WILK ―忘れずの故郷―   作:ヒツジ(ラム肉

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ポーランド陸軍航空部・公開飛行実施報告書より抜粋

一、公開飛行は概ね成功した。
二、航空要員志願者は予想を大きく上回った。
三、観客整理、鉄道輸送、臨時診療所及び便所については、次回より事前協議を要する。
四、パン生地入り樽の最大搭載試験は、本催事の正式な目的には含まれていない。
五、それにもかかわらず得られた搭載量の数値については、別紙機密資料を参照されたい。

追記。
今後、軍用機による食品製造を計画する場合、航空部へ先に相談すること。


第44話 飛行機でパンをこねるな

飛行機はできた。

 

飛ばす者も、少しずつ増えた。

 

しかし、足りなかった。

 

「六名です」

 

ポーランド軍将校が言った。

 

机の上には、双発機移行課程を修了した操縦士の名簿が置かれていた。

 

「七機に対して六名。訓練機を除けば当面は足りる」

 

元ドイツ軍技術者が名簿を確認する。

 

「当面はな」

 

「来期の候補者もいる」

 

「単発機志望ばかりだ」

 

軍将校は黙った。

 

飛行学校へ集まる若者の多くは、戦闘機を望んだ。

 

軽く、速く、一人で操る機体。

 

新聞へ載るのも戦闘機乗りだった。子供が木を削って作る模型も、細い胴体と一基の発動機を持っていた。

 

一方、Turは太かった。

 

二基の発動機を主翼へ抱え、乗員と無線機と写真機と貨物を積み、車輪を半ば格納したまま飛ぶ。

 

頑丈だった。

 

便利だった。

 

そして若者の目には、少々地味だった。

 

「どうする」

 

軍将校が尋ねる。

 

「養成課程を増やす」

 

元ドイツ軍技術者が答えた。

 

「候補者そのものが少ない」

 

「待遇を良くするか」

 

実業家が言った。

 

「予算がない」

 

「将来の給与を担保に融資を――」

 

「軍人を借金から始めさせるな」

 

元独立運動家が即座に止めた。

 

その間、元白軍将校だけは窓の外を見ていた。

 

格納庫前では、一機のTurが地上試運転を行っている。

 

左右二基の発動機が、少しずれた調子で音を重ねていた。

 

「見せればいい」

 

元白軍将校が言った。

 

「何をだ」

 

「飛ぶところを」

 

軍将校が眉を寄せる。

 

「訓練生なら毎日見ている」

 

「訓練生になる前の連中へだ」

 

彼は机へ近づき、広げられていた地図へ指を置いた。

 

工場の町。

 

近隣の農村。

 

鉄道沿線の都市。

 

学校。

 

職業訓練所。

 

「町から町へ飛ぶ。広場の上を通る。飛行場へ人を集める」

 

「航空展示か」

 

「公開飛行だ」

 

「曲技飛行をするのか」

 

「Turで宙返りをさせる気か?」

 

元ドイツ軍技術者の声が低くなった。

 

「しない。飛ぶ。旋回する。片方の発動機を絞る。脚を上げる。降ろす。着陸する」

 

「地味ではないか」

 

軍将校が言った。

 

元白軍将校は首を振った。

 

「二つの発動機が動き、片方が止まっても帰る。それを近くで見た者には地味ではない」

 

少し間が空いた。

 

若い頃、彼は巡回飛行を見た。

 

鉄道で運ばれてきた機体を、町外れの草地で組み立てる男たちを見た。

 

木と布と針金でできた機械が、地面を離れるところを見た。

 

その話を詳しくするつもりはないらしい。

 

「昔、そういうものを見た」

 

それだけ言った。

 

「それで軍人になったのか」

 

軍将校が聞く。

 

「最初は機械を触った」

 

「その次は」

 

「空を見た」

 

元白軍将校は窓の外のTurへ顎を向けた。

 

「順番はそれだけだ」

 

 

公開飛行の計画は、その日の午後には航空祭へ変わっていた。

 

原因は実業家である。

 

「鉄道会社が臨時列車を出します」

 

「早いな」

 

「沿線都市へ広告を出しました」

 

「誰が許可した」

 

「許可はこれからです」

 

元独立運動家が書類から顔を上げた。

 

「待て」

 

「会場周辺の露店区画も決めました」

 

「待てと言っている」

 

「有料観覧席は滑走路東側へ」

 

「軍の志願者募集だぞ!」

 

「無料区画もあります」

 

「問題はそこではない!」

 

元独立運動家は会場予定図を引き寄せた。

 

観客五千名。

 

臨時駅。

 

馬車置き場。

 

飲料水。

 

消防隊。

 

救護所。

 

子供向け見学区画。

 

機体展示区画。

 

