ルーデウス視点
七星の召喚陣が、これまでの実験とは明らかに違う反応を示した日から、数日が過ぎた。
あの日は家へ帰った後、思いがけずエリスからの手紙が届いたこともあり、《シグの召喚術》を開くことなく三人で休んだ。
その翌日の夜になってから、俺はようやく七星に借りた本を読み始めた。
一章だけ。
そう自分で決めてから読み始めたのだが、途中で止めるのは思っていたより難しかった。
それまで意味の分からない幾何学模様の集合にしか見えなかった召喚陣も、基礎的な記号の意味を知るだけで見え方が変わる。
どこから魔力を取り込み、どの線へ流し、中央の術式へどのようにつなげるのか。
もちろん、俺が一章読んだ程度で七星の研究を理解できるわけではない。それでも、完全に分からないものから、少なくとも何を分かっていないのかを考えられるものへ変わった。
二章も読みたかった。
かなり。
けれど、その日は一章で本を閉じた。
レイネも、七星の十三枚目の術式について整理していた記録を一定のところで切り上げている。
召喚には成功していない。
何かが現れたわけでもない。
ただ、大量の魔力を流したことで、それまで数瞬も維持できなかった術式が安定して発光し、同じ条件でも似た結果を再現できた。
七星は今も、その差がどこから生まれたのかを調べているはずだ。
次の実験日も、すでに決まっている。
その間にも、ほかのことは進んでいた。
レイネはクリフ先輩とエリナリーゼのところへ行き、魔力移譲を含めた研究の経過を確認した。
危険な変化はない。
エリナリーゼ本人の体調も安定しているため、三人はこれまで決めてきた安全条件を守ったまま研究を続けることになった。
俺も、中級解毒魔術の講義で手に入れた資料をクリフ先輩へ渡してある。
身体へ特殊な魔力が蓄積する病気について書かれた部分だ。
もちろん、それがエリナリーゼの呪いと同じ仕組みだと考えているわけではない。
「関係があるかもしれませんし、まったく違うかもしれません。比較資料としてどうぞ」
そう言って渡したところ、
「その程度は分かっている」
と少し不満そうに返された。
その割には、その場ですぐ読み始めていたので、渡した意味はあったのだろう。
ザノバとジュリの新しい人形も、少しずつ形になっている。
一日ですべてが大きく変わるわけではない。
それでも、何も止まってはいない。
最近の俺は、そういう速度へ少しずつ慣れてきた気がしていた。
その日の朝も、俺はシルフィとレイネの三人で食卓を囲んでいた。
「ルディ、今日は帰るの遅くなる?」
シルフィがパンをちぎりながら尋ねる。
「授業の後にザノバのところへ少し寄るつもりです。でも、夕食には間に合います」
「レイネは?」
「本日は上級結界魔術の講義へ参加いたします。その後は、ルーデウス様と合流する予定でございます」
「じゃあ今日は三人で食べられるね」
「はい」
シルフィが嬉しそうに頷いた。
「今日は僕が料理するよ」
「お手伝いいたします」
レイネが答えると、今度は二人の視線がこちらへ向いた。
「ルディは?」
俺も何かを担当すべきだろう。
少し考える。
「皿を並べます」
「うん。それなら安心」
「なぜ安心するんです?」
シルフィが笑った。
隣を見れば、レイネまで僅かに口元を緩めている。
「僕だって料理くらいできますよ」
「知ってるよ。でも今日は僕が作りたいの」
「では、そのうち僕も教えてもらいます」
「うん」
こういう話をできること自体が、少し前の生活とは大きく違う。
魔大陸では、翌日の宿が見つかるかどうかすら分からない日もあった。
北方大地を移動していた頃も、次はどの町へ向かうのか、どの依頼を受ければ旅費を確保できるのかを考えながら朝を迎えていた。
今は、大学へ行っても夜になれば帰る家がある。
シルフィも帰ってくる。
レイネも帰ってくる。
今日やらなくても困らないことなら、明日へ回してもいい。
俺は、そんな生活をかなり気に入っていた。
穏やかな朝だった。
だからこそ、玄関の扉が叩かれた時も、最初は特に身構えなかった。
「こんな時間に誰だろう?」
シルフィが顔を上げる。
「私が確認いたします」
レイネが席を立った。
玄関から短いやり取りが聞こえ、ほどなくして戻ってくる。
その手には、一通の封筒が握られていた。
「ルーデウス様、私ども宛てでございます」
「僕たちに?」
「冒険者ギルドへ届いたものが、転送されてきたとのことでございます」
受け取る。
随分傷んだ封筒だった。
端は擦れ、表面には何度も別の場所へ送られたことを示す中継印が押されている。
北方大地を移動していた頃、俺たちは町へ立ち寄るたび、次に向かう予定の場所を冒険者ギルドへ伝えていた。
俺たち宛ての手紙が後から届いた場合、次の町へ転送してもらうためだ。
それでも追いつかなければ、その次へ。
最終的にはシャリーアまで送ってもらうよう手配してあった。
この手紙も、長い間俺たちを追い掛けてきたのだろう。
裏返す。
差出人を見る。
パウロ・グレイラット。
指へ少し力が入った。
「父さんからです」
口へ出した瞬間、真っ先に母様の顔が浮かんだ。
何かあったのか。
母様を見つけたのか。
助けが必要になったのか。
俺とレイネへ今すぐ来いという手紙なのか。
封を切ろうとして、日付が目に入った。
「……かなり前ですね」
「どのくらい?」
