WILK製Turは、輸送、偵察、写真撮影、連絡、負傷者後送、物資投下及び地上攻撃において、一定の実用性を示した。
また、航空技術学校の開設により、操縦員、整備員、無線員及び観測員の継続的養成が開始されている。
よって、既存配備機及び訓練機とは別に、五十機を追加調達する。
納期は契約締結後十二か月以内とする。
なお、各機は可能な限り同一仕様とすること。
追記。
WILK社より、最後の一文について「可能な限り、では不足する」との異議が提出された。
五十機。
ポーランド軍将校は、その数字を三度読んだ。
一度目は、読み間違いを疑った。
二度目は、零が一つ多いのではないかと疑った。
三度目で、ようやく命令書を机へ置いた。
「五十機だ」
元白軍将校が顔を上げた。
「五十機?」
「そう書いてある」
「いつまでに」
「十二か月」
元ドイツ帝国軍技師が、差し出された書類を受け取った。
読む。
契約機数。
納期。
搭載装備。
軍用無線機。
写真機取付部。
担架固定具。
外部懸吊基部。
半引き込み式主脚。
発動機は軍支給。
交換可能な発動機架。
各型共通の貨物固定部。
そして最後。
各機は可能な限り同一仕様とすること。
技師は書類を閉じた。
「断れ」
軍将校が目を見開く。
「軍の正式発注だぞ!」
「だから断れ」
「なぜだ!」
「今の工場では作れない」
元白軍将校が窓の外を見る。
組立中のTur。
主翼の骨組み。
胴体へ布を張る職人。
発動機架を加工する工員。
「十機なら作れる」
彼は言った。
技師が首を振る。
「今のやり方なら、十機すべてが少しずつ違う」
「飛べばよい」
「五十機でそれをやれば、整備員が死ぬ」
軍将校が書類を叩く。
「軍は五十機を必要としている!」
「軍が必要としているのは、五十機分の部品を集めた五十種類の飛行機ではない」
技師は工場を指した。
「同じ手順で作り、同じ部品で直せる五十機だ」
実業家が契約案を読んだ。
「金額は悪くありません」
「お前は金額しか見ないのか」
軍将校が言う。
「納期も見ています」
「では無理だと分かるだろう」
「今の工場では」
実業家は穏やかに答えた。
元独立運動家が、発注書の人員想定欄を見る。
「増員は何人必要だ」
技師が答える。
「今のまま人数だけ増やせば、分からん」
「分からん?」
「人数を増やすほど遅くなる可能性がある」
元白軍将校が笑った。
「人が増えて遅くなるのか」
「教える者が作業から抜ける。工具が足りない。治具が足りない。測定器が足りない。材料置き場も足りない。部品番号を知らない者が増える」
「便所も足りない」
元独立運動家が言った。
軍将校が彼を見る。
「そこから始めるな」
「人数が増えれば最初に詰まる」
「航空機の話をしている!」
「航空機を作る人間の話だ!」
実業家が帳簿へ数字を書き始めた。
工場増築。
工具。
治具。
倉庫。
寄宿舎。
食堂。
浴室。
診療所。
学校増設。
便所。
軍将校は頭を抱えた。
五十機という発注書一枚で、また町が増え始めていた。
◇
その日の午後、最初の材料が届いた。
発注契約はまだ正式締結前だった。
だが実業家は、量産に備えて金属材料の確保を進めていた。
「早すぎる」
軍将校が言った。
「発注が確定してからでは遅れます」
「断れと言われたばかりだぞ」
「断るとしても、今後の生産には使います」
鉄道貨車三両。
鋼材。
帯金。
板材。
棒材。
締結金具用の材料。
発動機架や主脚取付部へ使う予定の鋼材には、検査証が付いていた。
規格。
引張強度。
炭素量。
熱処理記録。
製造所印。
書類上は、問題なかった。
元ドイツ技師は、荷下ろしされた鋼材の前へ立った。
一本を持ち上げる。
重さを確かめる。
表面を見る。
端を布で拭う。
小さな金槌で叩いた。
甲高い音。
もう一度。
少し位置を変える。
音が違った。
「止めろ」
荷役作業員が振り返る。
「何をです」
「この材料を工場へ入れるな」
実業家が近づいた。
「検査証には合格とあります」
「証書は飛ばない」
「輸送中に損傷しましたか」
「見ただけでは分からん」
