WILK ―忘れずの故郷―   作:ヒツジ(ラム肉

90 / 110
――ポーランド陸軍航空部・Bizon総合運用試験報告
一九三一年

試験機は、夜明け前に基地を出発した。

搭載物は以下の通り。

十一粍航空機銃用弾薬。
七・九二粍航空機銃用弾薬。
模擬爆弾。
医薬品。
糧食。
無線機部品。
偵察用写真機材。
機銃運搬用二輪台車。
交換部品および整備工具。

試験機は未整地飛行場へ着陸し、物資輸送、地上射撃、写真偵察、砲兵観測、模擬爆撃、負傷者収容、現地整備および再出発を実施した。

帰投中、左発動機の油圧低下を確認。

同発動機の出力を制限し、予定飛行場へ帰投した。

試験終了時、機体に搭載されていた物品のうち、出発時と同じ用途で帰還したものは半数以下であった。

製造所側は、

「失われたのではない。使用された」

と説明した。

会計課は、用途を変更した麻袋、板、台車および航空機銃を同一資産として扱うことを拒否した。


第90話 一日で全部やるな

夜明け前の格納庫には、緑、赤、黄色の麻袋が積み上げられていた。

 

緑は弾薬。

 

赤は医薬品。

 

黄色は糧食。

 

袋の口に付いた留め具は、色と形によって中身を細かく分けている。

 

通常弾は黒い丸。

 

曳光焼夷弾は赤い三角。

 

硬目標用は白い四角。

 

七・九二粍弾薬には、留め具の中央へ一本の切れ込み。

 

十一粍弾薬には二本。

 

暗闇でも、泥が付いても、指で触れば分かる。

 

ポーランド軍将校は試験要領を読み上げた。

 

「目的地へ物資を輸送する」

 

元独立運動家が緑袋を機内へ放り込んだ。

 

「積んだ」

 

「まだ説明中だ」

 

「次は何だ」

 

「現地で地上射撃を行う」

 

元白軍将校が二輪台車を押してきた。

 

上には十一粍航空機銃が載っている。

 

「積む」

 

「待て。次に写真偵察および砲兵観測」

 

元ドイツ軍技術者が写真機材の箱を持ち込んだ。

 

「積んだ」

 

「模擬爆撃」

 

兵装担当者が模擬爆弾を運んできた。

 

「積みます」

 

「負傷者収容」

 

元独立運動家が担架を二本、機内壁へ固定した。

 

「積んだ」

 

「現地整備」

 

元白軍将校が工具箱を載せた。

 

「積んだ」

 

「再出発」

 

ユダヤ人実業家が帳簿を閉じた。

 

「必要な物はすべて積みました」

 

ポーランド軍将校は試験要領を下ろした。

 

「なぜ説明が終わる前に全部積み終わっている」

 

元白軍将校が答えた。

 

「一日で全部やるのだろう」

 

「順番を確認しろ!」

 

元独立運動家が貨物室を見回した。

 

機銃台車。

 

弾薬。

 

医薬品。

 

糧食。

 

無線機部品。

 

写真機材。

 

模擬爆弾。

 

工具。

 

担架。

 

空いている場所はほとんどない。

 

「順番は飛んでから考える」

 

「飛ぶ前に考えろ!」

 

元ドイツ軍技術者は貨物配置表を手にした。

 

「考えてある」

 

床には重量と重心位置に応じた区画線が引かれている。

 

重い十一粍機銃台車は主翼桁に近い中央。

 

模擬爆弾は下部の投下架。

 

弾薬袋は左右均等。

 

担架は後方。

 

医薬品はすぐ手に取れる壁面。

 

工具箱は脚と発動機の点検口に近い位置。

 

「重心は範囲内だ」

 

元ドイツ軍技術者が言った。

 

ポーランド軍将校は貨物表と機内を見比べた。

 

「ぎりぎりではないか」

 

「範囲内だ」

 

「あと何を積める」

 

「人間」

 

「何人だ」

 

