WILK ―忘れずの故郷―   作:ヒツジ(ラム肉

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WILK航空技術学校・教材編纂委員会第一回会議記録より抜粋

議題一。
双発航空機操縦教本の構成について。

議題二。
航空機整備教本の用語統一について。

議題三。
教官用教育実施要領の策定について。

議題四。
教材の製本強度について。

決定事項。

一、本文は技術的正確性を優先する。
二、現場注、事故例及び簡易な比喩を併記する。
三、学生が理解したか否かは、口頭返答ではなく実演によって確認する。
四、応急処置と恒久修理を明確に区別する。
五、教本は油、水、泥及び通常の落下に耐える構造とする。

追記。
「通常の落下」に、会議中の机上への叩きつけを含むかについては、意見が分かれている。


第49話 教科書は机を叩くために作るな

学校が開けば、教科書が要る。

 

当たり前の話だった。

 

ところがWILK航空技術学校には、正式な教科書がなかった。

 

軍から借りた操縦教範。

 

ドイツ語で書かれた発動機説明書。

 

ロシア帝国時代の航法手引。

 

フランス製計器の取扱書。

 

工場職人が自分用に書いた作業帳。

 

前線から戻った整備兵の覚え書き。

 

紙片。

 

黒板。

 

口伝。

 

そして、元白軍将校が学生の肩を叩きながら教える、言葉にしにくい何か。

 

それらすべてが教材だった。

 

「統一する」

 

元ドイツ帝国軍技師が言った。

 

机の上には、異なる大きさ、異なる言語、異なる時代の資料が積み上がっている。

 

「何を」

 

ポーランド軍将校が聞いた。

 

「全部だ」

 

「無理だ」

 

「必要だ」

 

「資料の前提が違う。機体も違う。発動機も違う」

 

「だから共通部分を抜き出す」

 

元白軍将校が椅子へ深く座った。

 

「学生へ機体を触らせればよい」

 

「触る前に読ませる」

 

「読んだだけでは飛べん」

 

「触っただけでは理由が分からん」

 

「飛んでから教える」

 

「飛ぶ前に教えろ!」

 

元独立運動家は、二人の間へ紙を置いた。

 

「両方やる」

 

実業家が帳簿を開く。

 

「何部作りますか」

 

四人が彼を見る。

 

「まだ一行も書いていない!」

 

軍将校が怒鳴った。

 

「印刷部数で仕様が変わります」

 

「内容を先に決める!」

 

「内容を決めてから高すぎると判明するより、先に予算を――」

 

元白軍将校が資料の束を持ち上げた。

 

「これで殴れば黙るか」

 

「教材で人を殴るな」

 

元独立運動家が取り上げた。

 

第一回教材編纂会議は、開始から七分で停止した。

 

 

最初に決めるべきは、誰が書くかだった。

 

軍将校が黒板へ役割を書いた。

 

操縦及び実地運用――元白軍将校

 

機体構造、発動機、整備及び技術監修――元ドイツ帝国軍技師

 

軍教育課程、試験基準及び用語統一――ポーランド軍将校

 

編集、平易化、教育制度及び使用者試験――元独立運動家

 

印刷、製本、原価及び配布――実業家

 

元白軍将校が黒板を見る。

 

「私は文章を書くのか」

 

「お前の経験を残す」

 

軍将校が答えた。

 

「口で教える」

 

「お前が死んだら終わる」

 

部屋が一瞬だけ静かになった。

 

元白軍将校は黒板から目を逸らさなかった。

 

「縁起でもないな」

 

「戦争を経験した者が言うな」

 

元ドイツ技師が資料を開く。

 

「口伝では、教えるたびに内容が変わる」

 

「状況が違えば変える」

 

「変えてよい部分と、変えてはいけない部分を分ける」

 

「それをお前が書くのか」

 

「お前が話せ。私が確認する」

 

元独立運動家が続けた。

 

「軍将校が授業の順番へ直す。私が学生へ読ませる」

 

実業家が言う。

 

「私は売れる形へします」

 

軍将校が振り返る。

 

「売るな」

 

「印刷費を回収します」

 

「学校と軍へ配る教本だぞ」

 

「民間向けから機密部分を除けば売れます」

 

「一行も書く前から版を増やすな!」

 

 

