一九三一年
試験機は右発動機停止状態で、未舗装飛行場への進入および着陸を実施した。
前回試験後、以下の改修が加えられた。
方向舵面積の拡大。
調整式補助タブの追加。
左右燃料遮断弁の分離。
発動機停止手順の簡略化。
非常投棄用貨物固定具。
操縦席内各操作具の触覚識別。
機内積載配置表の追加。
搭載物は以下の通り。
模擬負傷者 二名。
衛生兵 一名。
無線機 一基。
機銃運搬用二輪台車 一台。
砂袋 三百二十kg。
右発動機停止後、試験機は指定された第一着陸地を通過し、第二着陸地へ進入した。
着陸時、右主脚が深い轍へ落ちた。
脚柱、車輪および後方発動機架は損傷しなかった。
試験担当者は、
「片発飛行能力より、着陸可能地点を見分ける能力の方が重要である」
と報告した。
地上部隊は、
「上空から見れば草地でも、地上では沼である」
との意見を付記した
Bizonの方向舵は、以前より少し大きくなっていた。
大きくなったとはいっても、機体全体から見れば目立たない。
垂直尾翼の後縁が広がり、その一部に細長い補助タブが付いた程度である。
だが元ドイツ軍技術者は、その小さな板を朝から何度も動かしていた。
「右へ三度」
整備員が調整する。
「戻せ。二度半」
「目盛りを付けましょうか」
「付いている」
整備員は金属板へ刻まれた小さな線を見た。
「数字がありません」
「試験中だからだ」
「一、二、三と振ればよいのでは」
「角度が決まってからだ」
元独立運動家が後ろから覗いた。
「右、真中、左でよい」
元ドイツ軍技術者が振り返った。
「飛行機の調整を戸の掛け金と同じにするな」
「操縦士が分かればよい」
「整備員も分かる必要がある」
元白軍将校が方向舵を手で押した。
重い舵面がゆっくり動く。
「大きくなった」
「見れば分かる」
「これで脚が疲れんのか」
「補助タブが正しく働けばな」
「正しく働かなければ」
「脚が疲れる」
ポーランド軍将校が試験要領を抱えて近づいてきた。
「今日は発動機を止めたまま着陸する」
元白軍将校が頷いた。
「前回も止めた」
「前回は再始動した!」
「今度は戻さないのか」
「戻せる状態でも戻さず、片発で進入する」
「なぜ戻せる発動機を戻さない」
ポーランド軍将校は一度口を閉じた。
「試験だからだ」
「動く物を止めて飛び、動かせる物を止めたまま降りるのか」
「そうだ!」
元白軍将校は少し考えた。
「軍は変わったことをする」
「お前たちにだけは言われたくない!」
操縦席にも改修が加えられていた。
左右の燃料遮断弁は、以前より離して配置された。
左は丸い握り。
右は角張った握り。
点火操作具にも触って分かる刻みが入り、暗所や煙の中でも誤操作しにくくなっている。
元独立運動家は目を閉じ、右手を伸ばした。
丸い握り。
「左」
隣の角張った握り。
「右」
さらに奥の細い取っ手。
「貨物投棄」
ポーランド軍将校がその手を叩いた。
「勝手に引くな!」
「確認している」
「目を開けて確認しろ!」
元ドイツ軍技術者は操縦席横の新しい札を指した。
そこには短い手順が並んでいる。
発動機停止時
一、停止側確認。
二、速度維持。
三、燃料遮断。
四、点火遮断。
五、着陸地点選定。
六、必要重量投棄。
七、再始動または着陸。
元白軍将校が読んだ。
「前は七番が、操縦を続ける、だった」
「着陸するまで操縦を続けるのは当然だ」
元ドイツ軍技術者が答えた。
「当然なら書かなくてよいのか」
「書いた方がよい場合もある」
「なら消すな」
元ドイツ軍技術者は黙った。
その日の午後には、札の一番下へ小さく、
八、接地後も操縦をやめるな。
と追記されることになる。
この時点では、まだ誰もそれを知らなかった。
貨物室には例の二輪台車が一台積まれていた。
今回は板が載っている。
板の上には緑色の麻袋が八つ。
中身は砂である。
留め具の色と形は、実際の弾薬袋と同じだった。
黒い丸留め。
赤い三角留め。
白い角留め。
泥や煙で色が見えなくても、触れば識別できる。
ユダヤ人実業家は一つずつ札を確認した。
「袋の色が緑で、留め具が黒、形が丸。通常弾想定」
次。
「緑、赤、三角。曳光焼夷弾想定」
