WILK ―忘れずの故郷―   作:ヒツジ(ラム肉

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――WILK社・世界的信用収縮に関する臨時説明会記録
一九二九年十一月

開催目的。

米国株式市場の暴落が、WILK社、ポーランド国内産業、農業、輸送、雇用および周辺諸国へ与える影響を説明する。

説明担当。

経営担当。
技術責任者。
生活支援担当。
国外輸送協力担当。
軍監督官。

軍監督官追記。

説明担当者は一名でよい。

経営担当回答。

問題が一つではありません。

軍監督官再追記。

少なくとも、同時に話すな。

会議結果。

実施できず。


第75話 アメリカだけで終わると思うな

第75話 アメリカだけで終わると思うな

 

――WILK社・世界的信用収縮に関する臨時説明会記録

一九二九年十一月

 

開催目的。

 

米国株式市場の暴落が、WILK社、ポーランド国内産業、農業、輸送、雇用および周辺諸国へ与える影響を説明する。

 

説明担当。

 

経営担当。

技術責任者。

生活支援担当。

国外輸送協力担当。

軍監督官。

 

軍監督官追記。

 

説明担当者は一名でよい。

 

経営担当回答。

 

問題が一つではありません。

 

軍監督官再追記。

 

少なくとも、同時に話すな。

 

会議結果。

 

実施できず。

 

説明会の会場には、黒板が三枚用意されていた。

 

一枚目には、数字。

 

二枚目には、矢印。

 

三枚目には、世界地図。

 

ポーランド軍将校は、壇上へ上がるなり三枚を見比べた。

 

「多い」

 

実業家が答えた。

 

「問題が多いので」

 

「一枚にまとめろ」

 

元ドイツ帝国軍技師が、数字の並んだ黒板を見た。

 

「まとめれば、故障箇所が分からなくなる」

 

「これは機械ではない」

 

「機械なら、まだ分かりやすい」

 

元白軍将校は、世界地図の前へ立っていた。

 

「東側が狭い」

 

軍将校が振り向く。

 

「地図だぞ」

 

「道が足りん」

 

「国境線が描いてあるだろう」

 

「道ではない」

 

「描き足すな!」

 

元白軍将校の手には、既に赤鉛筆があった。

 

元独立運動家が取り上げた。

 

「あとで必要になる」

 

「なら今描けばいい」

 

「説明会の途中で亡命路を増やすな」

 

会場には、WILK各部門の責任者が集まっていた。

 

製造部。

 

整備部。

 

食品部。

 

酒造部。

 

人事部。

 

経理部。

 

地方協力拠点担当。

 

学校。

 

診療所。

 

倉庫。

 

運送。

 

軍側からは兵站局と航空部の者も来ている。

 

灰色背広の情報部員は、最後列へ座っていた。

 

目立たない場所を選んだつもりらしい。

 

だが元白軍将校が入室直後に、

 

「今日は酒蔵の話ではないぞ」

 

と声をかけたため、全員が彼を見た。

 

灰色背広は何も答えなかった。

 

軍将校は壇上の机を叩いた。

 

「始める」

 

会場が静かになる。

 

「最初に言っておく」

 

軍将校は出席者を見回した。

 

「これは株の買い方を教える会ではない」

 

元白軍将校が手を上げた。

 

「売り方は?」

 

「お前は黙っていろ」

 

「損を出した者には必要だ」

 

「必要でもお前からは教わらせん!」

 

会場の何人かが笑った。

 

軍将校は睨んだ。

 

笑いが止まる。

 

「米国で株価が暴落した。だが、それだけならアメリカの株を買った者の問題だ」

 

実業家が隣で小さく首を振った。

 

軍将校が気づく。

 

「違うのか」

 

「かなり」

 

「なら最初からそう言え」

 

「今、言いました」

 

「私に言わせてから訂正するな!」

 

実業家は壇上へ進み、最初の黒板を指した。

 

そこには、株価、融資、担保、預金、工業生産、商品価格と書かれている。

 

数字の横には、さらに小さな数字。

 

その横には注記。

 

軍将校が見た。

 

「読めん」

 

「後ろの方には写しを配っています」

 

紙が回される。

 

元ドイツ技師が一枚受け取り、眉を寄せた。

 

「線が細い」

 

「印刷機の限界です」

 

「版を作り直せ」

 

「説明会の後で」

 

「先に直すべきだった」

 

軍将校が言った。

 

「印刷会議ではない!」

 

