WILK ―忘れずの故郷―   作:ヒツジ(ラム肉

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――某国外務省・在ポーランド駐在武官補佐報告
一九二八年

調査対象は、WILK航空工業である。

確認された事業は以下の通り。

航空機製造。
航空機修理。
操縦士および整備員教育。
貨物輸送。
倉庫業。
印刷業。
住宅管理。
診療所運営。
食堂経営。
食品加工。
果実酒醸造。
蒸留酒製造。
近隣集落との定期輸送。

調査対象の選定に誤りがないか、本国へ照会中。

なお、現地調査員は選定に誤りなしと回答している。

「我々が間違えたのではない」

「向こうが増えたのである」


第61話 航空会社を調べたはずである

第61話 航空会社を調べたはずである

 

――某国外務省・在ポーランド駐在武官補佐報告

一九二八年

 

調査対象は、WILK航空工業である。

 

確認された事業は以下の通り。

 

航空機製造。

航空機修理。

操縦士および整備員教育。

貨物輸送。

倉庫業。

印刷業。

住宅管理。

診療所運営。

食堂経営。

食品加工。

果実酒醸造。

蒸留酒製造。

近隣集落との定期輸送。

 

調査対象の選定に誤りがないか、本国へ照会中。

 

なお、現地調査員は選定に誤りなしと回答している。

 

「我々が間違えたのではない」

 

「向こうが増えたのである」

 

 

ポーランド陸軍航空部の演習が終わってから、WILKを訪れる外国人が増えた。

 

軍服を着た者。

背広を着た者。

技師を名乗る者。

新聞記者を名乗る者。

何も名乗らず、外国武官の後ろを歩く者。

 

彼らの多くは、Turの性能を調べに来た。

 

最高速度。

実用上昇限度。

航続距離。

搭載量。

片発飛行性能。

武装搭載能力。

 

だが性能表を読んだ外国人たちは、決まって少し拍子抜けした顔をした。

 

Turは、世界最速ではない。

 

最も高く飛ぶわけでもない。

 

爆弾搭載量なら専用爆撃機に負け、速度なら単発戦闘機に負け、航続距離なら大型輸送機に負ける。

 

どの数字を見ても、恐るべき秘密兵器には見えなかった。

 

にもかかわらず演習では、WILK製航空機は飛び続けていた。

 

旧型機まで使われていた。

 

壊れた機体には部品と整備員が届いた。

 

不時着機は翌日回収された。

 

重爆撃機の乗員は、片発異常を察知すると早めに帰った。

 

滑空機は着陸地点が変わっても、搭乗員が目的地へ到着した。

 

計画が崩れても、航空隊全体は止まらなかった。

 

外国人たちは、機体の性能表を閉じた。

 

そして工場を調べ始めた。

 

 

「視察団が増えた」

 

ポーランド軍将校が会議室へ入るなり言った。

 

「見れば分かる」

 

元ドイツ帝国軍技師は、窓の外を見ずに答えた。

 

机には新しい発動機架の図面が広げられている。

 

「フランス人が二名。英国人が三名。ドイツ人が一名。アメリカ人が二名。身元の曖昧な者が四名だ」

 

「最後の四名は追い出せ」

 

「招待状を持っている」

 

「なら身元を明確にしろ」

 

「だから困っている!」

 

部屋の隅で、元白軍将校が紙袋を開いた。

 

中には固いパンと燻製肉が入っていた。

 

「見せてやればよい」

 

「何をだ」

 

「飛行機だ」

 

軍将校は彼を睨んだ。

 

「それ以外を見せたくないから困っているんだ!」

 

実業家が帳簿から顔を上げた。

 

「飛行機だけを見せるのは難しいでしょう」

 

「なぜだ」

 

「飛行機を見るには工場へ入ります。工場へ入れば食堂が見えます。食堂を見れば食品部門が見えます。食品部門を見れば倉庫が見えます。倉庫を見れば鉄道引込線が見えます」

 

元独立運動家が続けた。

 

「鉄道を見れば住宅が見える。住宅を見れば学校が見える。学校を見れば診療所が見える」

 

軍将校は額を押さえた。

 

「なぜ航空機工場を見るだけで町を一周することになる」

 

実業家が静かに答えた。

 

「町だからです」

 

「航空機工場だ!」

 

「それもあります」

 

 

元独立運動家は、その日の午後、ワルシャワへ手紙を送った。

 

宛先は、かつて独立運動を共にした議員だった。

 

外国人の出入りが増えたこと。

軍の正式な警備員を増やしすぎれば、工員が萎縮すること。

外国語を話す者や移動生活者が、無用に疑われる危険があること。

 

そして最後に一行。

 