ポーランド軍将校が聞いた。
「中は砂だろう」
「試験でも手順は同じです」
「砂袋を弾種別に分ける必要があるのか」
「間違える習慣を付けないためです」
元独立運動家が赤い三角留めを触った。
「暗くても分かる」
「泥が付いても分かります」
ユダヤ人実業家は満足そうに頷いた。
ポーランド軍将校は袋を持ち上げた。
縄一本が麻袋の網目へ通されている。
長くすれば肩掛け。
短く結べば手提げ。
二本へ分ければ簡易背嚢。
「相変わらず雑だな」
元独立運動家が答えた。
「使える」
「専用背嚢の方がよい」
「あるのか」
「軍にはある」
「全員分あるのか」
ポーランド軍将校は袋を置いた。
「飛行試験を始めるぞ」
答えなかった。
今回、着陸候補地は三か所用意された。
第一着陸地は、村外れの広い牧草地。
第二着陸地は、軍が臨時飛行場として整備中の平地。
第三着陸地は、通常の飛行場。
試験条件では、右発動機停止後に現在位置と高度を確認し、三つのうち適切な場所を選ぶ。
ただし操縦士には、地上側がどこへ何を仕掛けたか知らされていない。
元白軍将校が地図を見た。
「敵兵でも置くのか」
ポーランド軍将校が答えた。
「置かない」
「牛か」
「置かない」
「穴か」
ポーランド軍将校は黙った。
元白軍将校が顔を上げる。
「穴を掘ったのか」
「自然にあるものを残しただけだ」
「それを穴という」
「着陸地点の選定試験だ!」
Bizonは二基の発動機で離陸した。
前回より軽い。
それでも上昇は遅い。
大きな翼が空気を掴み、機体は低い速度で着実に高度を得た。
千二百メートル。
予定高度へ達すると、操縦士は機体を水平に戻した。
元ドイツ軍技術者が時計を確認する。
「右発動機停止」
副操縦士が右の角張った燃料弁へ手を伸ばした。
目を向けず、触って確認する。
「右燃料、遮断」
点火を切る。
排気音が崩れた。
右プロペラが風車のように回り始める。
Bizonの機首が右へ引かれた。
操縦士が左足で方向舵を踏み込む。
前回より軽い。
まだ力は要る。
だが脚全体で押し続けるほどではない。
補助タブが舵面を支えていた。
「どうだ」
元ドイツ軍技術者が尋ねる。
「軽くなっています」
「どれくらいだ」
「前は脚で押していました」
「今は」
「足首でも保てます」
元白軍将校が言った。
「なら手でも動かせるな」
操縦士が振り返りかけた。
「動かしません!」
「聞いただけだ」
「聞く必要がありません!」
プロペラが止まる。
抵抗が減る。
機体は緩やかな降下へ入った。
前回より軽いため、降下率も小さい。
だが上昇はしない。
高度は少しずつ失われていく。
「第一着陸地まで七分」
副操縦士が地図を読む。
操縦士は前方を見た。
「見えました」
遠くに緑の長方形がある。
牧草地。
広い。
平らに見える。
周囲に木は少なく、進入方向も取れる。
元白軍将校が窓から見下ろした。
「よい」
元ドイツ軍技術者が双眼鏡を取った。
「待て」
牧草地の一部だけ、色が濃い。
細い筋がいくつも走っている。
「排水溝か」
ポーランド軍将校が答えた。
「地図にはない」
「いつ作った」
「地元農家だろう」
さらに近づく。
牧草地の端に、柵が見えた。
低い木柵。
上空からは細い線にしか見えない。
中央には牛が数頭いた。
元白軍将校が言った。
「牛がいる」
ポーランド軍将校が窓へ寄った。
「置かないと言っただろう!」
「軍は置いていない」
「誰の牛だ!」
「農家だろう」
操縦士が進入方向を変えた。
牛は機影を見上げたが、動かない。
「第一着陸地は使えません」
元白軍将校が答えた。
「牛をどかせばよい」
「降りてどかせません!」
「低く飛べば逃げる」
元ドイツ軍技術者が怒鳴った。
「片発試験中に牛を追うな!」
Bizonは第一着陸地を通過した。
牧草地の牛たちは、最後までほとんど動かなかった。
第二着陸地までは、さらに九分。
高度は七百メートルを切っている。
途中には林。
小川。
集落。
その向こうに、薄茶色の広い地面があった。
軍が整備中の臨時飛行場。
地表には何本か白い布が置かれ、風向きを示している。
「第二へ入る」
操縦士が言った。
元ドイツ軍技術者が地表を見た。