最初に作られた原稿は、片発飛行についてだった。

 

元ドイツ技師が書いた。

 

双発航空機において一方の推進機関が停止した場合、推力の非対称により偏揺れモーメントが発生する。操縦者は方向舵及び必要に応じ補助翼を使用し、飛行速度を規定値以上に維持しつつ――

 

元白軍将校が三行で読むのをやめた。

 

「長い」

 

「正確だ」

 

「学生は墜ちる」

 

「これを読んだから墜ちるのではない」

 

「読み終わる前に墜ちる」

 

「飛行中に読むな!」

 

白軍将校は鉛筆を取り、下へ書いた。

 

片方が止まったら、飛んでいる方に機体を振り回される。

速度を落とすな。

先に真っ直ぐ飛ばせ。故障探しはその後だ。

 

技師が読む。

 

「“飛んでいる方に振り回される”は曖昧だ」

 

「分かる」

 

「どちらへ機首が向くか、誤解する」

 

「教官が見せる」

 

「教官によって説明が変わる」

 

軍将校が二枚の原稿を並べた。

 

「本文と現場注に分ける」

 

「どちらが本文だ」

 

二人が同時に聞いた。

 

「技師の文章を正式説明にする。白軍の文章を最初の注意欄へ置く」

 

元独立運動家が首を振る。

 

「順番は逆だ」

 

「なぜ」

 

軍将校が尋ねる。

 

「学生は最初に、何をすべきかを知りたい。その後で理由を読む」

 

技師が反対する。

 

「理由を理解せず手順だけ覚えると、条件が変わった時に間違う」

 

「だから両方載せる。入口を先にするだけだ」

 

元白軍将校が頷いた。

 

「最初に分からせろ。次に正しくしろ」

 

技師は黙った。

 

数秒後、原稿を引き寄せた。

 

緊急時の初動

片発停止後は、まず機体を制御し、飛行速度を維持せよ。故障原因の確認は、機体姿勢を安定させた後に行う。

 

技術解説

推力の非対称により――

 

軍将校が言った。

 

「これなら試験項目へできる」

 

元独立運動家も頷く。

 

「これなら学生が最初の三行を読む」

 

元白軍将校が言う。

 

「馬車の例も入れろ」

 

技師が顔を上げる。

 

「航空教本に馬を書くな」

 

「二頭立ての片方が止まれば曲がる」

 

「飛行機は馬車ではない」

 

「農村出身の学生には分かる」

 

元独立運動家が余白へ書いた。

 

理解のための例

二頭立ての馬車で一頭だけが前へ進めば、車体は真っ直ぐ進まない。ただし航空機では、速度低下と失速に注意しなければならない。

 

技師は不満そうに読んだ。

 

「後半が必要だ」

 

「だから入れた」

 

「馬だけでは誤解する」

 

「だからお前が直した」

 

第一項目だけで、午前が終わった。

 

 

午後は整備教本だった。

 

机の上へ、亀裂の入った発動機架が置かれた。

 

第二号機が最初の補給飛行から戻った際に発見されたものと同じ型だった。

 

元ドイツ技師が黒板へ書く。

 

亀裂のある主要構造部品は交換を原則とする。

 

元白軍将校が続ける。

 

交換品がなければ補強して帰れ。

 

技師が振り返る。

 

「それを同じ行へ書くな」

 

「前線では必要だ」

 

「学生が平時にも補強で済ませる」

 

「だから帰還後に替えろと書く」

 

軍将校が尋ねた。

 

「どこまでを応急修理とする」

 

技師が亀裂を指す。

 

「部位、荷重、亀裂方向、飛行時間による」

 

「基準を」

 

「一つにはできない」

 

「では判断表を作る」

 

「判断できない者には作業させるな」

 

元独立運動家が口を挟む。

 

「判断できない者が、前線で一人になることもある」

 

技師が黙る。

 

元白軍将校が言った。

 

「だから、やってよいことと、絶対にやってはいけないことを分ける」

 

軍将校が黒板へ欄を作った。

 

原則

応急処置

禁止事項

帰還後の処置

記録事項

 

五人で埋めていく。

 

原則

主要構造部品に亀裂を発見した場合は、機体を飛行停止とし、部品を交換する。

 

応急処置

敵地または孤立飛行場からの帰還を目的とする場合に限り、技術責任者の判断により補強板を使用できる。

 

