一九三一年
第一段階。
発動機単独運転。
左右同時運転。
発動機架振動測定。
燃料系統切替。
非常遮断。
冷却確認。
第二段階。
低速地上走行。
制動試験。
左右発動機差動による旋回。
主脚および尾輪挙動確認。
第三段階。
高速地上走行。
方向舵効果確認。
尾部浮揚。
離陸直前状態からの停止。
第四段階。
初飛行。
搭載物。
操縦士。
副操縦士兼機関担当。
試験観測員。
計測器材。
規定量以下の燃料。
固定機銃四門。
最小限の弾薬。
搭載しないもの。
爆弾。
翼下ガンポッド。
増槽。
貨物。
担架。
後部銃手。
元白軍将校から、後部銃手席への搭乗申請が提出された。
却下。
理由。
初飛行であるため。
再申請。
初飛行だからこそ、設計へ関与した者が乗るべきである。
再度却下。
理由。
初飛行であるため。
最初のジュピターは、左の発動機架へ収まった。
二基目は右へ入った。
同じ系列。
ほぼ同じ出力。
同じ取扱説明書を使える。
ただし、細部は同じではなかった。
左は点火装置が旧型。
右は配管接続部が新しい。
左の油温計接続口は下側。
右は少し外側。
左の排気集合管は、そのままでは発動機覆いへ触れる。
右の燃料管は、図面どおりでは脚庫点検扉を塞いだ。
若い軍技術者は二基を見比べた。
「同じ発動機を注文したはずです」
ユダヤ人実業家が書類を確認した。
「同系列、同等性能です」
「同じではありません」
「供給側は同一用途に使用可能としています」
元ドイツ軍技術者が答えた。
「航空機で“使用可能”は、“そのまま付く”という意味ではない」
ポーランド軍将校が尋ねた。
「中間架があるだろう」
「発動機は付いた」
「なら何が問題だ」
「付属品が付かない」
「付属品も合わせろ」
「今やっている」
元白軍将校が右の配管を指した。
「曲げればよい」
元ドイツ軍技術者は振り向かなかった。
「規定半径を守り、支持具を追加し、振動で擦れないならな」
「曲げるのだろう」
「お前の言葉では作業指示にならん」
「短くて分かりやすい」
「短すぎて機体が燃える」
配管は曲げられた。
規定半径で。
支持具を追加し。
脚庫扉から離し。
振動試験のため、接触しそうな場所へ白い塗料を塗った。
元白軍将校は満足そうだった。
元ドイツ軍技術者は満足していなかった。
だが配管は収まった。
発動機単独運転は、左から始めた。
Bizon一号機は工場前の試験場へ固定された。
尾部を太い索で地上金具へつなぐ。
主脚前後へ輪止め。
左右翼端へ見張り。
燃料槽には試験量だけを入れる。
消火班が待機する。
手押し消火器。
砂箱。
防火布。
医療班。
軍の試験責任者。
工場の技術者。
なぜか酒造部門の職長もいた。
ポーランド軍将校が尋ねた。
「なぜいる」
酒造部門の職長は答えた。
「火が出た時、工場の風向きを知っています」
「酒蔵を守るためか」
「もちろんです」
元白軍将校が言った。
「機体も守れ」
「酒蔵へ燃え移らなければ助けます」
ポーランド軍将校は追い返そうとした。
元ドイツ軍技術者が止めた。
「風を見る者は多い方がよい」
酒造部門の職長は残った。
酒は持っていなかった。
少なくとも見える範囲には。
左発動機。
燃料弁、開。
油量、確認。
点火、切。
プロペラ回転。
油圧確認。
点火、入。
ジュピターが一度咳き込んだ。
二度目。
白い煙が吐き出される。
三度目。
九つの気筒が順番に目を覚ました。
低い爆発音が続く。
機体が震える。
発動機担当者が計器を読む。
「油圧上昇」
「回転安定」
「油温、まだ低い」