シルフィに聞かれ、改めて確認する。
俺たちが魔法大学へ入学するよりも前。
シャリーアへ到着するよりも前だ。
発送地もミリシオンではない。
イーストポート。
ベガリット大陸へ渡る船が出る港だった。
そこでようやく、頭の中で時間がつながった。
「これ、ピピンから出した手紙への返事です」
「ピピン?」
「母様がベガリット大陸にいるらしいと分かって、その後どうするかを決めた町です」
あの時、父さんたちはすでに母様を捜すため南へ動いていた。
俺とレイネが普通に後を追ったとしても、到着まで半年以上掛かる可能性が高かった。
だから悩んだ。
すぐに父さんの後を追うべきなのか。
それとも、ラノア魔法大学へ向かい、フィットア領転移事件や召喚魔術、《転移の迷宮》について情報を集めるべきなのか。
最後には、二人で大学へ行くと決めた。
そしてピピンを出る前、その決定を父さんへ手紙で知らせた。
「父さんは、ミリシオンを出た後に僕たちの手紙を受け取ったみたいです」
封筒を二人へ見せる。
「イーストポートで船を待っている間に追いついたのでしょう」
「じゃあ、この手紙を書いた時には、もうベガリットへ向かう途中だったんだね」
「はい」
最近この家から送った資金や、《転移の迷宮》について整理した資料とは全く別の手紙だ。
つまり。
今から読む父さんは、現在の俺たちについて何も知らない。
シルフィと再会したことも。
この家を買ったことも。
俺がシルフィとレイネへ結婚を申し込み、三人で暮らしていることも。
「開けます」
レイネが頷いた。
俺は封を切った。
数枚の紙が入っている。
最初の一枚を開く。
父さんらしい、少し乱れた字だった。
俺は読み始めた。
ルーデウス、レイネへ。
手紙を受け取った。
お前たちが無事だと分かって安心した。
最初に書いておくが、この手紙はミリシオンからじゃない。
オレたちはもうミリシオンを出て、今はイーストポートでベガリットへ渡る船を待っている。
お前たちの手紙が、ギルドをいくつも回ってここまで追いかけてきた。
ちょうどよかった。
こっちからも知らせたいことがある。
まずリーリャとアイシャだ。
二人とも無事にオレたちのところへ着いた。
ジンジャーたちが最後まで送り届けてくれた。
レイネが渡したリーリャの体調についての注意も、きちんと守ってくれたらしい。
着いた時のリーリャはまだ痩せていたが、危険な状態じゃなかった。
アイシャも元気だ。
二人を助けてくれて、本当にありがとう。
思わず息が抜けた。
「……よかった」
ジンジャーさんが今、ザノバと一緒にこの大学へ来ている以上、護衛を終えて無事に戻ったこと自体は分かっていた。
それでも、父さん本人からリーリャとアイシャが無事に到着したと知らされるのは違う。
シーローンで二人を助けた後、俺たちは旧フィットア領へ向かわなければならなかった。
自分たちで最後まで送るのではなく、ジンジャーさんたちへ任せた。
判断が間違っていたと思っていたわけではない。
それでも、あの旅の続きがようやく父さんの言葉で届いたような気がした。
「リーリャも、アイシャも無事だったのでございますね」
レイネの声にも、はっきり安堵が混じっていた。
「はい」
続きを読む。
リーリャは着いてすぐ、ゼニスを捜しに行くと言い出した。
さすがに止めた。
身体を戻す必要もあったし、こっちもベガリットへ向かう準備が全部終わっていたわけじゃない。
それから出発までの間は、久しぶりに家族で同じ場所に暮らす時間も取れた。
ノルンとアイシャは、最初はどう接したらいいのか分からなかったみたいだ。
姉妹だと分かっていても、ほとんど一緒に育っていないからな。
ノルンが姉らしく何かをしてやろうとする。
アイシャはノルンがやるより先に終わらせる。
ノルンが怒る。
アイシャは何で怒られたのか分からない顔をする。
またノルンが怒る。
そんなことを何度もやっていた。
だが少し経ったら、二人で買い物へ行くようになった。
喧嘩はするが、姉妹としてはそれなりにやってると思う。
思わず笑った。
「何て?」
シルフィが尋ねる。
「ノルンとアイシャが、喧嘩しながら一緒に暮らしていたそうです」
「仲悪いの?」
「逆じゃないでしょうか。最後には二人で買い物にも行っていたそうなので」
「それなら仲良しだね」
たぶん、そうなのだろう。
姉妹だからといって、何も言わなくても分かり合えるわけではない。
むしろ相手へ遠慮なく怒れるようになったのも、距離が縮まった証拠なのかもしれない。
俺と父さんだってそうだ。
何度か激しくぶつかった。
それでも、今は意見が違えば話す。
ぶつからないことより、ぶつかった後にも話せることの方が重要なのだと思う。
先へ進む。
それから、お前たちがラノア魔法大学へ行くと決めたことも読んだ。
ゼニスの情報を知っていながら、すぐこちらへ来なかったことを随分気にしているみたいだな。
そのことで自分を責めるな。
お前たちが何もしていないなんて、オレは思っていない。
ミリシオンでは三か月、一緒に捜索した。
ルーデウスも、レイネも、エリスも、ルイジェルドも、できることはやっていた。
その後、お前たちは旧フィットア領へも行った。
その上で大学へ行き、転移について調べると決めたんだろう。
だったら、そっちでできることをやれ。
手紙を少し下げた。
