ようこそ実力至上主義のダンジョンへ   作:修羅シュラ

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それぞれの思惑

 

 

唇に残った熱が、消えない。

 

「……ん!?」

 

何をされたのか理解するまでに、数秒かかった。

頭の中が真っ白になる。

ついさっきまで胸を焦がしていた怒りも、剣を握っていた指先の緊張も、その一瞬でどこかへ押し流されていた。

 

私は強くなったと思っていた。

前よりもずっと、速くなった。鋭くなった。迷わず斬り込めるようにもなった。

なのに、かわせなかった。避けられなかった。

 

━━━違う。

避ける気が、なかったのかもしれない。

その考えが浮かんだ瞬間、心臓が大きく跳ねた。

 

分からない。

どうしてそんなふうに思ったのか分からない。

ただ、清隆が私の間合いの内側まで踏み込んできた、その瞬間。剣を振ることも、身を引くことも、拒むこともできたはずなのに、身体は動かなかった。

 

━━━まるで、待っていたみたいに。

 

「……っ」

 

清隆の顔が近い。

近すぎる。

吐息が届くほどの距離で、黒い瞳がまっすぐ私を見ていた。

 

その距離に、熱い何かが私の中で蠢いた。

胸の奥。もっと深いところ。

剣を振るう時の熱とは違う、怒りとも焦りとも違う、名前のつけられない何かが、ぐしゃぐしゃにかき混ぜるみたいに暴れていた。

 

『はあああああああああっっ!?』

 

みんなの絶叫が聞こえた。

誰の声か、判別する余裕はない。

ティオネか、ティオナか、ベートさんか、それとも周囲で見ていた誰かなのか。

たぶん全員だったのかもしれない。

 

「これで証明できたか?」

 

低い声が、すぐ近くで響く。

 

ベルばかり見ている、他の誰かばかり気にしている、そうやって勝手に苦しくなって、勝手に傷ついて、剣を向けた。

あまりにも乱暴で、あまりにも無茶苦茶で、全然答えになっていないはずなのに。

なのに、言葉より先に身体が理解してしまっていた。

 

清隆は、私を見ていた。

そうでなければ、こんなことはしない。

こんなふうに、私の心を一番深いところから掻き乱すような真似を、するはずがない。

 

「……っ、ぁ……」

 

声にならない息が漏れる。

 

唇が震える。

握っていた剣の感触が急に遠くなって、指先から力が抜けそうになった。

 

頬が熱い。

耳の奥まで熱い。

視界の端が滲むみたいに揺れている。

 

私は怒っていたはずだ。

清隆の言葉に。

清隆の考え方に。

清隆が平然と誰かを切り捨てるみたいに言う、その冷たさに。

 

なのに、今はその全部がぐちゃぐちゃになって、何をどう責めればいいのか分からなくなっていた。

ただ一つだけはっきりしている。

 

 

━━━私は、もう清隆の顔しか見えていなかった。

 

 

€

 

騒然とする空気を、真っ先に破ったのはティオネだった。

 

「ちょっとどういうことこれっ!?」

 

ティオネの半ば悲鳴じみた叫びが広場に響く。

 

「キスした!?清隆がアイズにキスしてる!?」

 

ティオナは混乱しているのか興奮しているのか、自分でも判別できていないような声音だった。

 

「ざけんじゃねえええええっっ!!」

 

次いで、ベートの怒号が炸裂する。

狼人の双眸には、もはや隠しようもなく怒りが燃え上がっていた。

 

「………………………………」

 

そして、もう一人。

 

輝夜は無言だった。

何も言わず、ただ清隆を見ている。

その顔に浮かぶのは笑みではない。極東に伝わる鬼面━━━般若を思わせる、凄絶な無表情だった。

 

対するアイズはというと━━━。

 

「……きゅぅ……」

 

完全に限界だった。

 

地上へ戻ってきた彼女は、清隆に抱きかかえられたまま顔を真っ赤に染め、ついには意識を手放していた。

 

羞恥と混乱と、急激に跳ね上がった感情の熱量に耐え切れなかったのだろう。普段の彼女からは想像もつかないほどあっけない失神だった。

 

「おい!クソ野郎!!いきなりアイズにキ、キ、キ、キスしやがって!!」

「落ち着けベート、場を納めるにはこれしかなかった」

「え?清隆の実力ならアイズでも物理的に気絶させれたんじゃ……」

「お前はアイズに暴力振るえって言ってるのか?」

「いや、私たちには散々振るってたけど!?」

 

