四層世界の最下層、魔物の森で生き残る 作:鳩夜(HATOYA)
座標六・〇を抜けた後も、俺たちの旅は順調だった。
五・〇。
そして、四・〇。
《サーチ》に表示される数字は、確実に〇へ近づいている。
景色は相変わらず森だった。
巨大な木々の間を抜け、時折襲ってくる魔物を追い払いながら、俺たちはほとんど寄り道をせずに進んでいく。
ただ一つ。
これまでとは明らかに違うものがあった。
「まだ続いてますね……」
「ああ」
左手側。
かなり離れた場所に見える、巨大な壁。
座標六・〇で見つけた、あの波打つ鏡のような壁がずっと続いていた。
五・〇へ移動しても。
四・〇へ移動しても。
途切れる気配はない。
あれが本当に世界の端なのだとしたら、俺たちは今、その端に沿って〇・〇へ向かっていることになる。
「……何なんだろうな、この世界」
「え?」
「いや」
独り言のように呟いた。
最下層で暮らし始めてから、何度もおかしいとは思っていた。
区画を隔てる透明な壁。
《下位掌握》でしか開かない道。
突然現れる人工的な通路。
英語で流れる謎の音声。
祭壇。
試練。
そして今度は、果ての見えない世界の壁だ。
疑問は増えるばかりだった。
この世界は、一体何なんだ。
そもそも。
その答えを俺が見つけることなどできるのだろうか。
前世だって、人類が宇宙の全てを理解していたわけではない。
どこまで広がっているのか。
なぜ存在しているのか。
宇宙の始まりより前に何があったのか。
分からないことはいくらでもあった。
この世界について全て理解しようとするのは、それと同じくらい無茶なことなのかもしれない。
「ロフルさん?」
「ああ、悪い」
考え込んでいた俺を、フーチェが不思議そうに見ている。
「今はそれどころじゃないな」
何もかも知りたい気持ちはある。
だが今、一番重要なのはそこではない。
人口調整。
〇・〇に出現した何か。
それが第三層にいる家族たちを危険に晒しているかもしれない。
「まずは、やるべきことをやろう」
「はい!」
俺たちは再び速度を上げた。
・・・
・・
・
「三・〇」
《サーチ》に表示された数字を確認し、俺は空を見上げた。
周囲はかなり暗くなっている。
今日だけでも相当な距離を進んだ。
「今日はここまでにしよう」
「そうですね」
簡単な寝床を作り、途中で確保していた食料を取り出す。
〇・〇まで、あと三つ。
「この調子なら、明日の昼過ぎには〇・〇へ行けそうだな」
「そうですね」
フーチェは頷いた後、少しだけ周囲を見回した。
「このまま、ただの森が続けばですが……」
「まあな」
ここまで通過した区画を思い返す。
基本的には、ほとんど森だった。
生えている木の種類や植物には多少違いがある。
見かける魔物も微妙に違う。
それでも景色そのものは、大きく変わらなかった。
明らかに異質だったのは、グリムホーフを見つけた山岳地帯と塩湖の区画くらいだ。
「〇・〇だけ突然とんでもない場所って可能性もあるけどな」
「そういうこと言わないでくださいよ……」
「ははっ」
冗談半分で言った。
この時はまだ。
本当にその通りになるとは思っていなかった。
・・・
・・
・
翌朝。
俺たちは日が昇るのと同時に出発した。
フーチェの心配をよそに、二・〇も森。
次の一・〇も、やはり森だった。
「本当に何も起きませんね」
「いいことだろ」
「そうなんですけど、逆に不安になってきました」
「分からなくもない」
これまで散々、妙な場所や魔物に遭遇してきたせいだ。
何も起きない方が不自然に感じてしまう。
そして昼を少し過ぎた頃。
「……着いたな」
俺たちは一つの壁の前に立っていた。
《サーチ》には一・〇。
この先。
次の区画こそが――〇・〇。
「さて……」
俺は一度、大きく息を吐いた。
「ここから先は何があるか分からない。慎重に行こう」
「そうですね……!」
フーチェの表情も引き締まる。
壁の中から、自分たちの姿が映る場所を探し出す。
俺はそこへ手を向けた。
「《下位掌握》」
低い音と共に。
壁が左右へ開いていく。
その先に現れたのは、いつもの灰色の通路だった。
「行こう」
「はい」
ゆっくりと進む。