 

実業家は黒板へ、短い言葉を書いた。

 

株価下落。

 

その下へ矢印。

 

借金。

 

さらに矢印。

 

担保不足。

 

さらに矢印。

 

強制売却。

 

「株価が下がる」

 

実業家が言った。

 

「現金だけで買っていた者は、損をします」

 

軍将校が頷く。

 

「そこまでは分かる」

 

「借金で買っていた者は、損をするだけでは済みません」

 

「なぜだ」

 

「借りた金は返さなければなりません」

 

元白軍将校が腕を組む。

 

「負けても弾薬の請求書は来る」

 

軍将校が振り向く。

 

「軍事用語を使うな」

 

会場の後ろから、整備部長が言った。

 

「分かりやすいです」

 

軍将校は整備部長も睨んだ。

 

実業家が続ける。

 

「株価が下がれば、貸した側は追加の担保を求めます」

 

「担保がなければ」

 

「持っている株を売ります」

 

「下がっている時に?」

 

「はい」

 

「損が増えるだろう」

 

「ですから売りたくありません」

 

「なら売らなければよい」

 

「借金があるので、売らなければなりません」

 

軍将校は一瞬黙った。

 

「借りなければよかったのでは」

 

会場の空気が少し止まった。

 

元独立運動家が言った。

 

「今それを言っても、借金は消えん」

 

「分かっている!」

 

「なら次へ進め」

 

軍将校は壇上の中央へ戻った。

 

「続けろ」

 

実業家は二本目の矢印を書いた。

 

強制売却。

 

その下。

 

さらに株価下落。

 

「売りたい者が増えれば、値段が下がります」

 

「それは前回聞いた」

 

「値段が下がれば、別の者にも追加担保が求められます」

 

軍将校が黒板を見る。

 

「また売るのか」

 

「はい」

 

「さらに下がる」

 

「はい」

 

「また別の者が売る」

 

「はい」

 

元白軍将校が言った。

 

「狭い橋へ退却兵が集中する」

 

元ドイツ技師。

 

「荷重が限界を超える」

 

軍将校は二人を見た。

 

「例えを増やすな」

 

元独立運動家が出席者を見る。

 

「分かった者は手を上げろ」

 

会場の大半が手を上げた。

 

軍将校は少し黙った。

 

「……橋で続けろ」

 

元白軍将校が得意そうに壇上へ近づいた。

 

「敵に追われた部隊が橋へ集まる」

 

「近づくな。口だけで説明しろ」

 

「荷車も来る。馬も来る。負傷者も来る。皆、自分だけは先に渡ろうとする」

 

技師が黒板へ小さく書き加えた。

 

荷重集中。

 

「橋が壊れる」

 

元白軍将校が言った。

 

実業家はその下へ書いた。

 

信用崩壊。

 

軍将校は黒板を見た。

 

「最初から橋を描けばよかったのでは」

 

実業家は答えた。

 

「経済関係者が怒ります」

 

「今日は来ていない」

 

経理部長が手を上げた。

 

「おります」

 

軍将校は見なかったことにした。

 

 

実業家は次の黒板へ移った。

 

銀行。

 

預金。

 

融資。

 

企業。

 

給与。

 

「株式市場の損失が、銀行へ移ります」

 

軍将校が尋ねる。

 

「銀行は株を買っていたのか」

 

「買っていた銀行もあります。株を買う者へ融資した銀行もあります。証券会社へ貸した銀行もあります」

 

「つまり全部関わっている」

 

「全部ではありません」

 

「どれが関わっている」

 

「外からは分かりません」

 

会場がざわついた。

 

元独立運動家が言った。

 

「分からなければ、皆を疑う」

 

「はい」

 

「預金者は金を下ろす」

 

「はい」

 

軍将校が口を挟む。

 

「預けた金を返せばよい」

 

実業家は軍将校を見る。

 

「銀行は、預金された金を全て金庫へ置いているわけではありません」

 

「ではどこへ置く」

 

「貸しています」

 

「誰に」

 

「企業、農家、商人、住宅購入者、投資家」

 

「他人へ渡したのか」

 

「銀行の仕事です」

 

軍将校は納得していない顔だった。

 

「預けた者が返せと言ったら」

 

「一部なら返せます」

 

「全員なら」

 

「返せません」

 

元白軍将校が頷いた。

 

「補給倉庫と同じだ」

 

軍将校がすぐに言う。

 

「またか」

 

