WILK ―忘れずの故郷―   作:ヒツジ(ラム肉

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――ポーランド軍情報部・非定型侵入計画評価記録
一九二八年

評価協力者。

WILK社創業者。
元白軍将校。

選定理由。

同人は過去一年間、同社酒造倉庫に対し、複数の異なる手法による侵入を反復して試みた。

確認された手法。

正門突破。
偽造伝票。
空樽潜伏。
内部協力者獲得。
合鍵作製。
清掃員への変装。
屋根、排水路、床下からの接近。
正規委員会設置による立入権限獲得。
航空試験を名目とした物品搬出。
夜間落下傘降下。

上記の各事例は、警備手順上の欠陥を発見し、その改善に寄与した。

付記。

同人の目的は、全事例において蒸留酒「緊急脱出」の取得であった。

本人には、本評価業務の正式な目的を通知しないこと。

理由。

軍務であると通知した場合、慎重になり、通常時の執着および創意を失う可能性がある。

報酬。

蒸留酒「緊急脱出」一杯。

二杯への増額要求は認めない。



第64話 侵入案は一度あの男に見せろ

「これは誰が書いた!」

 

ポーランド軍将校が、報告書を机へ叩きつけた。

 

灰色の背広を着た男は、向かい側の椅子へ静かに座っていた。

 

以前、元独立運動家が「知り合いの親戚」としてWILKへ連れてきた男である。

 

表向きの仕事は、外国人来訪者の記録整理と通訳補助。

 

実際には、軍情報部の人間だった。

 

「内容に誤りがありますか」

 

灰色背広が尋ねた。

 

「ある!」

 

「どの部分でしょう」

 

「全部だ!」

 

軍将校は報告書を指で叩いた。

 

「国家が、酒蔵へ忍び込む飲兵衛を軍務へ使うな!」

 

「まだ軍務とは伝えていません」

 

「そこではない!」

 

「正式な協力契約も締結していません」

 

「もっと悪い!」

 

灰色背広は淡々と書類を整えた。

 

「現時点では、個人的な相談として侵入計画へ意見を求めているだけです」

 

「軍施設の図面を見せたのか」

 

「実在施設の図面ではありません。複数施設を参考に作成した模擬配置図です」

 

軍将校は少しだけ安心した。

 

「ならよい」

 

「昨日、発電所案を見せました」

 

「よくない!」

 

扉が開いた。

 

元白軍将校が入ってくる。

 

片手には、軍情報部から渡された模擬配置図。

 

もう片方には、「問題なし」の瓶。

 

軍将校が瓶を指さした。

 

「なぜ持っている」

 

「考える時は酒が要る」

 

「飲むな」

 

「まだ開けていない」

 

「開ける気だろう」

 

「考え終わったらな」

 

灰色背広が尋ねた。

 

「案をご覧いただけましたか」

 

元白軍将校は配置図を机へ広げた。

 

「使えん」

 

軍将校は思わず灰色背広を見た。

 

「何の案だ」

 

「工事業者を装い、夜間に発電設備へ接近する案です」

 

元白軍将校は、図面の一角を指した。

 

「十人の作業班が夕刻に入る」

 

「はい」

 

「夜通し働く」

 

「その予定です」

 

「飯は」

 

灰色背広が黙った。

 

元白軍将校は続けた。

 

「工場の食堂を使うなら、十人増えた時点で食堂係が気づく。外から持ち込むなら門で量が多すぎると止められる。飯を食わずに働けば、現場の工員が変に思う」

 

灰色背広は手帳へ書き込んだ。

 

長時間作業における食事手配の不備。

食堂利用者数との整合確認が必要。

 

軍将校が顔をしかめる。

 

「そこを見るのか」

 

元白軍将校は答えた。

 

「腹を空かせた人間は目立つ」

 

「発電設備ではなく?」

 

「設備は人間が守っている」

 

灰色背広の筆が止まった。

 

この時点で、軍将校には分かった。

 

もう遅い。

 

軍情報部は完全に食いついている。

 

 

数日後。

 

WILK航空学校の空き教室で、第二回の評価が行われた。

 

黒板には模擬工場の配置図。

 

机には、軍情報部が作成した侵入計画書。

 

灰色背広の男と、若い防諜将校が二人。

 

元白軍将校は一番後ろの席へ座り、計画書を読んだ。

 

軍将校は監視役として壁際に立った。

 

「今回の案です」

 

