数。
缶の搭載位置。
乳脂肪率。
生成したバターの重量。
軍将校は表を見て、しばらく黙った。
「これは航空資料か」
「乳脂肪撹拌試験だ」
「なぜ軍用双発機の記録へ乳脂肪率がある」
「飛行条件に影響される」
「答えるな!」
◇
高高度で果汁を凍らせる計画には、元ドイツ軍技術者が最初から反対した。
「食品のために限界高度へ上げるな」
「限界までは行かない」
元白軍将校が答える。
「発動機性能が落ちる」
「二つある」
「その言葉を便利に使うな」
果汁、砂糖、水を入れた容器を機体へ積む。
高く上がり、低温へ晒す。
一度目は、冷たい果汁になった。
凍ってはいない。
二度目は、縁だけ凍った。
三度目は、操縦士の指まで冷えた。
「果汁は凍った」
元白軍将校が容器を覗き込む。
「操縦士も凍りかけた」
元ドイツ軍技術者が毛布を渡す。
最終的には地上で氷と塩を使い、飛行中の低温で仕上げる方式になった。
完全な氷ではなく、柔らかなシャーベット状。
実業家は即座に商品名を決めた。
「雲上果汁です」
「軍の募集行事だぞ」
「志願者も果汁を飲みます」
「売るのか」
「最初の一杯は無料です」
「二杯目は?」
「市場拡大の機会です」
軍将校は両手で顔を覆った。
◇
航空祭当日。
朝から臨時列車が人を吐き出した。
農民。
工員。
学生。
退役軍人。
子供を肩へ乗せた父親。
帽子を押さえながら走る少年。
飛行場の外には露店が並び、楽団が演奏し、臨時診療所の前では看護師が救急箱を確認していた。
元独立運動家は会場を歩き回った。
「西側の給水樽を増やせ!」
「臨時便所の列を分けろ!」
「子供を機体の前へ出すな!」
「食べ物の列と志願受付の列を混ぜるな!」
軍将校が近づく。
「観客は何人だ」
「七千を超えた」
「五千ではなかったか」
「実業家へ聞け」
実業家は有料席の売上を数えていた。
「市場の反応は良好です」
「町が一つ来ているぞ!」
午前十時。
二機のTurが離陸した。
双発の音が飛行場全体を震わせる。
低空通過。
観客の帽子が飛ぶ。
子供たちが歓声を上げる。
二機は大きく旋回し、再び進入した。
単葉の主翼。
左右の発動機。
半ば格納された車輪。
一機が片方の発動機を絞る。
速度を保ちながら、ゆっくりと飛行場上空を通る。
場内放送が説明する。
「Turは左右いずれか一基の発動機に故障が発生した場合でも、条件によって飛行を継続できます」
少年が父親へ尋ねた。
「片方が止まっても帰れるの?」
「そうらしい」
「二つあるから?」
「そうだ」
少年は空を見上げたまま言った。
「じゃあ、遠くへ行けるね」
滑走路脇で聞いていた元白軍将校が、わずかに笑った。
◇
昼前。
パン樽投下が始まった。
予定では十二樽だった。
ところが観客が増えた。
配るパンが足りない。
食品部門は樽を追加した。
「あと四樽積めます」
「積むな」
軍将校が言う。
「無料配布分が不足します」
「地上でこねろ」
元白軍将校が主翼下を見上げる。
「内側の架が空いている」
「黙れ」
「左右へ二つずつ」
「黙れと言った!」
実業家が計算した。
「追加分を焼けば、午後の有料販売にも対応できます」
「軍の機体だ!」
「本日は展示用途です」
「展示の意味を調べ直せ!」
結局、樽は増えた。
十二。
十六。
十八。
二十。
整備員が取付部と重量配分を確認する。
元ドイツ軍技術者は一樽ごとの重量を記録させた。
「まだ積める」
食品部門が言った。
「積まない」
「外側架が二つ空いています」
「翼端側は避けろ」
「では胴体下へ」
軍将校が叫んだ。
「パンを可能な限り積もうとするな!」
最終的に、樽は二十四個になった。
パン生地だけではない。
樽本体。
鉄帯。
固定具。
外輪。
布尾。
合計すると、誰も予想していなかった重量になった。
Turはゆっくり滑走を始めた。
