夜になれば、聖杯戦争が幕を開ける。一般人が近くをうろついているのは邪魔でしかない。
だから僕は、群がる警察と報道陣の目を追い払った。その後、人通りの少ない場所へと移動を開始する。
喧騒から離れた夜の街は、ひどく静かだった。
冷たい風がアスファルトを撫で、街灯の薄暗い光が僕たちの影を長く引き伸ばしている。
「──マスター、つけられています」
隣を歩く秦良玉が、前を向いたまま唇をほとんど動かさずに告げた。
その声には僅かな緊張感が張り詰めている。彼女の意識はすでに臨戦態勢に入っており、いつでも白杆の槍を顕現させられるよう魔力が練り上げられていた。
「うん、わかってる。釣れたのは1組だけか」
僕もまた、視線を彷徨わせることなく静かに応じた。
報道陣の目が張り付いている間は手出しができないと判断し、彼らがいなくなった途端に追跡を開始してきた。
「どうやら、僕が隙を見せるのを今か今かと窺っていたみたいだね」
「いかがなさいますか。ここで迎え撃ちますか?」
「いや、街中じゃあ被害が大きくなる。もう少し開けた場所......誰の目にも触れない、処刑場へ案内してあげよう」
僕たちは足並みを崩すことなく、あえて相手の尾行を許容しながら冬木市の外れへと向かった。
向かった先は、海風が吹き荒れる無人の倉庫街だ。巨大なコンテナが立ち並んでいる。
ここなら、どれほど派手に魔術を行使しようとも一般人に被害は及ばない。
「さて......案内はここまでだ。いつまでコソコソ隠れているつもりだい?」
僕は歩みを止め、背後に広がる暗闇に向かって声を放った。
海鳴りの音だけが響く静寂。だが、僕の言葉を合図にするかのように、暗闇の中からコツ、コツと硬い足音が響き始めた。
「......まさか、わざと誘い込まれたとはね」
現れたのは、深紅のコートを羽織った少女だった。
艶やかな黒髪をツインテールにまとめ、その整った顔立ちには隠しきれない気品を感じる。
彼女の後ろには、同じく赤い外套を纏った浅黒い肌の長身の男が、静かに寄り添っていた。
「この冬木の地を管理する遠坂家の当主、遠坂凛よ」
凛と名乗った少女は、堂々とした態度で僕を見据えた。
その瞳には恐怖ではなく、敵意が燃え盛っている。
「冬木の管理者ね。なるほど、それで?その管理者が、わざわざ僕のストーカーをしていた理由はなんだい?」
わざとらしく首を傾げてみせると、彼女は不快そうに眉をひそめた。
「決まってるでしょ。魔術の秘匿という大前提を無視し、テレビ塔を占拠して一般社会に混乱を招き、あまつさえ堂々と冬木の街中を練り歩く......冬木の管理者として、あなたの無法をこれ以上見過ごすわけにはいかないのよ」
遠坂は厳しい口調で言葉を紡ぐ。
彼女の言うことは、魔術師としての絶対的な正論だった。
「立派な心掛けだ。でも、おかしいと思わないか?」
嘲笑を隠そうともせずに、言葉を返した。
「僕がそれほどの危険人物なら、どうして時計塔本部は黙っている?封印指定の執行者や、時計塔からの刺客を何十人も送り込んできてもおかしくないはずだ」
「なのに、僕の周りにはハエ一匹飛んでこない。君のような極東の魔術師が、一人で始末をつけに来なければならないほど、時計塔は人材不足なのか?」
彼女もまた、その不自然さに気づいていたはずだ。時計塔の威信を揺るがすほどの事件を起こした僕に対して、本国の対応があまりにも静かすぎることを。
「......それは、バルトメロイ・ローレライが原因よ」