「待て。南側が光っている」
雨水だった。
前日の雨が低い場所へ溜まり、薄い水面になっている。
北側は乾いて見える。
だが、その乾いた地面にも黒い筋が一本延びていた。
「轍だ」
元独立運動家が言った。
「荷馬車か」
ポーランド軍将校は地図の余白へ書き込んだ。
「地上班は何をしている」
「飛行場を整備している」
「整備中の場所を着陸候補にするな!」
「未整地飛行場へ降りる試験だ!」
「未整地と未完成は違う!」
高度は五百メートル。
第三着陸地まで行けば、通常の飛行場へ降りられる。
だが距離がある。
向かい風が強まれば届かない可能性もある。
再始動すれば安全だった。
右発動機は故障しているのではなく、試験のため止めているだけだ。
副操縦士が右の始動手順へ手を伸ばしかけた。
ポーランド軍将校が操縦士へ尋ねた。
「第三へ行けるか」
操縦士は高度と地図を見比べた。
「行けます」
一拍置いた。
「風が変わらなければ」
「第二は」
「北側なら降りられます」
元ドイツ軍技術者が言った。
「轍が見える」
「一本だけです」
「深さが分からない」
元白軍将校が口を挟んだ。
「地上は見えん。なら降りて確かめる」
「着陸は確認方法ではない!」
「第三まで届かず林へ入るよりよい」
それは正しかった。
飛行機は、最良の場所へ降りるとは限らない。
その時に届く場所へ降りる。
操縦士は第二着陸地を選んだ。
「北側へ進入します」
ポーランド軍将校は短く答えた。
「着陸を許可する」
許可する相手は地上にいなかった。
それでも言わずにはいられなかった。
貨物室では、元独立運動家が砂袋を確認した。
「捨てるか」
元ドイツ軍技術者が答える。
「そのままでよい」
「軽い方が着陸しやすい」
「軽すぎれば風に流される。重心も今がよい」
元白軍将校が台車の固定具を見た。
「板は」
「今回は捨てない」
ユダヤ人実業家が即答した。
「誰も聞いていない」
「前回失いました」
「板一枚だ」
「一枚ずつ失えば、最後には工場になります」
ポーランド軍将校が振り返った。
「着陸中に会計の話をするな!」
赤い医薬品袋は壁へ固定。
緑の砂袋は台車上。
模擬負傷者二名は担架に固定され、衛生兵役が頭部を支える。
後部扉は閉鎖。
台車の車輪止めも確認済み。
Bizonは左発動機だけで旋回を始めた。
停止した右側へ曲がるのは容易だった。
生きている左発動機の推力が機首を右へ押す。
反対に左へ戻すには、大きな方向舵が要る。
操縦士は旋回角度を浅く保った。
急に曲がれば速度を失う。
速度を失えば、片発機は簡単に操縦不能へ近づく。
「速度を守れ」
元ドイツ軍技術者が言った。
「分かっています」
「高度を惜しむな」
「分かっています!」
「分かっていても言う」
元白軍将校が頷いた。
「戦場では、知っていることほど忘れる」
誰も反論しなかった。
最終進入。
右プロペラは止まっている。
左発動機は高い出力で回り続ける。
方向舵補助タブを調整し、操縦士は機首を滑走方向へ合わせた。
脚を下ろす。
主脚が前方へ展開する。
ばねが脚を押し出し、空気圧式ダンパーが速度を抑える。
左右の脚が伸びる。
折り畳み支柱が開き、オーバーセンター位置を越えて固定された。
「脚、下」
副操縦士が表示を確認する。
「左右固定」
「非常時には片方だけ落ちる可能性もある」
元ドイツ軍技術者が言った。
「今言う必要がありますか!」
「着陸前に知るべきだ」
「もっと前に言ってください!」
Bizonは地面へ近づいた。
北側の乾いた区域。
地表の黒い筋が太くなる。
思ったより深い轍だった。
荷馬車の車輪が何度も通り、柔らかい地面を削っている。
進入方向と斜めに交差していた。
「左へずらす」
操縦士が方向を修正する。
左へずらすには、停止側と逆へ機首を向けなければならない。
方向舵が重くなる。
補助タブが支える。
だが完全には消えない。
機体が少し横滑りした。
「戻せ」
元ドイツ軍技術者が叫ぶ。
「速度!」
操縦士は機首を下げた。
轍を完全には避けられない。
主脚が地面へ触れた。
左。
続いて右。
大きな低圧タイヤが湿った土を踏む。
機体が沈む。
右車輪が轍へ落ちた。