「左燃料圧、正常」
元ドイツ軍技術者は発動機架を見ていた。
取付部。
隔壁。
配管。
油漏れ。
排気。
振動。
元白軍将校は少し離れた場所で腕を組んだ。
「回った」
ポーランド軍将校が言った。
「見れば分かる」
「止まらない」
「まだ一分だ」
「一分止まらなければ、次も止まらん」
発動機が一度、大きく咳き込んだ。
元ドイツ軍技術者が即座に合図した。
出力低下。
停止。
元白軍将校は黙った。
ポーランド軍将校が彼を見た。
「何か言え」
「一分を過ぎたからだ」
「そういう問題ではない!」
原因は、左側点火装置の接触不良だった。
配線端子を外す。
磨く。
締め直す。
振動で緩まないよう、固定方法を変更する。
再始動。
今度は止まらなかった。
五分。
十分。
十五分。
低回転。
中回転。
一時的な高回転。
発動機架の振動は大きい。
だが予測範囲だった。
特定の回転域だけ、主翼内側の外板が細かく鳴った。
若い軍技術者が記録する。
「共振域、毎分千百五十から千二百付近」
元ドイツ軍技術者が言った。
「通過は速くする」
「常用回転ではありませんか」
発動機担当者が答えた。
「巡航では少し上です」
「着陸進入では通ります」
「長く留まらない」
元白軍将校が言った。
「なら問題ない」
元ドイツ軍技術者は首を振った。
「問題はある。飛行停止にはしない」
若い軍技術者が尋ねた。
「違いは」
「問題があるから記録する。飛行停止にしないから直しながら進める」
「完全に直してからでは」
「次の問題が見つからん」
右発動機は、左より素直に始動した。
ただし油温が上がりやすかった。
発動機覆いを外して再試験。
正常。
覆いを戻す。
上昇。
発動機担当者が排気と冷却空気の流れを確認した。
「右側の出口が狭い」
若い軍技術者が言った。
「左右で同じ覆いです」
「中身が少し違う」
「同型発動機なのに」
元ドイツ軍技術者が答えた。
「だから同じ覆いをそのまま使うな」
右側だけ排気出口を広げる。
内部の導風板を少し曲げる。
整備員が作業する。
元白軍将校が覗いた。
「曲げるのだろう」
元ドイツ軍技術者は言った。
「追い出せ」
二人の整備員が、元白軍将校を発動機下から押し出した。
左右同時運転。
これが最初の本格的な試験だった。
二基のジュピターが回る。
左右の排気音が重なる。
Bizon全体が、地面の上で生き物のように震えた。
尾部固定索が張る。
大径車輪が輪止めへ押し付けられる。
翼端が細かく上下する。
計測器の針が動く。
燃料配管へ塗られた白い塗料。
油管の支持具。
発動機架のボルト。
主桁周辺。
脚庫扉。
翼根機銃の点検扉。
全てを人が見ていた。
出力が上がる。
砂が後方へ飛ぶ。
帽子が一つ転がった。
元独立運動家が拾った。
持ち主は若い軍技術者だった。
本人は計器に夢中で気づかなかった。
さらに出力を上げる。
機体が前へ出ようとする。
輪止めが軋む。
元白軍将校が操縦席から叫んだ。
「浮きそうだ!」
ポーランド軍将校が叫び返した。
「浮かすな!」
「工場より外だ!」
「固定している!」
「索を外せばよい!」
元ドイツ軍技術者が腕を振った。
出力低下。
停止。
プロペラが徐々に遅くなる。
完全に止まる前に、ポーランド軍将校が操縦席へ登った。
「降りろ」
「正常だった」
「降りろ」
「左右差も小さい」
「今すぐ降りろ」
元白軍将校は降りた。
次の試験から操縦席へ入る者の名簿から、彼の名が消えた。
誰が消したのかは明記されなかった。
五人全員が知っていた。
