一九三〇年
調査目的。
各国政府による不況対策の比較。
確認された主な政策。
財政支出削減。
増税。
失業給付。
公共事業。
関税引上げ。
輸入制限。
農産物価格保護。
通貨防衛。
産業統制。
治安対策。
軍需発注。
軍監督官所見。
対策が多すぎる。
経営担当回答。
問題よりは少ないです。
軍監督官追加質問。
どれが正しい。
回答。
実施する国、時期、規模および他国の対応によります。
軍監督官追記。
答えになっていない。
技術責任者追記。
要求仕様が確定していない。
国外輸送協力担当追記。
途中で敵が増える。
生活支援担当追記。
敵を増やすな。
会議結果。
各国政府は、それぞれ最善を尽くしていると確認。
同時に、その最善が別の国および別の階層へ損失を移していることも確認。
軍監督官最終所見。
確認して安心できる内容が一つもない。
会議室の壁には、前回使った世界地図が残されていた。
米国から欧州へ向かう資金の線。
欧州から米国へ戻る返済の線。
海運航路。
鉄道路線。
農産物の輸出先。
元白軍将校が勝手に描き足した細い道。
正規の街道ではない。
宿屋。
修理工場。
渡し場。
農場。
国境近くの駅。
消してよい線と、消してはならない線の区別がつかなかったため、誰も消せずにいた。
その前に、新しい黒板が一枚置かれている。
上には、大きく書かれていた。
政府に何ができるか。
ポーランド軍将校は、その文を見た。
「もっと狭くしろ」
実業家が尋ねる。
「何をですか」
「問いをだ」
「既にかなり狭いですが」
「国家全体の話だぞ」
「世界全体の話からは狭くなっています」
軍将校は返事をしなかった。
前回の説明会で三時間以上延長した結果、質問を広くすると会議が終わらないことを学んでいた。
今回は出席者を減らしている。
五人。
灰色背広の軍情報部員。
財務省から一名。
産業担当部局から一名。
農業関係者。
労働行政の担当者。
軍需企業の監督官。
減らしたはずだった。
それでも十五人いた。
元ドイツ帝国軍技師が出席者を見回した。
「多い」
軍将校が振り向く。
「前回より少ない」
「意見を言う人間が多い」
「説明会だ。意見は出る」
「工程会議なら責任者だけでよい」
元独立運動家が答えた。
「人間は部品ではない」
「知っている」
元白軍将校が言った。
「部品より口を出す」
「それも知っている」
灰色背広は手帳を開いた。
軍将校が彼を見る。
「今日は記録だけにしろ」
「承知しました」
「提案もするな」
「必要であれば」
「必要でも一度黙れ」
灰色背広は頷いた。
その時点で、既に何か提案するつもりだった。
◇
実業家は黒板へ、最初の言葉を書いた。
財政。
その下に、
税収減少。
失業増加。
支出増加。
借入困難。
軍将校が腕を組んだ。
「政府も会社と同じか」
「似ている部分はあります」
「収入が減れば、支出を減らす」
「はい」
「普通だ」
元独立運動家が言った。
「政府の支出は、誰かの収入だ」
軍将校が彼を見る。
「それでも、ない金は使えん」
「公務員の給料を減らす」
「仕方がない場合もある」
「その公務員が店で使う金も減る」
「貯金すればよい」
「既に減給されている」
「では安い物を買う」
「店の売上が減る」
実業家が黒板へ矢印を加えた。
支出削減。
その下。
所得減少。
さらに下。
消費減少。
税収減少。
軍将校は黒板を見た。
「また戻ったぞ」
「はい」
「支出を減らした結果、税収がさらに減るのか」
「規模と状況によります」
「便利な答えだな」
「正確な答えです」
財務省の担当者が口を挟んだ。
「しかし国債への信用を守らなければ、政府そのものが借りられなくなる」
元独立運動家が見る。
「だから給付を減らす」
「支出全体を見直す」
「最初に削られるのは、声の小さい者だ」
財務省担当者の顔が硬くなった。
「そのような意図ではない」
「意図の話ではない」