禁止事項

亀裂端を確認せず上から溶接すること。

亀裂を塗装で隠すこと。

修理記録を残さず運用へ戻すこと。

 

帰還後の処置

応急修理部品を取り外し、周辺構造を含め検査する。

 

記録事項

発見時刻、位置、長さ、飛行時間、補強方法、次回点検時刻。

 

元白軍将校が最後へ一行加えた。

 

応急修理は、修理の終了ではない。

 

技師が読む。

 

「残す」

 

軍将校が驚いた。

 

「そのままでいいのか」

 

「短い。正しい」

 

実業家が言った。

 

「表紙にも使えます」

 

「広告文ではない!」

 

 

教本作りは、書くことより削ることの方が難しかった。

 

元ドイツ技師は、例外をすべて書こうとした。

 

元白軍将校は、例外を教官の判断へ任せようとした。

 

軍将校は、全項目へ合格基準を求めた。

 

元独立運動家は、用語を知らない学生でも読めることを求めた。

 

実業家は、ページ数を減らそうとした。

 

「この図は必要ですか」

 

実業家が尋ねる。

 

「必要だ」

 

技師が答える。

 

「同じ発動機架の図が三枚あります」

 

「正常時、亀裂発生時、補強時だ」

 

「一枚へまとめられませんか」

 

「線が重なる」

 

「色分けを」

 

「印刷費が上がる」

 

軍将校が言う。

 

実業家は彼を見る。

 

「今、どちら側ですか」

 

「軍の予算側だ」

 

元独立運動家が図を学生へ見せた。

 

一枚へ三種類を重ねた図。

 

三枚へ分けた図。

 

「どちらが分かる」

 

学生十名のうち、九名が三枚を選んだ。

 

実業家は帳簿へ書いた。

 

「三枚にします」

 

軍将校が聞く。

 

「素直だな」

 

「事故の補償より紙の方が安い」

 

「最初からそう言え」

 

 

用語の統一では、さらに揉めた。

 

偏揺れ。

 

横滑り。

 

失速。

 

発動機架。

 

支持金具。

 

取付枠。

 

懸吊装置。

 

同じ部品を、軍、工場、外国人技術者、操縦士が別々の名で呼んでいた。

 

元独立運動家は黒板へ一覧を作った。

 

「この部品は」

 

元ドイツ技師が答える。

 

「発動機支持架」

 

元白軍将校が言う。

 

「発動機の腕」

 

軍将校が言う。

 

「軍書類では発動機架」

 

工場職人は、

 

「台座」

 

と呼んでいた。

 

実業家が尋ねる。

 

「全部書きますか」

 

「正式名を一つ決める」

 

軍将校が答えた。

 

元独立運動家が続ける。

 

「別名も索引へ入れる。現場で“腕”と言われても探せるようにする」

 

技師が渋い顔をする。

 

「誤った用語を残すのか」

 

「消しても現場では使う」

 

「なら教育で直す」

 

「直るまで事故を待つのか」

 

元白軍将校が笑った。

 

「発動機の腕でよい」

 

「よくない」

 

「折れた時に分かりやすい」

 

「折れることを前提に名付けるな!」

 

正式名称は発動機架となった。

 

索引には、

 

発動機の腕――発動機架を参照。

台座――発動機架を参照。

発動機支持架――発動機架を参照。

 

と記載された。

 

後に学生から、

 

「全部載っているので助かる」

 

と評価された。

 

技師だけが、最後まで不満だった。

 

 

教官用教育マニュアルは、元独立運動家が中心になった。

 

最初の見出しは、

 

学生に「分かったか」と聞くな。

 

軍将校が止めた。

 

「聞いてはいけないのか」

 

「聞くだけでは意味がない」

 

元白軍将校が頷く。

 

「兵士は分からなくても“分かりました”と言う」

 

「なぜだ」

 

「上官が聞くからだ」

 

「お前も上官だっただろう」

 

「だから知っている」

 

元独立運動家は続けて書いた。

 

学生が理解したか確認する場合、本人へ手順を説明させるか、実際に作業させること。

 

返答のみを理解の証拠としてはならない。

 

元ドイツ技師が一行加える。

 

作業結果が正しくても、偶然である可能性を考慮し、理由を説明させること。

 