最初の低速走行では、航空会社から呼ばれた操縦士が乗った。
Turで七年間、地方路線を飛んでいた男。
雨。
泥。
雪。
家畜。
荷車。
患者。
郵便。
滑走路へ人が入ってきた時の急停止。
飛行場と呼ばれている牧草地への着陸。
そのすべてを経験していた。
操縦士はBizonの操縦席へ座り、左右を見た。
「前は見えます」
若い軍技術者が聞いた。
「良好ですか」
「見えます」
「評価は」
「Turより機首が太い。だが左右は見える」
「地上走行時は」
「曲がれば前も見える」
元白軍将校が言った。
「勘で進める」
操縦士は答えた。
「私は見ます」
元ドイツ軍技術者が頷いた。
「採用した理由だ」
発動機始動。
輪止めを外す。
Bizonが初めて自分の力で動いた。
ゆっくり。
重い。
しかし動く。
大径低圧タイヤが土を踏む。
地面の小さな凹凸を吸収する。
尾輪が跡を残す。
操縦士が左発動機の出力を少し上げる。
右ブレーキ。
機体が右へ向く。
次に逆。
曲がる。
停止。
また動く。
元白軍将校が腕を組んだ。
「荷車だな」
ポーランド軍将校が言った。
「航空機だ」
「今は地面にいる」
「だから地上走行試験だ」
「飛ぶ荷車だ」
元独立運動家が言った。
「荷物は積める」
ユダヤ人実業家が続けた。
「費用も荷車より高い」
元ドイツ軍技術者は、機体を見たまま言った。
「速度も違う」
元白軍将校が頷いた。
「よい荷車だ」
ポーランド軍将校は諦めた。
制動試験。
低速。
中速。
左右同時。
片側。
滑走路上での急停止。
最初の急停止では、機首が大きく沈んだ。
尾輪が浮きかける。
操縦士がすぐにブレーキを緩めた。
Bizonは前へ倒れなかった。
止まった。
若い軍技術者が駆け寄る。
「機首が下がりすぎます」
脚担当者は車輪と支柱を確認した。
「主脚位置が少し後ろだ」
元ドイツ軍技術者が答えた。
「前方展開式だからな」
「制動時に前転しやすい」
「重心限界内なら倒れん」
操縦士が降りてきた。
「ブレーキが効きすぎる」
若い軍技術者が驚いた。
「不足ではなく?」
「片側ずつ使うにはよい。両方を急に踏むと強い」
脚担当者が調整案を出す。
初期制動を弱く。
踏み込み後半で強く。
左右差を減らす。
ペダルの踏力も調整。
元白軍将校が言った。
「操縦士がゆっくり踏めばよい」
操縦士は答えた。
「驚いた時、人はゆっくり踏みません」
元ドイツ軍技術者が言った。
「こちらを採用する」
ブレーキは調整された。
二度目の急停止では、機首の沈み込みが小さくなった。
停止距離は少し伸びた。
誰も完全な短さを求めなかった。
前転するよりよい。
高速走行試験。
これには軍の試験責任者が条件を付けた。
離陸してはならない。
操縦士が尋ねた。
「浮いた場合は」
即座に出力を落とし、着地する。
元白軍将校が言った。
「一度浮いたなら飛べばよい」
ポーランド軍将校が答えた。
「お前は試験要領へ近づくな」
元白軍将校は近づかなかった。
ただし双眼鏡を持って滑走路脇へ立った。
一回目。
出力を徐々に上げる。
Bizonが走る。
低速。
中速。
尾部が軽くなる。
方向舵が効き始める。
操縦士は左右へ小さく動かす。
機体が応える。
まだ重い。
だが遅れは少ない。
出力を落とす。
制動。
停止。
二回目。
速度を上げる。
尾輪が地面を離れた。
Bizonの胴体が水平になる。
主翼が揚力を持つ。
大径車輪へ掛かる荷重が減る。
操縦士は操縦桿を少し引いた。
機首が上がろうとする。
すぐ戻す。
出力低下。
着地したまま減速。
停止。
若い軍技術者が記録を読む。