そして。
通路を抜けた。
「……」
最初に感じたのは。
妙な静けさだった。
「なんだよ……ここ」
思わず声が漏れる。
森がない。
土もない。
草一本生えていない。
足元を見下ろす。
「鉄……?」
地面そのものが、巨大な鉄板で作られている。
継ぎ目。
鋲のようなもの。
場所によっては太い配管まで走っていた。
左右に見える構造物も、ほとんどが金属。
まるで突然。
別の世界へ放り込まれたようだった。
「ロフルさん……」
「ああ」
フーチェが呆然と前を見ている。
その先には。
巨大なドーム状の施設があった。
「でかいな……」
距離があるため正確な大きさは分からない。
それでも、今まで見てきたどんな建物より遥かに大きい。
そして。
ドームの中央からは。
一本の巨大な円柱が伸びていた。
「……どこまで伸びてるんだ?」
思わず見上げる。
その時。
もう一つの異常に気づいた。
「天井が……ない?」
いつもの最下層なら。
遥か上には、空のようにも見える茶色がかった天井が広がっている。
だがここには。
何もなかった。
真っ暗。
ただただ。
黒い虚空が果てしなく上へ続いている。
巨大な円柱も、その闇の中へ吸い込まれるように伸び、先端を見ることができない。
「なんだよ、ここ……」
同じ言葉しか出てこない。
「これ……全部、鉄ですよね?」
フーチェが足元を見ながら言う。
「多分な」
俺は軽く床を蹴った。
硬い金属音が響く。
「これだけ鉄に囲まれてたら……」
フーチェが苦笑した。
「マグはまともに動けなかったかもしれませんね……」
「あいつなら逆に全部利用しそうな気もするけどな」
「……確かに」
あの磁力なら、この場所そのものが武器になりそうだ。
とはいえ。
本人が制御できないほど大量の鉄に囲まれれば、どうなるかは分からない。
「とりあえず、あのドームまで行ってみよう」
「はい」
俺たちは慎重に歩き始めた。
・・・
・・
・
近づけば近づくほど。
ドームの異常な大きさが分かってきた。
「建物っていうより……山だな」
「本当に大きいですね」
外壁は金属質で、今まで見たことのない部品がいたるところに並んでいる。
太い配管。
箱状の機械。
細い線が束になったようなもの。
前世の記憶を持つ俺から見ても、何に使うものなのか全く分からない。
やがて俺たちは、巨大な出入口らしき場所を見つけた。
幅は二十メートルほど。
高さも十メートル以上はありそうだ。
「ここから入れそうだな」
「行ってみましょう」
中は薄暗い。
だが奥に空間があることは分かる。
俺はそのまま一歩踏み込もうとして――。
「ん?」
顔の前に何かがある。
手を伸ばす。
何も見えない。
だが、確かに進めない。
「壁……?」
「本当ですね」
フーチェも触れてみる。
「透明な壁でしょうか?」
「区画の壁とは少し違う気がするな」
フーチェが一歩下がった。
「叩いて壊してみましょうか」
「ちょっと待――」
「《エンハンス》!」
全身を炎が包む。
フーチェはそのまま、大きく拳を振りかぶった。
「えいっ!」
全力の拳が。
見えない壁へ叩き込まれる。
しかし。
「……え?」
音がしなかった。
衝撃音どころか、金属音すらない。
拳が触れた場所を中心に。
透明な空間だけが、水面のように静かに波打っている。
「なんでしょう、これ……」
フーチェは拳を引いた。
「感触がないというか……壊せる気がしません」
「下がってくれ」
「はい」
今度は俺が試す。
右手を構える。
「《ブラスト》!」
圧縮した魔力が一直線に飛ぶ。
直撃。
――したはずだった。
「……消えた?」
見えない壁へ触れた瞬間。
《ブラスト》は爆発することもなく。
溶けるように静かに消滅した。
「くそ……」
触れても壊せない。
魔法も効かない。
「どうすれば入れるんだ……?」
「《下位掌握》でしょうか?」
「試すか」
だが。
何度やっても反応はない。
二人で入口の前に立ち。
あれこれ考えていた。
その時だった。
「――ロフルさん!」
「っ!」
背後から。
魔力の気配。
振り返るより先に、身体を横へ投げる。
直後。
さっきまで俺が立っていた場所を《ブラスト》が通過した。
