WILK ―忘れずの故郷―   作:ヒツジ(ラム肉

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――ポーランド内務省・国外出身労働者臨時登録制度に関する通達
一九二九年

身元書類を欠く外国出身者について、書類不足のみを理由として無登録状態へ置くことは、治安、労働管理および居住管理の上で望ましくない。

よって、以下の資料を用いた臨時登録を認める。

本人申告。
複数証人による確認。
技能試験。
雇用主による居住保証。
家族関係に関する生活上の証言。
定期的な再確認。

登録者は正式な国籍証明を得るまで、臨時雇用および居住を認められる。

参考制度。

WILK社国外出身者臨時雇用・居住登録制度。

通称。

WILK方式。

付記。

本制度に関する実務上の照会は、WILK社軍監督官および同社生活支援担当者へ行うこと。

WILK社軍監督官からの回答。

聞いていない。


第71話 前例を全国へ広げるな

ポーランド軍将校は、通達を三度読んだ。

 

一度目は内容を理解するため。

 

二度目は、自分の名がどこに書かれているか確認するため。

 

三度目は、何者が自分を全国制度の相談窓口にしたのか突き止めるためだった。

 

「誰がこれを内務省へ渡した」

 

会議室には、元独立運動家がいた。

 

実業家。

 

元ドイツ帝国軍技師。

 

元白軍将校。

 

軍情報部の灰色背広。

 

五人と一人が、通達を囲んでいる。

 

元独立運動家は一読し、机へ戻した。

 

「役所へ出した時点で、向こうにも写しは残る」

 

「写しがあることは知っている!」

 

軍将校は通達を指で叩いた。

 

「なぜ全国へ広げる!」

 

実業家が答えた。

 

「有用だったのでしょう」

 

「WILK社内限定の例外措置だ!」

 

灰色背広が口を挟む。

 

「制度としては、他の軍需企業にも応用可能です」

 

「お前まで賛成するな!」

 

元白軍将校は通達の末尾を見ていた。

 

「相談窓口になったらしいぞ」

 

「読めば分かる!」

 

「忙しくなるな」

 

「他人事のように言うな!」

 

元ドイツ技師が尋ねた。

 

「通称を付ける必要はあるのか」

 

「ない!」

 

軍将校が即答した。

 

「通称を消させる!」

 

元独立運動家は通達の別の箇所へ目を落とした。

 

「家族関係に関する生活上の証言、とある」

 

「それがどうした」

 

「書式の家族欄が小さい」

 

軍将校は目を閉じた。

 

「今はそこではない」

 

「一家族十二人来たら書けん」

 

「別紙を使え!」

 

「なら通達に書かせろ」

 

「なぜ私が修正まで!」

 

元独立運動家は肩をすくめた。

 

「相談窓口だからだろう」

 

元白軍将校が笑った。

 

軍将校は笑わなかった。

 

 

最初の照会は、炭鉱会社から来た。

 

保証人が一名しか確保できない場合、臨時登録は可能か。

 

二通目。

 

鉄道会社。

 

生年月日が不明で、本人が「大洪水の二年前」としか記憶していない場合、推定年齢をどのように記載すべきか。

 

三通目。

 

地方農場組合。

 

役所登録のない慣習婚夫婦を家族として扱えるか。

 

四通目。

 

造船所。

 

同一人物が三種類の名を使用している。全て登録すべきか。

 

五通目。

 

地方自治体。

 

子供だけが先に到着し、両親の所在が不明の場合、保証人は誰とするか。

 

六通目。

 

別の鉱山。

 

元軍人の仮登録者を火薬庫付近で働かせてよいか。

 

軍将校の机へ、一日で十九通届いた。

 

翌日、三十一通。

 

一週間後には、書類籠が三つ必要になった。

 

軍将校は最初の照会へ返答を書いた。

 

保証人一名の場合、雇用主および自治体担当者の共同確認を要する。

 

次。

 

推定年齢と判断根拠を併記すること。虚偽の確定日を記載してはならない。

 

次。

 

実生活上の夫婦関係を複数証言により確認し、法的婚姻の有無は別欄へ記す。

 

次。

 

使用歴のある氏名は全て記載し、優先使用名を本人に選ばせる。

 