「尾部浮揚速度、予想より低い」
翼担当者が答えた。
「大翼面積だからな」
「方向安定は」
操縦士が降りずに答えた。
「悪くない。横風が強ければ重くなるだろうが、今日なら真っすぐ走る」
「昇降舵は」
「効く。少し重い」
「離陸できそうですか」
操縦士は前を見た。
滑走路。
その先の草地。
さらに先の低い丘。
「できる」
元白軍将校が双眼鏡を下ろした。
「今日飛べる」
ポーランド軍将校が言った。
「今日は高速走行だ」
「天気はよい」
「初飛行要員の最終確認が終わっていない」
「今乗っている」
「観測員がいない」
「私が乗る」
「だから飛ばさない!」
その日の夜。
整備員が機体を調べた。
主脚支柱。
車輪。
ブレーキ。
尾輪。
発動機架。
燃料管。
油管。
操縦索。
外板。
主翼接合部。
高速走行で緩んだボルトが三本。
右発動機覆いに擦過痕。
左脚庫扉の端に、わずかな変形。
尾輪操向索に伸び。
翼根機銃点検扉の留め具が一本緩んでいた。
若い軍技術者は一覧を見た。
「延期すべきです」
元ドイツ軍技術者が尋ねた。
「どれが飛行停止項目だ」
「全て直す必要があります」
「今夜直す」
「直した後、再度走行試験を」
「明朝、短く行う」
「そこで別の問題が出れば」
「直す」
「いつ飛ぶのです」
元ドイツ軍技術者は彼を見た。
「飛ばしたくないのか」
「安全に飛ばしたいのです」
「安全とは、問題が一つもないことではない」
「では何です」
「見つけた問題を理解していることだ」
若い軍技術者は黙った。
元ドイツ軍技術者は緩んだ留め具を指した。
「なぜ緩んだ」
「振動です」
「どの回転域で」
「記録があります」
「直し方は」
「緩み止めを変更します」
「再発した時に分かるか」
「印を付けます」
「なら進める」
初飛行当日。
朝から人が多かった。
工場の労働者。
軍技術者。
軍の監督官。
航空会社の操縦士仲間。
発条工場の職人。
空気筒工場の工員。
ゴム工場の技術者。
学校の教師。
子供たち。
診療所の職員。
酒造部門の職長。
ポーランド軍将校は見物人を減らそうとした。
減らなかった。
「工場操業に支障が出る」
元独立運動家が答えた。
「皆、自分が作った部品が飛ぶか見たい」
「全員が部品を作ったわけではない」
「家族が作った」
「学校の子供は」
「親が作った」
「酒造部門は」
酒造部門の職長が答えた。
「落ちた時の消毒用です」
「酒を持ち込むな!」
「医療用です」
「瓶に“初飛行”と書いてあるぞ!」
酒は診療所へ移された。
元白軍将校が移送先を確認していた。
警備員が一人追加された。
搭乗員は三名。
操縦士。
副操縦士兼機関担当。
試験観測員。
観測員は、計器盤と記録板に囲まれた。
発動機回転数。
油温。
油圧。
燃料圧。
外気温。
高度。
速度。
操舵力。
振動。
主脚位置。
燃料槽切替。
全てを記録する。
後部銃座には砂袋。
無線手席には追加計測器。
爆弾倉にも重量調整用の砂袋が載せられた。
元白軍将校が後部銃座を見た。
「砂袋より役に立つ」
元ドイツ軍技術者が答えた。
「砂袋は勝手に機銃を撃たない」
「弾を入れなければよい」
「勝手に移動もしない」
「私は重心を理解している」
「だから余計に動く」
ポーランド軍将校が言った。
「地上へ下がれ」
元白軍将校は下がった。
ただし機体から三歩だけだった。
さらに十歩下げられた。
最終確認。
燃料。
左右前部槽。
正常。
後部槽。
今回は使用しない。
左右移送弁。
閉。
非常遮断。
確認。
主脚。
展開固定。
収納機構。