ユダヤ人実業家が答えた。

 

「燃料を減らせば増やせます」

 

「目的地まで飛べなくなるだろう!」

 

元白軍将校が操縦席を指した。

 

「操縦士は必要だ」

 

「それは最初から数えろ!」

 

Bizonは夜明けとともに滑走を始めた。

 

重い。

 

これまでの試験でも何度も重かったが、今日は一日分の仕事を丸ごと腹へ詰め込んでいる。

 

発動機二基が唸る。

 

大きな低圧タイヤが草を押し倒す。

 

尾輪が浮く。

 

機体はしばらく地面すれすれを走り、ようやく翼へ体重を預けた。

 

操縦士が速度を維持する。

 

上昇を急がない。

 

高度を欲張れば速度を失う。

 

Bizonは低く、鈍く、それでも確実に離陸した。

 

ポーランド軍将校は窓の外を見た。

 

「飛んだ」

 

元白軍将校が答えた。

 

「まだ驚くのか」

 

「今日は特に重い」

 

「地面へ置いていくよりよい」

 

貨物室では、緑袋がわずかに揺れている。

 

縄一本を網目へ通しただけの簡素な袋だが、床や壁の留め具へ結び付けられ、動かない。

 

元独立運動家が一つの結び目を確認した。

 

「この縄は短い」

 

「固定用だ」

 

ユダヤ人実業家が答えた。

 

「降ろした後は肩掛けにする」

 

「結び直せばよい」

 

「手間だ」

 

「専用の肩紐を付ければ費用が増えます」

 

「縄を長くすればよい」

 

「長い縄は高いです」

 

ポーランド軍将校が振り返った。

 

「今、飛行中に縄の長さを決めるな」

 

元白軍将校が窓の外を見ながら言った。

 

「長い方が用途は多い」

 

「お前まで加わるな!」

 

最初の任務は写真偵察だった。

 

目的地へ向かう途中、地上に設けられた模擬陣地を撮影する。

 

Bizonは高度を上げ、指定区域へ入った。

 

写真担当者が床の撮影窓を開く。

 

風音が増した。

 

「目標、前方右」

 

副操縦士から連絡が来る。

 

模擬陣地は林の縁に作られていた。

 

土嚢。

 

偽装網。

 

木製の車両。

 

地面へ引かれた砲列。

 

写真担当者が機体下方を覗いた。

 

「もう少し左」

 

操縦士が緩く旋回する。

 

「速い」

 

「これ以上落とすと時間がかかる」

 

「写真が流れる」

 

元白軍将校が言った。

 

「もう一度通ればよい」

 

ポーランド軍将校が答えた。

 

「敵地なら撃たれる!」

 

「今日は撃たれん」

 

「実戦を想定しろ!」

 

元ドイツ軍技術者は写真機の取付架を見た。

 

以前補強した部分は震えているが、像が飛ぶほどではない。

 

一回目。

 

広域を撮る。

 

二回目。

 

高度を下げ、陣地配置を撮る。

 

三回目。

 

無線で地上部隊へ位置を送る。

 

「林の西端、道路交差部より北へ二百」

 

無線手が読み上げる。

 

地上の砲兵観測班から返信が来た。

 

着弾修正を求む。

 

模擬砲撃の煙が上がる。

 

目標から右。

 

無線手が伝える。

 

「左へ五十。延伸二十」

 

二発目。

 

陣地中央。

 

元白軍将校が窓から見下ろした。

 

「当たった」

 

ポーランド軍将校が言った。

 

「模擬だ」

 

「実弾なら壊れた」

 

「分かっている!」

 

Bizonは輸送機の腹に物資を積んだまま、偵察機として空を回った。

 

速くはない。

 

だが低速でも安定し、写真担当者と無線手が仕事を続けられる。

 

元ドイツ軍技術者は記録した。

 

写真撮影時、左旋回が容易。

右旋回では貨物偏りの影響を確認。

袋固定位置再検討。

 

ユダヤ人実業家が横から覗いた。

 

