一九三二年三月
同年第一四半期、WILKの既存取引先のうち、以下が廃業、休業または人員削減を申告した。
染色工房 二。
製材所 三。
荷車車輪工房 四。
金属容器製造所 一。
乳製品集荷所 二。
小規模印刷所 一。
製造所は、一部の設備、職人および取引先名簿の引継ぎを検討した。
ただし、原則として事業所そのものは買収せず、最低発注量を保証する外部委託契約を提案した。
染色工房の経営者は、
「いずれ全部、自分たちで作るつもりではないのか」
と質問した。
製造所側は、
「全部を自分たちで作る余裕があるなら、最初からここへ来ていない」
と回答した。
同回答者の氏名は記録されていない。
染色工房の煙突からは、三日前から煙が出ていなかった。
町外れの川沿い。
低い石造りの建物。
裏手には染め上げた布を干すための木枠が並んでいる。
以前なら、そこへ青、茶、黒の布が何列も掛かっていた。
今は何もない。
川から吹く風が、空の縄だけを揺らしていた。
元独立運動家は、閉じた門を叩いた。
返事はない。
もう一度叩く。
建物の中で何かが倒れる音がした。
しばらくして、工房主が顔を出した。
五十を過ぎた男だった。
袖をまくった腕には、染料の色が染み込んでいる。
洗っても落ちない。
「何の用だ」
元独立運動家は荷車の上を指した。
緑、赤、黄色の麻袋が積まれていた。
「染めてほしい」
工房主は袋を見た。
次に、荷車の後ろへ立つ四人を見た。
元白軍将校。
元ドイツ軍技術者。
ユダヤ人実業家。
ポーランド軍将校。
「WILKか」
ユダヤ人実業家が答えた。
「そうです」
工房主は門を閉めようとした。
元独立運動家が足を挟んだ。
「話だけ聞け」
「聞くことはない」
「仕事がある」
「仕事を奪った会社が、仕事を持ってきたと言うのか」
ポーランド軍将校が眉を寄せた。
「我々は染色業を奪っていない」
工房主は彼を見た。
「自分たちで染色棟を作っただろう」
「必要だったからだ」
元独立運動家が答えた。
「うちにも必要だった」
「頼んでも、当時は納期が合わなかった」
「だから工場を作った」
「そうだ」
「なら、そのまま全部作ればいい」
元ドイツ軍技術者が荷車から袋を一つ取った。
緑色。
薄い。
軍服より明るく、草より少し灰色がかっている。
「今の染色棟だけでは足りない」
工房主は袋を見た。
「増築すればいい」
ユダヤ人実業家が答えた。
「増築には金が要ります」
「あるだろう」
「ありません」
工房主は笑わなかった。
「煙突が何本も立っている」
「借金も増えています」
「人も増やしている」
「賃金も増えています」
「海外にも倉庫を増やした」
「維持費も増えました」
工房主はユダヤ人実業家の顔を見た。
嘘を言っているようには見えなかった。
だが、信じる理由もなかった。
「何を染める」
「麻袋です」
「見れば分かる」
「緑が弾薬。赤が医薬品。黄色が糧食」
「同じ色に揃えるのか」
元ドイツ軍技術者が答えた。
「完全に同じでなくてよい」
工房主の眉が上がった。
「染色工場へ来て、同じ色でなくてよいと言うのか」
「赤と黄色と見間違えない範囲で緑ならよい」
「規格は」
元ドイツ軍技術者は紙を広げた。
濃すぎる緑。
薄すぎる緑。
許容範囲。
川の水。
染料の濃度。
煮る時間。
乾燥後の色見本。
工房主は紙を受け取った。
「細かい」
「同じでなくてよいが、何でもよいわけではない」
「面倒な客だ」
「知っている」
元白軍将校が言った。
「仕事は多い」