書いている途中で、元独立運動家が横から紙を差し込んだ。

 

「これも答えろ」

 

「何だ」

 

仮登録者の子供は、公立学校へ就学できるか。

 

軍将校は紙を見る。

 

「教育行政へ聞け」

 

「聞いた」

 

「ならなぜ私へ持ってくる」

 

「教育行政が、登録制度を作った者へ確認しろと言った」

 

「作ったのは会社内でだ!」

 

「全国制度の参考になった」

 

「それは私の責任ではない!」

 

元独立運動家は椅子を引き、軍将校の向かいへ座った。

 

「だが、このままだと子供が学校へ入れない」

 

軍将校のペンが止まった。

 

「理由は」

 

「正式な居住証明がない」

 

「仮居住登録がある」

 

「学校側が正式居住証明ではないと言っている」

 

「通達を読んでいないのか」

 

「読んだ上で、教育について書いていないと言っている」

 

軍将校は通達を引き寄せた。

 

確かに書いていない。

 

雇用。

 

居住。

 

身元確認。

 

学校はない。

 

診療もない。

 

家族呼寄せもない。

 

転職もない。

 

制度は人間を登録した。

 

だが、登録された人間が生活するための項目が足りていなかった。

 

元独立運動家が言う。

 

「仕事場だけでは暮らせん」

 

軍将校はその言葉を嫌そうに聞いた。

 

正しいからだった。

 

 

翌朝。

 

元独立運動家の机には、新しい書類の草案が並んだ。

 

仮登録児童就学申請書。

仮登録者診療利用証。

仮登録家族同伴票。

家族呼寄せ希望届。

雇用先変更時登録移管申請。

死亡時家族保護届。

仮登録者労働災害補償票。

 

軍将校が部屋へ入った。

 

書類を見る。

 

一枚取る。

 

二枚目を見る。

 

三枚目で顔を上げた。

 

「誰が増やした」

 

元独立運動家は、煙草へ火をつけようとしていた。

 

軍将校が灰皿を遠ざける。

 

「ここで吸うな」

 

「なら後で吸う」

 

「書類の話だ!」

 

「足りないから作った」

 

「雇用登録の話だったはずだ!」

 

「人間は仕事場だけで暮らさん」

 

昨日と同じ言葉。

 

軍将校は診療利用証を持ち上げた。

 

「なぜ会社の仮登録証で、公立病院を使えるようにする必要がある」

 

「病気になった時、会社の診療所まで戻れない者もいる」

 

「自治体の救貧医療を使え」

 

「外国人だから断られた例がある」

 

「規則違反だ」

 

「規則違反だから、使えると紙に書く」

 

次。

 

「家族呼寄せ希望届?」

 

「本人だけ雇って、家族を国外へ置けば、いずれ勝手に呼ぶ」

 

「正式な手続きを踏ませろ」

 

「その正式な手続きを始めるための書類だ」

 

次。

 

「転職時登録移管?」

 

「今の制度だと雇用主が変われば仮登録が切れる」

 

「新しい雇用主が再申請すればよい」

 

「その間、無登録になる」

 

「短期間だ」

 

「その短期間を利用して、雇用主が辞めさせない」

 

軍将校の手が止まった。

 

「既にあるのか」

 

「ある」

 

元独立運動家は一枚の報告書を出した。

 

地方鉱山会社。

 

仮登録労働者二十六名。

 

登録証は会社事務所が保管。

 

本人へ渡していない。

 

離職した場合は警察へ通報すると告知。

 

宿舎退去を禁じる。

 

賃金は同職種の国内労働者より三割低い。

 

家族は会社の許可なく町外へ出られない。

 

軍将校の顔が変わった。

 

「これは誰が許可した」

 

「会社はWILK方式だと言っている」

 

「こんなものはWILK方式ではない!」

 

「向こうは管理を強化しただけだと言っている」

 

軍将校は報告書を机へ叩きつけた。

 

「仮登録は奴隷登録ではない!」

 

元独立運動家は静かに煙草をしまった。

 

「なら、そう書け」

 

 

元独立運動家は、昔の同志を訪ねた。

 

議会議事堂の一室。

 

壁には国旗。

 