軍将校も来た。
「何が悪い」
技師は一本の棒材を指す。
「切れ」
試験片を切り出した。
表面を磨く。
薬液を使って組織を見る。
簡易硬度試験。
曲げ。
再加熱。
別の材料と比較。
一時間。
二時間。
夕方になっても、技師は試験場を離れなかった。
元白軍将校が湯気の立つ茶を置いた。
「壊れるか」
「すぐには壊れない」
軍将校が言う。
「なら使えるのでは」
技師の顔が上がった。
「すぐには、だ」
かつて二号機の発動機架が共振した時と、同じ言い方だった。
軍将校は口を閉じた。
技師は試験片を曲げた。
一定の力までは耐える。
さらに力を加える。
表面に細い線が走った。
「熱処理が不均一だ」
「規定強度は」
実業家が尋ねる。
「静的試験なら満たす物もある」
「では何が問題です」
「反復荷重」
発動機の振動。
離着陸の衝撃。
脚の上げ下げ。
悪路飛行場。
重い荷物。
一度では壊れない。
十回でも壊れない。
だが数十時間、数百時間と繰り返せば、弱い部分から亀裂が生まれる。
「全部か」
軍将校が聞く。
「分からん」
「一部か」
「それも分からん」
「なら選別すれば」
「外見では選べない。証書にも出ていない。同じ炉の中でも場所によって違う可能性がある」
実業家が貨車を見る。
「三両分です」
「隔離しろ」
「代替材の到着には」
「隔離しろ」
技師の声は低かった。
だが工場内へよく響いた。
「この材料を使った工程を、全部止めろ」
◇
翌朝、WILK工場は止まった。
すべてではない。
木工。
布張り。
無線装置。
計器整備。
食品部門。
学校。
それらは動いていた。
だが発動機架、主脚取付部、兵装架基部、主要金具の加工は停止した。
旋盤が止まる。
プレスが止まる。
鍛造炉の火が落とされる。
作業員たちが集まった。
何が起きたのか。
誰かが寸法を間違えたのか。
外国人の班が失敗したのか。
材料を受け取った者が見落としたのか。
軍の発注が取り消されたのか。
噂は、機械より速く広がった。
元独立運動家は、工場中央の作業台へ上がった。
手には、前日に完成したばかりの説明書がある。
「作業を止める」
工員たちがざわめいた。
「対象は、昨日搬入された鋼材と、それを使用した加工品すべてだ」
「いつまでです」
誰かが聞く。
「検査が終わるまで」
「賃金は」
別の声。
「支払う」
ざわめきが少し弱くなった。
「材料を加工した班を処分しない。受入担当も処分しない。最初に異常を報告した者へ不利益を与えない」
「では誰が悪いんです」
若い工員が聞いた。
元独立運動家は答えた。
「それを決める前に、どこで止められなかったかを調べる」
「誰も悪くないということですか」
「違う。責任を探すことと、生贄を探すことは別だ」
工場が静かになった。
「故意に隠した者がいれば、厳しく扱う。記録を書き換えた者もだ。だが、異常を見つけた者を罰すれば、次から誰も報告しなくなる」
元ドイツ技師が作業台の下から言った。
「不良を出しただけで罰するな」
元独立運動家が振り返る。
技師は続けた。
「隠した者を罰せ」
軍将校は、その言葉を書き留めた。
◇
材料の追跡が始まった。
どの貨車から降ろされたか。
どの束に入っていたか。
どの番号を付けたか。
どの班へ渡ったか。
誰が切断したか。
どの機械で加工したか。
どの部品になったか。
どの機体へ取り付けたか。
第49話で完成した教本と作業記録様式が、いきなり使われた。
材料番号。
工程番号。
担当者。
検査者。
取付日時。
機体番号。
記録は完璧ではなかった。
だが、なかった頃より遥かにましだった。
若い検査員が帳簿を持って走ってきた。
「第二加工班へ十二本。第三班へ八本。脚部工場へ六本です」
軍将校が聞く。
「加工済みは」
「発動機架金具が二十八点。主脚支持金具が十六点。懸吊基部が二十四点」
「取付済みは」
検査員が別の帳簿を開く。
「組立中の四機へ、合計十九点」
元白軍将校が眉を上げた。
「全部分かったのか」
「一部、記録が抜けています」
技師が顔を上げる。
「どこだ」