工房主は彼を見る。
「どれくらいだ」
ユダヤ人実業家が契約書を出した。
「最初の三か月は、月に緑袋二千。赤五百。黄色七百」
工房主の手が止まった。
「そんなに使うのか」
「緑は消耗が多い」
元独立運動家が答えた。
「撃てば空になる。前線で回収できなければ捨てる」
「捨てる袋を染めるのか」
「目立たないようにする」
工房主は緑袋を持ち上げた。
粗い麻。
内張りは薄い布。
口だけ革で補強。
専用の高級布ではない。
農家や製粉所で使う袋と大差ない。
「安い布だ」
「高い布は使わない」
「色むらが出る」
「範囲内ならよい」
「破れるぞ」
「縫う」
「汚れる」
「使う物は汚れる」
元白軍将校が答えた。
工房主は契約書へ視線を戻した。
「工房を買うのか」
「買いません」
ユダヤ人実業家が言った。
「設備は」
「あなたのものです」
「職人は」
「あなたが雇います」
「染料は」
「当社が一括調達できます。ただし、他社から買っても構いません」
「WILK以外の仕事は」
「受けてください」
「受けるなとは言わないのか」
「言いません」
工房主は契約書をめくった。
最低発注量。
納入価格。
染料価格が上がった場合の再協議。
納期。
不良品の再染色。
工房が独自に受ける仕事への制限なし。
設備購入権なし。
経営権への関与なし。
ただし納入品の検査記録は残す。
「なぜ買わない」
工房主が尋ねた。
ユダヤ人実業家は答えた。
「買えば、あなたの工房ではなくなるからです」
「それで困るのか」
「困ります」
「なぜだ」
「こちらが全部抱えれば、こちらが止まった時に全部止まります」
元ドイツ軍技術者が付け加えた。
「染色はあなたたちの方が上手い」
工房主は彼を見た。
「さっき同じ色でなくてよいと言った男がか」
「必要な範囲へ収めるのが上手いと言った」
「褒め方が悪い」
「事実だ」
工房主は、もう一度契約書を読んだ。
門の奥。
暗い作業場。
冷えた染色釜。
壁際に座っていた三人の職人。
仕事がなくても、まだ毎日来ていた。
設備を売る前に、何か注文が来るかもしれない。
そう思って待っていた。
工房主は門を少し広く開けた。
「色見本を置いていけ」
元独立運動家が荷車を押し込んだ。
ポーランド軍将校が尋ねた。
「契約するのか」
「試しに百枚だ」
ユダヤ人実業家が答えた。
「契約書には二千とあります」
「百枚を見てからだ」
「最低発注量は」
「出来が悪ければどうする」
元ドイツ軍技術者が言った。
「直させる」
工房主は鼻を鳴らした。
「面倒な客だ」
元白軍将校が答えた。
「仕事は多い」
今度は工房主も、わずかに笑った。
量産型Bizonの右発動機には、厚い覆いが被せられていた。
麻布。
羊毛。
防水布。
三層。
ナセル全体を包み、前面の開口部を塞いでいる。
外から見れば、巨大な袋を被ったようだった。
ポーランド軍将校は覆いを見上げた。
「美しくない」
元ドイツ軍技術者が答えた。
「暖かければよい」
「軍用機だぞ」
「発動機は美しさで始動しない」
一九三二年の冬は、まだ去り切っていなかった。
朝の冷気で油は固くなり、発動機の始動には時間がかかる。
温めた油を運ぶ。
吸気部を覆う。
シリンダー周辺へ暖気を送る。
地上員は夜明け前から動かなければならない。
元白軍将校はナセルの下へ屈み込んだ。
「焚火を置けば早い」
元ドイツ軍技術者が振り返った。
「燃料の下で火を焚くな」
「少し離す」
「風が吹く」
「板で囲う」
「一酸化炭素が溜まる」