母様がベガリット大陸にいる可能性が高い。
そのことを知りながら、俺は大学へ通っている。
ザノバやジュリと人形を作る。
家へ帰れば、シルフィとレイネと食卓を囲む。
ときどき、それで本当にいいのかという疑問は出てくる。
たぶん、母様を無事に助け出すまで完全には消えない。
それでも今は、その不安が浮かんだからという理由だけで、これまで決めてきたことを全部捨てて走り出そうとは思わない。
俺とレイネは調べた。
二人で話した。
そして大学へ行くと決めた。
父さんも、その判断を否定していない。
「ルーデウス様」
レイネが声を掛ける。
「はい」
「何をお考えでございますか?」
少しだけ、自分の中を確認した。
「安心しました」
一番近いのは、それだった。
「父さんたちへ任せてもいいって、自分へ何度も言い聞かせる必要が少し減った気がします」
レイネはゆっくり頷いた。
「はい」
「だからといって、今の予定を変える必要もないと思います」
「私も、そのように考えております」
俺は続きを読む。
こっちにはオレがいる。
リーリャも結局、一緒に行くと言って聞かない。
ロキシーやタルハンドとは、ベガリットで合流する手筈になっている。
ギースも別口で動いている。
本当にお前たちの力が必要になったら、ちゃんと助けを求める。
その時は頼む。
だから、それまではそっちでやるべきことをやってろ。
ただ、その前に一つ頼みがある。
ノルンとアイシャは、ベガリットへ連れていかない。
二人もここまでは一緒に来た。
だが、この先の砂漠と迷宮へ子供二人を連れ回すつもりは最初からない。
どこへ預けるべきか決め切れずにいたところへ、お前たちの手紙が来た。
ラノア魔法大学へ行くと書いてあった。
それを読んで決めた。
ノルンとアイシャを、お前たちのところへ送る。
俺はしばらく手紙を見たまま動かなかった。
「ルディ?」
シルフィが俺を見る。
「ノルンとアイシャが……こっちへ来るそうです」
「二人とも?」
「はい」
シルフィが驚いた顔になる。
レイネも手紙へ目を落としていた。
ノルンと最後に一緒に暮らしたのは、ミリシオンだった。
三か月ほどの間、同じ場所で食事をし、俺たちが捜索から戻れば彼女がそこにいた。
俺がブエナ村を離れた時、ノルンは赤ん坊だった。
兄だと教えられても、最初はどう接していいのか分からなかったはずだ。
それでも別れる朝には、自分から俺のところへ来てくれた。
『おにいちゃん』
あの声は今でも覚えている。
『かえってくる?』
そう尋ねられた。
俺は母様たちを捜したら、またノルンへ会いに戻ると約束した。
すると、ノルンは俺へ抱きついて、
『いってらっしゃい』
と言ってくれた。
俺は、
『行ってきます』
と返した。
俺からノルンのところへ戻るより先に、今度はノルン自身がこちらへ来る。
「大きくなっているでしょうね」
「私も、お会いできるのが楽しみでございます」
レイネが微笑む。
「はい」
アイシャとも、兄妹として過ごした時間は短い。
シーローンで初めて会い、別れる時には、
『次に会う時まで、死なないでください』
と言われた。
俺は生きて再会すると約束した。
するとアイシャは、
『私が先に会いに行くかもしれません。その時は、侍女として雇ってください』
とまで言った。
「……アイシャに負けましたね」
「何が?」
シルフィが首を傾げる。
「次は僕から会いに行くつもりだったんです。でもアイシャに、自分から先に会いに行くかもしれないと言われていました」
「本当に来るんだ」
「はい」
まだ到着したわけではない。
それでも、こちらへ向かっている。
それだけで嬉しかった。
手紙の続きを読む。
二人にも話した。
ノルンは少し考えてから、自分で行きたいと言った。
お前がミリシオンを出てから、何度も聞かれた。
お兄ちゃんは帰ってくるのか。
レイネは元気なのか。
エリスはどこへ行ったのか。
オレにも分からんことまで聞いてきた。
だから、ラノアにお前たちがいるらしいと教えたら、行きたいと言った。
アイシャは聞く前から行く気だった。
お前のところへ行くと決まった途端、リーリャと侍女の話をしていた。
いつから働くとか、給金はどうするとか、その辺はお前とアイシャ本人で決めろ。
俺は額へ手を当てた。
「どうしたの?」
「アイシャ、侍女の件をちゃんと覚えています」
「ああ」
シルフィは事情を知っている。
「やっぱり本気なんだね」
「本気でしょうね」
俺はレイネを見る。
「レイネにも話が行きそうですね」
「その可能性は高いかと存じます」
「弟子にしてください、と言われるかもしれません」
レイネは少し考えた。
「アイシャ本人が望まれるのであれば、家事や礼法をお教えすることはできます」
「侍女として?」
シルフィが尋ねる。
「将来の職業を今ここで決定するという意味ではございません。学びたいものを学ぶことと、その後どの道を選ばれるかは別であると考えております」
「僕もそう思います」
本当に侍女になりたいなら、最終的にそういう道を選んでもいい。
けれど、まだ到着すらしていない段階で、ほかの可能性まで全部閉じる必要はない。
ノルンも同じだ。
二人が来た後で、それぞれ何をしたいのかを聞けばいい。
学校へ行きたいのか。
仕事をしたいのか。
まず休みたいのか。
俺が兄だからという理由で、その答えまで用意する必要はない。