ベートが、ティオナが、ティオネが清隆に近寄りながらそう言う。

一人音沙汰ない人物がいることに清隆は疑問を感じていた。

 

清隆な視線ふと一角へ向いた。

視線の先は、音沙汰のない人物に向いていた。

 

輝夜である。

あれほどの状況で、あの女が黙っている。

その事実に、清隆はわずかな違和感を覚える。

 

静かな女ではない。

少なくとも、こういう場面で黙って見過ごす性格では決してなかった。

次の瞬間だった。

 

輝夜の姿が、消えた。

 

「━━━!?」

 

誰かが息を呑むよりも早く、彼女は間合いを詰めていた。

 

まるで視界そのものが一拍遅れたかのような感覚。

そこにいると認識した瞬間には、もう別の場所にいる。

脚力だけでは説明のつかない、認識の隙間(・・・・・)を滑り込んでくる歩法。

 

極東に伝わる暗殺術━━━『瞬身(しゅんしん)』。

 

地味な技だが、暗殺という一点においては最高峰に位置する秘技だった。

それゆえに習得難度は極めて高く、生涯を費やしても会得できぬ者すら珍しくない。

最高傑作と呼ばれた咲夜でさえも覚えることは叶わなかった。

だが、才ある者でも届かぬことがあるその領域を、今、輝夜は踏み越えていた。

 

清隆自身もその技の性質は知っている。

だが、輝夜がそれを扱えるとは想定していなかった。

 

そのわずかな想定外が、認識を遅らせた。

 

輝夜は一気に清隆の懐へ飛び込み、その胸ぐらを掴む。

そのまま、体重ごと預けるようにして自らもろとも地へ倒れ込んだ。

瞬間的な判断で、アイズの身体をティオネの方へ投げ渡していた。

 

輝夜の手に刃物はない。

殺気も、致命を狙う鋭さではなかった。

そこまで読み取った時点で、清隆は抵抗を緩める。

 

───それが、輝夜の狙いとも知らずに。

 

「何してやがる!?」

「うわあ〜わああ!?」

「なにこれ……?」

 

三者三様の叫びが重なった。

 

清隆と輝夜の唇が、重なっていた。

 

それは先ほどのアイズへのものより、さらに長く、さらに深かった。

唇を合わせるだけでは終わらない。

輝夜はためらいなく舌を差し入れ、清隆の口内へと踏み込んでいく。

 

濃密だった。

 

「……っん……ぷはっ」

「何するんだ」

 

唇が離れた後も、清隆の声音はほとんど変わらなかった。

倒されたまま、無表情に近い顔で輝夜を見上げる。

 

拒まなかったのは、輝夜にその権利があるとどこかで認めていたからか。

あるいは、目の前で自分のことを好いている女が、他の女にキスした時どう動くのか───その反応への興味が勝ったからか。

 

どちらにせよ、結果だけを見れば清隆は受け入れていた。

 

輝夜は妖艶な笑みを浮かべた。

頬は僅かに赤い。

だが、それを悟らせぬようにするかのように、わざとらしいほど優雅な所作で髪を払う。

 

「初めてはあの金髪小娘に取られたが、私の方が上だ」

「キスに上とか下とかあるのか?」

「あらあら〜そんなことを言うのであればもう一度してみますか?」

「……お前の方が上だ」

「あら、残念ですわ。私はここでおっ始めてもよかったですのに」

 

くすくすと、輝夜が笑う。

立ち上がった彼女は、まるで何事もなかったかのように大和撫子じみた気品を纏い直し、清隆の上から離れていった。

 

それは表面だけの話だった。

内心では、まるで別人のように感情が暴れていた。

 

(やってしまった!!とうとうやってしまった!!いや、上昇(プラス)に考えろ輝夜、あの金髪小娘よりも誰よりも上の舞台(ステージ)に立てているではないか!!意識はつけられた……はずだ!!)