「倉庫に一個師団分しかないのに、三個師団が同時に受け取りに来る」

 

兵站局の者たちが一斉に頷いた。

 

軍将校は嫌そうな顔をした。

 

「そこだけ理解が早いな」

 

元ドイツ技師が言った。

 

「在庫不足だ」

 

「預金は在庫ではありません」

 

実業家が答える。

 

「だが、取り付けに対して現金在庫が不足する」

 

「概ね」

 

技師は満足そうに頷いた。

 

軍将校が頭を抱える。

 

「経済を工場と軍隊でしか説明できない者しかいないのか」

 

元独立運動家が答えた。

 

「生活で説明しよう」

 

軍将校は少し安心した。

 

「頼む」

 

元独立運動家は出席者を見た。

 

「明日、銀行へ行って、貯金が返せないと言われたとする」

 

会場が静かになる。

 

「家を買うか」

 

誰も手を上げない。

 

「新しい服を買うか」

 

誰も動かない。

 

「旅行へ行くか」

 

元白軍将校が手を上げた。

 

「お前ではない」

 

手が下がる。

 

「肉を多く買うか。家具を買うか。農機具を買い替えるか」

 

誰も答えない。

 

「買わんだろう」

 

軍将校が頷いた。

 

「それは分かる」

 

「皆が買わなければ、店は売れん」

 

「そうだな」

 

「店が売れなければ、仕入れを減らす」

 

「そうだ」

 

「工場の注文が減る」

 

軍将校の顔が少し変わる。

 

「工場は生産を減らす」

 

「そうなる」

 

「工員を減らす」

 

「待て」

 

「減らされた工員は、さらに物を買わなくなる」

 

元独立運動家は黒板へ円を描いた。

 

売れない。

 

生産を減らす。

 

解雇する。

 

買える者が減る。

 

さらに売れない。

 

軍将校は円を見た。

 

「止めろ」

 

「どこで」

 

「どこかでだ!」

 

「だから今日集めた」

 

軍将校は実業家を見る。

 

「止める方法は」

 

「銀行への信用を戻す。企業へ資金を流す。仕事を残す。所得を残す。消費を完全に止めない」

 

「すぐできるか」

 

「簡単ではありません」

 

「政府が金を出せ」

 

「政府の税収も減ります」

 

「借りればよい」

 

「貸す者が信用を失っています」

 

「金を刷れ」

 

実業家は少し間を置いた。

 

「それには、また別の問題があります」

 

軍将校は壇上の机へ両手をついた。

 

「問題に問題を付けるな!」

 

会場の何人かが笑った。

 

実業家は真顔で答えた。

 

「こちらで付けたわけではありません」

 

 

次に、世界地図が使われた。

 

実業家は米国から欧州へ一本の線を引いた。

 

軍将校が言った。

 

「船便か」

 

「資金です」

 

「金が海を渡るのか」

 

「帳簿上は」

 

元白軍将校が赤鉛筆を取り戻そうとした。

 

元独立運動家が押さえた。

 

実業家は続ける。

 

「大戦後、欧州の国々や企業は、米国の資金を借りて復興しています」

 

軍将校が頷く。

 

「戦争で壊れたからな」

 

「工場を直す。鉄道を直す。家を建てる。賠償を払う。借金を返す。そのために新しい資金が必要でした」

 

「それを米国から借りた」

 

「はい」

 

「返す金は」

 

「輸出や税収から」

 

「足りなければ」

 

実業家は答えなかった。

 

軍将校の顔が険しくなる。

 

「まさか」

 

「新しく借りる場合もあります」

 

「借金を返すために借金をしたのか」

 

「珍しくありません」

 

「それは返していないのでは」

 

「支払期日は守っています」

 

「そういう話ではない!」

 

技師が黒板の線を見る。

 

「亀裂の上へ塗料を重ねていた」

 

元白軍将校。

 

「橋脚を直さず、板だけ交換していた」

 

軍将校は二人を見た。

 

「今回は例えが合っている。続けろ」

 

実業家が米国から引いた線を、今度は逆向きに描いた。

 

欧州から米国。

 

「米国の銀行や投資家が、自国で損失を出しました」

 

「だから」

 

「国外へ貸していた金を引き揚げます」

 

「すぐ返せと?」

 

「あるいは、新しい融資をしない」

 

「欧州側は」

 

「次の資金が来ません」

 

技師が腕を組んだ。

 

「工場の設備更新が止まる」

 

「はい」

 

