運命の出会いとか、私に起きたりしないかな。なんてね。
急に王子様が現れて、大ピンチから救ってくれる。そんなこと、あるわけがないんだし。良い恋愛をしたければ、しっかりと積み上げるしかないよね。
そう! 良い恋愛は、良い生活から!
まずは、高校生活を抜群に手際よくこなすことからだよ。そのために、私は休み時間にも頑張って勉強をすることにしたんだ。ちょうど今みたいに、メガネを掛け直してね。
今日は曇り空だからか、ペンを動かす私が窓に映ってる。まさに努力家。悪くないね。
なんて考えてたら、消しゴムが小指に当たってコロコロと転がっていく。手を伸ばすと、指先に暖かいものが。目を丸くして手を引っ込めると、困ったような笑顔が正面にあった。
その男の子は、軽く頬をかいている。目まで逸らしていて、なんだか面白いかも。
目も合わせないまま、消しゴムを拾っている。そして、私に差し出した。片方の手をポケットに突っ込んだまま、そっぽを向いて。
「ほら、早く受け取れよ」
なんて言うものだから、吹き出すかと思っちゃったくらい。あまりにも分かりやすすぎて、もう言葉もないよ。
両手で包み込むように消しゴムを受け取ると、耳まで真っ赤になっちゃってる。ニッコリ微笑んだら、手を引っ込めて去っていっちゃった。
手を振りながら、私は彼が席に戻るのを見守ったよ。ポケットに両手を突っ込んで、一度だけ振り向いていたね。ちょっとだけ名残惜しそうな目は、子犬みたい。なんてね。
私は、消しゴムを握って勉強に戻る。ペンを持つ手に、力が入ったよ。
よーし、頑張っちゃうぞ! 素敵な生活の、第一歩!
授業も休み時間も、ずっとペンを動かし続けたよ。そのおかげで、かなり理解が深まったはず。公式もイディオムも偉人も、しっかり覚えちゃったんだから。
テストで良い点を取っちゃえば、注目だって集めちゃえるよね。誰をメロメロにしちゃおっかな。なんて、ね。
私の良い恋愛計画は、まだまだ始まったばかりなんだから。
とか言いつつ、放課後はボーッとするんだけど。グラウンドの左端の方に立って、野球部をただ眺めるだけ。
別に野球に興味があるわけじゃなくて、電車まで時間を潰しているだけなんだよね。空き教室で勉強を続けるのは、ちょっと違うかな。
文学部とかに入っても良かったんだけど、別に書きたい物語もないし。良い生活には、義務感だけじゃ足りないんだよ。
それに、部活だけが青春じゃないんだから。分かりきった話だよね。
いつも通りに、4番は体の開いた右打ち。引っ張るのが得意らしいね。そこまで興味はないんだけど、毎日見てると覚えちゃった。なんだかんだで、運動部らしい大声だからね。聞く気がなくても、聞こえちゃう。
今日も軽く眺めているけれど、打者も守備も全力って感じだったね。
結局、その日はホームラン級の当たりはなかったみたい。といっても、私が帰るまでの話だけど。
空が茜色に染まっても、野球部からは声が聞こえる。私はさっさと電車に向かって歩いていくんだけどね。
そんな時間が日常になるように、私は次の日も、また次の日も同じように過ごしたよ。時々シャーペンの芯を変えたりしながら。授業と休み時間はペンを動かして、放課後はのんびりとする。
今日もまた、野球部を見守っていたよ。晴天で、メガネの映り込みがすごいよね。
そんな事を考えていると、カキーンという音が鳴った。ボールはまっすぐに私のところに飛んできて、私は固まったまま。
すると、私の前に影ができた。パシッという音が聞こえて、ボールは地面に転がっていく。素手でボールを払ったみたいで、痛そうに手を振っているのが見えたよ。
制服を着たまま振り向くその人は、消しゴムを拾ってくれた人だったんだ。
「まったく、ボーッとしてるなよな」
なんて、ポケットに手を突っ込みながら言っていたよ。肩で息をしているし、全力疾走だったんだろうね。よく間に合わせたものだよ。ふふ、良いね。