若い将校が説明を始める。

 

「清掃作業員へ変装し、早朝の交代時刻に倉庫へ接近します」

 

元白軍将校は頁をめくる。

 

「清掃はどこから始める」

 

「正門側からです」

 

「なぜ」

 

「侵入口に近いため」

 

「駄目だ」

 

若い将校は眉を寄せた。

 

「理由を」

 

「正門側から洗えば、外の泥を奥へ運ぶ。清掃員なら逆だ」

 

「施設ごとに手順が違う可能性は」

 

「だから先に調べる」

 

「作業着と道具があれば、ある程度は――」

 

「桶を持つ手で分かる」

 

若い将校は黙った。

 

元白軍将校は、自分の右手を軽く上げた。

 

「毎日水の入った桶を持つ者は、指の皮が違う。箒もそうだ。靴もそうだ。服だけ盗んで清掃員にはなれん」

 

灰色背広が書く。

 

変装対象の作業習慣、身体的痕跡、道具使用法を事前に確認。

 

軍将校が呟いた。

 

「酒蔵で見破られた経験だな」

 

元白軍将校は答えた。

 

「私は桶を持っていない」

 

「一緒にいた工員が持っていた」

 

「なら工員の経験だ」

 

自分の失敗とは認めない。

 

 

第三案。

 

貨物箱へ工作員一名を潜伏させる。

正規納入便へ混載。

倉庫内へ搬入後、夜間に脱出。

 

元白軍将校は読み終える前に言った。

 

「一人では無理だ」

 

若い将校が身を乗り出す。

 

「箱が狭いからですか」

 

「外の状況が分からん」

 

「時計を持たせます」

 

「予定通りに荷物が動くと思うな」

 

「では合図を」

 

「箱の中から音を出すのか」

 

若い将校は黙る。

 

「御者役が要る。途中で荷車を止める者も要る」

 

「なぜ止めるのです」

 

「止まる理由がなければ、予定外の時間を作れん」

 

「車輪故障を装う?」

 

「車輪は本当に外せ」

 

「本当に?」

 

「偽物の故障は、修理工が見れば分かる」

 

若い将校が配置図へ書き込む。

 

元白軍将校はさらに続けた。

 

「潜伏者は箱の中へ入れるな」

 

「ではどこへ」

 

「二重床だ」

 

軍将校が口を挟む。

 

「空樽で失敗したからか」

 

「樽は量られた」

 

「箱も量られるぞ」

 

「だから重量表を先に変える」

 

灰色背広の男が顔を上げた。

 

「誰が変えるのです」

 

元白軍将校は当然のように答えた。

 

「事務員だ」

 

「事務員の協力が必要になる」

 

「だから一人では無理だと言った」

 

当初一名だった潜入計画が、御者、潜伏者、事務協力者、途中で事故を起こす者の四名作戦へ膨らんだ。

 

軍将校は腕を組んだ。

 

「酒蔵へ入りたいだけの時も、そこまで考えていたのか」

 

元白軍将校は少し考えた。

 

「酒蔵はもう重量を量る」

 

答えになっていなかった。

 

 

第四案。

 

夜間停電を発生させる。

警備および作業員の混乱を利用し、重要区画へ侵入。

 

元白軍将校は鼻で笑った。

 

「誰が混乱する」

 

「突然の停電です。誰でも――」

 

「毎日そこで働く者は、暗くても壁と機械の位置を知っている」

 

「工作員も事前に配置を覚えます」

 

「図面で覚えた歩き方と、毎日歩く者の歩き方は違う」

 

「暗闇なら見えないのでは」

 

「音がする」

 

若い将校は首を傾げた。

 

「何の音です」

 

「靴。工具。息。慣れた者は、暗くなれば自分の持ち場へ向かう。知らない者は一度止まる」

 

灰色背広が記す。

 

対象施設職員の暗所習熟を過小評価。

停電直後の行動遅延が侵入者識別につながる可能性。

 

「それに停電させる場所が悪い」

 

元白軍将校が図面を指した。

 

「この変電設備を止めれば、隣の住宅区も暗くなる」

 

「それが何か」

 

「子供が泣く。家族が外へ出る。人が増える」

 

若い将校は、初めて嫌そうな顔をした。

 

計画上には存在しない人間が、次々に増えていく。

 

労働者の妻。

 

子供。

 

食堂係。

 

夜勤の修理工。

 

近所の住民。

 