 

そう思い込まなければ、とても平静など保てなかった。

 

頬に集まる熱を隠すように、輝夜は背を向ける。

 

屋根へ跳び移り、そのまま一気に駆け去っていく。

見せつけるようでもあり、逃げ出すようでもある跳躍だった。

その背は優雅で、しかしどこか弾んで見えた。

まるで、感情を押し隠しきれないまま空へ逃がしているみたいに。

 

その後、輝夜からの接近(アプローチ)が目に見えて増えたのは、もはや言うまでもない。

 

€

 

事件を終え清隆は自室でひとり休んでいた。

戦いの直後にしては、部屋の中は静かだった。

 

その静寂を、控えめな扉を叩く音が破った。

 

「清隆、私です。アリシアです」

「入っていいぞ」

 

短い返答のあと、扉がゆっくりと開いた。

 

姿を現したアリシアは、見るからに沈んでいた。

今にも涙が零れ落ちそうな顔をしている。

 

「座ってくれ」

 

促されるまま、アリシアは部屋の椅子に腰を下ろす。

 

清隆は戸棚から茶葉を取り出し、自前の紅茶を淹れる。

湯気が立ちのぼり、淡い香りが静かな室内に広がった。

差し出されたカップを、アリシアは両手で受け取る。細い指先がわずかに震えていた。

 

清隆自身は寝台の端へ腰を下ろす。

 

「……話は聞きましたか?」

「異端児(ゼノス)に助けられたと、そう聞いた」

 

アリシアが異端児(ゼノス)である歌人鳥(レイ)に助けられたことは、すでにヘルメスから耳に入っていた。

アリシアは異端児(ゼノス)相手に、切迫するように相対していたが、簡単に異端児(ゼノス)がやられるわけもなく、苦戦した。

そして、満身創痍だったアリシアに現れた怪人(クリーチャー)の一撃を歌人鳥(レイ)が庇ったという。

 

モンスターが、人を庇った。

それは冒険者として積み重ねてきた常識を、あまりにも残酷に裏返す光景だった。

 

「それでお前は何を思ったんだ?」

「……私は、もうあの者たちを斬ることはできません……」

 

絞り出すような声だった。

清隆は手にしたカップを傾け、静かに紅茶を口に含む。

 

「そんなものなのかお前の思いは……英雄になるんじゃなかったのか?」

「っつ……」

 

アリシアの肩が震えた。

 

胸を抉るような言葉だった。

優しさも慰めもない。逃げ道を塞ぐように、痛いところだけを的確に突いてくる。

だが、それこそが清隆だった。

 

彼は知っている。

アリシアの思いも、揺らぎも、抱えた矛盾も。

 

彼女は怪物の英雄にはなれない。

ベル・クラネルのように、敵味方の境界さえ飛び越えて全てを救おうとする、あの眩しすぎる在り方には辿り着けない。

 

そもそも、あれが異常なのだ。

人類にとって怪物(モンスター)は悪である。

冒険者に、民に、牙を剥く存在だ。

それを討つことは正義であり、英雄的行為と呼んで差し支えない。

 

だからこそ、ベルの選択は特異だった。

誰も彼もがあの少年のようになれるわけではない。

なろうとしてなれるようなものでもない。

アリシアもまた、そのことを分かっていた。

 

彼女は何度も自問してきた。

助けられたあとで異端児(ゼノス)へ剣を向けられるのか。

もし彼らに助けを求められたなら、手を差し伸べられるのか。

 

何度も、何度も、何度も。

答えを出そうとして、出しきれないまま。

迷いを抱えたまま、それでも前へ進もうとしてきた。

 

そして今、ようやく一つの答えを携えて、この部屋まで来たのだ。

 

自分の憧れになってしまった男へ。

共に英雄になると誓った、その相手へ。

 

「私は……!」

 

アリシアの唇が震える。

カップを持つ手にも、抑えきれぬ感情が伝わっていた。

 

「私はもう、彼女らを見て見ぬふりはできない!!」

 

堪えきれず、涙が溢れた。

大粒の雫が頬を伝い、膝へ落ちる。

声は震え、顔は歪み、それでも彼女は視線を逸らさなかった。

それは懺悔のようでもあり、決意表明のようでもあった。

 

斬れない。

なかったことにもできない。

見なかったことにして、自分だけ英雄の夢へ進むことも、もうできない。

 

彼女はそこで初めて、自分の弱さをそのまま言葉にした。

そして同時に、その弱さごと抱えて進むしかないのだと認めた。

 

やがて清隆は、カップを机へ置いた。

 

「迷いを知って、それでも見捨てられないと理解した以上、もう前のお前には戻れない」

 

アリシアには怪物を斬る力があった。

剣を振るい、敵を討ち、冒険者として正しさの側に立つだけの力が。

 

だが、庇われて生かされた命がある。

その事実を抱えた以上、恩を踏みにじるように過ごすことはできない。

 

何より彼女は、もう彼らを他の醜悪な怪物(モンスター)と同じようには見られなくなってしまっていた。

 

「何も見なかったことにして進むのは違うと思うんです……。今も、完全には割り切ることができません。でも……それでも……」

 