続きを読もうとしたところで、次の文章に目が止まった。
それとな、レイネ。
給金の件については先に謝っておく。
忘れてた。
本当に悪い。
「……あ」
思わず声が漏れる。
レイネの指先も一瞬だけ止まった。
「給金?」
シルフィが首を傾げる。
「昔、レイネがうちで侍女をしていた時の話です」
先を読む。
アイシャに聞かれた。
「パウロお父さま。レイネさんへの給金は、もうお支払いになったのですか?」
ってな。
そこで思い出した。
ブエナ村でレイネを侍女として置くことになった時、給金について話した。
レイネの方から、今は衣食住だけでいい、給金はオレが出世した後で構わないと言ってきた。
オレはその条件に甘えた。
出世払いだ。
で、問題はその後だ。
一度も払ってない。
騎士として給料をもらうようになってからも、レイネが何も言わないのをいいことに、そのまま忘れていた。
これはオレが悪い。
当時の給金をどう計算するのか、いつから出世したと考えるのか、細かい条件まで決めてなかったから、勝手に額を決めて金を送るのはやめた。
戻れたら、一度ちゃんと話をさせてくれ。
お前が覚えている条件も聞く。
その上で、払うべき分は払う。
約束したのに払っていないのはオレの問題だ。
悪かった。
俺は顔を上げた。
「だそうです」
「はい」
レイネの返事は短い。
「どう思います?」
「パウロ様が約束を思い出してくださったのであれば、結構なことでございます」
「それだけですか?」
「それ以上に何を申し上げればよろしいのでしょう」
「ちゃんと話してくださいね」
俺が言うと、シルフィもすぐ頷いた。
「そうだよ。それはレイネが働いた分でしょう?」
レイネが少し困った顔をする。
「当時、出世払いで構わないと申し上げたのは私でございます」
「だからって、一生払わなくていいという話ではないでしょう」
「その点につきましては、パウロ様ご自身も同じことを書いておられます」
「なら、次に会った時にちゃんと話してください」
俺はそこで止めた。
俺が勝手に父さんへ請求する話ではない。
当時の条件を確認し、どうするかを決めるのはレイネと父さんだ。
レイネ本人が何を望むかも聞かず、俺が代わりに答えを決めてしまうのは違う。
「父さんと話すことだけは約束してください」
レイネは少し黙り、
「承知いたしました」
と頷いた。
それで十分だ。
手紙には、もう少し続きがあった。
それからアイシャのことだ。
給金の話をした後、
「私がお兄さまに雇っていただく際には、雇用条件と給金の支払日を書面に残します」
と言われた。
完全に信用をなくした。
自業自得だ。
レイネ。
アイシャは、お前みたいになりたいらしい。
ただ侍女をやりたいというだけじゃない。
人が困る前に気づいて、危ないことをしそうなら止められて、周りを見られる人間になりたいと言っていた。
お前のことを相当尊敬してる。
本人が何か教えてほしいと言った時には、無理のない範囲で見てやってくれると助かる。
レイネが少しだけ目を伏せた。
「本当に弟子ができるかもしれませんね」
「まだ、そうなると決まったわけではございません」
「でもアイシャなら、着いた日に言いそう」
シルフィが楽しそうに笑う。
俺も否定できなかった。
お前たちがどこに住んでるのかまでは知らない。
そもそも、この手紙を書いている時点では本当に大学へ着けたのかも分からん。
二人には、とにかくラノア魔法大学へ行って、ルーデウス・グレイラットとレイネを捜せと言ってある。
シャリーアまで着けばどうにかなるだろう。
ザノバ王子もいるはずだ。
金は持たせる。
旅費とは別に、当面暮らせる分もある。
学校へ行くのか、仕事をするのか、どう暮らすのかも、本人たちと話して決めてくれ。
「父さん、僕たちが今どう暮らしているのか、何も知りませんね」
「この頃ならそうだよね」
シルフィが答える。
「シルフィがいることも知りません」
「結婚したことも?」
「知りません」
シルフィの頬が少し赤くなった。
レイネも僅かに視線を伏せる。
最近送った手紙には、全部書いた。
シルフィと再会したこと。
この家を買ったこと。
シルフィとレイネへ結婚を申し込み、三人で暮らしていること。
だが、その手紙も今ごろ父さんたちの後を追い掛けている。
ノルンとアイシャの方が先にここへ到着したなら、父さんより先に妹たちが俺の結婚を知ることになる。
「……驚くでしょうね」
「そうだね」
シルフィが笑った。
「特にノルンは、昔からレイネを知っていますから」
俺はレイネを見る。
「はい」
兄のそばにいた侍女と久しぶりに再会したら、その侍女が兄の妻になっている。
しかも、ブエナ村で知っていたシルフィまで、もう一人の妻だ。
驚かない方が難しい。
ただ、ノルンがそれをどう思うのかまで、今から俺が決める必要はない。
実際に来た時に説明する。
聞かれたことへ答える。
何か思うところがあるなら聞く。
それでいい。
残った文章へ目を落とした。
それから護衛だ。
お前たちの手紙が届く少し前に、思いがけない奴と会った。
お前もレイネも知ってる。
ノルンもよく知ってる。
アイシャとは初対面だったが、もう普通に話してる。
二人をお前たちのところまで連れていってくれないかと頼んだら、引き受けてくれた。
腕については何も心配してない。
