WILK ―忘れずの故郷―   作:ヒツジ(ラム肉

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――WILK人事部・国外採用者到着状況報告
一九二八年

採用予定者。

旋盤工 一名。
同行家族 四名。

到着者。

旋盤工 一名。
同行家族 四名。
鍛冶工 一名。
元鉄道員 二名。
縫製工 一名。
児童 三名。

合計十二名。

人数増加の理由。

道中で同行者が増えたため。

追加報告。

当初採用予定であった旋盤工は、国境近くの修理工場に残留した。

残留理由。

次に来る者を案内できる人間が必要になったため。

現在、WILKへ到着した旋盤工。

別人。


第65話 道の途中に残る者

第65話 道の途中に残る者

 

――WILK人事部・国外採用者到着状況報告

一九二八年

 

採用予定者。

 

旋盤工 一名。

同行家族 四名。

 

到着者。

 

旋盤工 一名。

同行家族 四名。

鍛冶工 一名。

元鉄道員 二名。

縫製工 一名。

児童 三名。

 

合計十二名。

 

人数増加の理由。

 

道中で同行者が増えたため。

 

追加報告。

 

当初採用予定であった旋盤工は、国境近くの修理工場に残留した。

 

残留理由。

 

次に来る者を案内できる人間が必要になったため。

 

現在、WILKへ到着した旋盤工。

 

別人。

 

 

「別人とは何だ」

 

ポーランド軍将校は、人事報告書を机へ置いた。

 

置いたというより、落とした。

 

報告書の向こう側には、元独立運動家が座っている。

 

その隣に実業家。

 

元ドイツ帝国軍技師。

 

そして今回の原因である元白軍将校。

 

「旋盤工を一人呼んだはずだ」

 

軍将校が言った。

 

元白軍将校は頷いた。

 

「呼んだ」

 

「だが来ていない」

 

「途中に残った」

 

「なぜだ!」

 

「修理工場の主人が足を悪くした」

 

「それで?」

 

「次の連中が通れなくなる」

 

軍将校は報告書を見る。

 

「だから採用予定者を、中継地点へ置いてきたのか」

 

「本人が残ると言った」

 

「WILKへ来れば仕事があると誘ったのだろう!」

 

「向こうにも仕事があった」

 

「では、代わりに来た旋盤工は誰だ」

 

元白軍将校は少し考えた。

 

「途中の駅にいた」

 

「駅で旋盤工を拾うな!」

 

元ドイツ技師が口を挟む。

 

「腕はどうだ」

 

「昨日試した」

 

「結果は」

 

「軸受の当たりは見られる。刃物の研ぎは少し雑だ」

 

技師は頷いた。

 

「教えれば使える」

 

軍将校が振り向く。

 

「採用を確定するな!」

 

元独立運動家は、十二人分の書類を並べていた。

 

「もう宿舎へ入れた」

 

「早い!」

 

「子供が三人いる。外へ置いておけん」

 

実業家も帳簿を開く。

 

「前払給与と生活用品の貸付を設定しました」

 

「なぜ全員、受け入れる前提で動いている!」

 

四人は軍将校を見た。

 

元白軍将校だけが答えた。

 

「来たからだ」

 

 

最初に呼ばれた旋盤工は、ソ連国境に近い町で働いていた。

 

名前はWILKの記録には残された。

 

だが、この時点ではまだ社員ではない。

 

元白軍将校の昔の部下から届いた手紙には、こう書かれていた。

 

腕のよい旋盤工がいる。

工場が閉鎖され、仕事を失った。

妻と子供三人。

一人では動かない。

家族ごとなら西へ行く意思あり。

 

元白軍将校は返事を書いた。

 

仕事はある。

家族ごと来い。

正規書類が取れるなら取れ。

取れなければ駅の男へ言え。

冬になる前に動け。

 

旋盤工一家は動いた。

 

列車で国境近くまで。

 

そこから農産物運搬の荷車。

 

夜は修理工場の二階で眠った。

 

修理工場の主人は、元白軍将校とロシア内戦を一緒に抜けた男だった。

 

かつては航空部隊の整備兵。

 

今は馬車、自動車、農機具を何でも直している。

 

右足を引きずる。

 