「夜間班の締結金具四点。材料番号がありません」
「誰が作った」
「加工者は記録されています」
「呼べ」
夜間班の工員は、青い顔で来た。
若い男だった。
工場へ入って半年。
「材料番号を書かなかったのか」
技師が聞く。
「急いでいました」
「なぜ」
「翌朝までに必要だと」
「誰が言った」
班長が手を挙げた。
「私です」
軍将校が二人を見る。
「隠したか」
「いいえ」
班長が答える。
「記録は後で書くつもりでした」
元独立運動家が聞く。
「後で分からなくなった?」
「はい」
技師は二人をしばらく見た。
「処分はしない」
若い工員が息を吐く。
「だが四点は廃棄だ」
班長が言う。
「寸法は合っています」
「材料が分からん」
「使える可能性は」
「ある」
「なら――」
「使えない可能性もある」
技師は四点の金具を指した。
「記録のない部品は、良品であることを証明できない。航空機へは付けない」
班長は黙った。
技師は続ける。
「そして“後で書く”を禁止する。作業が終わる前に記録しろ」
軍将校が教本の余白へ書き込む。
記録は作業の後ではない。作業の一部である。
元白軍将校が覗き込んだ。
「よい言葉だ」
「お前の言葉ではない」
「だからよいのだ」
◇
材料検査は三日続いた。
引張試験。
曲げ試験。
硬度試験。
繰返し荷重試験。
加熱。
冷却。
切断面の観察。
元ドイツ技師は、ほとんど眠らなかった。
四日目の朝。
軍将校が試験室へ入ると、技師は椅子へ座っていた。
机の上には、折れた試験片が並んでいる。
「結果は」
「使わない」
「全部か」
「全部だ」
「一部は規格を満たしている」
「一部はな」
「選別は」
「試験した物だけなら可能だ。だが使う部品ごとに破壊試験はできん」
「納期が遅れる」
「遅らせろ」
軍将校は黙った。
工場の外では、止められた機械が並んでいる。
軍はTurを欲しがっている。
国境部隊。
写真偵察隊。
連絡部隊。
負傷者輸送。
航空学校。
どこも不足していた。
「今、必要なんだ」
軍将校が言った。
技師は折れた試験片を見ている。
「落ちる機体がか」
「全部が落ちるとは決まっていない」
「どれが落ちるか分からない機体を、全部飛ばすのか」
「戦場なら、それでも使うことがある」
入口から声がした。
元白軍将校だった。
彼は試験室へ入り、折れた材料を一本取った。
「前線なら飛ばす」
軍将校が彼を見る。
白軍将校は続ける。
「敵が来ていて、これしかなければな」
技師が顔を上げる。
「ここは前線ではない」
「だから止めろ」
二人の間に、それ以上の言葉は必要なかった。
◇
軍将校は椅子へ座った。
「以前にもあったのか」
技師は答えなかった。
「この材料だ。似たことを見た顔だ」
試験室の窓から、朝の光が入る。
折れた鋼材。
検査証。
製造所印。
技師は長く黙っていた。
「以前、止められなかったことがある」
元白軍将校も何も言わない。
「戦争中か」
「そうだ」
「何機落ちた」
「今は関係ない」
「関係あるから聞いている」
技師は一本の試験片を指で転がした。
「最初の一機で止めるべきだった」
低い声。
「二機目で疑うべきだった」
誰も動かなかった。
「三機目でも、書類は合格だった」
軍将校は、それ以上聞かなかった。
技師が何を見たのか。
誰が死んだのか。
彼自身がどこまで責任を負ったのか。
その話は、まだ語られなかった。
ただ、彼が工場全体を止めることを恐れない理由だけは分かった。
止める決断が遅れた時、何が起きるかを知っていた。
◇
実業家は、材料供給会社へ電報を送った。
感情的な文章ではなかった。
事実だけ。
納入番号。
検査証番号。
試験結果。
規格不適合の疑い。
使用停止。
第三者試験機関による再検査要求。
代替材の緊急手配。
輸送費負担。
再加工費。
操業停止費。
契約納期への影響。
軍への違約金相当額。
軍将校が文面を読んだ。
「返金を求めるのか」
「返金だけでは足りません」
「相手が不良を認めなければ」
「認めるまで証拠を送ります」
「認めたら」