「外だぞ」
「火の粉が飛ぶ!」
元独立運動家が、台車に載せられた小型加熱器を押してきた。
鉄製の箱。
内部で燃料を燃やし、外気を温める。
温風だけを太い布管でナセルへ送る。
「これを使う」
元ドイツ軍技術者が覗き込んだ。
「火室と送風路は分かれているか」
「分けた」
「燃料漏れが入らないか」
「逆止めを付けた」
「布管は燃えないか」
「燃えた」
「燃えたのか!」
「最初の物はな」
元独立運動家は別の布管を持ち上げた。
外側に薄い金属線が巻かれ、内面には耐熱布が張られている。
「これは燃えにくい」
「燃えない物を作れ!」
「高い」
ユダヤ人実業家が帳簿を見た。
「耐熱材を全面へ使うと三倍です」
ポーランド軍将校が叫んだ。
「発動機を温める器具が燃えるより安い!」
元白軍将校が加熱器の車輪を蹴った。
「動く」
「飛行場で運ぶためです」
「機銃台車と同じ車輪か」
元独立運動家が頷いた。
「車輪工房で作れる」
元ドイツ軍技術者が車軸を見た。
「共通でよい。ただし機銃台車と間違えるな」
「上に火箱が載っている」
「暗い時は」
「熱い」
「触るな!」
加熱器はBizonの右発動機へ温風を送った。
左発動機には従来どおり、温めた油を入れ、保温覆いだけを使う。
二つの方式を比較する。
三十分後。
右発動機。
始動。
数回転で点火。
排気が白く吐き出される。
左発動機。
始動。
重い。
何度か咳き込み、ようやく動き始める。
元ドイツ軍技術者は時計を見た。
「加熱器の方が早い」
ポーランド軍将校が言った。
「正式装備にするか」
「飛行場設備だ」
「機体へ積めないのか」
元独立運動家が貨物扉を見た。
「積める」
「積むな」
元ドイツ軍技術者が即答した。
「なぜだ」
「飛んだ先に加熱器がなければ困る」
「だから積む」
「着陸後に使える」
元白軍将校も頷いた。
「冬の前線なら要る」
ポーランド軍将校が口を挟む。
「重量は」
ユダヤ人実業家が答えた。
「台車込みで七十瓩ほどです」
「重い」
元独立運動家が言った。
「後方機銃より軽い」
「今、その話を混ぜるな!」
元白軍将校が尋ねた。
「後ろの銃はどうなった」
元ドイツ軍技術者の顔が曇った。
「まだ図面だ」
「付けよう」
「発動機を始動したばかりだ!」
Bizonの胴体後部では、床板が一部外されていた。
通常なら、貨物。
担架。
写真機材。
無線席。
任務に応じて使い分ける場所である。
そこへ新しい支柱が立っていた。
二本。
床レールへ固定され、上端が胴体隔壁へ伸びる。
その間へ、七・九二粍航空機銃用の旋回架が載せられていた。
常設ではない。
必要時だけ組む。
使わない時は支柱も銃架も外し、箱へ収める。
元白軍将校が銃把を握った。
後方へ向ける。
左右へ振る。
上へ。
下へ。
貨物扉の上端が射界を遮る。
「低い」
元ドイツ軍技術者が答えた。
「高くすると機体外へ頭が出る」
「出せばよい」
「寒い」
「敵が後ろにいる」
「空気抵抗が増える」
「撃てなければ意味がない」
元独立運動家は担架を一本持ってきた。
銃架の下へ入れようとする。
支柱に当たった。
「担架が入らない」
ポーランド軍将校が言った。
「同時運用は想定していない」
元白軍将校が振り返る。
「負傷者を運んでいる時に敵が来たら」
「逃げろ」
「遅い」
「雲へ入れ」
「雲がなければ」
「護衛を付けろ」
「護衛がいなければ」
ポーランド軍将校は机を探すように周囲を見た。
格納庫に机はなかった。
叩ける物がない。