名前は手紙には書かない。
場所によっては、名前だけで余計な騒ぎになる。
会えばすぐ分かる。
俺はその部分を二度読んだ。
俺とレイネが知っている。
ノルンもよく知っている。
アイシャとは初対面。
父さんが子供二人の長旅を任せられるほど信用している。
そして、名前を書くだけで場所によっては騒ぎになる。
一人しか思いつかなかった。
「……まさか」
「誰か分かったの?」
シルフィが尋ねる。
俺は隣へ向いた。
「レイネ。心当たりはありますか?」
「はい」
レイネは迷わず答えた。
「おそらく、ルイジェルド様ではないかと」
やはり同じだった。
「僕もそう思います」
「ルイジェルド?」
シルフィには、名前だけでは分からない。
「僕とエリスが魔大陸へ転移した後、一緒に旅をした人です」
「護衛の人?」
「護衛でもありましたし、仲間でも、先生でも、恩人でもあります」
一つの言葉だけでは説明しきれない。
「僕とエリスだけだったら、たぶん魔大陸から無事に帰れなかったと思います」
「そんなに?」
「はい」
「レイネも知ってるの?」
「はい。ウェンポートでルーデウス様方と再会して以降は、私もルイジェルド様と旅をいたしました」
「四人で?」
「僕、エリス、レイネ、ルイジェルドさんの四人です」
「仲良かった?」
レイネは少し考えてから、静かに頷く。
「私にとっても、大切な旅の仲間でございます」
その言葉を聞いて、少し嬉しくなった。
「強い人?」
今度は俺へ質問が飛んできた。
「強いです」
「ルディより?」
「近距離なら僕よりずっと強いですよ。僕は魔術師ですから、距離を取れば条件も変わりますけど」
少し考える。
「でも、わざわざ本気で戦って確かめたい相手じゃありません」
勝てるか負けるかを調べるような関係ではない。
「それに、子供をとても大切にする人です」
「じゃあノルンちゃんとアイシャちゃんも安心?」
「本当にルイジェルドさんなら、二人よりも、道中で二人へ手を出そうとする人間の方を心配した方がいいと思います」
「そんなに?」
「そんなにです」
そこまで信用している。
魔大陸で俺が判断を間違えた時、ルイジェルドは全部を代わりにやってくれたわけではない。
必要なら叱った。
自分で考えさせた。
そして最後には、自分で判断させた。
俺たちが別れた時にも、言葉を残してくれた。
自分一人で全部を決めなければならないと思うな。
それでも、考えることはやめるな。
仲間と考えろ。
レイネにも、一人で何もかも背負おうとするなと話していた。
当時の俺は、その意味を分かったつもりだった。
今になって思えば、実際にできるようになるまでには随分時間が掛かったと思う。
「本当にルイジェルドさんだったら、来た時に紹介します」
「うん。僕も会ってみたい」
「僕も会いたいです」
レイネも、
「再会できるのであれば、私も嬉しく思います」
と続けた。
俺は手紙の最後へ目を落とした。
この手紙を書いている時点では、二人はまだここにいる。
明日の朝、お前たちのところへ向けて出発する。
オレたちは、その数日後に船が出ればベガリットへ渡る予定だ。
手紙と人間じゃ通る道も速さも違う。
これがお前たちへ先に着くのか、二人が先に着くのか、オレにも分からん。
手紙が先なら、迎える準備をしてやってくれ。
二人が先なら、その時はその時だ。
ゼニスについてはこちらでできるだけ捜す。
本当にお前たちが必要になれば連絡する。
その時は頼む。
それまではノルンとアイシャを頼む。
それとレイネ。
給金の件は、忘れていたオレが悪い。
戻れたら、ちゃんと話そう。
また会おう。
パウロ
読み終えた。
すぐには紙を畳まなかった。
父さんたちは、この手紙を書いた数日後には海を渡ったはずだ。
今頃はベガリット大陸へ着いているだろう。
ラパンへ到着しているかもしれないし、さらに先まで進んでいるかもしれない。
こちらから送った資金や迷宮についての資料も、その後を追っている。
この世界では、手紙一つ届くまで何か月も掛かる。
母様が今どうしているのかも、父さんたちがどこまで進んでいるのかも、俺には分からない。
だからといって、その不安だけを理由にすべてを放り出して南へ向かうのは違う。
父さんは、本当に俺たちが必要になった時には助けを求めると書いた。
俺とレイネも、救援要請が来たなら動くと決めている。
それまではここでできることを続ける。
フィットア領転移事件について調べ、七星との共同研究を進め、召喚術を学び、《転移の迷宮》について知識を増やし、必要になりそうな治癒や解毒魔術も覚える。
そして今は、こちらへ向かっている妹たちを迎えたい。
俺はシルフィとレイネを見た。
「ノルンとアイシャを、この家へ迎えたいです」
ここは俺だけの家ではない。
だから、俺だけで決めるつもりもなかった。
シルフィはすぐに答えた。
「もちろん。ルディの妹なんでしょう?」
「はい」
「なら、僕にとっても家族になるよ」
胸が温かくなる。
「ありがとうございます」
レイネも頷く。
「私も異存ございません。お二人とも長旅の後でございますから、まずは安心して休んでいただけるよう準備いたしましょう」
「はい」
シルフィが少し考えた。
「部屋はすぐ使える?」
「客室はあります」
「泊まるだけならね。ずっと暮らすなら、ほかにも必要でしょう?」