正常。
空気式圧縮制動器。
正常。
手動ポンプ。
正常。
操縦面。
補助翼。
方向舵。
昇降舵。
全て動く。
機銃。
安全。
弾薬。
最小限。
爆弾倉。
閉。
貨物扉。
固定。
搭乗員。
三名。
元白軍将校。
地上。
ポーランド軍将校は最後の項目に、自分で印を付けた。
左右発動機始動。
一基目。
二基目。
音が重なる。
輪止めを外す。
Bizonが動く。
滑走路端へ向かう。
低速で曲がる。
風へ正対する。
一度停止。
操縦士が計器を確認する。
左発動機。
正常。
右発動機。
正常。
油温。
許容。
主脚。
固定。
操縦面。
自由。
無線。
通じる。
地上から声が入る。
Bizon一号機、離陸を許可する。
操縦士が答えた。
Bizon一号機、離陸する。
元白軍将校が言った。
「ようやくだ」
誰も止めなかった。
ブレーキを掛けたまま出力を上げる。
機体が震える。
尾部が引かれるように沈む。
左右回転数を合わせる。
操縦士がブレーキを離した。
Bizonが走り出した。
最初は遅い。
重い機体が、大径車輪で土を押す。
速度が上がる。
尾輪が跳ねる。
方向舵が効く。
機体が真っすぐになる。
さらに速度。
尾部が浮く。
胴体が水平になる。
広い翼が空気を受ける。
滑走路の半分。
まだ地面にいる。
若い軍技術者が速度を読む。
「予定内」
ポーランド軍将校は答えなかった。
三分の二。
車輪の土煙が薄くなる。
主脚に掛かる重量が減る。
操縦士が操縦桿を引く。
機首が上がる。
右車輪が一度地面を離れた。
左が続く。
すぐに両方が再接地する。
一度跳ねた。
操縦士は引きすぎない。
速度を待つ。
次の瞬間。
大径車輪と地面の間に、はっきりと空間ができた。
Bizon一号機は飛んだ。
急には上がらない。
地面すれすれを進む。
速度を得る。
それからゆっくり機首を上げる。
十メートル。
二十。
五十。
広い翼が、重い機体を持ち上げ続ける。
元白軍将校が言った。
「飛んだ」
ポーランド軍将校が答えた。
「見れば分かる」
声は少し掠れていた。
Bizonは滑走路上空を直進した。
上昇は遅い。
だが止まらない。
百メートル。
二百。
発動機音は安定している。
観測員が記録する。
上昇率、予測範囲下側。
油温、右側やや高い。
操舵力、縦方向やや重い。
横方向、良好。
方向安定、良好。
操縦士が浅く左へ旋回する。
Bizonの大きな翼が傾く。
ゆっくり回る。
急な癖はない。
右旋回。
同じ。
昇降舵。
機首上げ。
戻す。
機首下げ。
戻す。
補助翼。
反応は速くない。
だが予測どおり動く。
操縦士が無線で言った。
重いが、素直だ。
地上の翼担当者が息を吐いた。
若い軍技術者が記録した。
元白軍将校が言った。
「牛だな」
ポーランド軍将校が尋ねた。
「何がだ」
「重いが、言うことは聞く」
「機名はBizonだ」
「だから牛だ」
「野牛だ!」
「牛ではある」
ポーランド軍将校は訂正を諦めた。
高度三百メートル。
操縦士が速度を落とす。
機首を少し上げる。
Bizonの振動が変わる。
操縦桿へ細かな震え。
失速の兆候。
右翼がわずかに下がる。
急には落ちない。
操縦士が機首を下げる。
出力を増す。
すぐに回復。
観測員が記録する。
失速兆候、明瞭。
急激な自転傾向なし。
回復操作、容易。
元ドイツ軍技術者は地上で頷いた。
「外翼を軽くしたのが効いた」
若い軍技術者が尋ねた。
「低速掃射にも使えますか」
兵装担当者が答えた。
「機銃を撃ってみなければ分からない」
爆撃担当者。