昔の負傷ではない。

 

春に車軸の下敷きになった。

 

旋盤工は、その工場の旋盤を見た。

 

主軸に遊びがある。

 

送りねじも摩耗している。

 

刃物台は一度壊れ、別の機械から外した部品で直されていた。

 

「これで仕事をしているのか」

 

旋盤工が尋ねた。

 

修理工場の主人は答えた。

 

「止めれば、馬車も農機具も止まる」

 

「直せる」

 

「何日で」

 

「三日」

 

「三日後には西へ行くのだろう」

 

旋盤工は妻を見た。

 

妻は子供たちの毛布を畳んでいた。

 

「三日なら待てる」

 

旋盤工は機械を直した。

 

三日目。

 

主軸は回った。

 

五日目。

 

新しい軸受を削った。

 

七日目。

 

農家から壊れた揚水ポンプが持ち込まれた。

 

十日目。

 

次の亡命者が来た。

 

鍛冶屋。

 

妻を亡くした男で、十二歳の息子が一人。

 

修理工場の主人は言った。

 

「次の馬車は三日後だ」

 

鍛冶屋は待った。

 

待っている間に、壊れた車輪を直した。

 

三日後。

 

女が二人来た。

 

一人は縫製工。

 

もう一人は教師。

 

子供が四人。

 

教師は西へ向かうつもりだった。

 

だが修理工場の二階には、読み書きのできない子供が増えていた。

 

「少し教えてから行く」

 

そう言った。

 

少しは、一か月になった。

 

 

元白軍将校が次に修理工場へ立ち寄った時、人数が増えていた。

 

作業場には旋盤工。

 

炉の前には鍛冶屋。

 

二階では教師が子供へ文字を教えている。

 

裏庭には洗濯物。

 

炊事場には大鍋。

 

元白軍将校は工場の主人へ尋ねた。

 

「何をしている」

 

「修理だ」

 

「人が増えている」

 

「お前が送ってきた」

 

「送ったのは旋盤工一家だけだ」

 

旋盤工が機械から顔を上げた。

 

「私はここへ残ります」

 

元白軍将校は眉を寄せた。

 

「WILKに仕事がある」

 

「ここにもある」

 

「設備が悪い」

 

「だから残る」

 

「子供は」

 

教師が二階から答えた。

 

「私が教えます」

 

元白軍将校は教師を見る。

 

「あなたも西へ行くはずでは」

 

「次の一団に子供がいると聞きました」

 

「何人だ」

 

「分かりません」

 

その答えに、元白軍将校は何も言えなかった。

 

自分も同じ言葉を使う。

 

修理工場の主人が茶を出した。

 

「ここを中継所にする」

 

「誰が決めた」

 

「皆で決めた」

 

「危険だぞ」

 

「だから直せる人間が要る」

 

「見つかれば」

 

「その時は移る」

 

元白軍将校は工場を見回した。

 

ここへ来る者は、一晩眠る。

 

靴を直す。

 

荷車を修理する。

 

怪我を診る。

 

次の道を聞く。

 

そして、また西へ進む。

 

だが全員が進む必要はない。

 

途中に残る者がいなければ、道は一度使って終わる。

 

「分かった」

 

元白軍将校は言った。

 

「何が要る」

 

旋盤工は即答した。

 

「測定具」

 

鍛冶屋。

 

「良い鋼」

 

教師。

 

「紙と鉛筆」

 

工場の主人。

 

「酒」

 

元白軍将校は主人を見た。

 

「最後は要らん」

 

「お前が言うのか」

 

 

WILKへ戻った元白軍将校は、実業家へ一覧を渡した。

 

測定具。

 

鋼材。

 

紙。

 

鉛筆。

 

包帯。

 

靴底用の革。

 

小型の薬箱。

 

交換用車軸材。

 

実業家は品目を確認する。

 

「納入先は?」

 

「修理工場だ」

 

「取引先登録されていますか」

 

「されていない」

 

「所有者は?」

 

「昔の部下だ」

 

「正式名称は」

 

元白軍将校は少し考えた。

 

「修理工場」

 

実業家は目を閉じた。

 

「看板に書かれている名称です」

 

「見なかった」

 