元ドイツ軍技術者が説明した。
「全部を同時に積むな。任務を決めろ」
「前線輸送なら銃架」
「救急なら担架」
「偵察なら写真機」
「無線中継なら無線席」
「爆撃なら弾薬と爆弾」
元独立運動家が言った。
「必要なら途中で載せ替える」
「空中ではできない」
「地上でだ」
「当たり前だ!」
元白軍将校は七・九二粍機銃をさらに上へ向けた。
射界は悪くない。
ただし後方下方は機尾に隠れる。
水平近くはよい。
上方も撃てる。
「十一粍は」
「重すぎる」
元ドイツ軍技術者が答えた。
「台車に載る」
「胴体後部は台車ほど頑丈ではない」
「支柱を太くする」
「重量が増える」
「敵機は十一粍の方が落ちる」
「反動で照準が散る。射手も疲れる。弾薬も重い」
元白軍将校はしばらく銃架を動かした。
「七・九二でよい」
元ドイツ軍技術者が驚いた。
「納得したのか」
「二挺載せろ」
「納得していない!」
ポーランド軍将校が、ようやく近くの工具箱を叩いた。
「単装試験から始めろ!」
後方銃座の地上試験が行われた。
量産型Bizonは格納庫前へ引き出され、尾部を土嚢で固定された。
銃口は飛行場外の土堤へ向ける。
七・九二粍機銃。
二十発の短帯。
緑色の麻袋。
袋の留め具には一本の切れ込み。
七・九二粍通常弾。
兵装担当者が短帯を通した。
射手が銃座へ立つ。
左右へ旋回。
後方。
斜め上。
五発。
軽い連射音。
機体後部が細かく震える。
さらに五発。
支柱の根元がわずかに動いた。
元ドイツ軍技術者が手を上げた。
「止めろ」
射撃停止。
床レール固定部を調べる。
緩み。
亀裂なし。
隔壁支柱にも異常なし。
ただし固定ピンに薄い擦れがあった。
「支柱が遊んでいる」
元独立運動家が言った。
「詰め物をする」
「木片を入れるな」
「金属板か」
「調整用の薄板を用意する」
ユダヤ人実業家が尋ねた。
「専用品ですか」
元ドイツ軍技術者が答えた。
「薄い鉄板だ」
「工場の端材で作れます」
「作れ」
ポーランド軍将校が、まだ銃座に立つ射手へ尋ねた。
「扱いは」
「狭いです」
「見えるか」
「後ろは見えます」
「照準は」
「地上ではできます」
「飛行中は」
「分かりません」
元白軍将校が言った。
「なら飛ばそう」
ポーランド軍将校は即座に振り返った。
「今日は地上試験だ!」
「飛行中に使う銃だ」
「支柱を直してからだ!」
元白軍将校は銃座から降りた。
「直したら飛ばす」
誰も否定しなかった。
否定しても、飛ばすことは分かっていた。
染色工房では、最初の百枚が染め上がった。
緑。
赤。
黄色。
布はWILKの自社染色品より少し濃い。
特に緑は茶色がかっている。
元ドイツ軍技術者が色見本と比べた。
「範囲内だ」
工房主が腕を組む。
「当然だ」
「赤が少し暗い」
「医薬品袋として見つからないか」
ポーランド軍将校が袋を床へ置いた。
倉庫の隅。
木箱の影。
赤は十分に目立った。
「見える」
「なら赤だ」
元ドイツ軍技術者は袋の縫い目を見た。
「染色で少し縮んだ」
工房主が答える。
「麻は縮む」
「縫製前に染める方がよいか」
元独立運動家が尋ねた。
「染めた布を縫えば、糸が別色になる」
「同じ色の糸を使え」
「種類が増える」
ユダヤ人実業家が計算した。
染色前縫製。
染色後縫製。
収縮率。
縫い直し。
色糸。
輸送費。
「今のままでよいです」
元ドイツ軍技術者が彼を見る。
「縮んでいる」
「許容寸法内です」
「底板が入りにくい」