人を見ることに慣れた者を一人よこせ。

ただし、人を怯えさせる者は要らない。

 

四日後、一人の男が工場へ来た。

 

古びた灰色の背広。

磨き直された靴。

細い革鞄。

 

元独立運動家が連れてきたその男を見て、軍将校が尋ねた。

 

「誰だ」

 

「知り合いの親戚だ」

 

「何の仕事ができる」

 

男が答えた。

 

「帳簿整理、来客対応、通訳を少々」

 

「軍歴は」

 

「ありません」

 

「警察関係は」

 

「ありません」

 

軍将校は元独立運動家を見た。

 

「本当か」

 

「知り合いの親戚だ」

 

「それは保証ではない!」

 

「私にとっては保証だ」

 

実業家だけが、男の靴を見た。

 

靴底には泥がついていなかった。

 

駅から工場まで歩けば、必ず赤土が付く道だった。

 

「迎えの車を?」

 

実業家が尋ねた。

 

男は一瞬だけ彼を見る。

 

「途中まで、荷馬車に乗せていただきました」

 

「どなたの?」

 

「知り合いです」

 

元独立運動家が笑った。

 

「親戚の知り合いだ」

 

軍将校は叫んだ。

 

「もういい!」

 

 

男は、外国視察団の案内補佐として働き始めた。

 

最初の二日間、何もしなかった。

 

質問を記録し、誰がどこを見たかを書き、通訳が訳した言葉をさらに紙へ写した。

 

三日目の夕方。

 

男は軍将校へ一枚の紙を渡した。

 

「フランス人技師二名は、Turの速度を一度しか尋ねていません」

 

「興味がなかったのだろう」

 

「代わりに、航空学校の年間卒業者数を五度尋ねています」

 

別の紙。

 

「英国人は、発動機交換時間と部品番号体系へ関心を示しました」

 

さらに一枚。

 

「ドイツ人は、翼桁そのものより検査具を見ています」

 

最後の一枚。

 

「アメリカ人は食堂へ二度行きました」

 

軍将校が眉を寄せた。

 

「それは諜報なのか」

 

「分かりません」

 

「分からんのか」

 

「食堂のパンを気に入っただけかもしれません」

 

元白軍将校が横から言った。

 

「よいパンだ」

 

男は続けた。

 

「ただし、二度目は食品部門の利益率を尋ねています」

 

実業家が静かに顔を上げた。

 

「誰に?」

 

「食堂会計係へ」

 

「それは失礼ですね」

 

「機密ですか」

 

「いいえ。質問する相手が違います」

 

男は初めて、わずかに笑った。

 

 

外国人たちは工場を調べた。

 

組立棟。

機械加工棟。

材料倉庫。

検査室。

教室。

整備実習場。

 

最初は順調だった。

 

ところが昼になると、全員が食堂へ連れて行かれた。

 

工場の見学者へ、食事を出さないわけにはいかなかった。

 

食堂では、工員、学生、教官、家族、貨物係、農家の納入者が同じ卓を囲んでいた。

 

外国人の一人が尋ねた。

 

「彼らは全員、航空機工場の従業員ですか」

 

案内係は少し考えた。

 

「半分ほどです」

 

「残りは」

 

「家族、学生、近隣農家、輸送業者、印刷所員、診療所職員です」

 

「なぜ同じ食堂に?」

 

「食事をするためです」

 

質問の意味が通じなかった。

 

別の外国人が、壁の掲示板を見た。

 

夜勤終了後輸送

北村行 二十三時十分

南市場行 二十三時二十五分

乗車希望者は食堂受付へ

 

「これは工員輸送ですか」

 

「主に」

 

「主に?」

 

「酒場の客も乗ります」

 

「会社の車両で?」

 

「途中まで同じ道ですので」

 

外国人は手帳へ書いた。

 

WILK社は従業員および酒客に対し、夜間輸送を提供している。

 

その記述が軍事的に何を意味するのか、本人にも分からなかった。

 

 

食後、アメリカ人調査員が食品部門の見学を求めた。

 

案内役は実業家へ確認した。

 

「どこまでお見せしますか」

 

「通常区域まで」

 

「企業秘密区域は?」

 

「見せません」

 

その言葉に、外国人たちの視線が鋭くなった。

 

航空機工場の食品部門。

その奥にある企業秘密区域。

 

どう考えても怪しい。

 

「航空燃料の研究ですか」

 

「違います」

 

「保存食?」

 

「一部は」

 

「特殊冷却設備?」

 

「ありません」

 

「では何を研究しているのです」

 

実業家は答えた。

 

「果実です」

 

沈黙が落ちた。

 

「果実?」

 

「はい」

 

外国人たちは、冗談を疑った。

 