「爆弾搭載時も違います」
偵察担当者。
「写真機の振動もまだです」
輸送担当者。
「貨物を載せれば重心も変わります」
元白軍将校が言った。
「まず飛んだことを喜べ」
四人は彼を見た。
元白軍将校は少し驚いた。
「何だ」
ポーランド軍将校が言った。
「お前が一番まともなことを言った」
「いつもまともだ」
全員が視線を空へ戻した。
主脚収納試験。
操縦士が速度を整える。
油圧操作。
左右の主脚が後方へ引かれる。
前方展開用の発条へ逆らい、油圧筒が動く。
右脚。
左脚。
巨大な車輪がナセル後部へ収まる。
完全には隠れない。
下面から一部が見える。
右収納固定。
左収納固定。
表示器。
両方一致。
観測員が窓から確認する。
主脚収納、正常。
左右作動差、一秒未満。
脚を収納すると、速度が少し上がった。
操縦士が言った。
思ったより変わる。
若い軍技術者が尋ねた。
「完全に隠せば、さらに速くなるのでは」
元ドイツ軍技術者が答えた。
「またその話か」
「初飛行で効果が確認できました」
「腹で降りる時の効果も確認するか」
「今日はしません」
「なら脚は今のままだ」
脚展開。
収納固定具を解除。
発条が支柱を押し出す。
空気式圧縮制動器が動きを抑える。
右脚が前下方へ振り出される。
ガンッ。
次に左。
ガンッ。
機体が二度揺れた。
操縦士が姿勢を修正する。
表示器。
左右固定。
観測員が窓から見る。
車輪は立っている。
主脚展開、正常。
展開時姿勢変化、許容。
脚担当者は、誰にも聞かれない声で、
「開いた」
と言った。
元白軍将校には聞こえた。
「よい脚だ」
脚担当者は返事をしなかった。
だが少し笑った。
飛行時間、三十七分。
Bizon一号機は着陸進入へ入った。
速度を落とす。
大きな翼が機体を支える。
機首は少し高い。
操縦士は左右を確認しながら滑走路へ合わせる。
地面が近づく。
大径車輪。
右。
左。
ほぼ同時に接地。
主脚が沈む。
発条と支柱が荷重を受ける。
ナセル後部隔壁。
主桁。
機体全体へ衝撃が流れる。
一度、小さく跳ねた。
すぐに落ち着く。
尾輪が接地。
制動。
機首が沈む。
だが前転しない。
速度が落ちる。
Bizonは滑走路上で停止した。
発動機は回っている。
その場で数秒。
操縦士が左右を確認する。
再び動く。
整備場へ向かう。
見物人から拍手が起きた。
最初は少人数。
すぐ全体へ広がった。
元ドイツ軍技術者は拍手しなかった。
機体の右発動機を見ていた。
元白軍将校は拍手した。
ポーランド軍将校も、二度だけ手を叩いた。
ユダヤ人実業家は時計を見て飛行時間を記録した。
元独立運動家は、学校の子供が滑走路へ走り出さないよう前へ立った。
五人とも、それぞれ別のことをしていた。
誰も機体から目を離していなかった。
発動機停止。
プロペラが止まる。
扉が開く。
操縦士が降りる。
地面へ足を付ける。
最初の言葉は、
「重い」
だった。
若い軍技術者が記録する。
「操縦がですか」
「全部だ」
「具体的には」
「昇降舵が重い。上昇も重い。加速も重い」
発動機担当者が顔をしかめる。
操縦士は続けた。
「だが予想どおり動く」
翼担当者が尋ねた。
「低速は」
「よい。失速前に分かる。急に片翼から落ちない」
脚担当者。
「収納と展開は」
「揺れるが問題ない。着陸も柔らかい」
発動機担当者。
「油温は」
「右が少し高い」
「上昇中に限界へ近づきましたか」
「近づいていない。ただ夏なら分からん」
兵装担当者。
「掃射姿勢は」
操縦士は少し考えた。