机には法案資料。

 

棚には分厚い議事録。

 

かつて地下印刷所で一緒に声明文を刷った男は、今では国会議員になっていた。

 

議員は、元独立運動家が入ってくるなり顔をしかめた。

 

「お前が来ると仕事が増える」

 

「議員は仕事をするものだ」

 

「昔は爆弾を隠す場所を頼みに来た」

 

「今は書類を隠さず通しに来た。進歩しただろう」

 

「要求が悪化している」

 

元独立運動家は、机へ書類を置いた。

 

国外出身者臨時雇用・居住登録制度。

 

追加保護条項案。

 

学校。

 

診療。

 

家族。

 

転職。

 

賃金。

 

登録証の本人保管。

 

議員は一枚目を読む。

 

二枚目。

 

三枚目。

 

途中で顔を上げた。

 

「身元不明者を全国で雇えるようにする気か」

 

「既に雇われている」

 

「反対派は、外国人を呼び込む制度だと言うぞ」

 

「来ている人間を、いると記録する制度だ」

 

「治安問題になる」

 

「無登録で地下へ潜らせる方が悪い」

 

議員は軍将校の作った原案を見る。

 

「軍の監督官が制度を作ったと聞いた」

 

「作った」

 

「本人は全国化に賛成しているのか」

 

元独立運動家は少し考えた。

 

「管理が必要だとは言っている」

 

「賛成なのか」

 

「本人に聞けば否定する」

 

「なら駄目ではないか」

 

「制度の問題点を指摘すれば、誰より熱心に直す」

 

議員は元独立運動家を見る。

 

「お前、あの軍人を盾に使っているな」

 

「国家安全保障上必要な制度だ」

 

「今、考えただろう」

 

「前からそう思っていた」

 

「嘘をつけ」

 

議員は追加条項案を読み進めた。

 

仮登録証は本人へ交付し、雇用主による没収または保管を禁ずる。

 

仮登録を理由とする賃金差別を禁ずる。

 

離職または転職によって直ちに登録を失効させない。

 

家族を雇用管理上の人質として扱ってはならない。

 

雇用主は国外追放、警察通報または身元取消を脅迫手段として用いてはならない。

 

議員の表情が真面目になる。

 

「どこかでやったな」

 

「鉱山だ」

 

「証拠は」

 

「ある」

 

「労働組合は」

 

「今夜会う」

 

「地方議員は」

 

「明日」

 

「新聞は」

 

「まだだ」

 

議員が眉を上げる。

 

「まだ?」

 

「話し合いで直らなければ使う」

 

「昔より穏健になったな」

 

「年を取った」

 

「昔なら最初に新聞を使った」

 

「昔なら新聞社ごと作った」

 

議員は笑った。

 

「軍監督官を連れてこい」

 

「嫌がる」

 

「制度を作った者だろう」

 

「だから嫌がる」

 

 

三日後。

 

軍将校は議会の小委員会へ呼ばれた。

 

本人は、制度運用上の意見聴取だと思っていた。

 

会議室へ入る。

 

元独立運動家がいる。

 

同志議員もいる。

 

労働行政の役人。

 

内務省の役人。

 

鉱山地域の地方議員。

 

軍将校は入口で止まった。

 

「聞いていない」

 

元独立運動家が答える。

 

「今、聞いた」

 

「お前が呼んだのか」

 

「議員が呼んだ」

 

同志議員は愛想よく手を上げた。

 

「制度の考案者から説明を聞きたい」

 

軍将校は元独立運動家を睨む。

 

「社内制度だと言ったはずだ」

 

「全国で使われている」

 

「勝手に広げたのは内務省だ!」

 

内務省役人が咳払いする。

 

「有効性が認められましたので」

 

「なら自分たちで説明しろ!」

 

委員長が机を叩いた。

 

「まず座ってください」

 

軍将校は座った。

 

元独立運動家の隣だけは避けた。

 

 

最初の質問。

 

反対派議員。

 

「身元不明者を正式な労働市場へ入れることは、治安を悪化させるのではありませんか」

 

軍将校は答えた。

 

「無登録のまま放置する方が悪化する」

 

「なぜ」

 