激しい衝撃。
右側が一気に沈み、Bizonの機首が右へ振られた。
操縦士は左方向舵を踏み込む。
左発動機の出力を落とす。
ブレーキは強く踏まない。
片側だけ効けば、さらに回る。
右脚は轍の中を走った。
タイヤが泥を跳ね上げる。
脚柱が後ろへ押される。
だが折れない。
衝撃は脚柱から後方発動機架の補強隔壁へ流れ、主翼桁へ逃げた。
右発動機ナセル全体が震える。
固定具が鳴る。
一瞬、右脚が畳まれかけた。
しかしオーバーセンター支柱が噛み、ばねが展開方向へ押し続けた。
脚は戻った。
Bizonは大きく右へ曲がりながら、それでも転覆せずに止まった。
機体が静かになる。
左発動機だけが回っている。
操縦士は点火を切った。
完全な静寂。
その後で、貨物室から何かが落ちる音がした。
黄色い麻袋だった。
空だった。
誰かが壁へ掛けたまま固定を忘れていた。
ポーランド軍将校が袋を見た。
「誰だ」
誰も答えなかった。
全員が降りた。
まず負傷者役。
担架を床レールから外し、後部斜路へ滑らせる。
二輪台車を降ろし、板を載せたまま担架搬送に使う。
元独立運動家と衛生兵役が台車を引いた。
右主脚の周囲には泥が積もっていた。
タイヤの半分近くが轍へ沈んでいる。
元ドイツ軍技術者は膝をつき、脚柱と支柱を調べた。
「曲がっていない」
ポーランド軍将校が聞いた。
「本当か」
「今見ている」
「折れてはいない」
元白軍将校が言った。
「それは見れば分かる」
元ドイツ軍技術者は脚の固定ピンへ手を触れた。
「格納側の留め具が少し動いた」
「壊れたのか」
「壊れるように作った」
ポーランド軍将校が顔をしかめる。
「どういう意味だ」
「脚そのものや主翼を壊す前に、格納側の留め具が変形して力を逃がす」
「交換できるのか」
「できる」
「ここで」
「ピンを抜ければ」
元白軍将校が工具箱を持ってきた。
「抜くか」
「まだ抜くな。荷重を抜いてからだ」
「どうやって」
周囲を見回す。
牽引車はない。
ジャッキも大型の物はない。
だが機内には二輪台車と板、縄、砂袋、工具がある。
元独立運動家は台車を見た。
「板を使う」
ユダヤ人実業家が一歩前へ出た。
「切らないでください」
「誰も切ると言っていない」
「前回、空中から落としました」
「今回は地上だ」
板を車輪の前へ置く。
砂袋を開け、轍へ砂を流し込む。
緑色の麻袋は空になると畳まれ、別の袋へまとめられた。
台車の牽引把手へ縄を掛け、機体側の牽引金具へ結ぶ。
地上班が到着するまで、できることをする。
元白軍将校が空になった緑袋を一枚拾った。
「捨てるか」
ユダヤ人実業家が答えた。
「回収します」
「弾薬袋なら現場で捨てる」
「これは試験袋です」
「違いは」
「帳簿に番号があります」
元白軍将校は袋を見た。
確かに小さな札が縫い付けられている。
「番号がある袋は捨てられんのか」
「所在不明になります」
「敵に拾われても番号は残る」
「だから緑です」
「番号は白い」
ユダヤ人実業家は札を見た。
「次から緑糸にします」
ポーランド軍将校が叫んだ。
「今は脚の話をしろ!」
地上班が荷馬車と工具を持って到着した。
先頭の下士官は、Bizonが止まった場所を見て顔をしかめた。
「そこは降りない方がよかったです」
ポーランド軍将校が彼を睨んだ。
「上空から分かるように標識を置け!」
「昨日までは轍が浅かったんです」
「なぜ深くなった」
「飛行場を整備する荷馬車が通りました」
「飛行場を整備するために飛行場へ轍を作ったのか!」
「資材を運ばないと整備できません」
元白軍将校が頷いた。
「正しい」
「正しくても困る!」
下士官は第一着陸地の方角を指した。
「あちらの牧草地の方が平らです」
「牛がいた!」
「あれは今日だけです」
「飛行試験の日に牛を入れるな!」
「地主へ言ってください」
元ドイツ軍技術者は会話を無視して右脚を調べ続けた。
留め具の変形。
タイヤの傷。
ダンパーからの漏れ。
支柱の曲がり。
どれも致命的ではない。
ただし、そのまま離陸するのは避けた方がよい。
「応急修理する」
元ドイツ軍技術者が言った。
「ここでできるのか」
ポーランド軍将校が聞く。