「所在地は」

 

「国境から西へ二日」

 

「距離ではなく住所を」

 

「住所があるか分からん」

 

実業家は別の紙を出した。

 

「では、近隣駅名。地主名。郵便受取人。道路名。税務上の登録。どれか一つは分かりますか」

 

元白軍将校は考えた。

 

「駅の荷役主任なら知っている」

 

「その人の住所は」

 

「駅だ」

 

実業家は静かに息を吐いた。

 

「あなたの網は、商取引に向いていません」

 

「網ではない」

 

「では何です」

 

「知り合いだ」

 

「知り合いに、会社の測定具と鋼材を送る?」

 

「要るからだ」

 

実業家は帳簿を閉じた。

 

「小規模修理業者向けの設備貸与契約にします」

 

「貸すのか」

 

「無償譲渡にすると、所有権と税務が面倒です。使用料は低く設定し、修理作業の一部で返済してもらいます」

 

「何を修理させる」

 

「道中で壊れた物を」

 

元白軍将校は頷いた。

 

「それでよい」

 

「加えて、WILKの地方協力工場として登録します」

 

「勝手に会社へ入れるな」

 

「あなたが先に物を送ろうとしたのです」

 

元白軍将校は反論できなかった。

 

また一つ、WILKの外側にWILKが増えた。

 

 

軍情報部の灰色背広は、国外から届く手紙の量を記録し始めた。

 

手紙は増えている。

 

ただし、同じ人物から定期的に届くわけではない。

 

ある月は国境駅。

 

次の月は河川沿いの農場。

 

その次はチェコスロバキアの機械工場。

 

港から来た手紙に、鉄道員の近況が書かれていることもある。

 

修理工場からの手紙へ、見知らぬ教師が追記することもあった。

 

子供が九人になった。

教材が足りない。

次に来る家族の中に助産婦がいると聞いた。

こちらで残る意思があるなら助かる。

 

灰色背広は元白軍将校へ尋ねた。

 

「この教師は、あなたの元部下ですか」

 

「違う」

 

「では誰です」

 

「途中で残った」

 

「なぜあなたへ報告を」

 

「紙を送ってほしいからだろう」

 

「子供の人数と、次の到着者まで書いている」

 

「必要だからだ」

 

「誰に必要なのです」

 

元白軍将校は手紙を見た。

 

「道を使う者に」

 

灰色背広は地図を広げた。

 

受け取った手紙の差出地へ、小さな印を付けていた。

 

港。

 

駅。

 

農場。

 

宿屋。

 

修理工場。

 

渡し場。

 

印は、国境線に沿って点々とつながる。

 

「あなたの元部下たちは、こうした場所で働いている」

 

「そうらしい」

 

「そこへ亡命者が立ち寄る」

 

「立ち寄ることもある」

 

「その一部が残る」

 

「本人が望めばな」

 

「残った者が、次の亡命者を助ける」

 

「暇なら助けるだろう」

 

灰色背広は地図を指した。

 

「それが増えている」

 

元白軍将校は地図を眺めた。

 

「少しな」

 

少しではなかった。

 

一年前には五つだった印が、十五へ増えている。

 

軍情報部が把握していない地点もあるだろう。

 

「これは自然に増えたのですか」

 

「人が動けば、休む場所が要る」

 

「誰かが計画したのではなく?」

 

「計画なら、もっときれいに並べる」

 

実際、印は不規則だった。

 

同じ地域に三か所ある。

 

次の区間は長く空いている。

 

鉄道沿いに見えて、途中から河川へ逸れる。

 

軍事的な路線図ではない。

 

人が働ける場所。

 

家族を泊められる場所。

 

壊れた靴や荷車を直せる場所。

 

そうした生活の都合でつながっている。

 

だからこそ、灰色背広には扱いにくかった。

 

命令系統がない。

 

中央名簿がない。

 

合図も統一されていない。

 

ある場所では手紙。

 

別の場所では荷札。

 

宿屋では酒瓶の糸。

 

農場では市場へ出す荷車の印。

 

元白軍将校自身も、全てを把握していない。

 

「一か所が使えなくなれば?」

 

灰色背広が聞いた。

 

「次へ回る」

 