「底板を少し小さくします」
「袋へ合わせて板を変えるな」
元独立運動家が言った。
「板の方が安い」
元ドイツ軍技術者は口を閉じた。
工房主が笑った。
「お前たちも、いつもそうなのか」
ポーランド軍将校が答えた。
「毎日だ」
契約書へ署名された。
三か月。
最低発注量。
品質再検査。
工房名は残る。
WILKの看板は掲げない。
ただし納品用の木箱には、染色工房の印とWILKの受入印が並ぶ。
工房主は契約書を畳んだ。
「これでうちもWILKになったと言われる」
ユダヤ人実業家が答えた。
「なりません」
「注文の大半がそちらになれば同じだ」
「他の仕事も取ってください」
「仕事があればな」
返す言葉はなかった。
WILKは仕事を渡せる。
だが町全体の景気を戻すことはできない。
一つの工房を残しても、
隣の工房を残せるとは限らない。
噂は契約書より早く広がった。
WILKが染色工房を買った。
違う。
下請けにした。
違う。
職人を引き抜いた。
引き抜いていない。
染料を全部押さえた。
押さえていない。
軍用袋しか染められなくなった。
他の仕事も受けてよい。
だが、説明は短い方が広がる。
あそこもWILKになった。
その一言で足りた。
町の酒場では、また煙の話が出た。
「染色工房が動き始めた」
「WILKの注文だ」
「次は何を取る」
「車輪工房もだ」
「印刷所も使っている」
「乳屋もだ」
「町全部を買う気か」
元染色職人が、一杯の酒を前に座っていた。
彼は今回契約した工房とは別の工房で働いていた。
そこは二か月前に閉じた。
「買われた方がましだった」
誰かが言った。
「WILKへ行けばいい」
「技能登録はした」
「呼ばれたか」
「まだだ」
「なら、あそこだけ助かったのは不公平だ」
元染色職人は酒を見た。
工房同士は以前から競争相手だった。
安い注文を取り合った。
職人を引き抜いたこともある。
それでも、一方が動き、一方が止まれば、止まった側は理由を探す。
腕か。
価格か。
場所か。
運か。
あるいは、WILKと話ができたかどうか。
「同じ仕事だ」
男が言った。
「なぜあそこだけだ」
誰も答えなかった。
答えの代わりに、
「外国人の会社だから」
という声が、酒場の奥から聞こえた。
因果は逆だった。
だが、逆でも言葉は広がった。
夜半。
染色工房の窓が割れた。
石が一つ。
厚いガラスではない。
石は窓を破り、乾燥棚へ落ちた。
工房主は音で目を覚ました。
工房の二階に住んでいた。
階段を下りる。
灯りを点ける。
床に石。
その周囲へガラス片。
石には紙が巻かれていた。
紐で結ばれている。
工房主は紙を開いた。
WILKの色に染めるな。
署名はない。
窓の外には誰もいなかった。
雪解けの泥に足跡が残っていた。
一人。
途中で道路へ出て、ほかの跡へ混ざっている。
工房主は石を拾い上げた。
持ちやすい大きさだった。
川原なら、どこにでもある。
翌朝。
五人が工房へ来た。
ポーランド軍将校は割れた窓と紙を確認した。
「警察へ届ける」
元白軍将校が外を見た。
「夜は見張りを置け」
元ドイツ軍技術者は窓枠を測った。
「厚いガラスに替える」
元独立運動家は冷えた染色釜へ薪を入れた。
「今日は止めるな」
ユダヤ人実業家は契約書を持っていた。
「解除できます」
工房主は彼を見る。
「何を」
「契約です」
「なぜだ」
「こちらの仕事を受けたことで危険が増したなら、こちらから引き上げます」
「違約金は」
「取りません」
「染料は」