元白軍将校も加えた。

 

説明ができなくても、まず動作を止めさせるな。安全を確保した後で理由を聞け。

 

軍将校が三つを並べる。

 

「順番を整理する」

 

完成した手順はこうなった。

 

一、教官が実演する。

二、学生へ実施させる。

三、危険がなければ、軽微な誤りは直ちに止めず、結果を観察させる。

四、学生自身へ異常と原因を説明させる。

五、教官が技術的理由を補足する。

六、再度実施させる。

七、記録する。

 

元白軍将校が満足そうに言う。

 

「死なない失敗は安い授業だ」

 

技師が即座に答える。

 

「その表現は載せない」

 

「分かりやすい」

 

「教官が危険を軽視する」

 

元独立運動家が考えた。

 

管理された失敗は教育となる。管理されない失敗は事故となる。

 

軍将校が頷く。

 

「これなら載せられる」

 

元白軍将校は不満そうだった。

 

「長い」

 

「お前の言葉を軍が使える形へした」

 

「味がない」

 

「教範に味を求めるな」

 

実業家が口を挟む。

 

「欄外へ元の言葉も載せれば、読者に印象が残ります」

 

全員が彼を見る。

 

「たまには役に立つな」

 

軍将校が言った。

 

「たまには余計です」

 

 

事故例の項目では、過去の記録が引っ張り出された。

 

発動機架の共振。

 

貨物扉の留め具破損。

 

片脚だけが所定位置まで上がらなかった事例。

 

左右で異なる発動機を積んだ一号機。

 

二号機の初飛行が緊急補給任務になった件。

 

パン生地樽の投下。

 

軍将校が最後の資料を除けた。

 

「これは教材に要らない」

 

元独立運動家が戻した。

 

「荷物固定と投下手順の事例だ」

 

「パンだぞ」

 

元ドイツ技師が記録を読む。

 

「重量物の転動、貨物扉付近の重心移動、投下後の姿勢変化。使える」

 

元白軍将校が言う。

 

「樽は丈夫だった」

 

「民家の屋根を抜いた」

 

「だから投下区域を広く取る必要がある」

 

軍将校は反論しようとした。

 

できなかった。

 

教本には、固有名詞を減らした形で載せられた。

 

事例十四 無減速重量物の投下

 

円筒形木製容器を低高度から投下したところ、着地後に予想以上の距離を転動した。二回目の任務では投下姿勢を安定させたが、投下地点の誤差により建物一棟の屋根を破損した。

 

容器は破損しなかった。

 

教訓

容器が壊れないことと、安全な投下に成功したことは同義ではない。

 

元白軍将校が言う。

 

「最後の一文はよい」

 

軍将校が睨む。

 

「お前へ向けて書いた」

 

 

原稿が増えた。

 

最初は一冊の予定だった。

 

やがて分かれた。

 

『双発航空機操縦及び地上取扱教範』

 

『航空機構造及び整備基礎』

 

『発動機点検・交換・応急処置手引』

 

『無線通信及び乗員間連絡要領』

 

『航空写真・地上基準観測実施要領』

 

『物資懸吊及び投下手引』

 

『航空技術教育実施要領』

 

軍将校は机の上の原稿を見た。

 

「増えている」

 

技師が答える。

 

「分野が違う」

 

「一冊ではなかったのか」

 

「一冊では厚すぎる」

 

実業家が冊数を数える。

 

「七冊なら、分冊販売ができます」

 

「売るな!」

 

「紛失時に一冊だけ補充できます」

 

「……それはよい」

 

「まとめて購入する場合は割引を」

 

「だから売るなと言っている!」

 

元独立運動家が教官用原稿を持ち上げた。

 

「これだけは別にする。学生へ見せない項目がある」

 

元白軍将校が覗く。

 

学生が教官へ過度に萎縮している場合の対応。

 

年長学生と若年教官の関係。

 

言語差による誤解。

 

同級生による失敗の嘲笑を放置しないこと。

 

戦争経験者が実戦例を語る際、学生へ必要以上の恐怖を与えないこと。

 

白軍将校が最後の項目を指した。

 

「これは私か」

 

「主にお前だ」

 

「事実を話している」

 

「死体の状態まで説明する必要はない」

 

「整備不良の結果だ」

 