遠坂の口から出たその言葉に、僕はわずかに目を細めた。
「ロード・バルトメロイ。時計塔の頂点に君臨する貴族中の貴族。現在の当主であるバルトメロイ・ローレライが、『ラミエル・バルトメロイへの干渉を禁ずる。私がこの手で始末する』......ってね」
「ハッ......アハハハハッ!」
遠坂の言葉を聞いた瞬間、僕は腹の底から湧き上がる笑いを抑えきれなかった。
「なるほど!そういうことか!ああ、そうか!.....今の僕には勝てないというのに。頑張り屋だね、彼女は」
バルトメロイ・ローレライ。
「他の誰かに僕を殺されれば、リベンジができなくなる。ああ、あの異常なまでの完璧主義者らしい、驚くほど傲慢な思考回路だ」
僕の右腕に、青白い雷光がバチバチと弾け始める。
彼女の差し金によって時計塔の刺客が来ないというのなら、それは僕にとって好都合でもあった。余計な邪魔が入らない分、この聖杯戦争に集中できる。
「だとしたら、君の立場はどうなる?僕をここで殺せば、君はバルトメロイ・ローレライの顔に泥を塗ることになる。遠坂なんていう極東の没落魔術師が、バルトメロイの逆鱗に触れてタダで済むと思っているのかい?」
僕の脅しにも近い言葉に、遠坂は微かに肩を揺らしたが、すぐに不敵な笑みを浮かべてみせた。
「忠告はありがたいけど、余計なお世話よ。私は私の責任を果たすだけ。時計塔の権力闘争なんて知ったことじゃないわ。ここが冬木である以上、私のルールに従ってもらう」
「......なるほど。愚かだけど、嫌いじゃないよ、そういう意地っぱりは」
僕は右腕の雷光をさらに強め、周囲の空気を焦がしていった。
「マスター、お下がりください」
いつの間にか僕の前に進み出ていた秦良玉が、静かに白杆の槍を構えた。
彼女の視線は、遠坂の後ろに控える赤いアーチャーを真っ直ぐに射抜いている。
「ランサーか。見たところ、東洋の英霊のようだが、なぜあのような狂犬に仕えているのか理解に苦しむな」
アーチャーが初めて口を開き、皮肉めいた言葉を投げかけた。
その手には、いつの間にか一対の双剣が握られている。
「我が主を侮辱することは許しません。たとえどのような覇道であろうと、私が主の矛となり盾となる。それが私の忠義です」
秦良玉の静かで、しかし揺るぎない決意に満ちた声が夜の海風に響く。
「忠義、か。素晴らしい心がけだ。だが、その忠義ごとここで散ってもらうことになるとは、運命とは皮肉なものだな」
アーチャーが身を沈め、殺気が倉庫街の空間を支配した。
「さあ、始めましょうか.....!」
遠坂が右手に握った宝石を高く掲げる。
「やってみなよ、遠坂凛。時計塔の頂点ですら殺せなかった僕の命......君ごときに奪えるものならね!」
僕の咆哮とともに、青白い雷光と真紅の魔弾が、冬木の暗闇を激しく照らし出した。
聖杯戦争の真の夜が、今、開戦の火蓋を切ったのだ。
夜の倉庫街に響き渡った瞬間、彼女の右手から放たれた数個の宝石が空中で砕け散った。
圧縮されていた魔力が一気に解放され、灼熱の炎と見紛うほどの高密度の魔力弾となって僕の全身へと殺到する。
その威力は、並の魔術師であれば一撃で灰と化すであろう洗練された一撃だった。
「──美しい魔術だ。教科書に載せたいくらいにね」
だが、それはあくまで『現代の魔術師』という狭い枠組みの中での話に過ぎない。
僕は一切の防御姿勢をとることなく、ただ右腕を軽く前方へと振るった。
「