確かにそうだ。
ベッドだけあれば生活できるわけではない。
衣類をしまう箱や机、椅子、本棚など、考えればいくらでも出てくる。
少し前の俺なら、二人が来ると知った瞬間に必要そうな物を全部買い揃えたかもしれない。
兄なのだから困らないよう先に完璧に用意しなければならない、と。
けれど、今はそう思わない。
「最低限だけにしましょう」
「どこまで?」
「寝具と、衣類をしまう物くらいでいいと思います。机や本棚は、二人が来てから本人たちに選んでもらいましょう」
「その方が楽しそう」
「はい」
どの部屋を使いたいのかも分からない。
別々の部屋がいいのか。
しばらくは同じ部屋で過ごしたいのか。
本人たちへ聞けばいい。
「学校についても、到着した日に決めるつもりはありません」
「魔法大学に入れないの?」
「選択肢にはします。でも、二人がそれを望むかどうかはまだ分からないでしょう」
長旅を終えたばかりなら、まず休みたいかもしれない。
ノルンとアイシャが別々のことを望む可能性もある。
「二人一緒に話すだけでなく、必要であれば一人ずつお話を伺いましょう」
レイネが言った。
「そうですね」
隣に姉妹がいることで、相手へ合わせた答えを言ってしまうこともあるかもしれない。
本人が何をしたいのかを知りたいなら、それぞれと話す時間もあった方がいい。
「ルディ」
シルフィが俺を見る。
「楽しそうだね」
少し考えてから、素直に頷く。
「楽しみです」
不安もある。
二人が来れば、三人だったこの家の生活も変わる。
ノルンとアイシャ同士で喧嘩をするかもしれないし、俺たちと意見がぶつかることもあるだろう。
それでも、会いたい。
「かなり楽しみです」
時計を見ると、思った以上に時間が経っていた。
「……大学、急いだ方がいいですね」
「あ、本当だ」
シルフィも時計を見る。
俺は父さんの手紙を丁寧に畳んだ。
「部屋は帰ってから見ましょう」
「うん」
「お願いいたします」
妹たちが来ると分かったからといって、今日の授業を全部休む必要はない。
迎える準備は、帰ってから三人で進めればいい。
◇
大学へ着いてからも、時々ノルンとアイシャのことを考えた。
もちろん講義は聞いた。
ノートも取ったし、分からない部分は教師へ尋ねた。
ただ、少し気を抜くと妹たちの顔が浮かぶ。
ノルンはどのくらい背が伸びただろう。
声も変わっただろうか。
今度会った時も、「おにいちゃん」と呼んでくれるだろうか。
アイシャについては、なぜかそれほど変化した姿が想像できない。
会った直後に、
「お兄さま。雇用条件のお話ですが」
などと言い出しても不思議ではない。
父さんの手紙を読む限り、本当に言いそうだ。
昼休み。
食堂でザノバとジュリに会った。
「父さんから手紙が届きました」
「おお」
「ジンジャーさんがリーリャとアイシャを、無事に父さんのところまで送り届けてくれたそうです」
「当然でございます!」
ザノバが大きく胸を張った。
「余が信頼する騎士でございますからな!」
「ザノバの功績ではありませんよ」
「ジンジャーへ護衛を命じたのは余でございます」
「……そこは確かにそうですね」
完全には否定できない。
「ジンジャーさん本人にも、改めてお礼を言いたいのですが」
「ならば本日の放課後にでも」
「大学にいますよね?」
「もちろんでございます。今朝も、余の部屋の前へ置いた彫像を片づけるよう怒られました」
「部屋の前?」
「はい」
「それ、廊下では?」
ザノバが黙る。
隣でジュリが小さく笑った。
午後の講義を終えた後、俺とレイネはザノバの研究室へ向かった。
ちょうどジンジャーさんが、大きな木箱の中身を確認しているところだった。
「ジンジャーさん」
振り返る。
「ルーデウス殿。それにレイネ殿」
「少しお時間よろしいですか?」
「はい」
俺は父さんから古い手紙が届いたことを説明した。
リーリャとアイシャが無事に父さんたちへ合流したと、本人の言葉で今日初めて確認できたことも伝える。
そして、頭を下げた。
「二人を父さんたちのところまで送り届けてくださって、ありがとうございました」
ジンジャーさんは少し驚いた。
「今さらで申し訳ありません。ジンジャーさんがここへ戻ってきている以上、任務を終えられたことは分かっていたんです。でも、二人が無事に到着したと父さん本人から確認できたのが今日だったので」
ジンジャーさんの表情が少し柔らかくなる。
「無事にお届けすることが、殿下より受けた任務でした」
「それでもです。ありがとうございました」
レイネも頭を下げる。
「リーリャのお身体にもご配慮いただき、感謝いたします」
「レイネ殿の注意書きが大変具体的でしたので」
ジンジャーさんが少し笑った。
「毎朝、リーリャ様から『もう大丈夫です』と言われました。そのたびに注意書きをお見せして、予定どおり休んでいただきました」
想像できる。
リーリャなら絶対にそう言う。
その「大丈夫」を毎日止めてくれたのだ。
「本当にありがとうございました」
今度はジンジャーさんも素直に頷く。
「お二人が無事であれば、それで十分です」
これでようやく、ずっと心へ残っていた一つを、本人へ返せた気がした。
◇
夕方に家へ戻ると、シルフィは先に帰っていた。
二階から声がする。
「こっちだよ」
上がっていくと、朝話していた空き部屋を確認しているところだった。