元白軍将校の中では、施設は壁と設備だけではなかった。

 

そこに暮らす者全てを含んでいた。

 

 

第五案。

 

警備員一名を金銭により獲得。

夜間巡回経路と鍵を提供させる。

 

元白軍将校は計画書を閉じた。

 

「誰を選んだ」

 

若い将校は人事資料を示した。

 

「子供が病気で、治療費を必要としている者です」

 

「悪い」

 

「買収対象としては適切では」

 

「金を渡せば妻が気づく」

 

「隠させます」

 

「病気の子供がいる家で、大金を隠す親を選ぶのか」

 

若い将校の表情が固まった。

 

元白軍将校は続けた。

 

「治療費を出すなら、医者を用意しろ。金だけ渡せば、病院で記録が残る。薬屋も覚える。近所も急に治療を始めたと知る」

 

「では別の警備員を」

 

「借金持ちは?」

 

「います」

 

「誰から借りている」

 

資料にはなかった。

 

「賭博は」

 

「確認していません」

 

「酒は」

 

軍将校が口を挟んだ。

 

「お前が聞くな」

 

「酒は人間を見るのに便利だ」

 

「お前の場合は飲むためだろう」

 

「両立する」

 

灰色背広は若い将校の資料を取り上げた。

 

「対象者の金銭事情だけでは不足、ということですね」

 

元白軍将校は頷いた。

 

「人間を買うなら、金を使った後まで考えろ」

 

教室が静かになった。

 

軍将校が元白軍将校を見る。

 

言い方が妙に慣れている。

 

灰色背広も同じことを感じていた。

 

 

休憩時間。

 

元白軍将校は窓辺で「問題なし」を飲んでいた。

 

軍将校が近づく。

 

「飲むなと言った」

 

「休憩中だ」

 

「一杯だけだぞ」

 

「これは弱い」

 

「強さの問題ではない」

 

少し離れた場所で、灰色背広と若い将校が話していた。

 

「酒蔵侵入だけで、あれほど分かると思いますか」

 

若い将校が尋ねる。

 

灰色背広は答えなかった。

 

元白軍将校は、警備員の買収案を見た瞬間、対象者の家庭、近所、病院、薬屋まで見た。

 

貨物潜伏では、時間のずれと外部協力者を考えた。

 

停電では、作業員だけでなく住宅区の家族を数えた。

 

これは酒蔵で数回捕まっただけの人間の考え方ではない。

 

「少し調べてみます」

 

灰色背広が言った。

 

軍将校は、その言葉を聞いた。

 

「何をだ」

 

「過去の経歴です」

 

元白軍将校は杯を止めなかった。

 

「何も面白いことはないぞ」

 

灰色背広が振り向く。

 

「ロシア内戦中、航空部隊に所属していた」

 

「いた」

 

「鉄道輸送にも関わった」

 

「人手が足りなかった」

 

「敵占領下へ入った経験は」

 

少し間があった。

 

元白軍将校は杯を置いた。

 

「似たことはある」

 

「何度ほど」

 

「覚えていない」

 

「成功率は」

 

「知らん」

 

「失敗した作戦も?」

 

元白軍将校は窓の外を見た。

 

航空学校の練習機が、地上滑走をしている。

 

「帰った回数なら覚えている」

 

灰色背広の男は、しばらく何も書かなかった。

 

 

軍情報部が確認できた記録は、少なかった。

 

ロシア内戦期の書類は、失われた物が多い。

 

残った物も、日付が違う。

 

部隊名が変わる。

 

証言者によって人数が異なる。

 

元白軍将校の階級すら、時期によって記載が揺れていた。

 

それでも断片はあった。

 

敵側へ渡った飛行場から、整備兵七名を回収。

 

使用不能機三機を焼却。

 

点火栓箱、工具、整備記録を搬出。

 

別の証言。

 

鉄道員を装い、閉鎖された駅から機関車と貨車を移動。

 

負傷兵四十名余り。

 

家族および避難民、人数不明。

 

さらに別の記録。

 

撤退路上の橋梁に設置された爆薬配線を切断。

 

部隊通過後、別経路から戻り再接続。

 

敵の追撃を遅延させた。

 

報告書には、当人の名がないものもあった。

 

ただし証言には、

 

馬に詳しい将校。

発動機を直せる大尉。

帰る道を先に決める男。

人を置いていかない白軍将校。

 

と書かれていた。

 

灰色背広は、元白軍将校本人へ記録を見せた。

 