パキィンッ!という空間そのものがひび割れるような甲高い音とともに、僕の右腕から青白い雷光が放射状に放たれた。
殺到する真紅の魔力弾は、僕の放った雷光に触れた瞬間にあっけなく霧散した。
相殺すらしていない。雷が持つ莫大なエネルギーが、遠坂の編み上げた魔術式そのものを強引に食い破り、消滅させたのだ。
「なっ......私の宝石魔術が、こんなにあっさりと......!」
遠坂は驚愕に見開かれた眼で、完全に防がれた自身の魔術の残滓を見つめていた。
「どうした?冬木の管理者の実力はその程度なのかい?」
僕はゆっくりと歩みを進めながら、指先にチロチロと雷を這わせてみせた。
「君の魔術は確かに優秀だ。魔力の扱いも精密だし、何より無駄がない。将来は優秀な魔術師になることだろう」
僕は嘲笑の笑みを浮かべ、さらに一歩、彼女との距離を詰める。
「でもね、遠坂凛。君が僕に届くことはない」
「ふざけないでっ!」
彼女は歯を食いしばり、両手に新たな宝石を握りしめた。
彼女の周囲に複数の魔術陣が展開される。
氷の矢、真空の刃、そして重力にも似た圧力。考えうる限りの多彩な攻撃が、波状攻撃となって僕に襲いかかる。
「無駄だと言っているのに」
僕は足に力を込め、雷でアスファルトを砕きながら一気に距離を詰めた。
全身から迸る雷光が、彼女の放つ魔術の尽くを紙細工のように引き裂き、燃やし尽くしていく。
僕と彼女では、圧倒的な差がある。
技術の差ではない。魔術回路の質、そして何より根底にある『神秘の格』が違いすぎるのだ。
「くっ......!」
遠坂は後退を余儀なくされ、焦燥の色を濃くしていく。
そんな状況でも、彼女の瞳に諦めは浮かんでいない。
一方で、僕たちのすぐ傍らでは、これとは全く異なる次元の戦いが繰り広げられていた。
キィィィンッ!
甲高い金属音が夜気を切り裂き、激しい火花が散る。
アーチャーの振るう双剣と、秦良玉の繰り出す白杆の長槍が激突する音だ。
「ほう......恐ろしいほどの身のこなしだな」
アーチャーは双剣を交差させて秦良玉の強烈な突きを受け止めながら、感嘆の声を漏らした。
「お褒めに預かり光栄ですが、貴方のその剣戟もなかなかのもの。私の槍をここまで防ぎ切る剣士とは、生前でもそうそう出会えませんでした」
秦良玉は表情一つ変えることなく、槍の柄を滑らせて間合いを変化させた。
白杆の槍のが、アーチャーの防御の隙間を縫うようにして、急所へと蛇のように吸い込まれていく。
「ちぃっ!」
アーチャーは舌打ちをし、防御を諦めて後方へと跳躍した。
だが、秦良玉は逃がさない。
地を滑るような独特の歩法で瞬時に距離を詰め、長槍のしなりを利用した薙ぎ払いを放つ。
「投影、開始(トレース・オン)!」
アーチャーの手から砕け散った双剣が、次の瞬間には全く新しい無傷の双剣として再構築されていた。
彼はそれを盾にするようにして槍の一撃を受け流し、そのまま反撃の斬撃を繰り出す。
互角。
傍目から見れば、両者の実力は完全に拮抗していた。
アーチャーの『先を読み、無限の武器を創造する』老練な戦術と、秦良玉の『無駄を一切削ぎ落とし、必殺の一撃を狙い続ける』純粋な武術。
一歩間違えれば首が飛ぶような極限の攻防が、息をつく暇もなく続けられている。
「マスター!この男、底が見えません!手札の多さでは分が悪い......ここは私が一気に決着を──」
秦良玉が僕に視線を向け、宝具の解放を提案しようとしたその時だった。
チャリッ......