軍将校が二人の間へ手を上げた。
「やめろ。今日は誰が悪いかを決める会ではない」
元白軍将校が言った。
「決められれば楽だがな」
実業家が頷いた。
「一人に決められるなら、対策も簡単です」
軍将校は出席者を見回した。
「では確認する。支出を減らす理由は分かる」
全員が頷いた。
「減らせば悪化する可能性もある」
また頷く。
「減らさなければ、国の信用が落ちる可能性がある」
頷く。
「選択肢に正解を入れろ」
実業家は答えた。
「歴史は試験問題ではありません」
技師が黒板を見る。
「要求が矛盾している」
軍将校が言った。
「軍の要求仕様より悪いか」
技師は少し考えた。
「同程度だ」
「そこは否定しろ」
◇
二つ目の言葉。
関税。
実業家は世界地図のポーランド国境へ、短い線を引いた。
「輸入品へ税をかけます」
軍将校が頷く。
「外国製品が高くなる」
「はい」
「国内製品が売れる」
「場合があります」
「また場合か」
「国内に代替品があり、価格差が大きすぎず、原料を輸入へ依存していなければ」
技師が言った。
「条件が多い」
「経済なので」
「設計が悪い」
「設計者はいません」
前回と同じ答えだった。
軍将校はもう反応しなかった。
実業家は別の国境にも線を引いた。
さらに別の国。
「我が国が輸入を減らします」
「国内産業を守るためだ」
「相手国も減らします」
「同じ理由でな」
「第三国も」
「当然だ」
世界地図の国境へ、次々に線が増えた。
元白軍将校が眺める。
「全員で籠城している」
軍将校が言った。
「敵はいない」
「隣国の商品が敵になっている」
産業担当者が口を挟む。
「国内工場を守るには必要だ」
元独立運動家が尋ねた。
「輸出工場は」
「国外市場を別に探す」
実業家が答える。
「皆が閉じれば、探せる市場は減ります」
「国内向けへ転換すればよい」
技師が言った。
「機械は一日で転換できない」
「需要がある物を作れ」
「設備、材料、図面、技能、検査具が要る」
「企業努力で」
技師の眉が動いた。
「その言葉は、何も渡さない者がよく使う」
軍将校が咳払いをした。
技師は以前、軍から前金も材料も設備もない注文を受けたことを忘れていなかった。
元独立運動家が地図を指す。
「工場を守るために、港の仕事が減る」
実業家。
「船会社も」
元白軍将校。
「鉄道貨物も」
農業関係者。
「輸出農家もだ」
軍将校は国境線で細かく区切られた地図を見た。
「国内の仕事を守るための政策だろう」
「はい」
実業家が答える。
「その結果、国内の別の仕事が失われます」
「では関税を上げるなと?」
「上げなければ、安い輸入品で国内工場が苦しむ場合があります」
軍将校はしばらく黙った。
「全員が、自分だけ上げればよいと思っている」
「概ね」
「相手が上げるとは考えないのか」
元白軍将校が笑った。
「戦争を始める者も、相手が撃ち返すことを軽く見る」
軍将校は彼を睨んだ。
「不吉なたとえをするな」
「今の話が不吉だ」
誰も否定しなかった。
◇
三つ目。
通貨。
実業家が机へ硬貨を一枚置いた。
次に外国の硬貨。
さらに金の小片。
軍将校が聞く。
「本物か」
「はい」
「持ち歩くな」
「説明に必要なので」
元白軍将校が金へ手を伸ばした。
実業家は何も言わず、箱へ戻した。
元白軍将校の手は途中で止まった。
「信用されていない」
「金を持って酒蔵へ消えた前例があります」
「酒を買っただけだ」
軍将校が言った。
「金の話を続けろ」
実業家は説明した。
各国は自国通貨の価値を守ろうとする。
国外から資金が逃げれば、通貨は売られる。
金や外貨が減る。
信用を守るため、金利を上げる。
支出を抑える。
通貨を維持する。
軍将校が頷いた。
「良いことだ」
元独立運動家が尋ねる。
「不況の時に、金を借りにくくするのか」
「通貨を守るためです」
財務省担当者が答えた。
「工場は」
技師が聞く。