野球部の人たちが駆け寄ってきて、4番の人から順に帽子を脱いで頭を下げてくる。手を振って意思表示しつつ、私は助けてくれた子の手を取ったんだ。
もちろん、行く先は保健室。最低限、湿布を貼るくらいはしておかないとね。せっかく私を助けてくれたんだから。
保健室に入ると、先生はいないみたいだった。ちょっと、漫画みたいかも。
「別に、わざわざ保健室に来るほどじゃないだろ……」
なんて言うのを聞こえないフリをして、湿布をハサミで切っていく。赤くなっている部分を包み込むように、切った部分を指に巻き付けた。そっと、優しく。
彼は空いた手で頬をかいていて、微笑ましくなっちゃった。もう、クセみたいなものなんだろうね。やっぱり顔も赤いし。
湿布を貼り終えたら、私はゆっくりと頬に触れる。目を離せなくなっているのが、丸わかり。
「ありがとう、助けてくれて。おかげで、助かっちゃった」
ニッコリ笑っただけで、ツバまで飲んじゃってる。助けてくれた時はカッコよかったけど、今はよわよわ。小動物みたい。ギャップってやつかな。うん、悪くないね。
「あんなので怪我なんてされたら、寝覚めが悪いからな……」
「ふふっ、そうなんだ。優しいね」
「別に、そんなんじゃ……」
「もう一度言わせてもらうね。ありがとう、助けてくれて。素敵だったよ」
「すてっ……。まあ、今度は同じ事にならないようにな」
言葉まで詰まらせちゃって、可愛らしいこと。ぶっきらぼうな態度は相変わらずだけど、何も隠せてないよね。
湿布のあたりをなでながら保健室から出ていく彼を見て、私は小さく手を振ったんだ。
彼が出ていくのを見送ってから、私は帰路につく。電車に乗って、そこからは徒歩で。角が急で死角になっている曲がり角を通って、いつも通りに帰っていく。狭い道が多くて、ちょっと大変なんだけどね。
今日も後ろを通り過ぎていく車を見ながら、私はまっすぐ進んでいったよ。
次の日からは、彼と目が合うようになったりもしたよ。こっそり手を振ってあげると、知らないフリをするみたいに逆方向を見ていたりもして。笑っちゃうかと思ったよ。
よく私の方を見ているのなんて、気づくに決まってるのにね。でもまあ、気づかないフリをしてあげたよ。これも、良い女の証ってやつだよ。なんてね。
でも、特にアプローチは無いまま数日が過ぎた。ノートは7ページくらい進んだかな。
それで、彼は私に近づこうとしては足を止める感じだったんだ。気まぐれな猫と言うには、ちょっと勇気が足りなかったり? なんて、そんなこと言ったら可哀想かな。
いつも通りに笑顔を向けたりしながら、今日も勉強をして野球部を見て暇つぶしをしてから帰る。
曲がり角にあるカーブミラーは、なんだか錆びている。そんな事を考えながら曲がると、ブレーキ音が聞こえてきた。
同時に、後ろから衝撃が。隣で、車が止まっていく。私は、押し倒されて助けられたみたい。少しだけ、震えた。心臓がバクバクしてる。彼の体温だけが、ちょっと暖かい。
車から私を怒鳴りつけて、そのまま運転手はのろのろと細い道を去っていく。私を抱きしめている人から、唸り声が聞こえた。いつもの彼だって証。
だから私は、手を取って笑顔を向けたんだ。満開の花より綺麗になるように、全力全開でね。
「ありがとう、助けてくれて。命の恩人だね」
「まったく、気をつけろよ……。危なっかしいったらねえ……」
「ふふ、そうだね。でも、こんなロマンチックなことになるのなら、悪くなかったのかも」
「ふざけるんじゃねえ! 自分がどうなりかけたか、分かってるのか!?」
肩を掴みながら、叫ばれる。その手が震えているのに気づいた。
私は、そっと彼を抱きしめていく。また全身が震えて、今度は涙をこぼしているのが見えた。よほど心配をかけちゃったみたい。まあ、轢かれかけたんだから当たり前か。
ここまでされたら、彼の気持ちは伝わるよね。もう、不安にさせないようにしないと。