「居住地が分からない。雇用主も分からない。給与記録もない。誰と暮らしているかも分からない。犯罪歴の照会もできない」

 

「登録すれば安全だと?」

 

「安全とは言っていない。確認可能になると言っている」

 

次。

 

「外国人労働者が国内労働者の仕事を奪う可能性は」

 

軍将校は鉱山会社の報告を見た。

 

「低賃金で使えばそうなる」

 

反対派議員が頷く。

 

「なら制度を廃止すべきでは」

 

「逆だ。同一労働への同一水準賃金を義務づける」

 

「企業負担が増える」

 

「安く使えなければ、国内労働者の代替として大量雇用する意味が減る」

 

「企業は人手不足に困っている」

 

「なら通常の賃金で雇え」

 

元独立運動家が、隣の同志議員へ小声で言った。

 

「よく分かっている」

 

軍将校が聞きつける。

 

「黙れ!」

 

委員長が眉をひそめた。

 

「発言は委員長の許可を得てください」

 

軍将校は口を閉じた。

 

次の質問。

 

「保証人制度は、身元の怪しい者を知人同士で庇う仕組みになりませんか」

 

「なる可能性はある」

 

会議室が少しざわつく。

 

軍将校は続けた。

 

「だから保証人の証言だけで確定しない。技能、居住、同行者、過去の職歴、再確認を組み合わせる」

 

「保証人へ責任を負わせるべきでは」

 

「範囲を限定する」

 

「本人が逃亡したら?」

 

「保証人を投獄するのか」

 

「金銭保証を――」

 

「身元不明者を保証できるのは、同じく財産の少ない者が多い。無限責任を負わせれば誰も保証しない」

 

「では制度が機能しない」

 

「だから雇用主、自治体、複数証言へ責任を分ける」

 

質問が続くほど、軍将校の回答は鋭くなった。

 

最初は全国化へ反対していた。

 

だが制度を廃止しようとする者が出ると、誰よりも正確に制度の必要性を説明した。

 

元独立運動家は口元を緩めた。

 

同志議員が囁く。

 

「お前の言った通りだ」

 

「問題点を示せば守り始める」

 

「扱いやすいのか、扱いにくいのか分からんな」

 

「両方だ」

 

 

鉱山会社の代表者も呼ばれていた。

 

会社は、登録証の保管について説明した。

 

「紛失を防ぐため、会社で安全に管理しています」

 

軍将校が尋ねた。

 

「本人が町を出る時は」

 

「許可を求めます」

 

「なぜ」

 

「登録証が必要だからです」

 

「つまり、証書を預かることで移動を制限している」

 

「管理上の必要です」

 

元独立運動家が静かに口を開いた。

 

「管理という言葉は便利だ」

 

鉱山会社代表が彼を見る。

 

「あなたは?」

 

「WILK社の生活支援担当だ」

 

「軍でも役所でもない者に――」

 

「昔も、身分証を預かる者は管理だと言った」

 

声は穏やかだった。

 

その穏やかさが、かえって冷たかった。

 

「労働者が辞めたいと言った時、証書を返したか」

 

「契約期間中です」

 

「返したか」

 

「契約違反となるため――」

 

「返していないのだな」

 

鉱山会社代表は黙った。

 

軍将校が資料を見る。

 

「賃金が国内労働者より三割低い」

 

「技能差があります」

 

「同じ坑道、同じ作業時間、同じ生産量だ」

 

「教育費と宿舎費を会社が負担しています」

 

「給与から天引きしている」

 

「適正な費用です」

 

元独立運動家が別の帳簿を出した。

 

「宿舎の一室に十二人。暖房費は一人ずつ満額請求。合計すると実費の四倍だ」

 

鉱山会社代表の顔が硬くなる。

 

「内部資料をどこから」

 

「労働者が持ってきた」

 

「会社機密です」

 

「寝床の値段が国家機密になったのか」

 

同志議員が咳をして笑いを隠した。

 

軍将校は怒鳴った。

 

「これはWILK方式ではない!」

 

鉱山会社代表も声を強める。

 

「身元不明者を管理するため、御社制度を厳格に適用したものです!」

 

「厳格ではない。勝手に拘束条件を足しただけだ!」

 

「管理責任を負う企業には裁量が――」

 