この家には使っていない客室がいくつかある。
その中に隣り合う二部屋があった。
一つは通り側。
もう一つは庭側。
どちらにもベッドが置かれている。
「ここならどうかな?」
「いいと思います」
二人が別々に使いたいならそのまま使える。
一緒の部屋がいいなら、片方を別の用途にしてもいい。
レイネがベッドへ手を触れ、状態を確かめる。
「寝具は新しいものへ交換した方がよろしいかと存じます」
「お願いします」
「衣装箱も、ひとまずお一人につき一つずつ用意いたしましょう」
「それくらいですね」
「机は?」
シルフィが聞く。
「来てからにしましょう」
俺は笑った。
「本人たちに選んでもらいたいです」
「じゃあ、買い物も一緒に行けるね」
「はい」
どんな物を選ぶのだろう。
そんなことを考えられるのが嬉しかった。
「ルディ」
シルフィが二部屋を見ながら言う。
「やっぱり楽しそう」
「はい。かなり」
隣を見る。
レイネも部屋を見ていた。
「レイネは?」
シルフィに聞かれると、
「私も、お二人をお迎えすることを楽しみにしております」
と素直に答えた。
俺とシルフィが同時に彼女を見る。
「何でございますか?」
「いえ」
俺は笑った。
「何でもありません」
◇
夕食は予定どおりシルフィが中心になって作り、レイネが手伝った。
俺は朝に宣言したとおり皿や食器を並べる。
父さんから手紙が届いたせいか、いつもより話題が多かった。
ノルンとアイシャはどのくらい成長したのか。
部屋はどうするのか。
アイシャが本当に侍女になりたいと言ってきた場合、最初から仕事として扱うのか、それともまず家事や礼法を学ぶところから始めるのか。
そして当然、父さんが忘れていたレイネの給金も話題になった。
「レイネ、ちゃんともらってね」
シルフィが念を押す。
「パウロ様と再会した際に、お話はいたします」
「『話します』だけだと少し不安ですね」
俺も口を挟む。
レイネがこちらを見る。
「ルーデウス様まで、シルフィ側なのでございますか?」
「この件は全面的に」
「僕も」
二対一になった。
レイネはしばらく俺たちを交互に見た後、小さく息を吐いた。
「……承知いたしました。パウロ様と条件を確認し、正当に受け取るべき分につきましては受け取ります」
「よし」
シルフィが満足そうに頷く。
俺も安心した。
「そういえばルディ」
「はい?」
「朝のルイジェルドさんのこと、もう少し聞いてもいい?」
「ああ、もちろんです」
ルイジェルド。
名前を聞くだけで、魔大陸を旅していた頃の光景が浮かんでくる。
シルフィには、旅について少しずつ話してきた。
エリスと一緒だったこと。
冒険者として魔大陸を移動したこと。
途中からレイネと再会したこと。
けれど、ルイジェルド本人について詳しく話す機会はあまりなかった。
「どんな人?」
一言で答えるのは難しい。
「真面目な人です。それも、かなり」
「レイネより?」
「比較対象としてレイネを出すんですか?」
「だってレイネも真面目でしょう?」
「それは否定できません」
レイネ本人は何も言わず食事を続けている。
「でも方向は少し違います。レイネは状況に合わせて考え方を変えられますけど、ルイジェルドさんは、自分が正しいと信じたことへ真っ直ぐ進む人です」
「頑固?」
「かなり」
レイネも頷いた。
「ご自身で納得できない事柄につきましては、簡単には譲られない方でございます」
「怖い?」
「敵に回すと、ものすごく怖いです」
「普段は?」
「口数は少ないですし、愛想がいいわけでもありません。でも子供には優しいです」
魔大陸で出会った頃。
俺もエリスも、ルイジェルドから見れば守るべき子供だった。
実際に何度も助けてもらった。
戦い方。
旅の仕方。
判断を間違えれば叱られた。
ただ、旅が進むにつれて、その関係も変わったと思う。
最後の頃には、何も知らない子供としてではなく、自分で考え、共に行動する仲間として扱ってくれていた。
「命を助けてもらったこともある?」
「何度も」
「何度もなんだ……」
シルフィが少し驚く。
「魔大陸ですからね」
今なら笑って言える。
当時はまったく笑えなかったが。
「レイネが合流してからも仲良かった?」
「はい」
レイネはすぐ答えた。
「私にとっても、大切な旅の仲間でございます」
俺も自然に頷いた。
ウェンポートでレイネと再会してから旧フィットア領へ戻るまで、俺たちは四人で進んだ。
期間だけを見れば、それほど長くはない。
それでも濃い旅だった。
別れ際、ルイジェルドは俺にもレイネにも言葉を残してくれた。
俺には、自分だけですべてを決めようとするな、しかし考えることまでやめるな、仲間と考えろと。
レイネには、一人で抱え込むなと。
「だから、本当にルイジェルドさんが護衛なら、道中についてはかなり安心しています」
「ルディがそこまで信用するなら、本当にすごい人なんだね」
「はい」
迷いなく答えられる。
「少なくとも、ノルンとアイシャに危険が迫った時、二人を置いて逃げるような人ではありません」
「会えるといいね」
「僕も会いたいです」
最後に会ってから、いろいろなことがあった。
大学へ入った。
シルフィと再会した。
レイネとも改めて向き合った。
二人へ結婚を申し込み、今は三人で同じ家に暮らしている。