「原料の購入も」

 

「はい」

 

「給与も」

 

「場合によります」

 

「注文があってもか」

 

「運転資金がなければ」

 

技師は嫌そうな顔をした。

 

「機械はある。職人もいる。注文もある。だが途中の金だけがない」

 

「はい」

 

「最悪だ」

 

「はい」

 

軍将校が言った。

 

「お前たちは時々、意見が合いすぎる」

 

 

元白軍将校が世界地図へ近づいた。

 

今度は赤鉛筆を持っていなかった。

 

代わりに、指で東西を示す。

 

「西の工場が止まる」

 

「そうなる可能性があります」

 

実業家が答える。

 

「失業者が増える」

 

元独立運動家が続けた。

 

「税収が減る」

 

軍将校。

 

「政府は支出を減らす」

 

実業家。

 

「さらに仕事が減る」

 

元独立運動家。

 

軍将校は眉を寄せる。

 

「また円になるな」

 

「はい」

 

「円にするな」

 

「既に円です」

 

元白軍将校はドイツのあたりを指した。

 

「失業者が増えれば、誰かが仕事を約束する」

 

元独立運動家が頷く。

 

「飯もな」

 

技師が加える。

 

「工場へ注文も出す」

 

軍将校が聞いた。

 

「何を注文する」

 

技師は答えなかった。

 

元白軍将校も黙った。

 

会場の空気が変わった。

 

軍将校は自分で答えた。

 

「兵器か」

 

技師が静かに言う。

 

「民間需要が消えても、国家は注文できる」

 

「国家に金がなくても?」

 

「借りる。徴収する。命令する」

 

元白軍将校。

 

「失業者には制服を着せられる」

 

元独立運動家。

 

「制服を着せる前に、敵を教える」

 

軍将校が二人を見る。

 

「敵とは」

 

元独立運動家は会場を見回した。

 

「外国人。少数者。労働組合。商人。銀行家。役人。昨日までの隣人。誰でもよい」

 

誰も笑わなかった。

 

「仕事を失った者は、理由を探す」

 

元独立運動家は続ける。

 

「理由を説明する者がいなければ、犯人を示す者についていく」

 

元白軍将校が低い声で言った。

 

「腹が減れば、話はもっと早い」

 

軍将校が東側を見る。

 

「東はどうなる」

 

元白軍将校が地図のソビエト連邦を指した。

 

「向こうは、資本主義の失敗だと言う」

 

「実際、今は失敗しているように見える」

 

軍将校が言う。

 

「そうだな」

 

「だから自分たちは正しいと言う」

 

「それで終わるか」

 

「終わらん」

 

元白軍将校は指を動かした。

 

農村。

 

都市。

 

工場地帯。

 

鉄道。

 

「外から機械を買いにくくなる。穀物を売って得る金も減る。だが工業化は止めたくない」

 

軍将校の顔が険しくなる。

 

「なら農村から取る」

 

「取る」

 

「足りなければ」

 

「もっと取る」

 

「反対すれば」

 

元白軍将校は答えなかった。

 

元独立運動家が言った。

 

「敵になる」

 

会場の後方で、誰かが息を吐いた。

 

技師が西側を見る。

 

「西は失業者を軍需工場へ入れる」

 

元白軍将校が東側を見る。

 

「東は穀物と人間を計画へ入れる」

 

軍将校が地図の中央を見る。

 

ポーランド。

 

「そして我々は、その間にいる」

 

実業家が頷いた。

 

「はい」

 

今度こそ、誰も何も言わなかった。

 

 

沈黙を破ったのは、食品部門の責任者だった。

 

「農産物価格はどうなります」

 

実業家が三枚目の資料を開いた。

 

「下がる可能性が高い」

 

「安く買えるなら、食料部門には良いのでは」

 

元独立運動家が振り向く。

 

「農家が潰れる」

 

「だが穀物は安くなる」

 

「借金は安くならん」

 

実業家が黒板へ書いた。

 

作物価格低下。

 

借金額、不変。

 

税、不変または減少遅延。

 

農機具代、不変。

 

種、肥料、燃料。

 

「同じ量を収穫しても、得られる金が減ります」

 

軍将校が尋ねる。

 

「豊作なら、量が増える」

 

「皆が豊作なら、価格がさらに下がる場合があります」

 

軍将校は目を閉じた。

 

「食料が増えて困るのか」

 

「売る側は」

 

「食料があるのに、食えない者が出る」

 