「仮登録は奴隷登録ではない!」

 

会議室が静まり返った。

 

速記官のペンだけが動いている。

 

軍将校は机へ手をついた。

 

「登録証は本人へ渡せ。転職時は次の雇用主へ登録を移管する。仮登録を理由に賃金を下げるな。家族を宿舎へ拘束するな。追放を脅しに使うな」

 

鉱山会社代表が反論する。

 

「それでは労働者が自由に離職できます」

 

「国内労働者もできる」

 

「外国人は保証が違います」

 

「保証とは所有権ではない!」

 

元独立運動家は軍将校を見る。

 

完全に制度改正案が出来上がっている。

 

 

小委員会終了後。

 

廊下。

 

軍将校は元独立運動家を壁際へ追い込んだ。

 

「お前、最初からこれを言わせるために呼んだな」

 

「私は呼んでいない。議員が呼んだ」

 

「議員へ話を持っていったのは誰だ!」

 

「私だ」

 

「同じことだ!」

 

元独立運動家は、改訂条項を書いた紙を差し出した。

 

「今言った内容をまとめた」

 

軍将校は受け取る。

 

本人交付。

 

賃金平等。

 

転職時の登録移管。

 

家族分離禁止。

 

雇用主による通報脅迫の禁止。

 

保証人責任の限定。

 

「既に書いてあったのか」

 

「大体は」

 

「なら私に言わせる必要はないだろう!」

 

「軍監督官が必要だと言った方が通る」

 

「私を盾にするな!」

 

「役に立った」

 

「お前は昔からそうだ!」

 

元独立運動家は少し笑った。

 

「昔は同志の名を使って印刷物を通した」

 

「今は私の名で法律を通す気か!」

 

「進歩しただろう」

 

「悪化している!」

 

同志議員が廊下へ出てきた。

 

「二人とも、次の会議は来週だ」

 

軍将校が振り返る。

 

「私は来ない!」

 

議員は書類を見る。

 

「制度の考案者不在では困る」

 

「考案者という言い方をやめろ!」

 

「では監督者」

 

「それも嫌だ!」

 

元独立運動家が言う。

 

「合法化担当者でいい」

 

軍将校が睨む。

 

「お前は黙れ!」

 

 

WILKへ戻ると、さらに問題が待っていた。

 

仮登録制度の申請書が難しすぎる。

 

地方役所から苦情。

 

記入欄が多い。

 

読み書きのできない申請者が使用できない。

 

証人が何を書けばよいか分からない。

 

推定生年月日の根拠欄が狭い。

 

軍将校は書式を見る。

 

「読めば分かる」

 

元独立運動家が答える。

 

「読めない者も使う」

 

「なら役所が教えろ」

 

「役所も分かっていない」

 

「通達を読ませろ」

 

「読んでも、何を聞けばよいか分からんと言っている」

 

実業家が申請書を手に取る。

 

「財産と共同所有の欄もありません」

 

軍将校が即座に言う。

 

「全国の役所へ馬一頭の三者契約まで処理させられるか!」

 

「では別紙を」

 

「増やすな!」

 

元独立運動家が別案を出した。

 

申請相談員配置要領。

 

軍将校が読む。

 

「また人を増やすのか」

 

「申請者の聞き取りを手伝う」

 

「誰がやる」

 

「自治体職員、労働組合、慈善団体、学校教員、医療関係者」

 

「資格は」

 

「研修を受けさせる」

 

「研修教材は」

 

元独立運動家は、WILK印刷部門が作った冊子を置いた。

 

国外出身者臨時登録・聞き取り手引き。

 

軍将校は冊子を開く。

 

例。

 

生年月日が分からない場合。

 

戦争、洪水、収穫、家族の出生など、本人が記憶する出来事から推定する。

 

推定を確定日として記載しない。

 

別の例。

 

家族関係の証明がない場合。

 

同居歴、家族内の呼称、生活上の記憶、第三者証言を確認する。

 

子供へ誘導的な質問を行わない。

 

さらに。

 

本人の母語を話せる通訳がいない場合、理解していない書類へ署名させてはならない。

 

軍将校は冊子を閉じた。

 

「いつ作った」

 

「昨日」

 