「昼食前に話すな」

 

「覚える」

 

「食べられなくなる!」

 

技師が静かに言った。

 

「だが、構造破壊の説明には有効だ」

 

元独立運動家は二人の名前を余白へ書いた。

 

昼食後に限る。

 

 

試作版が完成した。

 

まだ印刷ではない。

 

原稿を写し、厚紙の表紙へ綴じただけのものだった。

 

元白軍将校が持ち上げる。

 

「薄い」

 

「試作だ」

 

実業家が答える。

 

「現場へ持っていけば、一週間で壊れる」

 

「試作だから壊れてよい」

 

元ドイツ技師が首を振る。

 

「壊れ方まで試験する」

 

実業家は、いくつかの製本見本を用意した。

 

紙表紙。

 

布張り。

 

革張り。

 

糸綴じ。

 

金属留め。

 

角金具付き。

 

軍将校が最も安い紙表紙を持つ。

 

「学校内ならこれでよい」

 

元独立運動家が水差しを取り、表紙へ少量の水を垂らした。

 

紙が染みた。

 

「雨で終わる」

 

「教室で使うと言った」

 

元白軍将校が油の付いた指でページをめくる。

 

黒い跡が付いた。

 

「整備教本は工場へ持っていく」

 

技師が背を大きく開く。

 

糊が剥がれた。

 

「机上専用だ」

 

実業家が言う。

 

「安い理由がお分かりいただけたかと」

 

最終候補は、厚手の紙、糸綴じ、布張り、角金具付きとなった。

 

軍将校が重量を測る。

 

「重い」

 

元白軍将校が答える。

 

「飛ばないから問題ない」

 

「学生が運ぶ」

 

「鍛えられる」

 

「教科書で鍛えるな」

 

元独立運動家は表紙を叩いた。

 

「丈夫だ」

 

実業家が価格表を出す。

 

「高いです」

 

「作れ」

 

四人が同時に言った。

 

実業家はため息をついた。

 

「最初からこの結論でした」

 

 

次の会議では、第一巻の章順を巡って喧嘩になった。

 

技師は構造の基礎から始めたかった。

 

白軍将校は緊急操作から始めたかった。

 

軍将校は軍の教育課程順を主張した。

 

独立運動家は学生が最初に触れる物から始めるべきだと言った。

 

実業家は印刷しやすいページ配分を主張した。

 

「最初は安全規則だ」

 

軍将校が言う。

 

「最初は飛行機がなぜ飛ぶかだ」

 

技師が言う。

 

「最初は触るな、回る物の前へ立つな、だ」

 

白軍将校が言う。

 

「最初は工具の名前だ」

 

元独立運動家が言う。

 

「最初は前書きを短くしてください」

 

実業家が言う。

 

全員が同時に喋り始めた。

 

「推力と揚力を知らずに――」

 

「プロペラの前へ立てば――」

 

「教育課程では――」

 

「農村出身者は“昇降舵”を――」

 

「前書きだけで十六ページ――」

 

軍将校が机の上の試作教本を持ち上げた。

 

そして叩きつけた。

 

どん。

 

水差しが揺れた。

 

鉛筆が一本転がった。

 

全員が止まった。

 

軍将校は教本へ手を置いた。

 

「一人ずつ話せ」

 

元白軍将校が表紙を見る。

 

「よい音だ」

 

元ドイツ技師は背を確認した。

 

「変形なし」

 

実業家が言う。

 

「耐久性の実証になりました」

 

元独立運動家が軍将校を見る。

 

「もう一度やるな」

 

「お前たちが黙ればやらん!」

 

会議は再開された。

 

第一章は安全規則。

 

第二章は航空機各部の名称。

 

第三章は飛行の基礎。

 

第四章から操縦操作。

 

緊急操作は、通常操作の直後へ置かれた。

 

元白軍将校が言う。

 

「最初からそうすればよかった」

 

軍将校は教本を再び持ち上げた。

 

「黙れ」

 

白軍将校は本当に黙った。

 

 

翌日。

 

元ドイツ技師が製本担当へ新しい試験項目を提出した。

 

表紙耐水試験。

油脂付着後の判読性試験。

背開閉五百回。

高さ一メートルからの落下試験。

角部衝撃試験。

机上水平落下試験。

 

軍将校が最後の項目を指した。

 

