四層世界の最下層、魔物の森で生き残る 作:鳩夜(HATOYA)
「六・一」
新しい区画へ入ってすぐ、《サーチ》を使って座標を確認した。
方向は間違っていない。
六・二から六・一。
このまま進めば、次は六・〇だ。
「ここも森ですね」
「ああ。そろそろ違う景色が来るかと思ったんだけどな」
前の区画では岩山と湖が広がっていたが、再び見慣れた森に戻っている。
巨大な木々。
湿った土。
遠くから聞こえる魔物の声。
最下層で何年も暮らしてきた俺にとっては、もはやこちらの方が馴染み深い。
「今回は寄り道せずに行こう」
「そうですね」
昨日はグリムホーフを見つけ、湖で塩まで作った。
成果としては大きかったが、俺たちの目的は食材探しではない。
人口調整。
そして、座標〇・〇に現れたという何か。
今は一刻も早く、そこへ向かう必要がある。
俺たちは《エンハンス》を維持しながら、区画を真っすぐ突き抜けていった。
途中で何度か魔物の気配を感じたものの、こちらへ向かってこないものは無視する。
しばらく走ったところで、ふと思い出したことがあった。
「そういえばさ」
「はい?」
「前に行っただろ? 廃棄された区画……熱波の森」
「行きましたね!」
「あの区画の名前って、どこで分かったんだ?」
俺の記憶では、《サーチ》に表示されたわけではない。
フーチェたちが最初から名前を知っていたはずだ。
「ああ、それですか」
フーチェは少し考えてから答えた。
「私たちが入った入口とは反対側の入口、その近くの地面に刻まれていたんです」
「地面に?」
「はい。《廃棄された区画・熱波の森》と」
「そんなところに書いてあったのか」
俺は全く気づいていなかった。
あの時はレベル六へ上がるための試練も控えていたし、周囲を細かく調べる余裕もなかった気がする。
「ですが……」
フーチェが辺りを見回す。
「今回の旅では、そういう名前が書かれた場所をまだ一度も見ていませんね」
「確かに」
これまで通った区画にも入口はあった。
だが、地面や壁に名称らしい文字が刻まれている場所は見ていない。
「全部の区画に名前があるわけじゃないのかもな」
「そうなのでしょうか?」
「熱波の森は《廃棄された区画》ってわざわざ書いてあったし、特別な場所だけ名前が付いてるとか」
「なるほど」
「それか、入口が何個もある中で一か所にしか書かれてないとか」
「それなら、私たちが見つけていないだけかもしれませんね」
「ああ」
ただの森に見える場所にも、本当は何かしらの名称があるのかもしれない。
今まで気にしたことさえなかったが、こうして区画をいくつも渡っていると、最下層について知らないことがいくらでも出てくる。
やがて透明な壁へ辿り着き、俺たちの姿を映す場所を見つけた。
「《下位掌握》」
今回は俺が扉を開く。
「もう普通に使いこなしてますね……」
「俺もまだ納得してないけどな」
開いた灰色の通路へ入り、次の区画へ抜けた。
「《サーチ》」
表示された数字を見る。
「六・〇」
「着きましたね」
「ああ」
問題はここからだ。
「さて……」
俺は左右を見渡した。
「ここから向きを変えないといけないけど、どっちが五・〇なんだ?」
今まではただ一方向へ進めば数字が減っていた。
だが六・〇まで来た以上、次はもう一方の数字を減らしていく必要がある。
「うーん……」
フーチェも左右を見比べる。
「はっきりとは覚えていませんが、熱波の森へ行った時、左側の数字が五になっていた気がします」
「左側?」
「はい。なので……」
フーチェは少し考えたあと。
右を指した。
「こっちだと思います」
「なるほど」
以前通った位置関係を考えれば、反対方向へ進むことで五・〇側へ近づくということか。
「じゃあ、そっちへ行ってみよう」
「はい!」
俺たちは右へ進路を変えた。
・・・
・・
・
しばらく森の中を進んでいると、木々が途切れ、少し開けた場所へ出た。
「この辺りは歩きやすいな」
「そうですね」
そのまま通り抜けようとして。
俺は左側の景色に違和感を覚えた。
「……ん?」
足を止める。
「どうしました?」
「なあ、フーチェ」
俺は左を指した。
「あっち……何かおかしくないか?」
「……?」