「制度改正が決まる前だぞ!」

 

「必要になると思った」

 

「相談しろ!」

 

「反対するだろう」

 

実業家が冊子の末尾を見る。

 

「共同所有に特記事項がある場合、別紙添付可、とあります」

 

軍将校が元独立運動家を見る。

 

「お前、実業家まで混ぜたな」

 

「必要だった」

 

「頁数が増えている!」

 

「人間は一頁に収まらん」

 

軍将校は机へ座った。

 

否定しにくい言葉ばかり使う。

 

 

相談員制度の予算は、同志議員が確保した。

 

労働行政と内務省が折半。

 

自治体には小額の補助。

 

印刷費は国が負担。

 

研修教材はWILK印刷部門が受注した。

 

軍将校は契約書を見た。

 

「なぜ我が社が印刷する」

 

実業家が答える。

 

「原版があります」

 

「利益相反では」

 

「入札しました」

 

「他社は」

 

「手引きの多言語組版に対応できませんでした」

 

元独立運動家が補足する。

 

「ポーランド語、ドイツ語、ロシア語、イディッシュ語、チェコ語版が要る」

 

「増やしすぎだ!」

 

「読めなければ使えん」

 

技師が冊子をめくる。

 

「図が少ない」

 

軍将校が振り向く。

 

「お前まで何を言う」

 

「読み書きできない者も使うと言っただろう」

 

「だから相談員がいる!」

 

「相談員も間違える」

 

技師は空欄の図解を指す。

 

「本人、配偶者、子供、保証人。線でつなげばよい」

 

実業家が言う。

 

「共同所有者も必要です」

 

「家族図へ財産を混ぜるな」

 

「別図にしましょう」

 

軍将校は机を叩いた。

 

「申請書を航空機の整備図面のようにするな!」

 

技師は真顔で答えた。

 

「整備図面なら、誰が見ても同じように使える」

 

元独立運動家が頷く。

 

「その考えは使える」

 

「使うな!」

 

使われた。

 

改訂版の手引きには、図解が増えた。

 

 

制度の改訂通達が出た。

 

新しい条項。

 

仮登録証は本人が保管する。

 

雇用主は写しのみを保持する。

 

仮登録者の賃金、労働時間、安全基準は、同種労働者と同等とする。

 

転職時、登録は一定期間継続し、新しい雇用主または自治体へ移管できる。

 

家族の移動を雇用主が制限してはならない。

 

学校、医療、労働災害補償について、仮登録を正式身分証明に準ずる資料として扱う。

 

保証人は本人の犯罪、借金、契約違反へ無限責任を負わない。

 

雇用主による登録取消、追放、警察通報の脅迫を禁ずる。

 

付記。

 

登録制度の目的は、国外出身者を拘束することではなく、社会および法的管理の中へ置くことである。

 

軍将校は最後の文章を読んだ。

 

「これは誰が書いた」

 

元独立運動家が答える。

 

「議員」

 

「お前が言わせたのか」

 

「私は案を出しただけだ」

 

「同じことだ!」

 

だが文章自体は直さなかった。

 

 

制度は全国へ広がった。

 

炭鉱。

 

鉄道。

 

製鉄所。

 

港湾。

 

農場。

 

建設現場。

 

外国出身者を多く雇う地域から、申請が増える。

 

当然、失敗もあった。

 

ある自治体は、本人申告名を一つへ統一しようとした。

 

三種類の名前は行政上不便である。

 

軍将校の回答。

 

不便を理由として過去の名を削除するな。

全て記録し、本人が現在使用する名を明示せよ。

 

別の自治体。

 

生年月日が不明な者へ、便宜上一月一日を割り当てた。

 

回答。

 

便宜上の確定日を事実として記録するな。

推定年および推定根拠を記せ。

 

ある工場。

 

仮登録者は身元不確定のため、危険手当の対象外とした。

 

軍将校の回答。

 

危険が身元を確認して避けるなら認める。

そうでないなら支払え。

 

この一文は、役所内で妙に評判になった。

 

別の鉱山。

 

登録証を本人へ渡したところ、紛失した。

 

軍将校。

 

再発行せよ。

紛失を理由に会社保管へ戻すな。

保護袋を用意せよ。

 