「低速で機首を向けやすい。反動がどう出るかだな」
爆撃担当者。
「爆撃は」
「まだ何も落としていない」
偵察担当者。
「旋回観測は」
「安定している。写真は撮りやすいだろう」
輸送担当者。
「貨物を載せても」
「飛ぶ」
「どの程度まで」
「それを次に試す」
元白軍将校が言った。
「十分だ」
若い軍技術者が尋ねた。
「何がです」
元白軍将校は一号機を指した。
「飛んだ」
「それだけです」
「脚を畳んだ」
「はい」
「また出した」
「はい」
「曲がった」
「はい」
「失速しても戻った」
「はい」
「着陸した」
「はい」
「十分だ」
若い軍技術者は言った。
「まだ運んでいません」
「次に運べ」
「撃っていません」
「次に撃て」
「爆弾も」
「落とせ」
「偵察も」
「見ろ」
「被弾試験も」
「撃たれる前に地上で撃て」
ポーランド軍将校が割って入った。
「一度に全部やるな」
元白軍将校は頷いた。
「順番に全部やる」
「それならよい」
ポーランド軍将校は言ってから、少し考えた。
「いや、よくない。試験計画に従え」
初飛行後点検。
右発動機覆い内部に軽い擦れ。
左翼根機銃点検扉の留め具に緩み。
右主脚格納扉の端に接触痕。
尾部外板の一部に振動による塗装剥離。
燃料漏れなし。
油漏れ、許容範囲。
主桁、異常なし。
発動機架、異常なし。
装甲板固定部、異常なし。
操縦索、異常なし。
主脚発条、異常なし。
空気式圧縮制動器、異常なし。
若い軍技術者は報告を読んだ。
「飛行可能です」
元ドイツ軍技術者が答えた。
「知っている」
「次の試験へ進めます」
「知っている」
「少しは喜ばないのですか」
元ドイツ軍技術者は、右発動機覆いの擦れを指した。
「ここを直してからだ」
元白軍将校が隣から言った。
「飛んだぞ」
「見た」
「なら酒だ」
「まだ昼だ」
「初飛行は一度しかない」
ポーランド軍将校が現れた。
「酒造部門へ行くな」
「行かん」
「本当か」
「向こうから来る」
遠くから、酒造部門の職長が小さな木箱を運んでいた。
ポーランド軍将校が走った。
その日の夕方。
Bizon一号機の機体側面へ、小さな印が描かれた。
翼を広げた野牛。
角は前へ向いている。
足元には、巨大な車輪。
誰が描いたのかは分からなかった。
元白軍将校は自分ではないと言った。
誰も信じなかった。
試験記録の末尾には、初飛行の評価が加えられた。
飛行可能。
低速安定性、良好。
操縦性、重いが予測可能。
上昇性能、不足。
発動機出力、将来的改善を要する。
基本構造、試験続行可能。
その下には、次回試験項目が並んだ。
固定十一ミリ機銃、一門発射。
二門同時発射。
四門同時発射。
模擬爆弾投下。
翼下懸架物搭載。
写真偵察。
無線による砲兵射撃修正。
貨物輸送。
担架搬送。
片発飛行。
未整地離着陸。
若い軍技術者は一覧を見た。
「初飛行より、この後の方が長いですね」
元ドイツ軍技術者が答えた。
「飛ぶだけなら航空機だ」
「では、この後は」
元独立運動家が言った。
「仕事をさせる」
ユダヤ人実業家は試験費用の帳簿を閉じた。
「仕事ができなければ売れません」
ポーランド軍将校は次回試験許可書へ署名した。
元白軍将校は、固定十一ミリ機銃四門の欄へ丸を付けた。
「まずこれだ」
兵装担当者が答えた。
「一門からです」
「四門付いている」
「一門ずつ確認します」
「最初から四門なら早い」
全員が言った。
「順番にやれ!」
Bizonは飛んだ。
だがWILKにとって、飛行は完成ではなかった。
ようやく、仕事を与えられる場所まで来ただけだった。