「代替材、緊急輸送、再加工、停止中賃金、試験費用を負担させます」
「潰れるぞ」
「潰れない範囲で払わせます」
「慈悲深いのか厳しいのか分からんな」
実業家は契約書を閉じた。
「潰れれば払えません」
元独立運動家が聞く。
「この供給先を選んだのは」
「私です」
「検査証はあった」
「ありました」
「価格も極端に安くない」
「そうです」
「では予測できなかった?」
実業家は少し考えた。
「安く買ったのではありません」
「どういう意味だ」
「急いで買いました」
軍将校が言う。
「同じではないのか」
「違います。だから余計に悪い」
彼は帳簿の新しい頁を開いた。
主要材料は二社以上から調達する。
製造所検査証のみを受入根拠としない。
初回納入分は、WILK側で疲労試験を行う。
大量発注前に少量試験材を購入する。
契約へ材料追跡義務を加える。
実業家は、自分の失敗を契約条項へ変えた。
◇
止まった工場では、別の仕事が始まった。
元独立運動家は、工員を帰宅させなかった。
賃金を払いながら、再教育へ回した。
「材料が来るまで何をする」
工員が尋ねる。
「工場を直す」
「機械は壊れていません」
「仕組みを直す」
作業台の整理。
工具の番号付け。
測定器の校正。
治具の検査。
部品棚の再配置。
材料ごとの色帯。
工程票の見直し。
夜間班の記録方法。
不良品置き場。
保留品置き場。
良品置き場。
これまで同じ棚の別段に置いていた物を、別区画へ分ける。
「不良品へ赤札」
「赤は軍の緊急品にも使っています」
軍将校が言う。
「では黄色」
「食品部門が使っている」
元独立運動家が答える。
「なぜ食品部門が黄色を」
「発酵中だ」
「では青」
実業家が言う。
「輸出向け部品に使っています」
元白軍将校が提案した。
「不良と大きく書け」
全員が止まった。
元ドイツ技師が頷く。
「それでよい」
軍将校が驚いた。
「色分けの議論は」
「文字の方が間違いにくい」
不良品置き場には、大きな札が付いた。
使用するな。
理由を確認せよ。
元白軍将校が下へ追加した。
持っていくな。
元独立運動家がさらに加えた。
勝手に直して良品へ戻すな。
軍将校が最後に書いた。
記録なしに移動させた者は処分する。
実業家は札の裏へ小さく印刷部門の番号を入れた。
誰も止めなかった。
◇
教本も改訂された。
第49話で完成したばかりの第一版。
まだ新しい。
表紙の布にも油染みが少ない。
だが既に追補が作られた。
材料受入及び追跡要領
一、納入証明書を確認する。
二、束ごとにWILK管理番号を付す。
三、材料番号を切断後の各部材へ転記する。
四、加工記録へ材料番号を記載する。
五、取付記録へ部品番号を記載する。
六、記録できない場合、その部品を使用してはならない。
元白軍将校が読んだ。
「長い」
技師が答える。
「必要だ」
「一行でよい」
「何と書く」
白軍将校は鉛筆を取った。
どこから来たか分からない部品を、空へ持っていくな。
元独立運動家が頷く。
「最初にそれを置く」
軍将校も反対しなかった。
実業家だけが言った。
「供給会社へ見せる版では少し表現を――」
軍将校が教本を持ち上げた。
実業家は黙った。
教本が机へ置かれる。
どん。
「追補第一号、採用」
角金具は無事だった。
◇
軍から催促が来た。
五十機調達案について、早急に受諾可否を回答されたし。
軍将校は四人を会議室へ集めた。
机の中央には発注書。
その横には、不良鋼材の試験片。
さらに新しい工場配置図。
「どうする」
元白軍将校が言う。
「受ける」
技師が答えた。
「今のままでは受けない」
実業家が契約案を出す。
「納期を変更します」
「軍は一年を要求している」
「十機ずつ、五回に分けて納入します」
元独立運動家が人員計画を置く。
「増員も段階的にする。最初の十機に必要な人数を先に育てる」
元白軍将校が言う。
「十機あれば、一個部隊を作れる」
技師が続ける。
「最初の十機を運用させる。問題を次の十機へ反映する」
軍将校は書類を見る。
第一回生産ロット、十機。
第二回生産ロット、十機。