「これは何だ」

 

「昨日の使用条件だ」

 

「会議で叩いた件か」

 

「実際に起きた」

 

「通常使用ではない」

 

元白軍将校が言う。

 

「五人が使えば通常だ」

 

「通常にするな!」

 

実業家は試験費用を計算した。

 

「教本を十冊、壊れるまで試す必要があります」

 

軍将校が青ざめる。

 

「完成品を壊すのか」

 

技師が答える。

 

「壊れ方を知らずに配るのか」

 

「一冊が高いぞ」

 

実業家が少し笑った。

 

「ようやく私の気持ちがお分かりいただけましたか」

 

 

試作教本は、学生へ配られた。

 

十名。

 

農家出身。

 

鉄道員。

 

時計職人。

 

元兵士。

 

中等学校卒業者。

 

ドイツ語を母語とする工員。

 

ロシア語を主に話す移住者。

 

年齢も経歴も違う。

 

課題は、教本だけを使って地上訓練機の点検手順を説明すること。

 

最初の学生は、途中で止まった。

 

「“遊びを確認する”とは何ですか」

 

元独立運動家が記録する。

 

二人目。

 

図の番号と本文の番号を取り違えた。

 

三人目。

 

手順は理解したが、点検記録欄の書き方が分からなかった。

 

四人目。

 

「異常なし」とだけ書いた。

 

技師が尋ねる。

 

「何を見て異常なしと判断した」

 

「教本通りに」

 

「数値は」

 

「書いてありません」

 

原稿が回収された。

 

図の番号を大きくする。

 

「遊び」の用語解説を追加。

 

記録例を掲載。

 

「異常なし」だけではなく、測定値と確認箇所を書くよう改訂。

 

軍将校が言った。

 

「初版前から第二版になっている」

 

元独立運動家が答える。

 

「まだ初版ではない」

 

「何回直す」

 

「学生が間違える限り」

 

技師が言う。

 

「間違いがゼロになることはない」

 

「なら、危険な間違いが減るまでだ」

 

元白軍将校は学生の答案を読んでいた。

 

一枚へ赤い印を付ける。

 

「こいつはよい」

 

軍将校が見る。

 

「手順を一つ飛ばしているぞ」

 

「飛ばしたことへ自分で気づき、戻っている」

 

「合格か」

 

「訓練ならな」

 

技師も答案を見る。

 

「記録へ訂正理由を書いている」

 

元独立運動家が頷いた。

 

「隠していない」

 

その答案は、教官用マニュアルの事例へ載せられた。

 

誤りを犯さない者だけを評価してはならない。

誤りを発見し、安全に停止し、訂正し、記録できる者を評価せよ。

 

 

印刷前の最終会議。

 

机の上には、七冊分の原稿。

 

図版。

 

用語索引。

 

試験問題。

 

教官用設問。

 

事故例。

 

改訂履歴。

 

実業家が総額を読み上げた。

 

軍将校の顔が険しくなる。

 

「高い」

 

「丈夫にした結果です」

 

「角金具を減らせないか」

 

元独立運動家が試作教本を持ち上げた。

 

どん。

 

机へ置いた。

 

全員が止まる。

 

実業家が言う。

 

「今、交渉のために使いましたね」

 

「必要だった」

 

「角金具がなければ、机も表紙も傷みます」

 

「なら残す」

 

軍将校が答えた。

 

元白軍将校が笑う。

 

「実用性が証明された」

 

技師が表紙を確認する。

 

「角部に軽微な変形」

 

「記録するな!」

 

「改良できる」

 

「これ以上重くするな!」

 

実業家は帳簿へ書いた。

 

角金具厚さ、現行維持。

 

 

教本の第一版は、三か月後に完成した。

 

表紙は濃い布張り。

 

背は太い糸で綴じられた。

 

角には金属補強。

 

油の付いた手でも開きやすいよう、章ごとに厚い見出し紙が入っている。

 

重要な警告は太い枠。

 

図は大きく。

 

用語索引には、正式名だけでなく現場の呼称も載せた。

 

各章の末尾には、

 

よくある誤り

教官が確認すべき点

応急時の例外

記録すべき事項

 

が付いている。

 

扉ページには、著者名ではなく編纂者として四名が記された。

 

元白軍将校。

 