だが二重扉の向こうから漂ってくるのは、確かに果実と酵母と酒精の匂いだった。

 

扉には大きく書かれていた。

 

企業秘密区域

火気厳禁

無許可立入禁止

創業者を含む

 

外国人が最後の一行を指差した。

 

「創業者も?」

 

軍将校が即答した。

 

「特定の一名だ」

 

その時、建物の裏側から金属音がした。

 

警備員の声が響く。

 

「止まれ!」

 

続いて、聞き覚えのある声。

 

「私だ!」

 

「誰だ!」

 

「私だと言っている!」

 

軍将校の顔が引きつった。

 

「またか」

 

外国人たちは窓へ寄った。

 

裏庭では元白軍将校が、小さな梯子を抱えたまま警備員二名に取り囲まれていた。

 

「何をしている!」

 

軍将校が窓から怒鳴った。

 

「屋根の排水を見るつもりだった!」

 

「梯子を置け!」

 

「品質確認も兼ねている!」

 

「何の品質だ!」

 

「緊急脱出だ!」

 

外国人たちは一斉に手帳を開いた。

 

 

警備記録が閲覧された。

 

酒造責任者は不本意そうに、過去半年の侵入未遂記録を机へ並べた。

 

裏口からの侵入、二件。

偽伝票による持ち出し、三件。

空樽への潜伏、一件。

合鍵製作未遂、二件。

屋根からの侵入、一件。

排水溝からの接近、一件。

 

外国武官が尋ねた。

 

「全て、外国工作員によるものですか」

 

「いいえ」

 

「産業スパイ?」

 

「いいえ」

 

「では犯人は」

 

酒造責任者は名簿を読み上げた。

 

工員。

教官。

樽職人。

食堂料理人。

元白軍将校。

 

外国武官はしばらく黙った。

 

「目的は?」

 

「蒸留酒『緊急脱出』の無断取得です」

 

「全件?」

 

「全件です」

 

軍将校が腕を組んだ。

 

「だから厳重に警備している」

 

外国人たちは納得した。

 

あまりにも具体的で、疑う余地がなかった。

 

二重施錠。

瓶番号。

開閉記録。

夜間巡回。

空樽の重量測定。

 

全て、飲兵衛対策として合理的だった。

 

企業秘密区域に軍事機密が隠されている可能性は、外国人たちの頭から急速に消えていった。

 

実際、航空機の設計図や試験記録は、軍監督下の別資料庫に保管されている。

 

普通の諜報員なら、そちらを狙う。

 

酒蔵にあるのは果実、酵母、製造記録、税務帳簿、出荷台帳だけだった。

 

少なくとも、そう見えた。

 

 

アメリカ人調査員だけは、酒そのものに興味を持った。

 

試飲卓へ並べられた瓶を眺める。

 

「飛行中止」

 

果汁だった。

 

「問題なし」

 

標準的な果実酒。

 

「高度不足」

 

甘く、酒精の低い酒。

 

「機関不調」

 

強く炭酸の入った果汁。

 

「視界不良」

 

濁りのある果実酒。

 

「ハードランディング」

 

胡椒の刺激が強い。

 

そして最後に、小さな杯へ注がれた透明な蒸留酒。

 

「緊急脱出」

 

調査員は口に含み、しばらく動かなかった。

 

「どうです」

 

実業家が尋ねた。

 

調査員は咳き込んだ。

 

「強い」

 

「注意書きにあります」

 

瓶には書かれていた。

 

高酒精。火気注意。

飛行勤務前の飲用禁止。

飲用後、機体から脱出しないこと。

 

「なぜ航空会社が酒を作るのです」

 

実業家は答えた。

 

「果実を運びました」

 

「それで?」

 

「味が変わりました」

 

「だから酒造を?」

 

「再現できるか試しました」

 

技師が横から言った。

 

「飛行による振動、温度、高度、樽位置を記録した」

 

「航空機で毎回運ぶのですか」

 

「それを提案した者はいる」

 

全員が元白軍将校を見た。

 

「却下した」

 

技師は続けた。

 

「現在は水槽、振動台、乾燥室、温度管理で再現している」

 

アメリカ人は奥の扉を見た。

 

企業秘密区域。

 

そこには新型航空兵器ではなく、温度計の付いた水槽、樽を揺らす振動台、乾燥棚、炭酸注入器、蒸留器があるらしい。

 

調査員は手帳へ書いた。

 

WILK社は飛行事故および輸送上の異常を食品加工条件へ転用している。

 

書いてから、自分でも意味が分からなかった。

 

 

同じ頃、酒造倉庫の裏口で、小さな取引が行われていた。

 

市場を巡る荷車の一団から、一人の女が来ていた。

 