実業家が横から言う。

 

「油紙袋なら大量生産できます」

 

軍将校は睨んだ。

 

「商売へつなげるな」

 

「必要があります」

 

「入札しろ」

 

「既に公告されています」

 

またWILKが落札した。

 

 

元独立運動家は、制度が本当に使われているか確かめるため、各地を回った。

 

相談窓口。

 

役所。

 

学校。

 

鉱山町。

 

鉄道宿舎。

 

書類の上では問題なし。

 

現場では、そうでないことも多い。

 

ある町では、通訳がいない。

 

申請者は内容を理解せず、役人の指示通り署名していた。

 

元独立運動家は役人へ言った。

 

「何へ署名したか、本人に説明したか」

 

「通じません」

 

「なら署名させるな」

 

「手続きが止まります」

 

「止めろ」

 

「期限があります」

 

「理解していない署名を集める期限に、何の意味がある」

 

別の町。

 

子供は仮就学を認められた。

 

だが教員が、外国人児童だけを教室の後ろへ集めていた。

 

「言葉が分からないので」

 

「前へ座らせろ」

 

「授業の邪魔になります」

 

「聞こえない場所へ置けば、いつまでも分からん」

 

別の診療所。

 

仮登録者へ高い診療費を請求。

 

「外国人料金です」

 

「通達を読め」

 

「正式国民ではありません」

 

「国民かどうかで傷口の縫い方が変わるのか」

 

元独立運動家は、やれやれと言いながら一件ずつ直した。

 

同志議員へ手紙を出す。

 

地方行政へ照会。

 

労働組合へ連絡。

 

学校へ補助教員を置かせる。

 

診療所の料金規程を改めさせる。

 

軍将校へ戻って報告する。

 

「制度は通ったが、窓口が理解していない」

 

軍将校は頭を抱える。

 

「手引きを配った」

 

「読んでいない」

 

「研修もした」

 

「寝ていた役人がいる」

 

「名前を出せ」

 

元独立運動家が一覧を渡す。

 

軍将校は本当に全員へ再研修命令を出した。

 

「お前は現場を見つける」

 

「お前は紙にする」

 

「自分だけ楽な役を取るな」

 

「私の方が歩いている」

 

「私は書類に埋まっている!」

 

「役割分担だ」

 

「誰が決めた!」

 

決めた者はいなかった。

 

だがそうなっていた。

 

 

冬の初め。

 

遠方の炭鉱町から一通の報告が届いた。

 

WILK方式による臨時登録を実施。

 

対象、坑夫一名。

妻一名。

子三名。

老母一名。

妻の弟一名。

合計七名。

 

本人は出生証明および旅券を所持せず。

旧勤務先の同僚二名による証言、坑道技能試験および居住保証により登録。

 

登録証は本人へ交付。

同種坑夫と同額賃金。

家族は町営住宅へ入居。

子供三名は公立学校へ編入。

老母は診療所利用登録。

妻の弟は職業訓練へ参加。

 

本人は以前使用していた氏名を確認できるまで、本人申告名を使用する。

 

現在、勤務および生活上の問題なし。

 

軍将校は報告を黙って読んだ。

 

その家族はWILKへ来ていない。

 

元白軍将校の道も使っていない。

 

実業家の帳簿にも載っていない。

 

元独立運動家も会ったことがない。

 

それでもWILKで作った一枚の書式が、遠い炭鉱町へ届いた。

 

書類のない坑夫は、無登録労働者として地下へ潜らずに済んだ。

 

妻には住居。

 

子供には学校。

 

老母には診療所。

 

家族の名は役所へ残った。

 

元独立運動家が、軍将校の肩越しに報告を見る。

 

「悪くないだろう」

 

軍将校は紙を裏返した。

 

「運用報告が雑だ」

 

「どこが」

 

「技能試験の内容が書いていない。坑道経験年数も不明。保証人の再確認時期もない」

 

「悪くないのだな」

 

「雑だと言っている!」

 

元独立運動家は笑った。

 

軍将校は報告書の余白へ、修正指示を書き始めた。

 

制度を守る気は、十分にあった。

 

 

年末。

 

WILK印刷部門へ、大口注文が入った。

 