エリスからも手紙が届き、剣の聖地で今も鍛えていることが分かった。
父さんたちは、母様を捜してベガリット大陸へ向かっている。
俺自身も、あの頃とは少し変わったと思う。
再会したなら、話したいことはいくらでもある。
ただ、一日で全部話す必要はない。
会えたら、まず再会できたことを喜べばいい。
「ルディ、嬉しそう」
「そんなに顔に出てます?」
「少しだけ」
シルフィが笑う。
「私にも分かります」
レイネまで言った。
悪いことではないだろう。
昔の仲間へまた会えるかもしれない。
それなら、嬉しくて当然だ。
◇
夕食の後。
俺は父さんの手紙をもう一度広げた。
この手紙を書いた翌朝、ノルンとアイシャは俺たちのところへ向けて出発する。
父さんたちは、その数日後にベガリットへ渡る。
そう書かれている。
今頃、父さんはもう海の向こうだ。
ラパンまで着いているかもしれない。
母様がいる可能性の高い迷宮について、すでに詳しい調査を始めている可能性もある。
最近こちらから送った資金や資料は、その父さんたちを追い掛けている。
いつ届くのかは分からない。
届いた時、父さんたちがどこまで進んでいるのかも分からない。
連絡だけで何か月も掛かる世界だ。
母様は無事なのか、父さんたちは大丈夫なのか、本当に今すぐ俺が向かわなくてもよいのかという不安が消えたわけではない。
それでも、その不安だけを理由に、決めたことを全部投げ出そうとは思わなくなった。
父さんは必要なら助けを求めると書いた。
俺とレイネも、その時には動くと決めている。
だから今は、ここでできることを続ける。
フィットア領転移事件を調べる。
七星との共同研究を進める。
召喚術を学ぶ。
《転移の迷宮》について知識を増やす。
必要になるかもしれない治癒や解毒魔術も身につける。
そして、こちらへ向かっている妹たちを迎える。
全部を俺一人でやる必要はない。
今の俺には、そのことが昔より分かるようになった。
視線を上げる。
シルフィとレイネが、机の端でノルンとアイシャの部屋に必要な物を相談している。
「寝具は新しくするんでしょう?」
「はい。二名分、明日にでも注文いたします」
「毛布は少し多めがいいかな。南から来るなら、ここの寒さにはまだ慣れてないよね」
「予備も用意いたしましょう」
「衣装箱は?」
「ひとまず一つずつで十分かと」
二人は、もう俺が何も言わなくても話を進めている。
俺はその様子を眺めた。
少し前までなら、兄である自分が全部考えなければならないと思っていたかもしれない。
部屋も。
学校も。
生活も。
妹たちの将来まで、なるべく失敗しない答えを先に用意して、そこへ二人を当てはめようとしたかもしれない。
でも、父さんの手紙にも書いてあった。
本人たちと話して決めろ。
それでいい。
寝る場所と、到着した直後に困らない程度の物だけ整える。
あとは、ノルンとアイシャへ直接聞けばいい。
どの部屋がいいのか。
何をしたいのか。
学校へ行きたいのか。
アイシャは本当に侍女として働きたいのか。
ノルンは何に興味があるのか。
答えるのは、二人自身だ。
俺は必要な時に手伝えばいい。
「ルディ」
シルフィが紙から顔を上げる。
「どうしたの?」
「二人が来た後のことを考えていました」
「楽しみ?」
「はい」
不安はある。
喧嘩だってするかもしれない。
俺とも意見が合わない時が来るだろう。
三人だけだった今の暮らしも、確実に変わる。
それでも、会いたい。
来てほしい。
その気持ちの方がずっと大きかった。
ミリシオンで自分から俺のところへ来て、「おにいちゃん」と呼んでくれたノルン。
別れ際に「いってらっしゃい」と送り出してくれた。
シーローンでは、アイシャと生きて再会すると約束した。
俺がまた会いに行くと話した時、あの子は自分の方から先に会いに行くかもしれないと言った。
本当に、その通りになりそうだ。
「会いたいですね」
気づけば声に出していた。
「二人に?」
「はい」
少し考え、付け加える。
「それと、本当に護衛がルイジェルドさんなら、ルイジェルドさんにも」
「僕も会ってみたい」
シルフィが言った。
レイネも手を止める。
「私も、再会できるのであれば嬉しく思います」
「話したいことが山ほどありますね」
「そうでございますね」
レイネが僅かに微笑む。
話すことはたくさんある。
それでも急ぐ必要はない。
ノルンとアイシャがいつ着くのかも分からない。
一週間後かもしれないし、もっと先かもしれない。
手紙の方が大幅に先に着いた可能性だってある。
だから明日は、明日の授業へ行く。
研究も続ける。
ザノバやジュリの様子も見る。
シルフィはアリエル様のところへ向かい、レイネにも自分の予定がある。
そういう毎日を続けながら、少しずつ二人を迎える場所を整えていけばいい。
俺は父さんからの手紙を丁寧に畳み、エリスから届いたものを含め、家族からの大切な手紙をしまっている箱へ入れた。
最後に、もう一度父さんの言葉を思い出す。
ノルンとアイシャを頼む。
重い言葉だと思う。
けれど、一人で全部背負えという意味ではない。
俺にはシルフィがいる。
レイネがいる。
そして何より、ノルンとアイシャ自身がいる。
だから二人がこの家へ来たら、まずは普通に迎えよう。
久しぶり。
長い旅、お疲れさま。
その先のことは。
皆で話してから考えればいい。