「次の場所へ連絡は」

 

「誰かがする」

 

「誰が」

 

「その時、近くにいる者だ」

 

「曖昧すぎる」

 

元白軍将校は肩をすくめた。

 

「内戦の道は、いつも曖昧だ」

 

 

修理工場に残った旋盤工は、三か月後もWILKへ来なかった。

 

代わりに、彼から最初の正式注文が届いた。

 

小型旋盤用軸受 二組。

測定用基準棒 一式。

靴底革 二十足分。

学童用鉛筆 百本。

炭酸果汁「機関不調」 一箱。

 

軍将校が注文書を見た。

 

「最後は何だ」

 

実業家が答えた。

 

「子供向けでしょう」

 

「なぜ地方協力工場が酒造製品まで注文する」

 

「非酒精果汁です」

 

元白軍将校が言った。

 

「子供が増えた」

 

軍将校は数量を見る。

 

「一箱で足りるのか」

 

元独立運動家が答えた。

 

「祝いの日だけ出すのだろう」

 

「何の祝いだ」

 

旋盤工の手紙が添えられていた。

 

修理工場の二階を学校として正式に使うことになった。

児童十七名。

教師二名。

冬までにもう一部屋増やす。

次の一団には医者がいるらしい。

西へ行くか、ここへ残るかは本人に決めてもらう。

 

元独立運動家は手紙を読み終えた。

 

「診療所もできるな」

 

軍将校は即座に否定した。

 

「できると決めるな」

 

実業家は帳簿へ項目を追加している。

 

地方協力拠点・教育用品。

 

「項目を作るな!」

 

元ドイツ技師は注文書の軸受寸法を確認した。

 

「規格が古い。次からこちらの寸法へ合わせさせる」

 

「お前まで拡張するな!」

 

誰も聞いていなかった。

 

 

軍情報部は、元白軍将校の網を利用できないか検討した。

 

目的は国境周辺の変化把握。

 

鉄道貨物。

 

軍人の移動。

 

燃料価格。

 

道路工事。

 

検問の増減。

 

だが正式な情報要求を出そうとした時、元白軍将校が止めた。

 

「命令するな」

 

灰色背広が尋ねる。

 

「なぜです」

 

「部下ではない」

 

「元部下では」

 

「今は鉄道員や農民や修理工だ」

 

「協力を依頼するだけです」

 

「軍が依頼すれば、仕事になる」

 

「既に情報を送っている」

 

「自分が気づいたことを書いているだけだ」

 

灰色背広は少し苛立った。

 

「違いがありますか」

 

「ある」

 

「どのような」

 

「命令されれば、探しに行く」

 

元白軍将校は地図を指した。

 

「探しに行けば、見られる。見られれば、道が死ぬ」

 

灰色背広は黙った。

 

情報網として使おうとすれば、生活の網ではなく諜報組織になる。

 

報告頻度を決める。

 

収集項目を指定する。

 

工作員を配置する。

 

そうすれば情報は整う。

 

だが同時に、発見された時の危険も増える。

 

今の手紙は、近況報告にすぎない。

 

軍用列車を数えろとは誰も言わない。

 

ただ夜勤が増えたと書く。

 

橋を調べろとは言わない。

 

ただ荷車なら渡れると知らせる。

 

外国人を尾行しろとは言わない。

 

ただ妙な客が宿へ来たと書く。

 

「では、何も依頼できない?」

 

灰色背広が聞いた。

 

「道を壊すなと依頼しろ」

 

「それだけですか」

 

「それが一番難しい」

 

軍情報部は、この網を直接支配することを諦めた。

 

代わりに、届いた情報を元白軍将校が自発的に渡した時だけ受け取ることになった。

 

報告書にはこう書かれた。

 

当該連絡網は、情報収集を目的として組織化すべきではない。

 

組織化した場合、構成員の行動が不自然となり、移動支援機能および地域生活への定着性を損なう可能性が高い。

 

余白に上官の筆跡。

 

情報網として有用だが、情報網として扱うな。

 

役所にしては、珍しく正しい結論だった。

 

 

秋。

 

元白軍将校は、国境近くの農場を訪れた。

 

そこも元部下の一人が営んでいる。

 