「袋の位置を変えるのですか」

 

「重量を動かす」

 

「袋の規格は変えないでください」

 

「飛行試験中だぞ」

 

「染色工場へ既に発注しました」

 

元ドイツ軍技術者は手帳を閉じた。

 

「なぜ試験が終わる前に量産する」

 

「袋は飛行機ではありません」

 

「今、飛行機へ積んでいる!」

 

次は模擬爆撃だった。

 

目標は古い車体と白線で示された陣地。

 

Bizonは高度を下げた。

 

爆撃照準器は複雑なものではない。

 

速度。

 

高度。

 

風向き。

 

事前に作った簡単な表。

 

完璧な精密爆撃を狙う機体ではなく、陸軍部隊と行動し、見える目標へ確実に何かを落とすための機体だった。

 

兵装担当者が投下架を確認する。

 

「模擬爆弾、四発」

 

ポーランド軍将校が答える。

 

「一発ずつ落とせ」

 

元白軍将校が尋ねた。

 

「なぜだ」

 

「投下間隔と機体の変化を見る」

 

「全部落とせば軽くなる」

 

「試験だ!」

 

一発目。

 

機体がわずかに軽くなる。

 

爆弾は目標の手前へ落ちた。

 

二発目。

 

右へ外れる。

 

三発目。

 

白線の内側。

 

四発目。

 

古い車体の横へ落ち、土煙を上げた。

 

元白軍将校が頷いた。

 

「三発目が当たりだ」

 

ポーランド軍将校が言った。

 

「四発撃って一発だ」

 

「一発あれば壊れる」

 

「軍は確率を気にする!」

 

元ドイツ軍技術者は投下後の機体姿勢を記録した。

 

左右の投下架から交互に落としたため、大きな偏りはない。

 

非常投棄索も正常。

 

だが一つの模擬爆弾の留め具が、完全には戻っていなかった。

 

「ばねが弱い」

 

兵装担当者が言った。

 

元独立運動家が答えた。

 

「強くしろ」

 

「強くすると搭載時に重くなります」

 

「棒で押せ」

 

「飛行中に誰が押すんです!」

 

元白軍将校が言った。

 

「後ろの者」

 

「外です!」

 

目的地の未整地飛行場へ到着したのは、昼前だった。

 

前回より地面は乾いている。

 

牛もいない。

 

ただし滑走路端に荷馬車が一台止まっていた。

 

ポーランド軍将校が窓から身を乗り出した。

 

「なぜ荷馬車がいる!」

 

地上員が旗を振り、荷馬車を動かす。

 

荷馬車はゆっくりと滑走路脇へ退いた。

 

元白軍将校が言った。

 

「間に合った」

 

「飛行機が来る前に動かせ!」

 

「見えたから動いた」

 

「予定表を送っただろう!」

 

ユダヤ人実業家が答えた。

 

「郵便が遅れた可能性があります」

 

「我々が郵便を運んでいる会社だろう!」

 

Bizonは大きく一周し、地面の状態を確認した。

 

草。

 

轍。

 

水溜まり。

 

柵。

 

家畜。

 

前回の教訓は手順書になっている。

 

最初に見えた草地へ降りない。

 

茶色いから硬いとは限らない。

 

上空から一度見ただけで決めない。

 

二度目の進入。

 

主脚を下ろす。

 

ばねとダンパーが脚を展開。

 

左右固定。

 

接地。

 

大きなタイヤが土を踏む。

 

Bizonはわずかに跳ねたが、真っすぐ走り、そのまま停止した。

 

ポーランド軍将校が息を吐いた。

 

「今回は何も壊れていない」

 

元ドイツ軍技術者が立ち上がった。

 

「まだ見る前だ」

 

「着陸しただけで点検を始めるな」

 

「着陸したから見る」

 

後部斜路が降ろされた。

 

最初に機銃運搬用二輪台車。

 

十一粍航空機銃を載せたまま、二人が押し、一人が把手を支える。

 

台車が地面へ下りる。

 

折り畳み脚を展開。

 