言葉が途切れる。

喉が詰まり、涙がまた溢れた。

 

「それでも、あの人たちが助けを求めるなら……助けたいって、思ってしまったんです……」

 

それが答えだった。

恐れも、迷いも、矛盾も抱えたままの、不格好な本音。

 

清隆は否定も、嘲りもしない。

ただ、その未熟で不安定な決意の形を見定めていた。

 

英雄とは、最初から完成された者のことではない。

理想に殉じきれる者ばかりでもない。

迷い、揺らぎ、弱さに膝をつきながら、それでもなお進もうとする者もまた、その道の上にいる。

 

アリシアは、いままさにその入口に立っていた。

 

「英雄は、生まれた時から英雄なわけじゃない。迷って、それでも選んで、その結果を積み重ねた先に、他人が勝手にそう呼ぶだけだ」

 

英雄とは何か。

その問いに、完璧な答えはまだ出ていない。

たぶんこれから先も、何度も迷う。

 

それでも───。

 

「私は……貴方と、共に英雄になりたいです」

 

願いの根本は変わらない。

初めて胸を焦がすほどに抱いた憧れ。

彼の隣に立ちたいと願った、あの時から。

 

「追いかけたいです。あなたが進む道を、ちゃんと自分の足で追いたい。そしていつか、同じものを見て、同じように誰かを守れるようになりたい」

 

変わらない願いだった。

 

人であろうが、怪物(モンスター)であろうが、救いたい。

今、彼女が求めている英雄とは、そういうものだった。

 

€

 

言葉を交わし終えたあと、部屋にはしばし静かな余韻が残っていた。

アリシアは、膝の上でそっと指を組む。

涙はようやく落ち着き、呼吸も少しずつ整ってきている。

けれど胸の奥では、まだ別の熱が燻っていた。

 

「……では、私はもう行きます」

 

そう言って、アリシアはゆっくり立ち上がる。

椅子が小さく軋んだ。

 

清隆は寝台に腰かけたまま、ただ一言だけ返す。

 

「そうか」

 

扉へ向かおうとして、一歩だけ踏み出す。

けれどそこで、足が止まった。

 

背を向けたまま、唇がかすかに震える。

 

「……清隆」

 

アリシアはゆっくりと振り返る。

 

視線が合った瞬間、胸が大きく鳴った。

 

今口にしようとしてることは、さっきまでの問いとは違う。

もっと個人的で、もっと身勝手で、もっと言葉にしにくい熱だった。

 

「私は……あなたに憧れています」

 

まっすぐに口にした途端、頬がわずかに熱を帯びた。

 

「あなたは優しくないです。慰めてくれるわけでもないし、救ってくれるわけでもない。むしろ厳しくて、冷たくて、容赦がなくて……時々、本当にひどいです」

「ひどい言われようだな」

 

自分のしてきたことを一度ちゃんと振り返ってほしい。

そんな思いが一瞬だけ頭をよぎったが、アリシアは口にしなかった。

 

「たぶん私は、そういう貴方に……何度も、助けられてきました」

 

それはいつしかの遠征。

それはいつしかの冒険。

 

清隆がまだ今ほど力を明かしていなかった頃から、二人は同じ戦場に立ってきた。

一緒に戦い、一緒に迷宮を進み、そのたびに少しずつ、背を預けられる距離へと近づいていった。

 

───もっとも、今にして思えば、一方的に預けていただけなのかもしれないが。

 

それでも、その積み重ねは確かにあった。

 

アリシアは胸元でそっと手を握る。

鼓動がまた速くなる。

言うべきではないのかもしれない。

まだ早いのかもしれない。

 

それでも、ここで飲み込めば、きっとまた誤魔化してしまう。

 

「あなたの隣に立ちたい。共に英雄になるって言ったのは、本心です。でも……それだけじゃ、ない気がするんです」

 

声が少しだけ震えた。

 

「これが何なのか、まだ……ちゃんとは分かりません。でも、ただの憧れだけでは、もうないと思います」

 

静まり返った室内で、アリシアには自分の心臓の音ばかりが大きく聞こえていた。

 

怖かった。

この沈黙の先に、拒絶があるかもしれないと思うと、喉がひどく乾く。

 

それでも、彼女は目を逸らさなかった。

やがてアリシアは、深く頭を下げた。

 

「失礼します」

「ああ」

 

今度こそ扉へ向かう。

扉に手をかけ、最後にほんの少しだけ振り返る。

 

