一九三〇年
将来の航空機需要増大に備え、WILK社に対し以下を要請する。
一、機体組立能力の増強。
二、発動機整備能力の増強。
三、金属加工設備の導入。
四、軍用機生産に適した専用工場の建設。
五、必要人員の早期確保。
同社から提出された回答書には、上記に加えて以下が記載されていた。
一、労働者住宅。
二、共同食堂。
三、診療所。
四、学校。
五、保育施設。
六、鉄道引込線。
七、上下水道。
八、共同浴場。
九、食料倉庫。
十、職業訓練所。
十一、酒類販売所。
航空部は、十一番目について不要との見解を示した。
同社は、既に建築許可を取得済みであると回答した。
工場を一つ増やせ。
軍から届いた書類には、確かにそう書いてあった。
ポーランド軍将校は、同じ一文を三度読んだ。
読み違いではない。
航空機の将来的な増産に備え、WILK社は新たな組立工場を建設すること。
必要な資金、資材、鉄道輸送、用地取得については、政府および軍が可能な範囲で便宜を図ること。
従来ならば、これほどありがたい話もなかった。
軍が資金を出す。
政府が土地を用意する。
鉄道会社が引込線の相談に応じる。
銀行も融資を渋らない。
独立直後、発動機一基と半分の部品を前に、郵便機を単発にするか双発にするかで言い争っていた頃とは違う。
国が、工場を作れと言っている。
ポーランド軍将校は書類を机へ置き、顔を上げた。
「工場を一つ増やせと言われた」
ユダヤ人実業家は頷いた。
「土地は確保しました」
「早いな」
「話自体は以前から聞いていましたので」
元独立運動家が別の書類を広げた。
「住宅用地も隣に押さえた」
ポーランド軍将校は黙った。
元ドイツ軍技術者は、工場予定図へ定規を当てていた。
「鉄道引込線は南側から入れる。北側は将来の拡張用に空ける」
元白軍将校は窓際で酒瓶を眺めていた。
「酒蔵から近いな」
「近くない」
「地図では近い」
「縮尺を見ろ」
ポーランド軍将校は、もう一度言った。
「工場を一つ増やせと言われた」
誰も反応しなかった。
その言葉だけが、会議室の中央へ置き去りにされた。
やがてユダヤ人実業家が尋ねた。
「何か問題が?」
「なぜ住宅がある」
元独立運動家が答えた。
「人が働くからだ」
「既存の町から通わせればよい」
「何人増やすつもりだ」
ポーランド軍将校は、軍から届いた想定生産計画を見た。
今後五年間で、機体組立能力を段階的に三倍。
発動機整備能力を二倍。
部品生産能力を四倍。
さらに戦時には、複数交代制によって平時の倍以上へ引き上げる。
数字だけなら、いくらでも書ける。
だが航空機は数字だけでは組み上がらない。
板金工がいる。
鋳造工がいる。
機械工がいる。
配管工がいる。
電気工がいる。
木工職人も、まだ要る。
検査員がいる。
工具を直す者がいる。
部品を運ぶ者がいる。
食事を作る者がいる。
そして、その一人ひとりに生活がある。
「……何人だ」
ユダヤ人実業家は別紙を差し出した。
「初期計画で千二百人。関連部門を含めれば二千人近く。家族を含めれば五千人を超える可能性があります」
ポーランド軍将校は書類を受け取らなかった。
「町ではないか」
「まだ村です」
元独立運動家が言った。
「学校を二つにすれば町になる」
「増やすな」
「子供の数次第だ」
「工場を一つ増やせと言われただけだ!」
元白軍将校が酒瓶を机へ置いた。
「酒場も一つでは足りないな」
「お前は黙れ!」
新工場の建設予定地は、既存工場から鉄道で十五分ほど離れた平地に決まった。
畑と牧草地が広がり、小さな村が一つある。
地盤は悪くない。
鉄道にも近い。
道路は狭いが、広げられる。
問題は、そこに人が住んでいることだった。
政府側の役人は、地図を指でなぞった。
「この範囲を工業用地として収用できます」
元独立運動家は尋ねた。
「農家は何戸ある」
「十二戸です」
「移転先は」
「補償金を支払います」
「移転先は」
役人は少し黙った。
「補償金で各自――」
「移転先は」
ポーランド軍将校は、会議が長くなることを悟った。
元独立運動家は、こういう時だけ声を荒げない。
声を荒げない時の方が、話は長い。
「土地を買うことと、暮らしを動かすことは違う」