第三生産ロット、十機。
第四生産ロット、十機。
第五生産ロット、十機。
各生産ロットで受入検査。
一定時間の飛行試験。
部隊運用報告。
工程改訂。
共通部品率の確認。
「これでは五十機が全部同じにならない」
軍将校が言う。
「同じにする」
技師が答える。
「途中で改良するのだろう」
「重大な変更は次の型とする。安全上必要な改修は、前の機体にも戻って適用する」
「部品が変われば」
「改修記録を残す」
「軍の整備現場が混乱する」
「だから勝手に変えない」
これまでのWILKは、必要に応じて機体ごとに改造してきた。
一号機。
二号機。
その後のTur。
どれも似ている。
だが細部は違う。
発動機。
計器。
配管。
金具。
貨物扉。
脚の操作。
今後は、それでは済まない。
「型式を固定する」
技師が言った。
「Tur A.3量産標準型」
軍将校が書き取る。
「変更する場合は」
「変更理由、対象機、必要部品、作業時間を記録する」
元独立運動家が加える。
「工場だけで決めない。学校と軍整備部隊へ先に知らせる」
実業家も言う。
「下請けにも同じ図面を配布します」
元白軍将校が首を傾げた。
「現場で困れば変えてよいだろう」
技師が彼を見る。
「変えてよい」
軍将校が驚く。
「よいのか」
「ただし、変えた者は理由と結果を報告する。よければ標準へ入れる。悪ければ戻す」
「前線改造も認める?」
「禁止してもやる」
元白軍将校が笑った。
「よく分かってきたな」
「だから記録させる」
◇
最大の問題は、五人の目が届かなくなることだった。
これまで、元ドイツ技師は重要部品を自分で見た。
元白軍将校は試験飛行へ乗った。
軍将校は軍向け機を一機ずつ確認した。
元独立運動家は工員の家族まで把握した。
実業家は主要契約を自分で交渉した。
五十機では無理だった。
「検査員を増やす」
技師が言った。
「誰を」
「工員から選ぶ」
「腕のよい者を作業から抜くのか」
「必要だ」
元白軍将校が聞く。
「検査員は嫌われるぞ」
「嫌われても見る」
元独立運動家が言う。
「嫌われる者だけを選ぶな。説明できる者を入れろ」
「検査に説明が要るか」
軍将校が聞く。
「不良の理由を説明できなければ、工員は隠すようになる」
技師が少し考えた。
「正しい」
検査員の権限も決められた。
異常を発見した場合、班長の許可なしに工程を止めてよい。
停止理由を記録する。
誤報であっても、悪意がなければ処分しない。
工程停止による損失を、報告者個人へ負わせない。
「若い検査員でも止められるのか」
軍将校が尋ねる。
「止められる」
「熟練工が反対しても」
「止める」
「納期直前でも」
「止める」
実業家が帳簿を見る。
「高くつきます」
技師が答える。
「墜落より安い」
実業家は頷いた。
「採用します」
軍将校が彼を見る。
「今日は素直だな」
「保険会社も同意します」
「そちらか!」
◇
代替材料は、八日後に届いた。
二社から。
一社は国内。
一社はチェコスロヴァキア。
どちらも少量ずつ先行納入。
まず試験。
証書を読む。
切る。
曲げる。
繰り返し荷重を掛ける。
低温へ晒す。
加熱する。
寸法を測る。
一社目は合格。
二社目は、一部の棒材に寸法ばらつき。
軍将校が聞く。
「不合格か」
技師が答える。
「材料強度はよい。加工前に寸法選別をする」
「使う?」
「使える範囲で使う」
元白軍将校が言う。
「前より柔らかくなったな」
技師が睨む。
「不良と、ばらつきは違う」
「どちらも違う物だ」
「違い方を見ろ」
この言葉も教本へ加えられた。
規格から外れている物を、すべて同じ理由で捨てるな。
何が違い、どこへ使えず、どこなら使えるかを確認せよ。
ただし、確認できない物は使うな。
◇
工場が再び動き始めた。
だが以前とは違った。
材料には番号。
部品にも番号。
工程票が付く。
加工後に測定。
測定値を記録。
次工程へ渡す時、受領者が確認。
不良は別区画。
保留品はさらに別。
図面変更には日付と署名。
古い図面は回収。
「面倒だ」
古参工員が言った。