「借入費用が上がります」
「設備を買えない」
「場合によります」
「運転資金も」
「同様です」
元独立運動家が言った。
「通貨を守って、仕事を失う者が出る」
財務省担当者は少し強く答えた。
「通貨が崩れれば、貯金も輸入も危険になる」
軍将校が二人を見る。
「両方守れ」
実業家が言った。
「皆、そう考えています」
技師は硬貨を指した。
「要求仕様が矛盾している」
軍将校が即座に答える。
「それはもう聞いた」
「何度聞いても矛盾している」
「解決策を言え」
「通貨を作り直す」
財務省担当者の顔色が変わった。
実業家が補足する。
「制度全体の話です」
「簡単に言うな!」
財務省担当者と軍将校が同時に言った。
元白軍将校は少し笑った。
◇
四つ目。
公共事業。
黒板には、道路、橋、発電所、住宅、学校、治水、鉄道と書かれた。
軍将校は初めて、分かりやすい顔をした。
「仕事がないなら、政府が仕事を作る」
元独立運動家が頷く。
「賃金が出る」
技師も頷く。
「設備が残る」
実業家も否定しなかった。
「消費も支えられます」
軍将校は満足そうだった。
「これでよいではないか」
実業家が紙を一枚渡した。
「資金が必要です」
軍将校の顔が戻った。
「またそれか」
「土地も」
元独立運動家。
「宿舎も」
元白軍将校。
「食事も」
技師。
「工具、材料、設計、監督、検査」
軍将校は四人を見た。
「道路一本だぞ」
元独立運動家が答える。
「人が働く」
技師。
「人が働けば設備が要る」
元白軍将校。
「人が集まれば食う」
実業家。
「賃金支払いまでの信用も要ります」
「道路一本造るのに、なぜ町が一つ必要になる!」
四人は一度互いを見た。
元白軍将校が代表して答えた。
「町を造るからではないか」
軍将校は否定しようとした。
だが道路工事の周囲に宿屋、食堂、修理工場、資材置場、診療所が生まれる光景を想像した。
完全には否定できなかった。
労働行政担当者が尋ねる。
「公共事業は、有効だと考えてよいのですか」
実業家は答えた。
「有効な場合があります」
軍将校が先に言った。
「条件を聞くな。長くなる」
実業家は既に口を開いていた。
「始めるまでの時間、事業の場所、失業者の技能、賃金水準、資材価格、財源、完成後の維持費によります」
軍将校は目を閉じた。
「だから聞くなと言った」
元独立運動家が黒板へ一行加えた。
仕事が始まるまで、人は食う。
元白軍将校が頷く。
「初日の賃金は、初日の朝には出ない」
軍将校はその文字を見た。
「WILKの地方拠点へ仕事を送った理由か」
「そうだ」
「国の公共事業より早いのか」
「小さいからな」
実業家が補足する。
「既存の工場、宿、農場、渡し場を使えます」
「だが規模は小さい」
「だから複数へ送ります」
技師。
「品質は揃える」
元独立運動家。
「生活は現地で支える」
元白軍将校。
「道も残る」
軍将校は四人を順に見た。
「またWILKの話になっている」
実業家が答えた。
「比較対象なので」
◇
五つ目。
不満。
その文字を書いたのは元独立運動家だった。
黒板の左側へ、原因を書く。
失業。
減給。
借金。
土地差し押さえ。
預金喪失。
店の倒産。
食料不足。
将来への不安。
右側には、別の言葉。
外国人。
少数民族。
銀行家。
資本家。
地主。
労働組合。
共産主義者。
旧政府。
隣国。
軍将校は二列を見た。
「右は何だ」
「犯人にされる者だ」
「原因ではないのか」
「原因である場合も、一部関係する場合も、何も関係ない場合もある」
「曖昧だな」
実業家が最初の黒板を指した。
銀行。
信用。
貿易。
債務。
通貨。
消費。
生産。
税収。
「本当の説明は長くなります」
元独立運動家が右側の列を指した。
「こちらは短い」
元白軍将校が言った。
「指をさせば済む」
元ドイツ技師。
「修理せず、壊れた原因だと言って部品を捨てる」
軍将校が黒板を見る。