元白軍将校が言った。

 

実業家が頷く。

 

「金へ換えられなければ」

 

軍将校は卓を叩かなかった。

 

もう叩く気力が減っていた。

 

「農家が払えなくなれば」

 

元独立運動家が答える。

 

「土地を失う」

 

「どこへ行く」

 

「都市へ」

 

「都市には仕事がない」

 

「だから困る」

 

「戻ればよい」

 

「土地は差し押さえられている」

 

軍将校は天井を見た。

 

「逃げ道がないではないか」

 

元白軍将校が答えた。

 

「だから道を作ってきた」

 

軍将校は彼を見る。

 

元白軍将校はいつもの調子ではなかった。

 

「だが道だけでは足りん。着いた先に仕事が要る」

 

実業家が言う。

 

「ですから仕事を送ります」

 

元独立運動家。

 

「学校も要る」

 

技師。

 

「工具も要る」

 

軍将校は四人を見回した。

 

「話がWILKの拡張へ戻っていないか」

 

実業家が答えた。

 

「外の問題が、こちらへ来ています」

 

「だから会社を大きくするのか」

 

「大きくしなければ受け止められない場合があります」

 

「どこまで受け止める気だ」

 

実業家は答えなかった。

 

元独立運動家が代わりに言った。

 

「来た者までだ」

 

軍将校は額を押さえた。

 

「その答えは聞いたことがある」

 

元白軍将校が頷く。

 

「有効だからな」

 

 

説明会は昼を越えた。

 

食堂からパンとスープが運ばれた。

 

軍将校は一度休憩を宣言した。

 

だが実業家が資料を片付けなかったため、出席者は食べながら質問を続けた。

 

結果として、休憩は説明会の一部になった。

 

元白軍将校は二杯目のスープを受け取った。

 

「経済危機の説明は腹が減る」

 

技師が言った。

 

「お前は何をしても腹が減る」

 

「考えているからだ」

 

「食うことをか」

 

「生き残ることをだ」

 

食堂係が三杯目を断った。

 

「全員へ配ってからです」

 

元白軍将校は、食料配分について正しい判断だと認めた。

 

ただし不満は述べた。

 

軍将校はパンを持ったまま、実業家へ聞いた。

 

「貿易はどうなる」

 

実業家は食べる手を止めた。

 

「各国が国内産業を守ろうとします」

 

「良いことではないか」

 

「輸入を減らします」

 

「国内品を買えばよい」

 

「相手国も同じことをします」

 

「それで?」

 

「我が国の商品も買われません」

 

軍将校は少し考えた。

 

「では相手だけ輸入を続ければよい」

 

実業家は何も言わなかった。

 

元独立運動家が笑った。

 

「相手も同じことを言う」

 

「交渉しろ」

 

「国内の失業者が、外国製品を入れるなと言う」

 

「入れなければ」

 

「輸出部門の失業者が増える」

 

軍将校はパンを皿へ戻した。

 

「どちらでも失業者が増えるではないか」

 

「はい」

 

「経済というものは、もう少し整理して作れなかったのか!」

 

技師が即答した。

 

「設計者がいない」

 

会場のあちこちから笑いが起きた。

 

軍将校も一瞬だけ笑いそうになった。

 

だが元独立運動家が地図を見ているのに気づき、笑みは消えた。

 

 

休憩後、説明会は対応方針へ移った。

 

軍将校は黒板の前へ立った。

 

「よし」

 

声を張る。

 

「ここまでで、外がひどいことは分かった」

 

実業家が言った。

 

「まだ悪化する可能性があります」

 

「今は付け足すな」

 

軍将校は出席者を見た。

 

「WILKが何をするか決める」

 

実業家が紙を配った。

 

軍将校は受け取った。

 

一枚目。

 

取引先信用の再確認。

 

二枚目。

 

現金決済比率の引き上げ。

 

三枚目。

 

食料、燃料、原材料の備蓄。

 

四枚目。

 

中古工作機械および倒産企業設備の調査。

 

五枚目。

 

失業技術者・職人の技能登録。

 

六枚目。

 

国外社員家族の移動余地確認。

 

七枚目。

 

地方協力拠点への仕事増加案。

 

八枚目。

 

学校・診療所・食堂の維持計画。

 

軍将校は紙束を持ったまま、実業家を見た。

 

「何枚ある」

 

「十一枚です」

 

「八枚しかないぞ」

 

「残りは別紙です」

 

「増やすな!」

 