「前は口で済んだ」
若い検査員が答える。
「前は十機もなかった」
「私は間違えん」
「あなたが休んだら、次の者は?」
古参工員は黙った。
やがて自分の作業台へ、古い治具を持ってきた。
「これも番号を付けるのか」
「付けます」
「図面はない」
「作ります」
「私しか使わん」
「だから作ります」
古参工員は文句を言いながら、治具の寸法を測り始めた。
二日後、その治具の図面が完成した。
一週間後、別の工員も同じ部品を作れるようになった。
◇
五十機の発注は、正式に受諾された。
ただし条件付き。
十二か月で一括納入ではない。
十機ずつ。
最初の十機は、契約後四か月。
以後、二か月ごとに一批。
軍は不満を示した。
参謀本部の担当者がWILKへ来た。
「五十機を一年で作れると聞いた」
軍将校が答える。
「五十機分の材料を一年で組み立てることはできます」
「同じではないのか」
元ドイツ技師が言う。
「違う」
「軍は数を必要としている」
「使える数か」
「当然だ」
「なら十機ずつ確認する」
担当者は工程表を見る。
「遅い」
元白軍将校が言った。
「十機あれば先に一個隊を作れる」
「残り四十機は」
「次に来る」
「敵は待たない」
白軍将校の顔から笑みが消えた。
「墜落も待たない」
部屋が静かになった。
技師が不良材料の試験片を机へ置く。
「これを使えば、予定より早くなる」
担当者が試験片を見る。
「危険なのか」
「どの機体が、いつ壊れるか分からない」
「使用時間を制限すれば」
「制限時間も分からない」
軍将校が言った。
「軍へ納入後、全機へ監視員を付けるより、工場で止める方が安い」
実業家も計算書を出した。
「分割納入なら、軍の支払いも分割できます」
担当者が顔を上げる。
「なぜそれを先に言わない」
軍将校が椅子からずり落ちそうになった。
結局、契約は承認された。
◇
第一生産ロット十機の製造が始まった。
部品番号。
材料番号。
作業班。
検査記録。
すべてが追跡された。
それでも問題は起きた。
左翼用の金具が右翼側へ運ばれた。
穴位置が似ている。
以前なら現場で削って合わせたかもしれない。
若い工員が止めた。
「図面と違います」
班長が言う。
「削れば入る」
「番号が違います」
「寸法は近い」
検査員が工程を止めた。
元白軍将校が見に来る。
金具を当てる。
「確かに入る」
元ドイツ技師も来る。
「だが力の掛かり方が違う」
軍将校が聞く。
「誰の不良だ」
元独立運動家が先に答える。
「置き場の不良だ」
左翼用と右翼用が、同じ棚の隣へ置かれていた。
札は小さい。
照明も暗い。
作った工員は正しい。
運んだ者も番号を見落とした。
組み付ける者が気づいた。
誰か一人の失敗ではなかった。
棚が分けられた。
札が大きくなった。
左用には三角の刻印。
右用には丸の刻印。
元白軍将校が言う。
「最初からそうしろ」
技師が返す。
「問題が起きる前に気づかなかった」
「では次は気づける」
「そのために記録する」
第一批は、こうして少しずつ遅れた。
だが同じ間違いは減った。
◇
軍将校は、毎日進捗表を見た。
一号機。
主翼完成。
二号機。
胴体配管。
三号機。
主脚取付。
四号機。
発動機待ち。
五号機。
貨物扉調整。
六号機。
無線配線。
七号機。
布張り。
八号機。
検査中。
九号機。
部品待ち。
十号機。
骨組み完成。
以前なら、機体ごとに状況が違いすぎて比較できなかった。
今は同じ工程表へ載っている。
遅れた場所が分かる。
足りない工具が分かる。
詰まっている班が分かる。
「四号機と九号機が遅い」
軍将校が言う。
「四号機は軍支給発動機待ち」
実業家が答える。
「軍のせいか」
「はい」
軍将校は咳払いした。
「九号機は」
「貨物扉の蝶番が不足」
「なぜ」
「下請けの工作機械が故障」
「代替は」
「別工場へ図面を送りました」
「いつ届く」
「三日後」
元独立運動家が言う。
「待っている班は学校の実習指導へ回す」
技師が頷く。
「無駄にするな」
元白軍将校が進捗表を見る。
「一号機だけ先に飛ばすか」