彼の肩は、かなり擦り切れている。抱きしめる力を強めると、身じろぎをしていた。顔もしかめている。怪我しちゃってるみたいだね。これは放っておけないよ。
だから私は、すぐに彼の手を取って歩き出したんだ。すぐそばにある、私の家に向かって。
家に入ってすぐ、救急箱を取りに行く。そして私の部屋まで連れていって、制服を脱がせていった。ちょっと身をよじっていたけれど、じっと見つめる。そうしたら、ため息をつきながら抵抗をやめたよ。
肩のあたりは、やっぱり擦りむいているみたい。痛々しさもあって、眉をひそめそうになったりもしたかな。
冷蔵庫にあったミネラルウォーターでしっかりと洗ってから、ガーゼを貼る。優しく、丁寧に。
「ごめんね、私のせいで……」
「別にいい。それよりも、本当に気をつけろよ。お前は……」
うつむいて、拳を握っていた。だから私は、その手を両手で包み込んだ。そして、とびっきりの笑顔を見せてあげたよ。
「こうしてあなたの手を握れるのも、助けてもらったおかげだから。もう、危ないことはしないよ」
「なら、いい。俺が、どんな気持ちだったか……」
かすれるような、弱々しい声を出していた。傷口に触れないように、また抱きしめる。彼は何度か腕を開いたり解いたりしてから、ゆっくりと抱き返してくれたんだ。
ふふ、体温が伝わってくるね。心臓のドキドキも。うん、良い感じ。
「どこか、痛かったりしないか……?」
「ううん、大丈夫。どこも打ったりしていないよ。元気いっぱいって感じかな」
「そうか……。そう、か……」
力が抜けたように、体重を預けてくる。彼の口から、ほっと息がこぼれていた。私は、しっかりと彼を抱きしめる。私の体温が、生きている証が伝わるように。
また、彼は涙をこぼしていたよ。すすり泣く声も聞こえた。私はただ、何も言わずに抱きしめ続けた。それだけで、全部が伝わるような気がしたんだ。
胸のあたりが少しだけ冷たくて、でもそれが心地よくもあった。
泣き止んだ頃には、彼の目は真っ赤になっていたよ。それで、私をじっと見つめてきたんだ。私の頬に手を添えながら、まっすぐに。
「なあ、俺、お前のこと……。さっき、頭が真っ白になって、気づいたんだ……」
かすれるような声で、こぼしていたよ。手も震えていたね。
ハッキリ答えを言わなくたって、どんな意味があるかくらい分かるんだ。命がけで助けてくれたんだから、受け入れるなんて当然だよ。
私は何も答えずに、目を閉じる。温かい感触が、唇に触れた。ギュッと抱きしめられて、私も腕を背中に回したよ。
ゆっくりと、でも確かに力強く。私たちは、深く抱きしめあったんだ。お互いの体温が、同じになるくらいまで。
長い時間が過ぎて、窓から見える空は黒くなり始めていた。
彼はそそくさと私から離れて、後ろを見ながら頬をかく。そして、背中越しに手を上げて歩き始めた。ポケットに両手を突っ込んで、耳を赤らめていたよ。
そのうち、慣れるだろうけど。今は初々しさを楽しんでおこうかな。
まずは、今だけの彼を味わうのが大事。これからの関係が、どうなるにしろ。ね?
「送っていこうか? 助けられたお礼もしたいし」
「別にいい。近くもないし、夜に女子を外に出せないだろ」
「分かったよ。またね」
手を振りながら見送って、さっきの言葉を頭の中で繰り返す。うん、良い感じ。
次は、彼の家に行っても良いかも。ここからは遠いみたいだし、ちょっと遅くなるかもね。歩きだと、大変だったりして。よく近くまで来れたよね。
どんな場所か、しっかり見せてもらおう。お泊まりになっちゃったりしてね。
首筋のちょっとだけ赤くなったところをなぞっていると、つい笑顔が浮かんできたよ。良い出会いができたのは、間違いないかな。
ここまでいろんなことが重なれば、もう運命だよね。やっぱり、良い生活から始めた甲斐があったよ。
消しゴムを落としてよかった。ボールに当たりそうになってよかった。轢かれそうになってよかった。
ね、私の王子様。