「これはあなたですか」

 

「知らん」

 

「『発動機を直せる大尉』」

 

「他にもいただろう」

 

「『帰る道を先に決める男』」

 

「普通だ」

 

「普通ではありません」

 

元白軍将校は記録を返した。

 

「書いた者へ聞け」

 

「多くは所在不明です」

 

「なら分からん」

 

「報告書が残っていない理由は」

 

元白軍将校は少し考えた。

 

「報告先が先に消えた」

 

灰色背広は、それ以上聞かなかった。

 

 

数日後。

 

ポーランド軍将校は、軍情報部の建物へ呼び出された。

 

会議室には、元白軍将校の評価記録が置かれている。

 

表紙には新しい名称。

 

非定型侵入計画実地評価協力者

 

軍将校は読み上げた。

 

「長い」

 

灰色背広が答える。

 

「正式名称です」

 

「飲兵衛でよい」

 

「公文書には不適切です」

 

「酒泥棒は」

 

「さらに不適切です」

 

元白軍将校本人もいた。

 

「緊急脱出班でよい」

 

「よくない!」

 

軍将校と灰色背広の声が重なった。

 

情報部の上官が咳払いした。

 

「結論を申し上げます」

 

机には、これまで評価された侵入案が並んでいる。

 

清掃員変装。

貨物潜伏。

夜間停電。

内部買収。

工事業者偽装。

火災時の混乱利用。

 

どれも、元白軍将校の指摘で修正されていた。

 

「今後、重要施設への侵入案については、実行前に同人の評価を受けることとします」

 

軍将校が椅子から立ち上がった。

 

「正式採用するのか!」

 

「参考人としてです」

 

「国家が酒蔵侵入犯を!」

 

情報部上官は冷静だった。

 

「侵入犯ではありません。侵入未遂犯です」

 

「そこを厳密にするな!」

 

元白軍将校が尋ねた。

 

「報酬は」

 

「日当を支給します」

 

「酒は」

 

「業務終了後、一杯」

 

「二杯」

 

「一杯です」

 

元白軍将校は不満そうだった。

 

だが断らなかった。

 

軍将校は頭を抱えた。

 

「なぜ受ける」

 

「面白そうだ」

 

「国家の仕事だぞ」

 

「酒蔵より簡単かもしれん」

 

その場にいた情報部員全員が、少し傷ついた。

 

 

評価業務が始まると、元白軍将校は予想以上に面倒だった。

 

渡された案を、そのまま評価しない。

 

勝手に前提を変える。

 

「対象施設の門番は、全員同じ人物か」

 

「交代制です」

 

「なら勤務表を出せ」

 

「模擬計画です」

 

「模擬でも門番は寝る」

 

「一人目を買収します」

 

「二人目は」

 

「知りません」

 

「なら計画ではない」

 

別の案。

 

「郵便配達員へ変装します」

 

「犬は」

 

「何の犬です」

 

「門番の犬だ」

 

「資料にありません」

 

「では調べろ」

 

「犬がいなければ?」

 

「その時は考えなくてよい」

 

さらに別の案。

 

「工具箱へ撮影機材を隠します」

 

「工具は何を入れる」

 

「外見だけ整えます」

 

「持った時に軽い」

 

「重りを入れます」

 

「何の重りだ」

 

「鉄片を」

 

「工具箱の中で鉄片が鳴る」

 

「布で巻きます」

 

「使えと言われたらどうする」

 

情報部員たちは、一つの侵入案を作るたび、職業訓練を受けるようになった。

 

清掃員を装うなら床を洗う。

 

修理工を装うなら本当に修理する。

 

鉄道員を装うなら連結器を扱う。

 

事務員を装うなら書類の置き場所を覚える。

 

元白軍将校は言った。

 

「役になるな。仕事をしろ」

 

灰色背広が尋ねた。

 

「違いは」

 

「役は見られる。仕事は見られない」

 

情報部の教材へ、そのまま記録された。

 

 

WILKへ戻った夜。

 

元白軍将校の机には、手紙が積まれていた。

 

封筒の形も紙質も違う。

 

切手も違う。

 

ポーランド国内。

 

ドイツ。

 

チェコスロバキア。

 

ルーマニア。

 

バルト海沿岸。

 

差出人名のないものもあった。

 

灰色背広は、その日に届いた軍書類を持って事務室へ来た。

 

元白軍将校は一通目を開いている。

 