「しかし国家事業です」
「だから雑にやるなと言っている」
ユダヤ人実業家が口を挟んだ。
「隣接地に代替農地を用意できます。家屋の移築費もこちらで負担しましょう」
役人が眉をひそめた。
「そこまで必要でしょうか」
「必要かどうかは、後で分かります」
「後で?」
「工場へ火を付ける者が出た時に」
部屋が静かになった。
ユダヤ人実業家は穏やかに続けた。
「土地を奪われたと思う十二家族が隣に住む工場と、土地を売り、移転し、新しい仕事も得た十二家族が隣に住む工場では、同じ建物でも守られ方が違います」
元独立運動家が頷いた。
「村の道も直す」
ポーランド軍将校が尋ねた。
「軍用道路にするのか」
「生活道路だ」
「幅は」
「軍用車両も通れる」
「軍用道路ではないか」
「生活道路に軍用車両が通れるだけだ」
また始まった。
政府の役人は、途中から書き取りを諦めた。
工場の設計は、元ドイツ軍技術者が担当した。
正確には、彼が全体を組み、各部門の責任者が細部を詰めた。
新工場で扱うのは、従来の木金混合機だけではない。
軍は、次の世代の軍用機を求めていた。
より速く。
より高く。
より多く積み。
より遠くまで飛び。
より強く撃たれても帰る。
そのためには金属機体が必要だと、軍の技術部は考えていた。
薄板を曲げる設備。
大型部材を加工する機械。
熱処理炉。
精密な治具。
リベット作業場。
腐食防止設備。
既存工場へ無理に押し込むこともできる。
だが元ドイツ軍技術者は拒否した。
「木工場の隣で大規模な熱処理をするな」
ポーランド軍将校は言った。
「別棟にすればよい」
「材料の流れが交差する」
「通路を分けろ」
「人の流れが交差する」
「時間を分けろ」
「検査工程が詰まる」
「お前は工場を増やしたいだけではないのか」
元ドイツ軍技術者は図面から目を上げた。
「増やせと言ったのは軍だ」
「一つだ」
「一つの敷地に五棟建てる」
「それを五つと言うんだ!」
ユダヤ人実業家が静かに言った。
「会計上は一工場です」
ポーランド軍将校は振り返った。
「お前まで何を言っている」
「工場番号は一つです」
「建物は?」
「主要棟が五つ。付属棟が十一です」
「町ではないか!」
元独立運動家が訂正した。
「学校がまだ一つだから村だ」
「そこへ戻るな!」
人員募集を始めると、予想以上の数が集まった。
恐慌はまだ、人々の生活を一息に壊してはいなかった。
だが仕事は減り始めていた。
勤務日を削られた者。
工場の閉鎖を告げられた者。
注文が途絶えた職人。
農産物価格の下落で家を維持できなくなった者。
募集開始の翌朝、新工場予定地の仮事務所前には長い列ができた。
航空機を見たことのない者もいた。
金属加工の経験がない者もいた。
名前を読めない者もいた。
元ドイツ軍技術者は列を見て言った。
「全員は採れない」
元独立運動家は答えた。
「今はな」
「技能がない者を入れても機体は作れない」
「技能がないから教える」
「教える者が足りない」
「教える者を増やす」
「その教える者を誰が教える」
二人の視線が、既存工場の熟練工たちへ向いた。
熟練工たちは露骨に顔を背けた。
少し前から、彼らの技術は手順書と見本と検査具へ分解され始めていた。
その時、親方たちは言った。
新人が簡単に真似できるなら、長年の修業は何だったのか。
元ドイツ軍技術者は答えた。
長年かけて得たものを、次の者が長年かけずに得られるようにするのが仕事だ。
親方たちは、まだ納得していなかった。
だが今、仮事務所前には仕事を必要とする者が数百人並んでいた。
フランス北部から設備と職人ごと移ってきた機関銃工房の親方も、その列を見ていた。
「銃を作ったことのある者は何人だ」
担当者が名簿を確認した。
「軍で扱った者ならいます。製造経験者は六人です」
「六人」
「はい」
「何人雇う」
「最初は百二十人を予定しています」
親方はポーランド軍将校を見た。
「銃工場を作るのか」
「航空機工場だ」
「一機に何丁積む予定だ」
ポーランド軍将校は答えなかった。
まだ軍から正式な機体要求は届いていない。
ただし技術部からの予備的な照会には、前方固定機銃の増設という文字があった。
親方は察した。