技師が一枚目を取った。

 

「中古機械の検査基準が甘い」

 

「まだ案です」

 

「主軸の振れ、案内面摩耗、送りねじ、電動機、交換部品の有無を加えろ」

 

軍将校が言った。

 

「買うと決めていない!」

 

「買う前に基準が要る」

 

元独立運動家は失業者登録案を見ていた。

 

「家族欄が小さい」

 

軍将校が振り向く。

 

「またか!」

 

「一家族が五人とは限らん」

 

「別紙を使え!」

 

「最初から付けろ」

 

元白軍将校は国外移動案を見ている。

 

「港だけでは足りん」

 

「何を増やす」

 

「鉄道、河川、荷馬車、徒歩」

 

軍将校が怒鳴る。

 

「これは社員旅行案だ!」

 

「旅行者も駅まで歩く」

 

「そういう意味ではない!」

 

実業家は三人の修正を順に書き込んだ。

 

軍将校が気づく。

 

「全部採用するな!」

 

「有用なので」

 

「一度私へ見せろ!」

 

「今、見せています」

 

「修正後をだ!」

 

 

元独立運動家が、自分の担当を説明した。

 

「食堂価格は維持する」

 

経理部長が手を上げる。

 

「食材価格が変われば赤字になります」

 

「会社が出す」

 

軍将校が反応した。

 

「簡単に言うな」

 

実業家が経理部長へ聞く。

 

「現在の余裕は」

 

「維持可能です。ただし利用者が増えれば」

 

「増えます」

 

元独立運動家が断言した。

 

「なぜ分かる」

 

軍将校が尋ねる。

 

「外で飯を減らす者が増える。会社の食堂へ来る」

 

「社員以外もか」

 

「地方拠点から来る者。失業者の家族。求職者。取引先の工員」

 

「全員食わせる気か」

 

「食わずに仕事を探せると思うか」

 

軍将校は反論しなかった。

 

元独立運動家は続ける。

 

「学校は閉じない」

 

教育担当者が頷く。

 

「診療所も」

 

医療担当者が頷く。

 

「家族の借金相談窓口を作る」

 

軍将校が言った。

 

「会社が借金を肩代わりするのか」

 

「しない」

 

「では何をする」

 

「何を担保に、どこから、いくら借りたか整理する。本人すら分かっていない家がある」

 

実業家が加える。

 

「債権者との交渉も必要です」

 

「お前がやるのか」

 

「可能な範囲で」

 

「仕事を増やすな」

 

「問題が増えていますので」

 

軍将校は同じ言葉を聞いた気がした。

 

 

技師は製造部門の方針を説明した。

 

「注文が減った場合、生産を止める前に教育へ回す」

 

製造部長が聞く。

 

「何を教えます」

 

「標準工程。検査。測定。保守。別機種への転換」

 

「売れない物を作り続けるより?」

 

「良い」

 

「給与は」

 

実業家が答える。

 

「教育期間として支払います」

 

軍将校が実業家を見る。

 

「金はあるのか」

 

「今のところ」

 

「今後は」

 

「今後もあるように動いています」

 

「国外へ移した金を使うのか」

 

「必要なら」

 

「だから相談しろと言った!」

 

技師は話を続けた。

 

「稼働を減らした機械は放置するな。清掃。防錆。定期回転。消耗品記録。再始動手順を作る」

 

製造部長が尋ねる。

 

「閉鎖工場の機械も対象ですか」

 

「買うなら」

 

軍将校が割り込む。

 

「まだ買うな!」

 

技師は軍将校を見た。

 

「壊れてから買うのか」

 

「倒産して安くなってからだ!」

 

実業家が少し笑った。

 

軍将校は気づいた。

 

「何だ」

 

「同じ意見です」

 

「違う!」

 

「概ね同じです」

 

「言い方が違う!」

 

元白軍将校が言った。

 

「軍将校も買う気になった」

 

「なっていない!」

 

 

元白軍将校の担当は、国外拠点と輸送だった。

 

彼は世界地図の前へ立った。

 

今度こそ赤鉛筆を持っている。

 

軍将校が止めようとした。

 

だが既に一本目の線を引いていた。

 

ドイツ東部からチェコスロバキア。

 

そこからポーランド。

 

別の線はバルト海沿岸。

 

別の線はルーマニア。

 

「国外の者へ、景気を報告させる」

 

元白軍将校が言った。

 

灰色背広が最後列で手帳を開いた。

 