北の駅では、夜間貨物が増えた。

石炭の割当が減った。

軍人らしい客が宿へ三日続けて泊まった。

昔の機関士は病気だ。息子が代わりに働いている。

 

二通目。

 

南の橋は修理中。

荷車なら渡れる。自動車は難しい。

川が増える前なら、子供連れも通れる。

腕のよい旋盤工が仕事を探している。妻と子供三人。

 

三通目。

 

港で航空用燃料の価格を聞いて回る男がいた。

商人には見えない。

倉庫番号を尋ねたので追い返した。

こちらは問題なし。

 

灰色背広は、手紙を読んでいる元白軍将校を見た。

 

「誰からです」

 

「昔の部下だ」

 

「全て?」

 

「部下の知り合いもいる」

 

「なぜ各地にいるのです」

 

元白軍将校は当たり前のように答えた。

 

「そこで働いているからだ」

 

「WILKへ呼ばなかったのですか」

 

「呼んだ者もいる」

 

「残った者は?」

 

「残りたかった」

 

灰色背広は机の上の封筒を見た。

 

鉄道町。

 

港。

 

国境近くの農場。

 

修理工場。

 

宿屋。

 

「定期的に報告を受けている?」

 

「手紙だ」

 

「内容は軍事輸送、道路、橋、燃料、宿泊者、労働者の移動です」

 

「近況だ」

 

「これを情報網と呼びます」

 

元白軍将校は鼻を鳴らした。

 

「網なら、もっと魚が取れる」

 

灰色背広は一通を持ち上げた。

 

「北の駅で軍用貨物が増えたという情報です」

 

「石炭が減ったと書いてある」

 

「軍用列車に回された可能性がある」

 

「ならお前が調べろ」

 

「この旋盤工の件は?」

 

元白軍将校は手紙を取り返した。

 

「仕事があるか聞く」

 

「WILKへ呼ぶ?」

 

「家族ごとだ」

 

「入国手続きは」

 

「軍将校に頼む」

 

「正規に来られなければ」

 

元白軍将校は、机の引き出しから別の紙を出した。

 

地図ではなかった。

 

人名と町の名前が、短く並んでいる。

 

駅の男。

 

川沿いの農家。

 

馬車修理屋。

 

国境近くの宿。

 

「駅の男へ言えばよい」

 

灰色背広は紙を見た。

 

「駅の男とは?」

 

「昔の部下だ」

 

「農家は?」

 

「昔の部下の姉だ」

 

「宿屋は」

 

「昔助けた家族だ」

 

「どれだけいるのです」

 

「知らん」

 

「数えたことがない?」

 

「必要がなかった」

 

灰色背広は、しばらく元白軍将校を見ていた。

 

酒蔵へ落下傘で降りた男。

 

偽伝票を作り、空樽へ人を詰め、床下を掘ろうとした男。

 

その同じ男の机へ、各地から道と人間の情報が届いている。

 

しかも送っている者たちは、軍の諜報員ではない。

 

鉄道員。

 

農民。

 

修理工。

 

倉庫係。

 

宿屋の主人。

 

かつて一緒に逃げ、生き残り、その土地へ残った者たち。

 

「なぜ全員をWILKへ集めないのです」

 

灰色背広が尋ねた。

 

元白軍将校は返事を書きながら答えた。

 

「全員ここへ来たら、外に誰もいなくなる」

 

それ以上の説明はなかった。

 

 

返事は短かった。

 

仕事はある。

家族ごと来い。

正規の書類が取れるなら取れ。

取れなければ駅の男へ言え。

冬になる前に動け。

 

灰色背広が読んだ。

 

「これは入国支援ですか」

 

「仕事の紹介だ」

 

「国境を越える経路まで書いている」

 

「来られなければ働けん」

 

「軍へ届け出てください」

 

「来てから軍将校がやる」

 

「順番が逆です」

 

「来なければ順番もない」

 

ちょうどその時、ポーランド軍将校が部屋へ入ってきた。

 

「何が逆だ」

 

灰色背広が手紙を差し出した。

 

軍将校は読んだ。

 

一行目。

 

二行目。

 

三行目。

 

顔が険しくなる。

 

「駅の男とは誰だ」

 

元白軍将校は答えた。

 

「昔の部下だ」

 

「どこの駅だ」

 

「書けん」

 

「なぜだ!」

 

「手紙を落とした時に困る」

 

軍将校は一瞬黙った。

 