「うおっ!」
床を転がり。
すぐに立ち上がる。
「誰だ!」
後方。
そこに。
一人の少女が立っていた。
セミロングの赤い髪。
赤い瞳。
年齢は、俺とそれほど変わらないように見える。
少女はこちらへ手を向けたまま、警戒するように目を細めた。
「貴方たちこそ誰なの?」
「……」
「門下生ではないみたいね」
「門下生?」
聞き慣れない言葉に眉をひそめる。
だが、その前に。
「待ってください!」
フーチェが俺と少女の間へ入った。
「貴方、神徒ですよね?」
赤い髪。
赤い瞳。
間違いない。
「私も神徒です!」
フーチェが自分を指さす。
「ユニークリングだったので、ここへ落とされました」
「……」
少女がフーチェの手を見る。
そして。
構えていた腕をゆっくりと下ろした。
「そう……」
先ほどまでの険しい表情が、少しだけ和らぐ。
「私と一緒なのね」
どうやら。
少女もユニークリングらしい。
まさかこんな場所で、マグたち以外の神徒に会うとは思っていなかった。
少女がこちらへ近づいてくる。
「俺はロフル。こっちはフーチェだ」
「フーチェです」
こちらから名乗ると。
少女も軽く頷いた。
「私はリリアナ」
そして、自分の手の輪を見せる。
「私もユニークリングだったから、ここへ落とされたわ」
「やっぱりそうなのか」
「ええ」
聞けば。
年齢も俺と同じ十七歳らしい。
「ところで」
俺はさっきから気になっていたことを聞く。
「門下生って何だ?」
「え?」
「さっき俺たちを見て、門下生じゃないって言っただろ」
「ああ」
リリアナは少し考えるようにドームを見た。
「道場の門下生よ」
「道場?」
ますます分からない。
こんな鉄だらけの異様な区画に。
道場?
「説明すると長くなるわね」
リリアナは周囲を確認した後。
「ここは危険だから、一緒に来てみる?」
俺はフーチェを見る。
フーチェも俺を見る。
「行こう」
「はい」
情報が欲しい。
そもそも〇・〇について、俺たちより遥かに詳しそうだ。
「じゃあ案内するわ」
リリアナが歩き出そうとして。
不意に。
フーチェを見た。
「ただ……」
「はい?」
「フーチェ。その格好はあまりよくないわね」
「え?」
フーチェが自分の身体を見る。
《炎上》の特性のせいで衣服はまともに保たず、今も全身を炎が覆っている。
「……確かに」
俺も完全に慣れてしまっていた。
最下層で生活するうちに、それが普通になっていたのだ。
だが。
初対面の人間から見れば、かなり特殊な姿だろう。
「特性の炎のせいよね?」
「そうなんです。普通の服だとすぐ燃えてしまって……」
「なら、ちょうどいいものがあるわ」
リリアナが収納用の魔法から、黒いローブを取り出した。
「これを使って」
「いいんですか?」
「ええ」
フーチェは受け取り、そのまま炎をまとった状態で羽織る。
俺は思わず見入った。
「……燃えないな」
「すごい!」
フーチェも驚いたようにローブを見る。
「全然燃える感じがしません!」
「そのローブには《グリムホーフ》って魔物の皮を使っているの」
「グリムホーフ?」
聞き覚えどころか。
この前食べた。
「かなり耐火性の高い皮なのよ」
「そうだったのか!」
あの肉。
うまいだけじゃなかったのか。
「それなら俺、持ってるぞ」
「え?」
《キーキューブ》を開き。
昨日解体したグリムホーフの皮を取り出す。
「何匹か狩ったからな」
「こんなに?」
「ああ。ローブのお礼になるか分からないけど、持っていってくれ」
リリアナへ差し出す。
彼女は少し驚いた後、素直に受け取った。
「まあ、助かるわ」
「そんなに貴重なのか?」
「この辺りにはいないのよ。グリムホーフが住んでいる場所、ここからだと少し遠いから」
「なるほど」
知らないうちに。
かなりいいものを確保していたらしい。
「では」
リリアナは皮を収納し。
今度こそ歩き始めた。
「行きましょう」
「どこへ?」
俺の問いに。
リリアナは当然のように答える。
「道場よ」
座標〇・〇。
世界の角。
鉄で覆われた異質な区画。
その場所に。
なぜか存在するという――道場。
俺とフーチェは顔を見合わせた後。
リリアナの後を追った。