国外出身者臨時雇用・居住登録票。

 

一万部。

 

申請手引き。

 

五千部。

 

相談員研修冊子。

 

二千部。

 

多言語説明書。

 

各言語千部。

 

軍将校は完成見本を受け取った。

 

表題。

 

国外出身者臨時雇用・居住登録票

 

通称・WILK方式

 

軍将校の顔が引きつる。

 

赤鉛筆を取る。

 

「通称を消せ!」

 

印刷責任者が困った顔をする。

 

「一万部、印刷済みです」

 

「誰が承認した!」

 

「内務省です」

 

「刷る前に見本を出せ!」

 

「見本は省へ出しました」

 

「なぜ私へ出さない!」

 

「発注者ではありませんので」

 

正論だった。

 

元独立運動家は、見本の別の場所を見ていた。

 

「家族欄が小さい」

 

軍将校が振り返る。

 

「今それを言うな!」

 

「一家族十二人なら書けん」

 

「別紙を使え!」

 

「その説明がない」

 

「手引きに書け!」

 

「既に刷った」

 

軍将校は一万枚の書式を見る。

 

元独立運動家は、やれやれと首を振った。

 

「二版目で直すか」

 

「一版目を使い切ってからだ!」

 

「現場で困る」

 

「余白に書け!」

 

実業家が見本を取る。

 

「別紙も印刷商品として追加できます」

 

「利益を出そうとするな!」

 

「制度維持には必要です」

 

技師が申請書を透かして見る。

 

「紙が薄い」

 

「お前は黙っていろ!」

 

元白軍将校が一枚取った。

 

「これがあれば、国外から来た者を入れやすいな」

 

軍将校が即座に取り返す。

 

「正規経路を使え!」

 

「使える者はな」

 

「勝手に配るな!」

 

「一枚くらい」

 

「一枚から増える!」

 

皆が黙った。

 

その通りだった。

 

WILKでは、一枚から増える。

 

申請書。

 

手引き。

 

家族票。

 

診療証。

 

学校への通知。

 

転職届。

 

制度。

 

工場。

 

町。

 

いつも一つの必要から、別の必要が生まれる。

 

 

その年、WILKは航空機を量産した。

 

交換部品を増やした。

 

地方修理網を広げた。

 

学校では新しい整備員が育った。

 

食品部門では、また新しい商品が試作された。

 

だが国内で最も広く複製されたWILK製品は、航空機ではなかった。

 

翼もない。

 

発動機もない。

 

武装もない。

 

一枚の書式だった。

 

そこには名前を書く欄がある。

 

一つで足りなければ、複数書く。

 

生年月日が分からなければ、分からないと書く。

 

国籍が確定しなければ、未確定と書く。

 

家族がいるなら、その名を書く。

 

仕事ができるなら、その技能を書く。

 

紙が足りなければ、別紙を付ける。

 

元独立運動家は、その別紙の記入例を直していた。

 

軍将校は、役所から来た追加照会へ返答を書いている。

 

二人とも、やれやれという顔だった。

 

「次は何だ」

 

軍将校が尋ねる。

 

元独立運動家は、新しい申請書を差し出した。

 

仮登録者死亡時・遺族生活継続申請。

 

軍将校の顔が険しくなる。

 

「縁起でもない」

 

「人は死ぬ」

 

「分かっている!」

 

「なら必要だ」

 

軍将校は申請書を取った。

 

内容を読む。

 

遺族。

 

住居。

 

未払い給与。

 

工具。

 

子供の就学。

 

埋葬。

 

「財産承継欄がない」

 

元独立運動家が驚く。

 

「お前から言うのか」

 

「実業家が後で増やす。先に欄を作れ」

 

二人は顔を見合わせた。

 

元独立運動家が笑う。

 

軍将校は笑わなかった。

 

だが赤鉛筆を取り、用紙の余白へ新しい欄を書き足した。

 

人間を制度へ入れる。

 

制度を人間に合わせる。

 

どちらが先だったのかは、もう分からない。

 

ただ、遠い町で誰かがその紙を受け取り、

 

少なくとも、ここでは自分が存在すると書かれている。

 

そう思えるなら、二人の仕事はまだ終わらなかった。

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