食品販売所。

 

彼は図面を見たまま聞いた。

 

「便所はいくつある」

 

実業家が一度だけ瞬いた。

 

「今から計算します」

 

「最初に計算しろ!」

 

 

軍将校は航空要員募集を前面へ出した。

 

操縦士だけではない。

 

観測員。

 

無線手。

 

機銃手。

 

整備兵。

 

写真技師。

 

気象観測員。

 

輸送係。

 

飛行機は操縦士一人では飛ばない。

 

Turなら、なおさらだった。

 

「操縦席だけを見せるな」

 

元白軍将校が言った。

 

「発動機を見せろ。無線機を見せろ。写真機を見せろ。貨物を積むところを見せろ」

 

「若者は機関銃を見たがる」

 

軍将校が言う。

 

「弾は抜け」

 

「分かっている」

 

「爆弾も」

 

「分かっている!」

 

展示機には、前方固定機銃と翼下ガンポッドが装着された。

 

当然、弾薬は抜かれた。

 

爆弾架には訓練用の模擬弾を吊るす予定だった。

 

そこで食品部門の責任者が口を挟んだ。

 

「模擬弾を吊るすのでしたら、パン生地を入れた樽を吊るしてはいかがでしょう」

 

全員がそちらを見た。

 

「なぜ」

 

軍将校が聞く。

 

「落下と回転で生地をこねられます」

 

「なぜ飛行機でパンをこねる」

 

「催事ですから」

 

「答えになっていない」

 

実業家が手を挙げた。

 

「面白い」

 

「お前は黙れ」

 

「焼いて配れば観客が残ります」

 

元白軍将校も頷いた。

 

「腹が減れば帰る」

 

「お前まで!」

 

元ドイツ軍技術者は、樽の寸法を尋ねた。

 

軍将校が愕然とする。

 

「検討するのか」

 

「吊るすなら安全に吊るす」

 

「許可した覚えはない」

 

「許可されなくても、あの二人は吊るす」

 

技術者は実業家と元白軍将校を見た。

 

二人とも否定しなかった。

 

 

最初の樽は失敗した。

 

パン生地、樽、鉄帯、蓋、固定金具、着地後に転がすための木製外輪。

 

投下高度は低く抑えられた。

 

Turが畑の上を通過する。

 

樽が外れた。

 

落下。

 

着地。

 

一度跳ねる。

 

蓋が外れる。

 

大量のパン生地が、耕した土の上へ長く伸びた。

 

「こねられたか」

 

元白軍将校が聞いた。

 

食品部門の責任者が土まみれの生地を見た。

 

「畑へ塗られました」

 

「焼けるか」

 

「食べないでください」

 

二号樽では蓋を強化した。

 

今度は壊れなかった。

 

しかし坂を転がり続けた。

 

「止めろ!」

 

軍将校が叫ぶ。

 

元白軍将校が走り出す。

 

「投下物を徒歩で追うな!」

 

樽は柵の手前で、排水溝へ落ちて止まった。

 

三号樽には、減速用の布尾が付けられた。

 

四号樽では外輪の幅が広げられた。

 

五号樽で、ようやく予定区域内を転がり、無事に回収された。

 

樽を開ける。

 

中の生地は、確かに均一に混ざっていた。

 

「成功だ」

 

元白軍将校が満足そうに言う。

 

元ドイツ軍技術者は記録用紙へ書き込んだ。

 

投下高度

飛行速度

樽重量

着地面

転動距離

生地状態

蓋の変形

 

軍将校が紙を覗き込む。

 

「航空試験記録へパン生地状態を書くな」

 

「再現性が必要だ」

 

「再現するな」

 

 

翼内の牛乳缶は、さらに訳が分からなかった。

 

正確には、主翼内点検区画近くの固定架へ載せた密閉缶である。

 

缶の中には生クリームが入っていた。

 

飛行中の振動と旋回で撹拌し、バターを作る。

 

一度目。

 

着陸後に缶を開ける。

 

温いクリームだった。

 

「もっと揺らせ」

 

元白軍将校が言う。

 

操縦士が嫌な顔をした。

 

二度目。

 

細かい旋回と上昇下降を繰り返した。

 

着陸した操縦士は青い顔で降りてきた。

 

「できたか」

 

「私は酔った」

 

「バターは」

 

食品部門が缶を開けた。

 

黄色い塊ができていた。

 

「成功です」

 

「なら成功だ」

 

「次は別の操縦士にしろ!」

 

ここでも元ドイツ軍技術者が記録表を作った。

 

外気温。

 

高度。

 

飛行時間。

 

旋回回数。

 

缶の搭載位置。

 

乳脂肪率。

 

生成したバターの重量。

 

軍将校は表を見て、しばらく黙った。

 