「三時間の説明より、一人の犯人か」
「はい」
元独立運動家が答えた。
「人は、理解できない苦痛にも理由を求める」
「政府が説明すればよい」
「政府も完全には理解していない」
実業家が言う。
「理解していても、解決できない場合があります」
「なら正直に言え」
元白軍将校が苦い顔をした。
「国民へ、分からない、すぐには直せない、皆で耐えろと言うのか」
軍将校は返答に詰まった。
元独立運動家が続ける。
「そこへ別の者が来る」
声を少し変えた。
「我々なら、すぐ仕事を作る」
次。
「我々なら、借金を消す」
次。
「我々なら、国を強くする」
次。
「苦しんでいるのは、あいつらのせいだ」
会議室が静かになった。
軍将校が言った。
「分かりやすい」
「だから危険だ」
「分かりやすいことが?」
「できないことまで、できると言える」
実業家が補足する。
「穏健な政党は、制約を説明します」
元白軍将校。
「急進派は、制約を敵のせいにする」
技師。
「失敗すれば、敵を増やす」
灰色背広の手帳へ、鉛筆が走っていた。
軍将校が見る。
「今の部分は記録しておけ」
「既に」
「珍しく止めなくてよい」
灰色背広は一度だけ頷いた。
◇
国外から届いた報告が読まれた。
ドイツ。
工場の操業短縮。
失業者の増加。
街頭集会。
旧来政党への罵声。
制服に似た服装の若者たち。
ユダヤ人商店への落書き。
労働組合事務所と急進派の衝突。
元ドイツ技師は、報告書を最後まで読んだ。
何も言わなかった。
軍将校が尋ねる。
「知っている場所か」
「工場が三つある」
「取引先か」
「一つは以前」
「以前?」
「経営者が変わった。技師も辞めた」
実業家が聞く。
「連絡は」
「個人へ出している」
「家族は」
「確認中だ」
元独立運動家が紙を取った。
「子供がいるなら先に出せ」
技師は答えなかった。
だが否定もしなかった。
次。
英国。
失業者行進。
港湾荷役の減少。
失業給付を巡る論争。
財政支出削減への反発。
一方で、帝国市場を守るべきだとの声。
次。
フランス。
国内産業保護。
政治的対立。
財政安定を優先する勢力と、支出拡大を求める勢力。
次。
イタリア。
国家による産業統制の強化。
公共事業。
組織化された労働。
反対者への監視。
元白軍将校が言った。
「失業者へ仕事と監視を同時に渡す」
灰色背広が書く。
軍将校が睨む。
「参考にするな」
「比較のためです」
「本当か」
返事はなかった。
次。
ソビエト連邦。
急速な工業化。
農村からの穀物徴収。
大規模な移動。
工場建設。
計画達成の要求。
人員不足と物資不足。
報告者の一部と連絡途絶。
元白軍将校の表情から、僅かな笑いも消えた。
「外の恐慌を、内側の正しさの証明に使う」
軍将校が聞く。
「向こうは株式市場が崩れたわけではない」
「だから自分たちは安全だと言う」
「違うのか」
「不足の理由が違うだけだ」
「工場は増えている」
「人間が足りない。食料も足りない。機械も足りない。時間も足りない」
「なら遅く進めればよい」
元白軍将校は軍将校を見る。
「遅いと認めれば、正しさが揺らぐ」
「計画を修正すれば」
「間違えた者を探す方が早い」
元独立運動家が黒板の右側を見る。
敵。
そこへ新しく書いた。
妨害者。
軍将校は止めなかった。
◇
農業関係者が、ポーランド国内の報告を読み上げた。
穀物価格の下落。
農家債務。
税の滞納。
農機具購入の減少。
都市への人口流入。
小作争議。
差し押さえへの抵抗。
軍将校が尋ねた。
「政府は何をしている」
「価格対策。信用供与。債務猶予。輸入制限。公共事業」
「効果は」
農業関係者は答えに詰まった。
実業家が助けた。
「地域と作物によります」
軍将校は嫌そうな顔をした。
「またか」
元独立運動家が言った。
「助かった農家もいる」
「なら成功だ」
「助からなかった農家もいる」
「全員を救う金はない」