「清隆」

「何だ」

「いつか……私が隣に立つことができたら、その時は私の想い、聞いてもらえますか?」

 

問いを口にした瞬間、胸が締めつけられる。

返事を待つわずかな時間が、ひどく長く感じられた。

 

「その時がきたら、聞くと約束しよう」

 

飾り気のない言葉だった。

甘い響きも、特別な熱もない。

それでも、アリシアには十分すぎるほどだった。

 

一瞬、目を見開き。

次いで、泣き疲れた顔のまま、ようやく柔らかく笑う。

 

「……はい」

 

そうしてアリシアは部屋を出た。

 

扉が静かに閉まる。

廊下に出たアリシアは、そのまま閉じた扉へ背を預けた。

 

熱い吐息が、ゆっくりと零れる。

胸はまだ痛いほどに鳴っていた。

恥ずかしさも、怖さも、消えたわけではない。

 

それでも、その奥には確かな熱が残っていた。

 

それは憧れだけではない。

けれど、まだ恋と呼ぶには早いのかもしれない。

名を与えきれないままの感情が、胸の内で静かに灯っている。

 

アリシアはそっと胸に手を当てると、涙の跡を拭った。

そして、前を向いて歩き出した。

 

迷いは消えない。

苦しみも消えない。

それでも進むと決めたのだ。

 

あの彼の隣に、いつか本当に立つために。

 

€

 

執務室には、【ロキ・ファミリア】の幹部と主神が揃っていた。

重厚な机と書棚に囲まれたその部屋は、本来なら静かな威圧と知性を湛えているはずだった。

 

「清隆!!清隆どこにいるっっ!!」

 

鋭い怒声が壁を打つ。

 

声の主はリヴェリアだった。

長い翠髪を揺らしながら、彼女は執務室の中を落ち着きなく歩き回っている。

普段の冷静さを知る者ほど、その剣幕に言葉を失うだろう。

翡翠の双眸には隠しようもない怒気が宿り、今にも当人を見つけ出して魔法の一つでも叩き込みかねない気配すらあった。

 

「あーあ、リヴェリアママご立腹や」

「そりゃ怒るじゃろうて。大事に育ててきた娘に手ぇ出されたんじゃからな」

 

ロキが頬杖をつきながら愉快そうに笑い、ガレスが髭を撫でつつ苦く応じた。

 

「はははっ……まあ、そのことはリヴェリアに任せるとして、僕としてはベートたちの方が気になるかな」

 

フィンが苦笑を滲ませながら言った。

 

「やっと清隆が本性出したっちゅーわけやな。ウチはあいつの強さは知っとったけど……か〜〜っ、ここで全部かき乱すとはなぁ」

「知っておったなら言わんかい。儂(わし)らもあやつのこと、酷使しておったじゃろうに」

「喋るなって念押しされとったんや。せやけど、ここまでバレたらもうしゃーないわ」

 

ガレスが呆れたように言えば、ロキはにししと笑いながらそう言った。

 

「……まあ、清隆が何か隠してるのは分かってはいたけど、まさか僕たちよりも━━━オッタル(・・・・)よりも強いなんてね」

「【ロキ・ファミリア】唯一のLv.7が清隆とはのう……。あやつ、いつからLv.7だったんじゃ?」

「三年前や」

 

フィン、ガレス、ロキが呟く。

 

「七年前の大抗争が終わった時点でLv.5。五年前にLv.6。ほんで三年前にLv.7。今はもう……Lv.8間近、ってところやな」

「……!?」

 

フィンとガレスの顔に、露骨な驚愕が走った。

七年前。

あの大抗争の頃、清隆はLv.3だったはずだ。

 

フィンはゆっくりと目を細めた。

あの大抗争の全体を俯瞰し、采配していたのは間違いなくフィンだった。

そして、その盤上の一角に清隆を配置したのも、他ならぬフィン自身である。

 

だからこそ分かる。

当時の清隆の働きと、その後に残された評価は、明らかに釣り合っていなかった。

【アストレア・ファミリア】や【フレイヤ・ファミリア】の突出した面々を除けば、あの戦場でも清隆は間違いなく上位の働きをしていた。

 

それでも、その名は必要以上に広まらず、記録の上でも不自然なほど抑えられていた。

フィンはその違和感を、いまようやく一つの答えへ結びつける。

隠していたのだ。

最初から、徹底して。

 

「ベートたちの状況は?」

「身体的には問題ないじゃろうな、大きな怪我をしたわけじゃないからのう」

 