「何丁だ」
元ドイツ軍技術者が言った。
「決まっていない」
「決まっていない顔ではない」
「四丁を想定している」
親方はしばらく黙った。
「一機に?」
「一機に」
「七・九二か」
「十一ミリだ」
親方はさらに黙った。
「四丁とも?」
「四丁ともだ」
「ガンポッドは」
「既存型を使う」
「新型も必要になる」
「まだ頼んでいない」
「十一ミリを四丁積む飛行機を作って、翼下を空けておく軍がいるか」
元白軍将校が、いつの間にか親方の後ろに立っていた。
「いないな」
元ドイツ軍技術者は彼を睨んだ。
「お前はなぜここにいる」
「見学だ」
「酒蔵へ戻れ」
「酒蔵は工場拡張後の納入量を知りたがっている」
ポーランド軍将校が頭を抱えた。
航空機工場を一つ増やすはずだった。
機関銃工場が増えようとしている。
弾薬工場も当然増える。
発動機整備棟も要る。
部品倉庫も足りない。
人が増えれば食堂が要る。
家族が来れば学校が要る。
病人が出れば診療所が要る。
酒飲みが来れば――
「酒場は要らん」
誰も何も言っていないのに、ポーランド軍将校は先に言った。
元白軍将校が不満そうな顔をした。
「まだ何も言っていない」
「言う前に止めた」
数日後、軍の技術者団が到着するとの連絡が入った。
総勢十四名。
機体構造。
空力。
発動機。
兵装。
装甲。
無線。
爆撃装備。
軍の最新知識を持つ者たちだという。
ポーランド軍将校は少し安堵した。
ようやく、この混乱へ軍側の専門家が加わる。
元ドイツ軍技術者も、珍しく否定しなかった。
「金属機体の経験者がいるなら役に立つ」
「お前でも知らないことがあるのか」
「知らないことがない者は、何も作っていない者だ」
まともな返答だった。
ポーランド軍将校は不安になった。
元白軍将校が尋ねた。
「軍の技術者は酒を飲むか」
「知らん」
「飲めない者だと話が進まない」
「お前が話をする必要はない」
「機体の使い方を教える」
「お前の使い方は教えるな」
ユダヤ人実業家は到着予定表を確認していた。
「宿舎は準備済みです」
元独立運動家も頷いた。
「家族用もな」
ポーランド軍将校は顔を上げた。
「家族?」
「十四名のうち五名は家族同行だ」
「技術者だけを送ってくるのではないのか」
「半年以上の派遣予定だ。置いてくる方がおかしい」
「宿舎は工場完成後ではなかったのか」
ユダヤ人実業家が答えた。
「先に建てました」
「なぜだ」
「人は屋根ができるまで野外で待ってくれません」
正しい。
正しいことばかり言われると、人は反論できない。
ポーランド軍将校は、新工場予定地の全体図を見た。
まだ地面には杭しか打たれていない。
だが図面の上には、既に工場があり、倉庫があり、住宅があり、学校があり、診療所があり、食堂があり、酒場まであった。
その中央には、まだ名のない新型機の組立棟が置かれていた。
軍は将来のために工場を欲した。
政府は失業者へ仕事を欲した。
WILKは、人が働き続けられる場所を作ろうとした。
その三つは、よく似ていた。
同じではなかった。
「技術者団は、いつ来る」
ポーランド軍将校が尋ねた。
「明日の正午です」
ユダヤ人実業家が答えた。
元ドイツ軍技術者は図面を畳んだ。
「では、それまでに要求を聞く準備をする」
元白軍将校は酒瓶を持ち上げた。
「歓迎用だな」
「置け」
「一本だけだ」
「置け」
元独立運動家が窓の外を見た。
予定地では、最初の測量杭を打つ音がしていた。
まだ工場はない。
だが人はもう集まり始めていた。
仕事を求める者。
技術を持ってきた者。
家族を連れてきた者。
国の未来を考える者。
次の戦争を考える者。
誰も、同じものを作ろうとしてはいなかった。
それでも建物は、一つの場所へ建つ。
翌日、軍の技術者団は十四名ではなく、十六名で到着した。
二名は予定外だった。
一人は装甲の専門家。
もう一人は、完全引込脚の専門家だった。
元ドイツ軍技術者は二人を見て尋ねた。
「どちらから壊す」
軍の技術者は答えた。
「壊すために来たのではありません」
元白軍将校が後ろで笑った。
ポーランド軍将校は、その笑い声を聞いた時点で悟った。
新工場の建設より先に、会議室が一つ壊れる。