夜の海風に混じって、場違いな金属音が微かに響いた。
鎖が擦れ合うような、冷たく不吉な音。
「──ランサー、避けろ!」
それと同時に、アーチャーが自身のマスターである遠坂の前へと飛び出していた。
直後、上空の暗闇から、銀色の鎖に繋がれた短剣が降り注いできたのだ。
「ッ!」
秦良玉は咄嗟に槍を頭上で回転させ、凄まじい速度で襲い来る短剣を弾き飛ばした。
キンッ!キンッ!という甲高い音とともに、鎖付きの短剣は軌道を変えてアスファルトに突き刺さる。
「......伏兵ですか。気配を全く感じませんでした」
秦良玉は槍を構え直し、僕の傍へと静かに後退した。
アーチャーもまた、双剣を構えたまま夜空を睨みつけている。
僕たちと遠坂陣営の戦闘は、突如として乱入してきた第三者によって強制的に中断された。
「あーっはっはっはっは!」
不意に、コンテナの上から耳障りな笑い声が響き渡った。
見上げると、そこには見覚えのない青い髪の少年が、腹を抱えて笑っていた。
「いやあ、傑作!傑作だねえ遠坂!どこの馬の骨ともわからない魔術師相手に手も足も出ずに防戦一方とはね!」
少年の笑い声には、底意地の悪い優越感と、隠しきれない小物臭さが漂っていた。
「.....慎二......!」
遠坂は忌々しそうに少年の名を呼んだ。
その表情には、僕に向けられていたのとはまた違う、心底からの嫌悪感が浮かんでいる。
「誰だい、あれは。君の知り合いかい?」
僕が右腕の雷光を燻らせながら冷ややかに尋ねると、遠坂は舌打ちをして答えた。
「......同じ学校の同級生よ。間桐家の人間ではあるけど、魔術回路を持たないはずなのに......まさかマスターとして選ばれていたなんて」
「おいおい、その物言いは失礼じゃないか遠坂。僕はこの通り、立派なサーヴァントを従えてるんだぜ?」
間桐慎二と呼ばれた少年が、得意げに指を鳴らす。
すると、彼の背後の暗闇から、音もなく一人の女性が姿を現した。
「──」
全身を黒い装束で包み込み、目元を奇妙なバイザーで隠した長髪の女。
秦良玉のような純粋な武人とも、アーチャーのような戦士とも違う。クラスはなんだろうか。
「やっちゃえよライダー!あんな生意気な遠坂も、そっちにいる得体の知れない奴も、まとめて君の餌にしてあげるよ!」
間桐慎二が甲高い声で命令を下す。ライダーなのか。
ライダーは主の言葉に返事をすることなく、ただ静かに手首の鎖を揺らした。
目隠し越しであっても、彼女の視線が僕と秦良玉、そして遠坂とアーチャーを品定めするように舐め回しているのがわかる。
「......厄介なのが来たわね。アーチャー、一旦引くわよ。三つ巴の乱戦なんて御免だわ」
遠坂は即座に状況を判断し、撤退の意志を見せた。
彼女の判断は正しい。これ以上僕と消耗戦を続ければ、あのライダー陣営に漁夫の利を攫われることは目に見えているからだ。
「承知した、凛。......そこのランサー、勝負はお預けだ。次に会う時まで、その首を洗って待っていることだな」
アーチャーは双剣を消散させ、遠坂を庇うようにして後退していく。
「逃げるのかい?冬木の管理者としての責任とやらはどうしたんだい?」
僕が挑発の言葉を投げかけると、遠坂は振り返りざまにキッと僕を睨みつけた。
「あんたの処分は後回しにするだけよ!」
捨て台詞を残し、遠坂とアーチャーの姿は夜の闇の中へと溶け込むように消えていった。
「あーあ、逃げられちゃった。遠坂の奴、口ほどにもないね」
コンテナの上で、間桐慎二がつまらなそうに鼻を鳴らす。
そして、彼の視線はゆっくりと僕たちへと向けられた。
「さて......遠坂が逃げたんなら、お前たちだけでも片付けておこうか。見たところ、大したサーヴァントじゃなさそうだしね。ライダー、やれ!」
間桐慎二の尊大な命令とともに、ライダーの姿がブレた。
「マスター、来ます!」
秦良玉が僕の前に立ち塞がり、白杆の槍を構え直す。
風切り音すら置き去りにするような凄まじい速度で、ライダーが上空から襲いかかってきた。
彼女の振るう鎖剣が、獲物の急所を狙う毒蛇のように空中で複雑な軌道を描く。
「準備運動にはなるかな」
僕は右腕に莫大な魔力を集束させながら、冷たい笑みを浮かべた。
「少し、遊んであげようか。ランサー、ライダーの足止めを任せた」
その間にマスターを殺す。
「我が王の御心のままに」
秦良玉
ようやく戦闘シーンを書いた。