酒造係は無印の小瓶を三本渡した。

 

一本には青い糸。

一本には糸がない。

一本には栓へ小さな切れ込みが二本。

 

「確認してください」

 

女は青糸の瓶を開け、指先へ一滴だけ落とした。

 

舐める。

 

「酒精混入か」

 

「そう聞いています」

 

「何人」

 

「一人。途中から乗ったそうです」

 

女は栓を戻した。

 

「なら北へは行かない。南市場を回る」

 

その会話を、灰色の背広の男が遠くから見ていた。

 

外国人視察団の案内補佐として来た、知り合いの親戚だった。

 

彼は女が去った後、酒造係へ尋ねた。

 

「特別注文ですか」

 

「古い取引先です」

 

「無印なのは?」

 

「向こうの希望です」

 

「青糸は何を?」

 

酒造係は首を傾げた。

 

「地方ごとに違うそうです」

 

「記録は」

 

「瓶数と代金と受取人だけです」

 

男は帳簿を見た。

 

無印小瓶 三本

青糸一本

南市経由

瓶返却不要

 

それ以上は何も書かれていなかった。

 

男は少し考えた後、帳簿を閉じた。

 

「軍事上の問題はなさそうですね」

 

実業家が背後から答えた。

 

「そうでしょう」

 

男は振り向いた。

 

「いつからそこに?」

 

「青糸の意味を尋ねたあたりからです」

 

「ご存じですか」

 

「知りません」

 

「調べないのですか」

 

実業家は帳簿を受け取った。

 

「私が知る必要はありません」

 

「取引先が独自の意味を持たせている」

 

「商品は、売った後まで統一できません」

 

「危険では?」

 

「何にとって?」

 

男は答えなかった。

 

実業家も、それ以上は説明しなかった。

 

 

その夜、外国視察団の報告書が書かれた。

 

フランス人は、WILK航空学校の卒業者数を記した。

 

英国人は、部品標準化と発動機交換時間を記した。

 

ドイツ人は、検査具と工程管理を記した。

 

アメリカ人は、食品部門の設備と果実酒の製法を記した。

 

身元の曖昧な者たちは、鉄道、発電設備、倉庫、工員数、夜勤体制を記した。

 

そして全員が、酒造倉庫についてほぼ同じ結論を出した。

 

警備は厳重である。

 

ただし過去の盗難未遂件数を考慮すれば妥当である。

 

軍事的重要性は低い。

 

蒸留酒「緊急脱出」は高品質である。

 

本国から返信が来た。

 

航空機会社の調査報告に、酒類の官能評価が含まれる理由を説明せよ。

 

現地調査員は短く返した。

 

現地では両者を分離することが困難である。

 

 

翌朝。

 

軍将校は外国人の残した質問票を机へ置いた。

 

「工場の月産能力。発動機在庫。学校の卒業者数。鉄道輸送能力。食品部門の利益。住宅戸数。酒の生産量」

 

元ドイツ技師は眉を寄せた。

 

「最後の二つは航空と関係ない」

 

実業家が答えた。

 

「住宅がなければ工員が来ません」

 

元独立運動家も続けた。

 

「食堂がなければ夜勤は続かん」

 

元白軍将校が言った。

 

「酒がなければ士気が落ちる」

 

軍将校は即座に返した。

 

「それだけは関係ない!」

 

元白軍将校は不満そうに、押収された梯子を見た。

 

「緊急時には要る」

 

「何の緊急時だ!」

 

会議室の扉が叩かれた。

 

灰色の背広の男が入ってくる。

 

「昨日の視察団について、少し気になる点があります」

 

軍将校の顔が真面目になった。

 

「何だ」

 

「彼らは航空機を調べに来ました」

 

「当然だ」

 

「ですが、途中から航空機を見なくなりました」

 

「何を見ていた」

 

男は窓の外を指した。

 

工場。

学校。

食堂。

住宅。

倉庫。

診療所。

鉄道。

酒場へ続く道。

 

「WILKが、何によって飛び続けているかです」

 

五人はしばらく黙った。

 

やがて元ドイツ技師が、図面へ視線を戻した。

 

「それは飛行機ではないのか」

 

男は答えた。

 

「どうやら、外国人たちはそう思わなくなったようです」

 

窓の外では、朝の始業鐘が鳴った。

 

工員が工場へ入り、学生が教室へ向かい、食堂の煙突から白い煙が上がる。

 

酒造倉庫の前では、警備員が元白軍将校から梯子を没収していた。

 

WILKは今日も、何事もなかったように動き始めた。

 

外国人たちは航空会社を調べたはずだった。

 

だが持ち帰った報告書には、飛行機よりも多くの人間と、建物と、パンと、酒が記されていた。

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