車輪止め。

 

駐鋤を土へ食い込ませる。

 

緑袋を側面へ掛ける。

 

黒い丸留め。

 

通常弾。

 

二十発の短帯。

 

現地部隊の下士官が銃把を握った。

 

ポーランド軍将校が言った。

 

「五発ずつだ」

 

元白軍将校が尋ねた。

 

「二十発ある」

 

「銃身を冷やす」

 

「四回撃てる」

 

「だから五発ずつだ!」

 

最初の五発。

 

木製車両の側面へ大きな穴が開く。

 

二回目。

 

車輪と車軸を模した部分が砕ける。

 

三回目。

 

短い射撃。

 

給弾が止まった。

 

兵装担当者が手を上げた。

 

「停止!」

 

全員が銃から離れる。

 

短帯が袋の中でねじれていた。

 

麻袋の底板がずれ、弾帯の出口へ角度が付いている。

 

元ドイツ軍技術者が袋を覗いた。

 

「袋を柔らかくしすぎた」

 

元独立運動家が答えた。

 

「板を縫い付けろ」

 

「洗えなくなる」

 

「外せる板にしろ」

 

ユダヤ人実業家が帳簿へ書いた。

 

「底板用の薄板を追加」

 

ポーランド軍将校が驚いた。

 

「試験中に注文するな!」

 

「必要数を確認しています」

 

「まだ一袋しか詰まっていない!」

 

元白軍将校が詰まりを直した。

 

「残り五発だ」

 

「撃つな、原因確認が先だ!」

 

「原因は分かった」

 

十一粍機銃が最後の五発を吐いた。

 

木製車両の前部が崩れた。

 

元白軍将校が言った。

 

「直った」

 

ポーランド軍将校は空袋を握りしめた。

 

「試験要領というものを覚えろ!」

 

七・九二粍機銃も同じ台車へ載せ替えられた。

 

十一粍用の上部揺架を外す。

 

ピン二本。

 

七・九二粍用受け架を載せる。

 

再びピン二本。

 

軽い機銃が固定される。

 

現地部隊はその作業時間を測った。

 

十一分。

 

慣れればもっと早い。

 

七・九二粍は反動が小さく、台車の脚もほとんど動かない。

 

短い射撃を繰り返す。

 

歩兵目標。

 

低い木柵。

 

偽装網。

 

元白軍将校が見た。

 

「小さい方は扱いやすい」

 

元ドイツ軍技術者が答えた。

 

「専用地上銃架ならさらに扱いやすい」

 

現地部隊の下士官が言った。

 

「何台来ますか」

 

ポーランド軍将校が答える。

 

「予算次第だ」

 

「この台車なら」

 

ユダヤ人実業家が即座に言った。

 

「専用品一台分で、受け具を含めて複数台作れます」

 

ポーランド軍将校が彼を見る。

 

「軍の前で営業するな」

 

「軍の試験です」

 

「だからだ!」

 

下士官は二輪台車を押した。

 

「こちらをください」

 

専用品の方が軽い。

 

専用品の方が低い。

 

専用品の方が射撃しやすい。

 

だが、専用品はまだそこになかった。

 

台車はそこにあった。

 

航空機銃を運び、地上へ降り、そのまま撃てた。

 

それで十分な部隊も多かった。

 

午後。

 

Bizonには新しい貨物が積まれた。

 

往路の弾薬と糧食は降ろされている。

 

帰路には模擬負傷者三名。

 

故障無線機。

 

修理を要する小型発電機。

 

現地で回収された写真乾板。

 

空になった緑袋。

 

余った赤い医薬品袋。

 

そして農産物見本。

 

ポーランド軍将校が黄色い袋を見た。

 

「また豆か」

 

ユダヤ人実業家が答えた。

 

「今回は乾燥豆と脱脂粉乳です」

 

「なぜ軍用試験で食料見本を運ぶ」

 

「海外支社へ送る品質確認用です」

 

「この機体は軍の試験機だ!」

 