かつては騎兵隊の下士官。

 

今は馬と小麦を育てていた。

 

納屋には、見知らぬ家族が二組泊まっていた。

 

一組はドイツから来た。

 

もう一組はソ連側から。

 

農場主が言った。

 

「西へ行く馬車は明後日だ」

 

元白軍将校は家族へ尋ねた。

 

「WILKへ行くのか」

 

ドイツから来た男が答えた。

 

「仕事があると聞きました」

 

「何ができる」

 

「電気配線。工場設備も少し」

 

「家族は」

 

「妻と娘」

 

「全員で来い」

 

男は困った顔をした。

 

「母がまだ向こうにいます」

 

「連絡は取れるか」

 

「おそらく」

 

元白軍将校は農場主を見る。

 

「次の便で拾えるか」

 

「一人なら」

 

「老人だ」

 

「なら冬前だ。雪が降れば無理だ」

 

男が言った。

 

「先に妻と娘だけを」

 

元白軍将校は首を振った。

 

「母親を迎えに戻るつもりなら、お前も残れ」

 

「仕事は」

 

「農場にある」

 

農場主が驚く。

 

「今決めるのか」

 

「電気配線ができる。納屋の照明が悪い」

 

「それはそうだが」

 

男は西へ進まず、農場へ残った。

 

二週間後、母親も到着した。

 

さらにその途中で、電気工の昔の同僚が一人加わった。

 

農場には小さな発電機が据え付けられた。

 

夜間でも納屋が使えるようになった。

 

次に来た亡命者は、暗い中で寝床を探さずに済んだ。

 

また一つ、道が太くなった。

 

 

一方、ソ連側から来た家族は、そのままWILKへ向かった。

 

父親は元鉄道員。

 

妻は看護助手。

 

息子は十六歳。

 

娘は八歳。

 

途中の修理工場で三日休んだ。

 

父親は車輪の軸を直した。

 

妻は、足を化膿させた亡命者を看護した。

 

息子は荷役を手伝った。

 

娘は学校の子供たちと一緒に文字を習った。

 

出発の朝。

 

教師が娘へ鉛筆を一本渡した。

 

「向こうでも使いなさい」

 

娘は尋ねた。

 

「先生は行かないの」

 

教師は答えた。

 

「私はここで次の子を待つ」

 

この言葉が、元白軍将校の耳へ残った。

 

彼の元部下たちだけではない。

 

道を使った者が、道を残す側へ回り始めている。

 

命令したわけではない。

 

恩義を強制したわけでもない。

 

自分が助かった場所を、次の者にも残そうとした。

 

それだけだった。

 

だが、その「それだけ」が積み重なる。

 

宿へ料理人が残る。

 

農場へ電気工が残る。

 

修理工場へ旋盤工が残る。

 

渡し場へ元船員が残る。

 

鉄道町へ看護師が残る。

 

各地に、WILKへ行かなかった者たちが増えていく。

 

しかし彼らはWILKと無関係ではなくなった。

 

工具を借りる。

 

薬を受け取る。

 

仕事を紹介する。

 

次の人間を送る。

 

道が悪くなれば手紙を書く。

 

 

年末。

 

灰色背広は、更新した地図を元白軍将校へ見せた。

 

印は二十七か所。

 

前年の五倍以上だった。

 

「増えました」

 

灰色背広が言った。

 

元白軍将校は地図を見る。

 

「そうだな」

 

「あなたの元部下だけではありません」

 

「見れば分かる」

 

「途中で残った亡命者が、連絡を始めている」

 

「そうらしい」

 

「彼らは互いに連絡を取っています」

 

「道がつながっているからな」

 

「あなたが中心です」

 

元白軍将校は首を振った。

 

「違う」

 

「手紙の多くはあなたへ届く」

 

「仕事があるか聞くためだ」

 

「道が使えるかも尋ねる」

 

「知っている者へ聞いているだけだ」

 

「あなたがいなくなれば、この網は止まりますか」

 

元白軍将校は地図を見たまま答えた。

 

「止まらんだろう」

 

「なぜ」

 

「もう互いに知っている」

 

灰色背広は、その答えを書き留めなかった。

 

少し怖くなったからだ。

 