フィンが机上の紅茶に口をつけながら問うと、ガレスが短く答えた。

 

「まあ清隆に対する好敵手(ライバル)視するようになって、最近ずっと挑んでるみたいやけどな」

 

ロキがくつくつと笑う。

あの一件以来、ベート、ティオネ、ティオナは繰り返し清隆へ挑んでいた。

 

結果は毎度のように叩き伏せられ、地に転がされていた。

修行というには荒っぽく、指導というには容赦がなさすぎた。

 

だが確かに、彼らは変わっていた。

清隆の言葉を受け入れたわけではない。

清隆の思想に納得したわけでは決してない。

 

それでも、否応なく突きつけられた現実が、彼らの牙を研いでいる。

あの残酷な思想に反発するように、あの背中を越えんとするように、三人は以前よりも深く、強く、勝利に食らいつくようになっていた。

 

「そんなことよりアイズだ!あの変わりようはどうするっ!?」

 

リヴェリアの机を叩く音が、鋭く室内を貫いた。

 

アイズは変わってしまった。

あの事件のあと、彼女はどこか惚けた顔で本拠(ホーム)へ戻ってきた。

怪我がひどかったわけではない。

疲弊し切っていたわけでもない。

それなのに、まるで心だけが別の場所に置き去りになったかのように、反応が遅く、視線は上滑りし、ともすれば頬を染めて黙り込む。

 

清隆の名前が出るだけで露骨に反応していた。

平静を装おうとしているのに、隠しきれていない。

それがリヴェリアには腹立たしくもあり、同時に心配でもあった。

 

「ベートたちが言うにはキッスしたって言うとったな〜アイズたんに手を出したの許せんけど、元からアイズたんは清隆好き好き状態(モード)だったしそれが露骨になってしまっただけいえばそれまでやからなぁ〜」

「私は断じて認めてないぞ!」

「それはお前の私情が大きく入っておらんか?」

「正直、清隆のおかげというのは言いたくないけれど、アイズたちが成長したのは彼のおかげと言っても過言ではないと思うけどね」

「っ……それはそうなんだが……」

 

認めたくはない。

だが認めざるを得ない。

清隆がいることで、アイズは変わった。

ベートも、ティオネも、ティオナも、明らかに以前より高みへ近づいている。

 

やり方は乱暴で、褒められたものではなく、人の心を抉るような真似ばかりだ。

それでも結果だけを見れば、確かに彼女らは成長している。

 

「……だからこそ腹が立つ」

 

リヴェリアが低く吐き捨てる。

 

「あの男は何の説明もなく、人の心をかき乱して、それでいて平然としている」

「そこはほんまにせやな」

「悪意があるわけでもないから、なお面倒じゃ」

 

ロキとガレスが揃って頷いた。

 

フィンは一度だけ深く息をついた。

 

「……アイズのことは、あとで清隆に責任を取ってもらうとして」

 

その一言で、室内の空気が少しずつ引き締まっていく。

リヴェリアもまた、長い吐息をこぼしたあと、ようやく机の前で足を止めた。

怒りは消えていない。だが少なくとも、いま優先すべきことは理解している。

 

視線がフィンへ集まる。

 

「異端児(ゼノス)と協力しての人工迷宮(クノッソス)攻略━━━その話をしようか」

 

人工迷宮(クノッソス)。

闇派閥(イヴィルス)との決着をつけなければならない。

 

ロキが足を組み直し、ガレスが腕を組み、リヴェリアが静かに目を伏せる。

フィンは卓上に視線を落とし、これから並べるべき戦力と配置を頭の中で組み直さなければならない。

敵の出方、異端児との連携。

 

そして当然、その中には綾小路清隆という規格外の存在も組み込まれねばならない。

あの男が協力してくれるのか、それとも傍観するのか、それすら計算へ入れねばならない時点で、すでに今回の攻略は難航するだろう。

 

だが、それでも進むしかない。

決着の刻が、迫っていた。






続きもうちょっとだけ書かせてください。
予定では異端児(ゼノス)編完結・11巻突入→外伝(ネタぽいの)→本編。
といった流れでやる予定です。
ちなみに11巻、12巻のメインヒロインは決めてます。

割と輝夜人気あってびっくりです。
ちなみに私はアリーゼ好きですよ、影薄いですけど

次のヒロインはコイツだ!予想

  • やっぱり王道ヒロイン アイズ
  • 淫乱生娘 輝夜
  • 英雄街道 アリシア
  • 今何してるの? レフィーヤ
  • こいつも何してるの? アリーゼ
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