軍将校がすぐに気づく。

 

「情報活動ではないぞ」

 

元白軍将校が頷く。

 

「仕事の話だ」

 

「何を聞く」

 

「工場の夜勤。荷物の量。船の入港。宿の空室。警察の検査。食料価格。人が移動しているか」

 

灰色背広の手が速く動く。

 

軍将校が睨んだ。

 

「お前は書くな」

 

灰色背広は書く速度を落とした。

 

止めなかった。

 

元白軍将校は続ける。

 

「景気が悪いという言葉は要らん」

 

軍将校が尋ねる。

 

「なぜだ」

 

「人によって意味が違う」

 

「では何を見る」

 

「昨日まで二交代だった工場が一交代になった。貨物列車が一日三本減った。宿に長期滞在者が増えた。外国人の書類確認が厳しくなった。そういうものだ」

 

技師が頷く。

 

「測定できる」

 

「そうだ」

 

「お前にしては良い」

 

「私にしては、とは何だ」

 

「いつもは悪い音で済ませる」

 

「悪い音は重要だ」

 

軍将校が言った。

 

「第七十二話を蒸し返すな」

 

誰も第七十二話という言葉の意味を尋ねなかった。

 

 

最後に実業家が立った。

 

机の上へ、四つの封筒を置く。

 

英国。

 

ノルウェー。

 

スウェーデン。

 

スイス。

 

軍将校が嫌そうな顔をした。

 

「またそれか」

 

「資産の配置状況です」

 

「全員の前で話すのか」

 

「全ては話しません」

 

灰色背広の鉛筆が止まった。

 

実業家は続ける。

 

「資金は一つの銀行へ置かない。輸送権は一つの港へ集中しない。工作機械の購入先を一国へ限らない。会社の記録も一か所へ置かない」

 

軍将校が聞く。

 

「ポーランド本社を信用していないのか」

 

「信用しています」

 

「ならなぜ分ける」

 

「信用と集中は別です」

 

「銀行もか」

 

「はい」

 

「政府もか」

 

「はい」

 

軍将校は少しむっとした。

 

「軍もか」

 

実業家は少し考えた。

 

「特に」

 

会場の数か所から笑いが起きた。

 

軍将校は笑わなかった。

 

「理由を言え」

 

「軍は便利な物を見つけると、軍用にします」

 

元白軍将校が大きく頷いた。

 

「その通りだ」

 

「お前は黙れ!」

 

実業家は続ける。

 

「恐慌が深くなれば、各国政府は国外資金、工場、輸送、食料、外貨へ関心を持ちます」

 

灰色背広がまた書き始めた。

 

「だから、所有権、利用権、保管場所、運営者を分けます」

 

軍将校が問う。

 

「全体を把握する者は」

 

「一人ではありません」

 

「お前は」

 

「概ね」

 

「お前が倒れたら」

 

「別々の担当者が、自分の範囲を動かします」

 

技師が言った。

 

「良い」

 

軍将校が振り向く。

 

「簡単に認めるな」

 

「一人しか動かせない工程を信用するな」

 

実業家が頷いた。

 

「同じ考えです」

 

元白軍将校。

 

「人間も部品か」

 

技師。

 

「お前は規格外だ」

 

「褒め言葉だな」

 

「違う」

 

 

説明会は、予定より三時間長引いた。

 

原因は質問の多さ。

 

資料の多さ。

 

例えの多さ。

 

そして軍将校が、四人の勝手な追加案を一つずつ止めようとしたためだった。

 

最終的に、軍将校は壇上へ戻った。

 

「結論をまとめる」

 

実業家が口を開こうとした。

 

「お前は黙っていろ」

 

技師も口を開きかけた。

 

「お前もだ」

 

元独立運動家。

 

「家族欄について」

 

「あとで!」

 

元白軍将校が手を上げた。

 

「酒造部門は」

 

「関係ない!」

 

軍将校は深く息を吸った。

 

「無駄な支出を減らす」

 

実業家が小声で言った。

 

「必要な投資は増やします」

 

「黙れと言った!」

 

「取引先を一社へ集中させない」

 

技師が言った。

 

「部品規格も」

 

「あとで!」

 

「食料と燃料を備蓄する」

 

元独立運動家。

 

「ただし市場価格を吊り上げない範囲で」

 

「分かっている!」

 

「社員を簡単に解雇しない」

 

経理部長が手を上げる。

 

「売上減少時は」

 

「教育、保守、地方仕事へ回す!」

 