「十機同時に完成させる必要はない」
技師が答える。
「ただし一号機で見つかった問題は、残りへ戻す」
「それでは遅れる」
軍将校が言う。
「一号機だけ直して出す方が早い」
「十機全部で同じ問題を直す方が遅い」
軍将校は黙った。
量産とは、一機を早く作ることではなかった。
同じ失敗を五十回繰り返さないことだった。
◇
第一生産ロット一号機が完成した。
Tur A.3量産標準型。
単葉。
双発。
半引き込み式主脚。
貨物扉。
共通懸吊基部。
写真機取付部。
担架固定金具。
無線配線。
二基の発動機は軍から支給された同型。
一号機の頃のように、左右で音が違うことはない。
元白軍将校が操縦席へ座った。
元ドイツ技師が後席。
軍将校は地上で記録。
独立運動家は消防と救護の配置を確認。
実業家は保険書類を持っていた。
「なぜ保険書類を」
軍将校が聞く。
「量産第一号です」
「墜ちる前提か」
「墜ちない前提でも必要です」
発動機始動。
左右の音が重なる。
滑走。
離陸。
脚を半ば引き込む。
旋回。
片発出力低下。
復帰。
着陸。
問題はなかった。
正確には、大きな問題はなかった。
左貨物扉の閉鎖表示が、飛行中に一度だけ点滅した。
帰還後、配線を調べる。
接点のばねが弱い。
「一号機だけ交換するか」
軍将校が尋ねた。
技師が首を振る。
「十機すべて確認する」
九機のうち、三機で同じ部品が使われていた。
まだ取付前だった。
接点ばねの仕様を変更。
図面を改訂。
既に完成した一号機も交換。
「四機分で済んだ」
若い検査員が言った。
技師が答える。
「記録があったからだ」
教本の追補へ、新しい事例が加わった。
量産第一号機、貨物扉表示接点のばね圧不足。
対象部品番号から使用機を追跡し、全数交換。
元白軍将校が言う。
「教本がまた厚くなる」
軍将校が答える。
「机を叩くには十分だろう」
◇
四か月後。
第一生産ロット十機が、飛行場へ並んだ。
同じ形。
同じ塗装。
同じ主脚。
同じ貨物扉。
同じ取付部。
完全に同一ではない。
木材には個体差がある。
発動機にも癖がある。
職人の手も違う。
だが図面は同じ。
部品番号は同じ。
操作手順も同じ。
整備教本も同じ。
軍の受入班が、一機ずつ確認する。
部品を外す。
別の機体へ付ける。
合う。
貨物扉の留め具。
合う。
点検蓋。
合う。
主脚操作部品。
合う。
発動機架の補助金具。
合う。
軍将校が、その光景を見ていた。
「本当に同じだ」
技師が答える。
「同じになるよう作った」
「今までは」
「似せていた」
元白軍将校が一機の機首を叩く。
「どれに乗っても同じか」
「操作はな」
「癖は」
「ある」
「ならよい」
「なぜだ」
「全部まったく同じなら、機械ではない」
技師は少し考えた。
「それはそうだ」
◇
引渡式は、小規模に行われた。
航空祭のような観客はいない。
パン樽もない。
果汁アイスもない。
軍人。
工員。
学生。
家族。
第一批へ関わった者たちだけ。
軍将校が書類へ署名する。
十機。
残り四十機。
元独立運動家は、工員たちへ向けて話した。
「この十機を作ったのは、ここにいる者だけではない」
材料を検査した者。
棚を作り直した者。
記録票を印刷した者。
工具を校正した者。
止まった工場で教本を読み直した者。
不良を見つけて報告した者。
作業を止めた若い検査員。
賃金計算をした事務員。
食事を作った者。
増設した便所を掃除した者。
軍将校が小声で言った。
「最後まで入れるのか」
「必要だ」
「航空機引渡式だぞ」
「人間が作った」
実業家は第一批の支払書類を確認していた。
元白軍将校が尋ねる。
「感慨はないのか」
「あります」
「顔に出ないな」
「入金後に出ます」
元ドイツ技師は十機を見ていた。
一機目。
二機目。
三機目。
最後まで目で追う。
「どうした」
軍将校が尋ねる。
「同じだ」
「そうだな」
「今度は、止められた」
軍将校は彼の横顔を見た。
それが不良鋼材のことだけを指しているのか、過去の三機のことも含んでいるのか。
聞かなかった。