「だから救われなかった者が怒る」
「政府も最善を尽くしている」
部屋が静かになった。
軍将校は自分の言葉を確認するように、もう一度言った。
「どの国も、最善を尽くそうとしている」
実業家が頷いた。
「はい」
「通貨を守ろうとしている」
「はい」
「工場を守る」
「はい」
「農民を守る」
「はい」
「銀行を守る」
「はい」
「労働者を守る」
「はい」
「では、なぜ悪くなる」
実業家はすぐには答えなかった。
世界地図を見る。
国境に引かれた線。
資金の流れ。
閉じられた市場。
元ドイツ技師が言った。
「個々の部品は、自分へかかる力を逃がしている」
元白軍将校。
「各部隊が、自分の退路を確保している」
元独立運動家。
「各家庭が、自分の食料を囲い込んでいる」
軍将校は四人を見る。
「その結果は」
実業家が答えた。
「全体を支えていた流れが止まります」
「誰かが間違えたのか」
「皆、部分的には正しいのでしょう」
「では誰が悪い」
「一人に決められるなら、もう少し簡単でした」
軍将校は椅子へ座った。
「最善を尽くして、壊したのか」
元独立運動家が訂正した。
「壊そうとしたわけではない」
元白軍将校。
「自分だけは壊れないようにした」
技師。
「全体の荷重を考える者がいなかった」
実業家は静かに言った。
「かつての安定は、国と国の間にありました」
軍将校が世界地図を見る。
国境の内側には政府がある。
軍がある。
警察がある。
税務署がある。
法律がある。
だが国境と国境の間を守る政府はない。
「どの国にも属さない安定か」
「はい」
「なら誰が守る」
実業家は答えなかった。
答えがないのではなく、答える国家が存在しなかった。
◇
会議は終盤へ入った。
軍将校が書類をまとめる。
「WILKの方針を確認する」
実業家。
「解雇を急がない」
技師。
「注文が減った工程は教育と保守へ回す」
元独立運動家。
「食堂、学校、診療所を閉じない」
元白軍将校。
「国外の道を維持する」
軍将校。
「社員の政治活動は自由。ただし暴力と業務妨害は認めない」
灰色背広が書く。
元独立運動家が加えた。
「出身、民族、宗教を理由に待遇を変えない」
技師。
「技能に民族はない」
元白軍将校。
「逃げてきた者へ、最初に政治質問をするな」
軍将校がすぐに反論した。
「軍需企業だ。身元確認はする」
「確認はしろ」
「危険なら雇わん」
「危険な行為を見ろ。出身を危険と呼ぶな」
軍将校は黙った。
灰色背広を見た。
「どう思う」
情報部員は少し意外そうな顔をした。
普段、意見を求められることは少ない。
「情報上も、その方が有効です」
「理由は」
「出身だけで排除すると、本当に危険な者は別の出身を名乗ります」
元白軍将校が笑った。
「なるほど」
軍将校は頷いた。
「採用する」
「どの部分をですか」
「出身ではなく行為を見る」
灰色背広は記録した。
元独立運動家が言った。
「珍しくまともだ」
「情報部を何だと思っている」
「灰色背広」
会議室の何人かが笑った。
本人だけは笑わなかった。
◇
扉が叩かれた。
軍将校が顔を上げる。
「入れ」
伝令が入ってきた。
軍服。
革鞄。
封筒が二通。
「航空部より、軍監督官殿へ」
軍将校は最初の封筒を受け取った。
もう一通を見る。
「こちらは」
「政府産業担当部局からです」
会議に出席していた産業担当者が眉を寄せた。
「私は聞いていない」
伝令は困った顔をした。
「至急とだけ」
軍将校はまず、軍の封筒を開けた。
紙を広げる。
最初の数行を読む。
次の頁。
さらに別紙。
表情が変わった。
元白軍将校が尋ねる。
「戦争か」
「違う」
「では何だ」
軍将校は注文書を机へ置いた。
航空機。
予備発動機。
交換部品。
無線設備。
整備車両。
訓練機材。
弾薬搭載装置。
格納庫設備。
前年までの追加注文とは、桁が違った。
技師が紙を取る。
「納期が短い」