「帰りの空間は会社のものです」

 

「いつ決まった!」

 

元白軍将校が黄色い袋を持ち上げた。

 

「軽い」

 

「軽いから積んでよいわけではない!」

 

元独立運動家は空いた二輪台車へ板を載せた。

 

その上へ故障無線機と小型発電機を固定する。

 

ポーランド軍将校が指を差した。

 

「その板は射撃中どこにあった」

 

「機体の壁だ」

 

「最初から荷台になる前提だったのか」

 

「板だからな」

 

「板というだけで何にでも使うな!」

 

模擬負傷者は担架に固定された。

 

赤い医薬品袋は壁へ吊るす。

 

縄を引けば、衛生兵が座ったまま手に取れる。

 

緑袋の一部は畳まれ、負傷者の頭の下へ敷かれた。

 

ポーランド軍将校が見つけた。

 

「弾薬袋を枕にするな」

 

衛生兵が答えた。

 

「空です」

 

「元は弾薬袋だ」

 

「今は枕です」

 

元白軍将校が頷いた。

 

「用途が増えた」

 

「増やすな!」

 

現地整備のため、離陸前点検が行われた。

 

右脚。

 

正常。

 

左脚。

 

正常。

 

燃料。

 

正常。

 

右発動機。

 

正常。

 

左発動機。

 

油圧がわずかに低い。

 

元ドイツ軍技術者が計器を見た。

 

「始動直後だからかもしれない」

 

油温が上がる。

 

油圧は規定値へ近づいたが、右より低い。

 

配管に目立った漏れはない。

 

小窓からも油は見えない。

 

ポーランド軍将校が尋ねた。

 

「飛べるか」

 

「飛べる」

 

「帰れるか」

 

元ドイツ軍技術者は少し黙った。

 

「途中で悪化しなければ」

 

「その答えを軍は嫌う」

 

元白軍将校が言った。

 

「正直でよい」

 

「軍は確実な答えを求める」

 

「機械に聞け」

 

元ドイツ軍技術者は手帳へ記した。

 

左発動機油圧、右比低。

離陸後、五分ごとに確認。

規定以下で出力制限。

急低下時停止。

 

ポーランド軍将校は試験要領を見た。

 

総合運用試験。

 

現地整備。

 

再出発。

 

「飛ぶ」

 

彼が決めた。

 

「ただし悪化したらすぐ降りる」

 

元白軍将校が答えた。

 

「降りる場所は選ぶ」

 

「最初に見えた草地へ行くな」

 

元独立運動家が続ける。

 

「茶色い地面も信用するな」

 

ユダヤ人実業家が言った。

 

「板は残す」

 

ポーランド軍将校は四人を見た。

 

「なぜ最後だけ板なんだ」

 

Bizonは再び離陸した。

 

往路より軽い。

 

弾薬も模擬爆弾も降ろしている。

 

しかし負傷者役と修理品、農産物を積み、空荷ではない。

 

高度三百メートル。

 

左油圧、低いが安定。

 

高度六百メートル。

 

変化なし。

 

巡航へ移る。

 

五分。

 

十分快。

 

十五分。

 

左油圧が少し下がった。

 

元ドイツ軍技術者が操縦席へ身を乗り出す。

 

「左出力を落とせ」

 

操縦士が左の絞りを戻した。

 

右発動機が主に機体を引く。

 

完全な片発ではない。

 

左も回っている。

 

だが左右の出力差で機首が左へ向こうとする。

 

方向舵を使う。

 

前回追加された補助タブが働く。

 

ポーランド軍将校が計器を見た。

 

「止めるか」

 

「まだだ」

 

「悪化している」

 

「ゆっくりだ。止めれば再始動できない可能性がある」

 

「最寄りの飛行場は」

 

副操縦士が地図を広げた。

 

「前方二十分。右へ十五分。帰投基地まで三十五分」

 

元白軍将校が言った。

 

「右へ行け」

 

ポーランド軍将校が振り返る。

 

「なぜだ」

 

「近い」

 