「買い戻します」
「百枚分の代金は」
「支払います」
工房主は黙った。
元白軍将校が尋ねた。
「やめるのか」
工房主は割れた窓を見た。
朝の風が入り、床のガラス片を鳴らしている。
奥では三人の職人が立っていた。
一人は箒を持ち、
一人は板を持ち、
一人は染料の袋を抱えている。
「仕事がなければ潰れろと言う」
工房主が言った。
「仕事を受ければ売ったと言う」
誰も答えなかった。
「うちはWILKのために染めるんじゃない」
彼は契約書をユダヤ人実業家へ返さなかった。
「ここを残すために染める」
元独立運動家が薪へ火を付けた。
「なら釜を温める」
元ドイツ軍技術者は窓枠へ板を当てた。
「ガラスが届くまで塞ぐ」
ポーランド軍将校が紙を畳んだ。
「警察には届ける」
元白軍将校は外へ出た。
「夜は二人置く」
工房主が言った。
「兵士は要らん」
「兵士ではない」
「では誰だ」
「職人だ」
元白軍将校は、工房の若い職人を二人見た。
「交代で寝ろ。棒は置け。外へ追うな。窓から離れろ」
「捕まえないのか」
「石を投げる相手に外へ出れば、次は何を持っているか分からん」
ポーランド軍将校は彼を見た。
「妙に慎重だな」
元白軍将校は答えた。
「戦場では、見えている敵より見えない敵の方が面倒だ」
工房主は紙を見た。
WILKの色に染めるな。
「緑も赤も黄色も、WILKの色ではない」
元独立運動家が答えた。
「弾薬と医薬品と糧食の色だ」
「なら、もっと染める」
釜の下で火が強くなった。
その日、染色工房は予定どおり動いた。
最初に緑。
弾薬袋。
一番多い。
染料の入った釜へ麻袋を沈める。
棒で押す。
浮いてくる袋をまた沈める。
湯気。
濡れた麻の匂い。
染料。
熱。
三日前まで冷えていた工房に、人の声が戻った。
赤。
黄色。
順番に染める。
割れた窓には板が打ち付けられた。
その板の外側へ、夜のうちに誰かが炭で文字を書いた。
何でも作るから、何も残らない。
昨日まで町の広告に書かれていた言葉だった。
今度は工房の壁に移っていた。
職人の一人が、濡れた布で消そうとした。
工房主が止めた。
「待て」
彼は炭を一本持ってきた。
その下へ書いた。
作らなければ、先に消える。
元ドイツ軍技術者が文字を見た。
「雨で消える」
工房主が答えた。
「それでいい」
「塗料なら残る」
「残すために書いたんじゃない」
元白軍将校が尋ねた。
「では何のためだ」
工房主は、干され始めた緑袋を見た。
「今日、釜を動かした者に見せるためだ」
元独立運動家が頷いた。
ユダヤ人実業家は何も書き留めなかった。
ポーランド軍将校も、消せとは言わなかった。
その夕方。
工房の干し場には、緑の麻袋が何列も並んだ。
その隣に赤。
さらに黄色。
遠くから見れば、軍需品にも、医療用品にも、食料用品にも見えない。
ただの色の付いた袋だった。
だが、その袋を染める仕事があり、
縫う仕事があり、
運ぶ仕事があり、
中身を作る仕事があり、
使う仕事があった。
WILKが全部を作っているわけではなかった。
全部を残せるわけでもなかった。
ただ、消えそうな仕事を一つ見つけるたび、
まだ動かせるかどうか確かめていた。
そのことすら、
ある者には救いに見え、
ある者には支配に見えた。
工房の煙突から、久しぶりに煙が上がった。
町の反対側。
閉じた染色工房の煙突からは、何も上がらなかった。
二本の煙突の差を見て、
誰かが仕事が戻ったと思った。
別の誰かは、
仕事を奪われたと思った。