中央がない網。

 

指揮官がいない道。

 

命令されなくても、次の者が来れば動く場所。

 

元白軍将校を拘束しても、手紙は農場から修理工場へ届く。

 

修理工場から駅へ。

 

駅から宿へ。

 

宿から渡し場へ。

 

WILKへ来る者もいる。

 

途中へ残る者もいる。

 

別の国へ向かう者もいる。

 

全員が同じ目的を持つ必要はない。

 

ただ、人を次へ渡す。

 

それだけで網は生きる。

 

「これは、あなたが作ったのではないのですか」

 

灰色背広が尋ねた。

 

元白軍将校は少し考えた。

 

「道を教えた」

 

「同じでは?」

 

「道を歩いたのは、あいつらだ」

 

 

その日の夕方。

 

新しい手紙が届いた。

 

修理工場から。

 

医者が一人残った。

妻も医者である。

診療所と呼べるほどではないが、怪我人を寝かせる部屋を作った。

 

教師が二人になった。

子供は二十三人。

 

旋盤は問題なし。

鍛冶炉は煙突が短い。

技師へ相談したい。

 

次に来る一団は十六人。

うち老人三人。

荷車を一台送ってほしい。

 

元白軍将校は手紙を技師へ渡した。

 

技師は煙突の一文を読む。

 

「図面を送らせろ」

 

「写真では駄目か」

 

「寸法が要る」

 

「次の手紙で聞く」

 

実業家は荷車の手配を始める。

 

元独立運動家は診療所用の包帯と教科書をまとめる。

 

軍将校は途中から部屋へ入り、全員を見た。

 

「何をしている」

 

実業家が答えた。

 

「地方協力拠点への発送準備です」

 

「いつから協力拠点になった」

 

「前回登録しました」

 

「診療所まであるぞ!」

 

元独立運動家。

 

「怪我人を寝かせる部屋だ」

 

「学校もある!」

 

「子供が二十三人いる」

 

「なぜ増えている!」

 

元白軍将校は手紙へ返事を書きながら答えた。

 

「途中で残った」

 

軍将校は椅子へ座った。

 

もう怒鳴るだけでは追いつかなかった。

 

「WILKへ来るはずの者が、途中に町を作っている」

 

技師が訂正する。

 

「町ではない。修理工場だ」

 

実業家。

 

「現時点では」

 

元独立運動家。

 

「人が増えれば町になる」

 

軍将校は机へ額をつけた。

 

元白軍将校は封筒を閉じた。

 

返事には、こう書いた。

 

荷車を送る。

煙突の寸法を書け。

医者に必要な物を聞け。

子供の人数が増えたら先に知らせろ。

 

次の一団を頼む。

 

 

一週間後。

 

国境近くの修理工場へ、WILKの荷車が到着した。

 

測定具。

 

鋼材。

 

薬。

 

紙。

 

鉛筆。

 

教科書。

 

靴底革。

 

炭酸果汁「機関不調」。

 

荷台の一番奥には、小さな看板が積まれていた。

 

実業家が作らせたものだった。

 

WILK地方協力修理所

宿泊、修理、連絡取次

 

軍用施設ではありません。

酒類保管庫でもありません。

 

最後の一文は、軍将校が追加させた。

 

修理工場の主人は看板を見た。

 

「酒はないのか」

 

旋盤工が答えた。

 

「機関不調ならある」

 

「酒ではない」

 

教師が果汁の箱を持っていった。

 

子供たちが集まる。

 

その日の夜、次の一団が到着した。

 

予定は十六人。

 

実際には二十四人。

 

修理工場の主人は人数を見た。

 

旋盤工へ言った。

 

「増えたな」

 

旋盤工は答えた。

 

「途中で一緒になったそうだ」

 

教師は新しい子供の数を数え始めた。

 

医師は足を傷めた老人を診た。

 

鍛冶屋は壊れた荷車の車輪を外した。

 

誰も元白軍将校の命令を待たなかった。

 

道は、もう彼一人のものではなかった。

 

WILKへ向かう者たちは、その修理工場で一晩休み、翌朝また西へ進んだ。

 

残る者もいた。

 

そして残った者は、次に来る者のため、火を消さなかった。

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