危機管理だけは正しい。

 

「正規の書類を優先しろ」

 

「そう書いてある」

 

「書類が取れない者を勝手に入れるな」

 

「まだ入れていない」

 

「入れる気だろう!」

 

「来ればな」

 

「事前に相談しろ!」

 

元白軍将校は次の封筒を開けた。

 

「相談する暇がある者は、正規に来る」

 

軍将校は反論しようとした。

 

できなかった。

 

 

その晩、さらに三通届いた。

 

一通は港から。

 

新しい船会社が倉庫を借りた。

荷の中身は不明。

若い運転手が仕事を探している。

 

一通は国境近くの農場から。

 

東側で取り締まりが強くなった。

女と子供だけなら、まだ通せる。

男は別にした方がよい。

 

一通は修理工場から。

 

元整備兵二名がいる。

一人は足を悪くしている。

家族を置いては行かないと言っている。

そちらに仕事があるか。

 

灰色背広は、元白軍将校が封筒を開けるのを黙って見ていた。

 

軍情報部へ戻った後、報告書を書いた。

 

評価協力者は、国外および国境地域に非公式な連絡網を有する可能性がある。

 

構成員は、ロシア内戦期の元部下、元協力者、その家族および知人と推定される。

 

連絡内容は、鉄道輸送、道路、橋梁、燃料、宿泊者、労働力および国境状況を含む。

 

当人は情報網の存在を否定している。

 

そこまで書いた時、伝令が新しい封筒を持ってきた。

 

元白軍将校宛て。

 

差出地は、また別の国境町だった。

 

灰色背広は報告書へ一行付け加えた。

 

なお、当人が否定している最中にも、国外三地点から状況報告が到着した。

 

 

翌朝。

 

元白軍将校は軍情報部へ呼ばれた。

 

机には新しい侵入計画書が置かれている。

 

灰色背広が説明した。

 

「郵便輸送へ紛れ、重要施設へ接近する案です」

 

元白軍将校は最初の頁を見た。

 

「駄目だ」

 

「まだ一頁目です」

 

「郵便袋が新しすぎる」

 

若い情報将校が袋を見た。

 

「新品を使った方が自然では?」

 

「毎日使う袋が新品のはずがない」

 

「汚せばよい」

 

「どこで汚す」

 

「泥を」

 

「郵便袋につくのは道路の泥だけではない。荷車の油、倉庫の埃、手の汗だ」

 

若い将校は、新しい袋を見下ろした。

 

元白軍将校は席へ座った。

 

「最初からやり直せ」

 

灰色背広が尋ねる。

 

「手紙の件ですが」

 

「どの手紙だ」

 

「国外から届くものです」

 

「多すぎて分からん」

 

「東の道が悪くなった、と昨日言っていましたね」

 

元白軍将校の手が一瞬止まった。

 

「少しな」

 

「何が起きています」

 

「まだ分からん」

 

「調べますか」

 

「いや」

 

「なぜ」

 

元白軍将校は郵便袋の縫い目を確認しながら答えた。

 

「向こうから書いてくる」

 

軍情報部の者たちは、誰も笑わなかった。

 

酒蔵へ侵入するための男だと思っていた。

 

だが彼が本当に持っていたのは、鍵でも偽造伝票でもなかった。

 

国が変わり、部隊が消え、制服を脱いだ後も、各地に残った者たちとのつながりだった。

 

元白軍将校自身は、それを組織とは呼ばない。

 

命令もない。

 

給与もない。

 

定期報告の義務もない。

 

ただ何かが変われば、誰かが手紙を書く。

 

道が閉じれば知らせる。

 

仕事を失った者がいれば知らせる。

 

家族ごと動きたい者がいれば知らせる。

 

そして必要なら、元白軍将校が返事を書く。

 

来い。

家族を置いてくるな。

道はある。

 

その日の評価記録には、新しい規則が追加された。

 

新規侵入計画は、机上審査終了後、元白軍将校による評価を受けること。

 

同人の評価を受けていない計画は、未完成とみなす。

 

余白には、誰かが鉛筆で書き込んでいた。

 

酒は一杯まで。

 

その下に、別の筆跡がある。

 

二杯が妥当。

 

さらにその下。

 

却下。

 

WILKの酒蔵警備は、国家の侵入計画を育て始めた。

 

そして酒蔵へ入ろうとしていた男の机には、各地から新しい道の知らせが届き続けていた。

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