「格納留め具を外す。脚は下ろしたまま固定する」
「引き込めなくなる」
「帰りは脚を出したまま飛ぶ」
「速度が落ちる」
「飛べる」
「右発動機は」
「再始動する」
元白軍将校が言った。
「両方動かして、脚を出したまま帰る」
「遅いぞ」
「落ちるより速い」
またその理屈だった。
だが誰も否定できなかった。
応急修理には二時間かかった。
変形した格納留め具を外す。
脚の展開支柱を追加の金具と縄で固定する。
縄だけでは伸びるため、台車に使われていた短い鉄棒を添える。
板の一部を当て木として使う。
ユダヤ人実業家は切られる板を見ていた。
「また板が減りました」
元独立運動家が鋸を動かしながら答えた。
「機体が増える」
「増えません」
「戻れば減らない」
「それは増加ではなく維持です」
元白軍将校が鉄棒を押さえた。
「会社は維持できれば増えたようなものだ」
「帳簿では違います」
ポーランド軍将校が頭を抱えた。
「修理中くらい静かにできないのか」
誰も答えず、鋸の音だけが続いた。
夕方前。
右発動機が再始動した。
両発動機が回る。
右脚は下ろしたまま固定。
左脚も片方だけ格納する意味がないため、下ろしたまま。
Bizonは泥の中から引き出され、比較的乾いた地面へ移された。
離陸滑走は長くなる。
脚の抵抗もある。
だが貨物の砂を地上へ残し、模擬負傷者も荷馬車で帰すことにした。
機内は軽い。
二輪台車だけは積まれた。
元独立運動家が言った。
「置いていけば軽くなる」
ユダヤ人実業家が答えた。
「持って帰ります」
「脚の当て木を切った」
「台車は切っていません」
「判断基準が分からん」
「価格です」
元白軍将校が頷いた。
「分かりやすい」
Bizonは両脚を出したまま離陸した。
滑走は長かった。
それでも大きな翼が機体を持ち上げた。
速度は出ない。
上昇も悪い。
だが飛べる。
帰路、誰も右発動機を止めようとは言わなかった。
格納庫へ戻った後、機体はすぐ整備台へ載せられた。
右脚は泥だらけだった。
格納留め具は変形していた。
後方発動機架の補強隔壁には、許容範囲内の歪みが記録された。
主翼桁は無事。
タイヤも交換不要。
元ドイツ軍技術者は夜まで記録を書き続けた。
改修事項。
脚展開状態確認表示の大型化。
格納留め具の交換作業簡略化。
応急固定用金具を機内常備。
小型ジャッキ搭載。
着陸候補地判定表。
地表色だけで乾湿を判断しないこと。
家畜、柵、排水溝、轍を確認。
可能なら低空確認を一度行う。
ただし片発時は無理な旋回を避ける。
ポーランド軍将校が最後の項目を読んだ。
「低空確認できるなら、最初から第三飛行場へ行けたのではないか」
元ドイツ軍技術者が答えた。
「結果を知っているから言える」
元白軍将校が横から記録を見た。
「着陸地点を選べ、と書け」
「書いてある」
「どこだ」
元ドイツ軍技術者は最初の頁を示した。
発動機停止時、最初に着陸可能地点を複数選定すること。
元白軍将校は首を振った。
「長い」
鉛筆を取り、その下へ書き加えた。
最初に見えた草地へ降りるな。
ポーランド軍将校が言った。
「第一着陸地のことか」
「牛がいた」
元独立運動家がさらに書いた。
草があるから乾いているとは限らない。
元ドイツ軍技術者も一行足した。
茶色いから硬いとも限らない。
ユダヤ人実業家は考えた末、最後に書いた。
板は一枚余分に積むこと。
ポーランド軍将校が記録を取り上げた。
「なぜ最後だけ修理資材の話なんだ!」
ユダヤ人実業家は、右脚へ当てられた新しい板を指した。
「帰ってきました」
格納庫では、整備員たちがBizonの泥を落としていた。
機体は片発で飛び、着陸地点を選び、轍へ脚を落とし、それでも帰ってきた。
完璧に飛んだわけではない。
綺麗に降りたわけでもない。
何も壊れなかったわけでもない。
ただ、壊れる場所を選べた。
直せる壊れ方をした。
そして帰るために必要な物を、機内に残していた。
飛行機は空で故障する。
だが帰還できるかどうかは、空だけでは決まらない。
最後に選んだ草地と、
そこへ降りた脚と、
泥の中で使える工具と、
一枚余分に積まれた板が決めることもあった。