◇
十機が順番に離陸した。
一機。
二機。
三機。
同じ間隔で空へ上がる。
半引き込み脚が、次々と所定位置まで上がる。
地上の学生たちが見上げる。
整備科の者は発動機音を聞く。
操縦科の者は編隊間隔を見る。
写真科の者は光を考える。
無線科の者は交信を聞く。
教官たちは、その学生たちを見ていた。
五十機発注は、まだ五分の一だった。
工場も完成していない。
学校も狭い。
教官も足りない。
発動機は相変わらず外部頼み。
材料供給も安定したとは言えない。
それでも十機は飛んだ。
一機ずつ別々に作った十機ではない。
同じ図面。
同じ手順。
同じ記録。
同じ教本。
同じ失敗を繰り返さないための仕組みから生まれた十機だった。
◇
夕方。
五人は、第一批納入後の会議を始めた。
机の中央には、例の頑丈な教本。
その隣に第二批の工程表。
軍将校が尋ねる。
「残り四十機だ」
実業家が答える。
「第二批材料は既に半分届いています」
「検査は」
技師が言う。
「始めている」
元独立運動家が人員表を出す。
「新規採用四十八名。家族百三十一名。寄宿舎だけでは足りない」
軍将校が顔をしかめる。
「また町が増えるのか」
「人が来る」
「便所は」
「先に作った」
軍将校は少し安心した。
元白軍将校が工程表を見た。
「第二批では爆弾架を増やせないか」
技師が即答する。
「標準型を勝手に変えるな」
「共通基部がある」
「任務装備として付けろ。機体標準へ入れるな」
「装甲は」
「今は入れない」
「発動機が強くなれば」
「まだ存在しない発動機を当てにするな」
軍将校が教本を持ち上げた。
「一人ずつ話せ」
どん。
全員が止まる。
実業家が表紙を見る。
「第一版より凹みが増えました」
技師が角金具を確認する。
「問題ない」
元独立運動家が議事録を開く。
「第二批の改善点から始める」
元白軍将校が椅子へ座り直す。
「四十機もある」
軍将校が答える。
「まだ四十機だ」
技師は、工場の方を見た。
止めることのできる検査員。
記録を残す工員。
教本を読む学生。
番号の付いた材料。
同じ寸法の治具。
複数の供給先。
一機目の問題を、十機目までに直す工程。
「五十機を作れるか」
軍将校が、改めて尋ねた。
技師は答えた。
「今までのやり方では作れない」
「それは聞いた」
「だから変えた」
「では、作れるか」
工場では、第二批の主翼桁が加工され始めていた。
木工場では同じ型板が並ぶ。
金属工場では材料番号が読み上げられる。
検査員が測定値を書く。
学校では学生が部品図を学んでいる。
元独立運動家が新しい住宅区画を確認している。
実業家は次の支払と輸送契約を組んでいる。
元白軍将校は第二批の試験飛行計画へ、既に書き込みを始めていた。
技師は静かに言った。
「五十機を作るのではない」
軍将校が眉を寄せる。
「何を作る」
「五十機を作れる工場を作る」
◇
会社設立から、まだ数年。
WILKは最初の飛行機を、余った部品と借りた工具で作った。
二号機は、正式な初飛行より先に包囲部隊へパン生地を運んだ。
銃を吊った。
爆弾を積んだ。
負傷者を運んだ。
写真を撮った。
学校を作った。
教科書を書いた。
そして五十機を注文された。
工房の頃なら、五人がすべてを見られた。
工場になれば、見られない。
だから彼らは、自分たちの代わりに見る者を育てた。
自分たちの代わりに判断する規則を作った。
自分たちの代わりに記憶する記録を残した。
それは飛行機ではなかった。
だが、飛行機を飛ばし続けるために必要なものだった。
第一批十機の引渡記録の末尾には、元ドイツ帝国軍技師の筆跡で、短い一文が追加されている。
不良鋼材の使用なし。
追跡不能部品の使用なし。
全機、記録あり。
その下へ、元白軍将校が書き加えた。
全機、飛んだ。
ポーランド軍将校は、二つを消さなかった。
元独立運動家は、次版の教本へ載せた。
実業家は、その頁だけ複写して契約書類へ添付した。
こうしてWILKは、五十機の発注を受けた。
そして最初の十機を納めた時、ようやく一つの工場になった。