技師が頷いた。

 

軍将校は続ける。

 

「銀行を一つだけ信用しない」

 

灰色背広が小さく笑った。

 

軍将校が見る。

 

笑いは消えた。

 

「国外の状況を見る」

 

元白軍将校。

 

「人が動き始めたら、地図へ書く」

 

「軍用地図にはするな!」

 

「分かっている」

 

「本当か!」

 

「軍へは見せん」

 

「私には見せろ!」

 

実業家が小さく言った。

 

「軍用になっていますね」

 

軍将校は聞こえなかったことにした。

 

「以上だ!」

 

会場から手が上がった。

 

軍将校は見なかった。

 

別の手。

 

さらに別の手。

 

「以上だと言った!」

 

食品部門責任者が尋ねた。

 

「余った果実の買い取りを増やしてよいですか」

 

軍将校は止まった。

 

元独立運動家が答える。

 

「農家の現金収入になる」

 

実業家。

 

「保存設備に余裕があります」

 

技師。

 

「乾燥機の二号機を使える」

 

元白軍将校。

 

「酒にもできる」

 

「最後の意見は却下だ!」

 

酒造部門責任者が手を上げた。

 

「既に試験中です」

 

軍将校は椅子へ座った。

 

説明会は終了しなかった。

 

 

その日の夕方。

 

最初の取消電報が届いた。

 

地方郵便会社。

 

航空機三機。

 

資金調達不能のため、契約延期。

 

翌日。

 

農機具会社。

 

部品発注半減。

 

三日後。

 

英国商社。

 

冷蔵設備の支払猶予を要請。

 

四日後。

 

ドイツの工作機械会社。

 

従業員整理を開始。

 

五日後。

 

農産物仲買業者。

 

穀物価格下落により、契約条件の再協議を希望。

 

一週間後。

 

WILK本社の門前へ、仕事を求める者が並び始めた。

 

最初は七人。

 

翌日は十三人。

 

その翌日は二十一人。

 

旋盤工。

 

荷役夫。

 

帳簿係。

 

教師。

 

御者。

 

縫製工。

 

元銀行員。

 

農場を失った夫婦。

 

家族を連れた者。

 

工具だけを持つ者。

 

何も持たない者。

 

門番は人事部へ連絡した。

 

人事部は元独立運動家へ連絡した。

 

元独立運動家は軍将校へ書類を持っていった。

 

「仮登録票が足りん」

 

軍将校は書類を見た。

 

「先月、増刷しただろう」

 

「もう使った」

 

「何枚」

 

「二百」

 

「一か月で?」

 

「家族分を含む」

 

軍将校は額を押さえた。

 

「まだ始まったばかりだぞ」

 

元独立運動家は窓の外を見た。

 

門前の列。

 

手荷物。

 

子供。

 

工具箱。

 

「向こうにとっては、もう始まっている」

 

 

暴落は、ニューヨークで始まった。

 

だが、そこに留まらなかった。

 

銀行を渡った。

 

手形を渡った。

 

汽船を渡った。

 

鉄道を渡った。

 

工場を止めた。

 

店を閉じた。

 

農産物の値を落とした。

 

仕事を消した。

 

人を国境へ向かわせた。

 

アメリカの株を一枚も持っていない者も、損をした。

 

銀行口座を持たない農民も、損をした。

 

株価欄を読めない工員も、仕事を失った。

 

そして世界は、恐慌を輸入した。

 

ポーランドも例外ではなかった。

 

WILKの工場は、まだ動いていた。

 

食堂では、まだパンが出ていた。

 

学校では、まだ子供が学んでいた。

 

診療所では、まだ薬が渡されていた。

 

だが門の外には、昨日まで別の工場で働いていた者が立っていた。

 

その後ろには、さらに人がいた。

 

軍将校は列を見た。

 

実業家へ尋ねた。

 

「何人まで受け入れる」

 

実業家は答えなかった。

 

元独立運動家が、仮登録票の束を抱えて通り過ぎる。

 

技師は、工具を持つ者へ技能を尋ねている。

 

元白軍将校は、家族連れを食堂へ案内していた。

 

軍将校はもう一度尋ねた。

 

「どこまでだ」

 

実業家は門の外を見た。

 

「仕事を作れるところまでです」

 

軍将校は列の長さを見る。

 

「足りるのか」

 

実業家は少し考えた。

 

「足りるようにします」

 

世界的な大不況は、始まったばかりだった。

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