「前方の方が整備設備がある」

 

「五分遠い」

 

元ドイツ軍技術者が判断した。

 

「右へ行く。油圧が保てば、そのまま基地まで延長する」

 

「着陸しないのか」

 

「選択肢を残す」

 

左油圧は下がった。

 

それでも急には落ちない。

 

左発動機の回転をさらに抑える。

 

Bizonの速度が落ちる。

 

高度も少しずつ失う。

 

貨物室では、衛生兵が担架を確認した。

 

二輪台車は床レールへ固定されたまま。

 

板の上の故障無線機も動かない。

 

赤い袋が揺れる。

 

黄色い袋は床へ縛られている。

 

元独立運動家が緑の空袋をまとめた。

 

「捨てるか」

 

ユダヤ人実業家が答えた。

 

「軽すぎて意味がありません」

 

「なら持って帰る」

 

「当然です」

 

元白軍将校が小型発電機を見た。

 

「重いのはあれだ」

 

「修理すれば使えます」

 

「機体が落ちれば使えん」

 

「まだ落ちていません」

 

ポーランド軍将校が叫んだ。

 

「投棄の相談を静かにしろ!」

 

「聞こえない方がよいのか」

 

「そういう意味ではない!」

 

十五分後。

 

右側の飛行場が見えた。

 

舗装されてはいない。

 

だが草は短く、地上員が白布を並べている。

 

左油圧は規定下限近く。

 

元ドイツ軍技術者が言った。

 

「降りる」

 

ポーランド軍将校が尋ねた。

 

「基地まで行かないのか」

 

「行けるかもしれない」

 

「なら」

 

「行けることと、行くべきことは違う」

 

元白軍将校が頷いた。

 

「よい」

 

機体は進入へ入った。

 

脚を下ろす。

 

左右展開。

 

固定。

 

左発動機の出力は低い。

 

右発動機で姿勢を保つ。

 

Bizonはゆっくりと地面へ近づいた。

 

接地。

 

右。

 

左。

 

大きなタイヤが草へ沈む。

 

まっすぐ走る。

 

停止。

 

発動機が切られた。

 

左発動機ナセルを開けると、油圧管の継ぎ目から薄く油が滲んでいた。

 

大量ではない。

 

空中で見えるほどでもない。

 

だが振動と温度で、少しずつ失われていた。

 

元ドイツ軍技術者は指で油を拭った。

 

「締付けが甘い」

 

現地整備員が工具を持ってきた。

 

継ぎ目を外す。

 

座面を確認。

 

小さな傷。

 

予備の密封輪へ交換。

 

締め直す。

 

油を補充。

 

発動機始動。

 

油圧、正常。

 

作業時間、一時間十七分。

 

ポーランド軍将校が時計を見た。

 

「これで基地へ戻れる」

 

元ドイツ軍技術者が答えた。

 

「もう一度点検してからだ」

 

「今直しただろう」

 

「直したから見る」

 

元白軍将校が言った。

 

「壊れた場所を隠すな」

 

元ドイツ軍技術者は一瞬だけ彼を見た。

 

「そうだ」

 

日没前。

 

Bizonは三度目の離陸を行った。

 

今度は左右の発動機が正常に回っている。

 

帰投基地へ着いた時、空は赤く染まり始めていた。

 

機体から人と荷物が降ろされる。

 

模擬負傷者。

 

衛生兵。

 

故障無線機。

 

発電機。

 

写真乾板。

 

農産物見本。

 

空の麻袋。

 

二輪台車。

 

切られずに残った板。

 

ポーランド軍将校は一日分の試験表を確認した。

 

輸送。

 

完了。

 

写真偵察。

 

完了。

 

砲兵観測。

 

完了。

 

模擬爆撃。

 

完了。

 

地上射撃。

 

完了。

 

負傷者収容。

 

完了。

 

現地整備。

 

二回。

 

再出発。

 

二回。

 

予定外着陸。

 

一回。

 

「一日で全部やった」

 

元白軍将校が答えた。

 