フーチェも目を凝らす。
少しして。
「本当ですね……」
遠く。
森の向こう側。
景色が妙に揺れている。
熱気で空気が歪んでいるようにも見えるが、それとは違う。
「鏡……みたいだな」
光を反射している。
しかも平面ではない。
巨大な透明な壁そのものが、ゆっくりと湾曲しながら波打っているように見えた。
「気になるな……」
「でも、少し進路から外れますよ?」
「少しくらいならいいだろ」
ここまで来て、あれを無視する方が難しい。
「行ってみよう」
「分かりました」
俺たちは予定していた進路を外れ、その奇妙な場所へ向かった。
・・・
・・
・
「……すごいな」
近くまで来ると、さらに異様だった。
そこには。
巨大な鏡のような壁が、どこまでも続いている。
普段の区画を隔てる透明な壁とは違う。
景色をぼんやりと反射しながら、表面全体がゆっくりと揺れていた。
「波打ってる……」
俺は恐る恐る手を伸ばす。
指先が触れた瞬間。
ぶわっ。
触れた場所を中心に、鏡面へ波紋が広がった。
「うお……」
「水みたいですね」
「でも入れないな」
少し押してみても、壁はびくともしない。
手を離すと、波紋だけがゆっくり消えていった。
「ここが六・〇だろ?」
「はい」
「じゃあ、この先へ行ったら……六・マイナス一とかになるのか?」
フーチェが首を傾げる。
「まあ、そこはいいや」
俺は壁を見上げた。
高さも分からない。
左右も、視界の届く限り続いている。
「とにかく入口があるか探してみるか」
「そうですね。あまり時間をかけるわけにもいきませんし、二手に分かれましょう」
「ああ」
俺は右。
フーチェは左。
いつもの区画の壁と同じなら、どこかに俺たちの姿がはっきり映る場所があるはずだ。
そこへ《下位掌握》を使えば、道が開く。
そう思って探した。
だが。
「……ないな」
かなり進んでも。
鏡面はただ波打っているだけだった。
自分の姿が映る場所も。
扉らしいものもない。
しばらくしてフーチェと合流する。
「ありました?」
「いや。そっちは?」
「ありませんでした」
「……」
もう一度。
目の前の壁を見る。
「これ……」
口に出してから、自分でも変なことを言っている気分になった。
「世界の端ってことか……?」
「世界の端?」
「いや、自分でも何言ってるんだって感じなんだけど」
前世の俺の常識では。
世界にこんな壁は存在しない。
地球は丸い。
一方向へ進み続ければ、いつか一周して元の場所へ戻ってくる。
少なくとも。
巨大な壁にぶつかって、その先へ行けなくなるなんてことはない。
「……」
俺は地面を見る。
六・〇。
そして、この先には進めない。
「俺、てっきり〇・〇がこの世界の中心にあるんだと思ってたんだよな」
「中心?」
「ああ」
座標と聞けば。
前世の感覚では、〇・〇を基準に四方へ数字が伸びているものを想像する。
だが。
「もしここから先に数字がないなら……」
頭の中で区画を並べる。
「格子状……グリッド方式で世界が区切られてるのか?」
「ぐりっど?」
「……いや」
フーチェには伝わらない。
俺は地面へ指で簡単な四角をいくつか描いた。
「こうやって四角い区画が並んでるとするだろ?」
「はい」
「六・〇がここ」
端を指す。
「〇より先が存在しないなら、〇・〇は真ん中じゃない」
さらに指を動かす。
「角だ」
「……角?」
「ああ」
俺は顔を上げる。
「どうやら俺たちが向かってる〇・〇は、この世界の中心じゃなくて……世界の角らしい」
「なるほど……?」
「……分かってないな?」
「なんとなくは!」
「絶対分かってないだろ」
「〇・〇へ行けばいいんですよね?」
「まあ、それは合ってる」
「なら問題ありません!」
「ははっ。そうだな」
細かい仕組みについて考えるのは、着いてからでもいい。
少なくとも一つ。
分かったことがある。
この最下層には。
俺が前世で知っていた世界とは明らかに違う、終わりがある。
そして。
俺たちが目指している座標〇・〇は。
その最果てにある。
「よし。戻ろう」
「はい!」
「〇・〇を目指すことには変わりない」
「ですね! 行きましょう!」
そして再び。
世界の角へ向かって歩き始めた。