「これは航空資料か」

 

「乳脂肪撹拌試験だ」

 

「なぜ軍用双発機の記録へ乳脂肪率がある」

 

「飛行条件に影響される」

 

「答えるな!」

 

 

高高度で果汁を凍らせる計画には、元ドイツ軍技術者が最初から反対した。

 

「食品のために限界高度へ上げるな」

 

「限界までは行かない」

 

元白軍将校が答える。

 

「発動機性能が落ちる」

 

「二つある」

 

「その言葉を便利に使うな」

 

果汁、砂糖、水を入れた容器を機体へ積む。

 

高く上がり、低温へ晒す。

 

一度目は、冷たい果汁になった。

 

凍ってはいない。

 

二度目は、縁だけ凍った。

 

三度目は、操縦士の指まで冷えた。

 

「果汁は凍った」

 

元白軍将校が容器を覗き込む。

 

「操縦士も凍りかけた」

 

元ドイツ軍技術者が毛布を渡す。

 

最終的には地上で氷と塩を使い、飛行中の低温で仕上げる方式になった。

 

完全な氷ではなく、柔らかなシャーベット状。

 

実業家は即座に商品名を決めた。

 

「雲上果汁です」

 

「軍の募集行事だぞ」

 

「志願者も果汁を飲みます」

 

「売るのか」

 

「最初の一杯は無料です」

 

「二杯目は?」

 

「市場拡大の機会です」

 

軍将校は両手で顔を覆った。

 

 

航空祭当日。

 

朝から臨時列車が人を吐き出した。

 

農民。

 

工員。

 

学生。

 

退役軍人。

 

子供を肩へ乗せた父親。

 

帽子を押さえながら走る少年。

 

飛行場の外には露店が並び、楽団が演奏し、臨時診療所の前では看護師が救急箱を確認していた。

 

元独立運動家は会場を歩き回った。

 

「西側の給水樽を増やせ!」

 

「臨時便所の列を分けろ!」

 

「子供を機体の前へ出すな!」

 

「食べ物の列と志願受付の列を混ぜるな!」

 

軍将校が近づく。

 

「観客は何人だ」

 

「七千を超えた」

 

「五千ではなかったか」

 

「実業家へ聞け」

 

実業家は有料席の売上を数えていた。

 

「市場の反応は良好です」

 

「町が一つ来ているぞ!」

 

午前十時。

 

二機のTurが離陸した。

 

双発の音が飛行場全体を震わせる。

 

低空通過。

 

観客の帽子が飛ぶ。

 

子供たちが歓声を上げる。

 

二機は大きく旋回し、再び進入した。

 

単葉の主翼。

 

左右の発動機。

 

半ば格納された車輪。

 

一機が片方の発動機を絞る。

 

速度を保ちながら、ゆっくりと飛行場上空を通る。

 

場内放送が説明する。

 

「Turは左右いずれか一基の発動機に故障が発生した場合でも、条件によって飛行を継続できます」

 

少年が父親へ尋ねた。

 

「片方が止まっても帰れるの?」

 

「そうらしい」

 

「二つあるから?」

 

「そうだ」

 

少年は空を見上げたまま言った。

 

「じゃあ、遠くへ行けるね」

 

滑走路脇で聞いていた元白軍将校が、わずかに笑った。

 

 

昼前。

 

パン樽投下が始まった。

 

予定では十二樽だった。

 

ところが観客が増えた。

 

配るパンが足りない。

 

食品部門は樽を追加した。

 

「あと四樽積めます」

 

「積むな」

 

軍将校が言う。

 

「無料配布分が不足します」

 

「地上でこねろ」

 

元白軍将校が主翼下を見上げる。

 

「内側の架が空いている」

 

「黙れ」

 

「左右へ二つずつ」

 

「黙れと言った!」

 

実業家が計算した。

 

「追加分を焼けば、午後の有料販売にも対応できます」

 

「軍の機体だ!」

 

「本日は展示用途です」

 

「展示の意味を調べ直せ!」

 

結局、樽は増えた。

 

十二。

 

十六。

 

十八。

 

二十。

 

整備員が取付部と重量配分を確認する。

 

元ドイツ軍技術者は一樽ごとの重量を記録させた。

 

「まだ積める」

 

食品部門が言った。

 

「積まない」

 

「外側架が二つ空いています」

 

「翼端側は避けろ」

 

「では胴体下へ」

 

軍将校が叫んだ。

 

「パンを可能な限り積もうとするな!」

 

最終的に、樽は二十四個になった。

 

パン生地だけではない。

 

樽本体。

 

鉄帯。

 

固定具。

 

外輪。

 

布尾。

 

合計すると、誰も予想していなかった重量になった。

 