元ドイツ帝国軍技師。

 

ポーランド軍将校。

 

元独立運動家。

 

実業家の名はなかった。

 

軍将校が尋ねる。

 

「お前も委員だろう」

 

「私は印刷と製本です」

 

「費用も出した」

 

「著者ではありません」

 

「名前を出したくないのか」

 

実業家は裏表紙を指した。

 

小さな文字が刻まれている。

 

WILK印刷部製造。

無断複製の場合は正規代金を請求する。

 

軍将校は目を閉じた。

 

「十分に出ているな」

 

 

最初の教本が学校へ納入された日。

 

学生たちは、その重さに驚いた。

 

「重い」

 

「工具箱より軽い」

 

「教科書ですよ」

 

「工具と同じ場所で使う」

 

整備科の学生が一冊を作業台へ置く。

 

台が少し揺れた。

 

教本を脚の下へ入れようとする。

 

元ドイツ技師が遠くから叫んだ。

 

「本を台の下へ入れるな!」

 

学生が慌てて戻す。

 

元白軍将校が教本を片手で持つ。

 

「丈夫だ」

 

「投げるなよ」

 

軍将校が警告する。

 

「投げない」

 

「叩きつけるな」

 

「必要なら」

 

「必要はない!」

 

元独立運動家は、教室の後ろから学生たちを見た。

 

一人が片発停止の章を読む。

 

一人が図と実機を見比べる。

 

一人が用語索引を引く。

 

ヤンの息子は、応急修理の章を開いていた。

 

そこには、何度も会議で揉めた一文が載っている。

 

応急修理は、修理の終了ではない。

 

その下へ、別の枠。

 

失敗しただけでは罰しない。

ただし、失敗を隠した者は厳しく扱う。

 

学生はその二行をノートへ写した。

 

 

夕方。

 

五人は、完成した教本を一冊ずつ受け取った。

 

元白軍将校は、最初に重量を確かめた。

 

元ドイツ技師は、背を限界まで開いた。

 

軍将校は、誤植を探した。

 

元独立運動家は、学生の書き込み欄を確認した。

 

実業家は、製造番号を見た。

 

「五冊とも番号が連続しています」

 

軍将校が言う。

 

「記念品ではないぞ」

 

「原版管理用です」

 

元白軍将校が表紙を叩く。

 

「戦場へ持っていける」

 

技師が答える。

 

「工場にも」

 

独立運動家が言う。

 

「学校にも」

 

実業家が続ける。

 

「海外へも」

 

軍将校が睨む。

 

「まだ売るな」

 

「問い合わせが来ています」

 

「どこから」

 

「チェコスロヴァキアの工場学校と、フランスの航空会社から」

 

「なぜ完成を知っている!」

 

「市場調査です」

 

軍将校は教本を持ち上げた。

 

実業家が一歩下がる。

 

「製品を武器として使用しないでください」

 

「机へ置くだけだ」

 

どん。

 

五人が黙った。

 

軍将校は教本の上へ手を置いた。

 

「第一版は完成した」

 

元ドイツ技師が答える。

 

「既に訂正が三つある」

 

「明日から第二版か」

 

「増刷前に直す」

 

元独立運動家が学生から集めた紙を出した。

 

「質問も二十七件ある」

 

元白軍将校が椅子へ座る。

 

「では続きだ」

 

実業家が帳簿を開く。

 

「第二版は価格を少し上げます」

 

軍将校がもう一度、本を持ち上げた。

 

「待ってください。まだ何も決まっていません」

 

「なら黙れ」

 

教本が再び机へ置かれた。

 

どん。

 

背は割れなかった。

 

角金具も外れなかった。

 

文字も滲まなかった。

 

WILK航空技術教範は、航空機を飛ばすために作られた。

 

整備員を育てるために作られた。

 

事故を減らし、経験を失わず、次の世代へ渡すために作られた。

 

そして完成したその日から、五人の会議を成立させるためにも使われた。

 

後年、第一版の一冊が博物館へ収蔵された。

 

表紙中央には、用途不明の浅い凹みが何重にも残っていた。

 

当時の説明には、こう記された。

 

長期間の野外使用による損傷と推定される。

 

実際には違った。

 

その傷の大半は、戦場でも工場でもない。

 

WILK本社会議室の机で付いたものだった。

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