「最初に見るのがそこか」
「数量より納期が問題だ」
実業家が横から見る。
「前金があります」
軍将校が振り向く。
「お前は金か」
「会社なので」
元独立運動家は別紙を見た。
「雇用拡大を条件にしている」
元白軍将校。
「失業者を入れろということか」
「軍需工場で雇え、ということだ」
軍将校が答えた。
室内が静かになった。
つい先ほどまで、各国が失業者へ仕事を与える方法を話していた。
その方法の一つが、紙の上へ現れた。
軍将校は二通目を開いた。
政府からの工場拡張依頼。
WILK社に対し、生産能力の拡大を求める。
国防上重要な航空機、発動機部品、輸送設備および関連製品の供給を安定させるため。
新工場建設。
既存工場拡張。
鉄道引込線整備。
労働者住宅建設。
資材の優先配分。
融資保証。
用地取得への行政協力。
失業者の優先雇用。
地方協力工場への再委託推奨。
実業家が最後まで読む。
「条件は良いですね」
技師。
「工作機械を増やせる」
元独立運動家。
「宿舎も学校も建てられる」
元白軍将校。
「地方へ仕事を流せる」
軍将校は四人を見る。
全員、利点を理解している。
そして危険も理解している。
「断る理由がない」
軍将校が言った。
誰も答えなかった。
断れば、工場の仕事は減る。
門前の失業者を雇えない。
取引先へ仕事を送れない。
食堂を維持する負担が増える。
政府との関係も悪くなる。
ポーランド軍の航空力も不足する。
受ければ、工場は動く。
賃金が出る。
機械が増える。
人を雇える。
地方拠点も生きる。
だがWILKは、より深く軍需へ入る。
民間注文が減るほど、国家だけが確実な顧客になる。
技師が低く言った。
「民間機の注文は減っている」
実業家。
「政府は今、最も支払い能力のある顧客です」
元独立運動家。
「この注文を断れば、門の列が伸びる」
元白軍将校は数量表を見た。
「受ければ、制服を着る者も増える」
軍将校が答えた。
「それでも今は、仕事が要る」
会議室の黒板には、まだ各国政府の選択肢が残っている。
公共事業。
関税。
失業給付。
通貨防衛。
産業統制。
軍需発注。
軍将校は最後の文字を見る。
軍需発注。
「皆、これを選ぶのか」
実業家が答えた。
「選びやすいのでしょう」
「なぜだ」
技師。
「工場が動く」
元独立運動家。
「賃金が出る」
元白軍将校。
「国家が理由を説明しやすい」
実業家。
「そして、注文した物が資産として残ります」
軍将校は注文書を見る。
飛行機。
発動機。
車両。
無線。
格納庫。
燃料設備。
工場。
鉄道。
住宅。
それは不況対策だった。
雇用政策だった。
産業政策だった。
国防政策だった。
どれも必要だった。
どれも正当化できた。
軍将校はペンを取った。
署名欄へ近づける。
一度止めた。
「この先、どうなる」
誰に尋ねたのかは分からなかった。
元ドイツ技師は答えた。
「工場は大きくなる」
元独立運動家。
「人が増える」
実業家。
「政府との結びつきが強くなります」
元白軍将校は、少し遅れて言った。
「十年はないかもしれん」
軍将校が彼を見る。
「何がだ」
元白軍将校は答えなかった。
軍将校は署名した。
◇
各国政府は、何もしなかったのではない。
それぞれが、自国にとって最善と思われる手を選んだ。
通貨を守った。
銀行を守った。
農業を守った。
工場を守った。
国境を守った。
失業者へ仕事を与えようとした。
その結果、金は国境を越えにくくなった。
商品も越えにくくなった。
人も越えにくくなった。
誰も、かつての安定を壊そうとはしなかった。
だが、安定そのものを守る政府は存在しなかった。
そして最後には、多くの国が同じものを注文した。
武器。
車両。
航空機。
制服。
燃料。
兵舎。
国家が買えば、工場は動いた。
軍が雇えば、失業者は減った。
それは、今を救うための選択だった。
最終的には、皆がそれを選んだ。