Turはゆっくり滑走を始めた。

 

発動機音が高くなる。

 

滑走路を長く使う。

 

軍将校が息を止める。

 

機体が浮いた。

 

重そうに、それでも確実に上昇する。

 

半引き込み脚が所定位置まで上がった。

 

観客席から大歓声が起きた。

 

元ドイツ軍技術者だけは、搭載表と離陸距離を見比べていた。

 

「待て」

 

誰も聞かなかった。

 

「総重量を出せ」

 

食品部門の帳簿係が数字を読み上げる。

 

技術者が計算する。

 

もう一度計算する。

 

軍将校が顔を見る。

 

「どうした」

 

「この外部搭載重量は」

 

数字を告げる。

 

軍将校は黙った。

 

元白軍将校が聞く。

 

「多いのか」

 

「現在、我が軍が実用している航空機の中で――」

 

技術者は飛んでいるTurを見上げた。

 

「最大級だ」

 

沈黙。

 

軍将校がゆっくり振り返る。

 

「パンで発見するな」

 

 

樽は予定区域へ次々と落とされた。

 

布尾を引きながら着地し、地面を転がる。

 

一個だけ妙な方向へ進んだが、元白軍将校が走り出す前に整備兵が止めた。

 

回収された生地は移動式窯へ運ばれた。

 

翼内で作ったバターを塗る。

 

高高度で冷やした果汁シャーベットを添える。

 

列ができた。

 

長い列だった。

 

志願受付より長かった。

 

軍将校は暗い顔で眺めていた。

 

「失敗ではない」

 

実業家が言った。

 

「子供はアイスへ並んでいる」

 

「その子供が機体を見ています」

 

「パンしか見ていない者もいる」

 

「十年後に思い出します」

 

「何をだ」

 

実業家は空になった樽を指した。

 

「飛行機が、自分たちの町へパンを持ってきたことを」

 

その日の志願者は、操縦士だけではなかった。

 

発動機を見ていた少年が、整備兵を希望した。

 

無線実演へ張り付いていた学生が、通信課程を尋ねた。

 

地図展示を見ていた少女が、写真測量の仕事について質問した。

 

農家の次男が、貨物機の操縦士になるには何年必要かと聞いた。

 

戦闘機ではない。

 

速さだけでもない。

 

大きな機械を動かす仕事。

 

人と荷物を連れて遠くへ行き、帰ってくる仕事。

 

双発機乗りという職業が、ようやく人々の目に見える形を持ち始めた。

 

 

夕方。

 

最後のTurが着陸した。

 

観客が臨時列車へ向かう。

 

飛行場には紙袋、木の匙、樽の跡、車輪の轍が残った。

 

元独立運動家は、臨時便所の不足数を数えていた。

 

軍将校は志願者名簿を持ってきた。

 

「操縦課程志望、四十三名」

 

「多いな」

 

「整備課程は九十一名」

 

「多すぎる」

 

「無線、観測、写真、輸送を含めると二百を超える」

 

元白軍将校が満足そうに頷く。

 

「見せれば来る」

 

元ドイツ軍技術者は別の紙を見ていた。

 

「パン樽搭載時の数値だが」

 

軍将校の顔が引き締まる。

 

「軍へ報告する」

 

「するしかない」

 

「爆弾へ換算できるか」

 

「形状、抗力、重心、投下順序を再検討すれば」

 

元白軍将校が口を開く。

 

「爆弾を樽へ――」

 

「言うな」

 

三人が同時に止めた。

 

実業家は既に広告原稿を書いていた。

 

町一つ分の朝食を運ぶ翼――WILK Tur

 

軍将校が紙を奪う。

 

「軍最大級の搭載力を食品広告へ使うな!」

 

「最大級とは書いていません」

 

「町一つ分と書いてある!」

 

「印象表現です」

 

その横で、元独立運動家が静かに尋ねた。

 

「次回もやるのか」

 

全員が止まった。

 

実業家が答えた。

 

「鉄道会社から、秋季開催の提案が」

 

元独立運動家は目を閉じた。

 

「次はいつだ」

 

「三か月後です」

 

「便所を倍にする」

 

「航空機ではなく、そこからなのか」

 

軍将校が聞く。

 

元独立運動家は怒鳴った。

 

「空を飛ばす前に、地上をどうにかしろ!」

 

こうしてWILK最初の航空祭は成功した。

 

双発機志願者は増えた。

 

整備員も増えた。

 

食品部門の注文も増えた。

 

そしてポーランド軍は、主として輸送、偵察、連絡、救難、試験及び雑務へ使用していた一機の双発機が、国内最大級の外部搭載能力を持つことを知った。

 

その発見に使われたのは、爆弾ではなかった。

 

二十四個の、パン生地入りの樽であった。

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