「終わったか」

 

「試験は終わった」

 

元ドイツ軍技術者が手帳を開く。

 

「改修が残った」

 

ポーランド軍将校が顔を上げた。

 

「まだあるのか」

 

「弾薬袋の底板」

 

「油圧管継ぎ目の検査標準」

 

「左発動機側点検窓の位置」

 

「写真機架の振動止め」

 

「模擬爆弾投下留め具のばね」

 

「貨物配置表の修正」

 

「方向舵補助タブの目盛り」

 

元独立運動家が言った。

 

「台車の板も一枚増やす」

 

ユダヤ人実業家が続けた。

 

「麻袋用の縄を少し長くします」

 

ポーランド軍将校が試験表を丸めた。

 

「飛行機の改修だけにしろ!」

 

元白軍将校はBizonを見上げた。

 

泥。

 

油。

 

硝煙。

 

草。

 

麻袋の繊維。

 

一日働いた跡が機体の各所に残っている。

 

「全部、飛行機に使った」

 

「麻袋もか」

 

「飛行機が運んだ」

 

「台車もか」

 

「飛行機から降りた」

 

「豆もか」

 

ユダヤ人実業家が答えた。

 

「飛行機で帰ってきました」

 

ポーランド軍将校は何も言わなくなった。

 

翌日。

 

軍検査官へ総合運用試験の記録が提出された。

 

飛行性能だけを見れば、Bizonは優秀とは言い難い。

 

遅い。

 

上昇が悪い。

 

現行発動機では片発時に高度を維持できない。

 

重い。

 

形も洗練されていない。

 

だが、輸送した。

 

撃った。

 

落とした。

 

見つけた。

 

無線で伝えた。

 

負傷者を積んだ。

 

故障して降りた。

 

直した。

 

また飛んだ。

 

検査官は報告書を最後まで読んだ。

 

「この機体は、何なのだ」

 

ポーランド軍将校は答えようとした。

 

爆撃機。

 

偵察機。

 

輸送機。

 

陸軍協力機。

 

救急機。

 

どれか一つに決めれば、説明は簡単だった。

 

しかし、どれか一つでは足りない。

 

元白軍将校が先に答えた。

 

「必要な時に、必要なことをする飛行機だ」

 

検査官は彼を見る。

 

「軍の分類に、その項目はない」

 

元独立運動家が言った。

 

「作ればよい」

 

元ドイツ軍技術者が付け加えた。

 

「分類を作るより、発動機を強くしてくれ」

 

ユダヤ人実業家は帳簿を開いた。

 

「その場合、価格は上がります」

 

ポーランド軍将校は机へ両手をついた。

 

「今は発注の話をしている!」

 

検査官は報告書を閉じた。

 

「発注数は、予算次第だ」

 

格納庫が静かになった。

 

それは不採用ではなかった。

 

だが大量発注でもなかった。

 

一九三一年のポーランドに、余裕はなかった。

 

世界にも、余裕はなくなり始めていた。

 

検査官は立ち上がった。

 

「少数を部隊へ送る」

 

ポーランド軍将校が尋ねた。

 

「実用試験か」

 

「違う」

 

検査官は格納庫の外を見た。

 

工場の門前には、仕事を求める人々が並んでいた。

 

以前より長い列だった。

 

「使うためだ」

 

Bizonは、完成した。

 

正確には、完成として扱われることになった。

 

改修点は残った。

 

発動機も足りなかった。

 

袋も詰まった。

 

油も漏れた。

 

板の枚数についても決着していなかった。

 

それでも、部隊は待っていた。

 

国は、完璧な機体ができるまで待てるほど豊かではなかった。

 

WILKもまた、飛行機だけを作っていればよい時代ではなくなっていた。

 

格納庫の中では、最初の量産部品が並び始めていた。

 

格納庫の外では、職を失った職人たちが門を叩いていた。

 

一日分の戦争を試した機体の完成は、

 

一日分の仕事を求める人々が増えた年の終わりと重なった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。