発動機音が高くなる。
滑走路を長く使う。
軍将校が息を止める。
機体が浮いた。
重そうに、それでも確実に上昇する。
半引き込み脚が所定位置まで上がった。
観客席から大歓声が起きた。
元ドイツ軍技術者だけは、搭載表と離陸距離を見比べていた。
「待て」
誰も聞かなかった。
「総重量を出せ」
食品部門の帳簿係が数字を読み上げる。
技術者が計算する。
もう一度計算する。
軍将校が顔を見る。
「どうした」
「この外部搭載重量は」
数字を告げる。
軍将校は黙った。
元白軍将校が聞く。
「多いのか」
「現在、我が軍が実用している航空機の中で――」
技術者は飛んでいるTurを見上げた。
「最大級だ」
沈黙。
軍将校がゆっくり振り返る。
「パンで発見するな」
◇
樽は予定区域へ次々と落とされた。
布尾を引きながら着地し、地面を転がる。
一個だけ妙な方向へ進んだが、元白軍将校が走り出す前に整備兵が止めた。
回収された生地は移動式窯へ運ばれた。
翼内で作ったバターを塗る。
高高度で冷やした果汁シャーベットを添える。
列ができた。
長い列だった。
志願受付より長かった。
軍将校は暗い顔で眺めていた。
「失敗ではない」
実業家が言った。
「子供はアイスへ並んでいる」
「その子供が機体を見ています」
「パンしか見ていない者もいる」
「十年後に思い出します」
「何をだ」
実業家は空になった樽を指した。
「飛行機が、自分たちの町へパンを持ってきたことを」
その日の志願者は、操縦士だけではなかった。
発動機を見ていた少年が、整備兵を希望した。
無線実演へ張り付いていた学生が、通信課程を尋ねた。
地図展示を見ていた少女が、写真測量の仕事について質問した。
農家の次男が、貨物機の操縦士になるには何年必要かと聞いた。
戦闘機ではない。
速さだけでもない。
大きな機械を動かす仕事。
人と荷物を連れて遠くへ行き、帰ってくる仕事。
双発機乗りという職業が、ようやく人々の目に見える形を持ち始めた。
◇
夕方。
最後のTurが着陸した。
観客が臨時列車へ向かう。
飛行場には紙袋、木の匙、樽の跡、車輪の轍が残った。
元独立運動家は、臨時便所の不足数を数えていた。
軍将校は志願者名簿を持ってきた。
「操縦課程志望、四十三名」
「多いな」
「整備課程は九十一名」
「多すぎる」
「無線、観測、写真、輸送を含めると二百を超える」
元白軍将校が満足そうに頷く。
「見せれば来る」
元ドイツ軍技術者は別の紙を見ていた。
「パン樽搭載時の数値だが」
軍将校の顔が引き締まる。
「軍へ報告する」
「するしかない」
「爆弾へ換算できるか」
「形状、抗力、重心、投下順序を再検討すれば」
元白軍将校が口を開く。
「爆弾を樽へ――」
「言うな」
三人が同時に止めた。
実業家は既に広告原稿を書いていた。
町一つ分の朝食を運ぶ翼――WILK Tur
軍将校が紙を奪う。
「軍最大級の搭載力を食品広告へ使うな!」
「最大級とは書いていません」
「町一つ分と書いてある!」
「印象表現です」
その横で、元独立運動家が静かに尋ねた。
「次回もやるのか」
全員が止まった。
実業家が答えた。
「鉄道会社から、秋季開催の提案が」
元独立運動家は目を閉じた。
「次はいつだ」
「三か月後です」
「便所を倍にする」
「航空機ではなく、そこからなのか」
軍将校が聞く。
元独立運動家は怒鳴った。
「空を飛ばす前に、地上をどうにかしろ!」
こうしてWILK最初の航空祭は成功した。
双発機志願者は増えた。
整備員も増えた。
食品部門の注文も増えた。
そしてポーランド軍は、主として輸送、偵察、連絡、救難、試験及び雑務へ使用していた一機の双発機が、国内最大級の外部搭載能力を持つことを知った。
その発見に使われたのは、爆弾ではなかった。
二十四個の、パン生地入りの樽であった。